« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017.04.30

【芝居】「空と雲とバラバラの奥さま」クロムモリブデン

2017.4.22 18:00 [CoRich]

30日まで吉祥寺シアター。そのあと大阪。

樹海といってもいい山奥の村。 毒を流してイワナを捕る漁の実験をしていた男は誤って近所の男を殺してしまう。偶然居合わせた男の入れ知恵を受けて逆に殺されかけたと村に戻り、行方不明にした男の家族に償いをもとめてその娘を嫁にとり、家族を奴隷同然に扱う。やがて、この村にはこの家族だけが取り残され、全国各地から行き場を失った犯罪加害者の家族が進んで使用人となり暮らし、出産や会話、妾などの分業をさせてるため妻を何人も娶って暮らしている。
事件から半年が経ち、半年前にこの場所で偶然撮影された事件の現場のカメラを探し男たちが村を訪れる。

平等が正しいという世の中にたいして、女たちに特定の役割しか与えず越えられない壁をもつことで維持する大家族。描写は極端だけれど、大きな家族を自力で維持させることを望むとこうなる、という一つの形。当の女たちも皆がそれに不満というわけでもなく。声高に訴えるわけではないけれど、いびつに維持された世界のいびつなあれこれ。男は自ら望んだのに、そのいびつな世界にわずか半年で飽きてしまうある種の幼さが際だつのです。

カメラには事件の真実が記録されていたかもしれないというミステリめいた話は、終盤のわちゃわちゃとした騒ぎの中でカメラのSDカードが破壊され、謎解きはあっさりうっちゃられ、妻の一人に生まれた子供が天高く放り投げられ、それぞれの人々の腕の中に抱きしめられます。この終幕から直接何かを読みとるのは困難で、それぞれの中に生まれた何かの希望かもしれないと読みとるのは踏み込みすぎなのかもしれません。

このちょっと狂った世界を大きく包むのが、子供を産めず月日を経て会話を失った夫婦がやってきた樹海での悲劇。死体を埋めることを唆し、物語の所々で方向付けを行うこの男の心の中の風景のようにも感じたりもしますが、これもまた踏み込みすぎた解釈かもしれません。

子供を産む女と死体を埋めることを唆した男が時折すれ違うふたりきりのシーン。どこかほっこりするこのシーンは、なくなった妻に少し似ているというつながりの向こう側に、樹海の悲劇に至るこの夫婦の間にかつて流れていた時間を描くよう。そこには優しさあふれる時間しかなかったはずなのにこうなってしまったという悲劇と。 高いテンションと大音響とリズムで紡がれる終盤は明確な解釈よりも、心に直接響かせる何かで心を揺り動かそうとするこの劇団の一つのかたち。ワタシにとってはちょっと苦手意識のある形ではあるのだけれど、この作家と役者たちが紡ぎ出すものは確かに独特で、それを圧巻でみせつけるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.27

【芝居】「ダズリング=デビュタント」(日本画版)あやめ十八番

2017.4.22 14:00 [CoRich]

23日まで座・高円寺1。150分。おそらく物語の骨子は同じで配役の一部と衣装を変えた2つのバージョンを交互上演。

医者が柘榴痘と呼ばれる性病のワクチンを発見し、学会に認めるよう訴える手紙。まだ受理されていない。
その、ワクチン発見までのあれこれ。貴族たちの屋敷。友人に招かれたパーティ、娘のデビュタント、地下の仮面舞踏会の余興は、柘榴の病魔に犯された夫婦を見物することだったが、その感染症は貴族たちにも波及する。デビューした娘の婚約者もまた。 屋敷の主は娘を出かけさせた間に火を放つ。惚れ込んだ妻が醜くなる自分を殺すように頼んだのだ。
残された娘に医者は再び治療を誓う。医者はいろいろな人々に話を訊いてまわる。火を放った屋敷の主が結婚し戦争で手柄を立てるが出征中に妻が別の男の子を身ごもったこと、兵士たちの話を聴きやがて教会とよばれるようになる娼婦のこと。

