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2017.01.30

【芝居】「エキスポ」トローチ

2017.1.22 14:00 [CoRich]

道学先生で2001年初演作(未見)、劇団外での上演も多い人気作。ワタシはハイリンドによる2012年の上演を観ています。 135分。29日までRED/THEATER。

宮崎の田舎町、食堂と連れ込みで昼夜働きづめで亡くなった母親の通夜、父親も息子も使い物にならず、二人の娘も口ばかりで長男の嫁が仕切っているけれど、弔問客がどこの誰かも判らないなか、母親が抱え込んでいたであろう日記帳の秘密やなぜか一人分足りないまま申し込まれていた大阪万博旅行など、いくつもの謎やきっかけを仕込んだ物語。家族どころかその町の多くの人々が亡くなった母親のことを好きで感謝しつつも頼っていたのだということが描かれるのです。

ハイリンド版ではシンプルにシンボリックに作られたセットやスクリーンを使った投影で万博の風景を描き出しますが、今作ではセットはしっかりと建て込まれ、最後の万博の風景の描写もテレビを観ている一人、という余韻を強く残すのです。

役者の顔ぶれも演出の方向も随分違う気がするけれど、物語は実に強固で揺るぎません。少々登場人物が多い気はして、もう少し絞り込んでも良さそうな気はしつつも、2時間を超える上演時間がまったく気にならないぐらいにぐいぐいと引っ張るのです。

2012年の時点ではあまり気にならなかったけれど、2016年のワタシには1970年の地方での同性愛の置かれた厳しさがより強く感じられます。どちらかというとコミカルな描かれ方なのは現在の芝居としては少々気になるけれど、初演のわずか16年前からの感じ方の変化かと思ったりもするのです。なかなかこの題材は古びずに描くのは難しいところだけれど、それをも優しい視線で支えて居た、という物語の根幹の強さはここでもむしろより印象的なのです。

何もかも仕切る長男の妻を演じた小林さやかは、よそからやってきて働きづめ、登場しない母親の姿をどこか思わせる厚みのある役をきっちりと演じきります。出戻った長女を演じた浅野千鶴もまた居ない母親の親しみやすさの一面を醸し出します。象徴的な大正琴のシーンも実にいい。 長女の同級生でしっかりとした葬儀屋を演じた永山智啓、ちょっと軽くてしかし押さえるところは押さえて。長女が一瞬恋心を抱くシーンがよくて、格好よく、それを悪意なく結婚してるといなす軽やかさも実にいいのです。 正体不明で酔っ払い続ける男を演じた、山口雅義は笑ってるのに不穏さがにじみ出るという役、実に巧く。 東京に出たい三女を演じた納葉、可愛らしく負けん気強くて。

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2017.01.27

【芝居】「モニカの話」ヤリナゲ

2016.1.21 19:30 [CoRich]

22日までSTスポット。80分。

大学卒業の時に結成された劇団、稽古場が取れなくて後輩を使って大学の教室で稽古をする。 かつて日本軍の研究施設だったといわれる校舎の中央階段下にある地下室には噂があり、頻発する停電は幽霊の仕業だという。劇団のメンバーの一人は就職を機に劇団をやめるという。作演は評判がよかった社会派要素の作品を作りたいが、旗揚げのもう一人は最初の頃の自由に面白かったものが作りたいと重いがすれ違い、宣伝動画の撮影や稽古などフラストレーションがたまっている。
客演の俳優たちが次々と停電のたび誰かにさらわれるように消えていく。

平田オリザ風の卒業生が居たり、入り口から長い直線の道があったり、かつては日本軍の建物だったりという大学の描写は前回公演同様に国際基督教大学(ICU)の雰囲気を舞台に。旗揚げをして数作、学生の頃の延長で楽しいばかりの時期は過ぎ、就職もせずにバイトで生計を立てて芝居に血道を上げる数年を経ての頃という雰囲気か。

続けていくか、ここで一度リセットするか、ウケるのをやるか自分たちが面白いものをやるか。旗揚げの一人の女の視点で時に夢オチのようにして語られる物語、最初はみんな居るけれど徐々に一人減り二人減りというのはもしかしたら芝居を続けていくかどうするかということだけれど、一番ベースとなる二人の関係が最後に残る、ということかもしれません。

学校の幽霊の物語は単ににぎやかしの要素ではなく、終盤に至って、旗揚げの二人をつなぐ要素なのだということがわかります。 面白かった、という記憶はあっても旗揚げの芝居の記憶がない一人と、その怪談話をでっち上げたのは自分たちだとちゃんと覚えているもう一人。同じ船にのり芝居をつづけてきたけれど、もしかしたら見ている地平はずいぶん違うものなのかもしれないということがはっきり示される、少し切なくていいシーンなのです。

終幕、もしかしたら彼らは芝居を続けるかもしれないし続けないかもしれない。そこを明確には語らないのはちょっともやっとした気持ちを強くワタシに残すのです。

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【芝居】「足跡姫」NODA MAP

2017.1.21 14:00 [CoRich]

