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2017.02.27

【芝居】「溶けて解せない」からまわりえっちゃん

2017.2.18 19:30 [CoRich]

関西の劇団、パワーと笑いで押し切る115分、むしろ懐かしい気すらするアタシです。大阪のあと、王子小劇場。19日まで。

未来の日本、年齢で成人を区切ることの理不尽という世論の高まりから法制化されたのは「めばえ」が確認されたら大人になる、ということだった。28歳になっても「めばえ」がなく学校に通い、毎日秘密基地に集う同級生の男女たちはむしろ大人になりたくないと思っている。
ある日、そのうちの一人が「めばえ」る。文科省はそれを発見し特殊部隊を投入して確保し大人と認定しようとするが、パイパーと呼ばれる反政府組織がそれを阻止する。

細かなギャグやらおかしな振る舞いなど、ときには本筋を大きくはずれながら詰め込んで、しかも「めばえ」つまり毛が生えたかどうかで判定し大人となると容赦なく社会人、というある種のディストピアな描き方。大人になりたくない子供たち、という枠組みは既存のものとして語られるけれど、大人の側は立派に社会の一員となったり、あるいは恋人の関係だったりとごく断片だけが語られるのみです。子供の側からみえるほんの一面で知らないが故の恐怖ということかもしれないけれど、正直にいえば、命の危険を伴ってまで子供になることにこだわる理由は今一つ見えない感じ。

こんな荒唐無稽な枠組みに、明らかに大人なのに子供にとどまる人々、怪しい色香を漂わせる美容師や長官など特徴あるキャラクタ、さらにはレジスタンス的な地下組織にヒロインっぽい大人の女性など、対決と成長の物語を少年ジャンプよろしく描きます。さらには先に大人になっていた弟と子供のままでいたい兄の兄弟の愛情と、初恋の女をモノにできなかった屈折など、成長には事欠かない要素をたっぷり。

オリジナルの歌も3曲、膨大なギャグと、その中にきらりと光るいい話し。骨格としてはどこか新感線を思わせるし、王子小劇場の規模でのこのテンションの芝居という意味ではたとえばピスタチオ、たとえばクロムモリブデンなどが上京してきたときのある種のイキオイを纏うのです。

叛乱軍の女戦士を演じた浅野望の凛とした感じ、キレるところの可愛らしさ。 美容師とママを演じた平山晴加はやけに色っぽく、コミカルで突っ走り。長官を演じた玉一佑樹美のお茶目さ、終盤近くで委員長に跡を託すという絶妙な怪しさ。委員長を演じた福冨宝の掟を守るちょっとイケてないジョシ感が楽しい。ママに何でも話しちゃう男子を演じたムトコウヨウはキャラクタ先行の感あれど、印象に残る役。

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2017.02.26

【芝居】「ラクリーメ・ロッセの読書会」もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡

2017.2.18 15:00 [CoRich]

何カ所かでの上演をしながらブラッシュアップを重ねる企画公演。 85分。歌舞伎町jimushono1kai。19日は小田原公演。

田舎の町のトマトケチャップ工場。村長と社長の熱意で一度は好調だったが、商品の多様化に失敗し負債を抱えて倒産し負債は村に残された。村長は姿を消し、社長は崖から飛び降りた。社長の女は弁当屋からの転身で常連客の男たちに声をかけて男たちは魅入られるように働いていた。
いよいよ出発という日、社員たちは追われるようにこの土地を出ようとしているが、社員の一人は社長が飛び降りるときに残した文庫本を熱心に読んでいる。男を追ってこの村で住んでいた女が一緒になろうと考えているが、男は社長が忘れられずにこの村に残るという。

一等地にあるのにコンクリ打ち放し、バーカウンター付きというちょっとおもしろい場所。バックヤード風に仕立てて、廃工場という雰囲気に。 前半は愉快な男たちという人物造形、工場が閉鎖され追われるように出て行く人々という背景を説明しつつ、やがて姿を消してしばらく経つという女性社長のことがみんな好きで集まったというちょっときな臭い登場人物の共通点が語られます。唯一の女性の登場人物のこともみんなちょっと下心がありつつ、それはあくまで二番手、いっぽう女性はこの男たちのなかの一人のことが好きでここまで単身追いかけてきていて、その追いかけている男は、男たちの中でもとりわけ女性社長のことが好きで、置いていった文庫本にヒントがないかとずっと探し求めて没頭しているという構図。

謎めいた社長の失踪、一度は好調だった工場が閉鎖に追い込まれるなどきな臭い話題には事欠かないのに、その問題自体はほとんど解決されません。それは劇中の文庫本が女性作家の手によるもので、問題は解決されず関係を描くことに作家の興味がある、というものとおそらくは自覚的に相似形を描きます。唯一の女性がカップリングの相手を変える、ということは、(双子の兄弟が決別すると同様)、実は大きな決断なのだけれど、芝居の上ではわりとあっさりで、結果としては何も解決せずに終わる、という印象を残します。

