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2016.11.28

【芝居】「コーラないんですけど」渡辺源四郎商店

2016.11.18 19:30 [CoRich]

渡辺源四郎商店のもう一人の作家、工藤千夏による4人芝居。 20日まで渡辺源四郎商店しんまち本店2階稽古場。90分。そのあと年末年始にこまばアゴラ、津あけぼの座。

母子二人暮らし。子供のころはあんなにお母さんと慕っていたのに、学校に行けなくなり、家に引きこもるようになっている。母親が親戚から教えて貰った就職先はロジスティックだと言われているが。

テーブルとソファ、ごくシンプルなセット。 幼い子供を三上、引きこもりの息子は工藤という具合に看板俳優の三上晴佳・工藤良平の二人が息子と母親を入れ替わりながら演じます。

5月の上演作に続き戦争にまつわる物語。今作では民間軍事会社による「安全な場所」への派遣という物語だけれど、ちょうど青森駐屯地からの派遣の直前という時期、あるいは民間軍事会社による派遣という世界の趨勢にリアルにリンクするのです。

ネタバレかも

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2016.11.25

【芝居】「愚図」KAKUTA

2016.11.13 13:00 [CoRich]

20日まであうるすぽっとのあと、愛知、福岡。ワタシの観た回は、20周年記念の限定アイドルユニットKKT20+のライブ付きで本編140分+イベント40分ほど。

大学生になった息子が家をでたあとの夫婦。興信所を使って夫が職場の若い女と定期的にあっていることを突き止め、妹と一緒にその事実をつきつけてるが夫は弁解しない。
工場の跡地を公園にするはずだったが、解体の費用がなく私有地になったままの廃墟に失恋した女と友達が探検というか、その場所で互いをモデルにデッサンしようと訪れる。そこにある白骨死体に驚くが離れがたい。
沖縄に旅行する男四人組。腹違いの兄弟が父親に会おうと友達と一緒に訪れている。
夫と顔を合わせたくない妻は夜間、清掃のバイトに出ることにする。そのグループにはホームレスたちも混じり、そのリーダーはその中から人を捜している。リーダーは怒りのエネルギーを放出する方法を教え、妻は夫と穏やかに暮らせるようになっている。
夫と目撃された女は同僚で二人で犯罪に手を染めている共犯になっている。浮気ではないのだが、妻には言えない。女はホストに入れあげているがホストは連れない。

最近作の中でも作風がずいぶん変わったという評判も多いようですが、ここ数年の作家は年齢を重ねた人のままならなさ、生きていればいろいろあることを丁寧に描くようになってきています。砂浜で恋心に騒ぐ話や猫が心配すぎて立てこもりをやめる、という話(これはこれでワタシには最高傑作ではあるんですが)から、年齢を重ねた作家は自分の周りどころか、他人の時間軸の前後を紡ぐようになっていて圧倒的な深みを描くようになっていて、なるほどアタシも歳をとるわけです。

社会の中の一つの役割を持っている人々だけれど、描かれることが少ない人々をすくい上げるように描くのもこの作家の昨今の作風の一つです。たとえば、妻が働くことになる深夜のやや特殊な清掃業の人々やそこにつらなるホームレスたち。あるいはいろんな職業だけれど仲良くつるむ四人組の男たちだったり。

心が折れた女友達と一緒に二人で互いに屋外でヌードデッサンでもするかと訪れた工場の廃墟でみつける白骨死体。生と死がこんなにも隣り合わせで、しかも離れがたい気持ちになるのは何か引き寄せられるからなのか。それを時にふざけて見守ってくれる女友達は引き寄せられる女をぎりぎりのところで現実に引き戻してくれるのです。バディ感すらある女友達の存在はきっと作家にとっても大切なものなのだろうなと勝手に思ったりもして。途中の酒場のシーンでのトレーナー姿の二人(異儀田夏葉、桑原裕子)のバディ感、「炎上する君」の二人(1, 2)のよう。二人とも本当に愛らしく。

あるいは姉の旦那の浮気と思えばすかさず介入する妹、経済的にもインテリアショップも何不自由も不満もなく暮らしているのに、何か気持ちに埋まらないもやもやを埋める女、冷静にみれば物語全体では混乱を起こす要素の一つだけれど、最初に見えていた浮気というフレームをひっくり返したり、じゃあ何なのかということを推察したりというもう一つの軸をしっかりと受け止めるのです。演じた今藤洋子はコメディでツッコミとして圧倒的な強みをもつ女優ですが、こういう厚み、しっかりと。

主演を演じる林家正蔵(アタシの世代は(先代の)三平と言いがちですが)の、不器用な造形がいいのです。終幕、公演に弁当をもって寄り添ったが故に、というのも説得力を持つのです。アタシの観た日は少々声に不安があった気がするけれどご愛敬。妻を演じた千葉雅子、抑え続けた中年女性という造形を静かに。夏に演じていたパックのゆるゆる受け流す感じとのこれだけのダイナミックレンジ。

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2016.11.23

【イベント】「夜明けの街に清き一票」(月いちリーディング / 16年11月)劇作家協会

2016.11.12 18;00 [CoRich]