3月12日まで東京芸術劇場・プレイハウス。休憩を挟んで155分。

出雲阿国の後継を看板に、幕府に禁じられた女歌舞伎を演じる一座。看板の弟は地球の反対側に行くことを夢見て穴を掘っているが、偶然将軍襲撃の罪で牢屋に入っていた浪人たちを逃がすことになる。その犯人として捕まることをおそれた座長は弟に出て行くように命じる。
死体を買い取り腑分けをしようとしていた学者、買われた死体が生き返り一座に居着くために一座に入る。浪人たちも身を隠すために一座に加わる。
姉弟が腑分けの学者を真剣で誤って斬り殺してしまい川に捨て、姉弟は身を隠す。その間に二番手が元祖を名乗り一座は人気がでている。姉は戻るに戻れないが母の残した絵巻物が後継者の証拠で足跡姫が憑依する。

中村勘三郎へのオマージュを明確打ち出した一本。作家は歌舞伎の始祖とされる出雲阿国と女歌舞伎の時代を舞台に描きます。現実のあれこれ翻弄されるけれど、現実からは最も遠いどこか、ぐわっとなるものを探す作家と役者。ナマの芝居は、肉体も言葉も空間に消え、役者もいつかはもしかしたら病魔によって消えてしまうけれど、演じられた芝居の「芸」は確実に人々の記憶に残ることを通して、中村勘三郎への強い追憶を強く印象づけるのです。

ここ数作は、現実世界への強い懸念と怒りを根底において描く事の多い作家だったけれど、今作はそれよりはだいぶ優しい視線。 それでも、女歌舞伎が禁じられその方便として「足跡しか見えない」といったりするというような、河原乞食と権力の微妙な持ちつ持たれつ感という、芸能がそもそも内包している問題まで踏み込んでいることを描いてみたり、反乱分子だった男が権力者を暗殺し密かに権力者と入れ替わって見せたりと世話物として、切り込むところはきっちりと切り込むのです。

女歌舞伎の踊り子たちの衣装はベージュのボディスーツに入れ墨を思わせる模様で、まるで全裸のように見えたりして、ワタシのオヤジ心をくすぐります。弟が掘り進んだ穴を思わせる舞台の奈落への穴やプレイハウスに仮設された花道も歌舞伎の雰囲気めいっぱいで楽しい。

ネタバレかも

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2017.01.25

【芝居】「音楽劇 アラビアンナイト」たちかわ創造舎

2017.1.20 16:00 [CoRich]

たちかわ創造舎による立川シアタープロジェクトの第一弾。 子供も大人も楽しめる、という80分。昨年末の立川公演を経て22日まで吉祥寺シアター。

女は毎夜、王様のもとで夜伽話を続ける。
三人娘が営む宿屋に身分を隠した王と片目の男が泊まる。片目の男は自分の身の上話をする。三人の兄弟の長男だった男、かつて一人の女を娶ろうと兄弟は宝物を探す旅に出たが三人の宝物全てが揃うことでしか女は救えず結局長男は身を引き旅に出る。乗っていた船は難破し無人島に打ち上げられるが、そこで地下室に閉じ込められた少年を見つける。少年はある男によって殺されるという予言から逃れるためにここに隠れているが、その名前は自分のことだった。名前を隠して一緒に暮らすことにする。
真鍮の柱のそばに暮らす人々は大きな鳥によって天女の住む宮殿に運ばれるが、40日の楽しい日々はあっという間に過ぎ、女たちはしばらくここを離れ、その間に100ある部屋の最後の一つだけは開けてはいけないという約束をするが。
翌日のおとぎ話。二人の兄弟、兄は金持ちの女を娶り、弟アリババは貧しい女を娶る。偶然アリババは盗賊の隠し財宝を見つけるが、それに気付いた兄は財宝を手に入れようとして盗賊に殺されてしまう。女盗賊の手助けで兄の葬儀を人並みに出すことができたが、財宝を狙う仲間がいないかと盗賊たちの手はアリババにおよぶ。再び女盗賊が活躍する。

ベッドの形の巨大な舞台、その下や後ろ側から出入りする役者たちに、舞台端にはパーカッションなどの演奏ブース。ダンスや大げさな動きを交えながらの舞台。当日パンフによれば、 「空飛ぶ絨毯」「星のさだめ」「アリババと四十人の盗賊」を軸に、「船乗りシンドバッド」「アラジンと魔法のランプ」「黒壇の馬」「ものいう鳥」を交えたものがたりはおとぎ話とはいえ、相当に濃密で、そしてダークな仕上がりなのです。

二晩の夜伽話、一晩めは片眼の男をめぐる冒険譚。空飛ぶ魔法の絨毯やダイアモンドの谷、あるいはシンドバットよろしくの大冒険だったり、約束を守れなかったがための罰など相当に盛りだくさんだけれど、基本的には子供向けのおとぎ話というテイストをそう大きくは崩しません。二番目は盗賊とアリババの物語に影となって活躍する女奴隷の物語。こちらは相当にダークな仕上がりです。切り刻まれた兄の葬式を出すために革靴職人に塗って貰ったり、そこから秘密が漏れて襲ってくる盗賊たちが身を隠す瓶に熱した油を注いで静かに殺すとか、相当にえげつなくてダークです。女奴隷にいわゆる汚れ仕事をさせ、徐々に身分を引き上げていく、というのも少なくともイマドキな話ではなくて、なかなかテレビなどではやらないタイプの物語になっています。