めきめきと物語る力をつけてきた作家です。全てを拝見しているわけではありませんが、まるで大河ドラマか海外ドラマかという大作で拝見するのは初めてではないかと思います。団子屋の話のような、日常の地続きの温かい話がどちらかといえば好きだけれど、今作のようなスケールの大きな物語を紡ぐ力は、これで食っていくという意味では明確に力になると思います。 天井の高い座・高円寺1は、三鷹の星のホールと同様、小劇場の物語では厳しい仕上がりになりがちな劇場です。今作では、大きく掲げた肖像画だったり、天井近くのキャットウォークを数は少なくても要所を押さえて使うことで広い劇場ゆえの効果的な使い方がきっちりできているのです。

交われば顔が醜く腫れ死に到る架空の性病を設定しその治療を行う医師を語り部とした物語。 ワクチンを発明した医者は未だ学会に認められずその嘆願をするための手紙という体裁で一番外側を包みます。前半はその病気の広がり軸に下司な貴族たちの余興からほころぶ退廃的な様子と悲劇を描き、後半では生き残った一人の病魔を救う物語を軸に、前半で影が薄かったのに唐突に屋敷に火を放ったように見えた侯爵がどうしてそうなるに至ったかの長い苦悩を描くのです。長い上演時間、二つの大きな物語を描くため、あるいは二つのバージョンでの配役のためとはいえ、少々登場人物が多すぎる感はあるのですが、それが気にならないぐらいにしっかりとした大きな物語を語りきった、というのは大きなことだと思うのです。

退廃した貴族たちを描く前半の設定は新劇のような(成り上がり者の葬儀屋という存在が巧い)な設定だけれど、性病やその罹患者の存在はどちらかというとアングラの雰囲気。不治の病魔に冒された存在を描くのは架空とはいえ、部分部分は現実にリンクしてしまうので観ている観客のポリティカルコレクトネスに依存して違和感を生みがちで高いリスクを持ちがちですが、今作はそういう違和感を感じさせないのがたいしたもの。

休憩を挟んだ後半は、侯爵という人物一人にスポットを当てます。木訥ともいっていい恋文を書く代書屋や、抱えた心の闇を懺悔させる「教会」と呼ばれるに娼婦を通じて前半では目立たなかったこの侯爵の真摯な人物を丁寧に造形していきます。そういう意味でこちらは小劇場的な仕上がりを感じさせます。演出のスタイル自体はそれほど大きく変動していないのに、異なるアングルで語られる物語のコントラストと、それを医師の語りで大きく包むという落ち着きの良さも美点です。

二つのバージョンで配役が異なるようですが、ワタシの拝見した日本画版では、医師を演じた金子侑加の縦横無尽に走り回る感じが物語を牽引します。罹患者を演じた山下雷舞がまっすぐな男を、男爵夫人を演じた村上誠基が影のある女形を、丁寧に造形します。とりわけ、侯爵を演じた秋葉陽司の後半の細やかさ、時折見せるコミカルな雰囲気が印象に残ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「個性が強すぎるのかもしれない」艶∞ポリス

2017.4.21 19:30 [CoRich]

女性三人のユニット、艶∞ポリスの新作、25日まで90分。

バックヤードで空港の女性職員がカッターナイフで同僚の女性に切りかかる。不倫のどろどろの末、パイロットに体の関係を誘われたりしていた末に。
搭乗ゲート前。乗り遅れて次の便を待つ人々。アイドルグループの一人が不祥事を起こし国外脱出をはかっているが、マネージャは彼女にブスだと宣告しブスを売りにして国外で売り出そうと誘う。
飛行機マニアの冴えない女性に声をかける業界男はサプリを売りつけようとするが女の脳内では恋心が燃え上がる。
ゴシック衣装の男一人と女二人。女の一人は露骨に男に甘え、もう一人の女を殺すイキオイだ。

ウズベキスタン行きフライトにそれぞれのトラブルで乗り遅れた二組と二人が振り替え便に乗るまでの待ち時間を舞台に描きます。 冒頭と最後の各1シーンを除き、舞台上では逆順にシーンを進めます。終幕の直前は物語上での時間軸では人々が乗り遅れるシーン、冒頭はバックヤードのスタッフたちのブリーフィングの任侠沙汰、終幕直前はそれぞれの人々が振り替え便に搭乗するシーンになっています。物語の上の時間ではおおまかに1〜5というシーンが、舞台上では1→4→3→2→5と進む、という感じ。時間軸を遡るといえば、ついこの前に観た芝居を思い出しますが、あれほど緻密には依存関係を持たせずに、ゆるやかに逆順に見せています。実際のところ全体としてみると全体で大きな物語をつくるというよりは点描される「個性が強い」人々のそれぞれの物語の「あるある」や着眼で見せる主眼だと思います。なので万一時間軸を見失ってもそれほど大きな問題にならず、スタイリッシュで実は見やすいのです。

