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2017.03.29

【芝居】「コーヒー、キライ」関村後藤二人芝居

2017.3.26 16:00 [CoRich]

2011年初演の二人芝居を改訂再演。 26日一日限り、Live space anima。40分。

初演の基本的な構成は同じで、喫茶店に兄を呼びだしたいい歳した妹がアイドルになりたいと言い出してからの数ヶ月。テーブルと椅子、コップに水というシンプルな舞台でポータビリティありますが、じつは関村俊介という作演かつ役者のアイドル愛と会話の間合いがかなり重要な役割を持っている気もします。それでも、上演形態の手軽さに加えて、アイドルと家族というわりとポップな題材なので、リーチする観客層はとても広くて、映像でもラジオドラマでも成立する懐の深さがあるように思うのです。

初演の25歳設定から役者の年齢にあわせて35歳設定にしたようですが、実際のところあまり変わらないように見えるのは、ある種の幼さを残した女優のセレクションによるところが大きいように思います。日本の現状では20代後半以降にアイドルを目指すのはよっぽどの勝算がないとイタいだけになってしまうという下敷きの上で、ノーアイディアではあるけれど、話題づくりや炎上でのし上がろうとか、ブログや動画などのネット動画はがんばろうとか、周辺の手練手管ばかりにはやたらに詳しいというあたりのおかしさ。アイドル界隈には詳しくないアタシですが、もしかしたら現実の何かを引き映してるのかと思ったりも。

後藤飛鳥は、まあそれにしてもアイドル目指してもおかしくなさそうなある種のかわいらしさ、それはたとえば声とか背丈とかだったりもするのだけれど、それをきっちり体現。 関村俊介は、つっこみとアイドル愛と妹への愛情からの巻き込まれ感から、終盤に向けて静かに狂っていくグラデーションの楽しさ。

ごく狭いライブスペースで椅子席。出捌けがないことを巧く使って、役者が舞台に上がったあとに通路をまで席を移動させて観客に余裕を持たせ、知り合い客は場所をずらして遅れ客に対応しやすくする。小さい芝居だから成立する方法だけれど、すごく効果的。座っている女優の顔がみえるような位置に動いてという指示も実に的確で、当たり前のことを当たり前に的確にコントロールできることのすごさ。まあ、知り合い客が一定の割合で居るということでもあるのだけれど。

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【芝居】「すかすからす」ムシラセ(しきおりおり、あおきえり)

2017.3.25 19:00 [CoRich]

ムシラセの保坂萌が、トリッキーな女優・青木絵璃をフィーチャーする企画公演の二回目。 26日までRAFT。70分。

面白いことが大好きな女子高生。親友とふたり放送部に入っているが一年生が入ってこなければ廃部になってしまうことの危機感からラジオドラマを作ろうと思い立つ。脚本を依頼された担任教師は気が進まないが、同僚との不倫をその親友に握られ嫌々ながら協力することにする。

女子校の教師たちが卒業式リハを見ている、というシーンから一年後の卒業式という時間の流れ。やたらに色っぽい養護教諭、卒業式なんかじゃ泣かない国語の女性教師、その上司でじつは不倫関係にある男性教師。やたら元気で面白いことに猪突猛進な女子高生と、彼女の事が好きでたまらない親友と彼氏と。ノイジーで大騒ぎで、しでもイノセントな女の子が引っかき回すコメディで押し通すかと思うとそうではないのです。 不倫関係の教師二人、女性教師にとってそれを握られていること、「パン祭り」と揶揄され、支配されるストレスがゆっくりとダメージを与えていきます。育ちがいい筈の親友がその支配を続けるのは、なにより親友のことが大好きだからだけれどそれが女性教師の臨界点を超えたときに一瞬の爆発がノイジーでイノセントな女子高生に向くけれど、直後に倒れるという転換。

ここで物語はくるりと転換します。姉が語る妹の背景やイノセントさで人物に厚みをあたえつつ、表面的な明るさ騒がしさとは裏腹の病弱さと闇の深さを手早く語ります。この二つのコントラストをもった人物だったのに、それが卒業式に出られないということ。追い打ちをかけるように、あらかじめ録音してあった素材が流れることで再びその「表面的な明るさ」が目の前に立ち上り、泣かないはずの女性教師の涙になだれ込むのです。

青木絵璃、ちゃんとしててイノセントなのにちょっと騒がしくというのがなるほど、トリッキー女優の名に相応しく。女性教師を演じた井口千穂は七の椅子からの圧倒的なコメディエンヌが印象的な役者ですが、美人なのにちょっと困らせられる人物をやらせるとやたらと巧いのも彼女の特性。親友を演じた渡辺実希は大きな眼が印象的な役者ですが、なんかテンションが妙なところがあってまた別種のトリッキーさで目が離せません。 不倫教師を演じた山森信太郎は後ろめたい隠し事をする大人、という造形が巧いし、なんか不倫でモテるというのも実は納得させられる説得力。彼氏を演じた一宮周平はどこまでもチャラさが良いのです。 作演を兼ねる保坂萌は、ちょっとサイコパスめいた雰囲気を漂わせつつヤンキー口調というちょっとキャラクタ優先な人物を作り出し、中盤の物語の大きな転換を担います。さすが。

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2017.03.27

【芝居】「青春の延長戦」冗談だからね。

2017.3.25 15:00 [CoRich]

26日まで、王子小劇場。80分。高校生の主宰というふれこみです。

1998年劇団の人々。世の中がプロデュース公演に移り劇団自体が成り立たなくなりつつある中、家出娘がそこに入ってくる。
2008年同棲している男女。女は制作の仕事を受けている。男は戯曲を書いているがろくに働いていないが、いつか舞台を作ろうという貯金と気持ちが二人をつないでいる。制作である女にファンがつき、花やチラシが届けられるが、やがて舞台を作りたいのでスタッフになってほしいという申し入れがある。
2018年オーディションは泊まり込みのテラスハウス形式で行われている。遅れてきた女優は気が付いたら10年前からタイムスリップしてきたのだという。男は女優を口説いたりもする。