女性作家が、という意味では男性の一人がレディスディは男性差別だといってみたり、女が誘うから男が勘違いするなど、男が書けばあっという間にアウトなことをいくつか。この二つ、作家自身の客観視なのか、あるい何かの開き直りかと思うほどに、こちらもおそらくは自覚的に描くのです。

作家自身の 問題意識の表出もまた、そういう事実がある、ということ以上には進みません。男がこの町で閉塞して生きていくのと同様、作家自身が何かをあきらめたのかといういらぬ心配をするアタシですが。

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【芝居】「こんこん」「跡」世田谷シルク

2017.2.17 19:30 [CoRich]

19日まで関内のシェアオフィス・さくらWORKS。初演となる無言劇+2012年初演作で140分(休憩10分)。

引っ越してきた家に赤ん坊が生まれる1950年。ビートルズを聴き、女の子を家に呼んだり、結婚や離婚したり、娘が結婚したり猫と暮らし。2040年まで「跡」
目覚めた男、気がつくと妻は狐だった。驚いて飛び出し落ちた穴の中で古い家に住む妻に会うが貧しい。その中で餌を与えた狐が恩返しにやってくる。「こんこんこん」(初演時、 「Kon-Kon、昔話」)

「跡」は 一人の男を中心にして、赤ん坊から死ぬまで、周りの人々や状況の変化を早送りあるいはモーフィングのように描く一本。まだ戦後の色濃い1950年から着ているものが変わり、ビートルズが現れるという世の中の変化と、結婚し娘ができるが離婚し、あるいは母が亡くなり姉と再会し、自身が介護を受けという自分の変化。一人ギターをつまびく男、奥で跳びはねる女たち、という躍動のシーンを2017年の現在に置き、さらに先、一人で暮らしロボットに介護を受ける未来をも見据える2040年までを描きます。

無言劇は少々苦手なアタシですが、全体にテンポがよく短いシーンの連続であることや、どこかコミカルさが随所にあることもあって、思いの外飽きずに観られます。現在がもっとも躍動し、未来は静かではあっても少々寂寥を強く感じさせるように描くのは作家の何かの実感なのか、あるいな一人いきる男への客観視かはわからないけれど、娘も妻もないアタシでもちょっと身にしみるのは、ちょっと体の自由が利かなくなる実感がぼちぼち出てくる年代ということなのかもしれません。

男を演じた伊藤毅はコミカルさが強い印象の役者ですが、しっかりと真ん中に居続ける強さを感じさせる一本。とりわけ、娘が訪ねてきて結婚を告げるシーンの父親の表情が奥深く印象に残るのです。

再演となる「こんこんこん」、 初演では堀越涼が担った冒頭の落語からほぼすべてを再現した印象。不思議な国のおじさん、というおじさんをめぐる昔話のアソートという感じでもあるけれど、芝居用ではなく自由の利かないシェアオフィスという場所の上演でもそれにあわせたポータビリティが生まれた気がします。 もうひとつのポータビリティはマンガの放射線や効果音を動くついたてのようなものに写してちょっとコミカルに、テンポに変化を加えることで、これもいいスパイスになっています。

自分の子供を毛皮にして売っている母狐、あるいは恩返しに訪れた娘を吉原に売り飛ばしてその金で家を立て替えて暮らしていることなど、ポリティカルコレクトネス的にはまったくNGな昔話は、たぶんかつての現実の一面を核にして描く物語。娘が亡くなってるというのに感謝すらせずに改築した家にさぞ当たり前のように住む妻を前にして静かに絶望し絶命する男、実はなくなっていなかった娘が戻ってくるのもまた絶望なのです。

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2017.02.22

【芝居】「みんなよるがこわい」贅沢貧乏

2017.2.14 19:00 [CoRich]

横浜で開催のTPAMで上演された再演作。あたしは初見です。50分。15日まで長者町・アートプラネット Chapter2。

雑然とした町で暮らす女。帰宅して布団には入ったものの。ワタシのなかのいろいろがせめぎ合う。もし火事が起きたらどうしよう、泊めてくれる友達は居るだろうか。結婚式に出てなかったり大学辞めて美大落ちてて合わせる顔が無かったり、バイト先は没交渉だし。この前声掛けてきた男の子はどうだろう。電話してみようか。

雑然とした町で一人暮らしの女、その一室を模した舞台。疲れ切って帰宅し、電話でデザイン的な何かの打ち合わせをしたり化粧を落としたりという時間が過ぎて寝床に入ってからが物語のポイント。ベッドの下、三つ並んだ箱の中で電気をつけたり暴れたり。一人の女の心の中の葛藤をあらわすように、時に同調し時に対立した会話。「のーちゃん」と呼ばれる右端(寝ている女の頭側)は、やや理性的だったり臆病な気持ちという色づけはあるけれど、左側、真ん中はそれに比べるとちょっと面白がりだったり、恋心全開だったりという程度の色づけで、三人が明確な役割を与えられているわけではなさそうに思います。それよりむしろ三人、という奇数であることが重要で多数決のバランスが些細なことで変わってバランスが変化していくおもしろさ。

