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2017.08.29

【芝居】「ナイゲン」feblabo×シアターミラクル

2017.8.19 14:00 [CoRich]

アガリスクエンターテインメントによる2006年初演の人気作ですが、あたしは初見です。21日までシアターミラクル。135分。

文化祭が近づく高校。各クラスの出し物の問題点を洗い出し実現性を確認するための全団体による「内容限定会議=ナイゲン」が開かれる。各団体の内容を確認しこれで決定という直前、実行委員長は職員室に呼び出され行政によって決められた「節電アクション」をどれか一つのクラスが行うことを命ぜられ、従わない場合は文化祭を非公開で行うと通達される。

伝統的な進学校にありそうな自律の校風、「ナイゲン」という不思議な名前を持つ会議で生徒たちが三日もかけて問題点を洗い出すというのもそれっぽい。教師から押しつけられる形の「節電アクション」をどのクラスが引き受けるかという枠組みの物語は「集団の中で一人のスケープゴートを選ぶ」スタイルの 「俺の屍を超えていけ」(1, 2, 3) や「ありがちなはなし」の風味で始まる物語。おとしめるような策略を巡らせたり、上級生がさりげなく下級生にいうことを聞かせようとしたり、あるいは色恋沙汰がからんでみたり。バランスがくるくるとかわるシーソーゲーム、ときおり決をとりながら黒板にそのバランスが可視化されるのはわかりやすい。 さらにそこにひと工夫。終盤近く、厳しく自律する進学校らしい規制によって参加できなくなるかもしれないクラスが発生し、教師から強制された節電アクションなる出し物を、そのクラスが参加するために利用する、という流れに。誰かが泣くのではなくて、工夫によって全員がハッピーになろうという前向きのスタイルは、高校生たちによる議論というスタイルにもよくあっていて、生徒たちの成長を感じさせる結末に無理なくつながるのです。

出展計画の不備を突くような議論の繰り返しの中に、ちゃらい男の二股疑惑やヤキモチ、果てはトイレに行きたいのに許されないなど軽い笑いをきっちり詰めこんでいるのでテンポがよく楽しく気楽に観られるのです。

あるいは、あくまでも自律的にあるべきで教師の要求ははねのけるべきだと理想を主張し続ける三年生もまた、進学校にはありそうな雰囲気がやけにリアル。物語を膠着させるのは実際のところこの一点で、主張する人物を冷静でしかし頑固に作り上げたのは巧いのです。

ちゃらい男を演じた平岸美波は特に中盤から汗をかきまくり物語を転がし、中盤のテンションをきっちり維持する力。議論をふっかける二年生を演じた佐野峻平は序盤でヒールであり続け、泣かされる一年生を演じた安部智美は同学年の男子にはモテるのに、終幕、その厳しい二年生にちょっと惚れたような雰囲気を残す女子っぽさがいいのです。頑固であり続けた三年生を演じた鈴木翔太は理性的でしかし頑固という大人の雰囲気。

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2017.08.28

【ミュージカル】「日本国 横浜 お浜様」もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡

2017.8.12 14:00 [CoRich]

神奈川県の文化事業として行われる「地劇ミュージカル」の上演に向け1月のコンペで優勝し 5月のレビューショーを経て、全ナンバーをオリジナル曲での上演。2015年の「ウキヨホテル」のナンバーも嬉しい120分。 13日まで神奈川県立青少年センター。上演後には日替わりゲストを交えたトークやレビューショーあり。

高校演劇部が文化祭上演に向けて選んだのはOGが横浜・チャブ屋の娼婦・お浜を描いた戯曲だった。教師や親たちもその上演に難色を示す。戯曲は未完で客の男に恋をした女が絶望のうちに命を絶ってしまうところで止まっている。現役の後輩たちは、この戯曲を完成させ文化祭での上演を目指すが、主役となる女子高生の売春が発覚し、その夢は叶わない。

演劇部の高校生たちが地元横浜・本牧にかつてあった売春宿(あいまい宿)を描いた戯曲に惚れ込み、それを阻む大人たちや運動部との対立の中での成長を描きます。 女たちからの視点での売春が物語の核になっています。状況の中で女たち(もしかしたら致し方なくではあっても)が受け入れ、自力で生きていくための手段であったことをかつての時代のこととしてだけではなく、現代の高校生や貧困、ネグレクトの問題にきちんと繋げます。時代は変わって女性の自立は少しは進んだかもしれないけれど、決して売春の問題が解決したわけではない、ということを、しかし単に悲惨さではなく、力強く生きる女たちの物語として、あるいは成長する少女たちの一つの側面として描くのです。それは作家が女性であることとは無関係ではないと思うのです。

ミュージカルらしく、かつての歓楽街を背景にすることで華やかなダンスナンバーも数多くて、ステージとしての楽しさも盛りだくさんなのです。顧問教師や保護者たちは上演を阻むヒールとして描かれますが、教師の側の、生徒の生活のなにもかもは背負いきれない、というナンバーなど現在の教育の現場の人々への目配りもきちんと忘れないのです。

チャブ屋で客への恋心に破れ絶望するところでとぎれていたOGの戯曲。女は耐えるものだという時代を象徴するよう。男を殴って胸を張って生きる覚悟を決めるという凛々しさが美しい。それに相似形になるように、売春によって退学を余儀なくされた少女もまた、自立し生きていくことを選び取った希望がうれしいのです。