おそらくは今の19歳が生まれた頃の1998年を起点として、10年後、20年後を、演劇を巡る人々として点描。行きつ戻りつして描かれるそれぞれのシーンは、それぞれの時代な感じ、たとえば劇団からプロデュース公演に形態が映りつつあるとか、携帯電話を安価に契約させるためのドニーチョ契約とか時代の雰囲気をまぶしつつそれぞれそれなりに物語を作るけれど、互いにつながりはなさそうに思います。

それぞれの物語がとぼとぼと歩みを進めている中、学ラン姿の男が現れ、2017年には第三次世界大戦が起こり、人が暮らせなくなていくった、逃げろと叫びます。一気に女子高生姿の(男性の俳優もみなスカート)役者たちがなだれこみ、大縄飛びで30回飛ぶ、というラスト。

物語を作りっぱなしにしてイキオイで何かを作り上げたようにする、ということかなと思います。若さ故のイキオイというか眩しさは終盤に限らずそこかしこに見えますし、細かく見ていくと面白そうな物語もあったりして。 たとえば2008年の同棲している男女と、制作業をしている女に言い寄りたいがために演劇プロデュースに目覚めてしまった男というなんだかよくわからない感じだけれど、同棲する男女の会話みたいなぐだぐだをそれなりの時間成立させられているというのはたいしたもの。

あるいは1998年に妊娠したということはまさにいま高校生になっている人々の生まれる直前を描こうという感じでもあって、これはこれで一つの意味だし、だから逃げろと叫ぶラストシーンにものなんとなくのつながりを見いだすことはできそうではあります。 そういう意味ではテラスハウスのオーディションと未来から来たと言い張るのにiPhone7を使ってる(このリアリティは面白い)女を巡る話しは少々不発な感じもします。

一つの舞台に載せたそれぞれの断片を必ず物語として繋げていかなければいけないということではないけれど、断片を入れ子にして行きつ戻りつして見せているという形式なら、それを感じさせて欲しいし、終幕の「どかん」な感じは、若々しい眩しさ、ということ以上の何かがほしいとも思うのです。

2008年の彼女を演じた志村りおは前向きに張り詰めて生きている大人の女性という人物をきちんと作り出しています。1998年の作家を演じた曽根来怜久は決して巧い役者ではありませんが、彫りの深い外国人のような見た目が印象的でかつきちんと人物を作り出しています。

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【芝居】「ラクエンノミチ」日本のラジオ

2017.3.19 14:00 [CoRich]

2013年初演作の再演80分。ワタシは初見です。関連するもう一作と交互上演で20日まで阿佐ヶ谷・シャイン。

風俗店の待合室。店長と受付の男は幼なじみ。ナンバーワンはベテラン風俗嬢を慕っている。ミカジメを取り立てるチンピラだが、その兄貴分はしばらく姿を見せていない。新人が体験入店に訪れたある日、腰の低い男が訪れて、姿を見せていないヤクザを探しているのだという。

風俗店の中で行われた違法かつヤクザの仁義すらすり抜けたクスリの売買を背景に姿を消した男をめぐる人々の物語。中心となる男は登場せず、その現場となった風俗店のベテラン嬢、ナンバーワン、新人、店長と幼なじみの店員、常連客、姿を消した男の子分と追う男。全員がきちんと役割をもち物語を担っていて、まさに捨てるところがないのです。もっとも、それゆえにあまりに狭い範囲でいろいろな関係がありすぎる、ということはあるのだけれど、今作ではむしろ物語の濃密さが箱庭のよう。

クスリの横流しという一つの思いつきが本人のみならず、さまざまな人を巻き込み追い込まれ殺されていきます。それは時に自分の恋人を殺された復讐、ときにある種の正義感で助けようとしたことの結果としてなど、単に暴力の結果ではなく、それぞれが殺そうという衝動を、そうするざるをえない状況に追い込んでいくのは見事。

いくつかの愛が物語を支えます。昔から好きだった同性の幼なじみへの想いは年齢を重ねもうそれは叶えられないと思っていても同じ道を歩いていくだけでも幸せをかんじる、あまりに純粋な愛する気持ち。もう一つ、ナンバーワン嬢がベテラン嬢に対する想いは、スーツケースをもって逃げる最後のシーンひとつで濃密に描き出され、舌足らずで作られたお人形さんが、生きた女になる鮮やかなシーン。 さらにはヤクザの彼氏と新人風俗嬢が恋人であるというのももう一つの愛情の形。どこまでも無邪気に彼女のテクニックがすごくなってることを喜ぶ彼氏の幼さと、やっとつかんだかに見えた幸せを壊されてしまった女の静かな怒り。人々が殺し合う陰惨な物語だけれど、それを貫くのは確かに人が人を愛する美しさであり哀しさなのです。

前説は役者の一人、店員が客席側から説明を始め、電話を切れに続いて指入れなどいわゆる風俗店のNG行為を交えて舞台上、つまり物語に入り込んでいきます。ちょっと洒落た感じ。それに呼応するかのように終幕は一人舞台上に残った「観察者」とでもいうべき女が再び舞台から降りて客席後方に去っていく、私たちの地続きから始まり地続きに戻っていく感じか。

交互上演のもう一本の戯曲とセットになった戯曲は、それぞれの人物の裏設定も書いてあったりしてちょっと楽しく、なんかレイアウトもちょっと手作り感の味。いままでは無料で配られる印刷物の凄さに唸ったけれど、つい有償でも手を出してしまったアタシです。

店長への想いを持ち続ける店員を演じた堀靖明は、時折つっこみを見せながらも、純粋に曖昧な笑顔で笑い続け、物語の核となる恋心を担います。好きな役者ですが、こういう役は珍しくて新しい魅力。男を追うヤクザを演じた村山新は腰が低く笑顔のままで殴りつけるアウトレイジっぽい迫力。その落差で客席が凍り付くのです。ベテラン嬢を演じた豊田可奈子は漂うようにその場に居続けブレない観察者で、何事も達観したような感じだけれど、ナンバーワンからのキスに心がさざめくシーンが丁寧でぐっときます。ナンバーワンを演じた田中渚は、終演後に劇団への加入が発表されましたが、なるほど作演に信用された役者、手慣れたといえばそうだけれど、ごく短いシーンできちんと人物を造形する確かな力。

