« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016.09.30

【芝居】「魔法処女☆えるざ(30)」だるめしあん

2016.9.17 19:00 [CoRich]

魔法使いの女の子は、13歳で修行にでるが処女を失うと魔法の力を失ってしまう。そのことは広く人々に知られている。30歳になってもまだ魔法が使えて同居する猫と話ができる女はそれが恥ずかしく、外ではもう魔法は使えなくなったといっていて、しかし男とつきあったことすらなく、気持ちは焦っている。

「魔法少女」を「処女」に置き換えたワンアイディアだけ、といってしまえばそうなのだけれど、それを処女が失われれば魔法が消え去るということを、他のみんなが知っているというのがスパイスとして巧く効いています。それは、処女、ということだけでもわりとそのまんまかもしれなくて、年齢に応じて自分が社会のなかにどう溶け込んでいくか悩んでいる、ということをうまくすくい取っているのです。職場は楽しいくてやりがいもあるけれど、職場でも言えないことだったり、あるいは職場に同じ境遇の若い魔法処女がアルバイトとして現れてそれまでの自分の価値観を崩すようにそのまま処女でいいというのに直後にあっさり捨てることだったり。

愛をとって処女を捨て、魔法を失うことを物語の主軸に、さらに猫との会話ができる、という「友達を失う」感覚もまたひとつの作家の実感なのかなと思います。その猫が明るくビッチなキャラクタにするのも、ちょっと軸をずらしていて巧いのです。

正直にいえば、物語に対して登場人物が少々多い感じは否めません。いっぽうで、ダンスの華やかさという意味では人数を減らすのは難しいところ、という気もします。 そのオープニングでのダンスに挟まるブラのチラ見せ(かっこいい)など、わりと色っぽいことも扱いつつ、それを自覚しつつ女性たちの立ち位置だったり、まわりとの関係を自覚的に描くのは作家の力量。当日パンフによれば設立からそれなりの時間を経ている作家が、もっと年齢を経て視座がどう変わっていくか、あるいは変わらないかを観ていきたい作家の一人なのです。

30歳の魔法処女を演じた河南由良は可愛らしい表情、それなのに付き合った男が居ないというちょっとコミカルなアラサー女で全編を引っ張ります。友達を演じた木村佐都美、真面目を前面に押し出した造形がよく合う感じ、パン屋の店主を演じた清水大将の人の良さ、裏の顔でもなお(気持ち悪くではなく)その人の良さな造形はけっこう重要で、物語全体が前向きな感じになるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.26

【芝居】「子どもたちは未来のように笑う」遊園地再生事業団+こまばアゴラ劇場

2016.9.17 14:00 [CoRich]

何世代かにわたる、妊娠や出産、子供を巡る物語。29日まで110分。

情熱的で、世界中でこの一組しかセックスをしいていなかった奇跡の15分の奇跡の子供。時代は進んでその娘。羊水検査によってダウン症を持つことがわかる。産むか産まないかの決断、あるいは子供が欲しくても得られない夫婦、経済的にどうにもならない不満、子供ができても慌てるばかりの父親たち。

シングルマザーだった母親とセックスだけの関係だったはずの男との間に「15分の奇跡」で「特別な子」として生まれた女、その娘が出生前診断によって高い確率で障がいをもっていることがわかった、ということを物語の軸にして、男と女の恋愛から子供を作る作らないの意志、あるいは不妊ほいことや、出産に対して為すすべのない父親などを描きます。

子供どころか未婚、しかも男のアタシにはある程度までは理屈で理解した気になってもやはりどこかベールの向こう側という繊細な題材なのだけれど、冒頭のセックスの描写にしても全体としてはコミカルな体裁で短い断片をつないで構成されていて、見やすくつくられています。

障がいを持っていても産むべきかどうか。もちろん産む当事者たちにとっての切実な話だけれど、その外側の社会が支えられるかどうかということももう一つの視点で「障がい者産んでどうするの」という言葉の「正しくない」ことを断罪するのは簡単だけれど、丁寧に人々の背景を描いて補強する作家はもうひとつ踏み込みます。 それは、この言葉を発したのが奨学金とはいえ(大学にまじめに通ったにもかかわらず)借金で首の回らない状態で見知らぬ「障がい者」に使われる税金を払う余裕はないという彼女自身の切実さは、社会がそれを支えなくなりつつある、という現実の一つを突きつけるのです。