チャブ屋のオーナーの孫を演じた田中惇之は、ともかく格好良くて魅力的で男のアタシですら惚れてしまうほどに魅力的。ステージごとに異なるゲストによって演じられる生活指導の教師を演じた武藤寛、なるほど元四季というだけの圧倒的な力は、終演後のトークショーでの一曲も贅沢にうれしい。 全ナンバーオリジナルのおかげですべての歌詞が当日パンフに載っているのが地味にうれしいアタシです。

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2017.08.24

【芝居】「グロッキィ・マリー」ボタタナエラー

2017.8.11 19:30 [CoRich]

明石スタジオ。13日まで。70分。

アルコール依存症の治療施設。新たに入ってきた男は床が地雷原に見えておびえ、ミーティングでは互いに挨拶をして自分の経験を語り、断酒に挫折すれば懲罰部屋に入れられたりもする。出所間近になると社会で酒を勧められる機会をシミュレーションすることになっている。

吾妻ひでおの「失踪日記」を思わせる施設を舞台に。実際のところ、アルコール依存症そのものを描くというよりは、それはあくまで物語のきっかけであり枠組み。そのこと自体の深刻さを描くわけではなく、弱い心を共有しつつその弱い心とどう付き合うか、あるいは知らんふりをするか、という点描に作家の関心が向いているように思います。

アルコール依存の経験は今のところないけれど、「失踪日記」シリーズのおかげで、なんとなく雰囲気はつかめるシーンがいくつか。ミーティングで互いに声を掛け合い、自分を語りあうとか、懲罰部屋とか。アルコールの誘惑に弱いという共通の弱点をもつ人々の失敗する瞬間をコミカルに描きます。人それぞれの背景を描き込んだりはせず、執拗にその情けなさだけを描くことで、芝居というよりはコントな印象を受けるけれど、どこまでも温かいというか優しい作家の視線が見え隠れするのです。

一方で、社会は飲酒のきっかけに溢れているというシミュレーションの後半。周囲が演じる必要があるわけで、どちらかというと芝居だから作られたシーンという印象があります。これもまた、各々の人物の背景がどうか、ということには立ち入らず、ひたすらに「ダメだとわかっていても飲んでしまう一瞬」を執拗に描く事という意味では前半と地続きになっているのです。もっとも、会社の歓送迎会とか葬式に集まる親戚といったあるある、な感じが多いという意味では後半の方が、ワタシの腑に落ちる感じではあります。葬式にまつわる親戚たちの話しは「東京物語」のパロディを交え、役者たちが遊んでいる感じが楽しい。

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2017.08.23

【芝居】「あいだヶ原のほおずき祭り」FunIQ×今城文恵

2017.8.11 14:00 [CoRich]

Ito・M・Studio。13日まで。100分。

間ヶ原は過疎化が進んでいる小さな村だが、ここには生死にかかわらず行き場のない人々が集う。ここに古くから住む「あいださん」と呼ばれる三つの家の人々は死者と生きている人々をつなぐことができ、死んだ人々も見えている。「あいださん」の家の女たちは他の男と気軽に交わるが、他の家と交わり生まれた子は差別的な扱いを受けている。
村で唯一盛り上がる祭りの日。兄が殺人を犯し自殺したあとにここから姿を消して数年が経った女が姿を見せる。

世間からは隔絶され、古くからの家が主導権を持ち、亡者たちとの間をとりもつという村の物語。 物語の根幹をなすのは亡者と生きている人々の間をつなぐことだったり、亡者であることを自覚できないままに吸い寄せられてしまうこの場所のこと。夏祭りという設定や、蝉の鳴き声、畳敷きので首を振る扇風機など一つ一つの要素が、亡者を身近に感じるお盆という季節をぐっとリアルに感じさせます。

一方で、世間からの隔絶ゆえに一般的にはありえないようなある種のインモラルが支配し、女たちに向けられた暴力的な因習。規律の中で嫁だったり巫女のような地域の因習の装置として時に暴力や差別的な視線を伴って描かれている女性たちは物語の中のもの。しかし振り返ってみると、もしかしたら私たちの生活から地続きにあってもおかしくないかもしれない、というリアリティがあります。少々の誇張はあれど、このリアリティは自らの痛みを伴う女性の作家だからこそという気がします。男たちもまたこの因習に組み入れられてはいるけれど、少なくとも表面的にはそれほど酷い扱いではなくて、この男女が違うだけなのに生まれている非対称なところが、物語の奥行きであり、ワタシの心に棘のように引っかかって離れない作家の持ち味だと思うのです。

亡者との対話この非対称さを含む因習を維持することがここの「普通」でそこから外れようとするものに対する強い排斥。そういう形はもう維持出来なくなりつつある、もっといえば亡者も生きている者も、男も女も、所有とか独占とか支配とかなく、ぼんやり溶けていくように進む、と思わせる世界の描き方がちょっと好きな感じ。イマドキのアタシたちの世界とも地続きなように感じるのだけれど、うまく説明出来ないもどかしさ。

本家の女を演じた西岡未央の線を引かないという自由な力強さと、エロいという説得力もまた魅力。妾の子と蔑まれる女を演じた石澤希代子は典型的なビッチな力強さもまたここの女の姿。久々に戻ってきた女を演じた安川まりのこの土地に対する強い憎悪、維持するパワフルさ。古くから住む年上の男を演じた本井博之のゆらゆらと漂うような軽さ。毎年訪れるテキヤを演じた岸野健太もまた、ずっと生きているちょっとやんちゃな感じがとてもよいのです。