後半の物語に現れる王の結婚式は前半の物語の宿屋の三姉妹にゆるやかにリンクし、後半の物語の女奴隷は今やこの夜伽話を続けている女にリンクする、と綺麗に物語がつながります。

こどもたちの、というわりに平日16時はさすがに子供はほとんど居ない感じだし、開場中に観客に作らせた星形のスティックの活躍がわりと後半の一瞬なのは勿体ない気はします。それでも20分程度に一度は客席側に役者が出てくるような「しかけ」を用意し観客を巧く巻き込もうという企みは成功しています。

観客を夜伽話を聞く王に喩え、役者たちは「毎晩面白い話ができたら生きながらえる」夜伽話の語り手、という構図を終幕に。観客=王に面白いと思って貰えばお慰み、役者たちは明日も存在できるのだ、という形を創り出しているのは巧くて、シェイクスピア・夏の夜の夢の終幕での妖精パックのような余韻を残します。

前半の王を演じる村上哲也のどこか優しい感じ、夜伽の女と後半の女奴隷を演じる平佐喜子の凛とした強さ、さまざまな役を自在にこなす小林至や竹原千恵の柔軟さ、片眼の男や盗賊を演じる榊原毅の絶対的に感じる強さ、占い師などを演じる藤谷みきの器用さ。たちかわ創造舎という場が創り出す芝居へのこれからの期待も高まるのです。

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【イベント】「ゼロ年代の亡霊」(月いちリーディング / 17年1月)劇作家協会

2017.1.14 18:00 [CoRich]

劇作家協会の恒例企画。ワタシは作家・池神泰三の作品は初めてです。 60分。

青年と恋人は狭いアパートに住んでいて男は働かないでロトを買って夢ばかり見ている。大家は自分を殺せば金が手には入ると青年を煽る。
刑事は大家が消えた事件の捜査をしているが、大家の部屋の畳の下から女性の死体まで発見され謎は深まる。
青年は逮捕されるが恋人は刑事と結婚してしまう。青年の冤罪は長い時間のあと勝ち取られるが。

青年と恋人、事件があって恋人が刑事と結婚するというのが大きな物語上のポイント。自動車事故の現場、あるいは恋人が白髪の大家だったりと、長い時間の中で蓄積された想いが行き来し、時に白昼夢のように現れては消え。正直にいえば、捕らえ所がない感じもする一本。終演後のブラッシュアップで観客から意見のあった「しりとりのようで、入り口と出口が全くかわる人物像」というのはまさにそのとおりで、観客は視座をどこにおけばいいかの足がかりに弱く、これも終演後にゲスト・鴻上尚史の云う「登場人物がどう考え変わっていくかという心の旅」が見えづらく、正直ついていくのが難しいという印象があります。

終演後のブラッシュアップは、序盤こそ少々の戸惑いが観客にみえた気がしますが、思いの外の盛り上がり。それは作家が何を考えているかが判らず質問してもそれが見えてこないと云うことに起因している気がします。注意深く、ものがたりはどうあるべきかを作家の意図を探りながら探す参加者たち。それはそれでスリリングな体験だったのです。

作家から参加者への質問では結末はこれでいいのかとか、青年と恋人と刑事の関係を明確に語ってしまっていいのかなど細かな点を気にした質問が多いのだけれど、正直作家自身が描こうとする「心の旅」という芯が何かをはっきりとさせてからが全ての始まりで、そこに作家が気付けたかどうかが少々心許ないなと思ったりもするのです。 年代というタイトルに対して中身は明確に昭和ではないかという指摘もあって、作家の答えは「正義が多様化していることの象徴としてのゼロ年代」ともいうけれどそれはその時代特有のものなのかは今一つわからず。

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2017.01.24

【芝居】「フォトジェニック」鵺的

2017.1.14 14:30 [CoRich]

フライヤの多彩さも評判の企画公演105分。梟門。カメラマン役を演じた橋本恵一郎による写真展も予定されています。

カメラマンの男。仕事とは別に若い女性を誘いその死に際を撮影するライフワークを続けている。捕まってもいいと思っているが、殺したのは四人なのに、同じ手口でもう一人が殺されていることに不審を抱きモデルとして所属していたスタジオを突き止めるが、撮影された写真がどこにも出ていない。スタジオを借りさらなる調査を進める。

四人の女優の写真が横に並び、その前に椅子というシンプルかつスタイリッシュな舞台。町の人々のような他の役を兼ねることはあるけれど基本的にはスタジオの経営者、二人のモデル、専属のカメラマンを主に演じます。 そのスタジオを探る男のカメラマンは死に際を撮影するライフワークという癖のある人物が語る、という体裁。 それ以外に、殺された女たちであったり手がかりとなるライターなどを映像という形で挟んで物語を進めます。

序盤こそ生の舞台の流れが断ち切られるような感じもあって違和感がありますが、語り口がそう変わらないよう丁寧に作り込まれた映像は時折意図的に組み込まれた違和感もあったりして一体として世界を作り出すのです。

舞台に登場しない「殺された女」を追い求める物語はスタジオの四人の人物と関係をあぶり出します。モデルというある種「女を売る」仕事であったり、サイコパスのように偏った感覚だったり、あるいは恋人であること、利害関係などが渦巻く世界が徐々にかいま見えた先にあるのはオカルトでホラーなこと。居ないはずの人物が登場することで息を呑むような恐怖を生むのです。正直にいえば、このオカルト要素のおかげで何でもありになってしまうところはあるけれど、メモリもクラウドも人質にされて斜に構えたカメラマンが本気で怒ることだったり、人々の物語をもう一度駆動する力強さ。

物語の合間に動画を挟む手法は決して斬新というわけではないし好みが別れるような気もします。殺人の現場の切迫感やオカルトライターのインタビューでのちょっとのんびりした感じなど、舞台とは異なる雰囲気のシーンを挟んでリズムを作ることに成功しています。 ネタバレかも

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2017.01.18

【芝居】「虚仮威」柿喰う客

2017.1.3 18:00 [CoRich]

去年十周年を迎えた柿喰う客の新作。100分。三重、宮城を経て9日まで本多劇場。そのあと大阪。

妻も子も居る男がクリスマスの夜、女に呼び出される。女は祖父の話を始める。
東北の田舎、その村は山の神からの恵みを受けて暮らしていた。長男は10歳になった12月25日の朝、血判状で世界を手に入れると宣言する。翌年から毎年子供の枕元にはプレゼントが置かれるようになるが両親には覚えがない。

舞台中央に大きなやぐらのように組まれた塔のような場所、下回りにぐるりと低めの舞台。劇場の大きさははっきり大きくなって、一歩先へ、の一本。 明確にサンタクロースをモチーフに、毎年のクリスマスを切り取りつつ、山神や座敷童なども折り込みフォークロア風に語られる祖父の物語だけれど、それを語る女と男の「不適切な関係」を含め全体に不穏な雰囲気を纏います。序盤ではそれは単に雰囲気だけれど、終盤にいたり、はっきりとホラーの形を見せるのです。

序盤で少々唐突に出てきた「血判状」は終幕近くに一つ目の謎解きに繋がります。スピード感とか強烈なギャグは封印して、きちんとコントロールされた舞台を創り出そうという心意気は、わりと新しい役者が揃う中でもきちんとクオリティを積み上げていこうとい明確な決心を感じさせます。

いくつかの層になっている物語の一番外側にある、不適切な関係の男女。クリスマス故にこどもが望むものを届けるのがサンタクロース、ということを切実に、しかしダークファンタジーとして描く結末は正直にいえば取って付けた感はしないでもないけれど、終幕にもう一押し、という貪欲さはさすがだとも思うのです。

七味まゆ味が演じる謎めいた「彼女」は不穏さ目一杯、物語の核をなします。一太郎を演じた玉置玲央は物語をきちんと牽引する確かさ。独り突っ走るのではなく、座組として走りきろうというチームプレイがそこにはきっちりと。

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2017.01.10

【芝居】「コーラないんですけど」渡辺源四郎商店

2016.12.31 17:00 [CoRich]

11月の青森公演に続いて年末年始にこまばアゴラ劇場で1月2日まで、そのあと三重。

青森で観たときに比べて物語そのものは大きくは変わりません。ミラーボールがあったり、民間軍事会社マスコットへのスポットライトとか、ちょっと劇的なところのダイナミックレンジを広げた印象ですが、使える機材を生かしたという気もします。コンビニ店員が五輪風だった気もするけれど、端っこだったので巧く確認できず。

こどもがどうであれ何処までも無条件に愛を注ぎ続ける母親。帰りを待ち続ける長い日々、そこに戻る大人に成長した息子。実際のところ、この物語は国に騙された国民という反戦の立場でも、あるいは派兵されて成長して戻る息子という武力行使をポジティブに捕らえる立場でも、どちらの観客にもその立場のままリーチするように感じるところもあります。作家の立場は明確に反戦であろう、とは思いますが。それは親子の愛情はどちらの立場でも変わらないど真ん中の物語を軸にしているからかもしれません。声高に反戦を主張しないのもまた作家の持ち味なのです。

東京の少々浮かれた年末の一日に観たこの芝居と、青森駐屯地からの派遣直前という時期に青森で観た芝居は同じモノだけれど、観る場所と雰囲気によって迫ってくるリアルとの距離の違いに戸惑うアタシです。青森では当事者に近く感じたアタシなのに、東京で観ているアタシはちょっとヒトゴトのような、よく言えば俯瞰のように観ているなと思うのです。もっとも、二回目だからというだけのことかもしれないけれど。

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2017.01.07

【芝居】「全裸物語 改め 実家物語」ろりえ

2016.12.30 19:30 [CoRich]

31日までシアター風姿花伝。120分。

歌手になりたくて上京していた妹は夢敗れ夜のバイト、一緒に暮らしている男はバンドではないものの音楽を仕事にしていて昼夜のすれ違いの日々を送るが、あるきっかけで別れることになる。姉は実家で暮らし母親とくらしているが、台風をきっかけに家が壊れ、母親も痴呆が始まる。妹は久々に実家に戻ってくる。

バンドや歌をふんだんに盛り込んで、東京や音楽への憧れとその夢が破れた姉妹や若くして亡くなった天才を追い求める残された人。あるいは好きなことを仕事にしたとしても、すべてを捧げるかどうかのせめぎ合い。いろいろな物語を盛り込んで点描のように描きます。

正直にいえば、盛り込んでるわりには楽曲込みとはいえ120分では少々間延びしてる感じもあって、90分ぐらいに濃縮したものを観たいと思うのです。正直にいえば、若くして亡くなった沖縄生まれのギタリスト、東京に出て一時はアイドルでもあった妹、CM曲作曲を仕事にしている同棲している彼氏でほぼ物語が構成できているのに、物語に貢献しない役が少々多い気がするのもその理由かもしれません。

もう一つ、最初東京に出たのは姉なのに何も果たせず戻ってきて、妹はその後に東京で一時期はアイドルに、というのも、そうする理由が今一つわからなくて混乱します。沖縄生まれのギタリストのストリートライブをみかけて、というシーンは美点ですが、もっと物語に生きそうなのにあっさりそれをしないのももったいない。

妹を演じた洪潤梨は可愛らしく前向きな役によくあっています。ライブハウススタッフを演じた岩崎緑との友達感もいい。亡くなったギタリストを演じた尾倉ケントのイキオイある雰囲気。追い求めるベーシストを演じる高木健の諦めきれなさ。広告代理店の男を演じた松下伸二は飛び道具風だけれど、パワフルで押し切りこれはこれでアリな感じ。

CM曲で稼ぐ男を演じた安藤理樹は、好きを仕事にした自信、クライアントからの無茶ぶりに折れそうになりながらも自分を貫く人物を細やかに丁寧に造形。亡くなっているのに自覚してない父親を演じた岡野康弘は周りと少しずれたおかしみがペーソスを生み印象に残ります。

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【芝居】「gaku-Gay-kai 2016 贋作・サウンド オブ ミュージック 〜 家政婦は見た!」

2016.12.30 14:00 [CoRich]

年末恒例の人気企画公演。30日まで雑遊。休憩15分を挟んで、390分。

家政婦が家庭教師として派遣された家は、国家が目指す正しい家族像を体現すべく、6人の息子たちを厳しく躾ている。国家はアイドルを売り出して国民に正しい人のあり方を導こうとしている。 「贋作・サウンド オブ ミュージック 〜家政婦は見た!」

足首冷やしちゃダメとか、友達のお母さんの胸元とか、数字や虻とか「佐藤 達のかみしばい 〜僕の話をきいてください〜」(佐藤達)
彼女はつきあう女でどんどん変化する(「れずびあん・ばさら」夏川まどか)「朗読水月モニカの百合物語」(水月モニカ)
家族とでかけた店でかつて一緒に住んでいた男が若いおとこに服を選んでいる(「春、バーニーズで」吉田修一)「女優リーディング」(関根信一)
はがつんナイトフィーバー」(芳賀隆宏)
スーバーで買った食べ物が変化し、子供が育ち。「防弾エプロン」(西山水木)
「小夜子なりきりショウ:リヴァイタル・ニンフェア」(モイラ)
「帰ってきたジオラママンボガールズ」(ジオラママンボガールズ)
ABCの唄にのせてドレミプレート、徹子の部屋、エスムラルダ・デ・マンボ「今年もアタシ、第二部で何かやろうかねえ」(エスムラルダ)

第一部の「贋作〜」は毎年いろいろにてんこ盛りの贋作シリーズ。サウンド・オブ・ミュージックと家政婦を下敷きにしつつ、逃げ恥ダンスやスマップ風(3人だけど)のダンスを盛り込み楽しい。

が、作家の問題意識は、自分たちのアイデンティティというか、暮らし方、この国の在り方なのです。ややヒトラー風の元首が、この国の「正しい家族の姿」を提唱し、そのためのモデルとして男子ばかり6人の家族、その家に家政婦、という構図だけれど、実はその男子たちはゲイで、矯正のためにこの家にいるのだというのは、もしかしたらこの国の少し先の姿になるのではないか、という恐怖を(ワタシはゲイではない、と思うけれど)ワタシも共感するのです。

第二部はいつもの通りの盛りだくさん。30日昼は出演者が少なめ。
その穴を埋めたのは紙芝居(佐藤達)で、間を埋めるように三つを。端に座ってる観客に気を遣いつつ、もう圧倒的に常連に。

その次の朗読「水月モニカ」はレズビアンをめぐる物語の朗読。正直に云えば役者ではない人の朗読なので聞きやすくはないし、物語もわりと速い段階で着地点が読めてしまうので、ちょっと長く感じるのです。

もう一つの朗読はゲイを巡る小説、こちらは役者ですから聴きやすい。小説は半分だけだけれど、読みたいと思ってしまうのです。そういえば去年の「御馳走帖」を文庫で買って、大事に読んでたりするのです。

「はがつん〜」はポケモンしてる男の子を誘うもう独りの男、というところからのダンサブルなラップ風、楽しい。

「防弾〜」は、西山水木のジェストダンス、いままでで一番物語がくっきりと感じられる一本。何気なく魚、鳥、牛の肉を買うが、逃げ出す、弓を引く、羽をむしったりして食べ物とする。子供に食べさせる、成長する、息子を送り出す、戦場で撃つ、死体をカートに乗せるまで。ナベゲンにも似たのは共通する作家の問題意識がくっきりと表れるのです。 「小夜子〜」は美しく、もの凄く大きなドレスで登場。正面ならこれは凄く綺麗に見えるな、と想像しても楽しい。

「帰ってきた〜」は二曲でいつもの通り楽しさ。作家が無表情でバックダンサーもいつもどおり。金井克子と、もう一曲のカステラの唄がわからない。

「今年もアタシ〜」は第一部のサウンド・オブ・ミュージックから繋がるように、観客をステージに上げてドレミをプレートで上げさせる趣向。ベルを鳴らす、と言うやり方もあるけれど、これはカジュアルで余興に使えそうな楽しさ。その次の徹子の部屋パロディはいつもの通り。そしてマンボの曲で締める、というのが年末感一杯でとても楽しのです。

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2017.01.04

【芝居】「ローザ」時間堂

2016.12.29 20:00 [CoRich]

2012年上演作を時間堂の解散公演として上演。31日まで、十色庵。20時開演がうれしい90分。

男性の俳優一人がダブルキャストなのに気づかず日時を決めたアタシです。結果として初演と同じで、全体としては75%が初演の俳優だけれど役を玉突き的に変えているよう。トークショーによれば芝居もあまり変えてないとのことだけれど、例によって初演を忘れているアタシです。

革命の理想に向けてストイックだった女、殴り殺されてからの5年後の墓前にぐうぜん集う人々。みんなの幸せを求め向かう方向は同じなはずだったのに、肝心の労働者たちをブタという衆愚だと認識するに至った人々。墓の中に居るローザはみんなの理想なのです。

それはアイドルとも云えるけれど、それぞれの人にはそれぞれのローザ像があって、それぞれの理想によって補正もかかっていて、違いがあって。墓前の人々の会話を織り交ぜながら、時間軸をさかのぼりながら かわるがわるローザを演じるのは、それぞれの人物がローザとの関係や距離を改めて測る作業。それを始めようという時点ですでに唐突でリアルではないし、演じることが誰にでも出来るというのも演劇の側の人々の論理で作られた物語という気はしますが、それぞれの理性による補正のかかった形で一人の人物を描くというのは演劇的な効果を生むのです。ローザを赤いレース布一枚に託すのもちょっと洒落ています。

情けないことに史実に基づく背景は相変わらずぴんとは来ないアタシですが、こういう演劇的な仕掛けのおかげもあって、退屈しないで観られるのです。

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【芝居】「死刑台の上のイヴと電気箱の偶然の出会い」Ne'yanka

2016.12.25 18:30 [CoRich]

二回目の公演。2005年に主宰が行った誕生日イベントで上演された20分の短編 を核のひとつに据え、三つの短編から組み上げた60分。20日までCLASLA、8th Garally。

生まれる生き物を決め、仕分けする天使。蜘蛛、コモドオオトカゲ、人間のどれになるか、スタンプを押すように決めている。次の順番は人間がいいのだという。天使たちは人間は最悪の選択だというが「イヴの入る箱」
発明家は競争相手の技術で死刑のための電気箱をつくり評判を貶めようと考える。「電気の使い道」
女王への献上品のショールに仕込まれた針でお付きが殺され、職人が大逆の罪で拘束される。長い間執行されなかった死刑が決まるが、苦しませずに行うために何を使うか三人の大臣が思案に暮れる「蜘蛛女のミス殺人事件」

レトロな欧州風味の衣装と白で統一された壁、壁に書かれた謎めいた言葉。三つのちょっと不思議なシチュエーションの短編を最後に大きく繋ぐような作りになっていて、全体で一つの大きな話を紡ぎます。

「イヴ〜」は元々の誕生日イベントで上演されたものがもとになっていて、豚が蜘蛛に置き換えられたりして、全体の話に会わせた微調整をもちつつ、「そこにある箱を全部入れる箱は存在しない」パラドックスをもとに、自分と母親、祖母と永遠に繋がるリカーシブをファンタジーの風味を纏って描きます。

「電気〜」はエジソンとウエスティングハウスの間で行われた電力供給システムをめぐる確執(wikipedia)を下敷きにして、電気椅子で敵対する相手の技術を貶めようとする悪巧みを、どこか漫才風の味付けのコメディに描きます。

「蜘蛛女〜」はサスペンス風味。女王を狙ったと思われる暗殺計画をめぐる大臣三人の会話。会話のうち、大臣の中に企んでいる人が居そうな不穏さ。事件じたいはどっかうやむやな感じではあるのだけれど、前二つの物語をつなぎ合わせるような位置付けになっています。

いちおうのつながりはあるものの、エジソンは電気椅子と死刑を持ち出したいためという印象だし、女王暗殺未遂はうやむやにされた感じしないでもなくて、最初の物語の核で全体を支えて居る、という印象はのこります。が、60分にぎゅっと濃縮された話、全体の統一された雰囲気など一気にみせる物語だったり、あるいはクリスマスツリーのオーナメントを観客に飾らせるホスピタリティなど、主宰がつくりだしたい世界がコンパクトに体現されていて、個展のようなのです。

天使のひとりを演じた杉村こずえは愚痴っぽい口調がなんか楽しい。エジソンの助手を演じた藤本紗也香はコミカルに振り切って「振り回される助手」の雰囲気が良く出ています。生まれゆく子供を演じた福永理未は美しく登場し、しかし自分がしたいことを押し通すような強さ。

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2017.01.03

【芝居】「ゴールデンスランバー」キャラメルボックス

2016.12.24 16:30 [CoRich]

伊坂幸太郎の人気小説を初舞台化。 兵庫公演を経て25日までサンシャイン劇場。125分。

大学の頃つるんでいた友人4人のグループの一人から呼び出された男は首相のパレードが爆破された場に居合わせてしまい、警察から追われる。友人の家を転々としても警察は追ってくる。しがない宅配便ドライバーの男だが、かつて小さな事件を解決したとして地元ではわりと知られた存在になっていた男は警察の発表によりあっという間に逃げ場を失ってしまう。一度は警察に捕まるが連続殺人を犯していた男が偶然助ける。 警察が追っているのは、暗殺犯ではなく、意図的に仕立て上げられた暗殺犯にしたい男のようだ。

小説も映画もみてないアタシです。ものすごく多くのシーンを組み上げます。あるいは権力による陰謀により唐突に犯人に仕立て上げられてしまった男の逃避行と、そこで出会うさまざまな人々。自分の味方だと思った人すらも敵かも知れないことの疑心暗鬼、心安まるところが見つからず逃げ回ることと、シリアルキラーの犯人が手を貸してくれたりと、人の表と裏をこれでもかと見せつけられても諦めずに窮地を脱する主人公の強靱さが物語を牽引します。

劇中、人々の目前で男が人質を取るシーンを、観客のスマホで撮影させるという演出がちょっと面白い。シャッター音が消せないスマホでの撮影によって、シャッター音が嵐のよう。どの芝居でも使える方法ではないけれど、SNSでの拡散も含めて巧いやり方です。

逃げ続ける男を演じた畑中智行はちょっと情け無さそうな雰囲気が持ち味だけれど、泣き言を言いながらも進み続ける人物を好演。元恋人を演じた渡邊安理はすっかり大人の女が巧い役者、昔の恋人の今を信じて行動する力強さ。現在の時間軸ではすれ違い続ける二人だけれど、行方が判らなくなった男の整形後にエレベータのボタンの押し方で気付く美しいシーンもかっこいい。

前作に続けて客演となった一色洋平は軽快で圧倒的な身体能力をもったシリアルキラーを演じます。軽く優しい口調なのに怖い事を云うぞくっとする格好よさが圧倒的な印象を残すのです。

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2017.01.01

【芝居】「4センチメートル」風琴工房

2016.12.23 19:00 [CoRich]

紀伊國屋演劇賞の受賞など詩森ろばへの評価の高かった一年の締めくくり。車いすを搭載する福祉車両の開発を巡る物語なのに音楽劇という形式で130分。29日までスズナリ。

日本でも有数の自動車メーカー。車いすで生活する娘を持つ福祉車両担当のリーダーは、養護学校でのフィールドワークを通して、車いすの子供の乗降にかかる母親の負担を軽減する福祉車両の開発を続けている。
廉価なコンパクトカーをベースに車いすを車両後方から乗せつつ運手席からのケアが可能な1.5列目位置への固定、デザインとのねばり強い交渉から勝ち取った4cmのクリアランスupなどの課題をクリアしてきた。製造コスト低減を狙い特殊車両工程ではなく通常の組立ラインでのインライン架装を提案するが、コストと効率を最優先とする社風を実現してきた工場長は強く反対する。

今ではトヨタの多くの車種で用意されているウエルキャブ(福祉車両)のラインナップの最初となったラクティス福祉車両の開発ストーリーの要素を組み合わせて作られています(wikipedia)。実際の車では1.5列目シートと4cm車高は別の世代で導入されたりしたようなので、そのままというわけではないようです。企業に限らず組織で生きる人々の現場を描かせると圧倒的なリアリティをもって描く作演の力は圧倒的なのです。

音楽劇、という形式は正直に云えば物語の要素に対して時間が長くなるけれど「4センチメートル」についた節回しを繰り返して印象を作り上げること、問題点を抽出して提示する序盤、最後の最後は理詰めよりも心に訴える物語の構成にはうまく機能しています。ちょっとこまつ座な風味を感じるのはなるほど。

父親とリーダを演じた杉木隆幸、格好良くて優しくて、狙い所をきちんと狙い澄ます会社員をしっかり。娘を演じた ししどともこは、恋人に対して積極的の格好良さ。母親を演じた田中千佳子はとても素敵で、娘との二人のシーンがとてもいい。「車いすごと貰ってくれる」という台詞の破壊力や元経理という設定は作家の力だけれど、その表情の豊かさは役者の力。

