【芝居】「たまたま」パルテノン多摩
2017.7.30 14:00 [CoRich]
6日までパルテノン多摩。125分。
小学生の子供が見つけた大量の百円玉。それを探しに穴の中への冒険。そこではゲームセンターに宇宙中から集う人々が暮らす街をつくる広大な開発が行われようとしていたが、それに反対する現地の人々も居て巻き込まれる。
市民ワークショップを通じて聞き取ったその場所の成り立ちや生活を元にした物語。場所から物語を立ち上げるというと「トリのマーク」が思い浮かぶけれど詩的で不条理をまとうそれとは異なり、聞き取った物語をわりと直球で舞台に上げている、というのは取材を重視する作家ゆえか。ある種のドキュメンタリーのような雰囲気をまとい、観劇後につらつらwikipediaを読む楽しみ。多摩センター駅から劇場までのまっすぐなペデストリアンデッキも帰り道は違うように見えてきます。
同時代の「一億円の大貫さん」を物語の始点として「大量の百円玉」を隠したりせしめようと考える子供の大冒険。街のそこかしこにある「穴」の中で起きている空想の出来事でなぞりながら多摩ニュータウンという広大な開発の成り立ちや変遷をとりまぜる前半。広大な土地、山を削り、抜いてから植え直した木々、谷を道路に山を住居や商業地にしてペデストリアンデッキを渡した徹底した歩車分離、京王線小田急線の延伸、あるいはここに暮らしていた農家たちの「生活再建」としての商店。土地を半ば強制的に開発していったある種の強引さとそれがイケイケで許される時代の背景。
中盤から後半にかけては暮らし始めた人々の数十年の点描。実際のところ多摩ニュータウン固有の、という話に限らなくて、団地で暮らし延伸前はバスで数キロ離れた駅を経ての通勤、駅前に飲み屋すらないベッドタウン、そこで暮らし子育てする人々。あるいは引っ越してきて知らない人の中で孤独を感じさせる妻と子供が産まれてからのコミュニティへの参加、にも関わらず不遇の事故によって視力を失った子供とそれを悔やむ親、だけれどきちんと成長し暮らしている家族。この土地で育った子供がやがて都心部の同世代に出会い「ここには死なないためのものは十分にある」けれど、カルチャーという点で多様性ないことを痛感したり。年月がたち、街の高齢化がすすみ独居の老人であったり小学校の統廃合であったり、高層階の空室であったりの問題。
この街に最近引っ越してきた若い女と、この地域を転々と暮らしてきた年かさの男の早朝の公演での何気ない会話。転々と根無し草だったかもしれないと残念な気持ちになる女だけれど、この街だってまだほんの数十年しか経っていないけれどちゃんと積みあがった歴史を持ちつつあるということの重み。
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