2015年12月にエビス駅前バーでの初演作をブラッシュアップリーディング。ワタシは今作初見です。動画がしばらくのあいだ公開されています

バーを初めて訪れる男、実は子育てのしやすい町を作り上げた人気の市長だが今期で辞めることにしている。バーテンダーの女を口説きたいフリーター男は店長が休みと聞いて訪れ、就職したらデートしてもいいという約束を取り付ける。その男の元カノはこの店の常連で宝くじで百万円が当たり、それを供託金として男は市長への出馬を考える。
三浪した大学生の男は彼女を妊娠させてしまうが、親にそうだんするでもなく、二人で隠れるようにアパートでの二人暮らしを始め、未受診のまま日が経ち身元を明かさなくて出産できるという医者を探し、5時間もかかる電車に乗る。
女子高生の妹、彼氏がクリスマスにバイトのシフトを入れたといい怒っていて、兄がなだめているが怒りはおさまらない。

時間軸の異なる幾つかの場面を断片で示しそれが後半に至り一つに繋がるのが作家の最近の作家の持ち味のようで、10月に観た一本も同じ作家のものでした。短い時間でするすると繋がりパズルのピースが埋まっていくのは観客にとっても間違いなく快感なのです。アタシは同じ場所で行われたエビス駅前バーでの初演を観てないけれど、リーディングだけでもトイレとドア、というあの場所の構造ゆえの芝居になっていることに驚きます。その情景が目に浮かぶよう。

デートの条件が就職で友達の百万円で市長選出馬して就職したことにしよう、とか大学生の望まない妊娠の悲劇からの市長就任とか、あるいは市長が顧みなかった家族は女子高生のたったひとりの娘で精神を病んでいるということだったりがそれぞれのピース。正直にいえば、ちょっと都合が良すぎる感じはありますが、それよりもひっかかるのは(当日のディスカッションでも指摘があったけれど)大学生の男のひどさ。もちろん、それがあとの善政な市長に繋がるという物語の運びの上での意味は勿論あるけれど、未受診のまま5時間も電車にという無茶さが、大学生とはいえ未熟に過ぎるのではないかとか思ったりして、全体に漂うコミカルさと、このあたりのバランスというか座りの悪さに違和感があります。

彼氏がクリスマスにバイトのシフトを入れたことに激怒する女子高生のシーンが好きです。付き合って日が浅くて付き合う前に入っていたバイトのシフトは仕方ないと考えるのが普通のところ、クリスマスにバイトのシフトが入ってるのに告白してくるのは不誠実だという無茶振りに大笑いしたアタシです。

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【芝居】「猿川方程式の誤算あるいは死亡フラグの正しい折り方」ジャブジャブサーキット(JJC)

2016.11.12 14:00 [CoRich]

13日までスズナリ。120分。

行方をくらませた教授の痕跡を探す教え子の女。教授は「死亡フラグ」という言葉を生み出した第一人者だった。他にも姿を消した人が居る。女の同級生は刑事で一夜を伴にしたことがあるらしい。
同棲していた男の浮気を責めて手がかりを残し姿を消した女。は突然の招集があり同胞の女と人里離れた村に向かう。
「施設」に入っている男は記憶を無くしている。施設には大臣や元組長が訪れたりしている。
ずっと前から変わらない作風。少しばかりスノップというか知的さを弄びつつ、同級生のちょっとした恋心や同棲相手の仕組まれた浮気など人情的で卑近な話も混ぜて物語を運びます。今作は沢山の場面を詰め込んで、映画のカット割りのようにさまざまに作り出される場面、思いの外ゆっくりした雰囲気なのに振り返ってみればずいぶんな情報量なのです。

「こういう台詞やことがあったら、その登場人物は死ぬ」といういわゆる「死亡フラグ」そのものは物語にあまり大きな貢献をしていないような気がするのです。死ぬかも知れない、という人の気持ちのドキドキを物語に添えるという効果はありますが。

久々に観てちょっと意外だったのは、わりとあからさまにある種の陰謀論だったり拉致・原発などのアイテムを物語に織り込んでいることでした。もうちょっと軽い作風だったと記憶しているけれど、そうも云ってられない、という作家の危機感がこういう要素を入れているように思います。

終幕近く、施設の地下が爆破され、そこには大量の大麻があって、という終幕。それがマスコミではほとんど報じられないというのもまた陰謀論的な物語の運びです。地下が爆破され大量の大麻、というのはどこかルパン三世のような活劇チックな雰囲気を創り出します。

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2016.11.21

【芝居】「男子校にはいじめが少ない?」趣向

2016.11.11 19:30 [CoRich]

初めてのフルスイング公演、90分。王子のあと、生バンドと清水那保を加えた横浜バージョン。12日まで、のげシャーレ。ワタシは30分の短縮版リーディングに続いて三回目。

今作では「男子高校生」という役が加えられ、冒頭にあの頃の自分を俯瞰しているような場面があったりいくつも曲が加えられたりして変化し続けています。前回がリーディングだったのでなんとなく平面な印象だった芝居には、ダンスが加えられ、奥行きのある空間を生かします。更に東京の上演にはなかったという生バンドや男子高校生役を清水那保が演じるなどの特別感。

男子校で暮らす三年間、親しかった同級生の女子が急激に成長し大人になっていくこと、それに比べてわりと子供のままに大学生になった男のはかない恋愛風味は今作の柱。当日パンフで作家は高校生たちが本当に愛おしく、というようなこと書いているけれど、なるほど、男子高校生のなんというか童貞っぽさというかちょっとバカっぽい感じだったりを見守る視線は実に温かいということが改めて見えたきがするのです。もちろん高校生特有の未来への万能感も、何になれるかわからない不安もそのままのテイストに。

新しい役者を入れ、あるいは前回の出演者も一部の配役を入れ替え成長し続ける芝居になっています。前回の印象がわりと強く、見慣れた役者が多いということもあって、今回は初めこそちょっと違和感を感じたりします。