あるいは恋人を演じた佐野功はしっかり王子、なんせ、お姫様だっこでカッコイイし、ロボ的なメカが楽しいというのも理系男子っぽい設定でいい。元デザイナーを演じた小玉久仁子はもちろん決めポーズの破壊力だけれど、流動食のために学校に戻るという母親のシーンも細やか。 担当デザイナーを演じた酒巻誉洋は与しやすくて真っ直ぐな気持ち。あるシーンのルンバ役ってのも楽しい。その上司を演じた根津茂尚はもちろん慎重、向き合って信じられれば手を尽くす責任感の説得力。元はデザイナーで今は工場で在庫管理というエンジニアを演じた三原一太はRPGの終盤に現れる賢者のようで希望の光。工場長を演じた寺井義貴、効率と規律を実直に続けることもまた正義というのはもちろん真実。ゲームで云えばラスボスの圧巻さもまたカッコイイ。

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【芝居】移動レストラン「ア・ラ・カルト」遊◎機械

2016.12.23 13:00 [CoRich]

去年はじめて青山円形劇場を離れたア・ラ・カルトを、フォーマットそのままにあちこちで上演出来る移動レストラン、というコンセプトを足した年末恒例の企画公演。休憩15分を含み、165分。シアターイーストで東京芸術劇場、26日まで、そのあと大阪。スピンオフ的なライブ公演を年明けに横浜で予定しています。ワイン販売は小さな専用ラベルを巻いたミニボトル形式に。

楽団とスタッフが荷物を持って現れ、劇場がレストランに変わる「旅するレストラン」
一人の女が予約なしで店を訪れる。ジンジャエールにウイスキーを加えショウガをたっぷり入れてほしいという「ひとりだけの特別席〜ウイスキーはちょっと辛目のジンジャエールで」
タカハシは会社の後輩を連れてレストランを訪れる。料理やワインの頼み方から「フランス料理とワインを嗜む会〜今年は追いかけてイケブクロ」
年上の女と年下の男が店を訪れるがちょっとぎこちない。共通の知人が独身の二人同士で店に行くように仕向けたのだ「フランス料理恋のレシピ小事典〜意外な組み合わせが隠れた味を引き寄せ合う」
マダム風の高泉淳子とゲストの「おしゃべりなレストラン〜今宵はワインを貴方と一緒に」
「ショータイム」
喜寿が近い男女が食事をしている。昔からの友達がいつもわいわいと集まる会だが今年は二人だけだった。「夢見る頃を過ぎても〜モンブランはお好き?」
クリスマスの夜一人でも楽しい時間を過ごした女は向こうのテーブルに池田鉄洋を見つける。「ヴァンショー〜Christmas present for you!」

バックヤードのような風情の場所に入ってくる人々、リズムに乗せてするすると準備を進めるとシャンデリアの吊られたレストランに早変わりという冒頭のシーンは、移動レストランという新しいコンセプトを明確に、旅芸人風の遊び心たっぷりに体現します。

「ひとりだけの〜」はいつものスタイル、予約なしの一人の女性客、もてなすレストラン。生姜使いまくりというのはちょっと知らなかったレシピで試してみたい気持ちにも。

「〜嗜む会」も恒例のスタイル。新人を連れてきて講釈を垂れるけれどどうも心許ない感じが楽しいコメディ仕上げの安心感。

「〜恋のレシピ小事典」はゲストを加え、メニューに書き込まれた台詞でスタートする構成。 恋人になる以前の男女を描く恒例のフォーマットだけれど、その中でもちょっと珍しい、お見合い仕立てのデート。ぎこちなさから好きなところを探り合い探し合いな会話のやりとり、次のデートがありそうなハッピーエンドがうれしい。アタシの観た回は年上女と年下男の組み合わせという会話だけれど、これ、きっとゲストによって微妙に調整するんだろうなぁ。

「おしゃべりなレストラン」はゲストとのトークパート。テレビで見かけることも増えた役者だけれど、今年は舞台が多くて古くからの人々と再び舞台に立てたうれしさを話す池田鉄洋。

ショータイムは歌が基本のフォーマット。その中にあって山本光洋によるパントマイムが楽しい。二つの傘を開くと乳房になり、というちょっと色っぽい感じ。猥雑さが少な目な昨今のフォーマットでは夜のショータイムの雰囲気を醸す数少ない演目。

「夢見る頃〜」は年齢を重ねた、しかしまだまだ元気な男女だけれど夫婦を描く、これも恒例のフォーマット。恋心っぽいことはほぼ皆無になっている描き方で、プランタン銀座の365個のモンブラン、という福袋を話の種に。今年で終わりだから取り上げたのかもしれないけど、終わっちゃうことは云わないのね、とおもったりも。微妙にいらっとするギャルソンとか、記憶力はなくなるのに、余計なことを覚えちゃう諦めというか腹立たしさの微妙さに共感するアタシです。

オープニングの一人客が再び現れ、物語の世界をくるりと包み込みます。

移動レストランというスタイルならもうどこでも上演可能になったといってもいいと思うのです。 季節的に難しいかもしれないけれど広大な倉庫跡とか何だったら体育館ですら上演可能な気がします。機材が乏しくてもそれはそれで大丈夫そうな強度があるように思います。何となくだけれど「空中キャバレー」への高泉淳子の出演がこれにつながってるのかなぁと勝手に想像するのもまた楽しいです。

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