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2017.04.15

【芝居】「ノドの楽園」studio salt

2017.4.8 14:00 [CoRich]

劇団として初めての神奈川芸術劇場(KAAT)進出。大スタジオ。9日まで95分。

港を望む公園。ホームレスが寝ていたり泣きはらす男が居たり、楽器を練習してる女が居る。高校生たちがじゃれ合い、息子が心配な母親の待ち合わせ、学校に行きたくない女子高生と祖母、浄水器が売れない女や猫を探す女、ドキュメンタリーを取材したいカメラマンが行き交う。
白い灰が降る。線量が高く人々は立ち入らない地域になっているが、それを気にせず、かつてはここを行き交っていた人々が野菜を作ったり行き場を失った人々がここで暮らしている。

2011年5月上演の「ビタースイート」に含まれる、「もろきゅう」では、被害地域で一人野菜を作る男を描いていましたが、それを多くの人々に広げ、群像劇に仕上げたよう。

公園や港、象の鼻パークなど近くの地名を織り込みつつ公園という場所をしばらく描く序盤。ホームレスやフルートの練習、座ってたたずむ人々を置きつづけつつ、そこを通り過ぎる人々を描きます。ホームレスや同級生を苛めつつもキラキラと輝いている高校生、何かの不満や不安を抱える不登校や祖母、弁当のために偶然通りかかりこの場所で運命の人に出会う男。着地点が見えないまま描かれる日常の風景は芝居の中では出発点の平地を描く機能を担います。終わりが見えないほど静かに置かれる点描は、ワタシにとっての本物の日常と同じく長く退屈でどうしたらいいかわからない時間だったりがしますが、そこにあるのは確かにある種のリアル。

暗転のあと、白いモノが降り、Tシャツ(前回公演のキャストが着てた公演Tシャツも混じってるのは楽しい)が干され、この場所でバーベキューよろしく料理していたり暮らしていたりの風景。外の世界と隔絶された場所になってはいるものの、ちょっと足を延ばせばコンビニはあるという程度の距離感。最初は降っているモノの正体はあかされないけれど、少し経って白い防護服の人々が現れ放射性物質ということがあかされます。

外から人が入ってこなくなった公園に住まう人々には外から逃げてくる理由があったりなかったり。 寝てばかりで無気力だったホームレスの男はイキイキとココの長を自負し、宇宙人を自称し不登校だった女子高生はおそらく認知症となった祖母に寄り添い、スクールカーストが高そうな女子高生は妊娠し苛められていた高校生と仲良くなり、DVから逃げた妻を前に夫はひれ伏し、浄水器が売れず泣いていたスーツの女はモノを運んで金を取るシンプルな経済活動を図太く行い。ガラパゴスよろしく隔絶された世界だからこそ、それまでの生活とはくるりと立場がひっくり返る感覚。

客観的に見れば、この場所は生きるのに必ずしも適していないのだけれど、ここではない何処かならば自分は生きていられるという実感が得られる場所がある、ということ。ワタシが歳を取ったからか、あるいは何かの自信のなさななのかどこかワタシの気持ちに寄り添われる感じがするのです。生きづらい人々をえがくことの多い作家ですが、特殊な状況を前にくるりとひっくり返る今作はとりわけその生きづらさを浮かび上がらせるのです。

大きな舞台にきっちり建て込まれた舞台装置。たくさんの人々を描くための沢山の役者。正直にいえば、多い役者には芝居にもバラツキがあったり、エピソードが多すぎて一つ一つを作り込めないなど なかなかクオリティとしては難しいところもあります。何年も劇場を離れデザイナーズアパート、古民家などでの上演を続けてきた彼らの、ある覚悟を決めたリブートの一歩、しっかりと見届けられてうれしいと思うのです。

DV夫を演じた東享司はいけすかない男の造形を後半でなりふりかまわなくなる漫画のような姿の滑稽さ哀しさ、明確にDVでもそういう形でしか愛情を示せなかった男の悲哀。ホームレスを演じた浅生礼史はただ居るだけという前半の気力の無さ、後半の打って変わっての生き生きとした前向きの落差が楽しい。ゲイのタクシー運転手をを演じた鷲見武は柔らかな造形、立ち上る存在感が印象的。

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