前回はもっと幸福感を感じて観ていた気がするけれど、今作では物語全体に不穏な雰囲気をより感じるようになったアタシです。「死ぬのと世界が終わるのとどちらが先」なんていう台詞、前もあったっけ、というぐらいに記憶力がザルなのですが、前回とは変わってしまった現実にリンクし少し引きずられるようにこの世界すらも絶対ではなく。「高校生の思春期の気持ち」」を描いているけれど、将来に対する不安は観客であるアタシたちのものでもあると、気持ちに迫ってくるように感じるのです。

初演と同じ自転車を演じた大川翔子はもう彼女以外には考えられないほどのはまり役で安定感。女子高生・石鹸玉を演じた窪田優は前回の原田優理子の圧倒的な安定感に比べるとちょっと不安定な未成熟さが勝る印象でだけれど、もちろんこれはこれでアリ。歌唱指導を兼ねる中谷弥生は不安を抱える男子高校生を前回に続いて丁寧に。

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【芝居】「Family,Familiar 家族、かぞく」フライングステージ

2016.11.6 19:00 [CoRich]

ワタシは未見な昨年上演作の続編という位置付けのようです。両方の作品の交互上演で6日までOFF OFFシアター。100分。

パートナーシップ証明書を貰った男二人は一軒家で暮らしていたが、片方が亡くなった。亡くなった男の甥が東京の大学に合格し、母親にゲイであることをカミングアウトした上で、同居を始める。
別のパートナーシップ証明書を貰った男二人も同居を始めるが、ある日片方の浮気が発覚し相手が別れを切り出す。が、パートナーシップ証明の解消をするかどうかで揺れ動く。
子供を産んだが夫と別れた女二人が同居し、片方の中学生の息子も一緒に住んでいる。もう片方は大学生になる娘がいて夫が育てていたが、その夫が亡くなり同居することになるが、母親に捨てられたと思っている娘は心を開くことができない。
ゲイで独身を貫いている男、ある日突然倒れる。

パートナーシップ証明がいくつかの自治体で発酵されるようになって一年という時間軸で、ゲイやレズビアンなど同性愛のいくつかのカップルと何人かのコミュニティを描きます。単に愛情や打算のだけではなく、そこに自治体単位とはいえ、公的な意味を持つ証明書の持つ位置づけを切実に描くのです。今までであれば、愛情が冷めれば別離が必然であったところに、愛情がなくなっても書類上の関係が続くという初めての経験。この時期だからこそ描ける視点なのです。 愛情は冷めたけれど、その関係は続けるというのは婚姻届でも同じ。そこには何らかのメリットなり打算なりもあったりします。そういう関係が続くということもまた、同性愛がいわゆる異性愛における婚姻に一歩近づいた現場を描いているのです。

今作は家族をタイトルに据えているからか、パートナーの当事者のまわりの人々の描写もちょっといいのです。 たとえば息子がゲイだった父母が息子に頼ることをやめ年老いても二人で生きていくという道を選ぶこと。拒絶というわけではなく普通ににこやかに話すのだけれど、面倒を見て貰わない決心は、「同性愛カップル」だからなのか、あるいはそれとは関係ないことなのか。

あるいはレズビアンのカップルと暮らしてきた片方の息子と、事情があって最近になって同居を始めたもう片方の娘。どちらも一度は男性と結婚し出産したけれど、それでもこの道を選んでいるということもまたありそうなこと。なじめないままの娘だけれど、二人の子供が夕方魚肉ソーセージを炒めただけの簡単な夕食を二人で作り、初めて一緒に食卓をともにすること。「ア・ラ・カルト」の例を引くまでもなく、食卓もまた家族という場を作り出す一つの装置。

何かが大きく前進することを語る物語ではありません。ゆっくりとしか変化しない現実の辛さも哀しさもあるいは楽しさも、それをつぶさに描き出して形にすること。そういう意味では「こういう人々がいます」という点描が軸なのだかけれど、それぞれの人々が繋がっていて、ほんの一歩前進したり、あるいは遠回りして戻ってきたり、頑固になっても生きていたりと、それぞれの人々の僅かな変化を物語にしているのです。少々詰め込み過ぎな感じはしないでもないけれど、おそらくは作家やその周りの人々にとって切実な問題を少々コミカルを交えて描く物語には、ワタシとはセクシュアリティが異なる人々のことではあっても、強力な説得力で語りかけてきて、それは共感できたり寄り添えたりする暖かさなのです。

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2016.11.20

【芝居】「悪巧みの夜」同級生演劇部

2016.11.4 19:30 [CoRich]

1984年生まれの三人による演劇ユニットの旗揚げ。 80分。6日まで梅ヶ丘BOX。

男が勤めほぼ住んでいる小学校の技術員室。孤児院で同い年に育った女二人が集まる。雑誌ライターとなっていた女が同じ里親に引き取られた後輩の行方がわからず探したいのだという。
行方不明の女の部屋で見つけてきたのは、人身売買にまつわるいくつもの資料となる本だった。孤児院院長の初代が4年前に辞めたあとを継いだ息子は住ぐにやめ、現在の三代目は海外の養子縁組で実績を積んだエリートになっているという。

小学校の技術員室の薄暗い部屋に集う人々、孤児院でそれぞれの人生を歩んでいてもあの頃からずっと一緒に生きていた信頼感。何か困ったことがあれば相談するし、相談されればそれが馬鹿馬鹿しいと思っても最大限に助けたいと思う気持ちをずっと持ちづけていた人々。