三人の会話からどうも会社大学(ご指摘感謝)を辞めて美大に通ってデザインの仕事をしたいらしいが、今は別のアルバイトで、印刷物のデザインだけでは食っていけてない感じ。その不安定さと、夜一人で居ること、火事で焼け出されたら自分はどうしたらいいのだろうという不安に押しつぶされそうになっている、というこの感覚が物語のベースになっています。この前のあの男の子はどうだろう、という夢想はちょっとほほえましく切実だけれど、火事になるかもという不安はきっかけではあっても、誰かを求めたいという気持ちこそが先にあるんじゃないかという感じがします。

不安だから、それを解消したいから、という「後押し」で一度しか会話をしたことがない男に夜中に電話する後半。相手の男の言葉は聞こえないけれど、相手はどうも自分のことを覚えてないどころか、いろんな女に声をかけてるんじゃないか、というチャラさが見え隠れするのに、ちょっと食い下がって会話しようというのが切実さと、乗りかかった船感を感じられて、好きなシーンなのです。

それにしてもつくづく恋してそれがうまくいかない女の芝居が好きなあたしです。一人の女の内面の葛藤を多数決がうまく働く三人にして、不安故の夜中の電話、という一つの話題で引っ張ったのが巧くて、コンパクトでポータブル、いろんな場所で上演できそうな広がりのある一本なのです。「のーちゃん」を演じた大竹このみのどこか引っ込み思案な感じが可愛らしい。真ん中でいろいろいたずらっぽく思いついちゃう女を演じた田島ゆみかは豊かな表情が楽しい。

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【芝居】「夜の玩具」エレマミーノ.com

2017.2.12 17:00 [CoRich]

猪股俊明、瑛蓮、橋本真実による演劇ユニットの旗揚げ。エレ(ン)×(ハシモト)マミ×イノ(マタトシアキ)、という名前だそう。 下北沢のバーでの公演のあと、パワーアップして横浜・ベイサイドスタジオ。12日まで。近代能楽集の「葵上」と「班女」の上演。

入院して苦しむ妻を見舞う夫。看護婦は毎夜訪れる女が居るという。現れたのはかつての恋人だった「葵上(あおいのうえ)」
扇を交換し愛した男を駅のベンチで待ち続ける狂気に陥る女。その女の肖像を描くために住まわせている画家志望の女。新聞に載った待っている女を尋ねてきた。「班女(はんじょ)」

タイトルを聞いたことはあっても恥ずかしながら読んだこともなければ上演を観るのも初めてなあたしです。普段は稽古場として使われることの多い場所でコンパクトにシンプルな舞台と、ちょっと雰囲気のある暗さ。二杯分込みのドリンクとあわせて、独特な夜の雰囲気。途中窓を開けるシーンがあってその時間は少々外は明るいのだけれど、思いのほか夜のままという感じなのは不思議な感覚なのです。

「葵上」はオカルトというかホラーめいたちょっと怖い話。赤いドレスのマダム、というにはかなり若い女優だし、夫は、とりわけ回想シーンのヨットの上はかなり若い設定だと思うけれど、年齢差を軽々と越えてしまうような軽快さもあって、舞台ゆえに成立する嘘だけど、観ていて楽しいのです。ベッドの上に伏せっている妻はシーツをかけただけのソファというだけなのだけれど、そいういう見立てもシンプルな芝居らしく。

「班女」は狂うまでに男が恋しい女、それゆえの美しさに魅せられ手放したくない、囲い込みたいと拘泥する画家の女。新聞でその存在が広く知られこの関係が壊れてしまうことを恐れ二人で逃避行をしようと誘うが、やはり待ちたいといいそれに抗うことができないパワーバランスの中盤が見応えたっぷりなのです。男が現れてもそれが待ち望んでいる恋人だと認識できない終盤、会えないゆえに理想が心のなかでどんどん高まってしまうゆえに完成した二人の女の閉息した世界もまたひんやりとする怖さがあるのです。

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2017.02.19

【イベント】「かけみちるカデンツァ」(月いちリーディング / 17年2月)劇作家協会

2017.2.11 18:00 [CoRich]

横浜で二回目となるリーディングとブラッシュアップの議論のイベント。YouTubeで録画が配信されています。

赤いカーディガンを着た女がボトルメールを海に流すとゴカイが現れる。ボートピープルがその浜辺にやっとの思いでたどり着く。
住宅展示場ではいろんな不思議な間取りがたくさん。観葉植物を育てる女。コールドスリープで何万年もかなたに旅をする一団、たったひとり精神だけが早く覚醒してしまった女の孤独な旅の前途。
一人の娘に二人の母親、一人は失った娘を忘れられず、一人はいないはずの娘を追い求めているが、娘は 夜中に家を抜け出して居場所をもとめて暴徒ピープルの中に身を投じる。