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2017.08.19

【芝居】「その夜と友達」範宙遊泳

2017.8.10 [CoRich]

STスポット。休憩5分を挟み120分。13日まで。

15年前の話を思い出しつつ。 大学で鍋を背負っていた男に声をかけて仲良くなった。レンタルビデオ店アルバイトの後輩とは同じアパートに住んでいて、映画の話で盛り上がりつきあい始める。鍋を背負っていた男の住む武蔵小杉の高そうなマンションで集まって遊びで映画を撮ったりしていたが、突然のカミングアウトに驚きそれ以来あっていない。
男の逮捕のニュースをみた。思い出したようにあの町のあの部屋に行ってみることにした。

2017年と、それから15年後の二つの時間軸。易々と第四の壁を越えどちらの時代から語りかけつつ、なにが起きたかを丁寧に。物語の幹となるのは、仲良くじゃれあうような中にあった三角関係というか片想いというか。鍋を背負うような真似をして「相手に見つけてもらいたい」というわりと序盤で同性愛を背骨に持つ話だということには感づくのだけれど、それが中盤でがっつり女装までしてカミングアウトする、相手の男は異性愛者で理解は示しつつ、同性愛のベクトルが自分に向くことに対しては受容できないという絶望感。後半ではあるいは15年を経て逮捕されたのが報道では「男性器の形をした花を子供に配っていた」なのに実際には「レインボーカラーの花を配る同性愛者」というだけで逮捕されているという、社会が不寛容に進んでしまった15年の月日、ある種のディストピアだけれど、15年を経てこの男二人の間は少しばかり距離が近づいたというわずかな希望。この軸でみると遊びで作った映画で、同性愛の男が「怪物」という役でカップルを襲うという不寛容極まりない残酷さに気づくのです。

「鍋男」を演じた大橋一輝、柔らかさと強い視線が印象的。語り手を兼ねるもう一人の男を演じた武谷公雄は軽い語り口が自分に向けられた愛情への無自覚に良くフィット。女を演じた名児那ゆりはその二人を見つめる視点のよう。

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2017.08.14

【芝居】「ワンマン・ショー」やっせそ企画

2017.8.6 14:00 [CoRich]

カムヰヤッセンの役者数名による発信企画と銘打つ公演。岸田國士戯曲賞受賞(2004年選評)という本作、ワタシは初見です。 6日まで、雑遊。120分。

懸賞マニアの男。求められていないことまでハガキに書いて応募しつづけているが、自分のことだけでなく周囲の人々、はては人物をねつ造してまで送っている。妻と暮らしている。ハガキを出すように云われているが実は段ボールに溜め込んでいる。時折無職の兄が金の無心にやってきているが、妻は密かにハガキを捨てるように依頼する。
兄は自治体の女から仕事を斡旋されるが、その依頼者の女は自分について訪ねてくる男にしらないと云って欲しいというものだが、その男が現れないままなんども会う。 男は航空写真を撮り土地や建物の変化を見つける仕事。密かに建て増しした家を訪ねると家主の妻とその義弟が居るが、家主は姿を現さない。 隣の家に越してきた男は庭の池が広がっていると訴える。

序盤はたとえばよだれを垂らし続ける妻という「描写」ひとつとっても私たちの世界とは少し違うところに住んでいる人々の話という印象で始まり、中盤で懸賞マニアが応募葉書の為にねつ造した人物たちが存在する不穏さ、あるいはその人々が懸賞マニアのの周囲の人々と相似形をなしていていくのが見えててくる後半。 

男の描いた妄想の物語、という括り方をするのが適切かわからないけれど、懸賞マニアの男、妻、無職の弟、自治体の女、密かに増築される家とその家族と不在の家主、隣の家の男女をめぐり、謎めいた仕事やら、捨てた葉書が戻ってきたりと、ぐるぐると再帰的な合わせ鏡、あるいは裏表がいつの間にかひっくり返るメビウスの輪のようで、正直に云えば観たらすぐ物語が腑に落ちる、という感じではありません。デビッドリンチよろしく、ディテールはやけに細かいのに物語はわからないところも多く、しかしちゃんとぐいぐいと引き込んでいく強度のある物語、というのはまあ戯曲賞取ってるぐらいですから当然か。

初めて観た戯曲ですが、丁寧に紡ぎ上げた印象。「箱の中から飛び出す人々」は役者自身が飛び出してきたという感想をネットで散見しますが、今作においては箱からは紙吹雪という感じで、抽象度が増した分、ちょっとわかりにくくなったのではないかと邪推します。

懸賞マニアの男を演じた青木友哉、観客の視座かと思えばこの人物こそがトリッキーという絶妙のバランス。隣に住み不可解な仕事を手配する女を演じた工藤さやは抜群に色っぽく謎めいた人物を好演。行政の担当者イエローさんを演じた、ししどともこは明るくハキハキの中に内包するダークな雰囲気。無職の男を演じた根津茂尚は実際のところ最もマトモな登場人物で、ちょっと巻き込まれている感じがよく雰囲気にあっています。

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【芝居】「ハイバイ、もよおす」ハイバイ

2017.8.6 14:00 [CoRich]

