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2017.06.29

【芝居】「どんどろ」Nana Produce

2017.6.17 14:00 [CoRich]

18日までザ・ポケット。130分。

妻が出て行き、夫は認知症の母親と怪しい政治結社に血道を上げる息子、高校を辞めてきた娘と暮らしてきた。レスリング部のコーチの仕事をしていたが、負け続けで廃部が決まり仕事を失う。 日中認知症の母親だけが留守番をしている中、屋根裏に住み込み泥棒が住み着いて半年が経つ。日中の母親のケアや電気代までも立て替えている夫は回り持ちの町内会の会計で町内会費をなくしてしまい責め立てられている。

妻を失い、恋人も自信も失った夫、まじめな娘は妊娠相手に捨てられ、ヤンキー風で右翼っぽく運動に傾倒する弟は、ずいぶん年上の女に単に惚れているだけ。見るに見かねて出てきた屋根裏の泥棒たちは、夫の自信を取り戻させ、続けて娘や息子たちにも。そうなのです。これは自信を取り戻す男と家族の話。泥棒たちは日陰者なのにヒーローなのです。 母親はとうに亡くなっているはずの長男の名前をつぶやいていて、単に惚けているだけに見える母親の中に間違いなく残る昔の記憶。親切に暮らしを助ける泥棒にその幻の兄が重なって見えても不思議ではありません。

泥棒が親切なのに対比するように、町内会の人々はあくまで悪意はないにせよこの家族を疑うし、もっとも寄り添うはずのヘルパーの二人はろくに仕事をしないどころか年金をちまちまと横取り使用とする悪党という構図。持ちだそうとした通帳とカードをすんでのところでスリが取り戻して対峙するシーン、くたびれたオジサンでもスカッと爽やかでかっこいい。

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2017.06.23

【芝居】「永い接吻」天明留理子ひとり芝居

2017.6.16 19:00 [CoRich]

天明留理子が立ち上げた企画「てんらんかい」、アタシが拝見したのは工藤千夏さんによる一人芝居、 65分。18日まで、古民家ギャラリー・ゆうど

今は亡き堀部安兵衛の妻を名乗る尼姿の女、そのころの思い出を客に語って聞かせる。
訪ねてきた女、父親のプロダクションで芸人から講談師となった女の仲が不倫となり、この庵に入り浸っていたと告白し、自らはその娘だという。認知症となり家には戻れなくなったのに、この庵を訪ねていた。

2015年上演の「中山くんの縁談」をきっかけにした工藤千夏による堀部安兵衛モノ。作家が選んだのは妙海尼を思わせる女。 ワタシが観られなかった夕方公演では講談師となる女優・天明留理子が演じるのも楽しく、コンパクトな座組は旅公演にも向いていそうです。

二つ並んだ座布団、尼姿で入ってきて静かな語り口から始まり徐々に講談口調となっていく前半。「義士余談 堀部妙海尼」なるタイトルの講談の上演記録(このあたりで、堀部と検索したり)もいくつもあるようで、なるほど、ここで講談の片鱗が見え隠れする楽しさ。めいっぱい盛り上がったところで、あっさり視点がくるりと180度入れ替わり、着替えることでそれまで尼に向かい合っていた客人の女に変化します。堀部妙海尼を名乗っていた女が、客人の女の父親と不倫関係にあったというフィクションにするりとすり替えます。堀部の妻だったという嘘をついていた女、かつては信じた妻子ある男と会うこともかなわなくなり寂しく暮らす一人の老女の姿が見えてくるのです。 自宅に帰れなくなるほどの認知症にもかかわらず、この庵を久々に訪ねてきた去年の出来事は、彼女にとっては支えだし、その娘にとっては信じたくない悪夢かもしれませんが、それを冷徹に描く作家の不思議なリアリティ。

。 終幕、その老女が若く、男と仲むつまじくここに暮らしていた頃の一シーン。ただただそのときの時間が幸せだったこととの見事なコントラストをなすのです。

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2017.06.21

【芝居】「ミズウミ」日本のラジオ

2017.6.14 20:00 [CoRich]

20時開演がありがたい、70分。18日までギャラリーしあん

平成が終わる頃、大学の教師に云われ、かつてこの場所で行われたことを彼女が書いた日記を読みにくる学生。この場所にまつわる謎解きがかかれている。
昭和が終わる頃、山奥なのに海産物で財をなした名士が、大きな家を売ってでも海外の古書を買う。この場所を買った家の若い息子は友達の大学で勤める女に宿を貸す。庭には二十歳になっておとなしい女が訪れる。名士の娘だ。