膨大な言葉遊びと思わせぶりな断片、いくつか設定された場面の断片を細切れに繋いでいます。正直に云えばリーディングだけでは徳に前半は言葉遊びで紡ぐスノップ臭さを感じて入り込めなかったアタシです。ディスカッションでも指摘のあったとおり、後半に急速に物語を紡ぐような感じはあって、アタシにとってはディスカッションのあれこれを聴いてみれば楽しめる、という敷居の高さがありますが、作家自身はこれでももっとも判りやすい一本なのだといいます。

身体がいわゆる植物状態となった少女の頭の中、というのが物語のベース。頭は明確に働いているけれど外で起きていることは判らないし、自分の意思を表現することもできない状態で、一人で物語を紡ぎ続けること。いつ終わるともわからない膨大な時間の絶望は宇宙船のコールドスリープの物語につながります。二人の母親のシーンはワタシには明確ではなくて、外で現実に起きていることなのかあるいは少女の頭の中で考えたそとのことなのか。植物、ということの連想からは住宅展示場と観葉植物の断片が語られます。振り返ってみれば断片それぞれには意味がありするすると繋がっていきます。元々の企画が女優ばかりで人数を指定した企画公演に向けて書かれたものだそうなので、登場人物の人数も物語に対して少々多い感じがしないでもありません。

手強いホンに対して、ベテラン勢で固められた俳優陣。台詞の言葉や声色の力強さを見ているだけで楽しめるという一面は、贅沢な楽しみ方なのです。戯曲は読んでおいて、当日の朝からの練習だけでこのクオリティ、ということの心強さなのです。

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2017.02.16

【芝居】「ドーナッツ◎ホール」BOCA BoccA

2017.2.11 14:00 [CoRich]

12日までOFF OFFシアター。

かつて教会に併設されていた宿泊施設。今はもう使われていないが、かつてこの場所で暮らし生活を立て直した若いシングルマザーや近所の居酒屋夫婦、警察官などそのころの知り合いたちが今も時々集まっている。行き場のない女が教会を訪ね、牧師は一時的に泊めている。
ある日、居酒屋夫婦が息子の20歳の誕生日パーティを開こうとみんなが準備をしていると、包丁を持った女が押し入ってくる。今朝死亡した女がなぜ殺されたかを聞きたいと、警察官に迫る。

小さなコミュニティ、そこに寄り添いあう人々。序盤ではわかりやすくシングルマザーはこの場所に守られた人として語られます。死んだ女もまた少し前にここに出入りし守られ、押し入って来た女も恋人を失った喪失感をここで少しだけ埋め、謎めいた女もここを宿り木にして羽ばたくのです。非難されることなく守られる場所、現実にはちょっと難しいような全面的に受け入れられる場所がここにはあるのです。

居酒屋の夫婦は少し色合いの違う雰囲気を持ちます。言葉というよりは叫びに近い言葉の多い妻と、翻弄されつつも見守っているような夫。息子の誕生日パーティのはずだけれど息子は現れず、翌朝を迎え、息子はすでにこの世にいないことが知らされるのです。大切なものを失い空っぽになった二人もまた、このコミュニティに守られているのです。

物語としてそう突飛ではなくて、それぞれの人物を描くという感じ。 警察官を演じた安東桂吾はまっすぐでかっこいい落ち着いた役が続き、すっかりいい男のキャラクタへ。夫を演じたちゅうりのアコーディオン演奏はかっこよく、優しい視線もまた年輪ゆえの厚み。妻を演じた川崎桜は少々荒削りなキャラクタだけれど、高い身長とあいまっての迫力。謎めいた女を演じた山本珠乃は体型がそのままでるようなチューブのワンピースが色っぽく、そしてかっこいい

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【芝居】「鯨よ!私の手に乗れ」オフィス3○○

2017.2.5 16:00 [CoRich]

80年代小劇場の香りを存分に、その時代を牽引してきた劇団の女優たちを揃えて上演する120分。5日までシアタートラム。

入居者のほとんどが認知症の介護施設。東京で演劇を60歳まで続けてきて今でも忙しく暮らす女・絵夢が突然取れた休みの合間に入所している母を見舞う。食器や部屋の細部にまで細やかな暮らしをしていた母親が施設で規則に縛られて暮らすのにショックを受け職員たちに不満をぶつける。同じ施設に入所していたり、職員として働いている同世代の女たちは、母親も含め40年前に解散した地方劇団のメンバーだったが、主宰が行方不明になり上演できなかった最後の作品を再びつくりあげたいと約束し、かつて稽古をしていた古い工場の跡地に建てられたこの介護施設に入所している。
その幻の作品は、南洋の島の子供たちを救う病院船の物語だった。主宰が書いた物語だった。その結末は認知症患者に上演させるのは忍びないと台本を介護士が破り捨ててしまっている。結末を自分が書くと、絵夢はいいだす。 病院船の危機を救う国境なき巨大潜水艦・ブルーホエールの幻想は、母親が子どもの頃に見た巨大な鯨の姿煮重なり合う。

