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2016.04.28

【芝居】「北限の猿」無隣館

2016.4.17 18:00 [CoRich]

92年初演。ワタシは96年2005年, 2010年 を観ています。

年代を経て、スマホはオープニングにちょっと登場したりはしますが、学生もだれもPCをもってないというのがイマドキとは違う雰囲気なのは変わりません。現代的に替える必要がないぐらいに、猿から進化した人々の話、なのだと思うのです。そう思えば、最初にちょっと出てくるスマホは「2001年宇宙の旅(wikipedia)」の猿が放り投げた骨か、というのは考えすぎか。

静かな中にたぎる気持ち、ちゃらちゃらしてる人、などいろいろな人々が交錯する場所という「カガクするココロ」と共通の場所で、時間が経ってもそう変わらないという人間というものを描く物語の根幹は変わりません。

人々がボノボやどこかの民族の話としてする妊娠と中絶(間引き)の話を、当事者である妊娠した学生が 静かに観察するような視点。そこには必ず相手の男がいてというのは今さらながら気付くアタシです。

終盤で同級の四年生の女が薄笑いを浮かべたのは何だろう。 OBを演じた尾崎宇内は軽さもあって確かな力。 しかし、とぼける感じといい、どこもかしこも、平田オリザ節。良くも悪くもではあるけれど、この手法がきちんと伝承されていくのは役者を教育する、という明確な意思を感じますし、それは意味があると思うのです。正直にいえば、役者は玉石混合ですが、それはまあ、これからどうしていくかというそれぞれの役者の生き方なので。

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2016.04.26

【芝居】「10歳が僕たちを見ている」第27班

2016.4.17 14:00 [CoRich]

115分。24日までアトリエヘリコプター。

刑務所から出てきたばかりの男によって、ずっと疎遠だったのに、15年ぶりにあった小学生の時の同級生たち。フリーター、メジャーデビューしたミュージシャン、エンジニア、就職しそこない大学院に残る学生らは、もう地元を出てきてしまっている。が、刑務所帰りの男に半ば脅されるように、 子供の頃に山で遊んだ秘密基地に埋めたタイムカプセルを探しに行くことになる。
フリーターと同棲している女、地元で喫茶店を開いた女、結婚して子供のいる女たちもまた同級生だった。

大人になれない男たち。刑務所帰りはもちろんのこと、フリーターは女に食わせて貰っている状態だし、学生は就職できていないし、エンジニアは鬱病から回復したばかり、一番成功しているように見えるミュージシャンですらもう自分の曲ではないし、内心はかなり不満もある、という何者にもなれていない感。 子供の頃の何者にでもなれそうな万能感、それに比べてまだくすぶっていいる自分への不満。とはいえ、まだまだこれからの若者ですから、この物語の中では何も解決してなくても、不思議と前向きな後味になるのは作家も役者も若いからなのかどうなんだろう。

女たちの方は会社員や喫茶店店主、あるいは主婦といった具合に、ずっと地に足が着いた感じではありますが、それでも男がだめんずだったり、ちょっと人に言いづらい恋人だったりと順風満帆とは違う感じではあります。 今作においては物語の中心は男たちだけれど、女性の会話に冴える作家、女性が脇に廻る今作においてもその会話のキレの良さが伝わります。クルマで山菜を取りに行く女を送る途中の恋愛とか結婚の話もいいし、この会話の中で過不足なくこの地元が山を削って新駅を作る開発の途上にあるぐらいの場所、ということを示したり、あるいはハンドルの左右を間違えて一気に笑わせたり、微妙な底意地の悪さみたいなものも見え隠れして絶妙なのです。 女性の会話ではないけれど、喫茶店の店主とそのかつての恋人であるミュージシャンの会話がとてもいいのです。かつての夢をかなえたかのように見えた二人だけれど、すでにそれぞれの恋人がいて、しかもミュージシャンは自分の思う音楽からは離れはじめているし、店主は店こそ持てているが、それは「金持ちに飼われている」からだという二人の場面がとてもほろ苦くて好きなのです。

