【芝居】「Family,Familiar 家族、かぞく」フライングステージ
2016.11.6 19:00 [CoRich]
ワタシは未見な昨年上演作の続編という位置付けのようです。両方の作品の交互上演で6日までOFF OFFシアター。100分。
パートナーシップ証明書を貰った男二人は一軒家で暮らしていたが、片方が亡くなった。亡くなった男の甥が東京の大学に合格し、母親にゲイであることをカミングアウトした上で、同居を始める。
別のパートナーシップ証明書を貰った男二人も同居を始めるが、ある日片方の浮気が発覚し相手が別れを切り出す。が、パートナーシップ証明の解消をするかどうかで揺れ動く。
子供を産んだが夫と別れた女二人が同居し、片方の中学生の息子も一緒に住んでいる。もう片方は大学生になる娘がいて夫が育てていたが、その夫が亡くなり同居することになるが、母親に捨てられたと思っている娘は心を開くことができない。
ゲイで独身を貫いている男、ある日突然倒れる。
パートナーシップ証明がいくつかの自治体で発酵されるようになって一年という時間軸で、ゲイやレズビアンなど同性愛のいくつかのカップルと何人かのコミュニティを描きます。単に愛情や打算のだけではなく、そこに自治体単位とはいえ、公的な意味を持つ証明書の持つ位置づけを切実に描くのです。今までであれば、愛情が冷めれば別離が必然であったところに、愛情がなくなっても書類上の関係が続くという初めての経験。この時期だからこそ描ける視点なのです。 愛情は冷めたけれど、その関係は続けるというのは婚姻届でも同じ。そこには何らかのメリットなり打算なりもあったりします。そういう関係が続くということもまた、同性愛がいわゆる異性愛における婚姻に一歩近づいた現場を描いているのです。
今作は家族をタイトルに据えているからか、パートナーの当事者のまわりの人々の描写もちょっといいのです。 たとえば息子がゲイだった父母が息子に頼ることをやめ年老いても二人で生きていくという道を選ぶこと。拒絶というわけではなく普通ににこやかに話すのだけれど、面倒を見て貰わない決心は、「同性愛カップル」だからなのか、あるいはそれとは関係ないことなのか。
あるいはレズビアンのカップルと暮らしてきた片方の息子と、事情があって最近になって同居を始めたもう片方の娘。どちらも一度は男性と結婚し出産したけれど、それでもこの道を選んでいるということもまたありそうなこと。なじめないままの娘だけれど、二人の子供が夕方魚肉ソーセージを炒めただけの簡単な夕食を二人で作り、初めて一緒に食卓をともにすること。「ア・ラ・カルト」の例を引くまでもなく、食卓もまた家族という場を作り出す一つの装置。
何かが大きく前進することを語る物語ではありません。ゆっくりとしか変化しない現実の辛さも哀しさもあるいは楽しさも、それをつぶさに描き出して形にすること。そういう意味では「こういう人々がいます」という点描が軸なのだかけれど、それぞれの人々が繋がっていて、ほんの一歩前進したり、あるいは遠回りして戻ってきたり、頑固になっても生きていたりと、それぞれの人々の僅かな変化を物語にしているのです。少々詰め込み過ぎな感じはしないでもないけれど、おそらくは作家やその周りの人々にとって切実な問題を少々コミカルを交えて描く物語には、ワタシとはセクシュアリティが異なる人々のことではあっても、強力な説得力で語りかけてきて、それは共感できたり寄り添えたりする暖かさなのです。
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