ハイバイの短めの過去作品三本 (RPG演劇, 大衆演劇, ごっちん娘) を改訂上演。12日まで神奈川芸術劇場(KAAT) 大スタジオ 145分

RPGで毎晩ゲームを続けている人々。互いに何をしているかはあまり聞かない関係。新しいVRグローブの力によって仮想と現実の境が消えモンスターが現実の世界に現れる。多くのプレイヤーが犠牲になり絶望的となったとき伝説の勇者が現れる。「RPG演劇」
隠れキリシタン狩りで一人生き残った男は江戸で殺人鬼となり恐れられる。幕府より討伐を命じられた男二人、一人は殺そうとし、一人は話を聞こうと考える。「大衆演劇のニセモノ」
ごっちんは女の子。好きな男の子が居るがその子が好きな同級生の女の子について嘘をついてしまう。それを深く後悔するが、父親に責められ、自分が「こんなカラダ」で小学生の女の子である深い悲しみによって姿を獣に変えてしまう。10年が経ちあの日の告白をしようとするがごっちんが現れるも毒矢+ナイフによって殺される。その深い悲しみは同級生だった女をも獣に変える。「ごっちん娘」

祭を思わせる紅白に彩られたイントレ。三本の芝居の出演者は重なっているせいか、前説とか幕間を岩井秀人の喋りで繋ぐ構成。ハイバイの「新年工場見学会」の中で演じられた短編はそれぞれがおとそ気分でぼんやり見るカッティングエッジが楽しい感じなのだけれど、それをわりと本気で作るのは時間の長さも含めてなかなか難しいバランスという気もします。

「RPG」は出会うはずのない人と出会い(幕間の語りでその実体験を語る作家)、力を合わせて人類の危機に立ち向かうRPGが現実化するSF映画風の枠組みに、亡くなった父と母の間になった秘密がこの危機に際して明かされる、というわりと王道な要素を詰め込み放題。記号的にアイドルを演じた川面千晶の舌足らずが新鮮。学生のプレイヤーを演じた田村健太郎も記号的に爽やかで楽しい。母を演じた伊東沙保、VRグローブを手にしてからの格好良さ。

「大衆演劇」は客席に撮影を許可して、見得を切るシーンを沢山置いて盛り上げます。正直に云えば、そのキメのシャッターチャンスのようなポイントに拍子木が鳴らないのが違和感を持つアタシです。新感線のようなと思うのだけど、それは大衆演劇では鳴らないものなのかなぁ。

「ごっちん娘」幕間の語りで作家は自分の娘のいじらしさ(だったかな)がこれを書いた原動力だといいます。筋肉モリモリの男、小学生の女の子を演じるということの出落ち感はあるのだけれど、それをキッチリ物語にする圧巻。差別する側は自覚しない気遣いや区別のつもりだけれど、それが本人をどれだけ傷つけるかを執拗に描くのです。獣に変化して山に行く、という「怒りの持って行き場」がファンタジーに着地するのも哀しく、しかし上品な描き方なのです。ごっちんを演じた後藤剛範は圧倒的な肉体とやけに腰の低い雰囲気が、このキャラクタの説得力を何倍にも倍増させます。友達を演じた藤谷理子はそれと対照的に可愛らしく優しい女の子という雰囲気。それが友達というのが更に悲劇的な対比。

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【芝居】「かけおち」TOKISHIRAZ

2017.8.5 14:00 [CoRich]

つかこうへいの作品。ワタシは劇団含め初見です。NHKのドラマとしての放送もあったよう。(NHKアーカイブ) 120分。6日までザ・ポケット。

30歳になるにもかかわらず写真にかまけて働いてもいない男。大金持ちの家の一人娘と恋仲になり、転がり込んで5年が経つ。婿養子として家に入ることを期待され婚約を決めたある日、どうしても断れない見合い話が娘に持ち上がり、形だけでも見合いをすることになった。相手は父親の会社を一代で建て直した優秀な男で、女を15年も想い続けてきたのだった。最初は形だけといっていたが、女も父親も見合い相手に惚れ込んでしまう中、婿養子に積極的な母親だけが味方だった。
女は見合い相手のことが忘れられないが、婿養子をとり土地と財産を継ぐように育てられそれを手放す気にならず、婚約者を不甲斐ないと思い見合い相手への思いがつのる。いっそ奪うといった見合い相手のように、婚約者に自分を奪ってほしいといい、誰も反対していない結婚なのに婚約者と二人で夜汽車に乗って京都へ駆け落ちの逃避行をはかる。
京都の旅館の人々は駆け落ちの二人を暖かく迎えるが、何日も迎えがこないままの日々を過ごすうち、その盛り上がりもなくなり、駆け落ちした当事者たちも喧嘩しがちになる。
宿を突き止めた見合い相手の運転手が刃物を持って乗り込んでこようという電話をかけてくるが、婚約者は二人の愛を守り通すため、部屋のガス栓をひねり、心中を図るという。

コメディというより、不条理感あふれる話。許嫁よりははるかにまともな男とのお見合いで恋に落ちるけれど、家の存続という一点だけでそれは叶えられないことで婚約は変えらないという枠組み。格落ちだけど婚約者だから、という気持ちで、ひとときの盛り上がりだけで誰も反対してないのに突然駆け落ちを決心したり、誰も探しに来ないけれど駆け落ちしたのだからガス心中を図ったりのドタバタ。荒唐無稽もいいところだけれど、役者の魅力を見せる、というつか芝居の魅力に溢れる一本なのです。