全体の雰囲気はファンタジー、時々ミステリー風味。 山奥なのに海産物で財をなした地元の名家にまつわる秘密、あるいは人魚のミイラをフナとサルから偽造して土産物として売っているこの土地。山と海を水が繋ぐ物語。ミズウミ、というタイトルもまた、山間なのに海を感じさせる言葉で物語の雰囲気によくあっています。

何百年も生きている若く見える女、婿で入った男、妻が産んだのは、みたいなミステリーの要素を点描し、それに関わってしまった人々の苦悩とか、没落していく人々だったり、軽い気持ちの謎解きだったりとさまざまな人々。正直にいえば、登場人物がわりとバラエティにすぎる感じ。全体の雰囲気はさすがにキレイに統一されてるのに、人物造形という意味の演出をバラバラに感じて違和感を覚えるアタシです。

声の小さな内気な女を演じた堀江やまの、この空間ゆえの、か細い声がいい。劇団員の女優が透け見える気がするのはご愛敬。地元の名士を演じた山森信太郎、実はこの世界の主役をきっちりと背負うちから。助教授を演じた瀬戸ゆりか、序盤のうざったさには辟易したのだけれど、それが徐々に癖になるような凄み、何より目がキラキラした狂気が印象的。

アタシの友達は、肋骨蜜柑同好会と共有している架空の世界、どう辻褄というか影響するかが気にかかると。なるほど、公開書簡かなぁとおもったりも。

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【芝居】「キョーボーですよ!」チャリT企画

2017.6.11 15:00 [CoRich]

13日まで新宿眼科画廊、地下。70分といいつつ60分ほど。まさに共謀罪が国会で扱われるドンピシャなタイミングの一本。あのテレビ番組のグラフィックに似せたチラシデザインが実に秀逸。

共謀罪も憲法も変えられた日本。脱原発や憲法9条にこだわる集会に顔を出しているメンバーが居ることを理由として共謀を疑い、サークルメンバーを密偵に監視を続ける警察。サークルのこの形に違和感を感じるメンバーも居たりする。

料理サークルではあるけれど、サヨク寄りのメンバーの多いサークル、やむにやまれぬ社会への問題意識や草の根の些細な活動する人々。目をつけられれば余罪を調査し罠にはめるように行き過ぎとも思える捜査がたとえ立件に至らなくても、それはやがて物言えばくちびる寒くなる感覚が広がり、云いたいことを云わなくなる時代の始まり、という流れをシンプルに、多くの笑いを交えて描きます。 そんなことしたても(たとえば昨今主流の一匹狼型の)テロは結局防げないじゃないか、という終幕の語り口は明確に作家のイデオロギー。

1時間ほどの短編とはいえ、チャリTならもっとやってくれると思ったけれど、ちょっと食い足りない感じは残ります。世の中でいわれている問題点の指摘をわりとそのまま並べてストレートに芝居にしただけ、という感じではあって、そういう意味では物語そのものに新鮮な驚きはなくて、行き着くべきところにいきつくだけ、という感じではあります。それでも、明確なイデオロギーを乗せて軽い語り口で話を語る彼らの存在は間違いなく貴重な一本。 「でんでん」とか「もりかけ学園」とか揶揄して笑い飛ばす新聞読みな作風は変わらず健在で、そんなあの人の存在にちょっとため息も出てしまうのだけれど。

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2017.06.19

【芝居】「九回裏、二死満塁。」パラドックス定数

2017.6.11 15:00 [CoRich]

来年は風姿家伝での一年間のシリーズ上演が決まったパラ定の新作。 18日までテルプシコール。100分。

廃校になって数年が経った村立高校のグランド、当時の監督の法事に集まるに集まる野球部OBたちは四十歳になろうとしている。この野球部がたった一度甲子園に進んだ時のスタメンたち。 一回戦敗退のあと不慮の死を遂げた投手の話をするうち、キャプテンはあの奇跡の甲子園出場は八百長だったことを告白する。

集められた野球部OBたちの会話と彼らを見守るような二人の死者たちの現在を起点に、地方大会優勝し甲子園で敗退し戻ってきたあたりを中心にした当時のシーンを織り交ぜ、実にスムーズに時間を行きつ戻りつしながら物語が進みます。

