【イベント】「宙吊りの踵が降りる朝」(月いちリーディング / 17年11月)
2017.11.11 18:00 [CoRich]
戯曲のブラッシュアップの企画、東京では今年最後。動画(YouTube)も公開予定。
電車に乗って通う会社で新入社員研修を受ける女。 中学高校と通った学校の、新体操部の練習や友達のことを思い出す。 拒食症になった友達や胸が大きいことばかりからかわれる友達、厳しい部長。親友だった一人はとても仲がよくて、電車で通うのもよく一緒になったけれど、彼女は一人先に「降りて」しまった。
新入社員研修の現在から俯瞰する、中学生の頃の話。身体が急速に育ち、新体操という種目とあいまって、自分の身体なのに「見られ」「消費される」ことをいやでも意識させられる日々。普通の年頃の女性よりも更に体重が軽いことが絶対的な善で、身体の線の美しさが求められる世界。食べられなくなったり、胸ばかりみんなの目が向いてしまうことだったり。自分の意志とはまったく関係なく、女に生まれて成長しているというだけなのにそんな目にあう、ということ。
部活の日々はもしかしたら楽しいこともあるけれど、厳しいことばかり思い出して。どうしてそうしなくちゃいけないのかという疑問を差し挟む余地もなく規律に縛られていることを思い出したのは、新入社員研修ということがきっかけなのです。それは部活で厳しかった規律、あるいは女に生まれたことで求められる所作のようなもの、それぞれが理不尽だと思ってもそういうことに乗って生きていかなければいけない、ということ。
何かの成長や変化というよりは、ゆるやかにしかし強固な何かにがんじがらめになっていることが変わらない、ということをあのころと現在が成す相似形で描き出すのです。
その中にあって、その強い流れから「降りてしまった」友達の存在が物語に不穏な影を落とします。その時点で止まったままの彼女と、そこから時間も状況も流れ変わったはずなのに、変わらず感じて成長している私の存在を向かい合わせに描くのです。
リーディング後の議論で指摘が多く見られたのは、描きたいことが本当にたくさん詰め込まれていて、本当に描きたいものがどれかということを決められていないのではないか、ということでした。片付けの魔法、よろしく整理したらいいかも、というのはゲスト・鈴木裕美の指摘。大人のシーンは丸々不要かもというのはゲスト・前田司郎の指摘でした。
たとえば、作家自身がよけいなエピソードかもしれないと質問した「胸の大きな女子」の成長のくだり、私はこのシーン、すけべ心は別にしても大好きで厚みのあるシーンだと思うしそう発言したけれど、確かに全体を眺めてみると、このシーンがやたらに長く、しかもやけに説得力があるために、バランスを欠いているという指摘も一理あるなぁと思ったりもするのです。 この彼女のシーン、ファミレスから肉屋、ラブホテルという変化で感じている一人語りが圧倒的に力があって、違和感もしっかりあって、物語の力があるのです。これは独立してもう一本にしていい話なのかもしれません。
印象に残る台詞がいくつか。たとえば人身事故の列車に乗り合わせなくて「謝らなくてもいいのにね。」とかワタシの違和感にもぴったりあうのです。全体にモノローグばかりな感じはあってダイアログが少ないのは惜しいところ。戯曲は自在に切り替えるシーンの数々、でもそれは演出家の仕事なのだというゲストの言葉が力強い。
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