« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »

2016.05.30

【芝居】「(戦場に)行けたら、行くね。」池亀さん、他

2016.5.21 16:00 [CoRich]

22日までRAFT。70分。

「地底人」との戦争が始まっている町。コンビニのバックヤード。 市役所に設けられた臨時部署の職員が召集令状を配って回る。まだ任意の参加だが、店長のもとにもその令状がやってくる。
万引きした女を捕まえ初犯なので住所と名前を書けば許すと云っているが、女は頑として聞かない。呼びだされた彼氏は給料がいいときいて兵隊に志願している。高校をやめたという女性がバイトに雇ってほしいというが、仕事ではないが看板書きをしていて忙しくあまりシフトは入れられないのだという。長年やってきたバイトの男はどうしようか考えている。

日本の町の生活が続く中で市街地の戦争が始まったという状況。いわゆる中東などの報道でみかける、町中に潜むテロリストというか。コンビニのバックヤードの万引き犯の聴取やバイトの面接という日常の描写からそこに戦争が紛れ込んだという状況をするりと作り上げる序盤。

序盤ではまだ召集といっても拒否できる緩やかな感じで。消防団の延長のようになされる訓練は銃を撃つこともするけれど、弾丸は訓練の時しか手にできず。が、後半ではそれが戦闘状態に変わり、召集は強制となり、個人的には戦争に反対だという市職員も淡々と仕事を強制力を手にして進めていて。若い女性が参加しているという反対運動も、その流れにはあらがえず。ゆるかったことが、気がつくとするすると強制力に巻き取られていく感覚は、リアルタイムに感じるアタシの現実の出来事に近い感じでもあって。

「池亀〜」は、地方の若者たちのぱっとしない生活というかマイルドヤンキー的な若者たちを描くことの多い会話劇レーベルだけれど、今作はもう一歩踏み込んで、暮らしの外で起きているより強い出来事である戦争を軸にして、そうなれば間違いなく矢面に立つ若者たちを描きます。金のために兵に志願するし、愛情という個人に許されるはずの自由を戦争という状況では行政によって制限どころか蹂躙されるのは(少々無理筋ではあるけれど)現実につくられた緊急事態条項をにおわせていると感じるのです。

まあ、アタシのバイアスだけれど、その怖いという感じはとても腑に落ちるようだったりするのです。

ネタバレ

続きを読む "【芝居】「(戦場に)行けたら、行くね。」池亀さん、他"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「演劇」DULL-COLORED POP

2016.5.21 18:00 [CoRich]

ダルカラの休止公演。29日まで王子小劇場。125分。

教師たち。自殺未遂の女児の父親はビラや暴力で学校を糾弾していたが、卒業式が間近になり全てを受け入れるから卒業式に出してやりたいと学校を訪れる。他の児童への影響や式の混乱を懸念した教師や他の親たちはやり過ごして卒業式にも出席させないでおこうと考えるが、親は卒業式に出席させたいと学校を訪れる。それはなんとかして封じ込めたいと思っている。
卒業式間近の小学生二人。他の人とは違う自分だけの何者かになれると信じているが、それが何かはわからない。ある日、車いすの少女に出会い、卒業式に出席したいという願いをなんとかして叶えたいと思う。

人々の営みというか守るべき目的があってそれを成功させるために、ある種の「仕込み」とか「台本」をつくるのが日常に繋がった「演劇」なのだ、というのが全体のベースの一つ。もう一つは、子供のころの何でもできそうな気持ち(つまり夢)を現実ではなくても実体化させるというのもう一つの「演劇」のありかただという、二つのベースで編み上げられた物語、だと思いました。 夢はあんなに崇高で格好良かったのに、ずるい大人はあんなに嫌いだったのに、それを自分が現実に成し遂げようとすると嫌いだった大人になってしまったということ。絶望といえばそうだけれど、大人になったから(現実の)物語はそれほどシンプルじゃないということもわかってしまったよね、という着地点はほろ苦くて、でも沁み入るよう。

あるいは少々陳腐ではあるけれど「人生は演劇」で、誰かの人生とっては端役かもしれないけれど、誰かにとっては主役だったりということ。その人生という舞台を一人で続けるということがどれだけ辛いことかというのもまた相似形になっているし、あるいは恋に突き動かされて何かをする、というのもすごく舞台に乗っている感じ。

舞台とか演劇にまつわるさまざまな断片を点描していくのはどこかファンタジーの香り。けれど、舞台のかなり大きな部分を占めている親と教師たちの物語の重苦しさは、現実の生活の中にある芝居というスキルの現実的な、しかしたぶん必要な活用のされかた、というリアルとの地続きのつながりを、舞台奥にあるスロープのようになめらかに繋ぐのです。 ねちっこく現実の「台本」を描く中堅教師を描く井上裕朗の濃密な雰囲気が印象的。小学生の子供を演じた百花亜希は確かな目の力を武器にしつつも、パワフルに舞台をきっちり走りきります。もう一人の小学生を演じつつ、教師のシーンでは劣勢の子供の側にたち続けようとする養護教諭を演じた小角まやは終盤の、たった一言で手のひらを返す振り幅を地続きに演じのがちょっとすごい。豹変とういうう意味では善人に見えて被害者である娘の親という立場が見えると強硬に豹変する渡邊りょうも印象に残ります。

あきらかにルンペン(というのも死語か)な身なりのおじさんを演じた中田顕史郎は、町中にあるすごく「演劇」的なことを一人芝居のように作り上げるちから、声が枯れ気味なのはご愛敬だけれど、このシーンの過酷さでもあって。教師たちの間に混じるカウンセラーの役では、何者にも属さない、それはニュートラルなのではないくて、どの位置にも立たない、という優柔不断さをまた高い精度で、自分にちょっとグサっとくる感じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.26

【芝居】「悪魔を汚せ」鵺的

2016.5.20 14:30 [CoRich]

24日まで駅前劇場。110分。初日からそう日の経たないうちに前売りが完売だといいます。

製薬会社の創業家。その父は長く病床に伏せっている。長女は婿を専務に迎え三人の子供。次女も婿を迎え同じ会社だが子供はいない。長男は嫁を迎えるが家族からは家政婦のように扱われている。三女は何かがあったらしく家を出ている。
ある日、庭で猫が殺されるが、犯人はうやむやにされている。長女の三人の子供たちは一番上の娘は心の痛みを感じているが、下の二人は動物を殺すのも、あるいは人間を殺すことにすら痛みを感じない。
長女は血が大事、こどもができているならば家を出た三女でもよい。次女はともかくストレス、長男もまたストレス、自殺してしまう。会社の醜聞を表沙汰にしたくないと、会社の総務部長はクーデターを企て、まともな人間の気持ちを持っていそうな長女の娘、長男の嫁に家を出て行くように伝える。

ともかくほとんどの登場人物たちがひどい人物ばかり、物語にも救いがない中で進みます。 立ちゆかなくなりつつあるとはいえ経済的には恵まれている人々。生活が崩れていく様が間近に迫っていることはうっすらと感じているゆえのイライラか。不満の固まりであることを隠しもしないようになっている最悪の雰囲気だけれど、一番の問題の経済的なことを直視しないことがこういう雰囲気でもあるし、奥の部屋で伏せっている一家の父がこの悪い雰囲気の元凶だということが徐々にあからさまになっていくのです。

壊れてる家族がいろいろな変化、たとえば入り婿が暴力的になったり、実は愛人の子供であったことがわかったり、家をでている次女に娘が居ることがわかったり。いろいろおこりかけるのに、ほとんどは何も変わらないままなのです。それは枝葉は出るけれどほとんどが切り落とされていく感覚。さまざまに足掻く人々と、変化しないことを対比して絶望を紡ぐのです。それを終わりにしようという事件を経てもなお、この家の「関係」が続いていくのだというのもまた、絶望なのです。が、思いのほか、このパワーのある終幕は清々しさすら感じるのです。

福永マリカの狂気に満ちた、 高橋恭子さいごの瞬発力。 祁答院雄貴の、世をはかなんだ感じ。 杉木隆幸の暴力に豹変。 子供たちのはなしなのだ。 この長さいるか? 濃密ではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.25

【芝居】「アンコールの夜(女を読む)」KAKUTA

2016.5.15 13:00 [CoRich]

20周年の企画公演。「男」バージョンと交互に上演。そのあと「猫」バージョンも上演。120分。すみだパークスタジオ倉。

派遣会社で同僚の年上の女はちょっと鋭くて、でも自分には小さな尻尾が生えているのだといっけんおかしなことを云うけれど、ワタシは素直に信じられる。派遣先の男にデートに誘われるが盛り上がらなかった。が、派遣終了の日にまた挨拶される。 「エイコちゃんの尻尾」川上弘美(小学館文庫刊『天頂より少し下って』所収)
遊びに行った配偶者と高校生の息子を帰りの飛行機事故で亡くした。大きな欠落感で張り合いのない日々を暮らしていた。 家賃収入のために残されたアパートの入居者もどんどん減っていて最後の一人となり学生一人になってしまった。ある日、学生が倒れているのを見つけ、その世話をすることで生活に張りができる。母親と呼んでほしいという思いを伝えると。 「生きがい」小池真理子(角川ホラー文庫刊『ゆがんだ闇』所収)
恋愛など唾棄すべきものだという女二人。きっちり収入は得られている二人の女、男に媚びる気はないが、冒険したい気が止められず、無縁な人生送ってきたのに唐突にバンドをしたいと一人がいいだして、バンドはあっという間に人気が出るけれど。 「炎上する君」西 加奈子(1)(KADOKAWA刊『炎上する君』所収)
婚約した女、婚約者と歩いていて、ふと地面を見てヘビをみつける。たしか見覚えがある。そうだ、前世では恋人だったのだ。 「いつか、ずっと昔」江國香織(1)(新潮文庫刊『つめたいよるに』所収)
・夫婦が公園で待ち合わせて遠くの他人たちの会話をアテレコしたりして遊んでる。アシスタントが荷物を届けてくれた。ホントに離婚するんですかと尋ねる。・引っ越しを手伝いにくるアシスタントたち。男女の違いとか離婚するとどうなるかとかを話したりする。その部屋の夫婦は離婚して二人とも部屋を出て行くのだという。・出張に来た妻、昔の恋人に会っている。何かに勝とうとしている、と云われる。・間違って持っていった本は滅多に読まない小説だけれど、面白かった。待ち合わせて離婚届を出しに行く。・離婚は成立した、何で別れたんだっけ。でも、初めてのライブのチケットで盛り上がる。「女を読む。」桑原裕子(オリジナル)

「〜尻尾」はふらふらしてるところもあるけれど、正しいことを云ってくれる女友達は自分には尻尾があるという、というちょっとコミカルな枠組み。優しかった男の人のクルマに一緒にうっかり乗ったりすると、若い女の子が怖い目にあうというアタリマエのことだけれど、そこを救ってくれる女友達はヒーローのよう、その助け方もキスひとつ、というスマートさなのです。

同僚に誘われた映画で意見が合わないと思い、居酒屋での食べ物の分け方に違和感を感じ、というあたり「嫌なんだけど、言い出しづらくて、致し方なく流す」というのは女性というジェンダーによって作られるんだろうなぁと思いつつ、ああそう思わせてることあるんじゃないかと思ったり思わなかったりなのです。

「生きがい」は少々トリッキーな作りの物語。小説なら文字だけで通せる嘘を生身の人間が演じる難しさをリーディングというギリギリ演劇の枠内できっちり作り込むのは演出のちから。 KAKUTAの最近は桑原裕子が作演がほとんどだけれど、リーディング公演がは演出に専念できるというどこか筋トレのような強化ポイントなのだろうなぁと思うのです。

「炎上〜」は爆笑編。強いというよりは、金も知識もあるけれど男受けということにまったく興味がない女。何かの冒険がしてみたい、といいながら別の収入の道をしっかと確保した上で、というのは堅実で、それが逆にコミカルだったりして、なんか女性っぽいなぁと感じるのはまあ思いこみか。

足が炎に包まれ炎上する、というファンタジー要素を入れてはいるけれど、それよりも、このばりばりと冒険を進め、それなのに心は醒めて不感症だという女二人のキャラクターが、後半に至り「炎上する君」を追いかける気持ちが燃え上がり、フラットに人間を見つめる目に恋をする終盤はまるで資生堂のシャンプーのCMのように爽快で楽しい。

それは「ぶさいくな女であるということで云われなき迫害」受けてきたが、「バカで性欲をもてあます」男にはなりたくないという閉塞感の先の開放感なのだと思うのです。

異儀田夏葉と桑原裕子の二人がもう突き抜けてコミカルでパワフルで楽しい。終盤に至りモテというか女を意識してくるりと変身するという瞬間も、なんかすてき。バンドTシャツを衣装として作って、物販で販売するという洒落ッ気もいい。