あのとき、間違いなく時間を共有した野球部のメンバーもOBとなり一部は地元を離れ、野球部も高校そのものも無くなって徐々に遠い記憶となりつつある日常。それでも再会すれば歳をとっても当時と変わらないままのじゃれ合うことができるのは間違いなくあの時があったからだし、あれがあったからこそ、今でも言いたいことが言える距離感を保てていて。 その貴重な共有した時間すら失うことになりそうな、ずっと言えずに抱え込んできた秘密を打ち明ける決心は、時間が経ったからなのか、あるいは監督が亡くなり断ち切る決心ができたからなのか。

パラ定といえば、ワタシには史実を下敷きにその隙間の男たちの生き様を描くスタイルが印象深く、まったくの創作を起点にするとちょっと喰足りなさを感じるアタシです。当日パンフによれば作家は野球のルールすら覚束ないなかで書き始め、なるほど参考文献に挙げられるのもルールの解説とか入門書。結果、20年にわたるそれぞれの男たちの人生の時間の流れが濃密に醸された物語になっているのです。

地元に残ったOB(神主という設定が絶妙)を演じた小野ゆたか、軽さの中に学校と神社しかしらない、つまり地元しか知らない自覚の奥行き。 こつこつと歩む実直さが絶品。キャプテンを演じた植村宏司のまっすぐな造形は抱え込むことの説得力。デットボール王子を演じた井内勇希は人なつっこく、笑顔がかわいらしく、大人になっていてもこの野球部の裏を最後まで知らなかったイノセントな立場をしっかり。ホームラン打者を演じた西原誠吾はきちんと野球に向き合い続ける人生の説得力もさることながら、高校生時代のシーンでふざける姿が実にいい。投手を演じた皆上匠は初めて拝見するけれど、高校生時のまま時間が止まったような若い雰囲気がまた深みを。監督を演じた佐藤誓はもちろん抜群のプロフェッショナル、この規模の劇場だからこそ伝わるちょっと困った時の細かな表情もまた贅沢に楽しめるのです。

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【芝居】「僕が見ている世界は歪んでいる」螺旋階段

2017.6.10 15:00 [CoRich]

小田原の劇団。アタシは初見です。95分。11日まで青少年センター。

5歳で隣に養子に出された弟。産みの母親と兄は二人暮らし、兄は家を出ようとしている。育ての家には姉が二人と父母で明るい家だが、養子として育てられ20歳が近づき、鬱積してきた不満をぶちまけようと考える。 二つの家庭の場所と、同級生たちと話す外らしい場所、20歳が近づいた最近と子供の頃から育ってきたさまざまな場面を行きつ戻りつ描きます。正直にいえば、行き来する時間を分ける演技も演出もあまり明確になされないために少々混乱するアタシです。口調とか照明とか簡単な方法もありそうなものですがストイックなほどそういう分かりやすさに走らないのは何かのこだわり、という気もしますが。

当日パンフによれば、作家自身はコメディとして描いたのだというけれど、養子とかその家族のいびつさを静かに描く今作を誰にも受け入れられるコメディと感じ取るのは難しい。もちろん書いた作家自身にとってはそれは切実で日常で、笑っちゃうようなことかもしれないけれど。 5歳から20歳まで育ってきた養子、少々いびつで歪んだ家族の中で育てられたという感覚を吐き出すことなく、あるいはすぐ隣なのに産みの母親にも会わず、内に鬱積を溜めてきたこと。おそらくは彼にとってはそういうさまざまないびつさ、歪みを持つ人々の特殊な状況で育てられててきた自分、と世界を見ているということ。

主人公たる彼に見える人々の視点で統一して描かれる人々が「主人公にとっては特殊に見える人」なのか「客観的に癖もあって特殊な人」なのかが見えづらい気がします。台詞として「誰もが特別なのだ」ということがどう見せられるか、がポイントなのだけれど。まあ言うだけの観客は気楽なものですが。

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【芝居】「愛を喰らえ!!!(東京編)」ヒロシ軍

2017.6.4 15:00 [CoRich]

長崎を本拠地とする劇団、ワタシは初見です。九州のショーケースイベントで去年は最下位、今年は十年目にして優勝というイキオイで初めての東京公演。4日まで王子小劇場。75分。

