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2017.09.27

【芝居】「大阪、ミナミの高校生 2」趣向ジュニア

2017.9.23 18:00 [CoRich]

趣向ジュニアとして、精華学園精華高等学校演劇部「旅する演劇部」に、木内コギトを加えた座組での公演。徳島での上演のあとのまつもと演劇祭参加。ピカデリーホール。

反省文を何度も書き直しさせられる女子高生、同級生の恋人と早朝の教室でしてしまったことを叱られている。反省文の書き方はおろか、なにが叱られているかがわからない。ずっとまじめに考えているのに、何日間も。

女子高生と教師二人の会話を軸の物語として、そのシーンを挟むように、高校生の等身大の語り口での、恋愛にまつわる一人語り。それぞれの素なのか作り上げた台詞かはわからないけれど、奥手だったり進んでいたりといろんな高校たち。もうそれだけで眩しい。 いわゆる進学校ではない学校。反省文といっても繰り返しあやまるだけの文章を延々と書いたものを出してくるような幼さと、教室でセックスすることの素朴さと。大人びてみえるけれど、やっぱり幼い感じ。 結局は許されないバイトがバレて。退学になって行方が判らなくなってしまうのは悲しいけれど現実っぽいはなし。 恋人である男はさっさと反省文を上手に書き上げて反省するように巧く立ち回ったけれど、この芝居の彼女は、幼いなりに懸命に考えて「なぜ教室でセックスしてはいけないのか」にひたすらに向き合うのです。先生がこういうから、ということに引っ張られずに、法律にあるわけでも校則にあるわけでもない「常識」を疑うことの純粋さ、だけれどそれが高校生にもなって、という危うさ。この年代だからこその瑞々しくて、もうひたすらに眩しい。

と言うぐらいの学校なので、まっとうに数学を教えられなくて足し算から、みたいな教師の苦悩もまた現実。演じた木内コギトが実によいのです。金曜夜に行われたシンポジウムでは作家・オノマリコ、旅する演劇部だからこそ、晒すような等身大の自分を語ること、それがある種の自信を得られることを語っていて、確かにこれは教育の一環なのだということも、しっかりと見えてくる一本なのです。

朝一番の劇場まわりでは、輪になって発声練習、なんて姿の横でひなたぼっこよろしくぼんやりとした朝、なんてのも演劇祭のおもしろさなのです。

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【芝居】「1 on 1~役者の呼吸が聞こえる場所~」タヌキ王国

2017.9.23 15:30 [CoRich]

まつもと演劇祭、当初予定とは異なり、ホーム劇団のタヌキ王国のメンバーのみで上演する短編7本組。60分。深志神社 天神会館

慣れない合コンに来た兄弟が慣れたふりして「ぶるやつ」
断崖絶壁から飛び降りようとした男、女に声をかけられ利用料を払えと言われ「自殺の名所」
男が女に説教されている。そんな覚悟で詐欺ができると思ってるのか「オレオレ」
妻が入院した夫と息子、着替えを持って行こうと思うがあんまり枚数持ってないことに気づく「父の長い日」
客がこない骨董屋。アルバイトが暇だなというがオーナーはゆるやかに流れる時間といい「本日、凡日」
アイドル握手会の中で一人だけ列のないアイドルに繰り返し握手を求めるファンはアドバイスを「握手会」
ホームレスの前に座り込む青年、今晩はここで寝たいという「公園デビュー」

四方を客席で囲み、二人芝居を数珠繋ぎに上演。 10分に満たないぐらいの短いシーン。起承転結や成長というよりは、物語が始まりそうな予感をさせるさざ波のようなスケッチ。ちょっと不思議な話だったり、ほろりとした感じだったり、なにも起こらない雰囲気だったり、全体に穏やかな会話で紡がれます。そういう意味で勢いや突飛さで押し切るような芝居はなくて、あくまでの役者の地力だけで演じるのです。

「ぶるやつ」はイケてない兄弟があたかも鏡を見るかのように、こういうのやめようなといってみたり確認したり。兄弟で合コンというなんだか間違ったほっこりした雰囲気が、ああ、これは変わらないだろうし変わらないでほしいなと思っちゃういい奴感いっぱい。

「自殺の名所」は利用料を取るという発想のおもしろさと、自殺する人の気持ちが分かっちゃう女の存在と。前向きな感じになる感じがちょっと微笑ましい。

「オレオレ」は中途半端ななりすましに激怒してるのが、まさになりすましを生業とする役者。気合いを入注入するとみせかけて、このチャラい男をキャストに取り込もうとしてるというどん欲なハイエナっぽいたくましさ。

「父の〜」は男二人、居て当たり前の妻・母が居なくなって気がつくこと。もちろん頼りっぱなしだということもそうだけど、着替えを探すと思いのほかその数が少ないこと、若い頃はもっとおしゃれに気を遣っていたけど、頼りっぱなしの日々でそういう目を向けることもなかったし、自分たちばかり優先してもらってきたな、ということにもしかしたら気づいたかもしれない「買い物に行くか」という台詞の絶妙さ。

「〜凡日」は、なにもない暇な日々の切り取り。若者にとってはそれはやることのない暇そのものだけれど、上の世代にとってあるいはこの店の持ち主の感覚としては時間が緩やかに流れているということの感覚の差。それをバカにしたりするでもなく、その違いも含めて敬意を持ち合うおだやかな気持ちを共有できることのある種の奇跡。

「握手会」は列のないアイドルというワンアイディアだけれど、そんなものと諦めている本人に熱く語るファンのギャップ、その熱量が移っていく盛り上がり。四つん這いになりその気合いで蹴り上げてほしい、というのはどこかのラジオ番組の企画、もしくはアントニオ猪木のようだけれど、気合いを気合いとして感じたい、という感覚はなんか生ゆえにもっと迫ってくる感じがします。

「〜デビュー」はいつでも明日は我が身と感じてる身につまされる感じ。デビューだから先人に敬意を払い、そこでのしきたりを聞くところから入ること。ホームレスなりかけなのか、それとも単に家に帰りたくない夜もあるのか。でも不思議な連帯感と暖かさ。

そう、この7本のダイアログ、どこまでも穏やかなのが特徴で、相手に敬意を払っている二人たち、という共通点。おかげで物語そのものの盛り上がりという点では少々心許ないものだけれど、ちゃんと芝居として成立させるのは、気心しれた役者たちで濃密に作り上げた芝居ということなのかもしれません。

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【芝居】「イエロー・ウエスト」モカイコZ

2017.9.23 14:00 [CoRich]