駆け落ちする女を演じる佐藤みゆきはコミカルな役はめずらしい気がします。新しい一面。

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2017.08.11

【芝居】「たまたま」パルテノン多摩

2017.7.30 14:00 [CoRich]

6日までパルテノン多摩。125分。

小学生の子供が見つけた大量の百円玉。それを探しに穴の中への冒険。そこではゲームセンターに宇宙中から集う人々が暮らす街をつくる広大な開発が行われようとしていたが、それに反対する現地の人々も居て巻き込まれる。

市民ワークショップを通じて聞き取ったその場所の成り立ちや生活を元にした物語。場所から物語を立ち上げるというと「トリのマーク」が思い浮かぶけれど詩的で不条理をまとうそれとは異なり、聞き取った物語をわりと直球で舞台に上げている、というのは取材を重視する作家ゆえか。ある種のドキュメンタリーのような雰囲気をまとい、観劇後につらつらwikipediaを読む楽しみ。多摩センター駅から劇場までのまっすぐなペデストリアンデッキも帰り道は違うように見えてきます。

同時代の「一億円の大貫さん」を物語の始点として「大量の百円玉」を隠したりせしめようと考える子供の大冒険。街のそこかしこにある「穴」の中で起きている空想の出来事でなぞりながら多摩ニュータウンという広大な開発の成り立ちや変遷をとりまぜる前半。広大な土地、山を削り、抜いてから植え直した木々、谷を道路に山を住居や商業地にしてペデストリアンデッキを渡した徹底した歩車分離、京王線小田急線の延伸、あるいはここに暮らしていた農家たちの「生活再建」としての商店。土地を半ば強制的に開発していったある種の強引さとそれがイケイケで許される時代の背景。

中盤から後半にかけては暮らし始めた人々の数十年の点描。実際のところ多摩ニュータウン固有の、という話に限らなくて、団地で暮らし延伸前はバスで数キロ離れた駅を経ての通勤、駅前に飲み屋すらないベッドタウン、そこで暮らし子育てする人々。あるいは引っ越してきて知らない人の中で孤独を感じさせる妻と子供が産まれてからのコミュニティへの参加、にも関わらず不遇の事故によって視力を失った子供とそれを悔やむ親、だけれどきちんと成長し暮らしている家族。この土地で育った子供がやがて都心部の同世代に出会い「ここには死なないためのものは十分にある」けれど、カルチャーという点で多様性ないことを痛感したり。年月がたち、街の高齢化がすすみ独居の老人であったり小学校の統廃合であったり、高層階の空室であったりの問題。

この街に最近引っ越してきた若い女と、この地域を転々と暮らしてきた年かさの男の早朝の公演での何気ない会話。転々と根無し草だったかもしれないと残念な気持ちになる女だけれど、この街だってまだほんの数十年しか経っていないけれどちゃんと積みあがった歴史を持ちつつあるということの重み。

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【芝居】「月読み右近の副業」ジャブジャブサーキット

2017.7.30 14:00 [CoRich]

名古屋、大阪を経て 30日まで駅前劇場。105分。咲田とばこの劇団員としてのラストステージ。

テレビに出るほどの有名人だったのに突然引退して 電波も届かない山奥に住む「月読み」の女。若い男の弟子と、どこかで「拾って」きた若い女と暮らしている。 久しぶりに戻ってきた同居人の男、毎日の食材を届ける女、途中の道は土砂崩れで通行止めになりヘリコプターで現れるセンセイと呼ばれる男。 土砂まみれの女が現れるが、特定の誰かにしか見えなかったり、みんなから見えるようになったりと自在に術を使い、若い男女とともに行方不明になる。

和室風に丸い窓、一つの部屋で進む物語。山奥に住む「月読み」の女。 小説を読む断片をはさみつつ、詩的な言葉。正直にいえば前半はわりとイメージの点描のような雰囲気で物語がどういう枠組みなのか少々のみこみづらいアタシです。

有名人どころかおそらくは政治家の「センセイ」にも近い関係を持つ月読み女が突然世間との交わりを絶ち住む山奥。大雨で交通も遮断される密室状態。謎めいた泥だらけの女、「ジェラシー」を題材にした小説を読むシーンを交え、それはおそらくは彼女にあったこと。

後半になると物語がぐんと進む感じで見やくなります。月読み女の妹もまた力を持つが病魔に伏せっていて、死者を操って現れて。すわ対決かというわけでもないのだけれど、断絶していた姉妹の再会を思わせ、そこに続く同居人の男との小さな会話がとてもいいのです。それは、役に立たない知識が多い同居人で、一緒になるメリットがわからないけれど、占い師だからこそ先が読めない男と一緒にいることの嬉しさ。

あるいは、食材を運んでくる女がここに住んでいることの理由は、かつて殺人犯と疑われていたときに、月読みの女は、それが娘を庇っていることを読み、その気持ちを汲むように引退したというストーリーも美しい。

劇団員としてのラストステージとなる咲田とばこ、ちょっと理屈っぽいことを日常としてさらりと語る自然な雰囲気がこの作家の描く物語にいままでもよくマッチしていたと思うけれど、今作はその集大成のよう。赤い作務衣風、喪服に上掛けも美しく。終幕、斧を花束のように抱える姿もちょっとラストステージっぽい。 はしぐちしんが演じた車いすの男のスノップさと軽さ。荘加真美が演じた食材を運ぶ女はオヤジギャグを背負う軽さが楽しい。