共演をきっかけにつきあうようになった男女。二人とも役者で売れたい夢があるが、女はあるきっかけで売れ始めるが男は芽がでないままバイトの日々を送る「愛してる」
ずっと友達関係のままだった男女。男は先が読めないから告白が怖く、女は愛はあるのだから告白を待っていて、果たして二人はつきあうことになる。家を訪れるデートの日、女は突然の多量の出血、男の家の前で倒れる。男は嘆き悲しむが「一寸先はYummy!!Yummy!!」
女が二人待ち合わせる。紹介されたメイクアップ教室があまり良くなかったという一人、口論になるが「キレイはつくれる」
役者をあきらめテレビ局のADとバイトに明け暮れる日々の男。テレビショッピングのアシスタントの女性タレントには夢があり役者になりたいと思っているが、共演者のだめ出しもきつく、オーディションに落ち続け罵詈雑言を浴びせられて落ち込んでいる。男はなぐさめようとし、バイトの現場を見せて勇気づけようとするが、女は好きだといわれてもぜんぜんそんな気持ちにならない「まみれまみれ」

短編四本を一時間強、コントなのか演劇なのかの区別はあまり意味がないかもしれないけれど、男女の不器用な愛情がほとばしるさまを荒削りに、しかしともかく熱く語りきるのです。

今年の演劇イベントで優勝したという「愛してる」は、共演からつきあうようになった役者二人の互いの愛情、女だけが売れはじめていくギャップを抱えながら変わらない互いの恋心を全12話のワンカットを並べた、という体裁で描きます。「キムラタクヤ」という同姓同名ゆえに話しのきっかけにはなるけれど、「名前負け」といわれがちということがちょっとコミカルで、しかしほろ苦く。終幕、踏切で愛してると叫び会う男女の気恥ずかしいほどのまっすぐさ。

同じイベントの前年で上演され最下位におわったという「一寸先はYummy!!Yummy!!」もまた、男女の恋物語。永く友達だったふたり、初めてのデートの直前に二人を襲う出来事。唐突に多量の出血で倒れ、唐突に歌に台詞を載せ、あるいは唐突に奇跡が起こったりと、荒削りにもほどがあるつくりだけれど、それをイキオイで乗り切ってしまうだけの熱量はたいしたもの。いつまでも使える手ではないけれど、細かい嘘に拘らずにすっとばすという思い切りの良さも短編ゆえの味わい。 時が経ってからではなく、いまここで起きたことをわらいばなしにしてしようというタイトル、ちょっとキャッチーで印象に残ります。

女二人の意見のささいな違いをワンカットでごく短く描く「キレイは作れる」はどこかのカフェであったかもしれない会話の一本。物語そのものはすれ違った口論のヒートアップ、それをクールダウンするかのような煙草の存在。ツクリモノっぽい極端なキャラクタもさることながら、喫煙で足を踏みならし派手にスパスパするリズム。全体に強くデフォルメを効かせてごく短くつくりあげています。

一本目の続編だと謳う「まみれまみれ」、夢を半分あきらめて日々の生活に埋没した男。懸命に夢に向かう若い女の姿に過去の自分たちが重なり見えるよう。応援する気持ちは好意になり、しかしそれは受け入れられないほろ苦さ。ケンタッキーフライドチキンを思わせる調理アルバイトのシーンは、日常のルーチン化された生活を思わせます。同じことのもう一度の繰り返しには想いが重なり、強烈な熱量を帯びるのです。

ちょっと甘酸っぱく不器用な人の物語を描く彼ら、確かにパワフルな反面、荒削りでもあるのだけれど、わずか一時間の間に彼らのことがいとおしくなるような不思議な魅力があります。作演を兼ねる荒木宏志は不器用でパワフルを牽引し、中村幸はヒロインという説得力と時にコミカル、時にパワフルを併せ持ちかわいらしい。 九州での公演はもっと人数も居るようですが、東京公演の出演者は2人。 トークショーによれば、とにかくステージ数が多くて、毎週のようにどこかで上演を重ね続けているという地の力を感じさせるのです。

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2017.06.17

【芝居】「黒塚家の娘」シスカンパニー

2017.6.3 18:30 [CoRich]