ホーム劇団ですが、まつもと演劇祭は初参加。ワタシも初見です。まつもと市民芸術館 小ホール。

人気アイドルを数多く抱える事務所。社長以下全員がカメラを極端に嫌っている。芸能雑誌のカメラマンが何度も撮影を試みるが、決して写ることはない。敏腕カメラマンとライターがスクープを狙ううち、その裏に隠された真実が見えてくる。

ガンアクション風の西部劇の賞金稼ぎをスクープを狙うカメラマンやライターに置き換えた舞台設定。マスコミに載ってなんぼなはずなのに、異常なほど写真を嫌うアイドル事務所という不思議なワンアイディア。砂漠つながりとしか思えないエリア51ネタを織り込みつつ思えば遠くへ来もんだ、な着地点がばかばかしく、楽しい。パワーで押し切るコメディは振り切ってこそ。

シャッターを切る動作を単にシャッターを押すのではなくて、光彩が開くように両腕を動かすというアイディアは動きを生き生きとするし、スツール型の椅子を重ねてバーカウンターの高さにするとか、逆さまにしてUFOにするとかの細かな見立て、あるいは腕を前後に広げてジャンプするだけで騎乗してるなんてのも、ごっこ遊びのよう。ネットで見かけた「小学生が演劇鑑賞でみたら狂喜する」は確かにその通りだし、そのパワーに乗せられて、なんかワタシまでうれしくなってしまうのです。ワタシのようなやや古い人間には、パワフルさとスピード感、更にはSF風味が惑星ピスタチオを感じたりもするのです。

砂漠の決闘シーンで、風に吹かれてころころと転がるアレを、役者の前転で見せる、なんてちょっとしたこと。こういう小さいことを過剰に積み重ねていくのが魅力なのだなぁと思ったりするのです。

ビリーこと敏腕カメラマンを演じた有賀慎之助はミシン譲りのパワフルでコミカルな役をきっちり。相棒となるライター・アニーを演じた奥堀まゆもまたコミカルで可愛らしく。二人のラブストーリー風な雰囲気を散りばめているのも、西部劇映画っぽくて楽しい。

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【芝居】「夕暮れ坂の向こう側」幻想劇場◎経帷子

2017.9.23 12:30 [CoRich]

まつもと演劇祭でも常連のホーム枠の劇団。池上邸蔵。60分。

車いすの男、樟脳船を浮かべたバケツの向こう側には、少年の頃の自分が見える。仲のよかった大阪からの友達は事故にあい、水商売で借金を返していた母親も失った。車いすの男の記憶は曖昧だけれど、夕焼け坂の少し手前の木に埋めたビー玉の記憶がよみがえる。

樟脳船やビー玉といったひとつひとつが大切な少年のころを老いて振り返るノスタルジイ、経帷子節がっつりな一本。借金を背負って懸命に働いても減らない借金、取り立てにくるヤクザもの、シンボリックなアイテムを組み合わせて描きます。

単に老人の回想にとどまらず、若くして命を失った少年が寄り添い話をしたり、老人となった今と、過去の少年時代がバケツの底の向こう側に合わせ鏡になっている一工夫が不思議な世界観を広げるよう。

決してワタシが得意な感じのジャンルではないけれど、こうして毎年演劇祭で変わらず出会えるのは、ここの地にちゃんと根付いてワタシもみんなも年を重ねているということでもあって、それがなんかもううれしくなっちゃうアタシなのです。

夕暮れ坂の向こう側に埋めたはずのたくさんのビー玉、その場所が失われたとしても男の中には間違いなくあの坂がまだあって、その坂からあふれ出す大量のビー玉がカタルシスを生むのです。天井から降ってきたら最高だなぁと思ったりもするけれど、それはそれで、この貴重な蔵の床板がどうなってしまうか心配だったりもするので難しいところ。

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2017.09.25

【芝居】「無風」オイスターズ

2017.9.23 11:30 [CoRich]

まつもと演劇祭に愛知から参加するビジター。 まつもと市民芸術館 小ホール。60分。初見の劇団かと思えば観てました (1)と、同じ演目を別団体の上演で。

女が現れる。居ない人から話しかけられて、無い授業に向かう。窓も廊下も幼なじみも演劇部も兄弟も何にもないけれど、は現れ、通り過ぎていく。時に女は増えて新しい誰かに出会う。話しかけられた彼女に会いたくて、もっといろんな人に会いたい。

正方形に引かれた線、四隅にドアのような扇型。前半は下手手前の角から一人入り、「ない」づくしでさまざまな描写をして上手奥の角へ抜け、一人が抜けると次の一人で一人語り。 ああ、これは「あゆみ」( 1, 2, 3, 4)のスクロールしていく スタイル、あるいは7人全員で一人を語るスタイルかと思っていると、「ああ、そういうこと」と云った女がふと下手奥角に抜けます。すると上手側の二つの角からそれぞれ一人現れるのです。 この正方形の隣に、また別の同じような場所が繋がっていてそれがきっと無限に、あるいはぐるりとループして繋がっているようなことを云ったりはするけれど、ともかく、この「一人抜けると、一人来る」と「一人抜けて、二人くる」とその派生で「二人一度に抜けると一人になる」というロジックが突然この空間に現れるのです。

ずっと一人だった女「たち」は他人と出会えたことで拍手して喜ぶのだけれど、それがインフレ化していくのもちょっと面白いし、同じような色合いの服を着た女たち、複数集まれば関係から性格が生まれ、それが時にぶつかったり、時に反発したり。複数居るから比較するものがあって初めて性格というのが現れるなんてことに気付いたりするアタシです。

物語という視点だと、「ない」と語り続けた女が、増殖というかこの場に最大の7人まで増え、そしてまた減っていき、ループするように最初のシーンに戻るということと、ロジックを解き明かしながらどうしたいかを云ってみたりということを云うばかりで物語らしいものはあまりないのだけれど、軽やかな語り口、シンプルなロジックだけでぐるぐると進む会話は、まるでピタゴラスイッチの装置を飽きずに観ているかのように不思議な脳内麻薬がでてくるようで、本当に楽しくて、もっといつまでも観ていたいのです。

わりと広い舞台空間、出捌けた役者が反対から姿を現さなければいけないシチュエーションになっていって、物理的に移動してる感じも、舞台ならではのリアルがあって楽しいのです。

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【芝居】「振って、振られて」光の領地

2017.9.23 10:00 [CoRich]