見せ方の巧さは、たとえば冒頭の男女の喧嘩をボクシングに見立て、次のシーンの飲食店の呼び出しのベルをうまく重ねて何ラウンドかの戦いをしているようにみせる、なんていう工夫も目をひくのです。

刑務所帰りの男を演じた藤木陽一は、全体に草食っぽい男性陣の中において、高いテンションを維持しつつけて特に前半の物語を少々強引なほどに強く牽引する力が魅力的。喫茶店店主を演じた岩崎緑は少し影のあるクールビューティーが素敵。主婦を演じた板橋優里は飄々とした軽やかさで時に底意地悪く、時に鋭く突っ込むキレの良さが印象に残ります。

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2016.04.24

【芝居】「 み ち 」miel

2016.4.16 19:30 [CoRich]

過去公演のテキストを組み合わせながら、ヨガスタジオというごく小さな場所で四人のミニマムな構成でダンスというか身体表現で見せていく60分。床に貼ったテープの上で綱渡りよろしくバランスしてみたり、片足に犬のようなコードをつけて拘束してみたりと、カラダの動きを何かで制約してみせるものが多くて。正直、やはりダンスや身体表現は見方が判らないアタシですが、テキストを気楽な気持ちで楽しみます。

ダンスを二つ「opening」「Yoko」
紫の滲む夜に」(上野友之)
Favorite Street2 」(糸井幸之介)
透き通り、2016」(改訂版)(瀬戸山美咲)
男二人で「Tate」
まねる」(吉田小夏)
「Ending」

並べてみてみると「favorite Street2」が好きなアタシです。暫く訪れていなかった町の通りを訪れて、時間の流れを感じることを描くのだけれど、さまざまな立場の人々ゆえに視点がくるくる変わる感覚が楽しいのです。 失踪した女が突然見つかる「透き通り、」は、調査していた男が座った中央からワイヤーで拘束された女がぐるぐると男の周りを回りながらのテキスト。ずっと隠れていても、どこか拘束され続けていた気持ちの方を強く描くように改訂されたという印象だけれどどうだろう。少々トリッキーな演出だけれど、この小さな空間ゆえだから成立するという感じもします。

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【芝居】「全員彼女」競泳水着

2016.4.16 17:00 [CoRich]

2012年、作家の上野友之の別ユニットで初演された作品を劇団で上演。性別を入れ替えた新バージョンと交互上演。 ライターの男、会社勤めの女は、ある飲み会で知り合いになり、同棲するようになる。忙しい女の気持ちが高ぶり、女は4人に分裂してしまう。それぞれの日々だが、満たされない気持ちは残る。

ベースの物語は一緒ながら、分裂する人数が変わっていたり、細かなところを変えているようですが、例によって初演の記憶が曖昧なアタシです。

あまりにも想いの強すぎる女とはいいながら、仕事、サブカル、料理、ピュアというそれぞれのしたいことができる四倍の時間。 一人の人格の中に複数あるパーソナリティ、それを実体化してみせることで、プリズムのようにいろいろな横顔をみせていきます。

最初は一人の女が男と出会い、デートを経て同棲に至って四人になるという流れで見せて、もう一度同じシーンを早送りでなぞります。そのとき女の側は内面に居る四人という感じで、内心のつっこみであるとか、言えなかった気持ちだとかを描く反面、男の側にも隠隠されていたつきあっているというよりはカラダの関係を思わせる女の存在。前半で意味ありげに時々現れますからそう驚きがあるわけではないのだけれど、後輩の女の存在も含めて、「彼女たち」よりも、この周りにいる女たちの不穏な存在のほうがワタシには面白かったりするのです。 なんせタイトルが「全員彼女」ですから、この二人だってもしかしたらそうじゃないか、と考えてしまうアタシです。それをにおわせながらも、明確に描く感じではないので、妄想をひたすら膨らませるだけなのですが。