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2017.03.26

【芝居】「夏の夜の夢」RoMT

2017.3.18 14:00 [CoRich]

20日までサンモールスタジオ。160分。

いわゆる夏夢をごくオーソドックスなスタイルで上演。通常男性によって演じられるライサンダー、クインス、フィロストレート、スターヴリングを女性によって演じるということが特徴と云えば特徴です。後の三つについては、女性が演じるということではあっても役としてはあくまで男dという感じ。ライサンダーについてはちょっとぶれるように感じていて、異性愛の男性なのか、レズビアンを内包するのかどっちつかずに作られた印象で、演出が当日パンフで力点を置いて説明しているけれど、具体的にどういう意図でどういう効果を生みだしているかは今一つわからない感じもします。

ごくオーソドックスな上演としてとらえれば、魅力的な役者たち、シンプルな舞台とサンモールスタジオでは珍しく、二カ所の出捌けによってテンポのよい見やすい上演となっています。 ライサンダーを演じた石渡愛は表情の豊かさ、凛とした雰囲気が印象的。ハーミアを演じた井上みなみは魅力的、ヘレナを演じた中野志保実は地味さの中に揺れ動く気持ち。幸せ薄い女みたいな台詞がキマるのです。 オーベロンを演じた永井秀樹のちょっと情けない男な造形も印象的。町人たちの芝居はなかなか面白くなりにくいシーンですが、素人芝居っぽさではありながら、ドタバタとしてのおもしろさがきっちりあって楽しめるのです。クインスを演じた藤谷みきが演出でダメだししたり小声で呟いたり、という突っ込みどころをを見せられるようにしてるのが功を奏した感もあります。芥子の種を演じた河村早映は何より強い声量を持つ歌声が要所要所を抑えます。

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【芝居】「Kテンペスト」まつもと市民芸術館

2017.3.12 13:00 [CoRich]

まつもと市民芸術館から長野県内各所での公演を経て神奈川芸術劇場(KAAT)で12日まで。130分。

弟に裏切られ、娘と友に島に流された男、恨みを持ち不便な暮らしをつづけるうち、魔法を手に入れる。ある日、近くを通った船に弟たちが乗っていることを知り魔法を使って嵐を起こし難破させ、島に流れ着かせる。

舞台面をスケートリンクのように四辺の高くなった客席で囲った舞台。観客の一部は舞台面にしつらえられた椅子に座ります。開場時間中から役者たちは役者同士、あるいは観客に話しかけたりしていているフラットな状態から、やがて物語が立ち上がります。日常の私たちの街角の延長から祝祭感あふれる芝居が立ち上がります。四辺からの出捌けもあって、地続きの場所から物語が立ち上る雰囲気を作り出すのです。

不勉強なことにテンペスト自体を観るのが初めてのアタシです。恨みをため込んだ男が魔法の力を借りて船を難破させるまでの恨み、難破した方はそれぞれの思惑で物語が動きかけるのに、終幕あっさりと許されるのがちょっと肩すかしに感じるアタシです。

歌であったり、あるいは舞台のあちこちで奏でられる楽器、あるいは口琴・ホーミーの深い音によって醸し出されるフォークロアさも印象に残ります。

忠実な老顧問官・ゴンザーローを演じた中村まことは序盤の空気をゆるめつつ、実直さが勝る造形をしっかり。ナポリ王を演じた真那胡敬二は産院のシーンも楽しく。島の原住民を演じた佐藤卓はガサツでありながら愛すべきキャラクターで印象に残ります。

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【芝居】「これは中型の犬ですか?」あひるなんちゃら

2017.3.11 19:00 [CoRich]

80分、12日まで駅前劇場。

女は今まで犬を見たことがなくて、犬を飼うのが憬れになっている。同居している兄が犬を嫌がるので飼うのを反対されているが、兄もその妻も家に居るだけで働いていない。女の勤める会社では会社を辞める男を止めようとしているが決心は固い。課長は次の職業が気になってしょうが無く、先に当てたほうが上司になる提案をしてしまう。果たして女は犬を飼えるようになる。

犬を見たことがない女、兄弟に反対されながらその望み叶えるという一本を軸にしつつ、オフィスの小さな場面を点描。働いてないのに調子がよくはしゃぎがちな兄夫婦にいらっとする気持ち、会社を辞める人が次になにをするか気になる気持ち、軽々しく役職を賭けてしまう上司を困った人と感じること、あるいは社長の娘が意味なく高貴に見えちゃうことなど、日常の中にある風景をすこしデフォルメした点描の楽しさは、それぞれの登場人物の魅力的な造形とあわせて楽しめる、いつものあひるなんちゃら節なのです。

町で犬を見かけたことがないと思っていたけれど、犬を飼い始めて町にあふれる犬を認識するようになった、見えていたはずのものが見えてなかった、というちょっと哲学めいた台詞はかっこいいけれど、それをあっさり会話で流してしまうというのも作家らしくてカッコイイ。

つっこみ役の多い澤唯を、ちょっとおかしなことを云ってボケ倒す役でみるのは珍しいけれど、楽しい。若くして部長にまでなっている女を演じた宮本奈津実はツクリモノ感はあれどクールビューティをしっかり。 久々に拝見する渡辺裕也、四つん這いで現れるコミカルさ。主役を演じた新劇団員・田代尚子、おかしなことを云うというよりは、たった一つ世間からずれているというだけでいろいろおかしな人になってしまう造形かと思っていれば終幕、四つん這いで目がキラキラしてというのは、まさにいっちゃってる人ではあるのだけれど、神々しい。劇団員二人、で夫婦を演じた根津茂尚、篠本美帆はバカップルぶりが安定で楽しく。

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2017.03.21

【芝居】「根も葉も漬けて」やみ・あがりシアター

2017.3.11 14:00 [CoRich]