まつもと演劇祭に大阪からビジター枠で参加。 池上邸蔵。60分。ワタシは初見の劇団です。

憲法の修正に職を賭けて反対していた憲法学の大学教授の女性の研究室。三回目の憲法「改正」の国民投票の夜。基本的人権条項の大幅な縮小が決まる。国外に出ようと考え荷物を整理していて、助手の男が手伝っている。同じ大学の憲法学の教授の男が現れる。心から修正を喜び、来期からの卒業式や入学式に向けて日の丸を振ってほしいと頭を下げて頼む。

戯曲塾で題材として出され12年前から書き始めて手直しを続けてきた戯曲だといいます。思えば社会情勢の方がすっかりこの戯曲に近づいているような感じでもあります。憲法を国民の権利を制限する方向に順を追って何度かのステップを経て変えていくという「手口」で国民が賛意を示していくようになる、というのは昨今の世の中の雰囲気を予言していたのかと思うほどに「ありそう」な話になっています。

憲法を堅持することがよいと考える女性の大学教授、と若い助手。ここを捨てて招聘された先で研究を続けたいと考えるのは半ば絶望の現れ。一方でまだ一人前になっているとはいえず行き先を見つけられない助手もまた絶望の気持ち。

物語を転がすのは、タヌキおやじよろしく、慇懃無礼という言葉がぴったりなねちっこさで現れる大学教授。人なつっこく、人がよさそうに見えるけれど、 たとえば、日の丸は最初の修正の時点で買っていたけど、完全に優勢になるまではそれを秘めていた、という慎重というか臆病さが見え隠れし、優勢となった端々に高圧的な物言いに。心から憲法の変更を望むという意味で、実にまっすぐで曇りがないように見えるけれど、助手を人事でからめ取ろうという寝技の鋭さ。いろいろな顔を垣間見せて、憲法という問題ではなくても、どこにでも居そうな実に人間臭い人物を描き出すのです。演じた宮村信吾が実に良くて、気の弱さと強気の絶妙なバランスとスイッチの瞬間が魅力的なのです。

長野県の出身だという作家は物語のなかに県歌「信濃の国」を日の丸の手旗踊りで歌っていたので、旗を振るのは巧いけれど今は振らない、という話題を交えたりして客席が大変に盛り上がったりもして。

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【芝居】「〜その企画、共謀につき〜『そして怒濤の伏線回収』」アガリスクエンターテイメント

2017.9.18 13:00 [CoRich]

観客と「共謀」しながら新作をつくる企画公演。115分。24日までミラクル。

シャッターの目立つ商店街、青年会の会議。商店街で生まれ育ってコンサル会社で働く幼なじみを呼んで、町おこしの方法を考える。町にはアーティストインレジデンスのアーティストと美大でアートマネジメントを専攻する学生も来ている。
コンサルはアーケードの撤去でコストを削減し、さらに町バルによって公園のような青空が見える空間を提案するが、青年会の大多数は商店街のシンボルのアーケードを壊すことには拒否をしたい考えている。

大きく前半はいわゆる会話劇。バランスオブパワー、シーソーゲーム。規則というよりはどうすべきかをさぐり合いながら進めるのです。色恋沙汰では賛成や反対がくるくると変わっていきます。なるほど「ナイゲン」(1)の雰囲気。 なんとなくアーケードの上と下という二層構造にするというアイディアに収束し始めると、登場人物たちはメタな場所に移ります。それまでに置いてきた思わせぶりなアイテムの数々(伏線というほどじゃない気もするけれど)をそのあとに言及、もしくは回収していないといい、自分たちが置いてきたもの、あるいは自分の存在をきちんと拾ってほしい、と訴えるのです。登場人物たちが訴える先はもちろん作者のはずだけど、ここでは、その他の人々に訴えるということで、結果的にこの物語の目的がいつの間にか伏線回収になっている、というのがエンタメ的なおもしろさになっているのです。

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2017.09.24

【芝居】「きゃんと、すたんどみー、なう。」青年団若手自主企画 伊藤企画

2019.9.17 18:00 [CoRich]

115分。24日まで春風舎。

結婚していた次女が実家からの引っ越しを決めてその当日。母はすでに亡くなっていて「知恵遅れ」の長女と三女がこの家に残ることになる。 引っ越しを知らなかった長女が暴れたり、夫の荷造りがされていないため引っ越しの作業はかなり遅れている。 長女は次女の結婚を知り、自分も結婚して家を出ると言い張る。近所にすむ仲の良い通所者の男を呼び、家を出ようとする。

三人の姉妹と次女の夫が暮らす実家、そこから出て行くことにした次女夫婦。残される不安の妹、おそらくはちゃんと判らないけれど、出て行きたいという強い衝動を持つ長女。暮らせてはいるけれど、将来に対するそれぞれの不安から形が変わろうとしている家族の姿。 終幕近くで三人の姉妹が集う場所で鳴り続ける電話のシーンは、まさに「三人姉妹」の雰囲気。

が、物語の核はずいぶん異なります。 「知恵遅れ」の長女をどうしていくか。今までは三人の姉妹も次女の夫も居たけれど、夫婦がでていくことで三女に芽生える不安。長女はそれを感じ取ったのか、唐突に仲良しと結婚して出て行くと言い出すのです。好きだから二人で居たい、だから出て行くという衝動は劇中の台詞にあるように「純粋」だけれど、それが可能とはいえない二人の現実。呼ばれた通所者の男もまた、好きの気持ちを持っていて、そうしたいと試みるけれど、母親にそれは許されないと繰り返し言い聞かせられてきたというのもまた、男女の現実。もっとも男の側のそれはリミットの引き方の問題で必ずしも「知恵遅れ」だからとも言い切れないとも思うアタシです。

友人は映画「真白の恋」を連想したといいます。なるほど、それでも生きてるし、感情は生まれるし、現実はなかなかそうも行かないし。

三女が残される不安。次女の夫が元の恋人だったという背景、出て行くのは私だったかもしれないという奥行き。ラスト前、母親の亡霊にみえたそれは、次女の夫が飼っていたアメーバ(異次元なものを紛れ込ませるのも巧い)だというのもちょっとおもしろい。長女がこうだとわかっているのに、妹たちを産んだのは面倒をみさせる為かどうかと問いただすと、母親は生きたいように生きていってほしいということ。そこに未来の希望が見え隠れするのです。

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2017.09.22

【芝居】「アンネの日」風琴工房

2017.9.16 19:00 [CoRich]

135分。18日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。

生理用品大手メーカーの商品化チーム。開発中の高機能型に対して、天然素材にこだわり女性の身体に優しい商品の開発を思いつく研究者の女性。大人の自由研究と題された社内コンペに向けてチームを作り、業務の隙間をぬって、その困難に立ち向かう。

