【芝居】「くろはえや」JACROW
2016.6.5 19:00 [CoRich]
11日まで雑遊。日曜初日、土曜千秋楽の日程は珍しいし、平日20時開演もうれしい。95分。 災害マップを見ながら、台詞を思い出したりもします。
長野県・下諏訪町。かつてこの場所にはダム建設の計画があったが、無駄な開発だという住民の反対運動が実を結び、計画は破棄されている。
計画の責任者だった父親の徘徊がすすみ面倒をみるために東京から地元に戻ってきた男、職場の同僚にはそのダム建設反対の中心となった叔父たちも居る。
職場である下諏訪町の役場の会議室。夕方からの雨はやがて大雨となり、諏訪湖からの放流も限界に近づいていて水位が上がり続けている。土嚢などの小手先の手当ではどうにもならない状況になりつつあり、ダムがあったら違っていたのでは、という思いは口論になる。降り続く雨の中、徘徊している父親の姿が見えず、自宅にあったはずの車もなくなっているという。
長野県、脱ダム、大雨被害という史実と下諏訪という現実の地名を下敷きにしつつ、物語が描くのは地方、というか生まれ育った場所とそこを出て行こうとするある種の引力。
ここを出て行きたいのに渋々戻って来た人だったり、いいと思って地方に移り住んだはいいもののうんざりしてる人だったり、地元にずっと暮らしていて出て行こうと微塵も思わない人だったり、出ていきたい気持ちはあるけれど、それはできないと思って居るなどの人々。日々の暮らしと災害の非常時という地続きを舞台に描くのです。
日々自然と向き合いながらその土地に暮らし、その中では災害がおこるかもしれないと計画されていたダム。その地域に暮らしていたとしても、ごく狭い日常の場所からは見えない影響。自分の持っている土地を手放すことを避けたいと思う気持ち。脱ダムという言葉を報道で耳にしたあのときワタシが感じたのは無駄な公共工事の削減だったり自然環境のことだったりという正義。でも、あのときにその場所に住んでいれば、もしかしたら違う視点で、たとえばそれはいつか起こるかもしれない災害を防ぐのに必要な施設なのかもという見え方になったかもしれないのです。原発の津波対策があれだけじゃだめだったんじゃんと後追いで糾弾するのは簡単だし、無駄な公共工事が全くないとも思わないけれど、 下流の天竜川は限界を超えていて、湖も一部では厳しい状況になりつつあり、それを防ぐことができないという無力感の支配する会議室で始まる ほぼ親戚のような人々の、今更ダムは必要だったか無駄だったかという口論は、行き場のない怒りであったり絶望感であったりの発露かと思うのです。
生まれ育った場所が嫌で東京に出て、嫌々この場所に戻ってきた男。戻ってきたきっかけが「ダムの計画の中止」から進んだ父の痴呆であること、それほど父親がこれに拘っていたことが徐々に見えてきて終盤、東京から移住してきた優秀で若い女性がこの土地をディスるようなことを言うと、それに反発したい気持ちもこみ上げてしまうこと。住んでいた父には見えていたこの土地への愛情、それを息子はわかっていたから、大雨の中、あの場所に父親が居るということがつきとめられたのだ、という終幕は、ぐるりと一回りして、主人公の気持ちをきちんと紡ぎ出すのです。
地元に戻ってきた男を演じた小平伸一郎(a.k.a 猿田モンキー)の地味な、しかし気持ちの細やかな動きがいい。この場所では有力者になりつつあって、この場所でもう少し成り上がろうという同僚かつ親戚を演じた蒻崎今日子・谷仲恵輔の絶妙に嫌なかんじの距離感、東京から移住してきた女を演じた森口美樹の不機嫌がだんだん鬱屈していく感じはもちろん終盤で男を誘う目もいい。
| 固定リンク
「演劇・芝居」カテゴリの記事
- 【芝居】「夜明けのジルバ」トローチ(2025.03.08)
- 【芝居】「ユアちゃんママとバウムクーヘン」iaku(2025.03.01)
- 【芝居】「なにもない空間」劇団チリ(2025.02.27)
- 【芝居】「Come on with the rain」ユニークポイント(2025.02.24)
- 【芝居】「メモリーがいっぱい」ラゾーナ川崎プラザソル(2025.02.12)
コメント