ワタシがリアルタイムで観ていた世代ではないけれど、青い鳥、ブリキの時発団、NLT、東京乾電池、劇団四季と蒼々たる面々の女優たち。渡辺えりらしい、現実と妄想の間をするりと行き来するファンタジー仕立ての後半だけれど、前半では老いて記憶が怪しくなり、介護はされているけれど「きちんとした生活」を自分で送れなくなっている母親のこと、あるいは自分もまた還暦を迎えて若くはなくなっているというおそらくは作家自身の現実をベースに描きます。この二つを繋ぐのは、かつては演劇を志し、あるものは成功しあるものは演劇を離れて暮らしてきた女たちのここまでの人生、さらには認知症ゆえの妄想のファンタジー。

現実パートでは、老人ホーム自体の入所待ちが長いこと、今は寝たきりで出ている父親の年金を合わせたおかげでこの介護施設に入ることができ、弟夫妻の共働きの生活も、あるいは東京で還暦にもなって蓄えもなく演劇で暮らしている女の、絶妙というより綱渡りなバランスでなんとか成立している今の生活が示されます。それは今の日本で老いていくことの現実を描き出すのです。それは作家の経験かもしれないし現在の日本が抱える現実かも知れません。それでもまだ元気ならば働かなければいけないのもまた現実で。

後半のファンタジー仕立てのシーンは、認知症の役者たち、というベースの上にそれぞれの女たちのこれまでの人生を描きます。それは決して華やかなものばかりではなくて、出征兵士の慰み者として自分を売った母親だったり、出稼ぎに出たまま音信不通となった母親だったり。わりと深刻な背景だったりもしつつ、 時にタップダンスや、ミュージカル風に歌い上げたり、屋体崩しだったり。芸達者な役者たちがそれぞれのフィールドで、それはまるでショーケースのようなのです。

インタビュー記事によれば、作家自身の投影という役を担うのは座組では若い桑原裕子。還暦という設定は流石にご愛敬な感じではあるけれど、ブルドーザーのようにパワフルで、正しいと思うことに一途な造形はたしかに作家に重なり、ベテラン勢とキッチリ互角で、それこそ高校生の時の舞台から見てるアタシには、思えば遠くに来たもんだ、な気持ち。ピンチヒッターで母親を演じた銀粉蝶は必ずしも彼女の背景をもった役ではないけれど、ちょっとしゃれっ気と存在感。その義理の娘を演じた広岡由里子はとぼけた毒が存分な役で奥行きを持って描きます。タップなどダンスがキレる坂梨麿弥も印象的。

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2017.02.15

【芝居】「月ノ原中学校音楽準備室」(再演) ブラシュカ

2017.2.5 13:00 [CoRich]

田舎の中学校の音楽準備室とそこを利用する合唱部の人々をめぐるゆるやかにつながる短編集。90分。5日までシアターミラクル。

中学時代の先輩の葬式を合唱部の卒業生たちに知らせる一斉メールで再会したふたり。一人は地元に残り一人は東京のNPOで働いている。親友だったが、東京に出てから連絡を取っていなかった。久々に夜通し話した二人、長い手紙を書く。「面と向かって言えないけれど2」(作演出 上野友之)
地味な同級生を誘って合唱部に入った女、部誌とはいいながら事実上小二人の交換日誌のようなやりとり。アカペラの夢があって、三年の文化祭を目指している。部長となり表では明るく振る舞うが、グチや文句もそのノートには書いていて。「合唱部部誌」(作演出 登米裕一)
その中学で一人も友達が居なかった女、人気のサッカー部男子は自分とは関係ないと思っていたが、いたずらを教師に咎められた目は印象的だった。大人になり旅をすることで自分を保っていた女は旅行代理店で働いている。ある日あのサッカー部男子が客として訪れるが片腕になっていて地味になっている。二人はつき合うようになるが、彼は昔の恋人を忘れていない。その女の葬式がある、と連絡が届く。「フナムシ」(作演出 藤原佳奈)

三つの短編は中学校のある数年の在校生たちの物語。二本目で恋人を得た女の葬式が三本の物語を貫いていて、一本目は葬式をきっかけに再会したかつての親友の云えなかった恋心。二本目は部活の友達だけれど、同じ男に恋してしまった二人の長い間の癒えない心。三本目はそのかつてはモテて居た男の鬱屈とそれによって恋人になった地味だった女というぐあいにつながるのです。

「面と〜」は中学生のときと大人になった現在の同じ人物を二人の役者がそれぞれ演じ、メールもしくはLINEのオンラインの会話だけを徹底するスタイル。二人が会って話したシーンをばっさり切り落とし、別れてからのお礼のやりとりを語ったり、時間軸の変化を役者の入れ替わりで示すなど独特のリズムを生み出しておもしろい。「言えなかった」ことが何なのか自体はわりと早い段階で見えてしまう気もするけれど、今はそれぞれが今の状況と気持ちで人生を歩んでいるけれど、あのときそうだった、ということが見えてくるのはまた、大人の気持ちを丁寧に描く物語なのです。

