【芝居】「城塞」新国立劇場
2017.4.23 13:00 [CoRich]
安部公房、1962年。ワタシには初見の戯曲です。休憩15分を挟み145分。30日まで新国立劇場。
戦時中、秘密の電気槽工場を持ち戦争成金となっていた父親は敗戦直後、病気の妻と娘を朝鮮半島に残したまま息子と二人で秘密裏に帰国しようとしたその瞬間で時間が止まったまま狂っている。その仕事を継いで会社を経営している息子は父親を邸宅の一室に閉じこめ、まともな会話が成立する唯一の場である敗戦直後のその場面を発作が起こるたびに繰り返し演じている。そのときに自殺した娘を演じるのは長い間男の妻の役割だったがそれを拒絶され、若いストリッパーの女を雇い演じさせることにする。
会社経営の一部を担う妻は、狂った父親に捕らわれたままの夫に見切りをつけ禁治産の処置を執ろうとするが、夫は父親の入院に同意する。父親との最後の会話をしようと発作を待ち受ける。
極端にパースのついた一室、中央の床面が少し高くなっていてそこにスライド式の扉。奥にはカーテンのかかった窓と両側に扉といくつかのイス。序盤では敗戦が決まった直後に妻と娘を見捨て息子とともに先に帰国しようという画策する父と息子の会話。いくつかの場面を進めるうちに、実はもう戦後の復興を成し遂げた日本で狂った父親が時折発作的に繰り返す「儀式」なのだということが語られます。父親が持っていたいわゆる秘密工場が戦後の復興の中で大きな儲けを生み、この家族がブルジョアな生活を送っていることが語られます。
語られる場面は、その繰り返しの中でのいくつかの変化が起きた時点。一つは妻が演じていた妹の役をストリッパーに依頼するという外部の視点、もう一つは妻が夫に見切りをつけることが現実のものとして見えてくること。戦後、本意ではないまま、しかし父親に固執してきた息子がその固執から離れ父親を「見捨てる」決断をするまではいわゆる「父殺し」の強固な物語の見応えに唸るのです。
男を演じた山西惇、苦悩するのだけれど部分部分はコミカルでもあって、その人間臭さが奥行きを持ちます。妻を演じた椿真由美はフラットで居続けるブルジョアの女を確固とした姿に。父親を演じた辻萬長は敗戦の記憶と現在の痴呆の姿の振り幅。仕える男を演じたたかお鷹は、ストリッパーを連れてきたり父親から息子への乗り換えなど俗物っぽさが印象的。ストリッパーを演じた松岡依都美のスタイルの良さに目を奪われ、ある種の狡猾さを会わせた奥行き。
重いテーマの話しではあるけれど、思いのほか軽快な語り口で見やすく楽しめる一本なのです。
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