参考資料にあるとおり、人身売買に関する物語を根底に。失踪を調べ始めた最初の段階から人身売買の本が見つかったりしつつ、半信半疑で調べてみれば園長の交代も怪しければその背景も、あるいは写真も怪しい。切り込んでみれば返り討ちにあったりはしながらも物語そのものは最初にうっすら見えた着地点に向かって真っ直ぐ進み、終幕は園長のその後もドアの向こう側に来た人も、行方不明の女の本当の行方など、明確に結論を示さず、想像にゆだねるように作られていて、見た目に反してサスペンス要素は薄めな気がするのは惜しいところ。 そういう意味では物語の面白さというよりは、芸達者の役者たち三人のあれこれを楽しむ一本ということかもしれません。彼らがやっていることがそれほど「悪巧み」でもないのはまあご愛敬。

ハンマーを持ち出し、人を殴り殺してもいいと考える男(須貝英 )と女(佐藤みゆき)が興奮し激昂しているところを、泣いて止めるもう一人の女(浅野千鶴)のシーンの迫力。その直後なんとか押しとどめて、ほんの一言で笑い合い、冷静に戻るシーンの落差と、ぴたりと止まるシーンのある種の「精度」にちょっと驚くのです。

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【芝居】「ホテル・ミラクル4」feblabo

2016.11.2 20:00 [CoRich]

ラブホテルを舞台にした短編集の四回目。7日までシアターミラクル。

目隠しした男が呼んだデリヘル嬢、するりと抜けて。前説をかねて「ホンバンの前に4」(作 池田智哉)
逆ナンされてホテルに連れ込まれた男。童貞でぎこちない。女がシャワーを浴びている間にスマホをみて殺人事件を知る、女のバックには布でくるまれた包丁が入っている「メキシコ」(作 ブラジリィー・アン・山田)
就活生っぽい女と指輪の男がラブホテルの一室で会っている。 「楽しい家族計画」(作 古川貴義)
アラフォーの女と若い男、ラブホの一室。女は積極的に男に言い寄るが、男はぎこちなく、先輩を電話で呼ぶ。業務時間中に。 「後戻り出来ない女(まもる 2016年版)」(作 豊米裕一)
おだやかに流れる時間、男は別の男に電話して面倒くさい。女は酔っぱらって男とホテルに泊まる。女は男のことが好き。「クリーブランド」(作 河西祐介)

友人によれば、「したいのに達成できない女たち」がどの物語にも通底します。なるほど。

「メキシコ」はロードムービーの前日譚という雰囲気の物語。殺人を犯し逃走のためにゆきずりの男を誘い潜伏しようと企んだ女の目論見はセックスを提供すれば逃げおおせるはずだった、のだけれど。そのもくろみ通りにはいかないけれど、男が女に惚れるように二人の逃避行の始まりを感じさせてわくわくします。

「楽しい〜」は若いスーツの女とちょっとヤクザっぽい男がラブホテルの一室で、というシチュエーションなのに、それが一級建築士とラブホテルオーナーでの改築の相談で、そこから互いの恋人とか家族の相談というか吐露になっていきます。ストーリーラインが幾重にもねじれて楽しさ。 二人の関係というよりは二人の人物を濃密に描き込むことに力点があって、短い時間のなかでこういう作戦をとるのも一つの手段だろうなと思うのです。 男を演じた浅見臣樹が圧巻

「後戻り〜」は2012年初演の王道ラブホテルコメディの改訂作。仕事中に互いに相手を捜して相手が知り合いどころか上司部下の関係なのにラブホ入っちゃうというどうにもならない「後戻り出来ない感」突き進むコミカル。上司で年上女のやっちまった感もすごいし、半ば強引に連れ込まれた部下男がせっぱ詰まって同僚の先輩をその現場に呼び出すというだめの上塗り感など、ダメにダメを重ねていくのです。

「クリーブランド」はちょっとけだるい雰囲気の男女。恋人と喧嘩したらしいゲイの男と、その男への片想いを告げられない女。互いに友人としてはもちろん信頼しあっているけれど、女からの想いに気づいている男だけれど、それに応えることはない関係、わりと早い段階でわかるのだけれどその驚きで語るような物語ではなくて、そのどうにもならなさを切なく描く味わいなのです。

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2016.11.18

【芝居】「脳想パフォーマンス「林檎の心臓やぶケタ人間」」あたしよしこ(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.30 15:30 [CoRich]

まつもと演劇祭、11劇団の公演の時間割はわりとキチキチで、なんとか今年も完走できました。60分。

さまざまな楽器を操るミュージシャンと、身体表現の女優という構成です。 国旗風、赤と黒と白、ぶちまけられたもの、腕や足が出てきたりうめいたり。出てきて歩いたり、何か恋しくおもったり、人形たちと何かしたり、大泣きしたり、大笑いしたり。

台詞はほとんどないけれど、きっと彼女(役としても作家としても)の中では何かの物語と断片を紡いでいるとは思いますが、 正直にいって、何かを表現したくてたまらない、という欲求が暴走しすぎていて、そこから物語を読みとったりはできないアタシです。感性次第では圧倒的におもしろいと感じそうなある種の完成度があるのです。

好みかどうかといえば、そうではないアタシですが、思いの外眠たくなったりもしなかったのは初日の反省か、前日の深酒でアルコールを一滴も入れずに挑んだからか。いえ、ちゃんと言葉にできない何かの面白さを内包しています。

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【芝居】「出会頭すいりについて」劇団サムライナッツ(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.30 13:30 [CoRich]