初演では誰がどの役なのかわからなかった、という不満は、今作においては同一人物もキャラクタ分けされた配役表のおかげですっきり。助かります。

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2016.04.21

【芝居】「ガムガムファイター」きらら

2016.4.16 14:00 [CoRich]

佐藤佐吉賞2015の最優秀脚本賞を受賞した熊本の劇団の東京公演。上京して公演の準備中に地震が発生。 アタシの拝見した土曜昼の回は満員で、開演前の挨拶で客席から拍手が起こるという中での上演。17日まで王子スタジオ1。90分。

広告代理店に勤める四十男は独身貴族を気取っていた。姉からは親の介護への協力が足りないと責められていたが気にしていなかった。ある日同僚達の陰口に気がついてしまって会社を辞めてしまう。住む場所も替えてラブホテルの清掃アルバイトを始め客の排泄物と格闘する。 職場の先輩は中卒でろくに漢字も読めない若いイケメンで仲良くなるうち、家に招かれ姉の作る食事を伴にするようになり恋心が芽生える。 ホテルにはかつて死んだ従業員の霊が出ると云われていて、四十男のアパートに現れ、つきまとう。
いつかは元の職業に戻りたいと思っていた中、かつての同僚に誘われ、この底辺の暮らしを面白おかしくネット媒体に書き始めて人気になり、うまくいくと思ったが。

安定した暮らしから逃げた男が経験する(彼のそれまでに比べたらはるかに)底辺の暮らし。仕事の大変さはあるけれど、その暮らしをしている人々を眺める余裕が出来てくると、いつでも元の暮らしに戻れるという余裕が見え隠れ。人々と親しくするけれど、やがて観察するような視点になっていくのです。 職場の先輩は若くて親切だけれど漢字もろくに読めないだったり、その姉はスーパーのレジ打ちで堅実に暮らしていてきちんとした食事を作ったりするけれどこの姉弟はいい大人なのに、こんなにも小さなアパートにひっそり暮らしていたり、折角の休みに出かけたい場所がかつて暮らしていた(おそらくは楽しかった)生まれ育った町のスーパーの屋上だったりと。些細なことを楽しみにしているということ。 その中で過ごす男は楽しさもあるけれど、たとえば彼女の仕草をずきゅん、と可愛いと云ってたりしても、それは恋心とはちょっと違うペットを観るような視線も混じっているんじゃないか、とあとから思ったりするアタシです。

職場で亡くなった女、はそういう意味では何かのガイドというか妖精というか。不思議な立場の人物を置くことで、説明をさせてみたり、かき混ぜてみたりという物語のリズムが作られます。

コラムを書いて、もうこの生活を抜け出せそうだとおもっていた日に、そのコラムが終わることになり、元の生活に戻れる見込みが亡くなってみたり、女は元の男の元へ戻ることを決めてしまうとか、職場の先輩も客を殴って辞めることになり去っていったり、あるいは亡くなってた女も姿を消して。少しバカにしていた人々だけれど、いなくなると寂しくて、しかしその場所で生きていくということを決心する男の前向きに勇気を貰うのです。

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2016.04.18

【芝居】「サイクルサークルクロニクル」monophonic orchestra

2016.4.10 19:00 [CoRich]

1年にわたるワークショップを経ての公演だといいます。 11日までAPOCシアター。80分。

大学二年生の四月だったはずなのに、気がつけばまわりはどんどん時間が進んでいく。一人取り残された女はずっと二年生の四月のままだった。そのきっかけは四月のあの日の些細なすれ違いからずっと謝れないことだった。

それぞれの役にやや思わせぶりな「時」にまつわる属性を書いているけれど、基本的には一人の女が取り残されたままにまわりがどんどん大人になっていく、というSFめいた状況と、それを取り戻す物語。少々小難しいかなと思っていても軸がシンプルなおかげで、取り残されずに楽しむアタシです。