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2017.08.09

【芝居】「空中キャバレー2017」まつもと市民芸術館

2017.7.29 14:00 [CoRich]

「空中キャバレー」の名前になってから隔年開催で松本でしか見られない演目を続けて4回目。 (1, 2, 3) 7月30日までまつもと市民芸術館。休憩20含み180分。

定着したのかかなりの人気公演で後半は早々に完売に。今のスタイルでは意外に収容人数は少ないのでスケールアップしていくのが今後の課題になりそうな気がします。

ブランコ乗りとそれを下から眺め恋をする兵士の話で始まり、数々の曲芸を交えながら、サボテンブラザースはライカ犬にあこがれ宇宙に飛び出したりカウガールに出会ったり。木製の人形が居なくて寂しがるキツネとネコの元に戦地の行商人をしてる関西のおばちゃんが現れたり。鼻にとまった蝶を驚かさないように摺り足であるく男たちにはクワガタに挟まれた男が登場したり、鯖な人々が求愛したり騒いだり。

曲芸は前回怪我をしていたリーダー格のジュロが完全復活。高く立てられた一本のしなる棒の上のパフォーマンスが圧巻。あるいは今回初めて大劇場側の客席に高く高く渡されたワイヤーの綱渡り(マット)の迫力。ワタシが好きなコミカルな自転車の曲乗り(ジェームス・ヨギ)、中国の雑伎風の極端に柔らかな身体のパフォーマンス(コントーション、というらしい。茉莉花)もすごい。

変化の余地を残しつつも、「おなじみの」ネタや人々が今年も現れる基本のフォーマットができつつあって、ゲストパートもきちんとゲストパートで作られていて。「ア・ラ・カルト」の体裁の雰囲気を感じるのは去年の高泉淳子の印象か。

小劇場好きとしては高田聖子のゲストがうれしい。関西のおばちゃん全開でぼけかましつつも、小さな罪・大きな罪と少し小難しいベースの話で煙に巻きます。このパートが祝祭感の流れとは正直ちょっと違うのだけれど、箸休め的に闇をここに入れるのがいいのかは難しいところ。

今までは休憩時間中のマルシェで行われていたと記憶しているサボテンブラザースの話を本編に組み込んだおかげで、休憩時間をわりとマルシェに集中できるのはワタシにはプラスになりました。 マルシェはいままで一番奥で売られていたビールを入り口側に移すなどの配置の変更を。アクセサリーなどもそれなりにうれしいのだろうけれど、ワタシはビールのツマミっぽいものを劇場の食堂の味も素っ気もないものにするよりは、ここをマルシェ風味にしてほしい感じも。球場でよくみかける背負い型のサーバは祝祭感があってうれしい。

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2017.08.07

【芝居】「幸せの標本 完全版」ノックノックス

2017.7.23 15:00 [CoRich]

生演奏と幻燈とのコラボレーションをフィーチャーする初見の劇団。 7月23日までザムザ阿佐ヶ谷。そのあと名古屋、大阪。

部屋いっぱいに植物を植え、ミツバチを育てる女。船長と呼ばれる男も時々訪れる。居心地のいいこの部屋を目当てに出入りするものたちが居るが、女は残り少ない時間で研究に没頭している。

舞台にホンモノの植物を一杯に入れ、舞台奥には大きな白いスクリーン。ミュージシャンたちはその奥で演奏しているようです。幻燈と呼んでいるものは今作においては水を張った水槽に光を通して、インクやプレートを流し流れを作って背景を作ります。

人の言葉を喋ってはいるけれど、犬、鳥、トカゲといった生き物がこの部屋に出入りしてちょっかいを出していること、ここが宇宙船の中で、地上では深刻になっている食糧問題の最後の望みが、絶滅に瀕したミツバチと菜の花を再生し、再び植物が育つ世界つくることを目指している、というSF風味の設定。とはいえ、全体の設定は穏やかでゆるやか、ロハスな雰囲気といってもいいかもしれません。

危機的状況から隔離された船に乗った動物たち、となればノアの箱舟的なモノかとおもえばそうではなく、今作はあくまで「ミツバチ」を育てる人間たちの話しで、いろいろ企みであったりハプニングの要素として動物が現れます。環境問題をミツバチ一点に集約し、そのために必要な菜の花の種子が希少だが、それを鳥が食べてしまうというハプニングは、終幕、それがフンとしで再び芽吹くというハッピーエンドに繋がります。

物語そのものの複雑さや登場人物たちの込み入った関係で見せる芝居ではありません。あくまで穏やかに、語りすぎず、音楽と幻燈とが織りなす全体のライブ感を楽しむのが吉。心地よく時間を過ごすというのもまた芝居の一つの見方なのです。確かに幻燈のさまざまな表現はちょっとビックリするところもままあって。

研究している女を演じた伴美奈子はほぼ出突っ張り物語の背骨をしっかりと支えます。船長を演じた小林至は腰の低いしかし厳つい顔の中年男、という風情の説得力。犬を演じた藤谷みきはちょっとイタズラっぽい感じが可愛らしい。

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【イベント】「エンゼルウィング・シングルウィングス」(月いちリーディング / 17年7月)

2017.7.22 18:00 [CoRich]