「〜日誌」もまた、日誌に書いた交換日記というスタイルを随所に取り入れます。ただ、こちらは必ずしもスタイルとして徹底しているわけではありません。部活に熱心に取り組むようなポジティブな気持ちと交換日記の女子中学生っぽいある種の浮かれっぷりの語り口だけれど、その表面の明るさの内側に潜んでいたものがあからさまになる落差がいいのです。 埋没しそうに地味だった彼女を拾い上げたのに、私が欲しいものを彼女は持って行ってしまうという、同じグループの中でもあるスクールカーストの序列がわっと見えてくること、中学生の頃の些細な恋心のすれ違いを許せないままにこの年齢になってしまったこと。

合唱部ですらない地味に生きてきた女の一人語りのスタイルをとる「フナムシ」は、大人になりかけている女子が自分には手に届かないとあきらめている人気者に心動かされる序盤と、そんなことはついぞ忘れていた大人の日々に自分よりは明らかに卑屈な弱者になった男に再会し微妙な力関係で恋人となる中盤、それでも男の中にずっと居続ける女がいることの落胆と、しかし生きている二人はそのある種のあきらめを抱えたまま生きていくのだろうなという終盤。佐藤みゆきはこんな短い物語なのに、女が変わっていくことを見事に描くのです。

かつてその学校の音楽教師で合唱部顧問だった女がMCのように三つの物語の幕間をつなぎます。それぞれの物語は静かでどちらかというとシリアスな語り口なのに対して、日誌をこっそりのぞき見たり、ケツアゴ板前に猛烈な恋のアタックをしたりとコミカルさを強く押し出したスタイル。好みはありましょうが、緩急というかリズムがついて私にはちょっと見やすくてうれしいスタイルなのです。演じた小玉久仁子の力量を存分に。

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2017.02.10

【芝居】「ひとり」年年有魚

2017.2.3 19:30 [CoRich]

3年ぶりリブートなのに2017年中の活動休止を決めた年年有魚の企画公演。115分。5日までRAFT。

トイレ掃除のパートをしている女、鼻歌交じりでの仕事の途中、かつての恋人に再会する。「しあわせ芝居」(トツカユミコ)
ウサギを追い穴に落ちた女の子は不思議な世界に迷い込む。みんなが椅子に座り窓のような箱を見ていたり、赤い口紅の女にお茶会に誘われたり、ジンジと名乗るイケメンの男に声をかけられたり「わたしの国のアリス」(前有佳)
一人部屋に居る女、スマホや本を見ながら、のVR体験「暗渠」(平田暁子)
20分ぐらいで語る林芙美子の『放浪記』。「235」

三人の女優による一人芝居三つに、一人芝居を三人による言動分離+ト書きに分けて演じる芝居一本で構成。合間にスケッチブックに書いたタイトルを見せるシーンを挟みつつ。

「しあわせ〜」はおそらくはパートでトイレ掃除という仕事の日常を暮らしている女。たぶん鼻歌交じりでやるぐらいには不満はなくてという日常に突然紛れ込む、若き日の恋人。男子トイレという設定が絶妙ですが、それが前半では「個室」の酔っぱらいを介抱するパートでは性別がいまいちわからずもったいない。かつての恋人との突然の再会パート、その心の動き、とりわけ「コンサル」という無理筋な見栄の張り方のズレ方が切ないのです。

「〜アリス」は今作の中でもっとも(とりわけ)テキストとして力作と感じます。穴におちた女から見えた世界がとても不思議と女は云うけれど、通勤してオフィスで仕事をし、という日々のこと。日常で当たり前と思う小さな理不尽を執拗に、しかしあくまでファンタジーとして描き出す力量。正直にいえば、物語全体が日常が違って見えてしまった女、精神疾患を患った女の視点、と見えなくもなくて、ちょっともやもやする気持ちが残るのは、まあアタシだけかもしれません。

「暗渠」は無言劇のスタイルで、「ちつトレ」なんていう本を小道具に使ったり、かきまぜたヨーグルトをつけたスプーンを腰の高さに手で固定し舐る、というかなり下世話に寄せた演出になっています。身体のくねる感じであったり、劣情が刺激されまくるアタシです。ショーケース的な女優の魅力が存分に見えるけれど、芝居なのかということでは少々微妙なアタシです。

「235」は、次回公演で予定している一人芝居を、動き、台詞、ト書きという三つのパートに分離した言動分離スタイルの濃縮編。しっかり放浪記なのはわかるけれど、このやり方だと誰が、とかどういう演出か、というあたりがポイントになりそう。

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2017.02.09

【芝居】「This is 30」シンクロ少女

2017.1.29 19:00 [CoRich]

2015年初演、 2016年再演(未見)作の三演め。この季節の風物詩になりつつある80分。 29日までスタジオ空洞。

30代になった三兄弟、長男は妻を亡くしたシングルファザーだがだめ男、次男は小説家を目指していて、 三男は金融で稼いでいる。かつての次男の恋人と結婚することになった三男が兄弟を集めて報告がてらのドライブ。 枠組みはそのままだけれど、 一人登場する女優を毎回変えているようで、初演は作家自身が、今回は宮本奈津美が。今回さらに、次男と三男を入れ替えて、細部、とりわけばかばかしい雪中行軍(口三味線)の曲を替えています。