母親を演じた松田弘子、序盤であの手この手なセックスの、しかしちょっとばかりコミカルなシーンがいい。大村わたるはコメディとしての高いテンションをきちんと出し切るちから、鄭亜美の胸元が気になるなと思ったらそれを見透かすかのような台詞、思うつぼなアタシです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.24

【芝居】「あなただけ元気」箱庭円舞曲

2016.9.12 19:30 [CoRich]

久々に劇団としての本公演。新たな役者を加えて人々の労働と想いの両方をきちんと描く作風そのままがうれしい130分。ザ・スズナリ。

人材派遣会社の人材管理の部門。クライアントからの要請を受け人材を集め派遣・受託する要となっている。営業や戦略企画からの無茶な要請にも最大限に答えている。
首相が暗殺され安定を欠きはじめている政府もクライアントの一つで、 新たな案件は時間も経ち競合他社も応札しないような公共作業で気が進まない統括者を煽る中途採用の優秀な男は途中で手のひらを返しその地位に収まり仕事ができなさそうな男を地方の支所に左遷したりする。
会社は位置情報を取得するアプリを社員や派遣社員個人のスマホに忍び込ませ密かに勤怠管理をしている。政府からの仕事を受けている役員は癒着しているが、それも明るみになる
政府からの新たな案件は第三国への兵站を担う特別国家公務員の要請だった。

ナタリーによれば2010年作の後日譚とのこと。 舞台手前に設えられたオフィスと舞台後方に会議室など別室の二つの場を作ります。気楽に見える会社員だけれど、正社員と派遣社員、あるいは業務委託の社員などと同じように、あるいはあからさまに正社員の生産性が低いという、いまどきありがちなオフィス。巧く立ち回って出世し続ける男は明確に自分の目標があって、それはある程度成功し続けていて。味方だと思っていたのにけ落とされる側はたまったものではないけれど、たとえば終盤の吉野家のアルバイトへの転身だったり、あるいはあからさまにとばされた使えなさそうな正社員が結果としては成果を上げて帰ってくるだったり、さらには政府とのつながりのあった役員に至るまで、け落とされても、それぞれに道が変わっていっても前向きに生き続ける人々は労働者への応援なのです。

成功し続けている男のキャラクタは明確で、あらゆる人々に敬意を持たない、という一点で押し通しています。権力があればすり寄ってくる人々も居るけれど、それを失った瞬間の転落はあっという間で。結果として自分が決めた兵站への派遣事業の責任者としてその地に一人赴くことが強烈なしっぺ返しなのです。そこからかけてくる電話、馬鹿にしていたはずのエンジニアに対して声を聞きたいと思ったというのは「初めてひざまづく」行為で一縷の望み、とはいえ、その周りでは爆発音や銃撃音があふれている場所、という絶望のコントラストが見事。

役者陣が本当にすごくて、のしあがる男を演じた森啓一朗はずっとヒールであり続ける力強さ、アルバイトに転身した女を演じた辻沢綾香は序盤の課長と後半のアルバイトの落差のなか辛くてもきちんと働き続ける造形。政府関係者を演じた牛水里美は髪型がいつもとは違っていて認識に時間がかかるアタシはご愛敬。吉野家での執拗さもちょっといい。役員を演じた林和義はこの年齢ゆえの発酵した感じもいいし、会社を辞めるときの強い怒りも説得力なのです。

なにより印象的なのは敏腕のエンジニアを演じた小林健一なのです。背中で語る男かと思えばエンジニアとして優秀で、しかもちょっと隠しているけれど今でもきっちりバンドを続けている、という多面体のような人物造形を説得力を持って演じるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「明るい家族、楽しいプロレス!」小松台東

2016.9.10 19:00 [CoRich]

2012年、前身劇団であるデフロスターズ名義の初演作を再演。130分。

座卓を中央に据えながらも、客席で四面を囲みプロレスのリングのように仕立てられた舞台。開場中は本編と関係ないといいながら、マスク姿のプロレスラー風情が客席を楽しませつつ。

たとえば姉弟の喧嘩のシーン、どたばたと走り回るのはまるでプロレスのよう。そういう視点が自分に開ければ、すれ違い続ける夫婦や、それでも家を支え続ける肝っ玉母さんな妻も、あるいは夫とその父の確執も静かながら、それぞれに格闘し続け、暮らし続けるということが、まさにプロレス、という物語は切実なのです。