能「黒塚」をモチーフにしたオリジナル戯曲。 11日までシアタートラム。85分。

森で迷った牧師の男は老婆に教えられ霧の中大きな屋敷にたどり着く。そこには若い娘と年老いた女が住んでいる。開かずの扉の向こうには多くのむくろが眠っている。

人の肝を喰らい生き続けてきた老婆という “安達ケ原の鬼婆伝説”(wikipedia)を由来にした能「黒塚」(wikipedia)を下敷きにしつつ、キリスト教の牧師をめぐる現代風にアレンジ。ホラーめいた伝説がもとになっているのにもかかわらず、全体にコミカルで掛け合いの面白さ。

スピノザ派、に属するという牧師の設定は神がわざと人間を不完全に作ったのは、完全を目指して成長するためだ、という視点のものとして登場するシーンは、少々スノップな香りを漂わせてわりと苦手なアタシですが、商業演劇客層を狙ってか、全体のコミカルさが気楽に観られるコンパクトな一本を作り出すのです。 視力が弱いから、ということだからこそ明かされる母娘の隠された真実。研ぎ澄ませて対峙すれば真実は見えてくるというファンタジーを背負う男を演じた高橋克実の飄々と軽い感じと、ゆっくりと語り真実味溢れる感じを自在に行き来するすごさ。鬼婆を演じた渡辺えりは時にとぼけた雰囲気だったりも垣間見せたりして印象的なのです。

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2017.06.14

【芝居】「粛々と運針」iaku

2017.6.3 14:00 [CoRich]

2014年に初めて観て以来、アタシの中で確固たるiakuにハズレ無しが更に更新された一本。 6日まで新宿眼科画廊。90分。

兄と同居している母親に癌が見つかり入院した。結婚して家を離れていた弟が実家を訪れる。母親に初老の紳士を紹介される。恋人らしい。兄は実家暮らしでバイトのまま40歳になっている。母親が尊厳死を考えていることを聞かされ死を意識する弟と、それを考えるのもいやな兄。
ローンで一軒家を買った夫婦。妊娠しているかもしれないと打ち明ける妻。妻は課長代理になり稼いでいるし仕事を続けていきたい。夫はアルバイトあがりのファミレス社員。子供を作らないことで夫婦は同意して結婚したが、産みたくないと考える妻と、いざ妊娠が目の前にくると産んだほうがいいと考える夫と。

生と死をめぐり、兄弟と夫婦の二組、もうひとくみ女性たちの会話。後半で交わるような議論は交わしますし、女性二人を介してそれぞれの組は繋がりますが、物語の上で兄弟たち、夫婦たちのつながりはありません。 夫より収入の高い妻、あるいは定職に就き結婚し子供も居る弟と実家で親と同居のアルバイト生活の兄。男性がとか年上がより社会的に強者であるという一般的な構図を崩した二組が物語の骨格になります。 これらの背景を会話のなかで自然に小出しに提示していく前半、まるで丸太から人物を彫り上げるよう。もう一組の女性二人はちょっと謎めいて詩的な会話が続きますが、後半でその、ちょっとメタでファンタジック視点を織り込みます。序盤では三組の会話が代わる代わる、直接の関係を持たないまま断片が並ぶのだけれど、驚くほど飽きずに物語に自然に載せられている事に気付くアタシです。会話の口調のリズム、テンポの良さもまたそれを支えて居るのです。

兄弟の会話の核となるのは、大人になり死にゆく親の世代を看取る側になった世代の立ち位置。アタシはこの兄に近い感覚で、独立してはいて、切迫はしていなくても確実に親は歳をとり衰えていきつつあることを頭で判っていても、まだ受け入れがたい、ということ。それなのにあの手この手でモラトリアムを続けているこの兄の姿はアタシに重なり、身につまされるのです。

そこにひと味、母親に現れる恋人の存在はアタシには身近な感じではないけれど、親は親というだけではなくて自分とは独立した人生を歩む人間の一人なのだ、ということを強調するのです。

もう一方の夫婦の会話の核は、これから生まれてくるかもしれない子供のこと。それは夫婦にとって「子供を授かることが絶対的な正義とは云えない」ことを理解出来るか、あるいはそれを口に出して云うことができるかということ。子供を産むことが是だと云われて久しいけれど、子供を持ちたくない、という気持ちをもってしまったものをどう捉え、受け止めるか。