本編が無いのに外伝というか前日譚、詰め込まれたギャグが楽しい60分。深志神社。

ある事件のあと探偵と同居していた女が殺された直後に探偵も姿を消して3年が経った。大きな館のお嬢様が開いたパーティに招かれたのは刑事と探偵と情報屋と特別な過去を持つヲタ風情の男だった。探偵が居るところには事件が起きて、それが鮮やかに解決されるというのを実験したいのだという。が、直後お嬢様は殺され、直後に現れた探偵と名乗った人物も姿を消してしまう。

ミステリーというか探偵モノというか、犯人は誰だ的な物語の枠組みをとりながら、おそらくは本編として想定している物語で、要となる人物たちのあれこれの背景を描くという趣向。60分の予告編のような感じでもあるけれど、スピード感あるエンタメを作るという点ではそれは成功してます。本編も観たくなりそう。声優養成も考える劇団ですから、あるいはオーディオドラマで広げていくという手もありそうです。

夏に行う千人クラスの大劇場公演に対比して小劇場公演と銘打ちながらも、ギャグの応酬、詰め込みすぎるぐらいに詰め込んで濃密に。劇団の持ち味らしくアクションもきっちり決めるし、エンタメとしてきっちり仕上げています。

シンポジウムでは、観客がいない土地での劇団を会社組織にしてしっかり運営することとして、ゆるキャラ風のマスコット、ノボリ、物販、あるいは劇団員が紹介する駒ヶ根の観光マップなどさまざまなアウトリーチをしっかりとしているということが紹介されました。そのホスピタリティもまた劇団の魅力なのです。 -->

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【芝居】「GONG!」信州大学劇団山脈(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.30 12:00 [CoRich]

信州大学の演劇サークルもこの演劇祭の常連で、一緒につくりあげていくというのもこの街ならではの演劇祭のありかたなのです。60分。ふれあいホール。

代々鐘をつく仕事を受け継いでいる家。かつての戦争の戒めのための鐘という記憶も薄れ、新たに国王となった男は鐘をつくことを禁止し、 武力を強化し川の向こうの国に先制攻撃をしかけることを目論む。

右への動きなどイマドキの日本の姿に少し重なるようなモチーフを、童話のようなどこかの国の物語という語り口で描く物語。自戒のための鐘というシンボルを受け継ぎ続けてきた国なのに、それが元々どういう役割のもので受け継いできたのかという記憶が薄れているという雰囲気もちょっとイマドキのあたしたちの姿に重なります。

軍事研究を優遇する政策によって恩恵をうける研究者というのももしかしたら研究と研究費を身近に感じる大学生、ということなのかもしれません。

呑気とも言える日常の日々を過ごしていた人々の暮らしが急速に変化しいきつくエンディングは決してハッピーではありません。花火のように美しく空を彩る火に少しばかり眺める民衆は何も知らず、真実を知っている権力側は諦めた終幕の風景、人々の笑顔とやけくそが交差するバッドエンド。

日々の暮らしが締め付けられたと思ったら急速に滅亡に向かう、という物語を若い彼らが紡ぐということがちょっと寂しいような気はしつつ、もしかしたらそれは彼らにとって切実に感じる現実の世界の映し鏡ということなのかもしれません。

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2016.11.15

【芝居】「小石光り」ナオサク企画(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.28 20:00 [CoRich]

横浜での再演のあと、続けてのまつもと演劇祭への参加。60分、ピカデリーホール。

場所が変わったとはいえ、短い期間での再々演なので、物語そのものには大きな変化はありません。アタシが勝手に心配していたのは、横浜。ゲーテ座の小さく、フラットな客席の空間での印象に対して、古い映画館を改装したタッパが高く傾斜のきつい客席を持つ松本・ピカデリーホールというハコの大きさの変化でした。セットも無く、箱馬を使うだけの高さの差だけの芝居ですし、ごくごく静かに進む「地味な」話なので、地元の劇団とはいえ、その強度を勝手に心配していたのです。

それが意外なほど、ハコの大きさには負けないのです。もちろん観客の視点の差による印象の違いはあります。横浜では舞台を水平にみるような視点で死期の近い人と周りのひと、おそらくは天空にいる人の高さの差がありつつ、その微妙な差はなかなか難しいところでした。

やや上から見下ろす形になるピカデリーホールの場合は、観客がいろんな人々を天からみているよう。天空にいる人すらも見下ろすような形なので、ある種の箱庭感が増しているのです。もちろん、ハコが大きいことによって声がちょっと厳しかったりする瞬間がないわけではないのですが、せりふの一つ一つを聞き取るのとはちょっと違う雰囲気の芝居なので、それは思いの外気にならないのです(アタシが一回既に見ているから、かもしれないけれど)。

松本の友人たちにもわりと好評だったりして、密かに胸をなで下ろした、というのは秘密ですが(笑)。

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2016.11.14

【芝居】「チキンな卵」ごったに(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.29 18:00 [CoRich]

まつもと演劇連合会が毎年主催する「芝居塾」の修了生による公演。今年は講師陣が変わって、コミカルでちょっと社会派の物語60分。

その学校は世間の荒波を教えようとして、 学科の成績とは別に「人間の価値」という尺度を全生徒につけている。それはスクールカーストから教師からの信用に至るまですべてに影響している。
教育実習がまもなく終わる実習生。生徒の一人から助けを求められこの制度を知り疑問を感じるが、なにもできないと半ばあきらめ、実習期間を終わろうとしている。

物語の前半で太宰治・女子高生について言及し、社会に出る前、いろいろ思うことはあっても大人の前では正しいと思うことを言い出せないという枠組みをつくります。それをもう一歩踏み出して正しいと思うことをきちんと言おうとする成長を描くのです。なるほど、気弱(チキン)な、卵たち。芝居塾の公演によくあった雰囲気の物語。

