【芝居】「残花―1945 さくら隊 園井恵子―」いわてアートサポートセンター
2016.6.4 19:00 [CoRich]
5月下旬から岩手町・盛岡・鹿角・宮古を経て5日まで座・高円寺1。140分。
岩手の新聞記者が「園井恵子」を取材するために、戦時中の移動劇団・さくら隊でただ一人生き残ったかつての俳優を訪ね、かつての話を聞き取る。
戦況が厳しくなり、園井が用意した岩手の旅館での稽古によって「獅子」を完成させるが、軍の指導による慰問劇団の一つに組み入れられた・さくら隊は中国・四国地方を担当し軍都・広島を本拠地とするように命じられる。
「紙屋町さくらホテル」(こまつ座の上演は未見, 1)にも出てくる、さくら隊の物語。悪化する戦況のなか芝居を続けようと慰問のための移動劇団を選んだ人々。もちろん戦争や被爆という悲劇に着地することはそもそもの史実。ことさらに戦争と戦ったとか、反戦という気持ちを煽るような舞台にはしないで、いろいろな人々がいくつかの選択肢の中から選び取った先にあった悲劇、という冷静さが全体を貫きます。観客も悲劇という着地点がわかった上で共犯関係のように、人々が何に悩み何を選んだのかということだけを強調して選んでいるようにも感じるのです。戦時中ゆえの苦労話や戦争を嫌う気持ちを描いても良さそうだけれど、そこは綺麗にスルーして、人々がどう日々を営んでいたか、ということを実にフラットに淡々と描くのです。
終盤、原爆が投下された8月6日から被爆者が全員無くなる一ヶ月弱の間の描き方は、すこしニュアンスが変化します。それまでの「日々の営み」がどう変化したかを、しかし事実だけをフラットに描きます。 即死した人々は、その時刻まで確かに暮らしていた時間をすっぱり切り落とされ、文字通り「消えた」ように、生き残った人々は、最初は大丈夫と思って、生き残ろうとそれぞれに自律的に行動してその場所を遠く離れ、それなのに被爆からしばらくの時間が経って発症する、いわゆる原爆症の中死んでいく、という、こちらも日々の営みがどんどんできなくなって死に至ることを、しかし淡々と描くのです。 感情を爆発させるのはむしろ被爆しなかった人々だというコントラストが印象に残るのです。
さくら隊の隊長を務め、しかし病状の悪化に苦しむ「新劇の団十郎」丸山定夫を演じた福本伸一は隊員の心の支えになっているという安定感。女優・仲みどりを演じたザンヨウコのガハハ感、物語のテンションをすこし緩ませてくれて見やすい。被爆後裸同然で避難して東京に逃げ帰るシーンの生命力を感じさせるシーンが印象的。
| 固定リンク
「演劇・芝居」カテゴリの記事
- 【芝居】「業界~恥ずかしながら、ボクらがこの世をダメにしてます~」Tom's collection(2025.03.22)
- 【芝居】「ズベズダ」パラドックス定数(2025.03.20)
- 【芝居】「夜明けのジルバ」トローチ(2025.03.08)
- 【芝居】「ユアちゃんママとバウムクーヘン」iaku(2025.03.01)
- 【芝居】「なにもない空間」劇団チリ(2025.02.27)
コメント