何かがひとつこころに引っかかっていると、いろんなことがうつろになってしまって、ふと気がつくとけっこう時間が経ってしまう、という感覚をずっと何年にもわたるスパンに拡大していった感覚にどこか似ていて。 あるいは、じぶんがぼんやり日々を過ごしている間に、まわりはどんどん先に先に進んでいって置いていかれていくという感覚もまた近い感じなのです。

こんなに若くまぶしい人たちの物語ではあるのだけれど、ワタシもどこか身近に感じる感覚なのです。物語ではそのギャップは取り戻すけれど、ワタシは仕事もプライベートもこの十年強そんな感じがずっと続いていたりして、しかもそれが取り戻されることはたぶんなくて(泣)。

それを「小刻みに繰り返す失神」がコールドスリープのように働いて自覚して流れている時間と周囲の実時間の流れのギャップになるのだ、というのはなんか自分もそうなってるんじゃないかという気持ちにとらわれたりするのです。失神は言い過ぎにしても、たとえば周りに興味がもてないとか気持ちを塞いでしまうということを小刻みに、と考えればどことなく説得力を持ってくるのです。劇中で語られる、歳をとれば時間の流れが速くなる感覚もどこかそれに似ていて。

終盤、その突き刺さっていた棘が抜けるように、時間を早廻しするシーン。劇場の構造から役者たちを一方方向に動かし続け、階下を廻ってループさせることで、長い時間の経過、それが戻る過程を効果的に描きます。

取り残される女を演じたレベッカ、取り残され慌てる状況だけれどどこかおっとりした感じに見せるのは、このキャラクタによくあっっている感じがします。

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【芝居】「レドモン」カムヰヤッセン

2016.4.10 16:00 [CoRich]

10日まで吉祥寺シアター。2009年の初演を観てるのに覚えてない相変わらずダメなアタシです。人物相関図のイラストがいろいろありがたい。

地球にレドモンという宇宙人が訪れ時間が経って交配が進んでいる。見た目にはほとんど変わりがないが、大人になるとしっぽが生えること、砂を食べるということが異なり、その間に生まれた子は「まじり」と呼ばれている。多くは学校に通わず塾に通っているが、 元の星に帰還させることが基本の方針になっていて、これ以上受け入れない、かくまわないようになっている。
そんな中、ある新聞社は帰還させられたレドモンたちはやがて生体反応がなく、死亡したと推測されるという情報を手に入れ、スクープとして報じる。が、それは入手の方法が不適切だったとされ、謝罪をよぎなくされ、やがてレドモンを家族に持つ記者までもが排除されるようになっていく。

記憶がなかったとはいえ、当時の自分や人々の感想を読み替えしてみると、骨格は同じようだけれど、細かく変えているようです。たとえば、背景を説明していた人形劇がなぜか暗黒舞踏になっていたりしますが、これは劇場の規模を考えれば正しい選択。あるいは、交配による異常ゆえにレドモンを送還させることになるという設定がなくなっていたり。

何より大きく変わったのは初演にはなかった新聞記者という報道の立場を登場させたことです。 2009年から2016年という期間での現実の世界は誤報に端を発して報道機関の政府に対する批判的な姿勢が萎縮しているように私には感じられます。今作はそれを背景に物語に組み込んで、そこにある事実を報道しないという萎縮が起きていることを強く描くのです。

正直にいえば終幕の違和感。レドモンの妻を匿い逃げることにする、それでも子供が迫害されることはないはずという法改正をかすかな光にして、子供を人に預けて夫婦二人だけの逃避行を決行する、というのは現実的な解かもしれないし、単に連れて行けばいいということではいけれど、どこかもやもやする気持ちが残るのです。これもまた、たとえば残留孤児のようなことを想定して描いているということなのかもしれません。

帯金ゆかりが演じた熱血な塾講師は、時に理不尽なヤンキー先生の造形だけれど、物語の要所要所でリズムを作り客席を沸かせます。巧い。勤めている塾を「ひかり学習会」と名付けたのはアレですか作演が勤務する劇場のネーミングライツのタイミング(pdf)だからですか、というのはちょっと考えすぎか。