物語はその「子供を持ちたくない」気持ちの在処を丁寧に解きほぐしていくのです。 妻の強い意志の奥に見えるのは完璧に出きるからこその臆病な気持ち。それは自分のカラダとカラダから産み出されるものが自分ではコントロールできないことと、その責任をもつということの恐れ。もちろん、アタシには本当のところのその気持ちはどこまで理解出来るか判らないけれど、妻の気持ちをすくなくとも客観的な物語として腑に落ちる形で受け入れられるように語る語り口の繊細さとある種のしたたかさは作家の圧倒的な力を感じさせるのです。

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2017.06.09

【芝居】「レモンキャンディ」匿名劇壇

2017.5.28 18:00 [CoRich]

大阪の劇団、あたしは初見です。大阪の後、29日まで王子小劇場。85分。

何かのプロジェクトに参加していた男女。トラブルにより乗組員を乗せたまま落下している。計器によれば激突まであと7日ぐらいある、らしい。

チラシにあるような筒状の居住空間を持ち、落下し続ける空間。全体が強い傾斜になっていて、いくつかの扉と壁で囲まれた閉鎖空間、大きなテーブルといくつもの椅子で役者には相当に負荷がかかるものと想像します。衣装や装置は白基調で統一され、どこか近未来感。ともかく落ち続けるという大きな嘘で作られた世界。落下し続けるのだから無重力になるんじゃないかとかというツッコミは劇中でもされるけれど、そもそも宇宙すら一人を除いてピンとこないという嘘は相当なもの。大卒は一人だけで他はいわゆる学がない、という設定で乗り切る強引さは、上演時間をコンパクトにまとめますが、少々無茶な感じでもあります。

研究者、風俗嬢、ホスト、何かの治療を受ける人、宗教のコミューンで育った人、社会問題という名前のアイドルグループの一人、そのファン、肉体派のスタントマン。職業に対しての貴賤を感じさせる語り口は少々癖がありますし、レイプに対しての怒りは描かれてもそれがわりとあっさり忘れられてしまうのも少々違和感があります。死ぬと思った人々がなにをしようとするか、あるいはその場あつまった人々がどうやって生きてきたか、をカプセルに入れるように物語を運ぶのです。

アタシの拝見した回のトークショーは土田英生で、やはり宇宙を知らないということの嘘の指摘で、それだけで物語がかけてしまうぐらいに相当なことなので、いっそそういう混乱さまざまをばっさり切ってもいいという指摘。あるいは社会問題というグループが歌う歌の歌詞は面白いものの、現実にリンクしていて、虚構の空間が作りづらい、という指摘に目から鱗のアタシなのです。

思えば、このスタイリッシュさ、物語運びのスピーディーさ、あるいは女優がわりと美しかったりということ、あるいは関西の劇団ということからかつての劇団・MOTHERを思い出すアタシです。当日パンフに役者名はあるものの、役名が無いのはあんまり巧くないけれど、そういえばMOTERもそこは無頓着だったなぁと思い出すのです。

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2017.06.08

【芝居】「GIRLS」(A) MU

2017.5.28 14:00 [CoRich]

メンバーが替わり四人体制となったMUの再演作、乙女心をテーマにした三本を中編+短編で二バージョンにて交互上演。30日まで雑遊。100分。

オークションで競り負けたストレスに弱い青い鳥に焦がれる元教師で親の遺産によって大金持ちの女。暇をつぶすかのように男を買っている。青い鳥を探し続けるかつての恋人にはまだ見つけられない。女が本命の売春夫は青い鳥のホワイトバンドで一儲けし、さらには鳥を探す旅に出る。女に惚れている売春夫は報われず、斡旋業者からはガチ恋は禁止だといわれている。
「めんどくさい人」
女子高生とラブホテルでの投稿写真撮影を続ける中年男。借金をしてでも「女子高生としての適正価格」で支援したい男は女が声優になりたいと聞き、芸能人を目指した方がいいのではないかという 「スーパーアニマル」

ベッドになったりソファになったりというファブリックを中心に、壁に埋め込まれたり幕間を示すサインボードをネオンで作り、色っぽくスタイリッシュな仕立て。

「めんどくさい人」は他劇団、MUでの上演があったようですが、ワタシは初見。男勝りな強い口調の女、男を買ってでもという強気さ、それに傅く男たち。欲しいものは手に入れ続けてきたマッチョな女なのに、手に入らない青い鳥を渇望する気持ち。彼女を愛する三人の男たちもグラデーションで、ひたすら愛情押しだけで女を待ち続けてみたり、あるいはその青い鳥を手に入れることで女の気持ちを見たそうと考えたり。芝居をやっていて金がないからデリボーイこと売春夫になった二人の間にある羨む気持ちだったりちょっと面倒くさいと思う気持ちだったりの細やかさ。