この劇団の作家が女たちを見つめる視線は少々底意地が悪いけれどコミカルなのは今作でも健在です。 たとえば序盤のバックヤードの任侠沙汰、不倫に疲れた女がちょっとあこがれてるパイロットの男はカラダ目当てというかセックスをしてそこからだ、という男でその恋人ではないけれどやけに馬の合っている同僚の女(作家が演じる)がちょっと鋭く、台詞にはなってないけれど三人で、みたいな関係を示唆してみたり。あるいは、カワイイが必然のアイドルグループの九等身美女にブスの頂点に立とうと誘ったり、飛行機好きすぎるイケてない女子がわかりやすすぎるぐらいに騙されてサプリを買わされたり。あるいは、マイナーバンドを海外まで追いかける男1×女2のグループには男が実はスリムな女と二人で旅行したいのに太った女がついてきたけどパスポートをどうにかすれば二人きりで行けるんじゃないかという邪心の結果で、実は女二人は男の邪心に翻弄されてる、ということだったり。

正直に云えば、高校生に戻ったいわゆる回想シーンを入れる理由はよくわかりません。時間軸を遡る途中に突然入るこのシーンは人物の背景を描いてはいるし、衣装を替えてちょっと面白い感じではあるけれど、場面として孤立してしまってちょっと勿体ない気がします。あるいはそれぞれの時間で登場するキックボードの女、服も鮮やかで目立って意味深なのだけどワタシには読み取れず。

冒頭、4人の男女の色恋沙汰から、少々インモラルな性癖を堂々とチラ見せしつつ目当ての相手を誘うシーン、やけにスリリングで印象的です。誘う男を演じた町田水城の絶倫な感じ、ただならぬしかし軽い関係を匂わせる温あを演じた岸本鮎佳は鼻につくつんとした造形も似合って。翻弄されるが心惹かれてしまう女を演じた川添美和は、しかしそれが男の従属ではなく自立の雰囲気を漂わせ魅力的。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.26

【芝居】「ドアを開ければいつも」みそじん

2017.4.16 18:00 [CoRich]

料理屋の二階にある宴会場らしい部屋を舞台にして公演を続けてきた作品のこの場所での最後の公演。キャストを替えた2バージョンを2週末で、17日まで。 去年の一月の公演を観ています。そのときは翌朝に七回忌へでかけるためばたばたと準備するシーンがあったと記憶しているのだけれど、今回はそれがなく、やや唐突に終幕、という印象。もっとも、物語の根幹というわけではないのでそれは大きな問題ではありません。

結婚し家を出て子供が居る長女はいわゆる保守的な家族像、反発して家を出て奔放ではあったが結婚している次女の自立した女の姿、家を出たものの近所に住みしかし若いなりに会社勤めに忙しい四女の若い未婚の女の姿はいずれも家を巣立っていった人々だけれど立場の違い。最後に家に残っている次女は客観的には家に縛られている姿。女性四人のロールモデルがどう別れていくかは年代ときっかけにすぎないのだということ。物語の印象も、あるいは演出面で感じた感情の発露がやや唐突な大泣きという違和感も、前回と変わらず。そういう意味では役者が変わってもそう大きくは変わらない安定の物語。それはこの料理屋の二回という場所で季節を変え役者を替え丁寧に紡ぎ続けてきたゆえの強固さだということだと思うのです。

長女を演じた小林さやかは、自分の歩んできた現在が幸せの全てと信じて疑わない女性の姿を強固に。次女を演じた斎藤ナツ子は秘め続ける想いをしっとり。序盤でラジオから流れる音が少し気に障り止めるシーンがちょっといい。三女を演じた大石ともこはパワフルさで切り開く自立の姿、四女も同じく自立に向かうけれど時代を会社員という造形でちょっと違う印象で対比。演じた鈴木朝代は末っ子な可愛がられ方の説得力。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.24

【芝居】「嘘いろいろ(B)」桃唄309+N.S.F.

