【芝居】「ハイツブリが飛ぶのを」iaku
2017.10.21 14:00 [CoRich]
24日までアゴラ劇場。そのあと大阪。110分。
日本全土が噴火や大雨などさまざまな災害に襲われて、あちこちに仮設住宅が造られている。が、噴火によって仮設住宅がほぼ全滅し、山の上につくられていた避難所には数人が住んでいたが、一人を残して皆亡くなり、残った女一人ですべて土葬した。 ある日、避難所を訪ねてきた一人の男と一緒に暮らし穏やかな日々を過ごしているが、更に若い男が訪ねてくる。避難所を渡り歩き亡くなった人の似顔絵を聞き描きするのだという。数日後、もう一人の男が現れる。
モノトーンで統一された舞台と衣装。床に蒔かれたのは灰を思わせるもの。大きな自然災害の後、しかしギスギスと生きる街からは離れ、物資もなく不便で断絶されているがゆるやかな時間が流れる雰囲気。 大きな災害が続けざまに起こり続けているがために、もう元の生活は望めないのだという諦観が全体を支配しています。それゆえに、目的といえばただ生きることと、行方のわからなくなった誰か、あるいはかつての記憶を大切なものとして抱えること、そんな中で生きる人々の会話。
近未来SF的でかなり生活からは違う雰囲気なのはiakuらしくないけれど、そんな中でも交わされる軽いタッチの会話や、明確には語らないけれどそれぞれの人物が何かを秘めて会話をする雰囲気はiaku節。正直にいえば、物語そのものが終着点を迷い探し続けているような妙な感じがあって、新しい試みゆえの据わりの悪さのようなものを感じるアタシです。
必要とされるから本当はそうじゃ無いけれどそこに寄り添う感覚、あるいは拒絶されても離れがたい感じは、物語の世界と、若くはない役者の雰囲気がもつ説得力。一人混じる若い男がこのフラットな感じの語り口の中ではかき回すように働いていて、リズムを作りアタシには見やすいのです。
まだらになった記憶の中で女の中に残っている一つの曲、その曲が何かということも儚いのだというのがちょっとしたひと工夫。 その曲があるから、この希望の無さそうな世界の中でも寄り添って生きて行けそうだ、という終幕は、一筋の前向きな希望を残します。
常連ともいえる緒方晋の優しさと容赦ないツッコミのバランスが楽しく、とりわけ軽い口調でずけずけとモノを言う若者を演じた佐藤和駿とのコミカルで丁々発止のやり取りが実に楽しくていつまでも聞いていたい。
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