ストレスで死んでしまう儚い青い鳥は、実はすぐ隣に居るのに気がつかない女、終幕、金が無くても愛してくれるか、話しを全部きいてくれるかと打ち明けるシーンが美しい。

青い鳥を探し続ける女を演じた真嶋一歌はチラシでも印象的な見目麗しさは凛として美しく、追い詰められたような高いテンションを維持し続ける体力、終幕で見せる可愛らしさも印象的。青い鳥のホワイトバンドで儲ける男を演じた橋本昭博はチャラさが見え隠れする中で見せる芯の強さの余裕。売春業者を演じた兎洞大もただならぬ雰囲気が印象に残ります。

「スーパーアニマル」は2015年のホテルミラクル短編集の中の一本。声優になりたいという女の気持ちに、タレントになったほうがいいという男。成長する他人を見いだして囲っていたから満たされる自尊心という物語のコアは変わらず。中年男を演じた成川知也は病的なほどに中年のいやらしさを目一杯に、ちょっとお腹いっぱいなほどに。女子高生を演じた温井美里の男を惑わせるのに達観したフラットな小悪魔感がやけに説得力を持ちます。

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2017.06.03

【イベント】「風乃キヲク」(月いちリーディング / 17年5月)劇作家協会

2017.5.27 18:00 [CoRich]

劇作家協会が戯曲ブラッシュアップを目的にリーディングとディスカッションで構成する定期企画。戯曲冒頭部(pdf)や記録動画(YouTube)があります。

廃工場らしい場所。派遣でリストラされた人々。社長の息子を誘拐してきた。声明文を送り、受け入れられない時はテロを行おうとしている。大人数の前ではうまくしゃべれない男や会話に関係ないことをはなす女もまた、派遣切りされて人々に混じっている。

正直にいうとあたしには少々とっつくのに苦労しました。派遣切りというきっかけはともかく、誘拐やテロといったかなり大がかりなことを仕掛けようと考えるわりに全体に行動が行き当たりばったりで稚拙で、観客であるあたしが誰に寄り添って物語に乗っていけばいいかと惑う、という感じ。もう一つはたぶんあたしの集中力散漫だけれど、この物語でメインに語られている物語が、冒頭と終幕で未来の視点に居る二人が現場の廃工場を訪れて描かれている回想の体裁で描かれていることを聞き落としてしまったことにあるかもしれません。

この手のとっつきにくい芝居でもありがたいのがブラッシュアップ、つまり上演後に設定されている観客を交えた議論の場です。いくつもの意見がでましたが、アタシが腑に落ちたのは、この物語を「若い男が、さまざまな大人の姿をみて成長の糧を得たあの現場を回想している」つまり、成長の物語だということでした。なるほど、木訥だけれど誠実で理想に燃えるリーダーや、リーダーが好きでたまらない女、控えめで調整力があって補佐をするスマートな男だったり、若くて跳ね返りな女などさまざまな人間模様をある種観察し、過去の時点ではうまくしゃべれなかったけれどきっと成長して二人でこの場所を訪れることができるようになったこと。じっさいのところ明確な成長のポイントは描かったりするのも歯がゆいけれど、彼にとっては間違いなく強い印象を残した場面、ということだから、ということはなんとなく理解できます。

初演時点で借景を用いた上演を行うことで精一杯で戯曲の強さに不安を覚えたことが作家がこのワークショップに参加した目的だとはなします。参加者はサポートしながらもいくつもの指摘。とりわけ、派遣切りとはいいながら、終幕打ち上げと称して呑みにには行くぐらいには心と経済の余裕があることと(サークル活動なのでは、という指摘も面白い)、誘拐やテロという物事の大きさとのギャップという点は、私にとっても違和感の大きなものでした。この芝居全体が何の話なのかが私にはとらえきれなかったことの大きな理由の一つです。それが成長の物語なのだ(戯曲の外で)補助線を引くととすると、その幹はみえてくるようにも思います。