100分。12日まで、中野スタジオあくとれ。終演後にQRコードを配布して戯曲が読めるという至れり尽くせり。

売れない漫才師、青柳と柏木。柏木は話がうまく怖い話をするバラエティに呼ばれるようになっているし彼女も居たりするが、青柳は話を作っているのに話が巧くないのでなかなか人気が出ないうえ、その部屋に青柳と彼女がたびたび遊びにくる。人気が出なかった男だがおなじ番組に呼ばれるチャンスが巡ってくるが、話が面白くないと煽られ話を稼ごうと外にでる。 が、気が付くと大雪の中、やっとの思いで見つけた家は暖かくもてなされるが、訛がきつくしゃべっていることがわからない。出された漬け物を一口食べた柏木はここはそのわからない言葉を話し、ここが実家だと言い出す。やっとの思いでそこを抜け出して家に戻る。

売れない漫才師、自分が台本を書いているのに、相方だけ売れ始め自分は面白くないといわれる焦る気持ち。面白い話を探しに出かけるとなぜか田舎の大雪の中、ある家族に助けられ戻ってくるという「トンネル」をくぐって時間が少し戻るを繰り返します。

少しの時間の逆行とその短いスパンのやりなおし。祖母の言葉、父の言葉は部分的な単語しかわからないけれど、たとえば自分が好きなものよりより売れるための選択をしていく、ということを繰り返していくことで徐々に売れるラインに乗るようになっていくこと。それと比例するように、雪の中でもてなされる家族たちのきつい訛が理解できるようになり、そこが自分の実家だと感じられるようになっていって。

それは自分を曲げて芸能界(なりその生業の世界)に会わせて自分の評価軸や行動を変化させていくということかもしれません。行きつ戻りつしつつ売れていく自分のポジションの変化。東京では手に入らない「花の漬け物を」を探す病む気持ち。行きつ戻りつを何度繰り返して売れていっても、漫才で二人で売れる結末にたどり着かないこと。

終幕近くになり、「ねっきり、はっきりと云われていたのは俺ではない、これは俺の友達の話だ」ということに思い至ってもとに戻ります。一回りスパイラルしてもとの場所に戻っているけれど、自分の物語を行きたいのだということを明確に意識して一歩を踏み出すのです。

訛りの言葉、でたらめではなく作り込まれた意味の分からない会話がちょっと凄い。戯曲を読むと繰り返すうちに徐々に耳がなれたかのように、徐々に意味が分かるように普通の日本語を交える割合を変えて台詞を変化させていくのが楽しい。同じような行動の繰り返しを演じる間引き方も丁寧です。

相方の彼女を演じた加藤睦望がちょっとぶっ飛んだパワフルさで物語を引っ張り強い印象を残します。

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2017.03.20

【芝居】「未亡人の一年」シンクロ少女

2017.3.10 19:30  [CoRich]

130分、12日までスズナリ。再演とのことですが、アタシは初見です。

夫を亡くして三年が経つ女はまだ忘れることができず悲しみに暮れる日々を送り、母親と二人で暮らしている。その二階に母親が住まわせている男は小説家になりたいと願って長いがモノになっていない。母親は娘に笑顔を取り戻す一助になればと男性の家事手伝いを依頼する。
もうひとり夫を亡くして十年が経つ女も夫を忘れることができず酒浸りで、中学生の娘のことは面倒で毎日のように隣の家に食事を食べさせに行かせて、その家の大学生の息子は密かに好意を持っている。酒浸りの女の女友達は男運が悪いが、小説家志望の男と恋人になり、その恋人を紹介しようと連れてくるが、小説家志望の男は働く気もなくモノになるまでは養って欲しいという。

椅子とテーブルのダイニング、ソファとのリビング、和室という三つの場所プラス街角風の場所を設定。夫を亡くして時間が経つのに立ち直れない二人の相似形の物語。一人は小説家になり母親に心配され最初は望まないけれど恋人を作るに至り、一人は女友達の恋人の小説家志望のダメ男が入り浸るようになり。相似形に見えている二つの物語は、やがて時間軸上に一つに連なる物語が現れます。

夫を亡くしずっと立ち止まっていたそれぞれの女が恋人や「兄」と出会うことで新たな一歩を踏み出すという成長をシンプルに描いた物語は、二人の時間の流れのみならず、親子である二人が相似した人生を歩んでいることを描くという構造によってぐっと奥行きを増すのです。

先の時代の未亡人の前に現れた小説家志望は恋人にはなり得ないけれど、亡夫のことだけで精一杯で、女友達ですら慰められなかったけれど、止まっていた人生をわずかでも進められるかもしれないという気持ちを持たせてくれた男。その男と一緒に暮らすためにとっさについた「兄」という嘘、それは中学生の娘にすらあからさまに嘘だとわかるけれど、それを見守ろうという娘。

並行して語られる後の時代の未亡人を見守る母親はもしかしたらかつての自分の人生に重ねているかもしれません。だからこそ恋人とは限らなくても同じ屋根の下で暮らす他人が必要なのだということが思いつくのかなぁと思ったり。 時におしゃれな音楽で映画が好きと公言する作家のいろいろな引き出しの断片が垣間見えるのも楽しい。とりわけタップを踏むおしゃれなミュージカルナンバー風のかっこよさ。

正直にいえば、終幕近くが少々長い印象。二つの場面の関係は割と早い段階でわかる上に、台詞としてそれが語られるのも割と早い時間だったりして、そのあとにいくつかの小さな会話が続くのが長さを感じさせる理由なのかもしれません。

先生と呼ばれる未亡人を演じた石黒麻衣、ワタシが座った席が序盤表情が見づらかったせいもあって、喋り方が作家・名嘉友美に似ているなぁという印象。丁寧できちんと。その母親を演じた泉政宏は年齢を重ねたおばさん感が程よくいいのです。呑んだくれる未亡人を演じた川崎桜、前半のあまりに進まない感じから先に進むものを見つけてからの瞬発力。その娘を演じた三澤さきは、子供と大人の境界という難しい役、笑顔と怯えのダイナミックレンジが印象的。家政夫を演じた諫山幸治はやけに不躾な造形で、身近に居たら嫌だなとは思う感じだけれど、彼女にとっては必要な存在だというのが作家の優しい視線。

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2017.03.16

【芝居】「鍵泥棒のメソッド」キャラメルボックス

2017.3.5 13:00 [CoRich]

2014年初演作の再演。 12日までサンシャイン劇場のあと大阪。120分。

映画のDVDまで見たのに例によってストーリーをあまり覚えてなかったあたしです。なにごとも中途半端な貧乏役者と裏社会で暗躍する冷徹なヒットマン、少しの出来心で入れ替わる人生。冷酷なヒットマンだけで居たら知り得なかった暖かな恋心の芽生えは成就し、貧乏役者にも新しい恋の予感。もしも〜だったら、の連続をスピーディに紡ぐ物語はさながら冒険活劇も恋物語も盛りだくさんで実に楽しいということを再発見できるのも、記憶力がザルなアタシの楽しみの一つかもしれません。

編集長を演じた実川貴美子、前半のつんとした少々いけすかない感じはある種のツクリモノ感に見えてしまうのは、あれこれの彼女の舞台を観ているからかもしれませんが、それが後半に向けてどんどん可愛らしく変化していく(それを自宅に招いて料理、というあまりにシンボリックなそれで感じてしまうアタシもどうかと思うけれど)モーフィングにキュンとくるアタシです。ヤクザを演じる石橋徹郎、テレビドラマ撮影の場面でも実に軽くて楽しい。このあたり、キャラメルのある種の育ちの良さの土壌とも、商業演劇にありがち(といっても数を観てないアタシですが)のテレビバラエティ臭さとも違う、厚みのある軽さとでもいうべき奥行きに唸ります。 西川浩幸、大森美紀子の夫婦だったり警官ふたりだったりというのはもはやバカップルっぽさなのだけれど、それは劇団のある種のお約束。 助監督と猫娘を演じる金城あさみの若者感、 情婦を演じる森めぐみの生活をもっている、しかしキレイなお母さんな感じ。

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2017.03.15

【イベント】「逮捕(仮)」(月いちリーディング / 17年3月)劇作家協会

2017.3.4 18:00 [CoRich]

2012年にシアターグリーンと中井美穂による企画公演として実施された「落語」を題材にしたショーケース企画での上演作を、今年のリブート再演に向けてのブラッシュアップ。座・高円寺 稽古場にて。本編60分ほど。本編、ディスカッションの録画があります。

噺家の師匠が妻の妹に暴行を加えたとして逮捕された。弟子たちも一番下の一人以外は逃げてしまった。間近に迫った一門会は無理かと思われたが妻と捜査に来た警官の奇跡的な頑張りで乗り越えた。妻の妹は弟子を誘いあのときの再現をしてみせるが、弟子はそれに師匠の姿を重ね果てる。家を引き払おうというその時、妻の妹はほんとうは暴行を受けていないのだと告白する。

噺家自身は登場せず、その妻とその妹、一番若い弟子、警官という四人の芝居。妻の妹が噺家に対して実はかなり想い入れているのにもかかわらず、結婚してしまった姉のとの距離感をめぐる構造。暴行を受け引退に追い込まれる噺家だけれど、それはもう最近は高座もままならなかった噺家を引退させるための一芝居だった、ということかと思います。暴行という物騒な幕開けにもかかわらず、わりといい話に着地させようという感じか。

ろりえ、というよりは作家・奥山雄太の描く世界はやたらに長かったり、コミカルさのバランスが実は少し苦手なワタシです。今作においてもわりとその印象は変わらなくて、四人の人物の気持ちの動きが唐突だったり、なのに元ストリッパーとか、落語の存在自体を知らないのにやってみせたら天才的に巧い警官など、短い芝居に物語には貢献しない枝葉を詰め込み、という感じがちょっともったいない感じがします。

ブラッシュアップの議論を通じて思ったのは、この軽い物語を実に大まじめに作っているということはよくわかるのです。観客との対話というか議論も実にスムーズだし質問への受け答えも実に真っ当。劇作家だとしても必ずしも議論の対話が巧い人ばかりではないk、というのはこのリーディングでいくつか目にしてることだけれど、今回の議論はそういう意味の苛つきは皆無なのです。

議論になったところの多くは、暴行・レイプという題材の扱いでそのわりにけろりとしている女性という人物造形の説得力の無さだったり、その題材ゆえに、実は作家が語りたいコミカルで人情溢れる物語に入り込めないと感じる観客が一定数いるということでした。それもきちんと伝わる感じ。は議論の醍醐味。ゲスト・柴幸男はそれをホワイトボードまで持ち出して分析し、「暴行事件の起きた直後」「そんな中でも開催する一門会のバタバタ」「一門会直後の夜」「後日談」で二番目が分断の原因で、それなのに二番目がそれなりに長くて面白い。抜けば簡単だけどそれじゃ作家の個性だと思うので順番を変える提案。(議論の90分ぐらいのところ)。実に判りやすくて、一目瞭然。

落語の巧い警官を演じた清水伸は、パワフルに押し切っていて好印象。劇団の公演では堀越涼が演じたという話しを耳にして、なるほどそれは役者の特性に依っているのだという印象を持つアタシです。

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2017.03.13

【芝居】「The Dark(ザ・ダーク)」オフィスコットーネ

2017.3.4 14:00 [CoRich]

イギリスの戯曲、日本初演。105分。12日まで吉祥寺シアター。

同じ間取りが連なる三件のテラスハウスに暮らす家族たち。夫を亡くした女が同居する女は息子が幼児性愛だと思われ近所の子供たちが騒いでいる。子供を産んだばかりで神経が高ぶって寝られず社会復帰もままならない若い夫婦。15歳の息子が引きこもりネットにとらわれていて互いの会話も少なくなってきた夫婦。顔は知っているものの、日常的にはあまり会話をしない家族たち。ある日、この一体が突然停電になる。明かりを借りたりと互いの家を行き来する。

何層にも積み重なったいくつかの部屋。三つの家族が同じ間取りのテラスハウスに住んでいるという設定を巧く生かして、三つの家族の暮らしを重ね合わせるように描く世界。時にプロジェクションマッピングを使ったり、同時多発的な会話があったり。作り込まれた舞台のセットはかっこいいし、洒落ています。

家族たちは顔見知り程度ではあるけれどそれほど親しいわけではなく暮らしていて。老いつつある母親と息子、子供が産まれ体調も戻らず苛つく若夫婦、引きこもりの息子を抱える夫婦。 ハンマーを振り回したり自分がガンではないかとおびえたり、赤ん坊に苛ついたり、理由なく犯罪者扱いされたり、世の中が何もかも謀略に満ちていると思いこんだりと、みなどこか不穏なものを抱えているのです。

あふれる光と音の中、突然訪れる停電と暗闇。それぞれが隠している気持ちが表に現れれるもの。 引きこもりの子供は外に出て他の家に忍び込んだり、夜に不満のある妻が若い男をベッドに誘ったり。それは一夜の夢のようなのです。

見た目に美しくスタイリッシュな舞台。同時多発をつなげるかのように、別の組の会話の言葉が重なって場面がつながるようなところもたくさん。台詞と段取りが過剰に多くて、私のみた時点では言葉を紡ぎ成立させることと段取りに役者のエネルギーがとられている、という印象です。長い公演期間ですから一週間経つとずいぶんこなれるのではないか、という予感も。 ワタシにとっては少々スタイリッシュにすぎたり、台詞のつなぎの遊びがこなれてない感はあって、人物の奥行きが見えづらい感じがします。それは英国人のメンタリティをアタシが理解出来てないから、という可能性も捨てきれませんが。

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2017.03.10

【芝居】「もれなく漏れて」ぬいぐるみハンター

2017.2.27 20:00 [CoRich]

ぬいぐるみハンターの新作。100分。28日までOFF OFFシアター。

山奥で暮らしているおじいさんと少女。少女は世の中のことをほとんど知らないままこの場所で暮らしている。羊飼いの少年と、迷い込んだ犬との日々は楽しいが、心臓の持病がもうおじいさんの手には負えず、里から女医とその娘を連れてきてみてもらうことになる。

山奥で暮らす少女とおじいさんと羊飼いとなればハイジだけれど、どこかちぐはぐな感じの背景設定。それは人間なのに犬として暮らす男だったり、里からつれてこられた女医と娘が妙にエキセントリックだったり、ポップというかロックというか、それぞれがマンガのようなちょっと壊れた人々。

その中で女医が連れてきた同年代の少女とのファーストコンタクト、「どこ中?」で距離を計るプロトコルが楽しい。

コントを積み重ねるような笑いを重ねながら、哀しい少女の出自が見えてくる後半だけれど、それを泣きにつなげません。おじいさんにしても女医にしても周りの大人たちが、大人になりつつある少女に少し戸惑いながらも最大限にささえているのはどこか優しい感じ。それなのに間抜けに見えてしまう人々の姿。

対して少女のほうはびっくりするほどからりとしているのです。そういうものだ、と出自を知っても受け流すよう。強がりなのか本当に何とも思ってないのかはわからないけれど、こういう状況でも明るい少女、というのは、そうだ、ぬいハンの得意な人物造形なのだと思い至ります。

少女を演じた見里瑞穂は、まさにこういう造形が印象的。ドヤ顔をいちいち決めたりいたずらっぽい笑顔。いちいち見栄をキメるように客席を向くのは今作においては様式美のようですらあって芝居にフィットしています。 おじいさんを演じた安東信助は、聴診器を少女の胸に当てるのに戸惑うような意識するようなライトないやらしさはバランスの難しいところだけれど気が弱そうなバランスが巧いところ。

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2017.03.09

【芝居】「ミラクル祭(ミラフェス)'17」(B)シアターミラクル

2017.2.26 14:00 [CoRich]

シアターミラクルに関わる劇団による対バン形式の企画公演。110分。26日までシアターミラクル。

意識高い系主婦、パート先の知り合いがパート先の友人の家を泊まり歩いて家にいる。フリマに行くと向かいになった初参加でガサツなおじさんと知り合いになり飲みに誘うと、医者で金持ちだとわかる。家に来ている泊まり歩きの女性は掃除も何でも器用にこなすのでむげに断れない。パート先の別の人が家事を目当てに泊めたいというのもなんか違うと思っている。医者は離婚したばかりで女子高生から主婦まで医院はファンの患者であふれている。が、患者たちの好きだという気持ちは受け入れない。 「CANDY CITY」(MU/ハセガワアユム)
子供の頃、宇宙船のゲームが迫力いっぱいで遊ばせてくれた博士は突如失踪して15年経っている。大人になったら遊びに来いという言葉を思い出して、あのころの友達を誘って行った博士の家はアンドロイドが守っていた。タイムトラベルで2017年に戻ってみると実は地球に小惑星衝突の危機が迫っていてNASAの作戦は失敗している。博士はかつてのゲームが実は本当の宇宙船だといい、かつての子供たちに地球を守るために小惑星破壊の作戦決行を依頼する。 「やねうらコスモス」(ミックスドッグス)

MUはいつものようにねじれてる人々。フリマのがさつなオジさんが医者だとわかると俄然モテるし、泊まり歩いている友人が家事のエキスパートだと断れないし、家事目的で誘うのは間違ってると思ったりする。人の評価は評価する人で決まるのは当然だけれど、評価される人との関係や見え方が変化すれば評価はあっさり覆る、という当然のこと。 医者のファンになって足繁く通う女性たちの描き方を酷いという向きもありましょうが、物語とは離れて男女誰にでもありうること、と見えてくるアタシです。オジサンを演じた織田裕之の微妙にがさつな感じが楽しい。意識高い主婦を演じた加藤なぎさを拝見するのは久々な気がするけれど、ツンとすました感じも好きになっちゃって追う感じもきっちり。しかし、MUは見つけてくる役者がみんなカッコイイし情けなくて奥行きができるのが安心感なのです。

ミックスドックスはおそらくアタシは初見です。子供の頃にゲームだと思ってやっていたことが実は地球を救っていることだったり、時空を越えたり。人々が基本的には前向きということも含めて、アタシの友人がキャラメルボックスみたい、と教えてくれたのだけれど、なるほど。

バック・トゥ・ザ・フューチャー風味、のアクション。いろんな振動やショックを役者たちが身体ごと飛んで床に落ちるということを繰り返します。カラダを張ったアクションだし、若い役者だから成立する旬というのは大切だけれど、正直にいえばインフレを起こしすぎていて勿体ない気もします。

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2017.03.07

【芝居】「陥没」 bunkamura+キューブ

2017.2.24 18:30 [CoRich]

シアターコクーン×ケラリーノサンドロヴィッチの昭和三部作( 1, 2) の最後を飾る一本。 15分の休憩を挟み3時間20分。26日まで。立ち見のすべりこみ。

東京オリンピック、ホテル経営を夢見る父親を交通事故で亡くし跡を継ぐ女。一度結婚したがハワイの視察旅行での浮気を素直に告白した夫を許せず離婚し、死ぬ直前に大阪父が知り合った男が莫大な借金を肩代わりするといって結婚するが、実は男自身も金に困っておりホテルを売り払おうと画策している。
開業目前のある日、元の夫の再婚に向けた婚約パーティを提案するが、さまざまなトラブルが起きる。亡くなった父親はまだ成仏できないまま娘のことを見守ろうとさまよっている。 -->

かつての東京オリンピックを背景に亡父の意志を継いでホテル経営に乗り出す女のあれこれの苦労と、離婚したもとの夫の婚約パーティをどたばたの物語。

わりと重厚な芝居も増えている作家ですが、今作においてはあくまで時代はレトロやすれ違いという状況を作り出すための背景にすぎず、あくまでも混乱の中で再発見する恋心、という雰囲気。 亡父の幽霊や人々に乗り移る人魂風の神様がよかれと思って引き起こす混乱は「夏の夜の夢」を思わせる道具立てで、よりいっそうロマンチックなファンタジー仕立てとなるのです。

ベースはイケイケどんどんな時代を下敷きにしたコメディでありながらも、芸達者な役者たちが演じる登場人物たちはあくまで、その人なりの整合を持った一人の人間で厚みというか説得力があります。 久々の長時間のコクーン立ち見はさすがに腰にくるもので、正直にいえば、丁寧すぎて少々長く、いい歳をしてやるもんじゃないなと反省したりもします。じんわり面白く沁みるという味わいの一本であって、そういう意味では派手さには欠けるというのも正しい評価だろうと思います。それでもしっかり人が入って超満員というのはたいしたもの。

生瀬勝久はいい人に見せて後半、惨めなまでに金に汚くすがりつこうとするヒールっぷり、どこまでも未練がましい汚さを存分に。ヒロインを演じた小池栄子は本当に可愛らしく健気な女性をきっちりと。やけにモテる年嵩の女性を演じた犬山イヌコは夏夢っぽさを作り出す困り顔がカワイイ。

昭和三部作、とはいいながら今作に限らず以前の日本をあまり覚えてないアタシです。今までのものの感想を観てもわりと薄味に感じるという感想が散見されたりするのもこの三部作の特徴です。普通の重厚な芝居を普通に見えるように作り出すというのも実はちょっと凄いことなんじゃないかと思ったりするのです。

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【芝居】「ひとごと。。」だるめしあん

2017.2.24 14:00 [CoRich]

フィクションではありながら、熊本の震災、熊本出身の作家やカメラマンの親友など現実にリンクした100分。26日まで梟門。 拝見した24日昼の回は、劇中に登場する地元のカメラマンの親友・カワバタマイとのトークショーが設定されていました。

熊本を離れてもうずいぶん経つ女。高校の頃のちょっと優しい共感してくれる先輩が亡くなったと聞く。つきあっていたのは20年前。
バイト先、時々ヘルプに入る男のことがバイトの女たちの間で噂になっているが、実はつきあっていることが言い出せないし、彼氏がバイト先の女たちの間で噂になっているのもいい気はしていない、その上二人はセックスレスで女は欲しいと思っているのに彼氏にその気持ちがないのがイヤだと思っている。熊本に行こうと思っていたのに、彼氏に誘われた温泉旅行になびいてしまう。熊本の彼のことを思いだしてしてしまう。男は求め女は求められるという偏見、話し合うこと。webメディアの編集の妹。はじめから好きじゃなかったといわれてしまったこと 地元の友達が熊本の写真を撮り写真展を開くのを聞いて、東京での写真展を手伝いたいと思う。

それぞれの役者の地元語りを発端に、 311ではボランティア活動にも積極的に参加していたけれど、2016年の熊本の震災では地元に戻れなかった作家の女。元カレが死んだらしいということを聞いて慌てたり、家族や友人たちは無事で東京の仕事や恋人が大切で、1年が経っててしまって現地を訪れないままに「ひとごと」になったところから始まる物語。

元カレの死を知ったのが震災直後なのか一年後なのかいまひとつわからない(見逃したのかも)のだけれど、地元に何もできないままのヒトゴト、一方でそれでも意識高く正論として熊本に向き合おうしている知人が少し眩しくてすこしうざったい感覚を持ちつつのもやもや。地元でカメラマンとなっている友人が震災の「旅する写真展」を東京に呼ぼうといういう決意が、徐々に「ひとごと」となっていた地元を東京に引き寄せるような感覚。

それと並行するように、亡くなった元カレを思い出すこと。今の恋人は大切で尊敬しているけれど、セックスレスであることへの悩みというかもやもやというか寂しさというか。元カレを思い出し抱かれるシーンはコミカルさを排して描く「求める気持ち」。いつもの作風とは少し違うテイストを感じます。それは切実で切なくて、そしてとてもセクシーなのです。離れている地元と離れてもう会えない元カレに触れたい近づきたい気持ちが相似形のように描かれることこそが、作家自身の地元への距離感の描き方なのだという一種の芸風でその切実さに心が動くのです。

