【芝居】「悪魔を汚せ」鵺的
2016.5.20 14:30 [CoRich]
24日まで駅前劇場。110分。初日からそう日の経たないうちに前売りが完売だといいます。
製薬会社の創業家。その父は長く病床に伏せっている。長女は婿を専務に迎え三人の子供。次女も婿を迎え同じ会社だが子供はいない。長男は嫁を迎えるが家族からは家政婦のように扱われている。三女は何かがあったらしく家を出ている。
ある日、庭で猫が殺されるが、犯人はうやむやにされている。長女の三人の子供たちは一番上の娘は心の痛みを感じているが、下の二人は動物を殺すのも、あるいは人間を殺すことにすら痛みを感じない。
長女は血が大事、こどもができているならば家を出た三女でもよい。次女はともかくストレス、長男もまたストレス、自殺してしまう。会社の醜聞を表沙汰にしたくないと、会社の総務部長はクーデターを企て、まともな人間の気持ちを持っていそうな長女の娘、長男の嫁に家を出て行くように伝える。
ともかくほとんどの登場人物たちがひどい人物ばかり、物語にも救いがない中で進みます。 立ちゆかなくなりつつあるとはいえ経済的には恵まれている人々。生活が崩れていく様が間近に迫っていることはうっすらと感じているゆえのイライラか。不満の固まりであることを隠しもしないようになっている最悪の雰囲気だけれど、一番の問題の経済的なことを直視しないことがこういう雰囲気でもあるし、奥の部屋で伏せっている一家の父がこの悪い雰囲気の元凶だということが徐々にあからさまになっていくのです。
壊れてる家族がいろいろな変化、たとえば入り婿が暴力的になったり、実は愛人の子供であったことがわかったり、家をでている次女に娘が居ることがわかったり。いろいろおこりかけるのに、ほとんどは何も変わらないままなのです。それは枝葉は出るけれどほとんどが切り落とされていく感覚。さまざまに足掻く人々と、変化しないことを対比して絶望を紡ぐのです。それを終わりにしようという事件を経てもなお、この家の「関係」が続いていくのだというのもまた、絶望なのです。が、思いのほか、このパワーのある終幕は清々しさすら感じるのです。
福永マリカの狂気に満ちた、 高橋恭子さいごの瞬発力。 祁答院雄貴の、世をはかなんだ感じ。 杉木隆幸の暴力に豹変。 子供たちのはなしなのだ。 この長さいるか? 濃密ではある。
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