【芝居】「あの娘の町には行かない」劇団普通×劇団どろんこプロレス
2016.7.18 18:00 [CoRich]
劇団普通と、劇団どろんこプロレスの合同公演、という形の105分。1本の中編と、4本の短編で構成されています。APOCシアター。7月18日まで。
兄と妹。兄のかつての友人たちとの思い出だったり、この兄妹のことだったり、ないまぜに「告白」(作・演出 石黒麻衣)
幼い頃隣に引っ越してきた女の子にときめいたけれど、突然居なくなってしまった。大学生になって偶然見かけてその娘の町に毎週通った「あの娘の町には行かない」(作 うんこ太郎 演出 石黒麻衣)
サルトルがボーボワールに恋をしたが、恋は実在しているのかという議論になる「愛の実存」(作・演出 うんこ太郎)
帰宅した夫と迎えた妻、いまさらだけれど下の名前でよびあうことにするがぎこちない「らぶらぶらぶ」(作・演出 うんこ太郎)
だらしないから、おかしいから自分が悪いのだと妻は夫に訴える。夫にはもう夫婦を続けるのは限界だが、妻は別れたくない「愛にしがみつく」(作・演出 うんこ太郎)
大きなテーブルの上に低く吊られた蛍光灯とまわりにいくつかの椅子。ソリッドでかっこいい感じ。
「告白」はアタシにはほんとうに手強い一本。引かれ合っているかのような兄と妹の現在と数年前の二人が重なって見えたり、頻繁に入れ替わったりしながら、何かの気持ちが通じ合ってる感じではあるのだけれど、物語としてもあるいは状態の表現としても、アタシには読み取れないことが多くて戸惑います。旧友の弟が現れ妹と会話するシーンはなじみやすい感じのシーンで見やすい反面、全体の雰囲気からは明らかに異質で、どうはめ込んでいいのか、ということに迷うアタシです。
このあとの4本を括る形で「全てはじめから無かったことにならないかな」というタイトルがついていて、恋とか結婚にまつわる短編で構成されています。
「あの娘〜」は幼い頃に好きだった女の子、大学生になって偶然見かけて、でも声をかけることなくその町には通い続けて、でも何があるわけではなくて、自分も別の女と婚約する、といってしまえばそれだけのことなのだけれど、ストーカーめいた行動ではあっても、相手にアクセスするには至らない自分のなかだけでぐるぐると逡巡する物語は切なくてちょっといい感じ。一人芝居というフォーマットにもよくあっています。
「〜実存」は愛は存在するのか、という哲学そのものの議論を延々続ける二人。男は一目惚れのように恋をして口説こうとするけれど、女は恋なり愛なりは見えないけれど存在するのか、あるいはそれは信用出来るのかとか、つきあうってどういうことか、セックスをすればいいのか、みたいな少々面倒くさい議論をふっかけます。ぐるぐるまわるばかりであまり議論が進んだ感じがしないのに、役者(木村みちる・田中渚)の腕力で見せてしまうような感じはあって、意外なほど退屈しない自分に驚くのです。終幕、わからなくても「研究」してみようと二人で一歩を踏み出す感じもちょっと素敵。
「らぶ〜」夫婦がいまさら下の名前で呼び合うことにするぎこちなさ、歳をとってもあるいは太ってもこのまま一緒にいられるかしら、という感覚は初々しく、かわいらしい。濃密に甘ったるくてしょうがないけれど、短い時間が功を奏していて全体の後味はわるくありません。
「〜しがみつく」は、おそらく精神を病んでいるであろう妻と、子供を含めた家族の生活に限界を感じている夫の話。夫の視点がおそらく客観的な視点で、家族としては暮らせない状態になっているということで、妻もそれはある程度は自覚しているけれど、夫や子供と別れることはどうしてもできない、それは辛すぎるという気持ちだけでがなり立て、叫び続ける人物の造形はあまりに切ない。これも役者・石黒麻衣のパワーで押し切る感じはあるけれど、これだけのエネルギーを放出し続けるというパワフルさと、見かけのおとなしさのギャップもちょっといい。
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