終盤、放送室から半ばテロのように全校生徒に向けてそれはおかしいと訴えかけ、それが実習生のひとり、実は教師になりたくなくて小説家になりたいという女が共鳴するのです。全てが解決できたわけではないですが、次の一歩を踏み出せそう、というのが希望になるのです。

小説になりたい女を演じた幅下かおりは、やや面倒くさそうな序盤だけれど、最後に希望の一歩にみえる嬉しさ。ずっと顔を美容ローラーでこすってる学年主任的な教師を演じた篠原誉は、コミカルだけれど、絶対に信じているものは譲らないある種のヒール感をしっかりと。

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【芝居】「ANDROGENA」カニプロ!(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.29 16:00 [CoRich]

スピード感で濃密な60分。キャパ少な目なわりにステージ数が少な目なために満員の回も多かったよう。

いたずらがすぎるシスターと、まじめなシスター。 殺し屋が命を狙っているのは、ある国に密かに埋蔵されている金を狙われることをおそれていたからだった。市場に出回れば大混乱になる。もう一人の殺し屋を巻き込んで。

歴史の転換点にずっと関わってきた血筋とか、殺し屋が失敗したら飛んでくるロケットとか、あるいは地下にある遺跡の中で絶体絶命の危機になってみたり。物語はわりとドタバタなコメディで、荒唐無稽と、悪巧みがうまくいかないという骨格はどこかルパン三世のような雰囲気を纏います。

狭い空間にずっと流れるビート。照明も派手で、時にレーザー光の演出もあったり。小さな劇場ゆえにクラブのような雰囲気。ベタなアクションコメディやダンスなどこれでもかと濃密に詰め込んでいます。スピード感と音楽で突っ走るという芝居は今回のまつもと演劇祭のラインナップの中では貴重で、わりと初めて芝居を観る楽しさ、みたいなものはこういう形式がいいんじゃないかと思っているアタシです。

いたずら好きのシスターを演じた土屋あかりは、顔芸といってもいいほどの豊かな表情の数々が楽しい。まじめシスターを演じたアベヨネはコントに近い持ち味の芸風は癖があるけれど遺憾なくのびのびと。

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2016.11.10

【芝居】「ある学会報告」micelle(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.29 14:00 [CoRich]

ワタシにとっては初めて観る「ある学会報告」を、初めて観る札幌の劇団、一人芝居(櫻井ヒロ)で。30日までふれあいホール。60分。

アフリカで捕まった猿が人間に進化し、人間たちの前で自分のこれまでを講演する。

普通の人というか前説ぐらいの体裁で観客の前に姿を現し、そこから徐々に芝居に入っていくスタイル。ダンスからの役者だから発想できたかと思うのは、猿という動物の身体の動きを真似ることで、人間と猿とがそう遠くない地続きなのだということ。序盤でのそれは、身体の動きというか肉体のありかたで、役者が半裸になるとそれはいっそう明確になるのです。それは物語が進み、人間につかまり船で檻に閉じ込められ、その前を行き交うさまざまな人の仕草を真似ることで様々なバリーションが生まれてもなお共通の「人間と猿」の肉体のありかたが見えてくるよう。

酒を呑む仕草、パーティでそれを観た人間たちが喝采するのだけれど、当の本人(の猿)はずっとフラットで居続けて、喝采に喜ぶ風でもなく。仕草が人間であればそれは人間なのか、あるいは猿が「進化」というかより「進んだ」結果が人間、という一般的な思い込みは本当なのか。そういう自問自答がアタシの頭の中でぐるぐるするのです。

後半では彼の心のありようとしては「自由を手に入れた」ということではなくて、「出口を求めているだけ」なのだという台詞があって、人間だと認められここで講演をするに至ったのは単に(出口を求めた)結果でだという結末。それは本人はほぼフラットであり続けたのに、周りの評価が変わっただけなのだ、という孤高で崇高な雰囲気すら漂わせて、それは実にカッコイイのです。

遠く札幌からの参加、演出の奥さんと子供を連れてというツアー。開演直後こそちょっと騒いでいるけれど、芝居が始まるとしっかりと静かになる、という役者の子供がまた楽しみでもあったりして。

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2016.11.09

【芝居】「悪党宣言(仮)」apVAN(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.29 12:00 [CoRich]

地元甲府で今週末開催される「甲(きのえ)演劇祭(twitter)」を主催する山梨の劇団・ap.VAN、ワタシは初見です。 シェイクスピアのリチャード三世(wikipedia)をぎゅっと圧縮して4人で上演する60分。30日までスタジオアイ。甲演劇祭での上演もあるようです。

舞台を囲むように三方に客席、残りの一辺に低い脚立とその奥の壁が鏡。開演15分前から「バラ戦争」についての背景説明を紙芝居でか簡単に。紙芝居を三辺に見せながらなのだけれど、その絵柄がまったくバラバラなのもちょっとおかしい。

全身タイツ姿の四人。登場人物分の面をつけたり、あるいは手に持って動かしたり、あるいは影絵のようにして見せたり時にコミカルなリズムに乗せて上演します。狡猾とか残忍といわれる話だけれどわりと親しみやすい言葉遣いのせいか、あるいはコンパクトにまとめたからか、親しみやすさの方が前に出るような感じで実に見やすいのです。タイツと面で、やや舞踏の要素っぽいのを入れると、様式を強く意識されがちで、たとえば同じ山梨の劇団、Godsound†Studioendはそういう様式美を突き詰めた感じがありますが、それに比べるとずっとポップで親しみやすいのです。