女性たちそれぞれの初潮についての語りを冒頭に置き、それがこの開発の現場の女たちのキャラクタを造形していきます。女たちが自分の身体について語るスタイルといえば、「ヴァギナモノローグス」(1)が思い浮かびます。題材が近いのもあって、それを踏襲するようで、同様にスタイリッシュに描くけれど、しかしちょっと違う生々しさと、男であるワタシからは見えづらい女たちの言葉が少しばかり生々しく。

ノンケミカル・オーガニックなナプキンの開発の物語、女たちのバックグランドの物語に並行して、生理やナプキンにまつわるさまざまを。金融にまつわる男たちの話しを描いたhedgeシリーズ (1, 2)と相似したスタイル。 少しコミカルでもあって、リズムを作ります。それはナプキンの登場、アンネフランクのこと、アンネの日という呼称の登場、ナプキンの構造、そもそも生理とはどういう現象なのか、あるいは「男女平等ランキング」 で日本が低いことなど。生理という現象を起点にして、女たちが置かれている立場を描き出すのです。

女たちが置かれている立場、という視点は核となる商品開発の物語のベースとなっています。 初潮を祝われた少女は成長し開発のリーダーとなり人々を牽引し、初潮の時に一緒に居てくれた幼なじみを亡くしたばかりのサブリーダーはこの商品に並々ならぬ思い入れを持ちます。あるいは、祖母が初潮を見守ってくれた女は何事にも真っ直ぐに向き合う研究者に成長しています。 もちろん、初潮が性格のすべてを形作るわけではないけれど、そういう描き方、という視点の面白さはあって、女たちの成長した姿の向こう側に、少女の頃の彼女たちの心細さや晴れやかな気持ち、恐怖だったりが透けて見えて奥行きを作り出しているのです。

商品開発の物語の過程ではシンプルでカラダによさそうと思われるノンケミカル・オーガニックを貫くのがどれだけ困難なのかということ。 薬事法で必要な漂白、薄さや機能を維持するための高分子ポリマーの存在は、もちろん便利さとコストのメリットなのだけれど、引き換えに何が失われたかということ。 それは食の向こう側にも透け見えること。ちょっと強すぎるように感じるワタシだけれど、自分のカラダのことを真っ先に考えよう、それはとりわけ女たちの物語だからこそ大切で、もっと強く主張してもいいことだ、という明確なメッセージなのです。

もう一つ特徴的なのは「生理が来ない」女の存在。身体機能の問題かと思わせる序盤だけれど、作家は少々貪欲とも思えるほどもう一歩。いわゆるLGBTなど性自認の違和感に端を発する性同一性障害で性転換を経験した人物を登場させます。その彼女に完成したナプキンを渡しつけてみることで「女の子として生きていく」自信を得るという力強さ。更に性同一性障害といっても恋愛の対象が異性か同性どちらもあるのだというところまで到達する終幕に舌を巻くのです。

性転換を果たした女を営業から内勤に異動させることも含め、生理用品を扱う会社であっても女たちの存在は軽いのです。半年で作り上げられたナプキンも正式なプロジェクトには昇格しない終幕は、女たちの困難はまだこれからも続くという認識でもあり、しかし彼女たちは明るく前向きに力強く進之です。

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2017.09.20

【芝居】「ハッピーママ、現る。」艶∞ポリス

2017.9.10 18:30 [CoRich]

11日まで駅前劇場。100分。

PTAの委員に選ばれた親たち。去年に続いて選ばれた委員長は、食育にからめた飼育やハーブの栽培など、熱意がある。昼に行われる委員会に出席するだけでも神経や体力をすり減らす委員たちもいるが、委員長は取り合わない。 会合に顔を出さない委員も気になるし、もうこんな活動に時間をとられるのがかなわないとも思っている

働く女性たちの現場での様々な人間模様を少しばかり意地の悪い目線で描くのが得意な作家ですが、今作は「子育てする母親たちへの賛歌」と銘打ち、しかし人々をコミカルに描くのです。

働く母親も多くなってる時代、昼の開催を続けたり、豚の飼育を新たに始めようという思いつきの提案をする委員長。物語の端々でそれは主婦であり、議員の妻でそれなりに裕福だという背景が語られますが、委員全体に対して高圧的で、気にくわなければ子供の交友関係にも影響するなど、ヒールとして描かれます。新参者の若い母親はフルタイムで働くこと自体を詰られる理不尽さ。他の親たちもそれぞれに子供のこと経済的な弱みなども描かれて。 メンバーの一人の母親は精神を病み姿を現すことがなく、それを強く責める委員長の前に現れたのは父親の方で、それは明確に子供へのいじめをなんとかしようという意志を持って現れ、委員長と火花を散らして対峙します。豚を飼うことを請け負ってしまうというのは喧嘩の末とはいえ、ちょっといい落としところ。

こう書くと社会派な感じも受けますが、全体の作りはコメディで、イベリコ豚を飼育しようとか、運動会の費用の紛失など、なかなかに無茶な展開があったり、応援にもりあがったりと明るい要素も存分に、実は軽いタッチだったりもするのです。

理不尽な委員長や時々いいことは云うけど調子のいい会長、あるいはそれぞれの一癖二癖ある人々の描写が目指すのは、もしかしたらPTA経験者あるある、という感じの共感という気がします。特定の誰かをヒーローのように頑張り屋に仕立てることもなく、どことなく予定調和な感じで流されてるんじゃないかというのも含めてそれは、母親たちの感じている理不尽さをデフォルメして描くことによって、「よくあること」の一つに落とし込むことで、現役の母親に寄り添うような雰囲気を感じたりもするのです。そういう意味では底意地の悪さという意味の切れ味はやや後退している印象もありますが、それはそれ、物語の特性ということかと思うのです。

母親たちへの寄り添いという点では、たとえば とりわけ、望まない妊娠に戸惑う女性教師とスナックで働く母親の二人のシーン。何人も子育てしてきて大変だけれどそれは、いいことが勝っていた、とまっすぐに言い切るのはこの作家の感じとしてはめずらしいけれど、なるほど、寄り添うということなのだなと思うのです。

ほぼ一人でヒールを背負う委員長を演じた関絵里子は、ラスボス感すら漂うけれど、端々にちょっと抜けた感じの茶目っ気の見え隠れ。理不尽に責められる若い母親を演じた藤村聖子はまさにベビーフェイス、しかしキャリアバリバリな感じもまたカッコイイ。すかりと母親という世代が似合うようになってきた異儀田夏葉は真実を語る人、というまっすぐな人物を好演。子供へのイジメを許さない父親を演じた鶴町憲は、子供を護る気持ちを強く訴える長い台詞が凄いのに、実に人懐っこいコミカルな一面の落差がいいのです。

