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2016.10.31

【芝居】「ここから見えるのはきみの家」トリのマーク(通称)

2016.10.23 14:00 [CoRich]

23日までザ・スズナリ。75分。25年続いた劇団としての活動の休止を発表していて最終公演だけれど、終演後に配られる「絵本」でこれまでの公演場所のイラストと、最後に謝辞が述べられたほかは、実に淡々と。

閉じこめられていて逃げ出した男。テンガロンハットの人は相棒を志望する人につきまとわれ。見学に訪れた男は髭の人に案内され、見て回ります。

何らかの場所を意識して紡がれる物語、時間も場所も、人物すら実はあまり明確ではなくて、「トリのマークの世界」としかいいようの無い世界を作り出すのはいつものとおりで唯一無二なのです。

いくつかの断片があるようには思えます。颯爽と走るテンガロンハット、相棒はいらないか話しかけるのはポワンとした見た目。相棒はいらないといいながら、あっさりとぬきさってしまう相棒志望。なにを表しているかはさっぱりわからないけれど、トリのマークの二人、山中正哉と柳澤明子を勝手に重ね合わせ、なんだかんだいいながら二人で歩んでいるという雰囲気を勝手に感じ取るアタシです。

ちょっと異質に感じるのは、監視カメラを巡る会話で、何処の家でも監視カメラが当たり前で、はずそうと思えばはずせるけれどみたいな会話。会話の応酬といったリズムで、ここの会話の密度が高くて、しかもちょっと何かの問題意識があるようにすら感じるアタシです。

舞台の板をはずすと下にある奈落だったり、妙な場所にある舞台上手の扉だったり、あるいは「劇場がある」といったり、この場所に対しての描写もうれしい。

最終公演とはいっても淡々としたもの。もちろん、二人による「カフェこぐま」という場所がちゃんとあって、それが評価もされていて、いつでも会いに行けるのが気持ちの救い。看板女優・柳澤明子が出演しないということには少々肩すかしを感じるアタシではあるのだけれど。 ちょっと異質に明確に語られるのは監視カメラの話。ここだけは台詞テンポも早く、監視されるのが普通になっていて、それを外すということも可能だけれど、という不動産屋風のが話だったりと、やや批判的な語り口なのです。

パンフはこれまで公演した場所のイラストを。25年間ありがとうの言葉とともに。

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【イベント】「包囲網」(月いちリーディング / 16年10月)劇作家協会

2016.10.22 18:00 [CoRich]

銭湯で上演された初演は未見です。リーディング部分、ディスカッション部分が動画中継されるほか、録画が公開されています。リーディング部分は70分。月いちリーディングとして座・高円寺の稽古場フロアで。

風呂屋、長男の嫁が嫁いできたが、長男は別の女と駆け落ちしてもう何年も戻らない。妻は行くところがなくて残っている。父親も母親も仕事のやる気を無くして引きこもったり激太りしている。この家の長女が結婚して家を出ていたが、見かねて手伝いに来ている。
ある日、その逃げた長男が顔を出す。一緒に逃げた恋人を連れて。

駆け落ちにも舅や姑の圧力にも耐えてここで暮らし続けている女と手伝うようになったこの家の長女でやっと手に入れたかにみえた安定を突然崩す夫とその恋人。わりとベタでわかりやすい物語を枠組みにします。が、作家の真骨頂は三人の女たちそれぞれについて語られる事情だったり考え方であったりなのです。三人の女優とともに作り上げる劇団だからこそそれぞれに見せ場を作るようなフォーマットではあるけれど、短い時間で語られる物語なのに、相反する人物だとしてもそれぞれに納得させられ、愛すべき人物がそこに確かに居る、という説得力が魅力なのです。

人物たちとりわけ女性を描き込むのは作家の強みですが、今作で女の子供ゆえに父母ががっかりすることだったり、子供を亡くすことと子供が産まれることだったり、結婚ということだったりを中心に描きます。 たとえばこの家の長女は、女児ゆえに父母からは認められなかった日々だったのに、今は実家の手伝いで役に立てているという充実感。それは嫁いだ先の夫をないがしろにするということとの引き替えだけれど、そのバランスを崩してでもなしとげたいという切実さ。演じた藤谷みきの元ヤン風の凄みもいいし、コミカルさもうれしい。

たとえば、夫に駆け落ちされてしまった妻。身寄りがなく帰るところがないから、といって針のむしろ状態のこの家で働き続けているけなげさ。水商売しているところに男が転がり込んで情を持つウエットと、夫と一度だけヤってしまうことで女を思いだして、しかしそれゆえにあっさりと別れるというさっぱり加減。絶妙のバランスで支点のよう。演じた長尾純子はそれを悲壮にならない気丈さで造形します。

ヒールになるはずの駆け落ち相手を演じた斉藤ナツ子は、人の恋人を奪うことでしかドキドキが得られない性癖の女。魔性っぽさを醸し出す雰囲気の説得力。

それに比べると男の描き方は愛すべき薄っぺらさだと思うあたしだけれど、ディスカッションの中で出てきたのは、終幕、全体を俯瞰し、走馬燈のような視点なのだ、というのは気づかなかったアタシです。物語全体を束ねるようなことなのかなぁと思ったり思わなかったり。演じた東谷英人が思い切りコミカルに振った演劇で物語をかき回します。

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2016.10.28

【芝居】「pion」五反田団

2016.10.22 15:00 [CoRich]

去年初演された作品の再演だそうですが、ワタシは初見です。北海道のあと、アトリエヘリコプターで23日まで。90分。

その気をもてない男は女と別れるが元カノは納得していない。直後にくどかれ続ける女は受け入れないが、何年か一緒にでかけるようになる。訪れた動物園で幻の動物「パイオン」に一目惚れした女は虜になり、毎日通うようになり、やがてパイオンの檻に入り一緒に暮らすようになる。 何年かかけて人間のようになりつつあるパイオンだが、元々の獣の習性は消えず、 友人に相談するうち、男の元カノがカラスにおそわれ、家に送ることになるが気がつくと監禁され、ネズミの王・ドロネズミの后となるよう、だんだん獣になっていた。パイオンの妻となっていた男の元カノが手引きした。 ドロネズミは醜く殺し、パイオンの妻も殺してしまう。 ドロネズミの子供を宿している女を、パイオンは抗争相手として受け入れられない。思い続けていた男はそれをうけいれるという。

女に惚れた男、惚れられていてデートを重ねたりはしていても恋人になる気のない女、獣への一目惚れ。三人の男女の愛のままならなさをコミカルを交えて描きます。つれない男とそれでもつがいになって、暮らしていくうちにそれぞれがちょっと似てきたりして。しかしはらんだ子供が「敵」の子だとすればそれは受け入れられないという種族にとって超えられない一線があったり。パイプで組まれたジャングルジムと、ベッドひとつだけというシンプルな舞台だけれど、描き出されるのは、男女の細やかな愛情を丁寧に描くのです。

一方で、惚れる惚れられる、あるいは種族の違いの関係はフラットではなくて、どこか「上から目線」が言葉の端々に見え隠れするのが少し不穏で、奥行きを持つのです。

前田司郎を役者で観るのはずいぶん久々な気がします。見え隠れする愛情への変化が見えるような見えないような 粗暴な獣のそっけなさ。あるいは男に捨てられた元カノの女装姿も、ちょっと面倒くさい感じで楽しい。男を演じた黒田大輔はずいぶん痩せた気がしますが、なんか妙にきりりとカッコイイ瞬間があったりもします。追いかけ続けるストーカーっぽさは良く考えると怖いところなんだけれど。女を演じた鮎川桃果は本当に美しく、それなのにとち狂って「美女と野獣」。コミカルな間合いも絶妙でシンプルなスリーピースのステージの一角を担うのです。

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2016.10.26

【芝居】「小石光り」ナオサク企画

2016.10.16 19:00 [CoRich]

今年1月の初演作。28日からのまつもと演劇祭への参加が決まり、それを前にしての地元で16日ワンステージだけの上演。 横浜・港の見える丘公園のすぐ近くの岩崎博物館・ゲーテ座ホール。70分。アタシは初見です。

ケアハウスの老女の回想。
子供の頃の兄と母、星を見たり兄弟げんかしたりの日々。教師となった頃、教え子を亡くしてしまったこと。
結婚し夫との日々、そろばんしたり息子とギター弾いたり。息子が結婚して家を出た後の二人。

死期が近い老女の現在は看取る側を含めた第三者の視点、回想の部分は老女の思い出という形をとり、記憶のかけらをいくつか、時に時間が前後しながら進む物語。その全体を見ている「少年」は自らを死神と名乗ったりもしますが、全体に穏やかで静かに語られる物語はどこまでも優しさでいっぱいなのです。

当日パンフによれば介護士そして介護にまつわることがらのライターとしても働く作家の体験をベースにしたといいます。 終末期を見守る、という作家自身が持つ日々の視点に立った物語は、穏やかに見守られ看取られることがなにより一番だ、という一貫した価値観で組み立てられていて、そういう意味ではドラマチックな起伏によって物語を進めるという手が使えませんから、観客との間にいかに共感を紡ぐかというのはけっこう高いハードルなように思います。

介護とか看取りということも、たとえば配偶者を得ることも、子供と暮らす日々、あるいはその後の夫婦二人きりという時間軸など、いくつも丁寧に仕掛けられたフックだけれど、まだ親は元気で独り者なアタシには、ほとんど引っかからないのはちょと寂しいけれどそれは作家の責任ではありません。観客のバックグランドを試されてるような気もしますが、考えすぎか。

父親を演じた石毛誠はクラウンとして活躍するちょっと洒落た人、という生を知っているアタシだけれど、普通のオジサン、という説得力に驚きます。ギターもカッコイイ。介護士を演じた金色城のフラットな明るさ シンプルにいくつかの箱馬だけで組み立てた舞台。ゲーテ座ホールの規模、あるいはもっと小さな規模にはよくフィットするけれど、この週末のまつもと演劇祭の舞台は古い映画館でタッパも高く広い舞台。どうこれが変化するのか、あるいは変化しなくても大丈夫なのか、しかと見届けたい、と思うのです。

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2016.10.24

【芝居】「亡国の三人姉妹」東京デスロック

2016.10.16 14:00 [CoRich]

三人姉妹をわりとそのままに。 16日まで横浜・赤レンガ倉庫1号館・ホール。京都、香川、新潟、埼玉を巡ります。140分。

育った町に戻りたいと願う人々、それが叶わないという絶望感とそれでも前に進んで行く、という決意、というのが三人姉妹の骨格だと思ってるアタシです。それはほぼそのままに受け継がれています。 大きなテント、毛布が敷かれ段ボールが積み上げられ、色んなモノに水玉のように穴、弾痕を思わせる雰囲気。序盤では乱雑に置かれていたそれぞれが後半一度はかたづけられ、先に進めると思った後、こんどはそれぞれの人のパーソナルスペースを作るかのように毛布が並べられ段ボールで仕切られます。 台詞も物語も三人姉妹だけれど、視覚的には難民キャンプだったり、あるいは避難所という雰囲気なのです。終盤ではガスマスクをベビーカーにのせた子供につけ、銃を横に置きという具合に不穏さを増したまま終わります。

「三人姉妹」そのままとはいいながら、わりとテキストを抜粋し、再構成し、時にぬいぐるみに演じさせたり、時に無対称の一人芝居のように演じられたりと演出はかなり特異で不穏さを強く押し出す形に。明確に意図をもって創り出す演出家ですからきっと何かがあるのだろう、と思うけれど、これが正解という自信は持てないアタシですが、終幕でさまざまなものをベビーカーに詰め込む感じは、いろいろなものを次世代に丸投げしている雰囲気。

正直に云えば、三人姉妹という物語と、視覚的に見える風景、あるいはぬいぐるみや人形を人物に見立てるさまざまが、まったく別個のものとして舞台上にあって、それはコラージュのようには感じられても、一つの塊になって受け取れないような印象が残ります。もっとも、何かを訴えたいというわりと強い衝動はもちろんあるし、元々の三人姉妹をぼんやりとしか知らなくても、あるいは少々懲りすぎた演出でも、アタシでも飽きずに最後まで食い入るように見てしまう強度があるので、しっかりと作られた芝居を観た、という満足感はあるのですが。

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2016.10.21

【芝居】「またまた やってみるのだ!」ちび太ン家

2016.10.14 19:30 [CoRich]

キャラメルボックスの四人の役者がゲストを呼んで即興芝居として上演する企画。16日までウエストエンドスタジオ、ワタシの観た回は105分。

二回目の企画公演。ワタシは初見です。舞台には衣装を掛けたハンガー、小道具がいろいろ。 入場時に配るアンケート用紙に(1)どういう枠組み(サスペンス、SF、ラブストーリーなど選択式で)、(2)どんな台詞をいってもらいたい(自由記入)で。そのアンケートを開演直後に回収して裏で整理してている間に、ゲームで時間を繋ぎ、くじ引きでシチュエーションを決め、台詞は役者たちがそれぞれに引いたものをすべて芝居に入れ、場所はあみだくじで決めてスタートするのです。

アタシが観た金曜夜、アンケートを回収して裏で準備する間にウオームアップのゲームは「ワードウルフ」で、二つの単語を一人だけが他の人々と違う単語、誰がその一人かを会話で探っていく、というゲーム。一つ目は「コーヒー」と「レッドブル」、二つ目は「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」。後者は少々近すぎて、ゲームとしては難し気がするのは両方ともやってないアタシだからですかそうですか。

一つ目はラブストーリーを題材に、ジャングルを舞台に。台詞は全部は思い出せないけれど、「僕は知ってるよ」、「バランスボールダイエットって知ってる?」、「この国には何で女しかいないんだ」、「未来は僕の手の中に」、「ねむいねむい眠たい」など。役者たちが引いた全ての台詞が言われることが必須で、あとは物語としてどう着地させるか。終演を決めるのは監督役となる一人(これもくじ引き)にゆだねられます。

モテない女が男を求めてジャングルに行くけれど、そこでは何かの細菌によって性別が女になっていってしまっていて、隠れるように動物に擬態した男が残っていて。少々強引な感じはあるけれど、コミカルでイキオイがあって、探り探りするかんじもあって楽しい。

二つ目は、サスペンス、海辺を舞台に。 「広くてすてききな宇宙じゃないか」、「でも君は笑うかも知れないとっても変な話だから」などの台詞を。打って変わって淡々と静かな会話で始まるのは、浜辺で記憶を失った男と、それに気付く男。規定の台詞がでないままかなり長い時間が経過するけれど、やがて、何度も実験を重ねてロボットを試作するうちに不良品を捨てて、それが浜辺に流れ着いたのだ、という物語に収束していきます。

サンシャイン劇場をきちんと埋められる役者たちがこの規模の劇場なら演じること自体への不安はありません。この公演は、観客からアンケートでとった題材を使って、役者のエチュード(即興)に対する瞬発力だったり、それで物語という体裁を仕立て上げるチームとしての座組のプレイというのが公演のベースなのです。もちろん物語が進む舞台の袖で、入る瞬間だったり、衣装や小道具を細かく調整していたりするのが目の端に見え隠れする緊張感。

もちろん、役者の素が見られるという観客の嬉しさ。ちょっと早めに会社出られたアタシはじゃあ、と思って金沢涼恵の回へ(クリアファイルがオマケについてる回で嬉しい)。正直にいえば、この強烈な役者陣の中では少々分が悪いけれど、舞台に入る瞬間をあれこれ考えている表情は、普段見ることのない「役者をしている」彼女がまた新鮮な表情。それは他の役者たちにも当てはまるのです。

ワタシの観た回では、永島敬三がさまざまに工夫し、意図せずとも入れた伏線が後で生きたりと、物語を面白くすることの瞬発力が圧倒的なのです。

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2016.10.19

【芝居】「ムーア」日本のラジオ

2016.10.10 18:00 [CoRich]

10日までRAFT。60分。

エロ漫画雑誌に描いた前後編。似た現実の児童虐待事件が起こったために掲載をされなかった。新しい企画として編集部が提示してきたのは、現実の事件をドキュメンタリータッチで描く事だった。
出会った男女はいつしか、何人もの子供を誘拐し虐待した上で殺し埋めていた。

白黒で統一され整理されたフライヤー、当日パンフも新聞を模した体裁の大判を広げた裏側は戯曲全文掲載。いろいろ凝っていて楽しい。

エロ漫画、児童誘拐、虐待、殺人のコンボとなれば現実の問題としてはアタシはまったく共感できない人々を核に。その外側にはアタシたちの現実との地続きを感じさせる漫画家と編集者というもう一つの殻をかぶせ、少しばかり中心をずらして語る二組の会話が物語を駆動します。

そういう嗜好を持った男女が偶然で会い、共振(発振)して暴走してしまうこと自体には理由はありません。それが好きだったから欲した、というだけのこと。だからといって社会的には許されることではないけれど、アタシだって、もしかしたら社会からNOを突きつけられる嗜好が心の奥底のどこかにあるかもしれない、ということに思いが至ると急速に現実味を帯びてくるのです。

物語の核とは違うところだけれど、リアリティを持たせるもうひとつ。 エロ漫画誌に書いた陵辱モノが現実に偶然リンクし、編集部の配慮で別の角度からの作品の企画が持ち込まれる、という序盤の枠組みは互いに敬意をもつという、きちんとした仕事の現場の雰囲気で(出版業界の経験はなくても)腑に落ちる説得感があります。

少女と編集者を行き来して演じる本紗也香の振り幅が物語のアクセントとなって、苦悩し描く漫画家を演じた安東信助は重奏低音のように物語のベースを奏で続けます。男女を演じた横手慎太郎、三澤さきの二人だけに閉じた世界のある種の薄気味悪さは舞台全体を支配していて、物語の世界を強固なものにするのです。

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2016.10.18

【芝居】「黄昏バックオーライ ~I'm waiting for you..~」レトロノート

2016.10.9 13:00 [CoRich]

初見の劇団ですが、前身劇団を併せればすでに15周年。 10日までザ・ポケット。90分。

40間近で独身の男たちは飲み明かす毎日を送っているが、そのうちの一人が結婚を決める。相手は地元高校の演劇部出身、東京に出て女優になり地元のスターだった。
時を同じくして、男たちの同級生の上京していた男が地元に戻ってくる。かつて組んでいたバンドを再結成する話で盛り上がるが、結婚を決めた男のかつての妻がそのボーカルで、彼女はもうこの世にいない。再結成がどうしても許せないメンバーもいる。

建て込んだセットに市井の人々の人情喜劇の味わい。前はこの手の劇団をもっと観ていたけれど、そういえば久しぶりな感覚。笑いの雰囲気に浅草を感じるのは座長・深沢邦之を萩本欽一からの流れとしてアタシが理解しているからかもしれません。あるいは(女性は出演しているけれど)カクスコに近い雰囲気を感じるのも市井の冴えない男たちの、本人たちには重大だけれど他人にとってはどうでもいい話を丁寧に描いている、ということなのかもしれません。浅草発祥の軽演劇の現代のありかたのひとつ、なのかもしれないとぼんやり思ったりもします(違うか)。

いい歳をした男たち、過去には確かに皆の中心にいたマドンナが居なくなってから止まっていた時間。女たちはそれを温かく見守っているという構図に、夫婦の娘や若い工員という軸を加えてしつらえた舞台。そこに、若い頃のマドンナそっくりのまったくの他人が現れる、ファンタジーファンタジー。恋心が再燃したりはするけれど、それは単に火を付けるだけで歳の差の恋が埋まったりはしないのはもちろん、現実にあり得そうなこととの程よい匙加減。

あるいは上京していて女優になっていて地元の星だったはずの女の伸び悩み、東京にしがみつかなくても、身の丈にあった生き方がある、というのは少々ほろ苦く、いい歳になってきたアタシにもずしんと響く物語を、しかし軽やかに描くのです。

なにより印象に残るのは母親を演じた長谷川紀子。軽く見えてきっちりと人々を見守るポジションだけれど、 深沢邦之との夫婦の掛け合いのテンポの軽快さと間合いの絶妙はちょっと凄い。

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2016.10.17

【芝居】「わたしはミシン」チタキヨ

2016.10.8 14:00 [CoRich]

チタキヨの新作、95分。9日までミラクル。配られる味の素の小瓶のオマケが可愛らしい。

地方にあるらしい縫製会社会社。大量生産品とは別に一点ものの縫製を行うオートクチュール部門は農閑期中心に働くベテランと、服づくりが好きでプロにまでなったエースの二人では仕事が回らなくなってきたため、新たに経験者を雇うことにする。暴力を振るう夫から別れこの土地にやってきた女だった。
新たに受けた注文は高級服のコレクション向けの作製だがやってきたデザイナーは納期にも品質にも細かく注文をつけてくる。かつて所長とただならぬ縁があったよう。
遅れていた進行も、納期間近になりなんとか間に合う見込みがたったが。

自分たちには到底手に入らない高級ブランドのしかもオートクチュールを仕立てるプロ職人の女たち。農家の嫁姑だったり、DV夫からの独立であったり、あるいは独身の女はセーラムーンが心の支えであったり。女であるがため、とは限らないかも知れないけれど女だからこそそうなりがちな属性を三人に丁寧に持たせることで、プロフェッショナルであることだけでは生きられない「生活」との両立というかバランスの中で来ている人間を描きます。その意味では、かつて巧いスーツの仕立て職人だった所長が生活の不安から現在の職に就いているというのもまたもう一つの生活とのバランスだし、父親のテーラーを継いだ息子の拘りはその店を維持出来なかったということも生活のバランスの描き方かも知れません。元々丁寧に人を描く作家ですが、「働く人」という切り口は、いちおうまだ現役の働き手であるアタシにも響くものがあるのです。

わりとリアリティをもった仕事の話ではあるので、 正直にいえば終盤、中止になったプロジェクトに対して材料代以上の対価が支払われない、というのは少々違和感があります。体面を気にするトップブランドで、しかも理由が理由だけに、たとえ下請法の対象とならない取引だったとしても、口封じ代わりに金だけは払うんじゃないかと思ったりもしますが、まあ、知らない業界のことだしもしかしたら現実はこんな感じなのかも知れませんし、物語を大きく推進させる原動力なのは間違いないので言うだけ野暮ではあるのですが。

農家の嫁である職人を演じた田中千佳子の全てを包み込む包容力、進行管理担当を演じた高橋恭子は時間に追われるストレスを物語の中でずっと表現し続けて焦燥感を観客に与えます。新人を演じた中村貴子は特に序盤の物語を推進し、物語にすっと引き込む重要なポジションをしっかり。デザイナーを演じた小笠原佳秀は若くいけすかないヒール的なポジションであり続けるのもまた一つの力。何より印象を残すのは、所長を演じた名倉右喬。人の良いオジサン、という風体だけれど、そこに至るまでの仕事の積み重ね、人々にきちんと向き合う大人の人物を丁寧に造形します。

90分ほどの物語で、5人全てに背景となる物語を描き込み、その人々が織りなすある種のスポ根的な物語をきちんと描くのは確かに作家・米内山陽子の力。出演リストにでその人物を表現する一言がごくシンプルに書けるいい配役です。なにより、この芝居の気持ちがいいのは、仕事のぶつかり合いはあっても、すくなくとも仕事を通じて信頼を深めた後半にあっては、登場人物5人全てが互いに敬意をもって接しているということではないかと思うのです。これだけ余裕のないなかで、きちんと保ち続けられている人々ということは当たり前のようでいて、なかなか難しいことでもあるのも現実で、そういう意味ではこれもまたファンタジーな要素なのかも知れないけれど。

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【芝居】「際の人」文月堂

2016.10.7 19:30 [CoRich]

10年目を迎えた文月堂の新作、95分。9日までアートスペースプロット。

いろいろ言うけれどそれを実行しない「有言不実行」と子供の頃から言われて続けている男。東京に出てきてチェーンの中華料理店で副店長になり忙しすぎる毎日を送っている。4年間同棲していた若い女にはその変わらないことに愛想を尽かされ、店長は突然姿を消してしまう。その店長に頼まれたというエアコンの修理業者はどうにも手際が悪い。

ここ二年ぐらい時代がかった物語を上演していた文月堂が、再び現代の物語へ。とはいっても、市井の少々地味に生きる人々を丁寧に、しかしその生活の中の笑いを含めて描く持ち味はそのままに。 社会人になってそれなりの年月が経ち、目一杯働いて日々忙しいくはあっても、何者かになったという達成感が得られないままに年齢を重ねてしまった一種の焦り。何かになろう、変化しようという気持ちだけはあったはずなのに、やがてそれは言葉だけが空虚に空回りするようになっていることを本人も自覚していて。

もしかしたらこのまま変われずに生きていくのかもしれないという自覚は、他の人々が変化していくことと対比して描かれることでより鮮明に観客に示されます。それは、同じ店のアルバイトから同棲するようになった若い女が就職を経てバリバリと仕事をして変化し別れを切り出したり、あるいは同じ店のアルバイトのシングルマザーが子供を育てるという目的を一途に成し遂げようとより稼げる風俗一本でやっていこうと決心したり、あるいは要領のいいエリアマネージャーが軽々と昇進したり。ヤクザの二人についても、もう古いタイプのヤクザのままじゃだめだと半グレに転向する若いチンピラと、世話になった親分のもとを離れられない古いヤクザというもう一つの対比として描かれます。

その変われない人々に対して、物語では「有言不実行」という言葉であっさり断じてしまってはいるけれど、むしろその「変われない」人にこそ寄り添う作家の姿勢は、優しいのです。 そのままでいいじゃないか、と宣言させる終盤、決して格好良くはないし、変化し上昇志向がある方がもしかしたら正しいのかもしれないけれど、過去を否定する気にはなれないし、変われない今が冴えなくてもいとおしいというのは当日なパンフの作家の受け売りで、それは作家自身が感じていることかもしれないけれど、それが腑に落ちるアタシです。

この地味な物語からあくまでもあんまり格好良くない感じでラブストーリーに持ち込むのもまた、作家の優しい感覚。女のほうはホストに入れあげたのは女扱いされて舞い上がるからだと反省して、最も女扱いされそうもない中華料理の飲食業に飛び込んで、でもほのかな恋心を抱いてしまうという、もう一つのストーリーを、注意深く織り込んでいって最後に開花させるのが巧い。

有言不実行の男を演じた添野豪の誠実な奮闘が物語を支えます。恋心を描く女を演じた奈賀毬子、大量の片栗粉を運ぶ一人芝居という無茶振りをしかし底力をみせるようにしっかりと。シングルマザーを演じた詩麻は単に線が細いばかりじゃなく、風俗に同情しようとする男からきちんと距離を取り「貴方にはわからない」と言い放つ格好良さ。古いヤクザを演じた牧野耕治は強面と、人なつっこさとを自在に行き来し、この顔ゆえの時間の重みの説得力。

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2016.10.14

【芝居】「夜いろいろ」(B) N.S.F + 桃唄309

2016.10.2 13:30 [CoRich]

桃唄が続ける対バン公演のBパート。2日までRAFT。この回のおまけは人気企画・佐藤達の紙芝居。

「十二夜」を上演しようとしてる劇団、恋にはまる座長。(N.S.F『十二夜』)
どうやって密室であなたを殺したの、とあれこれ考える女。(桃唄309『魚の足をもむには』)

「十二夜」は 他国の男に恋してる奥様、忠実で好意を持っている執事、厳しく当たられる使用人たちは手紙を寄贈して奥様が執事に好意をもっていると思わせる、という十二夜の枠組みにもう一つ外側の殻をかぶせて、いろいろ端折る作り。観客に手拍子してもらうなど、なるほど祝祭感。正直にいえば、外側の殻を作る理由がもう一つわからないけれど、短くシェイクスピアの話を作る手慣れた感じは安心なのです。

「魚の足〜」は ぐるぐる、夜ゆえのとりとめない思索。それが人を殺すという考えかもしれないという不穏さが全体を覆いますが、ストーリーを紡ぐよりも、むしろ、思索を巡らす人物という状態を描くことに重きがあるように感じます。 女性を主役に置いたのはちょっとしたアイディアかもしれません。行き先のわからない一人語り、演じた高木充子のメガネっ娘はちょっと珍しくて、可愛らしく感じるアタシです。

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2016.10.12

【芝居】「夜いろいろ」(A)らまのだ + 桃唄309

2016.10.2 13:30 [CoRich]

桃唄309主催で他劇団と対バン形式で飲食を組み合せたイベント公演。2日までRAFT。60分

マンションを買った弟のところに職を失った兄が転がり込んでくる。兄の妻が訪れていて別れたいというが兄は別れたくない「まど」(作 南出謙吾、らまのだ)
お屋敷に若い女が嫁いできてしばらく、旦那様が出かけたきり見つからなくなる。家政婦として働く女はお屋敷の様子を同棲している男に話して聴かせる。男は興味をもって話を聞くが、奥様とは決してあおうとはしない「一年後の月よ、バイバイ」 (作 長谷基弘、桃唄309)

夜の不穏さかどうか、ちょっと不思議な手触りの二編。

「まど」は兄が職を失い弟の転がり込んでいて、兄嫁が別れるといってその家を訪れるというシチュエーション。 かつて尊敬していた兄がくすんでいる状態、妻とは別れたくないとすがるし仕事も探してるんだかどうだかな状態なのに、弟はブラック気味な仕事にまみれてマンション購入まで至ってるという逆転は、現実なら少々シビアな状態だけれど、不思議とゆったりとした時間が流れているよう。アタシがちょっとぼんやり見てしまったようで、もういちど噛みしめながら見たいなぁと思うのです。

家持ちでそこそこ稼ぐ義弟にちょっとなびきかける女のシーンがわりと好きなんだけど、冗談めかしてなのか、それとも真剣なのか曖昧なままみせられて、もやもやする感じもちょっと面白い。理性的に整然とした交通 ひとまずはしばらくの平穏がありそうに見えるところに窓外から聞こえるクラッシュ音については語らない、何が起きたのかあるいは起きてないのか、不穏さを残す終幕など、シンプルで静かな語り口が彼らの持ち味なのです。

「一年後〜」は、お屋敷の若奥様と家政婦、その同棲相手を巡る一年の物語。ことさらに強調したお嬢様風のデフォルメだったり家政婦は見た風味の芝居で笑わせつつも、居なくなったご主人様、庭に掘らせた穴など不穏な要素が次々と現れ、あるいは執拗に会いたがる奥様に対して断固として会わない男との間のもやもやとした過去は後半でわりとあっさり語られるわりにはそこかしこに不穏さを散りばめて、実はあまり何も起こらないという話ではあっても、不思議とぐいぐいと観続けてしまうような不思議な魅力があるのです。

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2016.10.11

【芝居】「狂犬百景(2016)」MU

2016.10.1 19:00 [CoRich]

2014年初演作の改訂再演。休憩を無くした130分、10日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。

犬がゾンビ化して人間たちがおびえて暮らすようになる、という世界での人間たち。自分の命の次になにを一番大切なものとして考えるか、過去への想い、犬そのもの、仕事で認められること、快感などそれぞれ。ある程度までは「正義」かもしれないけれど、何かの一線を越えてしまうとあぶり出されてくる狂気。

「犬を拾いに」は物語の背景である狂犬が世間で認知され始めたころで、それほど深刻なものとはとらえられてないころの描かれ方。私たちの日常のコンビニの延長線上から始まる助走のように、静かにしかし確実に転がり始める物語。初演ではコミュ障という設定だった妹が、もうちょっとずぶとく専門学校を中退して悪びれない、という設定になっていて、これはこれでどこかリアルな感じもします。

初演(「部長は荒野を目指す」)では別の作家との共同脚本だったものを改訂改題した「グッドバイブレーション」は大幅に変更になっていて、不倫とか女癖がずぶずぶだった男は専務になり、この組織のリーダーである部長は仁義に厚い女性、という変更に。どの女とも寝るようなある種クズな男だけれど、そこから受けるのが何かクリエイティビティを刺激し救われるのだというのはあまりにファンタジーだけれど、不倫だってなんだって大人なんだから女だって自己責任、それは自分の糧になっているのだ、と言い切る女性の存在が、単に男の夢物語ではなくて、ある種の真実を描き出しているように思っちゃうのも、また男のファンタジーなのかもしれません。

「漫画の世界」は作画のためだったはずの犬の撲殺描写を繰り返していくうちにこの小さな4人のコミュニティの中では日常であり共有すべき快感になっていくこと、それはまだ世間からは隠しておくべきという認識はあるけれど、その衝動は抑えられなくなっている彼らを描く三本目がもっともインモラルで嫌悪されそうな一本だけれど、これこそがおそらくはこの連作の要となる一本。 見た目にはもっとも狂っているようにみえるけれど、自分たちは狂っているのかいないのかということを自省する姿はどこか冷静で、それがまたとんでもなくリアルを感じさせるのです。

「賛美歌」はいわゆる愛護センターの譲渡会のスタッフと来場者たち。もう狂犬の増殖は抑えきれないところまできていて施設も設備もスタッフもパンクする絶望的な状態なのに前向きに働く職員やボランティアたち。 いっぽうで、狂犬になる前に今飼ってる老犬を「下取って」別の子犬と交換してほしいと言うカップルのヤンキーな描写はちょとすごいし、それに腹を立てた女が狂犬をその家に投げ込んでやろうと言い出すのはどこか戦争というか終わらない憎しみの連鎖のはじまりを見ているよう。 さらには、その地下にいる血塗れの人々が、3話で犬を撲殺していた4人で、それを実行したのが犬を守りたい一心の3話のカメラマンというのは物語のキモで、こうなるとどちらが狂気じみているかわからなくなってくるタイトをもって、私たちの前に突きつけられるのです。

黒岩三佳が歌う賛美歌が美しく、しかも一途さゆえに静かに狂っていく繊細なグラデーションが見事。コンビニ店員の妹を演じた長尾友里花の若者感も細やか。佐野功が演じた沈着冷静な社員もかっこいい。 製菓会社の企画開発部長を演じた古市みみが終盤に啖呵を切るのが実に格好良くて絵になります。

2016.10.07

【芝居】「SMOKIN' LOVERS~ヤニクラ~」惑星☆クリプトン

2016.9.25 16:00 [CoRich]

煙草の銘柄に絡めた短編をオムニバス形式で上演する作品を再演と新作を組み合わせて上演。アタシが拝見したのは新作のほうで110分。28日まで。

上演の注意事項を喋る前説に続いて
煙草の銘柄の意味を想像して言い合ったり「hi-lite」
初対面で隣り合う二人の女。話しかけ同じ酒を注文する女は他人のモノ、に興味があるのだという。片方の女に待ち合わせの男から電話がかかってくる「LARK」
カップル。女は禁煙を宣言し、頻繁に吐いて。男は全然気付かない「iQOS」
女二人、この前の合コンの後消えた男の噂話「kiss」
台本を読んでいる男、ドラマの出演を控えている。兄からの電話があるが田舎には帰らない「わかば」
置いてある煙草を見て手に取り加えて火を付け、咳き込んで泣く「KOOL2」
何ヶ月も続いていた女の浮気を怒っている男、女は別れを決意するが、男は別れたくない「MEVIUS」
独身最後の夜を盛り上がる女は裏カジノで大金をすってしまう「SevenStars」
サッカー引退する先輩と飲む後輩。そのきっかけをつくったのは後輩だった「HOPE」
ライブバーを居抜きで使っているバーテンダー、客の女は昔歌い手だったのだという、店主は父を亡くしたあと、自由に生きる弟をみて始めようとおもったのだという「わかば2」

カウンターがあって、イベントスペースにもできるバー。カウンター中央の二席とカウンターの奥を舞台にして、1人から3人の芝居を10本で構成。思いもよらずそのアクティングエリアの隣に座ってしまったアタシです。

「hi-lite」は何気ない呑み屋の他人の会話を聞いてしまったような感じ。とりとめない馬鹿話の気楽さ。「LARK」は不倫女の前に現れる妻の修羅場一歩手前、妻だけが相手を知っているという非平衡の一方的な敵意のどきどき。「iQOS」はあまりにわかりやすい記号的な妊娠サインを全く気付かない男にキレる女の構図だけれど、火を使わない煙草をキャンペーンガールな声色で勧める後半の楽しさ。「kiss」はビッチな二人の会話、ヤった男がどれだけダメだったか、みたいな品定めが怖い。「わかば」はカウンターの男にかかってきた兄からの電話の会話で、ワタシが座った役者隣の席ならば辛うじてところどころ聞こえるけれど、おそらくほとんどの観客には聞こえないというバランスはちょっと難しいところ。役者でなんとかなりそうなのに父が倒れても帰らないと言う決心が辛い。「KOOL」はおそらくもう一本の再演作から繋がる話で、忘れられない男を煙草で思い出し泣く話を音楽に重ねて無言劇で。「MEVIUS」はすれ違う男女、女が浮気し男が怒るけれど別れたくなくてすがるのは男で、その落差というか振り幅がちょっと暴力的ですらあって怖い感じだけど逃れられ無さそうなメビウスの輪。「SevenStars」はコミカルが強く非常に短い一本で、ダメすぎる女のあっけらかんが楽しい。「HOPE」はちょっとドラマな感じを強く出していて、引退する男とその原因を作った男、網膜剥離では難しいサッカーだけれど、ブラインドでもできてサッカーを諦めなくてもいい、というのをHOPEとするのは少々軽い印象を残します。「わかば2」は「わかば」と「KOOL2」の物語を引継ぎ。かつてこの店の歌姫だった女がオーナーが替わった店に忘れられない男の残り香にひかれるように久々に訪れて新しい出会いというか一歩を踏み出すラストの力強さ。

全体に男たちの物語は長くなりがちで、女たちの物語の描き方は少し距離を置いてすぱっと切り離していて結果としては女たちの物語のほうが見やすい印象があります。

この会場、カウンター以外のテーブル席は普通の高さでちょっと低く、ほとんどの芝居で役者がカウンターを向いていて、結果的に正面から見る観客は一人も居ないという状態で、確かにそれは現実には近いけれど、芝居としてみせるならもう一工夫が欲しい感じではあって、そういう意味ではバー公演を何年も続ける「エビス駅前バー」はリアルではないけれど、観客の立場では芝居として見やすいのだなぁということを再発見するのです。

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2016.10.06

【芝居】「うつくしい世界」こゆび侍

2016.9.25 13:00 [CoRich]

2011年初演作 2011 を改訂再演。9月25日まで駅前劇場。125分。

2011年の時代を反映してかのデストピア的世界を描く再演作、当時とは役者も大幅に入れ替わりましたが、物語の寓話的な世界の描き方は変わらず、当時ワタシが感じた、「ダブリンの鐘突きカビ人間」のフォークロアな雰囲気という感想も、「ちくくうき」という言葉に違和感を感じることも初演と変わりません。初演のサンモールスタジオから今作の駅前劇場への変化は意外なほどなくて、それは初演時点からきちんと厚みのある物語を完成度高く創り出していて、それを違う役者で丁寧に紡いで創り出したのだということだと思うのです。

例によって記憶がザルなアタシです。セロハンテープという文明の利器で「ちくくうき」を補修することも、いろいろなモノをあつめて土にしている貧民の存在も、わりと忘れていて、それぞれに新鮮な驚きがあったりもします。

行動する少女を演じた島口綾は初演(浅野千鶴)とは全く違う造形で不器用さの中できちんと前に進む力強さで、彼女の得意なところに寄せた感じはあるけれど、物語を確実に牽引する力。母親を演じた渡邉とかげはおだやかに息子を見守る気持ちを丁寧に紡ぎます。ついに母親かぁ、というのは初演(廣瀬友美)でも同じ感想を書いているじぶんい驚きますが、なるほど、若くて綺麗な母親、というのはひとつの美しい世界というニュアンスなのかもしれません。告げ口する夫婦、とりわけ妻を演じた工藤史子はヒールな役をきっちりコミカルに。貧民を演じた大手忍は前半こそ不穏な空気だけれど、声ともならない奇声を上げてきちんとニュアンスを作り出す後半に確かな力。

おだやかに語られる物語を丁寧に積み上げて作った再演は、もう一歩劇団のマスターピースというポジションを確実なものにしているのです。

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2016.10.02

【芝居】「嵐になるまで待って」キャラメルボックス

2016,9.24 18:00 [CoRich]

25日までかめありリリオホール。 そのあと、大阪、足利、宇都宮、山形、愛知、三重、姫路、広島、新潟、埼玉へ各地を巡る「グリーティングシアター」というシリーズ。125分。

1993,1997,2002, 2008年の過去四本のうち、初演以外の三つを観ているアタシです。人の想いのズレから生まれる悲劇、終盤の手に汗握るアクションなどキャラメルの中ではわりとハードに作り込まれた骨太な物語は劇団の代表作のひとつ。