劇作家協会の戯曲ブラッシュアップのためのリーディングとディスカッション。生配信された動画は、YouTubeにもアーカイブされています。

洋タンスの奥がつながった二つの部屋に暮らす一人の女の別々の人生。片方は結婚し親亡き後の実家で夫婦で暮らしていて、もう片方は独身のまま家を処分し分譲マンションを購入した。互いの部屋がつながったことを知り、互いに行き来し友達のように仲良く過ごしたり、病気の時に代わりに仕事にでたりもしているばかりか、区別がつかない夫と独身の女が寝てしまう。
独身の女は後悔し交流を絶つ。一年が絶ち、夫婦が授かった子供を連れて家に戻ってきた日、思い立って独身の女をのぞきにいくと難病にかかった女は倒れていて、そのまま亡き人となったばかりか、子供を宿していた。夫婦は自分の子供と一緒に双子として育てる。年月が経ち母親も痴呆が進み亡くなってしまうが、子供たちは洋タンスの鍵を見つけてもう一つの部屋をみつける。

同じ人物なのに違う人生を歩んでいるというパラレルワールドの設定にぽんと放り込まれます。芝居の上演としては問題にならないものの、結婚して変わった姓で見分けをつけるために、戯曲のト書きがひたすらフルネームになってしまうのはリーディング上演としてはかなりリズムを削ぐ感じがして難しいところ。

前半は二人のそれぞれの状況や生活を描きます。女が結婚している方の世界の夫は、もう片方の世界の(同一人物の)妻をそうとは知らず抱き、あるいは結婚してない方の世界ではその同じ男が後輩の女との関係が続いていたりと、ちょっと捻れた関係もあったり。それは、一幕目の終幕、両方の女に娘が生まれるということに繋がるのです。後半はその娘たちの世代の物語で、偶然に見つけたタンスの奥の別の世界、親の秘密をめぐる謎解きの雰囲気。

前半は最初の驚きこそあるけれど、パラレルワールドそれぞれの生活の行き来みたいな感じで少々平坦ではあります。後半は俄然謎解な感じで物語が盛り上がる感じは確かにあって、女が亡くなったほうの世界で働き続けていた母親の姿が見えてきたり、「父と同一人物」に再開するなど、エビソードが沢山あってもりあがります。

独身の方の別れた「夫」の子供では決してなくて(関係は切れ、後輩の女と恋人になっている)、結婚した方の夫がパラレルワールドそれぞれの世界に作った子供だということを、子供が生まれた時点ではあまり明確に示さないのだけれど、ぶれた解釈を許さず、きちんと穴を塞ぐために丁寧に前半を語っているのだと云うことに気付きます。

二人が同一人物で時空を超えて娘に繋がれるものとして示される「ネギぬた」が印象的。あるいは一幕目で酔っ払いの介抱のために家に寄った会社の同僚たちのシーンもちょっと印象的で、後輩の男がなんとかして恋人に使用と駆け引きするけれどあっさりうっちゃられる感じとかもちょっと楽しい。

終幕、その二つの世界のつながりは唐突に切れてしまうけれど、それぞれの母親の世界に「戻った」娘たちが前向きに生きていく姿は凛々しく、開いたエンディングになっていて清々しいのです。

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【芝居】「奇想の前提」鵺的

2017.7.22 14:30 [CoRich]

江戸川乱歩のパノラマ島綺譚(青空文庫)の後日譚を濃密に描く115分。30日までテアトルBONBON。

猟奇的なパノラマ島の事件が起きてからすぐ、島は閉鎖され管理人だけが住む島になっていた。花火の中降り注いだ狂気の血を受け付いだ菰田家の三人の娘が産んだ子供たちはその島に興味を持ち何度か忍び込んでいるが、やがて親からは引き離され遠く東京で暮らしている。
島を維持していた親戚筋の東小路家も年月が経ちその費用が問題となり、島を開放し観光施設としたいと申し入れる。その許諾のために菰田家の人々は東京に住む子供たちも含めて呼ばれる。

江戸川乱歩にそう親しんだわけではないアタシですが、 江戸川乱歩の描いた世界のその後。 後追いで「パノラマ島奇譚」を読んでみれば、そこで作られた少々グロテスクで美しい世界で、それを引き継いだ世界観と、その物語に世代を超えて囚われた人々を描く物語。 廃墟と化してもなおこの島に魅せられている人々の狂気。

三人姉妹、ほぼ巫女のように生娘のまま歳を重ねた長女、二人の子供を産みながら一人この家を凛として切り盛りしてきた次女、今なお恋多き三女など決して幸せな状況ではなく。その子供たちもまた島に魅せられ、あるいは離れがたい状況でもあって。後半に至りさらに執事や管理人といった人々の関係は幾重にも隠されていることが露わになるのです。

更には沈むしまからの大脱出、スペクタクルをきっちり、確かに少年がワクワクするような活劇調という雰囲気でもあります。

福永まりか、印象的なサイコパスを完璧といっていいほど強く印象づけて巧い。半面、アタシがみている芝居の範囲ではわりと同じような役を当てられがちで、結局のところどれを観ても同じになりがちなのが心配と言えば心配というのはよけいなお世話。 木下祐子は三人姉妹で家を背負う次女、きりりと美しく、少々キツいキャラクタにも説得力があります。 佐藤誓は年齢を重ねた故の説得力なのだけれど後半で暴かれる秘密のゲスな雰囲気もきちんと細やかに描きます。 中山朋文は島の管理人というちょっとサバイバルできそうな雰囲気はたとえば体型かもしれないけれど説得力があって、しかも秘めた狂気が静かゆえに印象的。 中村暢明は暗躍するスパイというような雰囲気。アタシが観た序盤ですでに声がちょいとばかりハスキーなのはちょっと残念。

