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2017.03.02

【芝居】「淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について」カムヰヤッセン

2017.2.19 15:00 [CoRich]

劇団としては休止を宣言したカムヰヤッセンの公演は男性の劇団員だけ3人による95分。ワテラスコモンホール。千秋楽。

車いすの母親を殺し自身も死のうとした男の48時間の取り調べ。介護の度合いは低いにもかかわらず仕事を辞め介護に専念した一年で蓄えは底を突いていたが、取り調べの刑事の一人は動機に疑問を持つ。

介護殺人をめぐる48時間の取り調べをめぐる三人の刑事の物語。三人の役者はそれぞれの刑事のほか、代わる代わるその容疑者を重ね合わせて演じます。独身のまま母親の介護であったり、子供が生まれたばかりの不安であったり、あるいは子供はもう成長し手を放れつつある段階であったり。刑事たちのプライベートで語られる親と子の関係をめぐる三つの時間軸は、容疑者という一人の人物に三方向からライトを当てるように背景を映し出すのです。

明確には語られないけれど、母と二人きりで追いつめられるような生活の中、母親の車いすを押して川べりを迷い歩いたりという背景は2006年の京都・伏見での介護殺人を巡る人物をモデルにしているよう、というのは後ろの席に座っていた知らない人の会話から。 もっとも、毒蝮三太夫のラジオの公開収録というあたりは関東という設定なので、あくまでもフィクションとして語ります。 同情や悲しいという感情で寄り添うのではなく、介護と殺人を結びつけたものは何だったのかを考え抜くために、その親子の間に過去にあったかもしれない三つの時間軸で切り取ってみせ、どうして社会はそれを救うことができなかったのか、あるいはどうして二人は閉塞してしまったのかを一つの仮説を組み立てるのです。

ネタバレかも

認知症が進んだ母親を困窮してるにもかかわらずなぜ低い介護認定のままとどめ、認知症へのケアを手に入れようとしなかったのかということはなるほど、経済よりもより重視すべきことがこの二人にはあったのだ、ということ。 (元は教師という背景で人物造形の説得力を作りつつ、)認知症であることを自ら認めることは誰でも持ちうる恐怖。息子はその尊厳を盲目的に守ろうとしたがゆえに起きた悲劇。 その結末は、派手ではないし、だからといってカタルシスがあるわけでもないこの結末を芝居の結末として採用するのは相当に勇気が必要なことだろうと思うのです。

真実を知りたい北川大輔はあくまでフラットに居続ける軸の一つ。親の立場というのも殺された母親に重なります。 母を介護する刑事を演じた小島明之は、容疑者にどこまでも寄り添うい、彼がみたかもしれない風景を見るように誠実さを押した造形。 とりあえず犯人をでっち上げようとしたり少々がさつな印象の人物を演じる辻貴大は子供が生まれたばかりという不安定というちょっとねじれた印象の役。自分本位だけで生きていくわけにいかなくなる別の個体が今ここにあるというのは、彼にとっては子供のことだけれど、容疑者にとっては目の前の母親のことなのだと読んでしまうのはちょっと読み過ぎか、アタシ。

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