初演のヒロインが伝説だったりしつつそれを見逃しているけれど、それぞれの時代の役者の変遷がみられるのは、続けてみている側の楽しさ。「二つ目の声」聾唖の姉を守るために使ってきた男・波多野をかつて演じていた岡田達也だったり、あるいはその姉を演じた明樹由佳の印象が強いアタシです。

8年ぶりとなる今作では、おそらくは意識的に若手による座組になっていて、新たな時代を担う役者たちがの成長を印象づけるのです 二つ目の声を操る男を演じた鍛治本大樹はしっかりとヒールで居続けることを全うし、姉を演じた岡内美喜子は台詞がない難しい役だけれどあくまでも美しくて見惚れるよう。ヒロイン・ユーリを演じた原田樹里は元気良さが印象的。こまっしゃくれた子役声優を演じた木村玲衣はそれっぽい衣装があいまって、イマドキのアイドル声優のような雰囲気でもあって楽しい。

客演として音響監督を演じた久保貫太郎は軽い雰囲気で重くなりがちな物語を軽快に運びます。もう一人の客演、ヒロインをサポートし続ける男を演じた一色洋平が何より印象的。いままでは圧倒的な身体能力だったりテンションだったりということが印象強い役者でしたが、それをほぼ封印して、丁寧に語りかける口調の安心できる深み、この広い劇場でそれをきっちりと演じきるのは実は並大抵ではないように思います。

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【芝居】「毒と音楽」あひるなんちゃら

2016.9.18 19:00 [CoRich]

2007年作の再演、といいながら結構書き換えたらしい80分。9月20日までスズナリ。いつものように当日のライブ録音をそのままMP3データで販売。ICレコーダに入れてもらって帰り道で聴くのが楽しみなアタシです。

喫茶店の店主の昔話。どうして喫茶店を始めたのか興味津々なバイト。大学生の頃はバイトだった男、バンドに誘われるが担当はカスタネットだという。同じ学園祭で店を出そうとしている女三人は注目を浴びたくて、毒入り、といえば人気がでるんじゃないかと思いつく。

現在の会話が一組、過去の同時代の会話が二組。 アルバイトが店主の過去を思い込みできめつけたのをきっかけに、店主ひとりを三つの場面の縫い目として描きます。

バンドをする男たちは、誘われたのに担当がカスタネットという理不尽だったり、プロデューサーになりたいだけでなにもしてない男だったり、あるいはロックしたいという気持ちだけだったり。それほどの深い意味はないんだろうけど、「何者かにならなきゃいけない」というある種の焦りのようなものを戯画的に描いているように感じるアタシです。

対する女三人の話は「悪いことをして伝説を残したいので毒を売りたい」という一人の突拍子もなさと、ボキャブラリーがむちゃくちゃ貧弱な会話で進まない会話。他の二人は笑って切り捨てるでもなく、突っ込んでみたり果ては何とかしようしてみたり。

バンドに入りたいのになかなか入れて貰えない男を演じた堀靖明はキレキャラが得意な役者ですが、突っ込む形で物語を転がすのはもう安定の領域。バンドならドラムと決めつけられてキレる長い台詞が圧巻。何か成し遂げたいのに何もしないプロデューサーを演じた澤唯のちょっとスカした感じが雰囲気に良く合っていてちょっといい。悪いことがしたいのに日本語の意味が分からないことだらけな女を演じた宮本奈津美はひたすらフラットにボケ続けるのがちょっと凄くて、それに淡々の突っ込む石澤美和、単語を説明し続ける松木美路子がどんどん笑えてしまうアタシです。

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2016.10.01

【芝居】「OKINAWA1972」流山児★事務所

2016.9.18 14:00 [CoRich]

沖縄ヤクザを巡る物語、昭和のヤクザ映画っぽいアクションと華やかなエンタメとして成立させた110分。早稲田の演劇祭のオープニングを飾る詩森ろばの新たな一本。10月2日までスペース早稲田。

沖縄返還1976年前後。基地からの物資の略奪と再分配や用心棒をしていたをしていた男たち、ならず者たちを組織的にまとめ上げたのは、沖縄の本土返還が迫り本土からの進出を狙うヤクザたちへの対抗のためだった。

かなり狭い劇場なのだけれど、そのせまい場所を頻繁に入れ替えるようにセットチェンジのように迅速に入れ替えつつ、華やかなキャバレーから血で血を洗う抗争の現場まで一カ所できっちり作り上げるのです。鉄パイプをぶつけ合うのも効果音ではなくて、ほんとにぶつかり合う音がするのは迫力もあるし、ライブの魅力がいっぱいに。

物資を盗んで人々に配るある種の鼠小僧というか愚連隊、それが本土からのヤクザの攻勢に対抗するためだと考えて組織化されていくという流れが事実だというのは、wikipediaで読んで初めて事実と知るアタシです。じっさいのところ、語られる物語というか男たちの関係はこの構造を背景としてしっかり先に描き込んでおくことが大切なのだけれど、 この込み入った前史を話をマンガのように軽やかに、ダンスだったりプラカードまで使って描いていくエンタメ的な楽しさもまた演出の確かなちから。

もちろん、沖縄の返還に併せて基地を撤廃できなかったことや(沖縄返還にあたっての付議としての)非核三原則(wikipedia)のありかたなど、現在と地続きの問題として物語の背景に描き込むことは忘れない作家。その視点の確かさはもまた、作家の編み上げる力。

それぞれのリーダーを魅力ある人物として描くために配された役者陣がまた実にカッコイイ。流山児祥を首相というのはちょっとした洒落っぽさ。空手道を突き詰め、妻を愛する男を演じた杉木隆幸がは奥行きもある種の味わいまであって安定感。首相の片腕となった男を演じた酒巻誉洋は時にダンディにタップを決め、時にコミカルだけれど、裏を動かす誠実な男をしっかりと。

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