「いつか〜」は女が過去の男たちを思い出して思いを馳せる気持ち、 ほんのわずかな時間の間にぐるりと人間じゃないものだった前世の恋人に思いを巡らせるのはどこかファンタジーの香りなのです。 一回りして元のところに戻ってくるのは、成長というよりは、もう結婚への強固なレールに乗り始めた女の些細な心の揺れを丁寧に描くのです。

正直にいえば「炎上〜」と「いつか〜」は逆の順序で上演されたと思い込んでいたアタシです。友人たちもこの順序の意味がわからない、という指摘をしたりして。

続きを読む "【芝居】「アンコールの夜(女を読む)」KAKUTA"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.21

【芝居】「翼とクチバシもください」クロムモリブデン

2016.5.14 18:30 [CoRich]

22日まで RED/THEATER。そのあと大阪。久々の劇団員だけの上演という100分。

ドラッグ・アンディに溺れて収容された男は、すでに捕らえられていたアンディの売人の男の脱獄を手助けし、同行して密売のルート摘発を命じられる。二人は仲間とともに影でアンディの密造を行う目薬メーカに目をつけ、侵入して様子を探ることにする。 密売ルート摘発の手助けをするはずだった男が警備員として潜入する。
その施設に入っている男を、女が訪ねてくる。その女の夫を殺したと思い込んで男はアンディに溺れていたのだった。アンディのトリップから抜け出すためにはリキッドという薬が開発されている事を知り、医師の制止を振り切って女はその空間に飛び込んでしまう。二人が知り合ったのは、死んだ夫が妻の監視を男に頼んだことがきっかけだった。

物語の中で扱っているからか、ぐるぐると頭の中をまわり、擬音がやけに協調されたり、あるいはフラットなかつての思い出が想起されたり。そういえば、クロムってちょっと前はこういう感じだったな、ということを久々に思い出す懐かしい感じでもあって。

巻き込まれた男がやけに喜怒哀楽が薄く、フラットな感じ。前半は巻き込まれていく男を中心に描き、アンディという薬、その売人たちの暗躍、密造される会社、その警備員たちの退廃など世界を次々と描き出しながら物語が進みます。お茶を入れ、カップを渡す動作ひとつとっても、口三味線よろしく大げさな擬音をつけてみたりと、視覚聴覚のバランスがおかしくなっている感じはまさにトリップしているよう、というのは後半になって気付くのですが。 確かにこれはかつての惑星ピスタチオでの「パワーマイム」風、なんてことを思ってしまうのはアタシがいい歳だからか。(あるいはアタシが観てないだけで今でもまだあるのか。)

ネタバレかも

続きを読む "【芝居】「翼とクチバシもください」クロムモリブデン"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.20

【芝居】「アンコールの夜(男を読む)」KAKUTA

2016.5.14 13:00 [CoRich]

20周年を迎えたKAKUTA、 正直に云えば、この規模の劇団の公演としては2バージョン組み合わせでは少々公演期間が短くて諦めかけたけれど、後半は増席したようで 千秋楽になんとか入り込みました。130分。すみだパークスタジオ倉(そう)。

空手道場の土曜クラスで男女ともから人気も信頼もあった男が亡くなった。橋から飛び降りて水死したが自殺か事故かはわからず、社長で妻もいたはずなのに葬儀も実家の密葬だけということに納得がいかない道場の男は職場に電話することにする。 「井戸川さんについて」桐野夏生(新潮文庫刊『ジオラマ』所収)
飲み会で同僚を送ったあと、街角で自転車に乗っかっていたダッチワイフに声をかけられた。ワタシを連れて行って、という。 「天使はジェット気流に乗って」いしいしんじ(新潮文庫刊『東京夜話』所収)
息子と公園で遊んでいた父親、ふと子供のころのことを思い出す。夕方一緒に遊んでいた友達が帰宅途中クルマにはねられて死んでしまう。悲しみに暮れ、翌日同じ時刻に公園を訪れると、昨日とおなじように死んだはずの友達が居る。助けたいと考え家に送るが、それは繰り返される。 「昨日公園」朱川湊人(文春文庫刊『都市伝説セピア』所収)(1)
・離婚を決めた男女、家具などの仕訳をしている。女はあっさりしているが男は表面的にはあっさりしているが、あきらめきれない。・ 男は酔っぱらって荒れている。同僚の女性にも絡んだりする。・ いとこの家に同居している。いとこが女と揉めていて諫めるが。公園に来てみたりする。・ 妻が久し振りに訪ねてくる。離婚届を出そうとしている。使うといってきかなかったブレンダーは結局使えなかったが。レシピを見つけた。もう一度教えてあげようと思う。 「男を読む。」桑原裕子(オリジナル)

「アンコール」と云っても、いつものようにわりと覚えて居ないアタシはそれぞれに楽しく。役者の安定感は前提として、作を既存の戯曲からとる制限をつくることで演出のオモシロだったり作り込む感じをもう12年も続けてきたのです。10年前をリバイバルする次週の公演は行けそうにないのが残念無念。なのです。 「井戸川〜」は親しいと思っていた人のそれとは別の顔が見えてくるという枠組み。戸惑う気持ち、知りたいという気持ち、知らなくても良かったことを知ってしまった落胆。が、それはそれとして、その場は続くのだという終幕は清々しく、生きていく、ということにきちんと繋がります。死んだ男を演じた加藤裕は潑剌としたスポーツマンという序盤から、いろいろ情けなかったり、女性に対して強引だったりというダイナミックレンジを演じます。表情も楽しい。最年長の男を演じた鈴木歩己は、なさけない、ひいた感じもいい味わい。勤務先の女性社員を演じた鈴木朝代はちょっと意地悪かったりだけれど、調査のバディ感が素敵で、時々のキメ顔も可愛らしい。受付の女性を演じた阿久澤菜々はもう、実に美しくて見とれるのです。

「天使〜」は、道ばたで人間ではないものに声を掛けられるという序盤は童話かと思うが、それがダッチワイフだという一ひねりからの着想。それは「天使」で、歌舞伎町の呑み屋で差しつ差されつしつつ、一晩を過ごすのです。明け方になって公園で二人で眠るシーンの心安まる気持ちから、野良犬たちに襲われて訪れる突然の別れという、一晩の恋なのです。それはたしかに愛し合った男女の軌跡なのです。 ダッチワイフを演じた四浦麻希は、まさにお人形さんのような美しさと声ゆえの説得力、夢のなかだからこその笑い声の響き方が素敵。

唯一アタシ見たことのある「昨日〜」ですが、まあ覚えて居なくて楽しみました。いわゆる時間旅行ネタの芝居だけれど、繰り返されるループの絶望感、そこから抜け出すという決心は「見捨てる」ということだけれど、決着をつける勇気。なにより、その外側にもうひとつ一工夫するということの物語の面白さが実に良いのです。 男を演じた成清正紀、友人を演じたテンションの高い添野豪、磯部莉菜子も少年がかっこいい。

オリジナルの「男を〜」は、もう一方とゆるやかに繋がる点描。離婚を決めた男女という大枠。男の縋る気持ち、女のさばさばした美しさがそれぞれの場面で短いシーンなのに、きちんと気持ちが乗っているシーンになるのは役者の確かな力。女を演じた高山奈央子はキャリアばりばり、時折みせるほつれ感もいい。男を演じた若狭勝也は優しくてちょっとなよっとした弱っちい感じがまた可愛らしく、というのも変ですが。

続きを読む "【芝居】「アンコールの夜(男を読む)」KAKUTA"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.16

【芝居】「ふたり芝居」ルソルナ

2016.5.6 19:00 [CoRich]

一人の作家による二人芝居を三本で本編70分弱。8日までワニズホール。 ワタシの観た回には終演後にイベントが設定されていましたが「ドレスコード」という名目で販売グッズのTシャツ着用が必須になっていました。

1) テレビドラマ制作会社のオフィス、真っ赤なワンピースとサングラス、大きな帽子で訪れた女は忙しく働いているスタッフの女に、オーディションの結果通知が届いていないという。オーディション通過者にしか連絡してないのだからスタッフは冷たい。10年前にドラマに出演した女は、どうしてもここで出演を勝ち取りたいのだという「どーもー、水島綾乃です!」
2) 引きこもっている女、家族に雇われた家庭教師が部屋にやってくる。引きこもり女を外に1時間連れ出すことができれば、報酬は倍になるのだという。 「突っ込みたい!」
3) 売り出し中のタレント、舞い込んできた仕事は人気番組の雛段席に座って参加する仕事だった。アート担当のマネージャーが同行するが、注目を集めるためには明確なキャラクタを設定して視聴者に覚えて貰うことだという。次の映画のプロモーションのために大物女優が出演するが、きっとその流れならば映画のタイトルに関するトークがあるだろうという結論になる。タレントは「パンダ」から想像して話してみる「僕とパンダとイーノと彼女」

劇場の二人芝居企画の中の一本のようです。今作は全体としては芝居というよりはどこかコントやバラエティっぽい作りを感じさせる構成で演じられます。 「どーもー〜」は同窓会を前に女優と名乗りたいという個人的理由で台詞のある役を勝ち取りたいという熱意。最初はあからさまに上から目線だけれど中盤では卑屈なほどに取り入るようになる落差。終盤は下品であまり気乗りしないような役を渋る女優に前に進めと力づける前向きな話。

「突っ込み〜」は、引きこもりの女のところにやってきたヤンキー風の家庭教師、外に連れ出せばバイト代が倍になるというモチベーション。序盤の雰囲気で、すわあの話(togetter)の繋がりでそれを肯定するような浅い話なのか、あるいはそれを批判するような社会派かとおもえばどちらもでもなく。が、いろんな方法で連れ出そうとするが、探っていくなかで、お笑いという共通項を見つけてどちらが書いても突っ込んでもいけそう、というバディ感がでてくる終盤近くで物語が駆動される感じは見ていて気持ちいいのです。

「僕と〜」は前の二つと比べると一ひねりが効いています。雛段タレント、他の出演者を台本で確認しながら、大女優が不釣り合いなほどの小さな映画に出るという、そのタイトルから連想してバラエティで目立とうというブレストが続きます。自分の別れ話とか、声色で笑わせたり、「二回か三回ヤられて逃げられるのが切ない」などで笑わせたり、ホラー風味などを挟みつつ本筋を悟られないようにかあちこちに枝分かれさせていくのです。終盤に至り、タイトルの理由、その女と出て行った男の話がぴたりと繋がる快感。ちょっとあからさまな感じなのはまあご愛敬なのです。

終演後のイベント、ちゃんと確認していなかったけれど単なる初日乾杯イベントかと思えばグッズ販売を組み合わせるのは巧く考えたなあとおもうけれど、まあ、そこまでは付き合いきれないアタシです。その違和感は他にもあって、PV風味のオープニングの高度さ、コント風にほぼ客席を向いて喋るシーンが多いこと、CoRich登録を劇団がやっていないこと、あるいは事前の情報に作演がないなど、どことなく芝居の出自というよりは映像の雰囲気を感じるのです。全体に軽くて見やすくていい芝居では、もちろんあるのだけれど。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.13

【芝居】「POSHLOST」(モスクワカヌ/劇団劇作家・劇読みvol.6)

2016.5.5 16:00 [CoRich]

劇作家たちによるショーケース的な「劇読み」というイベントの一本。60分。Dプログラム。

上演が始まってから思い出したけれど、アタシ、これ観てました。毎度記憶力がだめだめなアタシです。リーディングというよりは片手に台本を持ち、衣装や段取り、音や字幕までついていて、リーディングの新しい形というよりは、通常の公演を簡略化したものという印象の方が強く残ります。作る側にとってはまったく違うものなのかもしれませんが、これだけ段取りしているということはそれなりに稽古もしていると思うのです。

一番外側にあるのは、ゲーム作家をしている女性の視点。結婚して一年が経ち、幸せだけれどこのままでいいはずがないと考えている女。夫である男はあくまでも優しく。その内側の世界はエログロとかはいいながらも、舞台の上で進むのはごくシンプルな選択肢で進むゲームという印象の方が強くて。

このままの幸せが続くはずがないと考えるのは、自己評価が低いからということになりがちで卑屈だったりおどおどした感じになりそうなものだけれど、今作はそうならないのが物語を勢いあるエンタメにしています。本当のところは自己評価が低いのかもしれないけれど、どこか可愛らしくコミカルに作られた人物造形によるところは大きそうです。演じた木村佐都美は間違いなくそれに貢献していて、テンポや間の良さの確かさは圧倒的な安心感があるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.12

【芝居】「青森に落ちてきた男」渡辺源四郎商店

2016.5.4 19:30 [CoRich]

8日までスズナリ。100分。そのあと青森駅にほど近い稽古場で一週間の公演が予定されています。

山の上で暮らす人々。かつては牛が居てのどかな村だった場所。戦争が始まり敗戦が濃厚になりつつある。獣医の義父と暮らす姉と知恵遅れの妹が暮らしている。夫は徴兵されていていない。夫に限らず若い男は徴兵されて残っているのは老人や女たちばかりになっている。
市街地は焼夷弾で焼き尽くされる空襲を受けているが、ここまでは来ないと思っていたが、爆撃機の一つが向かってきて山に墜落する。その搭乗員の敵兵の一人が捕らえられる。国際法では捕虜は守られるべきだが、無差別の空爆をするのだから元軍人はすぐに殺そうと主張するが、獣医の義父は命を助けようと離れた病院に連絡をする。
太平洋戦争時、防空法により強制的に疎開から呼び戻されて多くの市民が犠牲になった青森空襲をみていた村落をモデルにしながら、今作の物語そのものは明確な時代を示さず、着ているモノも現在の衣料だったり、あるいは敵兵は鬼ヶ島に住む角のある鬼だったりと、フィクションとして語られます。 市街地は壊滅的な打撃を受けているけれど、この場所は女子供と老人ばかりになった村落はどこかのどかな雰囲気すら感じさせます。

が、表面とは裏腹に、こののどかに見える人々の心の中に芽生える邪な心を描くことが物語の中心になっているのです。確かに鬼の恰好をした敵兵は目に見える形でそこにいるけれど、思考停止して敵兵を無条件に殺してもいいと思ったり、言いつけられない知恵遅れの女を襲って慰み者にしてもいいと考えたり、あるいは同胞を殺されて心底にくいと考える心すらも、人を貶め傷つけ殺してもいいと考えるそれぞれの心の中に芽生えているものが鬼そのものなのだ、ということが見えるのです。さらには人体実験だったり捕虜の扱いだったりと、あの戦争で日本人が行ったことかもしれず、あるいはこれからだって状況によっちゃワタシ自身だってやりかねないことが濃密に詰め込まれた物語の濃さ。

過去のことだけに留まらず、現在のワタシ達に直接繋がるような課題の設定をうまく巻き込んでいるのも物語を濃密にしていきます。 フリーハンドで権力に強い力を与える防空法に似た法律を災害対策の名目で作ろうと思う政治家がいまこの時点でまだ居ることだったり。終幕近く時代が流れた後の戦争ではまったく別の形の兵器で、それは白ずくめの服を着なければいけない状況なのだということは作家の強い危機感と憤りがこもった部隊になっている、と思うのです。

主役の女を演じた三上晴佳は、等身大の女性の内面に鬱積した想いが表出するシーンの迫力がすごい。ほぼ出ずっぱりですが、テンションもきっちりと。獣医を演じた長谷川等は久々に拝見する気がしますが、どこか飄々としながらも一本スジが通っていて実にカッコイイ。妹を演じた夏井澪菜は衣装もぱっと見やけに肉感的なのだけれど、知的障害からくるあどけない舌足らずな言葉と一歩間違えば陳腐でステロタイプになりかねない役をきちんと踏ん張って描くのです。村に戻ってきている若い男を演じた工藤良平はコミカルに喋り、いい人っぽい雰囲気なのに考えてることは実に酷い、というヒールをきっちりと。

鬼との戦い。鬼ヶ島。 青森の市街地は焼夷弾が大量に落とされる空襲を受ける。 山あいの村。飛行機が墜落し、鬼が一人助かる。 発達障害の25歳の妹。出征している夫。夫と妹ややってる 軍人のジジイ、獣医のジジイ、飄々とかっこいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.09

【芝居】「あっこのはなし」マームとジプシー

2016.5.4 17:00 [CoRich]

新宿駅新南口上にオープンした新しい商業施設の中にあるホールLUMINE 0のオープニングイベントとして過去作品3作を再演するシリーズ。2012年にtoi向けに書き下ろされ、2014年に横浜で上演された今作、アタシは初見です。元々の上演とは随分書き換えているようです 100分。4日まで。

シェアハウスする女3人。 あっこは、東京の大学に進学したが地元に戻ってきた。男とつきあったことがない彼女と一緒に三人は街コンに参加しようということになる。告白を煽るイノだが、彼女自身、居合わせた年上の妻子持ちの男面倒くさいと思いながら付き合う。フミは酒に強くて。

30歳ぐらいの女たち、山登り、街コン、中華料理屋の女子会、服を買いに行くとか岩盤浴とか、仕事は面倒だと思っていても友達とのシェアハウスも含め楽しい日々を送る楽しい日々、 男と付き合ったことなかったり、あんまり人気のない口べたな男になんとなく付き合う気持ちだったり、見も知らない男からブス認定されたり、あるいは不倫だったりとやや面倒くさい恋とか男とかにちょっと乱れる気持ち。

そこにやけに生々しい女性の身体にまつわるいくつかのとことを紛れ込ませます。卵管が捻れる話とか、VIOライン(なんて言葉初めて知ったけど)とか、自分の性器に向き合う話とか。あるいは性的なことじゃなくても、子育てに男性が居るというイメージが湧かないという話だったりとか。潑剌と楽しいばかりじゃいられない、しかしまだまだ人生の先にいろんなことがありそうな、という30歳という「とき」を切り取っていろいろに混ぜ合わせて、しかも全体にはコミカルな雰囲気を纏って見られるのは、アタシには楽しい。

手法のためにいろいろやっている、とどうしても感じてしまうのはアタシがこの作演であんまり得意じゃ無いところで、どうしてもアタシの中では優先順位は低めになってしまう劇団です。今作においてもその苦手なところはやっぱりあって、場面をスライスして繰り返すことだったり、「あっこの、話」の区切りを変えて「あっ、この話」「あっこの鼻血」とかやってみせるのをさらにスライドでみせる意識的なダサさだったり、役者が役者を持ちあげて移動する感じだったり、どうしても苦手意識が先立つアタシです。

それでも、ココを見ようと思ったのはアタシの友人のススメで、それは「休むに似たり」が好きならぜひ、といわれたらそりゃ見ましょうという気持ちに。30代ぐらいの女性のあれこれをコミカル多めで見られた今作は、ワタシには口当たりがよくて楽しくみられたというのも事実だけれど、だからこそ、手法のための手法に見えてしまうあれこれがどうしてもノイズに感じられてしまうアタシなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.06

【芝居】「ラット13」キコ qui-co.

2016.5.2 19:00 [CoRich]

130分。3日までザムザ阿佐ヶ谷。

集合住宅に住む人々の二つの棟。どちらも花見をしている。片方は死刑囚の人々、全ての生活は外の人々にモニターされていて、一人でも望めば死刑が執行される生活を送っている。もう一つの棟は、その死刑囚たちを写し取ったようなネズミたちが、互いを人間と認識するようにされて飼われている。同じ人格が罪を犯さなかったかもしれない。

人間とネズミの交錯する記憶。記憶を移植するという人体実験、死刑囚が冒した罪が徐々に暴かれ、その中で恋をしたりもするが、記憶を操作された状態の恋というココロは自分のものなのか、あるいは上書きされた記憶というか人格によるものなのかが曖昧になっていて。全体としてはややフラットな雰囲気で進む物語。

客席の気温がかなり高かったのと、出演する人数が多かったのもあって、フラットに進む物語を130分というのは少々長く感じたアタシです。もしかしたら何か大切なことを見逃しているかもしれません。 二組のコミュニティが映し鏡だという前提を、当日パンフを事前に眺めてみていればまたもうちょっと違う感じだったのかもしれないけれど、二つのコミュニティがほとんど交わらないので、その対比があるという以上の効果はなかなか厳しい気がします。コミュニティを繋ぐ看守のような役割を担う二人(山田奈々子、 川上憲心)のやり取りはコミカルでもあって、みやすくて好きなシーンが多かったように感じます。 事前の宣伝にしても、当日パンフにしても、ストーリーとして描かれているのは集合住宅の説明や半共同生活といったこと、ネットやテレビがあることなどの生活の中でハツカネズミが見つかることで解れるこの生活の謎、というような体裁で書かれているけれど、これは果たしてどういう意図なのだろうと思うのです死刑囚を自覚している4号棟の人々の視線でないでしょうから、ネズミである13号棟の人々の視点だろうと思うのだけれど、もちろん意図的とは思うけれど、これだけだと少々ミスリードな説明かなと思ったりもするのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「MY SWEET BOOTLEG」MU

2016.5.2 13:00 [CoRich]

MUの今までの公演のフライヤーやポスターなどのアーカイブを展示する無料展示に組み合わせて短編を上演する企画。2プログラムで3編を上演するうちのBプログラムは2012年初演 作。当日券で千秋楽に潜り込んだ80分。 例によって公演の記憶がすっかりないアタシです。その中でも、わりと部分部分が蘇る一本なのです。最初から狂ってるというよりは、作家と二次創作というそれぞれの正義の中での衝突。とりわけ原作が絞り出した物語世界を「欲望のままに」蹂躙されることの恐怖だったり、それによりファンが増えるということだったり、ファンが可視化されるということだったり。時代の変化という意味ではTPPの今だからより強く感じると云うこともあるかも知れません。

原作が強固な世界を持っている間は揺るがなくても、そこに迷いが生じたり弱ったりするとあっという間に崩れてしまうこと。これ、何もクリエイティブだけじゃなくてある種の親方日の丸とか、大企業に寄りかかるだったりという過去の感覚と、ちかごろのそれぞれの弱り方みたいなものにも繋がるように思ってしまうアタシなのです。それは2012年の初演の時よりもより強く感じるのです。

ヲタバイトを演じた蒻崎今日子は、普段のクールビューティもしくはある種の歌舞伎町っぽさが多い普段の役からは珍しい感じのいわゆるオタク役がやけに楽しいアタシです。可愛いパンギャル妹を演じた小崎愛美理は惑わせる魅力、ヲタ姉を演じたモリサキミキのやり過ぎ感、店長を演じた成川知也は一歩引いた感じに説得力。初演から引き続き同じ役を演じた古屋敷悠はどんどん狂っていく主人公が物語世界をきっちりと。新たに追加された腐男子役はBLが好きだけどゲイでは無いという新しいアンカーを打ち込むことで物語の奥行きというかぐちゃぐちゃさ加減が増していて面白い。演じた太田守信はそのどっちつかずな雰囲気は確かによく似合う。

続きを読む "【芝居】「MY SWEET BOOTLEG」MU"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「忍者、女子高生(仮)」根本宗子

2016.5.1 18:30 [CoRich]

58歳になる女、夫とは離婚し、三人の息子は結婚していて、長男夫婦同居している。次男はデザイナーの妻とともに海外に住んでいるが二ヶ月に一度帰国する。三男は兄弟のなかで唯一女児をもうけていて、妻はもう一人身ごもっていて、女児らしいといわれている。
もう一人同居している末っ子の女子高生の若い担任は母親に結婚を申し込み、女子高生は全力で阻止しようとするが、結婚に至る。
三人の息子たちは母親のことが常に一番で、母親の言うことだから従うが新しい夫のことも実は気に入らない。母親は息子たちを溺愛しているが、末っ子の娘には厳しい。それどころか、嫁も孫も自分以外の女を嫌っている。

がっつりマザコン息子3人と冷ややかに見つめる娘。息子と結婚して苦労し理不尽な目に遭う嫁たちの物語。物語のすべての元凶である母親は息子がというよりは男が好きで、再婚相手にも若い男を選んだりという濃いキャラクタを設定するのだけれど、この母親役を三人の息子を演じた俳優が交代で演じるというひと工夫が効いています。母と息子という血のつながりが、みんなに少しずつ似ているだろうという関係を描くことにもなっていて巧い。

さまざまな工夫は他にも盛りだくさんで、観ていて飽きません。忍者・女子高生を体現するように床が開き壁が回りという忍者屋敷のような仕掛けはタイトルを引っ張るようで少々強引な気がしますが、舞台を観ている時に驚きがあるのは客席では楽しい体験なのです。

単ににぎやかで楽しいことばかりではありません。(息子役たちが演じる)母親に理不尽なイジメに遭う嫁たちのそれぞれは、いろいろな女性の生き方にもフックするように作られています。子供ができるできない、子供ができたとしてもそれが男か女か、家政婦のようにこき使われること、仕事で成功しているのに嫁としての奉仕というか立場を強制されること。ワタシは未婚だし女性でもないけれど、いわゆる嫁姑問題をさまざまな切り口で見せるのも見事なのです。

途中に挟まれるのは、母親と教師が出会った日の過程訪問の時のこと。回想シーンなのだけれど、現在の話かと思わせてするりと回想に持ち込むのもうまいし、必要な情報を提示したら「夢だ夢だ」とあっさり切り上げるのも巧い。

ネタバレ

続きを読む "【芝居】「忍者、女子高生(仮)」根本宗子"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ネビュラプロジェクト

2016.4.30 17:00 [CoRich]

2011年から雑誌連載され、2012年に単行本として出版された東野圭吾原作の物語を 2013年にキャラメルボックスで初演。多くの客演を迎えてネビュラプロジェクトでのプロデュース公演としての上演。 5月1日までZeppブルーシアター六本木のあと、大阪ではBRAVA!の閉館公演になっています。135分。

泥棒のあと閉店した店に隠れた若者たちが出会った不思議な現象。さらりとはいってくるSF風味に拒絶感がなければ、それぞれの時代の年を表示したり(ちょっと映される場所が高すぎて気づくのに遅れたアタシですが)、全体にわかりやすい印象です。

金持ちの娘と工員の許されなかった恋、その想いが時空を越えるという奇跡を。このいちばん外側の物語 、初演時にあったか記憶が相変わらず曖昧なアタシですが、この部分はファンタジーとしての説得力を補強するのです。

OLからホステス、キャリアウーマンまでを演じ分けた岡内美喜子が素朴さ、まじめさの中のコミカルが嬉しいし、物語のリズムをつくります。歌手となった女を演じた菊地美香はなんか可愛らしいひとだなぁと思っていたら中盤での歌声にびっくりするのです。これは確かに客演を迎える公演での明確なメリットなのです。

正直に云えば、このブルーシアターはもう無くなってしまった青山劇場(円形じゃないほうの)にちょっと似ている天井が高くてそのわりに傾斜がゆるくてという広い空間で、ミュージカルなら気にならないけれどストレートプレイにはちょっと難しい劇場です。最後方から観たわけではないけれど、この劇場で不満なく芝居を成立させる役者の安定感は確かです。もっともこの劇場の一番の問題は元々仮設なので、それぞれの駅からの動線がやけに遠いところであの喫煙所の先にある非常用っぽいあの階段から上がれればなあ、と、この前この劇場で観たときから思うアタシです。ええ、それは芝居自体とはまったく関係ないのですが。

続きを読む "【芝居】「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ネビュラプロジェクト"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.04

【芝居】「黒い二、三十人の女」Ne`yanka

2016.4.24 19:00 [CoRich]

25日までThe 8th Gallery @CLASKA。115分。

その国の大公はまわりに愛人たちを侍らせているというが、侍従長にはそれが見えない。国境近くでは隣国が脅威になりつつあるが、大公は侍従長の進言を受け入れず、補給が十分でなかった軍は国境近くの村を襲う。大公はまた身の回りの世話をさせるためのロボットを博士に作らせている。
国境近くの村で尊敬を集めていた賢者は娘を探すため都へ行く。その男を守るために、村の男の一人が家族に見送られ従者としてついていく。二人は都で捕らえられ、賢者はうまく切り抜けるが従者は見捨てられる。
賢者は大公に謁見を申込み、果たしてそれは叶う。

ホテルの8階にあるギャラリースペースにコの字型に客席を配置。プロジェクターで背景のいくつかと字幕、壁際を含めいくつかの照明を仕込んで。

国民のためといいながら、国防に回す金を惜しむ大公、実態がわかっていて様々な進言をするが受け入れられない不満が鬱積する補佐官。大公が同じ部屋に居るという二、三十人の女たちが彼には見えない。あるいは、ロボットに対して会話をする自分がそうでないと思っているロボット。村から尊敬を集める賢者が首都に赴く理由は娘を探すためなのかどうか、従者を裏切ったのはなぜか、 スープに入っていた髪の毛は。 なぜ補佐官は賢者に謁見を許したのか。 人間の裏と表、どれがほんとうか嘘か、頭の中がぐるぐるする感じはどのシーンもスリリングで、刺激的です。これだけ詰め込むとスリルがインフレを起こして単調になりかねないところ、たとえば村の家のシーンの家族の話であったり、牢獄から出られるための  ウルトラクイズ風の場面であったりと笑いのシーンも数多く、しかもわりときっちり高いテンションで作り込んだおかげでリズムができて見やすいのは演出の力。

役者陣も魅力的。 若い女を演じた福永理未はほんとうに美しく、しかしヒトとロボットの境界を行き来するような絶妙さが魅力。博士を演じた山森信太郎は卑屈さと自信とが同居する人物を厚みを持って創り出しています。補佐官を演じた吉永輪太郎は、観客に近い視点で物語を運び続けるのに冷酷であり続け、しかしその理由が明らかになる終盤がいいのです。演出を兼ねる両角葉、子供を育て家事をする妻という役が似合う歳になったなぁ、と観続けているアタシは感慨無量になるのです。その義母を演じた鈴木燦はアタシの観た回はかなりヨレヨレな台詞まわしなのはご愛敬だけれど、老いた女に見えるのはたいしたもの。

このスリリングな感じ、もっと他にも似てる物語がある気はするけれど、アタシが思い出したのは映画「スティング」でした。久しぶりに借りてこようかしら。

続きを読む "【芝居】「黒い二、三十人の女」Ne`yanka"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.05.01

【芝居】「Gliese」ピヨピヨレボリューション

2016.4.24 15:00 [CoRich]

ワタシは初見の劇団。蒲田駅からちょっと離れた劇場にきっちりセットを建て込んで一ヶ月のロングラン公演。ミュージカル仕立ての80分に10分の休憩を挟んで30分のイベントをで構成されています。アタシの観た24日昼は主宰が事務所の先輩というお笑いのキャイーン(!)をゲストに迎えて。

街角のポートレイトを撮られるも雑誌には載らなかった少女。載りたいという強い想いで読者モデルのオーディションに応募し、合格する。その雑誌は完璧な美を是とする編集長のもと、美しいカリスマモデルを擁している。初めての撮影で乗ったロケバスは遙か彼方の惑星へと向かう。編集長が所有するその星は編集長の理想がそのまま具現化する専用のスタジオになっていた。
一年が経ち読者モデルは手が届きそうな親しみやすさで読者にもスタッフにも人気を博す反面、カリスマだったモデルは美しいが表情が冷たいと人気が落ちてくる。編集長はそれでも娘であるカリスマモデルを推して雑誌をそのまま維持しようとするが、当のカリスマモデル自身も、この生活に嫌気がさしているという

短い時間に物語をわりと詰め込んでめまぐるしい物語。ミュージカル仕立てではあるけれど、シーンの切り替わりや楽曲そのものを適度な短さと量に抑えることで、ミュージカルがイマイチ苦手なアタシですが、楽しく。 劇団が謳う「ライブstyle演劇」は、 ミュージカルとも現代的な演劇ともちょっと違う味わい。 楽曲こそ確かにイマっぽい感じだけれど、全体の雰囲気はセットの印象もあってか、 どちらかというとバラエティーショーの中の一本という味わい。モノは全く違うのだけれど、ドリフターズや吉本新喜劇に新しめの音楽を混ぜて、前向きかつSFテイストにジュブナイルな物語を描いたという印象、と書いてしまうと何のことかサッパリ判らないけれど、確かに敷居は低くて、(演劇もコンサートも含めた)ライブを観て体感した、という実感は確かに得られるように思います。

ロングランは功罪あると思います。アタシの観た週末昼は満員でしたが、平日の動員はきっと厳しかったんじゃないかとも思います。が、芝居を観て評判を聞いて、あるいはリピーターが友人を連れて(しかもその時点で前売り完売じゃないことも必要で)、というサイクルを成立させるには一ヶ月ほどの期間はやっぱり必要な気もするのです。千秋楽に感想が間に合わなかったアタシがいっても説得力ゼロですが。 コントと芝居の中間のような仕上がりは芝居を見慣れない広い客層にこそ気軽にリーチするよう。しかも、歌も踊りも、物語も役者もわりときっちり作り込んであって(あるいはほぼ一ヶ月を経ての成長か)、わくわくと楽しくなるのです。

主人公、妄想癖の女子があれよあれよと読者モデルになってカリスマになっていくという成長の物語はシンプルで判りやすい。漲るようなパワーで走りきった東理紗は、可愛らしく、時にコミカルできっちりと背負っていると思うのです。その母親を演じた那珂村たかこは、実は初めて拝見するけれど、ある種のヒールをきっちりと締めていて印象的。編集を演じた原田康正は、翻弄される中間管理職の悲哀をベースにしつつ、見極めるべきところの筋は通すという説得力がいい味わい。

カリスマモデルの裏と表の顔を別々の役者に演じさせるというのは演出上の一つの工夫で、親しみやすさと絵に描いたような美人という楽しさ。もっともブスといわれている親しみやすさ側を演じた山崎未来がそうブスでもないのはご愛敬。表になるカリスマモデルパートを演じた真嶋一歌は雰囲気をかっちり。38mmなぐりーず卒業生と現役メンバーを裏表というのが嬉しいのは、まあアングルの楽しさ。

正直、この物語に対して必要な役よりは少々多くつくられていることは否めないけれど、ミュージカルというフォーマットを迫力を持って進めるためには必要な人数という気もします。要らないシーン、というのがあまりないというのはいいな、と思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【芝居】「ジレンマが嗤う」神奈川県演劇連盟プロデュース

2016.4.23 18:00 [CoRich]

神奈川県演劇連盟と神奈川芸術劇場のがタックを組む公演の6回目。ワタシは初見です。 4月24日までKAAT・大スタジオ。130分。

かつて連んでいた男二人と女。それからしばらく。一人はヤクザの息子だがその道を嫌い便利屋を営んでいる。一人は勝ち続けることが一番とヤクザの一員となっている。その町には二つの暴力団が居るが、会長・組長たちの間での取り交わしで表面上は平穏だった。

ある日、ヤクザの一人が相手のシマで覚醒剤の取引を見つかり、火種となるが、それを仕掛けたのは外からやってきた女だった。便利屋の男のもとにかつての仲間だった女がやってきて人探しを依頼する。それはその火種を仕掛けた女だった。

四人の男女を核に、 二つの暴力団の抗争、刑事たち、暴力団と繋がるクラブを舞台にして人々を描きます。基本的には裏社会に生きる人々、メインとなる四人は、前日譚としてかつては暴力団に酷い目に遭っていて、憎しみを持ち続けているものもいれば、取り込まれてその中で頭角を現すようになるものもいるという立場で描かれます。

物語が進むにつれて、あの人物とこの人物が、という見えなかった繋がりが出てきたりする反面、メインの四人も含め(刑事たちを除けば)みな裏社会の中でしか生きていないことが明らかになるのです。 結局のところ、みな同じ穴の狢に過ぎないと言うこと自体が悪いわけではないけれど、その外側の視点を失ってしまった物語は、人々は次々と死んでいくのに、どのアングル(人間関係)も、恨みか抗争かメンツかぐらいの違いでそう大きな違いに見えなくなって、序盤にあったように見えたある種のダイナミックレンジが失われてしまうのです。あるいはその中の人々だけで描くとするならば、序盤で云っていたこととの矛盾から生まれるはずの大きな葛藤が見えなかったり、せめてそこから抜け出ようということすらもしないのです。物語が人々、せめて一人でも何かの変化なり葛藤なりをそれなりの大きさで描かないとこの人数の座組の物語は厳しい気がしてなりません。

あるいは、人々の恋心でもいいかもしれません。暴力団を憎み続けていた男女が唐突に恋に落ちた、あるいはかつての恋人に再燃する恋心、暴力団に囲われた女たちの中にある気持ち。それぞれに萌芽が見え隠れする気もするけれど、わりとそれはそのまま置き去りな印象。

大勢力の暴力団傘下の組長を演じた小坂竜士は中盤あたりから、任侠ゆえの葛藤が垣間見える確かな力なのだけれど、この葛藤は今作全体からみればわりと小さなパーツの一つにすぎなくて、ちょっともったいなくて、彼の物語こそ観たかったりします。暴力団を憎み続けていた男を演じた藤代太一は、軽さに味があってきっちりと物語を運びます。物語のテンションを要所要所で創り出していたのは、ニューハーフだかおかまだか、という謎の人物を演じるβで、圧倒的に見やすさに貢献しています。

神奈川に住んでいて芝居好きなアタシですが、神奈川演劇連盟を銘打ったこの公演がどういうバックグランドに成り立っているのか今ひとつわからないアタシです。確かに劇場も、あるいは作演も、役者の何人かはここの生まれだったり活躍のフィールドなのだろうけれど、どこか、いわゆる「事務所の」演劇公演のような雰囲気でその土地に根ざした何かは何だろう、と考えるアタシなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年4月 | トップページ | 2016年6月 »