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2017.08.05

【芝居】「Nostalgia~あなたがいないあの場所で~」ネオゼネレイター・プロジェクト

2017.7.21 19:30 [CoRich]

120分。23日まで劇小劇場。

爆心地の近く。ただ一つ残っている建物へ依頼され男を捜しにくる人々。もとは図書館だったらしいが爆撃で迷宮のようになったその場所にはオーナーと呼ばれる女と、オーナーが修理したAIが住んでいる。数ヶ月前にこの場所を訪れた男は地図を持ち、より奥に分け入ったと聞き、同じ道を辿ろうと考える。 男はもう一人の男と、思い出話、好きだったもののことなどをとりとめなく話している。

元々は秋頃にいったん閉館の噂もあった劇場ゆえに記憶やノスタルジーを全面に押し出した物語。脱出ポッドや宇宙飛行士、AI、あるいは爆心地といったSF風味の設定はあるものの、記憶のない女、亡妻の記憶と自分との対話で生きる男など全体にどこまでも静かに、丁寧に描きます。

決して大きな劇場ではないこの場所に、圧倒的な物量で作り込んだ美術が圧巻。本棚に囲われ、そこかしこに死角がある場所で、真っ暗な中のマグライトの光の美しいこと。 正直にいえば全体の色調がほぼ一貫して暗く、とりわけ下手側客席に座ると上手側のテーブルでの会話が見えづらいなど問題点はいくつかあります。

自分の影と会話し続ける男の向こうにみえるのは亡妻の姿、その男を追う人々もまたそれぞれの影。思い出を失った女であったり、その女を拾い上げた相棒であったり、あるいはその宇宙船の操縦士であったりという人々がゆるやかにつながる関係。要素それぞれをみれば、かなりSF風味な断片なのだけれど、それをことさらに物語として語らずそういう人々を配してゆるやかなつながりを感じさせることが物語の静かな雰囲気を作り出します。

絵描きになりたかった祖母、その意志を継いだのかどうか、世界を色づけするために(絵の具ではなく)種を蒔いてまわる、という女性の存在もなんかかっこいい。演じた芝崎知花子の軽やかに前向きな雰囲気。お茶を入れ続ける女こと亡妻を演じた松岡洋子は想われ続ける美しさに説得力。 思い出の無い女を演じた瑛蓮はひたすらかっこよく、その相棒を演じた織田裕之は人の好さが少しコミカルで楽しい。探している男を演じた渡辺克己は独特な雰囲気で存在感があります。

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2017.08.03

【芝居】「エメラルドの都~sentimental happy days~」天幕旅団

2017.7.17 18:00 [CoRich]

劇団としては数週にわたるロングラン公演。そのうちの一本を拝見。この演目は17日まで雑遊。

風で吹き飛ばされた少女はが落ちた国、悪い魔女を圧死させ、銀の靴を手に入れ、エメラルドの都に行って魔法使いに、元の場所に戻してくれるように頼みにいく。カカシやライオン、ブリキを供にして、ようやくたどり着いた都。

オズの魔法使い自体にあまりなじみがないあたしだからなのか、物語をなぞるという意味で今一つのれないあたしです。前回拝見した「夏の夜の夢」はそういう意味では、劇団のいう「本歌取り」のおもしろさが見えたりしたのだけれど、原作になじみがないとなかなか難しいところ。

舞台をぐるりと囲う客席、自在に役者が入れ替わり、ファンタジーの世界をつくる持ち味は確かで、風すらも表現するダンスの軽やかさはポップで楽しいとは思うものの、物語そのものでもっとフックしてほしいアタシです。

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【芝居】「そでふりあうも」ブラシュカ

2017.7.17 13:00 [CoRich]

複数の脚本家・演出家によるプロデュースユニット(natalie)の公演。 2010年競泳水着での初演(「りんごりらぱんつ」)作を原案にした改稿作。17日までBRATS。110分。

初演は2010年でしたが、今回は311を思わせる台詞などを加えたりと時代がスライドしています。かと思えば携帯アドレスの交換を赤外線で、という懐かしさも残っていたりします。とはいえ、実際のところ、特定の時代である必然性はなくて、どの時代に置いてもちゃんと成立する芯を持つ物語の心地よさ。

亡くなった姉がしたかったことをなぞるように生きてきた妹、もしかしたら姉がしたかったかも、あるいは、したかもしれなかったこと。今回アタシが受けた印象は、妹にとって、亡くなった姉が同化し取り込まれるような雰囲気。この妹という人物を中心にして強いコントラストで描き、まわりの人々をその関係の中で描いているのです。

妹を演じた岩井七世はその中心であり続けること、背負うだけの骨太さで不安のない芝居で安心感。姉を演じた橘花梨はちょっと姉に見えづらいけれど、それは亡くなった姉の歳を妹が追い越した、ということか。そっくりな映像編集者(二役)のキャラクタがよくあっています。 小沢道成は、ちょっとちゃらめのバンドマン、軽やかに笑いを取りながら確実に上野戯曲を担うのです。

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