【芝居】「ダズリング=デビュタント」(日本画版)あやめ十八番
2017.4.22 14:00 [CoRich]
23日まで座・高円寺1。150分。おそらく物語の骨子は同じで配役の一部と衣装を変えた2つのバージョンを交互上演。
医者が柘榴痘と呼ばれる性病のワクチンを発見し、学会に認めるよう訴える手紙。まだ受理されていない。
その、ワクチン発見までのあれこれ。貴族たちの屋敷。友人に招かれたパーティ、娘のデビュタント、地下の仮面舞踏会の余興は、柘榴の病魔に犯された夫婦を見物することだったが、その感染症は貴族たちにも波及する。デビューした娘の婚約者もまた。
屋敷の主は娘を出かけさせた間に火を放つ。惚れ込んだ妻が醜くなる自分を殺すように頼んだのだ。
残された娘に医者は再び治療を誓う。医者はいろいろな人々に話を訊いてまわる。火を放った屋敷の主が結婚し戦争で手柄を立てるが出征中に妻が別の男の子を身ごもったこと、兵士たちの話を聴きやがて教会とよばれるようになる娼婦のこと。
めきめきと物語る力をつけてきた作家です。全てを拝見しているわけではありませんが、まるで大河ドラマか海外ドラマかという大作で拝見するのは初めてではないかと思います。団子屋の話のような、日常の地続きの温かい話がどちらかといえば好きだけれど、今作のようなスケールの大きな物語を紡ぐ力は、これで食っていくという意味では明確に力になると思います。 天井の高い座・高円寺1は、三鷹の星のホールと同様、小劇場の物語では厳しい仕上がりになりがちな劇場です。今作では、大きく掲げた肖像画だったり、天井近くのキャットウォークを数は少なくても要所を押さえて使うことで広い劇場ゆえの効果的な使い方がきっちりできているのです。
交われば顔が醜く腫れ死に到る架空の性病を設定しその治療を行う医師を語り部とした物語。 ワクチンを発明した医者は未だ学会に認められずその嘆願をするための手紙という体裁で一番外側を包みます。前半はその病気の広がり軸に下司な貴族たちの余興からほころぶ退廃的な様子と悲劇を描き、後半では生き残った一人の病魔を救う物語を軸に、前半で影が薄かったのに唐突に屋敷に火を放ったように見えた侯爵がどうしてそうなるに至ったかの長い苦悩を描くのです。長い上演時間、二つの大きな物語を描くため、あるいは二つのバージョンでの配役のためとはいえ、少々登場人物が多すぎる感はあるのですが、それが気にならないぐらいにしっかりとした大きな物語を語りきった、というのは大きなことだと思うのです。
退廃した貴族たちを描く前半の設定は新劇のような(成り上がり者の葬儀屋という存在が巧い)な設定だけれど、性病やその罹患者の存在はどちらかというとアングラの雰囲気。不治の病魔に冒された存在を描くのは架空とはいえ、部分部分は現実にリンクしてしまうので観ている観客のポリティカルコレクトネスに依存して違和感を生みがちで高いリスクを持ちがちですが、今作はそういう違和感を感じさせないのがたいしたもの。
休憩を挟んだ後半は、侯爵という人物一人にスポットを当てます。木訥ともいっていい恋文を書く代書屋や、抱えた心の闇を懺悔させる「教会」と呼ばれるに娼婦を通じて前半では目立たなかったこの侯爵の真摯な人物を丁寧に造形していきます。そういう意味でこちらは小劇場的な仕上がりを感じさせます。演出のスタイル自体はそれほど大きく変動していないのに、異なるアングルで語られる物語のコントラストと、それを医師の語りで大きく包むという落ち着きの良さも美点です。
二つのバージョンで配役が異なるようですが、ワタシの拝見した日本画版では、医師を演じた金子侑加の縦横無尽に走り回る感じが物語を牽引します。罹患者を演じた山下雷舞がまっすぐな男を、男爵夫人を演じた村上誠基が影のある女形を、丁寧に造形します。とりわけ、侯爵を演じた秋葉陽司の後半の細やかさ、時折見せるコミカルな雰囲気が印象に残ります。
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