2017.4.16 15:30 [CoRich]

桃唄のカフェ公演、Bバージョンはシェイクスピアを短編に仕立てるNSF+桃唄の再演。65分。

イアーゴ×エミリア、オセロ×デズデモーナの二組の物語「オセロ」(N.S.F.)
会社員を辞めて始めた食堂だけれど、やけに食い逃げの目にあう。売上はどんどん落ちている。店内で見かけた人影は「食い逃げカフェの小さな日記」(桃唄309)

「オセロ」は二組の夫婦の物語をシンプルに抽出。悪意のない木訥とした夫と上昇志向あるその妻という夫婦漫才風で始まり、オセロはその妻への負い目、妻はほかの男に取られるかもしれないという嫉妬心。ハンカチを落としそれがどこにあったかの行き違いが不義の疑いを生むけれど、それがあっさり皆殺しの結末。二人の会話を基本に組み合わせていき、ああ、こういう話を骨子に見るシンプルな楽しさ。歌い踊りということがないのはこの劇団では珍しいけれど、爆笑も生んで、じつは見やすく濃密な一本。

「食い逃げ〜」は再演とのことだけれど、ワタシは初見です。金融ブラック会社を辞めた女二人で始めたカフェというか食堂、客の入りはどんどん悪くなるけれど、それは貧乏神のせいでこのテナントはほぼそれで続かないという設定の面白さ。食い逃げされがち、というタイトルは序盤には出てくるものの、物語の根幹にあるのはよくない条件の相手とどう折り合っていくか、ということ。たとえばその店の屋根の下にしか貧乏神は居られないから、弁当とかテラス席なら影響は及ばないとか、「神」でなくなればその効力は亡くなるとか。最高ではなくても折り合って前に進む、という店長と店員、そして元貧乏神のチームになって前に進もうという終幕は実にポジティブで楽しいのです。

店主を演じた環ゆらは、意識高い誠実さだけれど、もしかしたら本当においしくないんじゃないかという微妙なバランスの造形。 店員を演じた中野架奈、ヤンキー上がりな口調が楽しく、きっちり喜劇の雰囲気。貧乏神を演じた石坂純はくるくると変わる表情が豊かで人の良さ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「嘘いろいろ(A)」桃唄309

2017.4.16 13:30 [CoRich]

桃唄が続けるカフェ公演、Aバージョンは桃唄の中編に紙芝居を組み合わせて。

探偵会社の社員をサポートする女はジャージ姿で引きこもり、持ってきた資料をもとに推理をする。探偵会社の男は商店会の祭りに参加することになるが、確執を持っていそうな女たちの噂話を耳にして、先代が亡くなったお茶屋の店はマンションにたてかわり若旦那は姿を消している。「魚の足をもむには」(桃唄309)
友達の母親の胸元がみえてどきどきする。「佐藤達の紙芝居」

書斎探偵ならぬ引きこもりジャージ探偵の女とスーツ姿の探偵会社の男、資料と持ってきた話だけで妄想と推理で物語を紡ぐ設定は去年の秋のモチーフ。、二畳ばかりの舞台にスピーディに切り替わるシーンが細やかに積み重なる舞台は実はとてもスタイリッシュにも思うのです。

スーツ探偵が探偵会社を辞めて転がり込み、近所の焼鳥屋の女将がバイトで参加するチームビルディングな終幕。もしかしてシリーズ化されそうな雰囲気。時々やってくれると楽しそうな一本。

ミステリーといえばミステリーなのだけれど、地の芝居と伝聞の報告がめまぐるしく入れ替わり、前作でもちょっとついて行くのに苦労したことを思い出したアタシです。謎めいたことがいくつか置かれるけれど、何が事件なのかを明確に示さない感じもあって、それは派手さより奥行きのある人物たちの中にある物語をミステリー仕立てに描こう、という作家の意図なのかと思ったりもします。

ジャージ姿だけれどやけに可愛らしくドジっ娘風味で少々自信なさげに喋るけれど、切れ味鋭くという造形。この可愛さ部分はトリのマークの「ギロンと探偵」のシリーズの味わいを感じるところアタシです。演じた高木充子のちょっとほわんと柔らかな造形もよくあっています。