なよっとした男子中学生を演じた吉田電話はちょっとキャラクタに寄りかかりすぎな印象はあるけれど、新たな魅力。初演に続いて肝っ玉母さんを演じた異儀田夏葉は年齢をかさね、切なさを内包しつつ、こどもたちをきっちり御する大らかさに説得力。こちらも初演に続いて子供を演じた佐藤達はいい歳のおっさんなのに子供に見えてくる確かな力が健在。姉を演じた川村紗也のふくれっ面は可愛らしく、近所の主婦を演じた今藤洋子は横座りの姿勢がやけに色っぽく、どきどきするアタシです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「嘘より、甘い」タカハ劇団

2016.9.10 14:00 [CoRich]

一年半振りの本公演。11日まで小劇場B1。90分。

繁華街の喫茶店。ネズミ講や宗教の勧誘、風俗のスカウトやデモに参加するらしい男たちが集まり突然の雨もあって騒がしい店内。女性の店主はわりと客たちと顔なじみ、杖をついてはいるが店は繁盛している。二階には家主で先生と呼ばれる初老の男が住んでいて時折階下に降りてくるが引きこもっている。
デモが予定されているらしく外は騒がしい中、店の外では人がビルから飛び降りる。警察の捜査が始まり、目撃していた店の客たちはしばらくとどまるように言われる。大きな荷物を抱えた女があわてている。

歌舞伎町特有のスピーカでの呼びかけが聞こえる店内。歌舞伎町という場所ゆえのやや怪しげな人々だったりはするけれど、ちょっとエアポケット的に静かで人の少ない古い喫茶店という場所。

前半は、たとえば生活用品のネズミ講販売だったり、宗教の引き留めだったり、あるいは風俗のスカウトだったりはするけれど、それぞれの手練手管だったり逆にだめ加減だったりするけれど、それを少々コミカルに、しかしいくつかは、日々の中に思い当たるよう。さまざまなサンプルはまるで防犯ビデオのよう。

二階に住むという不穏な男の存在は、やがてこの繁華街に隠れる謎を浮かび上がらせます。

ネタバレかも

続きを読む "【芝居】「嘘より、甘い」タカハ劇団"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.22

【芝居】「未開の議場〜北区民版〜」(B)北区民と演劇を作るプロジェクト

2016.9.4 17:00 [CoRich]

カムヰヤッセンで上演された町内会での会話劇を東京都北区の住民からの役者を加えての上演。ABふたつのバージョンのうち、アタシが観たのはB]バージョン。120分。4日まで北とぴあ・ペガサスホール。

近郊の町。工場で働く工員や農業の研修生として受け入れた外国人が住民の1/4を占めていて、その子供たちが通う学校も始まっている。その商店街恒例の夏祭りに向けて何度めかの会議。今年は外国人にも門戸を開いたフェスティバルとしての開催としての模索が続くが、万引きに悩まされる小売店の店主、工場の労務管理をする担当者などの慎重な意見と、外国人たちにより開いていこうと考える学校関係者の溝は深い。

開演時間中は会議室の施設係を演じる作演がもう一人の役者とともに、エスニックのような鍋料理を作りながら客席に目を配りつつのばかばかしい話を延々として開場時間をつなぎます。 カムヰヤッセンでの上演は観ていないアタシですが、今作、小劇場の役者の持つこなれた巧さとは別に、年齢を重ねて出てくる味はさすがに住民からの役者がもつ力で、それは町内会の会議という場所にはよく合っているのです。

工員として働く外国人という設定は北関東のどこか、という雰囲気。実感としては持ちづらい生活圏のアタシなので、ある種の治安の悪さや日本人住民たちとのバランスが現実のそれと近いかどうかはわからないけれど、「そういう場所がある」ということで十分な説得力。わかりやすい外国人という設定だけれど、それはもしかしたら所得の差だったり、あるいは少し前の日本なら日本の中でもいろいろあった住民の断絶の姿。

万引きや銭湯での入れ墨、溜まり場となっているゲーセンなどが語られるけれど、終盤ではもっと前には連続暴行事件があったことが示されます。それでもこの場所で住み続けるざるを得ない人々が長い時間をかけて、しかし積極的にではなく熟成させてきたバランスが今のこの町の姿だということが見えてくるのです。

外国人に肩入れしすぎるあまりの空回りと、受け入れ自体には積極的になれない人々の差が物語の主要な対立軸だけれど、終幕近く、ずっとおだやかに笑い続けていた若い女の「仲良くすることがもっとも大切」ということは一見正しそうだけれどその奥に潜む「自分たちが外国人の目線まで【降りて】仲良くしなければいけない」とまでいう隠れた差別の視線に自覚的でないことに、やや絶望的になったりもするのです。

曖昧な雰囲気ではあるけれど、本音は吐露した上で、落としどころは探ろうとい気持ちが共有できている会議の終幕、やや楽観的にはすぎるかもしれないけれど、希望を感じるアタシなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.18

【芝居】「この町に手紙は来ない」monophonic orchestra

2016.9.4 13:00 [CoRich]

同じ場所で時間を隔てた人々の話を6本つなげた形式で100分。7日まで 3331 Arts Chiyoda。

愛し合う兄妹は逃避行のすえ、戦争で破壊された家に住んでいる。追いかけてきた長兄は、この土地で郵便局を開くよう手続きをして、二人で暮らせるようにする。「凶報の使者」
その孫の世代、夫婦は郵便局を営んでいる。その兄は退役した軍人で若い女を連れて、住み始めているが、妻は出て行ってほしいと思い夫に頼む。「不機嫌な兄弟」
時代はすすみ、工場が建ち町は栄えている。その工場から郵便物を運ぶために男が通っている。春だというのに暑く、桜はもう12月に咲いている。「薄墨の花の咲くを待つ」
さらに時代が進み、郵便局は電送されてきたデータで立体複製装置を作って物体を作るようになっている。銃が送られてきたが発信者も受領者もわからず取り扱いに苦慮している。もうあまり地球も長くはないことがわかり始めている。「銃前会議」
地球の先行きはさらに怪しくなり、町のにぎわいも減りつつある。市会議員のパーティをしているが、妻は気乗りしない。パーティを訪ねて、一人の研究者が訪れる。地球外への移民ではなく、地球をなんとかしていこうと考えている。もうこの世代で終わり、町がなくなるのは郵便局がなくなったときだ。「顔のないロケットサマー」
地球外への移民が始まっている。選ばれたものが月や火星に移住している。郵便局の男は町の代表として選ばれる。女が手紙を持って訪れる数百年にわたって届き続けてきたもの。移民は友人に譲る。ここに残ることを決める。「この町に手紙は来ない」

郵便局があることが町が機能し、存在していることと言うモチーフで描く何代にもわたる家族の物語。その出発点に近親相姦という「ほつれ」を置いて、その後の世代にはそれを理由に匂わせるように、視覚に障害を持つひとびと、というひとつの「血のつながり」を感じさせつつ一つの部屋の長い時間を描くけれど、時代も世代も変わることで、全く違う断片を紡ぐのです

何も無い場所に町が出来て、町も時代も技術も徐々に進んで暮らし向きが変化していき、治安が悪化し、人々が減り衰退していくひとつのつながり。郵便局が家族と紐付く「特定郵便局」っぽいけれど、日本に限定された描かれ方でもないし、透視するスキャナーやら立体印刷なる3Dプリンター、はてはロケットによる移住まで、物語やセットの雰囲気とは裏腹に、ずいぶんといろいろ技術が進んでいいたりして、どこか宮崎駿の世界のような味わい。なのです。

「凶報〜」は物語の発端で舞台の設定を支えます。全体に陰鬱な雰囲気で紡がれる物語。

「不機嫌〜」実直に暮らし続ける弟夫婦、強制とはいえ兵役帰りで天狗になっている兄と若い女、調子に乗ってる兄にどうやって出て行ってほしいことを伝えるかのおびえる気持ちを描くけれど、実は兄と同様の粗暴さを自分も持っているのではということが恐怖なのだと描くのです。

「薄墨〜」あたりからは技術がずいぶん進歩した時代に。町が発展し、工場が稼働しという時代だけれど、どこかそれに取り残されたたような庭であり、この郵便局の局長となっている女なのです。

もっともコミカルに描かれている「銃前〜」は、3Dプリンターで電送されてきた銃をどうするか、大人たちが相談しているようでなにも進展しない会話を延々続けているところを子供がかき回すのが痛快で楽しい。息子を演じた浅野千鶴の破壊力が圧倒的で楽しい。

「顔のない〜」はパーティに出たくない妻と迷い込んできた実直そうにみえる教授、久々にどきどきする感じ。物語の全体に対しては「衰退し始めている町」を明確に描く役割を担っています。

「この町〜」は衰退が決定的になった町の消えゆくひとコマ。全員が移住できるわけではないややディストピアな感じだけれど、せっかく別の場所に行ける権利があるのに、この場所に居続けることを選ぶ男。カッコイイとも諦観とも違うようで、もしかしたら単にそういう気分ということかもしれないけれど衰退がわかっていてもそこに居続けて一緒に沈んでいく気持ちというのは、なんとなくわかるなあと感じるアタシです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.16

【芝居】「翳りの森」(裏) (劇)ヤリナゲ

2016.9.3 20:00 [CoRich]

「ワーニャ伯父さん」をモチーフに、太宰治を交えて描く70分。4日まで十色庵。同じ四人の役者ですが配役を変えた裏表の二バージョンでの上演。

姪と二人で住んでいる男。そこに恩師である教授が若い妻とともに訪れ病気を治すためといって引きこもるように同居を始めるが身勝手な振る舞いが多い。教授の前妻は男の妹で、教授の現在の妻は男と同じ時期に研究室の同僚だった。教授の診察のため若い医師が往診に訪れている。

恥ずかしながらアタシは未読だった「ワーニャ伯父さん」(wikipedia)(青空文庫)をモチーフに、混乱の原因である教授を役としては登場させず、前妻と現在の妻、姪と伯父という男女二人ずつに役を絞り込んで、ごくシンプルにしかし濃密で見応えのある物語を紡ぎ出しています。 かつて尊敬していた教授に対するだまされたという思いを持つ男、 あるいは若い妻に対する二人の男の恋心、医者に対する尊敬から来る恋心を抱く姪。 おそらくは地方として描かれている舞台、他の都会からやってきて年寄り故の傍若無人だったり、あるいは都会の女性ゆえか洗練され美しく見える女という、少しばかりの混乱。日本の物語として描かれているけれど、きっちりチェーホフの物語になっているのです。面白くはないけれど安定している日常、少しばかりの混乱とうんざりする気持ちや盛り上がる恋心、そしてそれが去り再び静かな日々。チェーホフっぽさがぎゅっと濃縮されているのです。

役を入れ替えた表裏バージョンのうち、アタシの観た裏バージョン。 伯父を演じた浅見臣樹はかつては信頼していた教授を恨むまでの気持ち、その若き妻への焦るような気持ちのない交ぜに、姪と暮らす日々に現れた男の雰囲気をしっかりと。姪を演じた中村あさきは、イノセントさ、一途さが印象的。往診してくる医者を演じたマツバラ元洋は余裕がある男、という対極をしっかりと。男たちを惑わせる若き妻を演じた三澤さき、艶やかさすら感じさせ、きちんと大人の女性を造形したのはアタシには新鮮に感じられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.14

【芝居】「耳の奥で王様が笑う」(D)第27班

2016.9.3 17:00 [CoRich]

4ブロックで構成される企画公演のDブロック。70分。4日までシアターミラクル。

かつては家庭教師であった男は長年の夢を叶えて花屋を営んでいる。偶然訪れたかつての教え子は美しく成長し、常連となりやがて恋人となるが、突然別れを告げられる。
ファミレスのバイトの女たち。一人が小説家として賞をとり、バイトをやめるための送別会だが、友達は少なくスネがちで人数は少ない。空気が読めずにデリカシーがなく未来に自信満々な女子高生、結婚を控えた彼氏が風俗に通っていることがわかった女、アラフォーのシングルマザー、クズ男だった彼氏の息子を育てている。

送別会の女四人のちょっと下世話な会話、オラ男彼氏に夢中で自覚のない女子高生含め、男とか恋愛は決して順調ではない女たち。それぞれの恋愛事情の背景を描くこちらの物語が実はベース。並行してもうひとつ、花屋と恋人の話は静かにしかし美しく紡がれます。