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【芝居】「学園恋愛バトル×3!」だるめしあん

2017.9.10 14:00 [CoRich]

過去に上演した学園の恋愛模様をめぐる短編三作 (1, 2, 3)を古川貴義の演出で上演する企画。11日まで王子小劇場。

月に三人の女を抱くノルマの男と月に三人の男をヤラせないで告白されるというノルマの女が出会ってしまう。互いはそのノルマ達成に向かって対峙する「ムラサメ」
小学三年生、そんな恋も成就させるメール代筆を請け負う親指姫、そこに競合する代筆・小指侍が対決する。気がつけば代筆屋同士で言葉を紡いでいることにみんなが気づき、本人たちもそれに気がつく。「親指姫」
モテとハイソで人気となった学園でひっそりと活動していたアニメ研究会が全国大会で優勝した。オタクの学校だと噂になることを問題視した生徒会はアニメ研究会を迫害する「絶対恋愛王政」

対面の客席の真ん中を貫くランウエイ、赤青のコーナーよろしくロープが張られてたりしてなるほど、バトル。

「ムラサメ」はヤる、ヤられるの関係の攻防を描く生々しい話。作家にとっては一番若い頃に書いたのがこの生々しさだというのが興味深いところ。 血をすって強くなるという妖刀になぞられ、斬り合い高めあうというのはまさに業。そこまで高めあうのにあっさり女が勝つというラストも、あさりとしていてよいのです。

「親指姫」は世を忍ぶ代筆稼業の話。言葉を操る代筆屋を頼んでいる人々だけれど、その実、人々は翻弄されているのに操っている二人は孤独に走り続けるようで、さながら孤独なランナー。そのふたりが惹かれあい、出会うというストリー。 「絶対恋愛王政」は記憶にも新しいポップに描かれる物語。スクールカースト上位下位の間での戦いは、時にスクールカースト上位の生徒会長がラムちゃんコスプレという眼福をコミカルに交えつつ、互いへの敬意を持ちあうのです。

そうなのです、この三本じつはわりとシンプルに同じような話しで、敵味方となった男女が互いに刀を交え戦いを繰り返すうち、互いに敬意を持ち、やがて轢かれ合う話しなのです。それは妖刀になぞられ男女のヤるヤラせないの話しだったり、小学生女子に盛り上がるラブレターだったり、あるいはスクールカーストの中での敬意だったり。作家が書いた順番に上演されているようなのですが、最初の一本があからさまにセックスの話なのに、二本目は小学生女子の恋心、三本目は愛ではなく敬意という流れになっているようで、徐々に解脱してるような流れになっているのがちょっと興味深いのです。当日パンフにあるように、ポケベル、携帯、SNSという通信手段の変遷になっているのも「げんだい」を描く作家のアーカイブゆえの楽しさなのです。

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2017.09.15

【芝居】「お祭りやってるらしいよ」あひるなんちゃら

2017.9.3 18:00 [CoRich]

4日まで駅前劇場。75分。いつものようにライブ音源販売(fringe)もうれしい。

おまつりやってるらしいよ、とわくわくする気持ちを抑えられない女。 その恋人は喧嘩したばかりでもあってあまり気乗りしていない。
ずっと人の家に居座る男のゲームはなかなか進まない。ゲームが巧い知らない友達まで呼んでくる。 家主は迷惑だと思ってる。
引きこもりの妹がつくったお祭りの偽チラシを印刷してポスティングした姉。兄は叱りたいし、ポスティングした各部屋に謝りに行かなきゃと焦る。
おみこしを作りたくて参考に写真を撮りたいが祭りには行きたくない女とその友人の女。お祭りに行きたい浴衣の女が一緒に行くだれかを探しに訪れる。

シンプルに上質に作り込まれた部屋を思わせる舞台。共同住宅の各部屋をめぐる物語なので、それぞれの部屋の家具を入れ替えながらすすみます。思いの外入れ替えるものは多いけれど意外なほどスムーズで。

偽チラシ故に本当は開催されていないお祭りを、やってるらしいよと大喜びする浴衣の女と、その修復に奔走する男。それぞれの部屋の点描でありながら、この二人が圧倒的な熱量で全体を縫い合わせます。

恋人の二人の喧嘩した微妙な空気感と楽しそうなことの空回り感であったり、かえってほしい他人が長い間居座る居心地の悪さ、あるいは作ってしまった偽チラシを良かれと思って配り罪悪感を持たない姉と巻き込まれる兄。そして御輿をつくりたい女と友達のちぐはぐな会話。それぞれのスケッチはそれぞれおかしいところがあるあひる節だけれど、それが「お祭りやってる【らしい】」という雰囲気で貫かれていて、小さなしかしそれぞれの生活が見え隠れして微笑ましく、しかも濃密なのです。

偽チラシの姉妹と兄のシーンがとても好きなアタシです世の中に対してどう向き合うかが違いすぎる違和感、だからといって離れられない肉親の関係というのが濃密な会話を生み出すのです。あるいは恋人の二人のラストシーン。実は無いらしいお祭りだけれど、男は他のどこかでやっているお祭りを探して、今度行こうと提案するすてきな空間。いい話で終わらせず、モンスターを発現するラストもしんみりさせずに巧い。

浴衣の女を演じた宮本奈津美は、くるくると変わる表情、ころころとしたかわいらしい声なのだけれど、喜びが最大に達するとまさに「モンスター」のように豹変するのが楽しい。謝って回る男を演じた堀靖明、おなじみキレキャラだけれど、巻き込まれる側ゆえの悲哀が時々にじむのもいい。なにより、説明のために生み出した架空のOLさんの話をどんどん肉付けしていくうちに、それが現実かのように考えてしまうのが実に巧く楽しい。

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2017.09.09

【芝居】「ミロ」ミロ

2017.9.3 16:00 [CoRich]

マダムゴールドデュオに発祥し、Zokky( 1, 2, 3, 4, 5, 6, 6, 7, 8, 9, 10, 11) によって何度か公演が行われた「のぞき穴演劇」スタイルの久々の公演。5分弱で300円のスタイル。そうだ、原宿物語を観たのはここだった、な、 デザインフェスタギャラリー WEST。3日まで。