ほぼ1時間の中編と組み合わされたのは通常はイベントに設定される佐藤達の紙芝居、去年末のイベントのものの再演で子供の頃、友達のお母さんの胸元にどきどきした話、でも絵はバージョンアップしてるかなと思ったりも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.21

【芝居】「机島」ハッカ

2017.4.9 19:00 [CoRich]

元・芝居屋坂道ストア(1)の角ひろみの新作を久々に拝見します。100分。10日まで空洞。

設計事務所の作図部オフィス。社員の女性が自殺し発見される。その女が最後まで社員旅行で行きたがっていた離島への旅行を同僚たちが行くことにする。その島には元の上司が妻とともに移住して設計事務所を開業し、地域の施設をリノベーションをしたり、遍路めぐりのイベントを企画していたりしている。

舞台中央には四つのオフィス用デスクと椅子、その上に漁猟灯が吊られ、ぐるりと囲むように砂浜を思わせる砂、客席は対面に設置されれています。

北関東で震災が起こり、それまでは東京で生活していた人々が離島など地方に移住するという枠組み。今作では妻が安全を求めて移住を希望し引きずられるように夫がついていく、ネットの記事ではリノベーションやイベントで暮らしを満喫している姿が報じられたりするけれど、実際のところは地元のしがらみ、リノベもイベントも名ばかりイマイチのままで不満を鬱積したり夫は夫で浮気を繰り返していたり。元の職場にもその浮気癖の残渣ゆえにつながっている人々。

震災をきっかけに東京から地方に移住し、ある種華々しく成功することを夢見ていても地に足はついていなくてそれは巧くいかないこと、イベントにしようとしている遍路にしてもそもそも昔からあるものではなくて、わりと最近同じように観光資源にしようとして「作られた」もので底の浅いものを一度なぞっているにすぎないこと。あるいはリノベとは名ばかりの空き施設の再利用。東京が地方を見下す視線がどこかに見え隠れしている人々が実際にやってみればうまくいかない現実。あるいは 移住を促進したい地元の若者、安全を大金払って手に入れたい富裕層の外国人がいても受け入れを躊躇すること。いろいろな思惑行き交い、あるいはすれ違うという地方と東京のありかたに気持ちが持って行かれるアタシです。

こういう背景の上に移住した人々と過去につながっていた人々のつながり。それは地方に移ってはいても成功者に見せていた男とそうでもないダメ男の現実で人々の物語を紡ぎます。アタシはどちらかといえば背景と感じた地方と都会という対比のありかたの方が鮮やかに感じられて、その上である人々の物語を薄味に感じるのです。オフィスの女性たちには小説応募、シングルマザー、この男への想いが断ち切れないなどの属性を持ちますが物語にそうからむ感じでもないし、現在の部長は昼行灯という設定だとはいえ、あまりに影が薄く、あるいは中国人ハーフの移住希望者にはその母親がこの島の最後の医師だったという設定だったりと、いろいろに張り巡らせている人物関係や造形をつくくりあげつつも、全体にはどこかベクトルが揃わないように感じられ、勿体ない。もしかしたら物語に対して役が少々多いということかもしれません。

時間堂が解散し初めて拝見する阿波屋鮎美は大人の女性をしっかり、同じく時間堂だった國松卓は若く潑剌とした地元の男、新たな魅力。その母親を演じた木下祐子は少々戯画的に造形しつつ、田舎という場所の人の在り方を背負った役をしっかり。中国人ハーフを演じた小山あずさは美しく、凛としてカッコイイ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.15

【芝居】「ノドの楽園」studio salt

2017.4.8 14:00 [CoRich]

劇団として初めての神奈川芸術劇場(KAAT)進出。大スタジオ。9日まで95分。

港を望む公園。ホームレスが寝ていたり泣きはらす男が居たり、楽器を練習してる女が居る。高校生たちがじゃれ合い、息子が心配な母親の待ち合わせ、学校に行きたくない女子高生と祖母、浄水器が売れない女や猫を探す女、ドキュメンタリーを取材したいカメラマンが行き交う。
白い灰が降る。線量が高く人々は立ち入らない地域になっているが、それを気にせず、かつてはここを行き交っていた人々が野菜を作ったり行き場を失った人々がここで暮らしている。

