【芝居】「隣の芝生の気も知らないで」カミグセ
2016.4.2 14:00 [CoRich]
太宰治の「女生徒」(青空文庫)を原案にとった物語。85分。4日まで王子小劇場。
朝起きて、着替えて、遅刻しそうになったり、授業を受けたり、弁当を食べて。仲良しが居たり、傷つけられたり、部活動に悩んだり、同級生が綺麗だなと思ったり。
芝居を観た後でネットを探して、あわててざっと原作を読んだアタシです。時代を考えればびっくりするほどに少女の瑞々しい語り口に驚くのです。それは一人の少女、どちらかというと大人になっていく戸惑いと、同時に周りの大人たちを汚いと思ったり、すてきだと思ったりのさまざまを一人称で描いているのです。
今作は、朝の風景の描写などにているところはあるけれど、いろんな少女たちの風景や内面をつまみ食いするような感じで、ずっと群像劇の雰囲気が強くなっていて、現代に焼き直したというよりは、「女学生」の語り口を借りて、(ひとりの少女ではなく)、少女たちの生きる今の空気を描き出そうとしているように思えるのです。そういう意味では現在ではない、時代の変わった観客にはどう受け取られるのだろう、と思ったりもするのです。
もう一つ大きな変化は、女学生たちのうちの一人を見守る大人の女性のような人物の存在なのです。朝けだるく起きてスマホを眺める彼女は、女学生たちの枠組みの外側に存在していて、少女たちが暮らし生きるこの世界の中に見え隠れしながらも、彼女たちと交わるわけではなくて、ずっと見守り続けている雰囲気。この物語が作家かつての経験なのか、あるいは今の少女たちを見た作家が描き出したことなのかはわからないけれど、どちらにせよ、今の作家からは少し距離のある、おそらくはまぶしく見えているあの短い時間を見ている人物で、作家自身がそこに映し出されて居るように感じるアタシなのです。
メガネの少女、美術部で楽しいと思ってるけれど突然ブスといわれたりする悲しさ、その仲良し、ちょっとズレた感じはあるけれど、ワタシの味方で居てくれる人、粘土で怒り心頭のシーンがちょっといい。 バレー部の少女、遅刻しそうで走る疾走感のさわやかさもあるけれど、美術部の二人に対峙するときのヒール感はスクールカーストにはまる感じの残酷さ、でも補欠で本当に自分はこれでいいのかという感覚のふれ幅。地味めに見えるけれど、すごく歌がうまいという少女も、ありそうな感じの驚き。
これらの役者、誰がどの役、ということを明確にしないというのは物語からも演出からも要請されるつくりではありますが、どの役がどの役者によるものか、ということは知りたくなってしまうオヤジです。
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