終盤に至り、シングルマザーの子供の父親はずっと意識不明のまま何十年も経っていて、それを看病し続けていることがあかされて、並行して語られていた美しい物語はその眠り続けている男がずっと見ている夢だったのだという構造になっています。果たして目覚めはするけれど、それまでの自分の裏腹な美しい世界から戻ることを拒否する男抱きしめる女。明確にはこのあとの二人は描かれないけれど、きっとへこたれることなく戦い続けているだろうと思わせる力強さがあるのです。

四人の女たちの送別会からそれぞれの人生を語ってる話はそれぞれの年代のものとして描かれるけれど、実際のところシングルマザーの物語だけが物語の構造の中で意味を持っていて、実は他の三人の話がなくても構造としては成立してしまいそうなのが惜しいといえば惜しい。もっとも、アタシには女たちの年齢グラデーションになっているこの四人の物語がいとおしくて楽しくて、こちらのおかげで見続けていられる、という感じではあるのですが。

シングルマザーを演じた松永直子は物語の構造があかされてからの、重ねた年齢ゆえの力強さがカッコイイ。空気読めないうえにやたらに強気の女子高生を演じた新井千遥はウザったいほどの破壊力が印象的。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「耳の奥で王様が笑う」(A)第27班

2016.9.3 14:00 [CoRich]

4ブロックで構成されているキャビネット公演のAブロックは短編二つで構成。80分。4日までシアターミラクル。

年上で芸術家として活動する女と同棲しているサラリーマンの男。自由に暮らしてほしいといったものの、作品づくりには力が入り友達に会うために出歩きまわるのに家事がおろそかになる女が理解できない。 「文化の星よ、何処へ行く」
同棲も長くなり会話がすっかり減った男女。女はふと見つけた高校時代の制服でデートをしようと提案する。男は気乗りしないが勢いに押されつきあう。「30歳の制服デート」

同棲するカップルの話二編。 「文化の〜」は 指先から炎を出し心を読みとり重力を操る能力で世界中から命を狙われる男とその恋人という完全にSFな物語を挟みながら核となるのは、もうひとつの、芸術家でわりと自由な年上女と愛情はあるものの堅実なサラリーマンで家計をすべて支える年下男の物語。男女逆転の形つまり、生活能力のない芸術家をめざす男と支える女みたいな構図はわりとありがちだけれど、男女を入れ替えてやや辛辣に描くのはちょっと珍しい感じがします。

もっとも、結局のところは「金も入れない、家事もしない」女がその理由として「芸術活動をするから」なのだということの男の不満、せめて会社の愚痴を聞いてくれたらまだしもという構図にはちょっともやもやする感じがあって、男女の入れ替えだけでは足りず、いろいろ工夫しないとこの状況の男の不満は描けないのだということがアタシを含めた今の社会の状況というか思い込み、ちょっと誰かといろいろ話したくなるもやもやが残るアタシです。

SF風味の男の存在は、物語の上では、ばかばかしいベクトルでリズムを作るということはあるけれど、実際のところ終幕で「不満が爆発し女が家を出て行ったあとに男は口には出せないけれど女のことがまだ好き」ということを表現しようという工夫なのでしょう。でも、実際のところ二人芝居でシンプルに作ってほしいなと思ったりもします。

「30歳の〜」は 女の気まぐれの「制服デート」、コミカルだったり少々痛々しかったりということを通じて描きます。やや無茶ぶりで明るく、制服だって率先して着たい女が引っ張る明るさで前半を押し進めます。単にあのころは楽しかった、あるいは女子校だったからあの頃はできなかった制服デートを体験したいという表向きのノスタルジーを経て、このカップルが抱える問題を観客に後半に至ってすとんと提示するのが巧い。子供ができないことを問題に据える物語は数あれど、そういうことを気にしなくてよかった「あのころ」つまり高校の頃に戻りたい、生まれ変わりたいとまで云って人目を気にせず泣く女の姿の変貌にその深刻さを印象づけられるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.08

【イベント】「ヒヨコマメスープの味」(月いちリーディング / 16年8月)劇作家協会

2016.8.27 18:00 [CoRich]

2014年9月初演作を、神奈川初開催となる「月いちリーディング」に。神奈川県立青少年センター 研修室2はいつもとは違うフロアなのに少々戸惑いつつも、ああなるほど、こういう場所もあるのねと楽しくなるアタシです。