2011年5月上演の「ビタースイート」に含まれる、「もろきゅう」では、被害地域で一人野菜を作る男を描いていましたが、それを多くの人々に広げ、群像劇に仕上げたよう。

公園や港、象の鼻パークなど近くの地名を織り込みつつ公園という場所をしばらく描く序盤。ホームレスやフルートの練習、座ってたたずむ人々を置きつづけつつ、そこを通り過ぎる人々を描きます。ホームレスや同級生を苛めつつもキラキラと輝いている高校生、何かの不満や不安を抱える不登校や祖母、弁当のために偶然通りかかりこの場所で運命の人に出会う男。着地点が見えないまま描かれる日常の風景は芝居の中では出発点の平地を描く機能を担います。終わりが見えないほど静かに置かれる点描は、ワタシにとっての本物の日常と同じく長く退屈でどうしたらいいかわからない時間だったりがしますが、そこにあるのは確かにある種のリアル。

暗転のあと、白いモノが降り、Tシャツ(前回公演のキャストが着てた公演Tシャツも混じってるのは楽しい)が干され、この場所でバーベキューよろしく料理していたり暮らしていたりの風景。外の世界と隔絶された場所になってはいるものの、ちょっと足を延ばせばコンビニはあるという程度の距離感。最初は降っているモノの正体はあかされないけれど、少し経って白い防護服の人々が現れ放射性物質ということがあかされます。

外から人が入ってこなくなった公園に住まう人々には外から逃げてくる理由があったりなかったり。 寝てばかりで無気力だったホームレスの男はイキイキとココの長を自負し、宇宙人を自称し不登校だった女子高生はおそらく認知症となった祖母に寄り添い、スクールカーストが高そうな女子高生は妊娠し苛められていた高校生と仲良くなり、DVから逃げた妻を前に夫はひれ伏し、浄水器が売れず泣いていたスーツの女はモノを運んで金を取るシンプルな経済活動を図太く行い。ガラパゴスよろしく隔絶された世界だからこそ、それまでの生活とはくるりと立場がひっくり返る感覚。

客観的に見れば、この場所は生きるのに必ずしも適していないのだけれど、ここではない何処かならば自分は生きていられるという実感が得られる場所がある、ということ。ワタシが歳を取ったからか、あるいは何かの自信のなさななのかどこかワタシの気持ちに寄り添われる感じがするのです。生きづらい人々をえがくことの多い作家ですが、特殊な状況を前にくるりとひっくり返る今作はとりわけその生きづらさを浮かび上がらせるのです。

大きな舞台にきっちり建て込まれた舞台装置。たくさんの人々を描くための沢山の役者。正直にいえば、多い役者には芝居にもバラツキがあったり、エピソードが多すぎて一つ一つを作り込めないなど なかなかクオリティとしては難しいところもあります。何年も劇場を離れデザイナーズアパート、古民家などでの上演を続けてきた彼らの、ある覚悟を決めたリブートの一歩、しっかりと見届けられてうれしいと思うのです。

DV夫を演じた東享司はいけすかない男の造形を後半でなりふりかまわなくなる漫画のような姿の滑稽さ哀しさ、明確にDVでもそういう形でしか愛情を示せなかった男の悲哀。ホームレスを演じた浅生礼史はただ居るだけという前半の気力の無さ、後半の打って変わっての生き生きとした前向きの落差が楽しい。ゲイのタクシー運転手をを演じた鷲見武は柔らかな造形、立ち上る存在感が印象的。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「世界は嘘で出来ている」ONEOR8

2017.4.8 14:00 [CoRich]

2014年初演作の再演。 120分、9日までスズナリ。

  初演の印象とはびっくりするほど変わらないのです。 毎回の生のステージをきちんと水準を保って繰り返すことが芝居の強さの尺度とするならば、物語の強さが役者を支え、役者の力量が物語のディティールを形成する安定。

今回アタシの頭に残るのは、仕事をしないで失業保険と職業訓練で食いつないでいる人々と仕事をしている人々の深い谷、あるいは若者の職業観の、ちょっとイラっとする感じ。なるほど、酒場で耳にする会話には時々聴けるような。

異儀田夏葉はすっかり母ちゃんを演じさせたら圧倒的な安定感。若い役者なのに。 対して、男の彼女を演じた浅野千鶴のちょっと冷たい感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.10

【芝居】「町田リス園のみんな!団長、ポン酢の川で溺死したい!!」かきあげ団

2017.4.1 18:00 [CoRich]

ワタシは初見の劇団です。飲食自由な60分。新宿眼下画廊・地下。2日まで。 

寝ている団員を起こして前説。すごく客が来ていて袖で緊張している団長と緊張してない団員だが、知らせていない家族が客席に居るのを見つけてとたんに緊張する。
離婚してるから母親は帰ってこないと娘に言い含める父親。娘には家庭教師がついていて、実はアイドルになりたいと打ち明ける。アイドルになった娘はリスナーからのお悩みを解決する霊媒師のラジオ番組に出演し、たり大喜利したり。総選挙では一位になったのに、干された父親を帰して欲しいとプロデューサーに迫る。干されたアイドルはAVに出演するが。
団員はインタビューを受けて、島崎和歌子愛を語る。 配達物を蹴る宅配便配達員を動画で撮る女。

飲食自由、twitterで酒でも買っていけばよかったという投稿を目にして、持ち込んで見れば、たしかにゆるゆるほろ酔いぐらいの感覚が楽しい。断片として演じられるアイドルの物語を軸にしつつ、お悩みとか大喜利とかを客のアンケートを読みながらライブ感で。出演クレジットには団長・団員という二人のみ。ゆるい会話と時々微妙にずれる会話。コントに近い感じで進みます。芝居かどうかというとかなり微妙なところなのですが、たとえば音楽抜きのプーチンズ(1)を思い出すアタシだけれど、脱力系のコントは他にもありそうだなぁ。何だろう。

核となるとは、アイドルになる女の子の話を断片的に。大川隆法の降霊式お悩み相談とか、秋元康に挑戦するアイドルとか、ちょっと揶揄するようなネタを細かく絡めて笑いをとります。でもどこか芝居っぽさもあったりするのはどうしてなんだろう。宅配便の荷物を蹴るクルーの動画を撮る女が、「(自撮りアプリの)snowなんで」と言い訳になってるようななってないようなことを云うのがちょっと面白くて、こんな感じのイマドキ感を維持出来るかがこの路線のポイントなのだけれど、それにしちゃ島崎和歌子を語るのはイマドキというわけでもないか。もっとも尋常ならざる愛をもってニッチな何かを語る、というのはそれだけでコンテンツになりうる、というのはたとえばウィークエンドシャッフル(TBSラジオ 土曜22:00)の特集コーナーでもしばしば感じることなので、もちろんアリなのだけど、そういうネタは普通、いくつも持ってないんじゃないかなぁと思ったりもします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.09

【芝居】「幸福の黄色い10日後」キ上の空論

2017.4.1 14:30 [CoRich]

110分。もう一本の短編集「幸福の黄色い放課後」再演との交互上演で2日までサンモールスタジオ。

襲われる女、襲う男二人。かつて同級生の男を殴ったりもしているが、それはそれまでの鬱積が理由で。 告白して恋人となる男女、男は幼なじみに相談して、幼なじみがずっと持っていた恋心には気づかない。 妊婦は近所の女子高生を可愛がっているが、姪っ子がその同級生を悪く云う理由には気づいていない。

ショッキングな事件のシーンで幕を開けるけれど、そこを起点にして、時系列としてどんどん前のシーンをまるで逆回しのように描いていくというフォーマットで描きます。たとえば理由なく突然誰かが誰かを嫌っていたり、殴ったりするけれど、その理由は少しあとに、時系列として前のシーンを描くことでわかっていく、という流れ。歴史を教えるのに現在からさかのぼって理由を辿っていく、というやりかたがありますがそれと同じで、何かの出来事の理由を辿るように語る物語。説明がありませんから序盤こそ戸惑いますが、やがてそういう「流れ」が身につくと中盤ぐらいには、そういう構えで待ち受ける癖が付きますから、それほど大きな問題にはなりません。

とはいえ、単に映像を巻き戻すのではなく、言葉を伴ってシーンを逆順に辿るということの難しさは、細かな単位に区切って演じ、そこから前の時間に巻き戻ってまた再生、みたいな繰り返しなのです。その空隙を意識させないようにスムーズに繋いでいるせいか、実はシーンがどこで切り替わったのかがわかりにくいところはあります。

フォーマットの面白さを排除して時系列に並び替えて考えてみると、ちょっとヤンキー気味にスクールカーストを強調した高校生たちの日々というか格差というか。スクールカーストの残酷な現実、もちろん理由は見えるけれど、スクールカースト上位、偏見込みで云えば乱暴で粗雑でセックスもして子供もできてというまあリア充な人々にも、かといってバットを振り回すほどの目にも幸いにも遭わなかったので、実は登場人物にそこまでは気持ちが入らないアタシです。年代かもしれないけれど、「桐島、部活やめるってよ」はもっと身に迫るように感じたのはたまたま今の、アタシの気分のことかもしれないけれど。

とはいえ、たとえば口紅を付けてる理由、フランスに移住するといった女子高生の本当の背景とそれを知っているのに明かさなかった友人の心、近所の知り合いの女子高生を妹同然に可愛がっている妊婦に対して姪っ子がその女子高生を悪く云うことと、その理由を明かさなかったことなど。知っていることと云わないことを多重に組み合わせて奥行きをぐっと広げる手法として巧いなと思わせるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017.04.05

【芝居】「時をかける稽古場2.0」アガリスクエンターテイメント

2017.3.25 19:00 [CoRich]

2014年初演作を大幅に改定再演、ワタシは初見です。28日まで駅前劇場。130分。

本番2週間前の稽古場。台本はできあがっていない、ふとしたことで台本が完成している本番前日の稽古場と人物を入れ替えることができることを発見する。台本と演出を手に入れようとするが、逆に本番2週間前のこの場所を、本番直前を迎えていた演出家と役者たちに奪われて、本番2週間前の役者たちは本番直前の世界に取り残される。

タイトルも含めいわゆるタイムスリップものの様相をみせつつ、実は微妙にことなる並行世界を行き来する「もしもボックス」の機能という説明で進む物語。前半は「台本のあがらない稽古場」×「直前の修羅場を迎えた稽古場」という形でより早く台本を手に入れたい役者たちと、もっと時間がほしい役者たちの対立軸。 劇中にも取り込まれているけれど、ドラえもんでの秘密道具と物語、という関係のようで、ちょっと悪いことを考えた人々がうける手痛いしっぺ返しという感じで見やすいのです。 バミリのテープで囲んだ場所で時空がゆがむというのはネット動画で評判の「猫転送装置」のようで楽しく、しかもごくシンプルな仕掛けで巧い。シンプルといえば、 同じ人物が「どちらの世界」の人かを公演Tシャツの有無で示すのもマル。シンプルな対立軸でわりとスピーディに進む前半はコミカルな要素が強く、ズルしたい気持ちというか、人間の弱さを中心に描きます。 全員の入れ替えをしつこく繰り返すのは丁寧ではありますが、正直に云えば少々長い気もします。

それぞれの背景を背負いつつ未来の視点が加わる後半。自分たちだけが巧くいけば他の世界は壊れてもいのか、それともそれぞれの世界の秩序は取り戻されるのか、つまりどの着地点を選ぶべきかを登場人物に迫ります。出演者のインフルエンザによる公演中止といういまどきの演劇界っぽいキャッチーな題材を取り込みつつ描くのです。正直にいえばこのあたりの問題点とその回避策の示し方が前半比べるとアッサリで、ぼんやりしてると置いていかれる感はあります。まあ、大きな問題ではありません。登場人物たちは間違いなくきっちりと成長し進んで行くことが示される結末、きっちりと物語を語りきるのです。

つい数週間前の舞台ではシリアスな役を演じていたハマカワフミエは、ともかく舞台に熱い小劇場の役者、という造形。かつての所属劇団・国道58号戦線の頃を彷彿とさせる前のめり、コメディエンヌぶりも楽しい。 制作を演じた沈ゆうこは満を持してという雰囲気で登場して転がりがちな物語をすこしゆったりとした雰囲気に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »