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2017.02.15

【芝居】「月ノ原中学校音楽準備室」(再演) ブラシュカ

2017.2.5 13:00 [CoRich]

田舎の中学校の音楽準備室とそこを利用する合唱部の人々をめぐるゆるやかにつながる短編集。90分。5日までシアターミラクル。

中学時代の先輩の葬式を合唱部の卒業生たちに知らせる一斉メールで再会したふたり。一人は地元に残り一人は東京のNPOで働いている。親友だったが、東京に出てから連絡を取っていなかった。久々に夜通し話した二人、長い手紙を書く。「面と向かって言えないけれど2」(作演出 上野友之)
地味な同級生を誘って合唱部に入った女、部誌とはいいながら事実上小二人の交換日誌のようなやりとり。アカペラの夢があって、三年の文化祭を目指している。部長となり表では明るく振る舞うが、グチや文句もそのノートには書いていて。「合唱部部誌」(作演出 登米裕一)
その中学で一人も友達が居なかった女、人気のサッカー部男子は自分とは関係ないと思っていたが、いたずらを教師に咎められた目は印象的だった。大人になり旅をすることで自分を保っていた女は旅行代理店で働いている。ある日あのサッカー部男子が客として訪れるが片腕になっていて地味になっている。二人はつき合うようになるが、彼は昔の恋人を忘れていない。その女の葬式がある、と連絡が届く。「フナムシ」(作演出 藤原佳奈)

三つの短編は中学校のある数年の在校生たちの物語。二本目で恋人を得た女の葬式が三本の物語を貫いていて、一本目は葬式をきっかけに再会したかつての親友の云えなかった恋心。二本目は部活の友達だけれど、同じ男に恋してしまった二人の長い間の癒えない心。三本目はそのかつてはモテて居た男の鬱屈とそれによって恋人になった地味だった女というぐあいにつながるのです。

「面と〜」は中学生のときと大人になった現在の同じ人物を二人の役者がそれぞれ演じ、メールもしくはLINEのオンラインの会話だけを徹底するスタイル。二人が会って話したシーンをばっさり切り落とし、別れてからのお礼のやりとりを語ったり、時間軸の変化を役者の入れ替わりで示すなど独特のリズムを生み出しておもしろい。「言えなかった」ことが何なのか自体はわりと早い段階で見えてしまう気もするけれど、今はそれぞれが今の状況と気持ちで人生を歩んでいるけれど、あのときそうだった、ということが見えてくるのはまた、大人の気持ちを丁寧に描く物語なのです。

「〜日誌」もまた、日誌に書いた交換日記というスタイルを随所に取り入れます。ただ、こちらは必ずしもスタイルとして徹底しているわけではありません。部活に熱心に取り組むようなポジティブな気持ちと交換日記の女子中学生っぽいある種の浮かれっぷりの語り口だけれど、その表面の明るさの内側に潜んでいたものがあからさまになる落差がいいのです。 埋没しそうに地味だった彼女を拾い上げたのに、私が欲しいものを彼女は持って行ってしまうという、同じグループの中でもあるスクールカーストの序列がわっと見えてくること、中学生の頃の些細な恋心のすれ違いを許せないままにこの年齢になってしまったこと。

合唱部ですらない地味に生きてきた女の一人語りのスタイルをとる「フナムシ」は、大人になりかけている女子が自分には手に届かないとあきらめている人気者に心動かされる序盤と、そんなことはついぞ忘れていた大人の日々に自分よりは明らかに卑屈な弱者になった男に再会し微妙な力関係で恋人となる中盤、それでも男の中にずっと居続ける女がいることの落胆と、しかし生きている二人はそのある種のあきらめを抱えたまま生きていくのだろうなという終盤。佐藤みゆきはこんな短い物語なのに、女が変わっていくことを見事に描くのです。

かつてその学校の音楽教師で合唱部顧問だった女がMCのように三つの物語の幕間をつなぎます。それぞれの物語は静かでどちらかというとシリアスな語り口なのに対して、日誌をこっそりのぞき見たり、ケツアゴ板前に猛烈な恋のアタックをしたりとコミカルさを強く押し出したスタイル。好みはありましょうが、緩急というかリズムがついて私にはちょっと見やすくてうれしいスタイルなのです。演じた小玉久仁子の力量を存分に。

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