【芝居】「根も葉も漬けて」やみ・あがりシアター
2017.3.11 14:00 [CoRich]
100分。12日まで、中野スタジオあくとれ。終演後にQRコードを配布して戯曲が読めるという至れり尽くせり。
売れない漫才師、青柳と柏木。柏木は話がうまく怖い話をするバラエティに呼ばれるようになっているし彼女も居たりするが、青柳は話を作っているのに話が巧くないのでなかなか人気が出ないうえ、その部屋に青柳と彼女がたびたび遊びにくる。人気が出なかった男だがおなじ番組に呼ばれるチャンスが巡ってくるが、話が面白くないと煽られ話を稼ごうと外にでる。 が、気が付くと大雪の中、やっとの思いで見つけた家は暖かくもてなされるが、訛がきつくしゃべっていることがわからない。出された漬け物を一口食べた柏木はここはそのわからない言葉を話し、ここが実家だと言い出す。やっとの思いでそこを抜け出して家に戻る。
売れない漫才師、自分が台本を書いているのに、相方だけ売れ始め自分は面白くないといわれる焦る気持ち。面白い話を探しに出かけるとなぜか田舎の大雪の中、ある家族に助けられ戻ってくるという「トンネル」をくぐって時間が少し戻るを繰り返します。
少しの時間の逆行とその短いスパンのやりなおし。祖母の言葉、父の言葉は部分的な単語しかわからないけれど、たとえば自分が好きなものよりより売れるための選択をしていく、ということを繰り返していくことで徐々に売れるラインに乗るようになっていくこと。それと比例するように、雪の中でもてなされる家族たちのきつい訛が理解できるようになり、そこが自分の実家だと感じられるようになっていって。
それは自分を曲げて芸能界(なりその生業の世界)に会わせて自分の評価軸や行動を変化させていくということかもしれません。行きつ戻りつしつつ売れていく自分のポジションの変化。東京では手に入らない「花の漬け物を」を探す病む気持ち。行きつ戻りつを何度繰り返して売れていっても、漫才で二人で売れる結末にたどり着かないこと。
終幕近くになり、「ねっきり、はっきりと云われていたのは俺ではない、これは俺の友達の話だ」ということに思い至ってもとに戻ります。一回りスパイラルしてもとの場所に戻っているけれど、自分の物語を行きたいのだということを明確に意識して一歩を踏み出すのです。
訛りの言葉、でたらめではなく作り込まれた意味の分からない会話がちょっと凄い。戯曲を読むと繰り返すうちに徐々に耳がなれたかのように、徐々に意味が分かるように普通の日本語を交える割合を変えて台詞を変化させていくのが楽しい。同じような行動の繰り返しを演じる間引き方も丁寧です。
相方の彼女を演じた加藤睦望がちょっとぶっ飛んだパワフルさで物語を引っ張り強い印象を残します。
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