面を手にしてゆらゆらと動かしながら語る悪夢のシーン。天井に向けた明かりで影絵のように重なり合う影をつくりだして幻想的なシーンを創り出します。

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2016.11.08

【芝居】「天気輪の森の物語」タヌキ王国(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.29 10:00 [CoRich]

去年の演劇祭では「ごったに」の指導側だったタヌキ王国の舞台は、ミニマムな二人芝居を銀河鉄道の夜から着想して。60分。30日まで。アタシの観た土曜朝の回は超満員で会場の鏡が曇るほど。

死期が近づいた男、介護士が手助けしているが、、目が見えなくなったり身体がきかなくなったり。七日かけてゆっくりと人は壊れていく。

銀河鉄道はその派生作品含めても「カムパネルラ」と「ジョバンニ」の二人の物語として描かれることが多いと思うのだけれど、今作で焦点を当てたのはザネリ。「人の死」という大きなトピックのきっかけでありながら、助かった方のザネリの側の視点で物語を捉え直し、70歳になり死期が近づいている、という枠組みで物語は進みます。

もちろん、人の死は痛ましいけれど、自分のせいで友達が亡くなってしまったという十字架を背負い続けて何十年も生きてきた男の心が厳しいものであったか。銀河鉄道の一部を抜粋したような静かで美しい場面をフラッシュバックしつつ、現在の年老いた男がゆっくりと死に近づいていくこと、老いていくことの自覚というのが多少なりとも感じられる今だからこそ味わえる奥深さ、という気がします。若い頃だったらここまでは深く気持ちに入り込んで来なかっただろうなぁと思ったり。

一つの面が鏡張りになっていてバレエスタジオのような空間は鏡の向こう側という(見た目の)空間の広さと、そこにぎゅっと人数が詰まった濃密な空間のギャップも楽しく。演じた二人の役者、曽根原史乃、三井淳志は何の問題も無い役者で安心して観られるのです。

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2016.11.05

【芝居】「鳥の夢」幻想劇場◎経帷子(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.28 21:00 [CoRich]

まつもと演劇祭参加の経帷子。60分、30日まで。岩崎邸・倉を円形舞台で構成しています。

壁に囲まれ霧が立ちこめる場所、毎朝多くの鳥が飛び立って壁の向こうへ行くが、そこにいる女は壁を越えられないばかりか、深い霧で壁の向こうにあるものすらわからない。なにも思い出せないが、毎日古い夢を読むように命じられ、続けるうち、徐々に記憶が戻ってくる。
スナックで働く女は娘を女で一つで育てている。スナックの客と偶然街でであい、男はその家に通うようになる。ある時から娘は学校にいかなくなり、空を飛びたいのだと言い始める。

序盤で、人は生まれ変わったら何処へ行くのかと口上し、壁に囲まれ霧がたちこめとなれば死んだ後の世界を描くことはわりと最初から明確に。その四十九日の間に女が「夢を読み、記憶を溶かす」ことで忘れていた記憶を思い出し、鳥となって壁の向こうへ飛ぶまでの過程を観客も一緒になって体験することを丁寧に描くのです。彼女が巧く夢が読めない序盤から、徐々にスナックで働いていたことだったり、客だった男が通うようになってきたことだったり、あるいは娘を亡くしたことだったり。語り口こそゆったりだけれど、テンポ良く短く切り取られた断片を観客は女とともに体感していくことで、その記憶が自分の中にも染み渡るようなのです。

幻想的に灯された火が揺れた空間、床下からのすきま風だって、(アタシの観た金曜夜の)雨だって、すべてが世界を形作るパーツのひとつひとつになるよう。 レンコン男だったり、シャレコウベを運んでくる猫にしても、あるいは野鳥の会や医者と看護師など、時にコミカル、時に幻想的、時にやけに実直なバラエティ豊かな登場人物たちが、入れ替わり立ち替わり、繰り返しもあるけれど程よい長さとリズム、回数の心地よさというか見やすさ。物語の中身とは別にある種の祝祭感を感じさせるのです。

終幕、女が鳥となり羽ばたく瞬間、台に乗り手を広げ、周りを他の人物がぐるりと囲み外を向き手を振り、そして囲んだ人々が腰を落とす、というごくシンプルな演出だけれど、羽ばたく瞬間をきちんと切り取ったよう。もちろん物語の要請するもっとも王道な結末だけれど、据わりのいい着地点をしっかりと印象づけるのです。

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2016.11.04

【芝居】「白- shira -」双身機関(第21回まつもと演劇祭)

2016.10.28 21:00 [CoRich]

まつもと演劇祭、幕開けの一本。アタシにとってもこれが最初。金曜夜は大雨でした。去年に続いて参加の双身機関、60分。

前代に生きている夏目漱石が102年ぶりに講演をすることになる。考え事をするとすぐに眠くなってしまい、白昼夢をみる。悩み相談は伝言していくうちにどんどん変わったり、言葉を投げ合ったり、現場で働く人々の場所。講演の会場で漱石は同じ名前を名乗る男に出会う。

現在を生きている夏目漱石の白昼夢という枠組み。悩み相談の伝言や、何かの現場作業の休憩所といった体裁のがやがやなど、いくつかのシーンを断片的につないでいきます。それは夢の中のできごと、断片。漱石と名乗る男との出会いは、漱石自身が何者なのかという内面をのぞき見るよう。

