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2016.07.31

【芝居】「あの娘の町には行かない」劇団普通×劇団どろんこプロレス

2016.7.18 18:00 [CoRich]

劇団普通と、劇団どろんこプロレスの合同公演、という形の105分。1本の中編と、4本の短編で構成されています。APOCシアター。7月18日まで。

兄と妹。兄のかつての友人たちとの思い出だったり、この兄妹のことだったり、ないまぜに「告白」(作・演出 石黒麻衣)
幼い頃隣に引っ越してきた女の子にときめいたけれど、突然居なくなってしまった。大学生になって偶然見かけてその娘の町に毎週通った「あの娘の町には行かない」(作 うんこ太郎 演出 石黒麻衣)
サルトルがボーボワールに恋をしたが、恋は実在しているのかという議論になる「愛の実存」(作・演出 うんこ太郎)
帰宅した夫と迎えた妻、いまさらだけれど下の名前でよびあうことにするがぎこちない「らぶらぶらぶ」(作・演出 うんこ太郎)
だらしないから、おかしいから自分が悪いのだと妻は夫に訴える。夫にはもう夫婦を続けるのは限界だが、妻は別れたくない「愛にしがみつく」(作・演出 うんこ太郎)

大きなテーブルの上に低く吊られた蛍光灯とまわりにいくつかの椅子。ソリッドでかっこいい感じ。

「告白」はアタシにはほんとうに手強い一本。引かれ合っているかのような兄と妹の現在と数年前の二人が重なって見えたり、頻繁に入れ替わったりしながら、何かの気持ちが通じ合ってる感じではあるのだけれど、物語としてもあるいは状態の表現としても、アタシには読み取れないことが多くて戸惑います。旧友の弟が現れ妹と会話するシーンはなじみやすい感じのシーンで見やすい反面、全体の雰囲気からは明らかに異質で、どうはめ込んでいいのか、ということに迷うアタシです。

このあとの4本を括る形で「全てはじめから無かったことにならないかな」というタイトルがついていて、恋とか結婚にまつわる短編で構成されています。

「あの娘〜」は幼い頃に好きだった女の子、大学生になって偶然見かけて、でも声をかけることなくその町には通い続けて、でも何があるわけではなくて、自分も別の女と婚約する、といってしまえばそれだけのことなのだけれど、ストーカーめいた行動ではあっても、相手にアクセスするには至らない自分のなかだけでぐるぐると逡巡する物語は切なくてちょっといい感じ。一人芝居というフォーマットにもよくあっています。

「〜実存」は愛は存在するのか、という哲学そのものの議論を延々続ける二人。男は一目惚れのように恋をして口説こうとするけれど、女は恋なり愛なりは見えないけれど存在するのか、あるいはそれは信用出来るのかとか、つきあうってどういうことか、セックスをすればいいのか、みたいな少々面倒くさい議論をふっかけます。ぐるぐるまわるばかりであまり議論が進んだ感じがしないのに、役者(木村みちる・田中渚)の腕力で見せてしまうような感じはあって、意外なほど退屈しない自分に驚くのです。終幕、わからなくても「研究」してみようと二人で一歩を踏み出す感じもちょっと素敵。

「らぶ〜」夫婦がいまさら下の名前で呼び合うことにするぎこちなさ、歳をとってもあるいは太ってもこのまま一緒にいられるかしら、という感覚は初々しく、かわいらしい。濃密に甘ったるくてしょうがないけれど、短い時間が功を奏していて全体の後味はわるくありません。

「〜しがみつく」は、おそらく精神を病んでいるであろう妻と、子供を含めた家族の生活に限界を感じている夫の話。夫の視点がおそらく客観的な視点で、家族としては暮らせない状態になっているということで、妻もそれはある程度は自覚しているけれど、夫や子供と別れることはどうしてもできない、それは辛すぎるという気持ちだけでがなり立て、叫び続ける人物の造形はあまりに切ない。これも役者・石黒麻衣のパワーで押し切る感じはあるけれど、これだけのエネルギーを放出し続けるというパワフルさと、見かけのおとなしさのギャップもちょっといい。

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2016.07.30

【芝居】「ただしヤクザを除く」笑の内閣

2016.7.18 13:00 [CoRich]

京都を経て18日までこまばアゴラ劇場。100分。

警察の指導でヤクザのフロント会社へのピザ宅配を禁じられた店にヤクザがテイクアウトに訪れて凄むが、パートの女がおとなしくさせ帰宅させる。この店のピザが最高だと信じている店長はピザをテイクアウトし、こっそりヤクザに渡す日々を過ごしているが、それも警察に見つかってしまう。

ヤクザの犯罪は許さないけれど、暮らしているヒトである以上、暮らせなければいけない、という「ヤクザの人権」というワンアイディアで突破する物語。暮らしていけない(と感じて)逃げてきて就職も出来ないヒトのセーフティネットという役割があったということだったり、あるいはそこから離れれば暮らせるヒトのことであったり。子供のための、という嘘をついてオマケのカードをシノギに使うというのは、やっぱりダメな人々ということをぐるりと一回りして描きます。ああ、ヤクザだってヒトだしと思っていたアタシはあっさりと裏切られたして、物語全体を安定に着地させたりせず、ふわふわと浮いているようにしてスパッと切り落とす感じは確かに誠実な語り口なのです。

かと思えば、このピザ店、企業理念に心底陶酔する店長がいたりして、明確には語られないけれどやりがいの搾取というか、酷い労働の現場、を匂わせたりもします。それはたとえば大手牛丼チェーンで大量のアルバイトがやめたあの事件の報告書(pdf)を思い出すのです。

ヤクザの抗争史として描かれているのは「ヒラタ組」で、その参加にいろんな組があるというのは、アゴラを拠点とする青年団と青年団リンクの劇団だったり、有償パンフにはその抗争史が書き込まれていたりという遊びごころ。

着想点はとてもいいのだけれど、正直言えば物語としての面白さがもう少し欲しかったり、物語がぐるぐると同じ処を回って居るように感じる場面があったりして、濃密さにかける感じは否めないのですが、作家の問題意識の発露がというか視点が面白いな、と思う劇団なのです。

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2016.07.28

【芝居】「ま○この話~あるいはヴァギナ・モノローグス~」On7

2016.7.17 18:00 [CoRich]

どこかのリーディングで見た気がするのだけれど、記録が見つかりません。無念。120分。18日までKAAT・神奈川芸術劇場・大スタジオ。

夫はソルのが好きだった「毛/Hair」
ドライブのデートでキスされた私、シートを「大洪水/ The Flood」
女性が自分の身体に向き合う「ヴァギナ・ワークショップ / Tha Vagina Workshop」
それまでそんなに好きじゃなかったけれど、「彼がまじまじ見るから / Because He looked at it」
女優達がそれぞれに叫んだり語ったり「おまんこ様はお怒りである / My Angry Vagina」
戦争の村での女たち「私のヴァギナ、私の村 / My Vagina is My Village」
いろんな物に名前を付けるのが好きで、名前が付くと自分のものになった気がする「”ヴァルヴァ・クラブ”改め、ミホトの会 / The Valuva Club」
小さな時から、いろんなことがその女の子には起きる「まけるな!ちっちゃなクウーチ・スノーチャ / The Little Coochi Snorcher That Cloud」
高給取りだったのに、その仕事についた女「ヴァギナを喜ばせし女 / The Woman who Loved to Make Vaginas Happy」 初版ではなかった、そうだ。「私はそこにいました / I was there in the room」

女性たち自身の性器についてインタビューを中心に組み上げた短編で紡ぎます。ほんとに可愛らしいことから、真っ直ぐに向き合ったり、はては暴力の標的となることなど、おそらくは人それぞれの考えや体験、それが自身に及ぼした影響はさまざまで、簡単には括ることは出来ないのだけれど。考えさせる、ということはもちろんその通りだけれど、大爆笑が挟まったり、華やかなシーンや、色っぽいシーンもてんこ盛りで、いろいろに楽しいのです。

オープニングはドレスに身を包んだ女たちが登場し、ヒール靴を高く投げ上げてそれぞれへの着替え。ここで既に格好良くて、あっという間に彼女たちの虜になってしまうのです。ドレッシーな靴も服も女たちを美しくするけれど、それはまた女たちを縛るような側面がある、というシンプルな事実をこの短時間でしっかりと印象づけます。それに続く、この芝居の前書きのような台詞はこれがどういう芝居か、という口上になっています。

「毛」は軽いジャブのように、あの場所に纏わる、ちょっと幸せを感じさせるような、しかし恥ずかしさもある語り口。
「大洪水」は、老齢の女性の若い頃、幸せなデートの筈がちょっとした失敗。男の無理解を描きつつ、しかしそれがトラウマになってしまったことの深刻さ。
「〜ワークショップ」はオーガズムの経験のある女性たちに共通していたワークショップ、という前触れで、それぞれ自分の性器を鏡などで見たりするという経験。色んな椅子を男に見立ててセックスするような描写も楽しい。「彼が〜」は、ワークショップに繋がるようで、その存在を見て貰ったら、そこが好きになった、というのが幸せな感じ。演じた小暮智美の可愛らしさ。

女優たち自身の言葉で語る「〜お怒りである」は、顔見世のようで楽しい。産婦人科のあの機材が酷い(尾身美詞0とか、Tバックは何のため(渋谷はるか)とか、唯一既婚なのに(小暮智美)とか、相性だけの問題なのか(保亜美)とか、生理のこと(宮山知衣)とか、呼び名をつけたい(安藤瞳)とか、独身子無しを可哀想と云うな(吉田久美)とか。 それぞれの主張がほんとうに彼女たち自身のリアルな姿なのかはわからないけれど、大爆笑もさそいつつ、圧巻の盛り上がり。

強いコントラストのように路線の違う「〜私の村」は悲惨な目に遭う女の話で、戦争に巻き込まれた村の話の重さ。「〜ミホトの会」は古事記にある「ミホト」(wikipedia)という代替する言葉を見つけた翻訳者(谷賢一)の勝利。名前をつけることで自分のものになる、という感覚はなんとなく共感できる感じ。 CTWの音楽とともに始まる「〜スノーチャ」は一人の女性の成長の過程を、その女性器にまつわる話だけを短くグラデーションのようにつなぎ合わせた話。いいことも悪いこともいろいろ起こるのだけれど、まけるな!、という言葉に集約される、応援する気持ちに溢れた一本・ 「〜喜ばせし女」は色っぽさ全開、ちょっと漫画っぽいぐらいにオーバーなのも楽しい。演じた尾身美詞がホントに格好良くて、色っぽくて惚れるのです。

「私は〜」は、ここまで自分にとっての、ということで進んできた同じ場所が、生命を生み出す場所でもあるということを改めて。どことなく、全体のトーンをフラットに戻されたような、綺麗な幕切れ。

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2016.07.26

【芝居】「夏の夜の夢」天幕旅団

2016.7.17 15:00 [CoRich]

アタシは初見の劇団です。雑遊で105分、18日まで。

正方形の舞台を四方から囲む客席。シェイクスピアの「夏の夜の夢」基本的にはそのままの物語を、ポップでスピーディな台詞で紡ぎ上げます。シェイクスピアに関していえば、現在の言葉での上演というのはそれほどめずらしいものではありませんが、わりと早口で詰め込んだ台詞でスピーディに入れ替わる役者陣、シンプルな飾り付けはあるけれどほぼ素舞台のまるでプロレスのリングのような四角い舞台とあいまって、イマドキのリズムにもよくあっていて、楽しく見られるのです。

今作を貫くのは、「役者と役」というメタな関係を中心に据えています。開演直後に役者と役を並べて観競るシーンを、楽屋落ちというか「第四の壁」(といっても囲み舞台なんですが)のようにき、終幕近く「町人達の芝居」のところで開幕にあった「さあ、始めようか」という台詞を置くことで、鮮やかにくるりと一回りして入れ子のようにメタな構造を創り出します。町人達の芝居のシーンは確かにわりと冗長になりがちで、ここをどうするかはわりと大きな問題になりがちですが、大胆にカットしつつ、この芝居全体を包み込むように終幕させるのは巧いなと思うのです。

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2016.07.25

【芝居】「大風呂敷」髭亀鶴

2016.7.16 19:00 [CoRich]

演劇を初めて十年目にしての自劇団旗揚げ。「ひげきかく」って読むのね。17日まで王子小劇場。130分。

まずはお披露目、襲名披露よろしく口上。日替わりで先輩の役者たちを呼んで「大口上」
公園に集まる男女。かつてこの場所で自殺した男の幼なじみたち、もうすぐこの場所が無くなると聞いて集まってくる。遊具の中で暮らす風俗の女。あのときに声かけなかったから死んだことを後悔していた男、ぼろアパートの大家、声をかけることに決める、女には姿が見えたかもしれない。「大迷惑」(作・演出 釘本光)
島が見える場所 本家の家、お盆。多くの漁船が大きな鮫が襲ってきて事故にあい大きな被害が出たという。保険会社につとめるこの家の次男が調査に訪れて疑問を呈する。 「大怪獣」(作・演出 柳井祥緒)
中学の時のトラウマがきっかけで神経性の下痢に悩まされる男が、偶然目にした講習会によって劇的に改善し、仕事で活躍し、同僚の女性と恋人になる。娘の厳格な父親は医者で、別の男を娘の夫にしたいと考えている。娘は恋人に父親を紹介したいと家に招くが、相手の男も現れる。 「大便意」(作 白坂英晃/演出 保坂萌)
金物屋から大学まで出したのに、徴兵された息子。幼なじみの婚約者に別れを告げるが幼なじみはそれを受け入れない。息子は両親に生きて帰ると約束し、出征する。 「大學まで出したけれど…」(作 古川健/演出 日澤雄介)

「大口上」でアタシの見た回は他の回とは少々異質で世代が異なる(自らガラパゴス劇団と揶揄するのがおもしろい)山の手事情社の女優・大久保美智子。今回の主宰が通った演劇講座の講師だったとの繋がりで、そのころからただようインチキ臭さを誉めるいい口上に。しかも何より美しさそのまま。

「大迷惑」は心に刺さった棘の話をシンプルに描きます。 自ら命を絶った友人への追悼の気持ちで集まる人々、子供の頃の思い出だったりを重ねながらの丁寧な時間。最後の姿を見かけたのにそれを止められなかった、心に刺さった棘がもう一度うずくきっかけは、この公園でホームレスのように暮らす若い女の存在。カジュアルにホームレスになるという今時の格差を自然に織り込みながら、助けるためには彼女に会う必要があるというハードルを店に電話しての指名で乗り越えるのが少しばかりコミカルで楽しい。

この後の転換は「大転換」というタイトルがでて、まさに大転換。シンプルな素舞台を作る平台に見えていたものlが立ち上がり、合体ロボットよろしくく作り込まれた和室ができあがるのがちょっとすごい。しかもこれ、この後の一本だけでもう一度元に戻すという無駄が芝居っぽくて楽しい。

「大怪獣」は小さな島に現れた大きな怪獣におそわれた漁師町の大きな本家と、それを調査に訪れた保険の調査員の物語をサスペンス風味で。短い時間でしっかりとサスペンス風味を仕上げるのも、しっかりとした日本家屋風味の場所を創り出すのも凄い。大けがを負った唯一の生き残りが書いた絵から起こる綻び。怪獣の物語かと想えば、漁業権を巡る人間の物語に広がっていく、しかも怪獣自体は舞台に登場させないやりかたは、どこかウルトラセブンの香りがすると感じるのは、今年がウルトラマンシリーズ放映50周年というのをアタシがつい最近知ったからかもしれませんが。

「大便意」はタイトル先行すぎるけれど、それに違わぬ爆笑編。短編ではどうしても笑いに寄せた方が印象が強くなるわけで、今回のラインナップではそういう意味では得をしています。便意を我慢する秘技を身につけた男が社会的な成功というか妻を娶ろうかというその瞬間に、緊張のあまり再び便意に襲われるという設定も、その敵役も表だっては云わないけれど同じ便意に襲われている、という少年ジャンプのような対決になって迫力一杯なのです。一本目では亡くなった男を演じた上松コナンがコミカルに便意を我慢する男、という振れ幅も楽しい。

「大學は〜」は、まあ「大で始まるタイトル」を逆手に取ってちょっと変化球。戦争末期の徴兵を巡る市井の人々を細やかに描きます。調整された男と幼なじみの恋人。自らの死を予見し恋人や親に振る舞う表向き、あるいは、ラストシーンの出征の万歳では「表向き」のことしか云わない、ということを描いているのか、とも思います。リアルっぽくあの時代を描くことが上手な作家・演出家だということは知っているし、声高に何かの主張をすることが正しいとも思わないけれど、このフラットさはクールと云うよりは動かぬ何らかの視点を作家が放棄してる、と感じてしまうアタシです。まあ、あの時代を礼賛ではなく批判的な目で見てるのだろうとは思いますが、このフラットさ、時代がこれを礼賛するところが万が一ニュートラルになれば、この芝居自体(ごく表面的には)はそれと同じように時代に流されて礼賛してる、って見えるんじゃないか、というのは考えすぎですかそうですか。

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2016.07.19

【芝居】「わたしたちのからだは星でできている」waqu:iraz(ワクイラズ)

2016.7.15 19:45 [CoRich]

高木充子が書いたテキストに、ダンスを中心とした小林真梨恵の演出という組み合わせ。今作は宇宙や星、生命を題材に80分。17日まで。神奈川青少年センター・多目的プラザ。

■子供がほしい夫婦の会話。ほしいと思ったその日が子供ができた日で。■レクチャー・小さな点が膨張して宇宙が生まれ、爆発して。 ■探査船ボイジャー・ゴールデンレコード(wikipedia)を積み、太陽系の家族写真を撮って太陽系外へ向かう。2020年の運用停止まで続ける。■はい・いいえ・わからないを答えてみる。 ■何かが生まれ変わっていく日々。

開場中はスクリーンに大きく流れる数字、NASAが送るボイジャーの位置を示す数値がどんどんカウントアップしています。

ほとんどのシーンのテキストはどちらかというと詩的な断片という印象で、そこにダンスを組み合わせて描きます。宇宙と生命、マクロとミクロを自在にズームするように進む物語なのです。 一組の男女がわりと長い時間ダンスするシーンがあります。テキストが公開されているけれど、上演ではそのテキストは観客には直接は示されません。どうしても、何かの意味を見いだしたくなってしまうあたしだけれど、このダンスをどう受け止めたらいいかに少々戸惑うワタシです。妊娠とか子供、ということを描いているだろう前後の文脈と、あとは、このテキストのおかげで宇宙の始まり、あるいは子供が胎内で進化の過程を辿るように育つということを、回転をモチーフに描いているのかなと思ったりします。

反対にテキスト欲しがりなアタシがぐっとくるのは、無人探査船・ボイジャーを巡る物語。子供の頃から知っている(といっても、パイオニア計画の金属板とごっちゃになってたりするのだけれど)カッコいいあれだけれど、今改めて ゴールデンレコードという、未知の知的生命体に巡り会いたいと本気で考えた人々のボトルメールのような想いだったり、あるいは太陽系の家族写真(wikipedia)を撮ったりというミッションをきちんと続けて、しかし原子力電池の寿命に向けて飛び続けるボイジャーに思いを馳せて涙してしまうアタシなのです。

チュートリアルする女性をを少々コミカルに演じた松本寛、大きな目が印象的な関森絵美が印象に残るアタシです。

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2016.07.18

【芝居】「ラストダンス」国分寺大人倶楽部

2016.7.10 19:00 [CoRich]

国分寺大人倶楽部( 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10) の4年振りの公演は、解散公演。 12日までシアター711。105分。

117という映画館、先代オーナーが引退して息子が引き継いでいる。経営は苦しく、個展やライブなど映画以外の企画を新たに初めて多角化を図る。アルバイトは息子の同級生たちで、それぞれのつながりで企画を始めているが経営は回復しない。

開幕直後はその場所の終演という着地点を描き、そのあとは父親から譲られた映画館というか劇場が坂をゆっくりと下るように、何かの大きな転換があるわけではなくて、ひたすらにまっすぐ下ってい語り方はまさに終焉に向かうよう。

もしかしたら描いてるのは(父親の想いはともかく)サークル感覚で団体を運営することの難しさかなとも思うのです。思いつきをどう成功に結びつけるかに成功しなかったことだったり、あるいは偶然成功しかけた企画があったのに、それがするすると指の間から砂のように逃げてしまうことだったり。

シアター711を模したシアター117だったり、ネーミングライツが「花まる」だったりというのは何かの巻き添えという感じもするけれど、まあ楽しい小ネタなのです。

解散公演だからといっても、この劇団の物語の何かの写し鏡になっているかどうかはよくわかりません。ある場所が緩やかに衰退していく、ということを描くのはそういう意味では前の日に観た青年団に繋がるような感じというのはちょっと無理矢理か。終幕には、この場所をつくったオーナーの若かりし頃のシーンを置いて、それは何か新しいものの萌芽なのか、あるいは単にこのなくなりつつある場所へのノスタルジーなのか。

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2016.07.15

【芝居】「充電するリアリティ」もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡

2016.7.9 19:00 [CoRich]

日本最大のIT企業の社内ベンチャー、VR事業は収益化の見通しが立たないながらも人間の過去の記憶を抽出し再生して見せる見通しが立った。その発表の直後、部門ごと民間軍事企業への業務譲渡を会社が決めてしまう。聞いたこともない小さな、しかも軍事転用に動揺する社員たち。

三面の客席、それぞれにプロジェクターのスクリーン。キャスター付きの椅子を沢山という舞台。いわゆるIT起業のオフィスと、物語に登場する水族館を一つの場所で転換なく切り替える演出が巧いのです。開場中に演出家じしんが喋りまくって席を勧めるというのも楽しい。

物語の方は、わりと自分の事に重ね合わせるような、ビジネスが譲渡される人々の話なのです。会社が決めた他の小さな会社への譲渡に乗るのか乗らないのか、それを聞いたときの気持ちの初動は、まるで鍵盤を叩いたときのアタックのように強く表れるけれど、時間が経って雇用だったり自分のことだったりと徐々に落ち着くのも、ワタシが感じてきた風景で説得力なのです。

若いあの時に強い気持ちをもって繋がったと思う男二人の終幕も説得力があります。理屈じゃない気持ちをベースにもう一押しの説得力が欲しい気はしますが、大きな問題ではありません。

仕事場を描きつつ、アルバイトの女性の物語は作家の少しばかりのセンチメンタルが可愛らしい。(IT企業らしく)ネットで知り合っただけの男とのたった一回のデート、水族館に行って、そこで話をしようと思ったのに、それっきりになってしまった切なさ。少しばかり臆病で、でもあの時の記憶が改めてVRで追体験できる心安らかさもまた、作家の描く世界。二つの世界を地続きに描けるのが作家のちからなのです。

正直にいえば、前半の人物紹介が少々長くて、全員をきっちり紹介しようという心意気は買うけれど、あとからわかる情報も多いのでここまで丁寧でなく、観客を信じてもいいと思うのです。中盤ではその事業譲渡する技術や人々がなぜそこまで譲渡に抵抗するかがわかりにくいのが惜しいのです。譲渡後に少しだけ語られる、設備がね、やイデオロギー、あるいはもうこの現時点の技術が欲しくてそれ以上の研究開発をさせてもらえるかが判らない、でもなんでもいいのだけど「どうして行きたくないのか」の説得力をもつベクトルがあれば安心だなぁと思うのです。

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2016.07.14

【芝居】「ニッポン・サポート・センター」青年団

2016.7.9 14:00 [CoRich]

2008年の「眠れない夜なんてない」から8年ぶりの新作はより深刻な雰囲気の125分。 11日まで吉祥寺シアター。

NPOが立ち上げた活動に行政が追随した地域の「サポートセンター」は地域の人々もこの場所にボランティアで参加している。NPOのメンバー、若いインターン、非正規だが資格を取れば正規の道も開ける中堅、市役所からの出向者がこの場所を支えている。
NPOのサブリーダーは夫が盗撮したとして逮捕されこの小さい町では皆が知ることとなっている。夫から逃げてきたという女、何かの不安や不満を抱える女たちが相談に訪れている。

カラオケボックスというか、スタジオのように防音設備を備えた三つの相談室を擁する前室というかスペース。作家がいう青年団の基本のフォーマット、セミパブリック、という場所に集い、時に部屋に入り、ときに出入りするという意味できちんと青年団のフォーマットを改めて踏襲していて、慣れているアタシには懐かしく楽しい場所。セットというか場所の雰囲気は「カガクするココロ」(2010)だけれど、その場に集う人々は(なんだかんだいっても大学の研究室という)「選ばれし人々」であり若さ故に未来がある中の悩みだった「カガク〜」よりは、ずっと年齢も高い人々だし、未来があるかどうかは老若男女とわず微妙で、それなのに部分部分はやけに明るいという日常を高い精度で描くのです。こういう雰囲気なのに決して「祝祭」をに近づかずに描くのも作家のポリシーなのかもしれません。

近所の元気な老人たちがこの場所を支えて居るという自負、ちょっと病気したりしてそれを全うできないという負い目、資格を取って正規となれば告白できるかもしれないという気持ち、あるいは美しい女子にはもう彼氏が居るという絶望、生きていれば色んな事がある、ということを描いているけれど、細やかに描き込んだ人々のこと、結論の出ない混沌を「やまと寿唄」(YouTube)(歌詞)に丸投げするのは、ちょっと狡いな、と思ったりもするのです。

単なる日常を描いているように見えるけれど、市役所からの出向者は真摯だけれど、この場所とは違う、父親の地盤を引き継いで次の選挙にでる、という細かさが巧くて、フラットな場所に見えるこの場所にも、格差は確実にそんざいしているということをチクリと刺すのです。

所長を演じた能島瑞穂、ああ、こういう年齢になった感慨深さ。選挙に出るらしい出向者を演じた兵藤公美はホントに凛々しく格好良く。近所のジジイを演じた志賀廣太郎は勿論の安定、その娘婿を演じた河村竜也はコスプレのようで楽しい。近所といえば、おばさんを演じた松田弘子はとっちらかってる感じが楽しく、髪結いの亭主を演じた山内健司の圧巻の精度に安心するのです。

物語に対して貢献している役ではない気がするけれど、島田曜蔵が演じた恋心を演じる男子のあれこれ、噂されてしまったりして慌てる感じも可愛らしく、今作では縦糸のようにバラバラになりそうな話をつなぎ止める強力な力になっているのです。

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2016.07.13

【芝居】「劇作家女子会!R」劇作家女子会

2016.7.3 15:00 [CoRich]

劇作家女子会を名乗る女性作家四人(坂本鈴、オノマリコ、黒川陽子、モスクワカヌ) の作品を古川貴義が演出する四本立て。10日まで王子小劇場。特設サイトのインタビュー集も楽しい。

家には夫婦と猫が居る。妻は病弱で家からなかなか出られない夫は血のつながった子供が怖くて猫を拾ってきている。最初は慣れなかった猫もずいぶん人に慣れごろごろしている「DOG」(作・オノマリコ)
アスペルガー症候群の診断を受けた女は普通の生活を求めるがなかなかうまくいかない。手足を失った傷痍軍人の妻は一時はもてはやされたが、戦争が終わり復興に向けた人々には混じれずにいる。シリアルキラーの彼女は恋人を殺したいという気持ちと失いたくないという気持ちのせめぎ合いの中、手足を切り落としたい思う。 「だるまかれし」(作・モスクワカヌ)
全国規模のクイズ大会で優勝したがアニメ研究部、それまでハイソで有名だった高校の生徒会はアニメ好きの評判がたち始めたことを問題視し、活動停止を命じるが、部員たちはネット上での活動を通して世間の評判を集めていく。それを止めさせようと生徒会は謝罪を申し込み、学校内部だけで秘密裏に活動するよう抱き込もうとする。 「絶対恋愛王政」(作・坂本鈴)
会社の先輩が理不尽な首切りに合ったことに不満をもち社長に直談判した男もまた、首になってしまう。妻はそれでもいいと受け入れるが、たまたま耳にした噂で実は夫はそんな正義感で動いたのではなく、会社を辞める口実として乗ったのではないかと問いただす。 「幻燈」(作・黒川陽子)

「DOG」は 家で飼われて野生を失った猫。家にずっと居続ける妻と長い時間を過ごすうちに、獣なのか人間なのかが区別つかなくなりつつある状態。あるいは「自分の子供」を設けることを恐がるけれどもらい子を考えたりあるいはペットで代替しようと考える夫。生き物すべてが持っているはずの野生を持つことと失うことを一組の夫婦と猫に乗せて描きます。 いいバランスだったはずのその家族に終幕近くで突然現れる野良犬の野生は彼らにとっては恐怖だけれど、その犬もまた「人間」の世界に巻き込まれるかというのは、動物と人間の境目がどんんどん曖昧になっていくという不思議な感覚をもたらすのです。作家が心の奥底に飼っている何かの気持ちが垣間見える、というとちょっと言い過ぎか。

「だるま〜」は 手足を失った傷痍軍人と妻、恋人の手足を切り落としたいシリアルキラーと恋人の男、アスペルガー症候群の診断を受けた女性の三組を描きます。 アスペルガー症候群の女性を中心に二つのことを描いていて、一つは普通に暮らしていきたいのにそれができないというだけではなく、世間から置いていかれていると感じることを傷痍軍人に重ね合わせて。もう一つは、人と違うことをそのまま共に生きていこうというのではなく、同じになるように治療しようという考え方の違和感をシリアルキラーや禁煙の風潮に重ねて描くのです。

正直に云って、この作家の描く世界は今まで不思議な感覚の面白さはあれど面白く思わせる力強さに欠けるように感じてきたアタシです。その意味で今作は物語の力強さがあって、しかも「普通に生きていきたい」というごく当たり前の感覚を切実に、しかし単にシリアスだけにならないように丁寧に描いていることに成長を感じるアタシです。や、面白かった。

「絶対〜」はポップでイキオイがあって爆笑も迫力も兼ね備えた一本。三次元の女には興味を持てないオタクと、学園を牛耳る生徒会というスクールカーストの格差を明確に示し、少年ジャンプよろしく過剰な演出で描き出していて、時に視点がぐるりと廻るようだったり、時に空を飛び、時にアニメ声の恋愛シュミレーションぽくもあり、そういう意味でも過剰なのですが、それが楽しい。そこでまさかの「ロミジュリ」のような禁断の恋心を描き出す落差も楽しいのです。 「幻燈」は無声映画「東京の合唱(コーラス)」(1931年/小津安二郎) (wikipedia)(YouTube) のシーンを抜き出して役者が声をあてて演じられます。 人のいい会社の先輩の理不尽な首切りに怒り抗議をして会社を辞めてきた男の視点、が、同じ場面を映像で繰り返しながら、また今更始まったと周りが見ている冷静な視点だったり、妻が気づいて夫はそんなひとじゃなくて、もともと辞めようと考えていたんじゃないかとか。映像と弁士というフォーマットに乗せて、場面も台詞も同じだとしても、心の中で考えたことを言葉に乗せることで、同じ場面が全く違う衝動に基づくものだということが印象的に描かれるのです。

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2016.07.07

【芝居】「虹 NIJI」シアターTRIBE

2016.7.2 15:00 [CoRich]

3日までピカデリーホール。90分。

それに巻き込まれた者は誰も戻ってきていない謎の「虹の壁」が発生している。山中に設けられた環境省の出先機関である観測所に派遣されている男はもう三年もこの場所で一人で観測を続けているが常に誰かに見られている気がして落ち着かない。
ある日、環境省のキャリアだと名乗る女が現場をみたいといって訪れる。そのとき虹が発生し、近くの温泉施設の従業員やそこを訪れていた洗浄カメラマンを名乗る男、たまたま近くにいた町の職員らが避難してくるが、その避難指示は観測所には届いておらず混乱する。遠くでは虹をあがめる宗教の信者が太鼓をたたいて礼賛している。

古い映画館を改装した劇場。正直にいえば、タッパがありすぎたり、客席最前列に邪魔な低い塀のようなものがあったりするのだけれど、この劇団は客席を作り変えて、まさに劇場を作り変えてまで上演の環境を作り出します。舞台の上には林の中に立つプレハブのような観測所とその前の広場という感じの場所。きっちりと「そういう場所」を創り出すのです

前半は正直にいって、いろいろ不安な感じなのです。観測員は孤独な三年間を過ごしていて挙動不審になっているし、キャリアを名乗る女はどうしてそこに居るのかわからないままだし、「虹」が発生してやってくる人々はあからさまに取って付けた戦場カメラマンだったり、おばちゃんだったり、若い男だったり、太鼓打ち鳴らすヒッピー風だったり。唐突に不倫の話が出てきたり。

後半になって、徐々に作家の持ち味が見えてきます。廃棄する大企業、それが原因で起きている「虹」のことをその企業は知っているし拡大を続けているのに、ダンマリを決め込んでいること。あるいは同じ知見を持っている行政は行政で一人の職員を送り込むことで人体実験をしていたり。理不尽というよりは知らせるべき事を知らせない、隠しているということに対しての強い怒りが物語を貫きます。真実を知っている謎の人物を置いていたのは種明かしを迅速にするためなのだ、ということが見えるのです。

物語は決してハッピーエンドではないとは思うのです。廃棄施設に反対していた前町長のことをきちんと知っている若者は最後の一人だし、人体実験させられていた職員はパスファインダーよろしく道を探すために出発して消息を絶ち。この場所すらも虹に巻き込まれてしまう。が、強烈なライトを背景に一列に並べバトンを上下動させることで虹が覆ってくる瞬間を美しく創り出すのです。もしかしたら、その向こう側には幸せがあるかもしれない、と思わせる綺麗なオレンジの光。

この座組ではさすがに作家を兼ねるモノ英雄が圧倒的。ちょっと出て、さっと引っ込む短い時間で説明してしまうというのも巧い。

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2016.07.05

【芝居】「ありふれたはなし 2016」猫の会 (松本公演)

2016.6.30 [CoRich]

去年初演の4人芝居でツアーを廻る公演。大阪、東京のあとの松本公演。このあとに仙台、石巻。 60分。上演台本を無料公開しています。

開演まえに、作り付けの照明設備が直らなかったので、蛍光灯の地明かりでの上演という説明。ごくコンパクトなツアーセットなので、背景も壁そのまま。この場所で感じたのは、照明の効果が無くても物語のもつ地力の強さを感じたのです。

新しい物に対しては決して意欲的な土地ではないところのツアー初見参。何度も土地に通い人々に会って、町にふれ合って、ということを続けてきた劇団、そう頻繁にとはいかないかもしれないけれど、地元の観客が増えていけばいいなぁと心から思うのです。また来てね(まあ、ワタシも行くんだけれど)。

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【芝居】「SYNDICATED!! vol.1」theater 045 syndicate

2016.6.26 13:00 [CoRich]

普段は稽古場として使われているビルの一室(と隣の臨時スペース)で公演を打つ企画の第一回。26日まで横浜ベイサイドスタジオ。休憩5分を挟み80分。

町中の風景、ちりんちりんとベルを鳴らして走るおじさん、デスコに行こうと誘う女、町中のティッシュ配りの男、帰宅し母親に苛つく息子「げびた驢馬」(作演・木村和博)
線路際で自殺しようとしている男。そこにもう一人同じことを考える男が現れる「命を弄ぶ男ふたり」(作・岸田國士 演出 中山朋文)(青空文庫)

「〜驢馬」はプロジェクターで文字を出しつつ、何人かの人物を点描するように描きます。正直にいえば、「パフォーマンス」ということ以上の物語がアタシには読みとれず少々戸惑います。「ちりんちりん」のおじさんを町中で見かける若い男、そのおじさんが意外な活躍をして風船をつかんでみたり、自転車壊れてみたり、雨が降ってる中ビニルのお手製合羽で走ってたり、というさまざまな「生活してる」感じの描写が印象的。

「命〜」は元々土手の上を走る線路に設定されている原作に対して、掘り割りの下を走る線路という設定にしているようですが、物語そのものに大きな違いはありません。飛び込んでみたり、這い上がってみたりがちょっとコミカルで、どちらが先に死ぬべきかを言い合ったり実力行使に出たりと、まさに「弄ぶ」感じなのです。

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【芝居】「筋書ナシコ」ラッパ屋

2016.6.26 13:00 [CoRich] 久々に拝見したラッパ屋。安心感に溢れ、親しみやすい舞台。 26日まで110分。

雑誌出版社のパーティ。情報誌の厳しさはここも例外ではない。パーティの最後に控える重大発表に向けて、社長は出資者と、専務は新事業のための物件へぎりぎりの交渉を続けている。パーティに出席していたライターのアラフォー女に声をかけたのは、同じビルで婚活パーティを開いている熟年富裕層の男たちだった。

フリーランスのライター二人をメインに据えて、バツイチとか恋とか結婚とかのドタバタ喜劇かと思えばそうでもなくて、カツカツの会社経営をしている社長や専務といったいい歳の男たちの奮闘だったり、あるいは悠々自適ではあるけれど恋がままならないおじさんだったり、いい歳をして、いろんな方向でままならない人々をコミカルに描きます。

年齢を重ねてからの危うい恋心、年下男にときめく気持ち、若く見せようとしているけれどなんか空回りしてる風、細かくはブランド物の紙バックを大事に使ってたり飴ちゃんの安心感だったりと、細かい部分に「ありそう」なものを山ほどトッピングしますが、物語全体の大枠でいえば、会社存続のためのドタバタのあげくに、偶然振って沸いた金で助かるわけで、そういう意味では完全なファンタジーなのです。もっとも、あり得ない恋心が成就してみたり、ラッパ屋の根幹をなしているのは、じつはそういう「どたばたの末に天から授けられる、というファンタジー」だと思うあたしは、そういう意味ではラッパ屋らしい一本なのだと思うのです。

地方の金持ちが文化的な香りに憧れ、少々焦るというのは、ワタシには今一つピンとこないけれど、もしかしたらこれもリアリティの一つかもしれません。金は出すけれども口も出し、クリエイター気取りの息子をごり押しする感じは、この物語の中では唯一のヒールであることが徹底しているのは、なにか思うところがあるのか、明確な主張をしてるようで、物語の中では少しバランスが独特な印象があります。

ラストシーン、アラフォー女ふたりが腕を組み、そろって消えていくシーンがとても前向きでかっこいい。そろって一回だけ尻を振るのも、まだまだ先に進むのだという勢いと喜びのようなものが後ろ姿で表現され得ていて、チャーミングで、しかもかっこいい。

岩橋道子がアラフォーを演じるようになったかと感慨深い。とてもよい年齢を重ねたサバサバしたキャラクタで好演。その友人を演じた谷川清美のおばちゃん感もまた、いい年齢の重ね方。社長を演じた俵木藤汰はもう一人の主役という感じでもあって、オジサンの真剣さがカッコイイ。金持ちをコミカルに演じた松村武はツクリモノ感が凄くて印象に残ります。

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2016.07.03

【iイベント】「天と空のあいだ」(月いちリーディング / 16年6月)劇作家協会

2016.6.25 18:00 [CoRich]

劇作家協会が定期的に開催するリーディングワークショップ。 いつものように戯曲冒頭部の公開と、リーディングと動画配信があります。65分。

サーカス小屋の新入りが任された最初の仕事は、ずっと上に上がったまま降りてこないで暮らしている空中ブランコ乗りの世話だった。

カフカの短編「最初の苦悩(青空文庫)」の「上から降りてこないまま暮らし続けるブランコ乗り」をモチーフにとり、その世話をする女と新入りだが同い年の男の三人の物語。技をストイックに積み上げる男はずっとその世界に居るけれど、他の二人は別の仕事についたり結婚し子供ができて、と別の人生をきちんと積み上げているし、世界ではごく限られた人間にだけ許されていた「空に居る」ことが飛行機の発明によって特別なものではなくなりつつある変化。「離れわざ」という一つの到達点をみつけてはいるけれど、地上に降りて三人が未来に向けて進むような終幕は爽やかさを感じさせるのです。

それぞれのモノローグが大部分を占めていて、ダイアログが少なく、リーディング向きだとは思うものの、これが芝居になるとどうなるのか、ブランコをどうするのかという大問題とともにちょっと想像のつかない感じ。ストイックにいきることと、生活に根ざして生きることの対比がポイントかなとは思いつつ、乗り切れないアタシなのです。

演劇関連ではずいぶん久々に拝見するハマカワフミエの男気な先輩風が凛々しく、格好いい。使用人を演じた小沢道成は豊かな表情を乗せた声の安定、孤高な男を演じた橋本昭博、どう造形するか難しい役をしっかりと。

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【芝居】「逆光、影見えず」MCR

2016.6.25 15:00 [CoRich]

7月9日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。90分。

病床に伏せる男・オサム。何が食べたいか訊いた妻に「あずきがゆ」をこたえるが、そんな地味な食べ物じゃだめだといわれる。
高校生のオサム、落第が決まり来ていなかった学校に突然現れ、フランス文学を口にして同級生の女を口説く。
見舞いに訪れる夫婦、女はまだ未練がましい。 見舞いに訪れた同級生たち、女は小説家になっている。オサムは書いているが応募とかしてない。みんな偉くなっていく。 喫茶店、結婚しようという二人、

「逆光」(青空文庫)から蝶々、盗賊というパートをモチーフにとり、 太宰治を思わせる男・オサムを若い頃と歳をとってからの二人の役者で演じ、それぞれに一人ずつのマドンナを置いて時間軸に乗せて物語を紡ぎます。 若い頃の太宰は落第しつつも自信に満ち、まっすぐに一人の女を口説き、晩年は妻にやり込められながらも死期に近づき、静かに暮らしているという感じでしょうか。

物語の本筋、というわけではないけれど オサムを見舞いに訪れる別の夫婦のシーンが好きです。そのあとに描かれる(過去の)若い頃のシーンでは結婚の報告をするのだけれど、どちらも妻はオサムのことが好きでたまらないのに、これっぽちも振り向いてもらえない切なさ。この一途ないじらしさにきゅんとくるのです。妻を演じた伊達香苗は発している台詞と裏腹な気持ちがダダ漏れてる感じが可愛らしく、若い時の女のダイナマイトな感じは客席の笑いをとりつつも、若さ溢れる、という記号として判りやすい。

これも本筋ではないけれど、「そんな格好だからレイプされても仕方ない」だとか、「女は生む機械」のようなポリティカルにアウトな台詞を吐きまくる男が、芝居とはいえなかなか舞台に載せるのは勇気が要るキャラクタだけれど、それを舞台に載せるのがちょっと凄い。演じた日栄洋祐はそんなこといいそうにない雰囲気とのギャップがすごい。それに対して「レイプにカジュアルな服なんかない」と怒る教師を演じた堀靖明は得意なキレキャラだけれど、この台詞のキレとあいまって印象に残るのです。

若いときと年齢を重ねてからを繋げる「転換点」になっているのが終盤にある喫茶店のシーンで、若いときに一緒になった女はどうも心中を図ったよう。 そこで出会った喫茶店の店員こそが、年齢を重ねてからの妻となる男。男が本質的に何かがわかってとかを明確に描いたりはしないけれど、二つの時間軸がつなぎ合わさる瞬間はスリリングで楽しいのです。 若い頃を演じた小野ゆたかの自信に満ち満ちてしかし嘘も積み重ねる感は若さに溢れているのです。年齢を重ねてからを演じた川島潤哉は諦観と、しかし理不尽には戦う気持ちの残渣とが見えるのです。

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