工藤さやが演じた厚労省の役人、恋心ゆえに機密を漏らすという弱い部分を実に繊細に、色気のある大人として描き出します。子供たちの描写は相対的には減っているのでしょうが、たとえば、ししどともこ演じる娘が「尻尾を染めようとする」という反抗する感じであったり、あるいはママ友を演じた笠井里美は母ゆえの強さがしっかりと、という具合にさまざまな奥行きが感じられる人々が描かれるようになっている強みでもあるのです。

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2016.04.15

【芝居】「リレイヤーⅢ」タヌキ王国

2016.4.9 15:00 [CoRich]

1983年初演、1985年再演、1996年三演の鴻上尚史・第三舞台の作品を松本の劇団、タヌキ王国が上演。ワタシは第三舞台版の三演のみ見ていますが例によって記憶はザルで覚えて居ません。110分。10日までピカデリーホール。第三舞台版は10名で今作は9名に上演予定でしたが、降板があったようで8名で上演。

一度は人気絶頂になりながらも、解散状態になってしまった劇団。一人は街を出て役者になっている、一人は塾講師として働き、一人はバーのママとなっている。残った一人は他のメンバーを集めて芝居を続けている。ある日の稽古場にはその男と後輩の女しか現れていない。女は他のメンバーが来るまでの間、練習代わりに読み合わせをしないか、という。それはかつてこの劇団が解散状態になる原因となった公演「リレイヤー」の台本だった。

終演後、早々に出された地元の劇評は、誰が書いているかはわからないけれど、確かにあの第三舞台がどんどん大きくなって変化していった切実さの物語を、いま、このタイミングでこの劇団が演じる理由は欲しい気がします。

第三舞台の記録を先に読んでおけば良かったと思ったりします。インタビューにある「現実の人間は2人しか登場していない」というベースを判っていればもっとすんなり入れたかなとは思うのです。何かを演じているかもしれない、自分というマトリョーシカのような入れ子を感じる舞台の構造なのです。

正直に云えば、役のキャラクタなのか、それぞれの役が元々の第三舞台の役者が演じられるか見え隠れします。それはそれで嬉しいのだけれど。たとえば、劇団を復活させたい男1を演じた真鮒琢智の向こうには京晋佑が吊り橋のエチュードのあたりで見えたりします。あるいは塾講師として働いている男3を演じた細村匡の向こう側には大高洋夫、伝説の役者をを演じた三井淳志の向こうには小須田康人がみえたりします。

そういう意味ではかつての看板女優を演じた小池美重はもちろん長野里美なのだけれど、 男2と男3との関係の濃さと揺れ動く気持ちが細やかで印象に残ります。ドードー(という鳥の着ぐるみ)を見たかった気もするけれど、代わりのイマドキのダンスも楽しい。若い後輩を演じた曽根原史乃は西牟田恵が見えるけれど、弾ける人物をしっかりと演じて、舞台を支えるのです。

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2016.04.10

【芝居】「いちばん星のその次の」waqu:iraz × AYAcandela

2016.4.6 19:40 [CoRich]

2015年2月初演作の再演。cafe MURIWUIで50分。過去作のクレジットが役名も含め当日パンフに載ってるのがブログ書きのアタシはありがたい。

初演と基本的な物語は変わりません。 まもなく嫁ぐ女、見晴らしのいい自分の部屋に暮らすの最後のひととき。たくさんのキャンドル、薄暗い中で揺らめく炎を見つめる女。会話という形はとっているけれど、自分の内面をみつめる自問自答。それは 結婚する相手は本当に彼でいいのかということを起点に、生まれてこられなかった双子の姉と、子供のころから自分の心を受け止めてくれた人形との対話という形で描くのです。それは答えの出ない問いかけだし、それを延々と繰り返す時間。 緩やかに流れるけれど、この繰り返しが不安な気持ちにならないのは、外枠に(少なくともは今は)幸せがあるという繭に包まれているからだと思うのです。