会話の脈略とはほぼ関係なく、しかし部分的に、あるいは文脈的に奇妙な合致を見せる女の唐突なせりふも、私には厳しい。これも席上指摘のあったように、派遣で働いているならおそらく指示を受け作業はできるけれど発話という形で表現できないということかもしれません。派遣の人々が彼女のいってる真意はなんとなく理解できるというのもそれを裏付けます。が、そういうある種物語に特殊な役をここにおくための理由がワタシには欲しい。 この役を演じた役者・橘あんり が、文脈に関係ないことを延々せりふとして発話するためには、演ずる側にも少なくとも内面の理屈や動機が必要で、それを見つけることに苦労した、という話は印象的でした。

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2017.06.02

【芝居】「猫は地球を見て美しいと思わないよ」あひるなんちゃら関村個人企画

2017.5.27 14:00 [CoRich]

あひるなんちゃらの関村俊介による個人企画。二人芝居の短編というフォーマット。40分。28日までanima。

おじさん二人が座っている。一人は大学受験を目指し、一人はその友達で家庭教師がわりに勉強を教えている。テストの点はひどいもので進捗も芳しくない。が、大学に入って宇宙を目指したいと本気で思っていて。

あひるほぼ常連のおじさん二人、安定の一本。たとえば呼び名についてわちゃわちゃするある種のホモソーシャルな可愛さはもうずっと見ていたい雰囲気なのです。

宇宙飛行士がみんな地球は美しかったと感想を述べるのは、国家予算をつぎ込んで宇宙に送り出されたのだからそういわないわけにいかない、(宇宙にはないけれど)空気を読んだ結果なんだ、というさりげない会話のおもしろさを、でもこれだったら猫でも美しいと思うという終幕とのリンクの見事さ。

狭い劇場だけれど、たとえば通路だった場所までいすを移動してゆったり見せるとか、開演前に板付きのこの役者が見える場所ならば大丈夫という、演出自らが案内するからこそできる細やかな心遣い、が実にうれしい。

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【芝居】「はんかくさい奴らの夜明け」肯定座

2017.5.26 19:30 [CoRich]

100分。30日まで駅前劇場。

入院病棟のナースステーション前。夜も遅くなってきている。いろいろな人々が通う。 オリンピックに出られなかった体操選手、余命数ヶ月と宣告された堅物の男、軽口を叩きながら小説を書く男は実は素人童貞だ。あるいは女にだらしない療法士、元地下アイドルのシングルマザー看護師、いい年齢になり子供がほしい看護師、あるいは女医。

夜中から夜明けまでの入院病棟フロアのナースステーション前、短期間居合わせる、たまたまの偶然のコミュニティの人々。それぞれに思うことあるし、夜中なのに酔っぱらいでもなく、しかし基本的には安全な状態で他人と顔合わせること、あるいは夜中故に男女の関係がちょっと頭をもたげたり。何かが起こりそうなこと。

じっさいのところ、本作、突飛なキャラクタ(更には中国人とロシア人のハーフの純朴な女とか)をたくさん用意しつつ、生真面目な男と美談の体操選手、男にだまされる女たち、素人童貞と占いの女という三組の物語を核にして進む物語です。正直にいえば、一つの場所を共有しているというだけで物語それぞれが別々に進んでいて、盛りだくさんな話題のわりにそれぞれのつながりに欠ける感じがします。少々登場人物が多いという気がするけれどどうだろう。中止になった東京オリンピック、という意味深な設定もそのままでちょっともったいない。

終幕、男にだまされていた女たち、夜明けを迎えて笑うというシーンは前向きで何かが一皮むけたようなさわやかささえ感じるいいシーン。だまされた、といっていても薄々感じてたというぐらいには大人の女たちという匙加減の絶妙さ。

女医を演じた菊池美里はいわゆるおもしろいことをしない、フラットな造形が板に付いてきたようで頼もしさすら。井口千穂が演じた美人なのにあんまり男に恵まれてない看護師、という雰囲気が実によくて。ほぼヒールを一手に担う軽い男を演じた久我真希人はモテというよりがさつさが勝る造形でおもしろく、体操選手を演じた椎名茸ノ介は足の怪我を文字通りの腕力で何とかしちゃうのがまるでサーカスのようで思わず声がでるアタシです。素人童貞の軽口の男を演じた安東桂吾はフラットな優しさ、安定の役どころ。

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