バイト先の「最低賃金が上がったから時給あがった」みたいな切実さの地に足がついた感じ、演劇の友人たちとの被災地に対する距離感の対比など、作家自身の生活の感覚や地元との距離感への思い悩みを支えるシーンではあるのだけれど、正直に云えば、中心となる物語に対しては少し距離があるように感じるのは気のせいか。そういう意味ではバイト先の女の子が実は女性が恋愛対象だ、というあたりは物語に対して少し勿体ない印象が残ります。

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2017.03.06

【芝居】「こしらえる」無隣館若手自主企画(松村企画)

2017.2.23 19:30 [CoRich]

青年団・無隣館の松村翔子作演による公演。26日までSTスポット。90分。

人気の飲食店を支えるパティシエが無断欠勤している。女にもだらしないし飲んでばかりだが二日連続の欠勤となり心配するスタッフたちだが、店は忙しい上に混乱している。シェフの男とホールアルバイトの女は不倫関係になっている。シェフの妻は猫が居なくなったとふさぎ込んでいるが、愛人にペットの猫として一緒に暮らさないかと提案し、女はそれを受け入れる。
森の中、一人彷徨う男がいる。

森の中を彷徨う男、という風情の山縣太一のシーンをすこしシリアスで詩的な雰囲気で挟みながら、忙しい飲食店の混乱と、愛人をペットにしようという妻の提案のシーンで構成される舞台は喜劇、という感じ。 愛人をペットにしようと提案する上にそもそも存在しない猫を探し続ける妻は文字にすると少々病的な感じですがコミカルを強く造形します。

猫が行方不明といいながら実際には猫はそもそも存在していなくて、流産が原因で妻が思い込んでいること、いっぽうで森を彷徨い死んでいくのは酔っ払ったパティシエなのかと思いきや猫だということが終盤で示されます。飲食店や妻と愛人という「人々の物語」の中では現実には存在しないはずの猫が森の中の物語には存在し、人々の物語で居るはずのパティシエは実は森の物語では描かれていないという形で互いの存在がクロスするような不思議な循環を見せます。

妻を演じた島田桃依の怖いぐらいに病的な存在をこれだけコミカルに描き出す存在感が凄い。その夫を演じた海津忠のフラットさはやってることはだらしないけれど、観客から地続きの視座が心地よい。不倫の女を演じた 井神沙恵に首輪となると何かのプレイかというぐらいにペットっぽさ、強い色気。椅子のパフォーマンスで森を彷徨う男もしくは猫を演じた山縣太一、酒と女にだらしない、という妙な説得力とパフォーマンスの静かさが醸す哲学っぽさの同居が楽しい。

無隣館というよりは「三月の5日間」 (1, 2)のミッフィーちゃんの、という方がアタシには強烈な印象を残す松村翔子、愛人と妻のぶっ飛び具合にあのミッフィーちゃんを勝手に重ねるアタシです。ディック・ブルーナが亡くなった直後にこれを観るというのも(勝手に)感慨深いのです。

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2017.03.02

【イベント】「イカれた女子が世界を救う」革命アイドル暴走ちゃん

2017.2.19 19:00 [CoRich]

30分。あかいくつ劇場

ずいぶん久々に暴走ちゃん。前売りは完売、早めに劇場に行って当日キャンセル待ちのチケットを手に入れて少し先に歩いてみればあるはずのドンキホーテというかバンドホテルが建物ごと無くなってることに驚愕したりするアタシです。 TPAMの中の一イベントらしく、外国人と思わしき観客もそこそこに。もちろんこの劇場だし、TPAMというある種行儀のいいイベントの中ですからワカメや塩や水が飛び交うこともなく、ずいぶんとマイルド。去年の逃げるダンスやら前世やらの曲を交えつつも、膨大なノイズ、物語を読みとることを拒否するかのようにアジア的でアニメに根ざしたライブ風味はっもちろんそのまま。そういう意味では良くも悪くも変わっていなくて好きなあれが今もまだここにあるうれしさは間違いなくあるのです。

私が大好きな糸電話のモチーフ、携帯電話で行き交う人々からモーフィングというのは今の私たちの地続きになるようでわかりやすく進歩していっます。 劇団員のツートップ、高村枝里、Amanda。 高村枝里は、何かが乗り移ったかのような豊かな表情にちょっとびっくりします。Amandaは整った顔立ち、パワフルに突進する雰囲気がうれしい。

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【芝居】「淵、そこで立ち止まり、またあるいは引き返すための具体的な方策について」カムヰヤッセン

2017.2.19 15:00 [CoRich]

劇団としては休止を宣言したカムヰヤッセンの公演は男性の劇団員だけ3人による95分。ワテラスコモンホール。千秋楽。

車いすの母親を殺し自身も死のうとした男の48時間の取り調べ。介護の度合いは低いにもかかわらず仕事を辞め介護に専念した一年で蓄えは底を突いていたが、取り調べの刑事の一人は動機に疑問を持つ。

介護殺人をめぐる48時間の取り調べをめぐる三人の刑事の物語。三人の役者はそれぞれの刑事のほか、代わる代わるその容疑者を重ね合わせて演じます。独身のまま母親の介護であったり、子供が生まれたばかりの不安であったり、あるいは子供はもう成長し手を放れつつある段階であったり。刑事たちのプライベートで語られる親と子の関係をめぐる三つの時間軸は、容疑者という一人の人物に三方向からライトを当てるように背景を映し出すのです。

明確には語られないけれど、母と二人きりで追いつめられるような生活の中、母親の車いすを押して川べりを迷い歩いたりという背景は2006年の京都・伏見での介護殺人を巡る人物をモデルにしているよう、というのは後ろの席に座っていた知らない人の会話から。 もっとも、毒蝮三太夫のラジオの公開収録というあたりは関東という設定なので、あくまでもフィクションとして語ります。 同情や悲しいという感情で寄り添うのではなく、介護と殺人を結びつけたものは何だったのかを考え抜くために、その親子の間に過去にあったかもしれない三つの時間軸で切り取ってみせ、どうして社会はそれを救うことができなかったのか、あるいはどうして二人は閉塞してしまったのかを一つの仮説を組み立てるのです。

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