一人芝居または三人による即興芝居を選択し、キャストや芝居のテイストなどを選んだカルテを書き込んだ紙をスリットに入れて300円投入するとスタート。私は「三人の即興」「ラブストーリー」「コンビニが舞台」というスタイルで。つけられたタイトルは「あっちむいてホイ」 コンビニのアルバイト面接。店長が待ち、アルバイト申込者が来るがダブルブッキング。後からきた武井咲を名乗る背の高い女をひとめで気に入った店長は露骨にそちらを採用しようとするが、もう一人の女は店長に抱いた恋心をずっと秘めて勇気を出して申し込んでいた。

ごく短いスケッチ。即興芝居なのでおそらくはそれほど作り込まれていないため、のぞき穴からの視角を十分に生かし切ったとは云えないけれど、それでもワタシだけのために三人の役者が演じる風景を眺める数分間は普通の演劇とも、もちろん映像とも違う特別な楽しみなのです。そういう体験こそがのぞき穴観劇の醍醐味で、いつもなら何コマもガシガシ予約して制覇をねらってたアタシですが、歳をとりました。ひとコマで終了。

こいけけいこを観るのは久々だけど、クールビューティっぷりで恋心をかっさらう感じには磨きがかかり、のぞき穴からぐっと近くでどきどきして。金沢涼恵はちょっと木訥な雰囲気で一途さが見えて嬉しい。店長を演じた須田浩章はクールビューティーに流れたかと思えば自分への想いがある方に流れてみたりとどっちつかず感が楽しい。

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【芝居】「小竹物語」ホエイ

2017.9.2 15:00 [CoRich]

ホエイの新作は、実際の怪談ネット中継を交えて、そのイベントの舞台裏込み。4日まで春風舎。

定期的に行っている怪談イベント。今回は客を入れずにネット配信を行う初めての試みをしている。主催者の他、常連の怪談アイドル、男装の麗人風の他、一般参加の女、青森からたまたまやってきた主催者の知り合いが怪談をそれぞれはなす。

私にはなじみがないけれど、怪談イベントというのは一定の需要があるようで、ネット界隈では目にします。実際のそれに沿っているかはわからないけれど、ネット中継の現場というミニマムな現場で起きていそうな、ちょっとドロドロだったり突飛だったり、理不尽な暴力を織り交ぜたりした物語。いろんな人が居て、そのすれ違いとか唐突の怖さのようなもの。

小さな地下アイドル的イベント、地下アイドル上がりの怪談アイドル、そのファンから始まって恋人同士らしい主催の男との痴話喧嘩、あるいは初めてとはいいながらちょっと押しが強すぎる感じのトランス系の語り手、木訥とした津軽弁の使い手、あるいは男装の麗人という風体の人気の語り手とか。それぞれの「立っている」キャラクタではあるけれど、それは怪談イベントという枠の中でのこと。何かを表現したいという気持ちだったり、何者かになりたいという気持ちだったが渦巻きつつも、それがメジャーになるなんてことはおそらくない上昇志向とは明確に違う場所。ネット中継では数人、公開でイベントでもそんなに多くは集まらないのだろうけれど、それは明らかに彼らにとっては「場」であって。そこに拘る気持ちもわかる気がするのです。

この場にでるための金を払うとか、この場に対する認識が食い違っているとか、などのいろいろの齟齬。あるいはこの場の「馴れ合い」のルールの外からそれを脅かすような暴力的で理不尽な男が登場したり。作家・山田百次自身が演じる理不尽な男がフラットで怖いのです。怪談アイドルを演じた菊池佳南は化粧の過程もオンエアな最中のアイドルっぽさもそれらしく楽しい。男装の麗人を演じた和田華子の決めポーズがいちいち楽しく、トランス状態のOLを演じたある種のキチガイ感の迫力も凄いのです。

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2017.09.06

【芝居】「なじみたいっ!~気球に乗ってどこまでも篇~」かきあげ団

2017.9.2 15:00 [CoRich]

3日まで空洞。90分。

劇場の電話受付をしている女。客にキャンセルさせないことを徹底させる上司、バレエ公演を別のフェティティッシュにこだわる客、耳が遠い客、小学生団体でR18指定の舞台を見せようとする教師、予約はするのにいけたら行くといってみたり。

電話受付の派遣社員の女を中心に、理不尽だったり変態めいていたり、カジュアルにキャンセルしようする客だったりのさまざまな人々を点描。劇場の上司がひたすらにキャンセルを出させないように強くいってきたり、そんな仕事場の様子を聞いて芝居にしようとする劇団員だったり。

物語としての一つの流れというよりは、劇場に電話してくる様々な人々を点描。バレエの踊り子の足が見えるかどうか、なんだったら触りたいとすら考えている明確な足フェチの変態だったり、迷惑だったりおもしろかったりする人々を多少の悪意を交えつつ描きます。それは作家にとってのリアルだろうし、少なくとも作家には世界がこう見えている、と切り取って見せるのです。 ヘタウマな雰囲気を纏う脱力感の持ち味。出入り自由とまで言い放ちます。 労働者割とか無職割、果ては劇団員が好きだという島崎和歌子を可愛いだといえば割り引かれるなど併用することでわずか500円という心意気は嬉しいけれど、ちょっと申し訳ないぐらい。ぼんやり乗っかって楽しむのが吉なのです。

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2017.09.04

【芝居】「万!万!歳!」studio salt

2017.8.26 18:00 [CoRich]

スタジオソルトによる4ヶ月に渡る、若者向けの芝居塾を経ての公演。 27日まで神奈川県立青少年センター・ホール。80分。

老人たちの介護施設の集会室。昼の作業や歌、おやつの時間。新人でやってきた若い男は介護士の学校に通うが望んだものではなくこの仕事も不満だ。静かだったり突然大声をあげたりする老人たち。 ふと気がつくと車いすや昏睡状態だった老人たちは立ち上がり、踊ったり歌ったりしている。

大きなテーブルが二つ、車いすなどに座り作業をしたり話をしたりする人々。ことさらにメイクをするわけではないけれど、若い役者たちが介護を必要とするほどの高齢者を演じます。序盤では介護施設の日常の風景。ゆったりと穏やかに流れているようでいて突然激高したり、認知症ゆえに太平洋戦争で日本が負けたことを忘れて負けるはずがないといったり、あるいはちり紙と呼ティッシュに執着してみたりと、小さな混乱というか嵐はそこかしこで起きていて、でもそれは彼らにとっては日常で大きな騒ぎにはならなくて。

そこにやってきた介護士の学校で学ぶ新人のヘルパー。志があるわけではなく、他に仕事がなく不本意で選んだ仕事という内面を吐露する最初のナンバー。彼の気持ちがどうであれ、介護施設の日々は変わらないのです。 中盤ではその新人が居眠りした中で広がる世界。夢と明確に語られるわけではなくて。高齢者たちのみならず昏睡状態の人々まで車いすから立ち上がるばかりではなく元気よくしゃべり、跳ね回るのです。そこで語られるのは、普段は喋れないものが要求してたことだったりもするけれど、それはやがて彼らの記憶が飛び出すように広がるのです。それは 兵士の出征、戦時に作られた童謡「汽車ぽっぽ」の歌が戦後には改変されていること、あるいは空襲に逃げまどうことなどが描かれる中盤。作家自身の戦争に対するバイアスを感じないわけではないけれど、高齢者のまだらな記憶の中では強く印象を残した高いコントラストばかりが残る、というヘルパーの経験を耳にしたりすると、 実はそれがリアルなのかも知れないなとも思い直すのです。 足踏みならしたたみ込むように演じられるこの中盤のシーン、王者館や維新派のような、めくるめく、夢のようなどこかサイケデリックすら感じてしまうアタシです。

若い役者が高齢者を演じメイクや声をことさらに年寄りっぽくしなかったことで若者と高齢者が地続きで高齢者にも当たり前だけれど若い頃があることが強いコントラストを持って印象づけられます。とりわけ、中盤のシーンは足を踏みならし手をたたいてアップテンポなリズムが続き、さらに若い役者がまぶしく輝くのです。

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【芝居】「NAGISA 巨乳ハンター/あたらしい「Lady」サムゴーギャットモンテイプ

2017.8.26 14:00 [CoRich]

27日までRAFT。90分。

お笑いを目指していたがいまは会社員として働く男。毎日オフィスにやってくるヤクルトレディに恋をして、ベトナム人ハーフの新人のことを気にかけている。新人は日本の歌を覚えようとしている。ある日バーベキューに誘うがその新人は来なかった。ベトナムも日本も嫌いだという「新しいLady」
戦後すぐの呉の町。男でも乳房ができる男が発生し、男も女も巨乳であるものが勝ち、貧乳は虐げられるようになっている。その街に潜入捜査で消えた恋人を探すため、貧乳の女がやってきた。 (巨乳の姉妹、吉成の兄貴は幼なじみの貧乳をかばう。街のすべてをヌキありにして乗っ取ろうとする兄弟。片腹の兄貴は美乳の時代だと思うが思うようにいかない。巨乳の女のことが気になっているがさわることすらできない) 「NAGISA 巨乳ハンター」

中学生程度の英語でシンプルでイノセントな恋愛の感情とか、人を想う気持ちを描くというねらいかと思われる「〜Lady」。ヤクルトレディとベトナム人ハーフの青年、中年の冴えない男中年男が青年をバーベキューに誘い、青年はヤクルトレディと歌の稽古をし、中年男はヤクルトレディに好意があるけど言い出せず。三角関係のような言い出せないもやもやした気持ちというか。英語にすることでシンプルな想いをしんぷるなまま描き出しています。

「〜ハンター」は当日パンフによれば胸の小さな女優をネタにしたワンアイディアで。けれどヤクザの抗争に、男も胸が大きくなりその大きさでヤクザの序列がきまるという一工夫が見事で、その理不尽な序列が男女問わず成立するようにつくられています。それは胸の大小自体を性的に消費するという意味を薄めているのです。もっとも性的消費自体は物語の中では目一杯盛り込まれていて、身体を売るとか、すべてをヌキアリ(さびあり、さびぬきみたいにカジュアルで)とか。ヒロインを演じた田中渚はキメッキメのクールビューティが凛々しくカッコイイけれど、それを徹底するほどにコミカルに。とりわけ日替わりゲストの部分はわりと緩い設定のアドリブ芝居になっているようで、ゲストが陵辱してく趣向なのだそうで、まあ楽しく。巨乳の女を演じた塚田詩織はそのグラマーさが強烈な印象ばかりではなくて、きっちりと芝居も。

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【芝居】「15 Minutes Made Anniversary」Mrs.fictions

2017.8.26 11:00 [CoRich]

10周年を迎えたMrs.fictionsの人気ショーケース公演はなかなか豪華なラインナップ。8月27日まで吉祥寺シアター。120分。週末午前中の追加公演になんとか潜り込みました。開演にまにあわず、最初の一本はロビー映像にて。(もうすこし解像度ほしかった)

ドイツ帝国、第一次世界大戦の頃の優秀な将校だが、うだつの上がらない男の面倒をみることになる。赴くことになった戦地にも連れて行くことになる。勝ち目のない作戦は失敗し敗退するが隠蔽を謀る上層部はその理由を押しつける兵士を選ぶ。 「フランダースの負け犬」(柿食う客, 作演出・中屋敷法仁)
中学から高校に進級した生徒たち。同じ学校だけれど、昼間の普通部に加えて同じ教室では夜の定時制の授業が行われている。家庭の事情で働いていたり、普通の学校に通えない、役者を目指し昼はレッスンに通っていたりする。「ハルマチスミレ」(吉祥寺シアター演劇部, 作演出・中屋敷法仁)
恋をした女はケーキ屋の男に恋をして告白しようとするが、同じ職場の女に言い寄られている事を知り言い出せない。痩せなくっちゃ。 「BBW」(梅棒, 作演出・伊藤今人/遠山晶司)
子供を預けて初めての夫婦での旅行。3歳の娘に動画メッセージを送る。残り時間は15分。 「ラスト・フィフティーン・ミニッツ」(キャラメルボックス, 作演出/成井豊)
ジャージ姿で不慣れな原宿にやってきた体育大の女三人、お洒落な男三人組やスナップを撮る男女に声をかけられる。地元に住む老人は騒がしい原宿が不満でならない。おっぱいの上にジェンガを載せそれが崩れると一体が焼け野原になるのだという。みんなの想いを合わせればそれは解決するんじゃないか。 「想いをひとつに」(地蔵中毒, 作演出・大谷 皿屋敷)
Q太郎が亡くなった。両親と恋人のU子がそれを看取る。何年か経ち弟夫婦に子供ができていろいろなことが上書きされていても、恋人はずっと家を訪れる。両親も年老いて介護が見え隠れするようになってもなお。 「私があなたを好きなのは、生きてることが理由じゃないし」(Mrs.fictions, 作演出・中嶋康太

「フランダースの負け犬」、 去年までのフルサイズでの上演は未見。たった4人の座組にぎゅっと圧縮して女優のみで上演。独特のスピード感ある節回しなどちょっと懐かしい気すらする柿喰う節。男二人の間の濃い友情、決して優秀とは言い難い友人にどうにも惹かれる気持ちと、無理筋だとわかっていることでも突き進みそれが失敗だとしてもそれをどう隠し責任をとらずにするか。つい最近NHKで「インパール作戦」の番組を観たばかりだからか、不思議な相似を感じるアタシです。優秀な将校を演じた深谷由梨香の節回しが久々で懐かしく感じて楽しい。

「ハルマチスミレ」は、 大縄跳びのリズムで跳ね回りながらの日常の風景。同じ高校だけれど定時制という別の時間で生きている同い年の生徒たち。ゆるやかにつながっているけれど、プラスもマイナスも何かの理由があって定時制を選んだ人々がいるということ。高校生にリズムとなると、どこか「わが星」風な感じはどうしてもしちゃうけれど、リズムや音楽が絶妙にポップでかっこいいし縄跳びのアイディアも何かのコミュニティを体現しているようで巧い。

「BBW」は、 ぽっちゃりを表すBig Beautiful Womanとか、なるほど。やけに風俗ばっかり検索にかかっちゃうのは痛し痒しだけれど。J-POPかけまくりでスピーディでキレキレのダンス。ごくシンプルな等恋物語をコミカルに、しかしこれだけのクオリティで作り込まれると、パフォーマンスでで引き込まれ思わず応援して感動してしまうような魅力にあふれているのはなかなか希有。15分でもこの熱量。見逃し続けている本公演を観たくなるような、ショーケースにふさわしい仕上がりなのです。そのヒロインを演じた原田康正が実に魅力的に可愛らしいし、応援団長を演じた伊藤今人が男気溢れる感じでちょっとダサくてカッコイイ。

「ラスト〜」は 王道SF風味。15分の中では人が人を想う気持ちを語るために絶望的な市の直前の時間で走馬燈のようにかけめぐる想い、動画というのが今っぽい。正直に云えば、その破滅に向かって一直線で想いの昇華はあっても救われないわけでキャラメルっぽくない気もするけれど、SF映画のワンシーンという感じにはなっているのです。

「想いをひとつに」は、 がっつりシュールなナンセンス系。やけに人が多いかんじがしたりするのも含めて初期の大人計画やナイロン100℃、あるいは猫ニャーを思い浮かべるアタシです。最近見かけないタイプという気がするのはアタシのアンテナが鈍っているからか。理不尽に据えられたジェンガを崩さず原宿を救うための解決策がぼんやり「皆の思いを一つにする」というのもどこかイマドキというセンスを感じさせます。

「私があなたを〜」は、 Mrs.fictionsが得意な長い時間の流れの中での素敵なラブストーリー仕立て。死んだ後の男を思い続ける婚約者。長い時間の中で男の両親も歳を取り弟には子供も生まれてて変わっていく現実と、変わらずそこに居続ける女の想いの対比が見事な小品。15分の中で圧縮してみせるための早送りのために指を鳴らしてシーンを進めたり、第四の壁を軽々越えて客をいじる掟破りがスマートでかっこいい。Q太郎、O次郎、U子という名前の登場人物を説明なく入れているのもセンスがいいのです。まあ、死んでお化けだからかと考えちゃうとアレですが。軽い語り口の岡野康弘がとてもいい。

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2017.09.01

【芝居】「きょうのうきよは」ムシラセ

2017.8.20 18:00 [CoRich]

ムシラセの保坂萌が女優・青木絵璃をフィーチャーして上演を続けるシリーズ企画の三回目。 60分。22日まで新宿眼科画廊。おまけ演劇20分。

結婚式を控えた女のウエディングドレスに「祝ってやる」という落書きがされる。気味が悪いがその犯人は、亡くなったばかりの祖母と名乗る若い女だった。何度も死なずに生き返って何百年も過ごしているのだという。祖父とは違う男のことがずっと好きだった。相手の男は死んだら生まれ変わるを繰り返している。いっぽう、祖母のことをずっと好きだと追い回していた男もまた生き返りを繰り返して、それによって母が生まれ、孫が生まれたのだった。

不死身というか死んではすぐ若くなって生き返り記憶が積み重なるのは祖母だけで、それ以外の人々は死んだら生まれ変わり記憶がリセットされるけれど、一人だけ思い続け生まれ変わっては祖母に言い寄るということを繰り返してきた男。祖母はそれをつれなくフって他の男にうつつを抜かすけれど、本当に好きなのは、ということを描く短編。不死身とか生まれ変わりとかSF要素はあるけれど、人が人を好きである想いが続くことをシンプルに描きます。

人を思い続けて何百年の男女、好きだといわれ続けているから油断して、だけれど他の女のものになると思うと自分の気持ちに気づいてというかわいらしさ。その何百年もの間転生しつつ言い寄ってきた男があっさりと思いを切り替えた相手である花嫁、が花嫁には浮気相手がいるといういえない秘密があって。 この物語の幹に加えて、父母は今はそっけない二人だけれど実はラブラブな男女だったことであったり、あるいはウエディングプランナーはこんな職業なのに好きな相手に想いを伝えられないままに悶々としたり。そう多くはない人数なのにそこかしこに恋愛が渦巻いていて、ふんわりとした気持ちに包まれるようなのです。

父母を屈託なく好きだといえるのは、両親に愛されてきたからじゃん、という軽くはなされる台詞が実にいいのです。

ラストシーン、転生してきた男が、押しつづけてすっと引くことで祖母の思いを引き寄せたことをぽろりと漏らし、実は祖母への想いの記憶がちゃんとあることが示されます。この夫婦、互いに秘密を抱えたまま生きていくのかなぁと思ったりもしますし、それはもう一度転生すれば生き返って待ってくれているはずの祖母に再会できることを信じて疑わないからか。

祖母を演じた青木絵璃、27歳なのに年寄り、怪優という存在感すら感じさせます。ウエディングプランナーを演じた渡辺実希は大きな眼が印象的。叔母を演じた保坂萌との友達感もいい。 おまけ芝居は、芝居の前日譚となる話。この祖母が恋いこがれた相手を捜すためにバイト先のTSUTAYAの店長と話をするという小さな会話。バイトなのに店長に対していちいち偉そうだったり、あれこれ押しつけてみたりと、相手への好意を持っていることがひねくれて出てくる感じがかわいらしいし、巻き込まれ困り果てときに軽く切れたりする店長を演じた関村俊介の大人な怒りがリアル。

 

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