神奈川県の初開催で気合いがはいったキャスティング、しかも月いちリーディングとしては最大の登場人物で、ずらりと並んだ役者陣には迫力すら感じます。

例によって記憶がおぼろなアタシですが、おそらくは物語はそのまま。相鉄本多劇場での初演では海外サイズの巨大なダストビンに入った大量のヒヨコマメ(底上げはしてあったようですが)という物量の面白さに目をひかれた感じはあるのですが、そういう演出を封じられたリーディングではよりシンプルに物語のもつ面白さとテンポが増した感じがあって、気楽に、笑いすら起こるようになっていました。

自分の劇団の本番直前にもかかわらずメインとなる若き正社員を演じた白勢未生、年長のリーダになっているアルバイトを演じた真嶋一歌、色香で男を惑わせるアルバイトを演じたハマカワフミエ、不思議ちゃんにみえて場をかっさらうアルバイトを演じた藤本紗也香、主人公には寄り添わない「正しい」人事を演じた手塚祐介、物語にはなんの効果も及ぼさないけれど、リーディングではその隔絶ゆえに破壊的な力をみせた前任者(ハワイに遊びにいってる)を演じた猪熊恒和などおそらくは現実に目にしたであろうさまざまな人々の断片を再構成してつよいキャラクタを造形したのは作家の力だろうと思うのです。二人組で双子のように区別がつかない派遣社員(中西美帆,、今井夢子)も役者には酷だけれど、巧い。恋人を演じた鍛治本大樹、普段キャラメルボックスで観ているのとはまったく違う距離感、こんな近距離での凄さ。

作家が描いているのは、いま、現実に忙しく動いている会社組織のちょっとした隙間というかエアポケットに生まれた幻のような達成感、という小さな物語だろうと思うのです。正社員、派遣社員、バイト、契約社員というあからさまな差異を細かく書き込むのはイマドキの若い作家が見聞きする現実の姿。芝居とバイトだけで生きている作家にはおそらく決して描くことが出来ないもので、これは確かな強みなのだと思うのです。もちろん、時代を遡ればゲストの鈴木聡の描くラッパ屋のサラリーマンの世界が近いと云えば近いのだけれど、(きっと彼には想像がつかないぐらいに)時代が変わればこうも違うというのが、今のこの国の思えば遠くへ来たもんだ、という現実だろうと思うのです。

芝居のあとの議論の中で、会社の現場の分かり難さを気にする作家だったけれど、芝居の世界で互いに観る役者だけでわかる世界だけを描いててもしょうがないんじゃなくて、もしかしたらこれからは絶滅危惧種に向かうかも知れない会社員のリアルを(ややファンタジーに)描く作家がいてもいいんじゃないか、と思うアタシです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.06

【芝居】「カミグセ 短編集Vol.1」カミグセ

2016.8.27 14:00 [CoRich]

女性二人のユニットによる二人芝居の短編みっつ。横浜での公演がありがたい。28日まで75分。STスポット。

熱があって寝ている女、同居している彼氏は薬を買うといってけっこう前に出て行ったきり。目を覚ますと黒服の知らない女が居て死神だと名乗る。「タナトスのガールフレンド」(レベッカ 篠原千夏 原案/辻本直樹)
娘が帰宅すると膨大な洗濯物が取り込まれたままに広げられていて、家を出られなかった父親の姿はない。母が仕事から帰宅する。 「ちちとちとちち」(中村佳奈 森かなみ)
スーツを着て出て家を出た男、女は昼寝ばかりしている。 放課後、グランドを整備して帰ろうとする夕方、文芸部の男に話しかけられる。SFの物語について意見を求められたりしてちょっとうれしい。 あれから。男はまだ小説を書いているが売れない。二人は結婚している。職安に行くのは女はうれしくない。 「砂埃立つ、遠き水辺で」(中西崇将 渕上夏帆)

STスポットにシンプルな舞台、独立した三つの物語を順に上演します。

「タナトス〜」は死神を名乗る女と恋人を失いたくない女の物語。下請けの若い死神という設定で、たとえば個人情報の扱いなど現代っぽく若者を描く軽快な会話が楽しい。ちょっとダメ男だけれど、ホントに彼の事が好きなんだ、という感覚が恋人の死を目前に控えながらも貴みょに同居する感覚が独特で印象的。