アタシの知識が足りないのだと思うけれど、正直にいえば、白塗り舞踏で作り出した世界と倉という場所の融合ゆえに創り出される雰囲気ということのおもしろさはあっても、漱石とその白昼夢の中身をどうつなげていいか戸惑うアタシです。何かつながりがある題材なのかそうでもないのか。

もっとも、アタシの側にも原因はあって、まつもと演劇祭が楽しみすぎてこの前に一杯ひっかけて乗り込んだから夢かうつつか状態になっていたから、なのであまり偉そうなことは云えないのだけれど。

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2016.11.02

【芝居】「横浜の嘘に3度酔う」エビス駅前バー

2016.10.25 21:00 [CoRich]

エビス駅前バーのプロデュースとしては最終を謳う公演。28日まで。75分。

横浜・海が見える場所を巡る、戦後すぐ、バブル期、現在の物語。 戦後すぐの焼け野原、戦地から横浜に戻った男はカウンターで洋酒を出す店を幼なじみの女に語る。 世はバブルで浮かれるが流行らないスナックを営む女。真正面から口説こうとする証券会社の男が常連客で通っているが女は連れない。かつて酷く女をフった男がアメリカから帰国し店に通い始める。 現在、店主が死んだばかりの店を若い男が訪れる。母がこの店を営んでいてルーツを探ろうとやってきた。

三世代にわたる物語。戦後すぐの夫婦が洋酒を出すバーを作るという夢は潰え、妻は娘を産んですぐ亡くなり、夫は娘に果たせなかった夢を語りつづけ。その娘はバブルの時代にその場所に建ったビルの一室で時代遅れなスナックを始める。スナックの常連客二人に口説かれ、片方は身を引くが、もう片方は結婚の直前に姿を消し、女は身を引いた男の元へ行くために店を畳む、と言うアタリまでがバブルまでの時代。

三つの時代を細かに行き来しながら語られる断片が徐々にその場所の重要さであったり想いだったり、あるいはすれ違いを生んでいることが肉づけられていくのはワクワクする感じがします。

現代のパートの始まりの断片は、50代のオジサンが亡くなって空き店舗となった店に不動産屋が、一人の男を連れてくるところから始まります。三世代の流れではそれはバブルの女の息子という立ち位置で、物語の幹を形成するのですが、追いかけてきた女を冷たくあしらう、というもう一つの物語の顔を見せ始めるのです。それは、徴兵といういつか来た道が始まっていて、ぐるりと一回りして戦後すぐに繋がるようになる、という構成が見事。明確に作家が現在の日本に対して感じていることを丁寧に描くのです。

この悲壮に満ちたもう一つの物語が一段落した終幕、バブルの女が店を畳んだあとにから現在へのミッシングリンクを繋げるのが、逃げた男というというのが、無駄なく伏線を回収しつつ、少しばかりほっこりと温かい後味で物語を終えるのは確かに気持ちのいい終幕なのです。

エビス駅前バーという場所は残るようだけれど、演劇公演のプロデュースが最後になる当日パンフの言葉。正直にいえば、この劇場、少々チケ代が高いなとかワンドリンクが上乗せとかいろいろ思うところはあるのだけれど、この場所で生まれた多くの物語、それを創り出した作家たちは間違いなく東京の小劇場の一角を担うほどに成長してきていて、その功績は小さくないと思うのです。

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2016.11.01

【芝居】「まぁ なんてまん丸いお月様なんだろう」A.I.Yプランニング

2016.10.23 17:00 [CoRich]

45分。23日までシアターグリーンBASEシアター。

突然姿を消して5年が経った父親を捜して、娘が山道を歩いている。月の石を売っているインチキ商売をしていると父親が写っていた写真から場所を捜し当てたのだ。父親が居なくなってから家族の運気は上がり母親は金持ちの恋人を見つけ、弟はプロ野球選手になっているが、キャバ嬢で稼ぎ叶いそうもない声優への夢のためにレッスンを受けているが、上昇気流にのれなかった。 母親は次の結婚を成功させるために夫には二度と現れて欲しくないが、娘は一人上昇から取り越されていて、父には帰ってきてほしい。

山道のどこか、ダッチワイフに月の石、女子高生の制服を着て来る女、どことなく序盤の感じが別役実っぽい感じもして、いろいろ不条理っぽさも見え隠れする開演。イマドキっぽく、ネットで見つけた写真で場所を同定するみたいなことや、声優に憬れるみたいなことも盛り込まれていて、まさに現在の芝居なのだけれど、物語の骨組みは、懐かしく昭和の香り。

不条理っぽい状況から何年もの間別れていた二人の関係を描くけれど、舞台には登場しない母親や弟が分かれた時とはすっかり変化してしまっていることと、あきらかにそれからは取り残されてしまった舞台上の二人というもう一つの対比が奥行きを創り出します。その中で語られる二人の関係。上昇気流に乗れない情けないアタシ、という気持ちで来た娘。身勝手な父親だけれど会いたいと思う気持ち。

父親は父親で捨てられていたダッチワイフを拾い上げてしまったがために気がつけばこんな状況の可笑しさもいい。父親は娘のことが大好きだけど、なんかちょっとずれた好意の見せ方みたいなのは、「お父さん」っぽくて微笑ましいのです。不条理から関係がどんどん明らかになり、娘が少し前向きになって山を下りるまでがこんなに濃密なのにたった45分。がっつり芝居を観た、という満足感が得られる一本なのです。

並べた「月の石」とベンチとダッチワイフ、ごくコンパクトでポータブル。色んな場所に持って行けそうな、あるいはいろんな人々による上演も面白そうだなぁと思うのです。

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