劇団だからできるさまざまなバリエーション、思い立ったようにどこでも公演が打てるようなポータビリティ。あちこちでちょっとやってみる、なんてのも面白そうだと思ったりもするのです。基本的には爆笑編なので敷居も低そうだし、いろんな人々に演じてほしいと思ったりもするのです。

私たちの日常の延長線上の物語。だからこそ気楽に上演して、気楽に見に行きたいなぁと思うのです。

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2017.02.08

【芝居】「銀杏(シルバーアプリコット)はだれのもの」空飛ぶペンギンカンパニー

2017.1.29 15:00 [CoRich]

横浜の劇団。ワタシは初見です。29日まで100分。青少年センター多目的ホール。

静かで小さな町の神木に宿る妖精というキャラクターのバーチャルアイドルがネットで評判になっているがその作者は明かされていない。地域振興に役立つと目を付けた役場の職員は神木をめぐる町の祭りの目玉にしようと考える。
神木を代々守ってきた宮司はその周りでコスプレ撮影をするファン苦々しく思っている。いっぽう古くなり朽ち始めている神木をめぐり補強工事を請け負いたいと考える造園業者はその隙につけ込もうとする。

アニメやドラマで聖地とされるモデルとなった場所のツーリズム。面白いと持ち上げたかと思うと手のひらを返したようにdisるファン、その人気を利用したい大人の事情や地元の戸惑い、その作品を作るクリエイターの純粋さとその後のバランス。ニュースやネット周りでその喧噪や混乱や思いを目にはしていても、それを問題意識として取り上げ、どちらの側にも斟酌しながら物語として作り上げたという意味では作品の見え方とは裏腹に割と社会派な印象。どこにでもある問題ではないけれど、おそらく日本の(もしかしたら世界中の)あちこちで起きているかもしれないことを現在の私たちの視座で丁寧に作り上げているのです。

面白いものを作りたいという一心で作ったボカロ動画が人気を呼ぶ。それを作った男は日常生活では地味で目立たないけれど、その作品をすてきだと云ってくれたのが職場の憧れの先輩だったり、あるいは眩しいぐらいに社長業をこなしている同級生だったりという主人公のポジション。あるいはその土地で神木を守ってきた母親とそれを受け継ぐことを定められた娘。あるいは地元は好きじゃないけれど戻ってきて結婚して地味な日々を送ること。地元を好きだと思う気持ちもこの土地を嫌いだとおもう気持ちもないまぜにしたのも巧いアングルなのです。

ネットと現実の境界領域で起きた小さな事件は、一足跳びに個人の危機があっという間に拡散するという私たちの日常と地続きになったもう一つの現実もきっちりと描き込みます。金をとれるところから嘘をついてもとってもいいという旧来の価値観と、若社長が信じることの衝突というのももう一つの社会の現実。

どれか一つでもわりと社会派な話題だけれど、いろんなそれぞれを矛盾無くまるで弁当箱のように詰め込んだのは作家の手柄でしょう。田舎の狭いコミュニティという舞台を逆手にとって、たとえば造園業の娘のようにコスプレ側と地元側の役割を背負わせて人数をあまり増やさないのも結果的には成功しています。

ボカロ作家、工務店の若社長、神社を受け継いだ娘、明確に次の世代へのバトンが渡されたことを示すラストシーン、すがすがしいほどに大団円を感じさせ、次の世代が本格的にスタートしたことを明確に示していて、わかりやすくてかっこいい。

当日パンフは配役とそれぞれの関係をチャートで見せていてわかりやすい。物語のキモとなるいくつかの関係を載せないけれど、それなりに近い位置にかいてあったりして巧くできています。

バーチャルアイドルの中の人を演じた山之口晋也は地味だけれど想いを秘める男をしっかり。その憧れの先輩を演じた善村彩代はどこまでも前向きなヒロインらしさ。真っ直ぐな同級生を演じた菊本亘孝、清濁あわせもち老練な先代社長を演じた佐藤高宏も魅力的。ほぼ一人ヒールを担う宮司を演じた石田亜希子は芝居全体の雰囲気に対しては難しいポジションだし若い役者だろうと思いますが、ここをしっかりと踏ん張っていて物語が締まる気がします。

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2017.02.04

【芝居】「ミ シ ン」演劇裁縫室ミシン

2017.1.28 14:00 [CoRich]

ナンセンスコメディが持ち味の劇団ですが、「年齢相応の」「女性の会話劇」だと当日パンフで謳う115分は、劇団名をタイトルにした一本。29日までピカデリーホール。

東京にオリンピックの頃小さな町でスナックを営む母親。長女は中学も中退して部屋でミシンを踏み下請けのタグ付けなどをしている。スナックにでている次女はそんな長女のことを鬱陶しく思っている。町の洋品店の息子が東京から戻り長女の服飾の腕を見込んで洋服を発注する。
20年経ち長女の服は町で評判になっているがそれを長女は知らない。田舎を嫌い家出同然に東京に出ていた次女は子供を連れて出戻り、娘は高校生になって、長女のミシンに興味を持つ。地元の不動産屋の二代目は商売がうまくいかず、起死回生をねらった南アルプスの土地を長女に売りつけた直後にバブルがはじけ長女は借金を背負い、偽ブランドの洋服を作っていたことがばれて仕事も失う。
コミカルな風味を随所に残しながら、50年にわたる一人の女性と周りの人々を丁寧に紡ぐ物語は大人の語り口。 オリンピックと万博に沸くけれどその余波が届かない田舎町、それからバブルとその崩壊を経てのごく最近。50年の日本をたった三つの時間で、一人の女性の人生を背骨にして描くのはワンアイディアだけれど、巧い。