「ちち〜」は仕事を辞めて家に居る父親は舞台には登場せず、家計を支える母親と大人と子供の境界領域にいる娘の会話。父親の性欲の話やら地味なスポーツブラしかしない娘のことやら、洗濯物を畳みながらの二人の会話で浮かび上がるのは、今の父親はあんまり働けない感じだけれど、ことさらにそれを頑張るでもなく日常を「暮らしていく」ことを続ける家族の姿なのです。派手さはないけれど、とても強固に結ばれた家族にちょっとほんわりするワタシです。

「砂埃〜」は現在の夫婦を外側に配置しつつ、その内側に高校生の時のおそらくは恋するきっかけとなった放課後の二人の少しばかり甘酸っぱい会話を描きます。あの時があって、小説家になりたいという男とそれを支えたいと思った女が結婚した現在、まだ小説はモノになっていないけれど、「モノを書いてる男が好き」なのだという女の気持ち。気持ちはともかく現実問題としてそれでいいのか、という感じではあるのだけれどそれは、美しい風景で、時間が経っても変わらずあの放課後のままで、ピュアであまりに眩しいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.09.01

【芝居】「無情」MCR

2016.8.26 19:30 [CoRich]

2007年初演作を改訂再演、とのことですが、アタシは初見です。115分。8月30日までスズナリ。

徐々に麻痺し全身が短期間のうちに固まる病に冒された妻。看病するために夫は仕事を辞めてずっと付き添っている。疎遠だった姉、やんちゃだた頃のおんな友達たち、あるいは元カレが病室を訪れるが、果たして妻はなにも反応できなくなる。夫は付き添い続ける。医者が書類にサインをするようにいう。
盲目の女の家。世界を広げたいという気持ちから鍵をかけずに暮らしていると、化粧品のセールスといいカラダ目当てどころかビデオを回す男や、金目当てで姉を名乗る女が訪れている。その家に泥棒に入った男三人のうちの一人が、盲目の女に一目惚れしてしまう。

二つの場所を行き来しながら、進む物語。一つは病に冒された妻の周りの人々と夫の物語。もう一つは酷い目にあっても鍵を掛けない盲目の女と恋した泥棒の物語。笑いを入れてはいますが、全体としてははかなく純粋な人々の物語で貫かれています。

病に冒された妻の話の方は たとえば「あの部屋が燃えろ」(2014)、男女の立場は逆転ですが「肉のラブレター」(2012)、アタシは未見ながらドリルチョコレートの「俺が読む哲学の嘘」(2015の幕星での上演)など、ゆるやかに死にゆく恋人に対してずっと傍に居続ける人の純粋な気持ちをモチーフに描くことが多いと感じるアタシです。なるほど、これもその流れの源流の一つと感じるアタシです。

浮気してきた男だけれど、本当に妻のことが好きだということがここに至って自覚するということの哀しさ。ずいぶん前の元カレが現れ嫉妬する気持ち。もう反応がなくなってしまった妻(夫には聞こえないけれど、妻には台詞がある、という演出がとてもいい)。そこで明かされる少しばかりゲスい気持ちがあったこと。 それはそれとして、どうにか反応して欲しくて、その元カレの名前まで名乗ってしまう心底の切実さ。終幕別の場の台詞として「実家近くに妻と共に引っ越して面倒を見ることにした」という純粋さに涙するのです。

盲目の女の物語は、どこかチャップリンの「街の灯」を思い起こさせる設定。泥棒という点ではルパン三世「カリオストロの城」のような雰囲気。純粋な気持ちで外へのリーチを切実に求める女、騙されても酷い目にあってもどこかにあるかもしれない新しい出会いが本当に欲しくて扉の鍵をかけられないこと。そこにつけ込む、穏やかに話す悪人たち。泥棒の三人組はそこに立ち会ってしまって正義の味方へと変わっていくのです。本当に好きになってしまった気持ちの純粋さが素敵なのです。

夫を演じた櫻井智也が実にいい味わいで印象に残ります。妻を演じたたなか沙織の穏やかな表情の美しさ、ばかじゃないの、と突っ込む台詞の素敵さ。友人を演じた伊達香苗のガツガツと笑いを取るパワーが圧巻。盲目の女を演じた亀田梨紗の(盲目という設定ゆえに)定まらない目の焦点に、なんかどきんとしてしまうオヤジなアタシ。恋した泥棒を演じた諌山幸治のあまりに真っ直ぐな気持ちの造形。

続きを読む "【芝居】「無情」MCR"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »