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2016.06.08

【芝居】「ドーナツと残像」演劇裁縫室ミシン

2016.5.28 14:00 [CoRich]

120分。29日までピカデリーホール。劇団旗揚げ以来の12年ぶり、キャストを一新しての再演、アタシは初見です。

高校の写真部部室。人物写真が巧いと評判の三年生は女子部員や教師たちのヌード写真を言葉巧みに撮影して現像し、同級生に売ったりしている。モデルと割り切って被写体になったり、好意だと信じて被写体になった女子高生たち。写真を買っていた男は女性のヌードを見たい一心で写真部に入るが、写真部の幼なじみに恋心を抱かれていることには気がつかない。
部室のテレビはもうアンテナにはつながっていないのに時折勝手に電源が入るがなにも映らない。が、ヌード写真を買っていた男には「スコップを持ったおっさん」が映っているという。そして、彼が偶然撮った写真には果たしてそれが映っている。

12年前というのが濃厚な雰囲気の舞台設定。撮影そのものがわりと特殊な技能だったり、機材がすごかったり、暗室という場所が必要だったり、その場ではわからないけれど念写のようなことがあったり、いわゆる拡散ということはほぼ無くてという特性で形作られた物語は現像が必要な銀塩写真ゆえの特別な雰囲気で、デジカメには変えられないのはどこかノスタルジーすら感じさせますが、それは悪いことではありません。いまや日常にとけ込んでしまった撮影という行為は、今作においては特別な雰囲気すら感じさせるのです。

男子高校生たちのバカっぽさ、撮影という技術を手に入れたある種のモテ感、それを手に入れられない焦り。対する女子高生たちの瑞々しさだったり若さを自覚した戦略の立て方だったり、あるいは言い出せない恋心だったり、ちょっとこじらせた感じだったりのバリエーションだったりと、それぞれに高校生のいろんなはじけ方が楽しい。

この劇団、わりといつもナイロン100℃の影響を感じるアタシです。青春の一ページを記録しようとする人々の甘酸っぱい話、しかも部室を舞台にしているという意味で「カメラ≠万年筆」の雰囲気をまとっています。もちろん物語は全く違うオリジナルなのは間違いないのですが。影響を受けているということは決して悪いことではありません。スタイリッシュさと高い精度の芝居、換気扇から漏れ込む光の美しさや映像と実体を合成してみせるオープニングのすごさなど、全体として芝居をきちんと作り込むという真摯さに溢れていると思うのです。今作では劇団員やなじみの役者はいつもよりずっと少なく、女優を中心に客演を多く入れています。ワタシにはそれが舞台にいつもにまして緊張感を与えていると感じられるのです。

ヌード写真が撮りたい一心で入部した男がなぜか念写の能力を持っていてというばかばかしさ。だったらそれで撮れるじゃんというのはいわない約束。ともかく高いテンションで走り続けた有賀慎之助は単にパワフルというだけではなくて、その向こう側に彼には見えている真実みたいなものがちょっと印象的。同級生たちのヌード写真を撮りまくり、それとは別に写真雑誌でも入賞してしまうようないけすかない高校生を演じた滝澤秀宜は、今作で格段の進歩を感じます。なんせ格好良くみえる。(失礼)。 ダブってしまった男を演じた米山亘は、ほしくてたまらない賞も手に入れられない悔しさで捻れまくってる感じがとてもよいのです。モデル慣れした女子高生を演じた原菜々美はどこまでも可愛らしく、不器用で恋心を伝えられない女子高生を演じた宮田紫央は、好意を寄せた相手の馬鹿馬鹿しいパワフルさについていこうとして自身もちょっとバカっぽくなっちゃうのもまた可愛らしく。万引き癖のある女子高生を演じた髙山智世も、もう一つの恋心をしっかりと。

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