イキオイで押し切ったりエンタメな爽快感というわけにはいかず、静かな語り口の芝居なので、役者に求められる技術が数段難しくなっているのは事実で、正直にいえば役者の技術ひとつで、もっと重厚かつ奥行きが出る予感があります。それでも要所要所に仕込まれたコミカルを巧く舞台のリズムして、全体をフラットな雰囲気で語りきった舞台の魅力を創り出すのは作演と役者たちの功績で、劇団がさらに大きな一歩を踏み出したという期待を持たせるのです。

もっとも、ばかばかしく中二のようなギャグ満載の、これまでのミシンのイキオイ結構すきだったりするので、それぞれにレーベルでも付けて両方の路線をこれからもやってほしいな、と、観客のアタシは気楽なものですが。

舞台はフローリング風味の木材で組まれた回転舞台。中央に固定された枠をくぐり二つの部屋を行き来するというごくシンプルで美しい装置。足踏みミシンやカウンターを模したテーブル、店の外にある数段の階段など、舞台を回転させて視点を変え、シーンの切り替えもスムーズでかっこいい。かっこいいといばオープニングでの役者紹介を兼ねたプロジェクションマッピングなビデオもまた彼らの持ち味なのです。

ネタバレかも

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2017.02.01

【芝居】「ユー・アー・ミー?」ラッパ屋

2017.1.22 17:00 [CoRich]

すっかり年齢を重ねた人々と会社の話、という路線が定着した感のあるラッパ屋の新作。東京千秋楽。 110分。22日まで紀伊國屋ホール。そのあと宮城。

アイディア商品の開発で大きくなった会社。営業部長はもはやお飾りでメールも読まず、スタバもPCもいまいちで部員たちはお荷物扱いしている。
かつては忙しくてものんびりした感じはあって、学生の延長線のように夜遅くまで半ば遊びながら仕事をしていた会社だったが、社長が代わり、社風が効率を重視するように変わって随分経っている。あの時一緒に楽しく仕事をしていた同期や後輩は次々と会社の変化に合わせて「キャラ変」してできる会社員になり、スタバのコーヒー片手にPC片手にカタカナの単語で会話している。
ある夜、自分もキャラ変したできるサラリーマンになって目の前に現れる。一度はその応援で変身できるかと思ったが、気がついたらそのキャラ変が自分にとって変わって働いている。他の人々のキャラ変前の、かつての懐かしくダサい彼らも目の前に現れて。

キャラ変更というかなり無茶なSF的な設定はあからさまにファンタジーだけれど、そうなれたかもしれない自分、あるいはそうなれなかった自分を対比してみせる巧いアイディア。登場人物の殆どがキャラ変する設定で、それぞれの人物の対比を見せる中盤あたりは誰もがそうなんだ、ということを表そうという意図はわかるものの、正直にいえば、少々中弛みする感じがあります。イケてる彼なり彼女なりのイケてなかった頃がこの役者、という少々残酷な配役になるのが、楽しかったりはするのだけれど。

ラッパ屋は観客も役者も中心となるのはもう五十代、会社の中でイケてる人もイケてない人も、もう今さらそうそうキャラ変できるでもなく、このままの感じで会社員生活を終えるのかなぁが見える世代。そうはいってもバブルも経験し会社員人生楽しかったをほぼ全体が感じていた逃げ切り世代ですから、これ自体が既にファンタジーではあるのだけれど、ワタシもその残り香ぐらいは感じる世代なので、その楽しさを思い出すようで楽しい。

イケてる奴らを追い出して楽しかったあの頃の雰囲気で笑いながら仕事というお花畑を一度は見せるけれど、もちろんそれじゃ会社は続かないわけで、イケてる奴らがもう一度戻ってくるのです。もう後戻りできないように会社も世間も自分たちも変わってしまったのだほろ苦く、しかし現実へのソフトランディングという感じで優しい視線なのです。

イケてない営業部長を演じたおかやまはじめは語り部も兼ね、しっかりとメインを背負います。イケてる方に行かないという頑固さもちょっとコミカルに造形されていて楽しい。その対となるイケてる営業部長を演じた松村武は威圧感すらあるデフォルメされた造形でこれも対比となって楽しい。同じように弘中麻紀と岩橋道子、大草理乙子と谷川清美、宇納佑と木村靖司の対比も絶妙に雰囲気があっているところもある、と思っちゃうのは衣装や演出かなぁと思ったりもします。

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