例によって記憶力のないアタシ、初演を拝見したときに雨が降り、まだ空が明るい時間に演じられたと思いこんでいたけれど、この印象的な場所でchon-muopの公演と勘違いしていたアタシです。ああ。

初演とは二人の女優が入れ替わっています。全体に身長が高い印象の初演と、ややちびっこに(失礼)感じる今作。 嫁ぐ女を演じた尾崎冴子、所属する時間堂では座組ゆえかもう少し若くて、良くも悪くも語調が強い雰囲気がありますが、今作では柔らかな印象が新鮮なのです。

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【芝居】「新・こころ」フライングステージ

2016.4.2 18:30 [CoRich]

2008年、駅前劇場での初演作 を再演。3日までSPACE梟門(きょうもん)で120分。

先生と私、先生が手紙の中で告白したシーンの外側に、現代の日本語ゼミの人々を置いて、作家自身がそうであったように、「こころ」という物語を、男たちの同性愛という枠組みで「つけいって」解釈する物語は、この作家、そしてこの劇団だからこその真骨頂なのはそのまま。劇場とワタシの席位置が変わったせいか、全体を俯瞰して見るような雰囲気に感じるのは私だけかもしれません。

今さらながら、原作(青空文庫)を少しだけつまみ食いしてみました。そこかしこのせりふを巧みに、しかも同性愛の感情をもった言葉として物語に取り込みます。確かに芝居を先に観てしまうと、青空文庫の文字を追ってもそういう風に読めてしまうというバイアスは善し悪しだとは思います。

が、この語り口、単におもしろいからとか目を引くから同性愛という枠組みで描いたわけではなく、人を深く思う気持ちをシンプルにまっすぐに描くことに対してうまく機能していて、誠実な物語をもう一つの視点で読めるということだとも思うのです。

元々の物語を最大限に引用しようとしているせいか、全体に静かに進む物語。それでも所々に現在の感覚の笑いを挟み込むのは正直、ありがたいアタシです。今作においてはモイラが演じる女学生がものを知らない感じの会話で説明を引き出しつつ、笑いをきっちりとる力が確かで魅力的。 妻を演じた石関準はきちんと育てられた、しかし夫に疑問を言えない時代の雰囲気を背負う女性をきっちりと。大学のもう一人の教員を演じた関根信一はもちろん安定。ことさらに前に出なくても、じっさいのところ、舞台に居る彼を見ている安心感を感じるアタシです。

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2016.04.08

【芝居】「隣の芝生の気も知らないで」カミグセ

2016.4.2 14:00 [CoRich]

太宰治の「女生徒」(青空文庫)を原案にとった物語。85分。4日まで王子小劇場。

朝起きて、着替えて、遅刻しそうになったり、授業を受けたり、弁当を食べて。仲良しが居たり、傷つけられたり、部活動に悩んだり、同級生が綺麗だなと思ったり。

芝居を観た後でネットを探して、あわててざっと原作を読んだアタシです。時代を考えればびっくりするほどに少女の瑞々しい語り口に驚くのです。それは一人の少女、どちらかというと大人になっていく戸惑いと、同時に周りの大人たちを汚いと思ったり、すてきだと思ったりのさまざまを一人称で描いているのです。

今作は、朝の風景の描写などにているところはあるけれど、いろんな少女たちの風景や内面をつまみ食いするような感じで、ずっと群像劇の雰囲気が強くなっていて、現代に焼き直したというよりは、「女学生」の語り口を借りて、(ひとりの少女ではなく)、少女たちの生きる今の空気を描き出そうとしているように思えるのです。そういう意味では現在ではない、時代の変わった観客にはどう受け取られるのだろう、と思ったりもするのです。

もう一つ大きな変化は、女学生たちのうちの一人を見守る大人の女性のような人物の存在なのです。朝けだるく起きてスマホを眺める彼女は、女学生たちの枠組みの外側に存在していて、少女たちが暮らし生きるこの世界の中に見え隠れしながらも、彼女たちと交わるわけではなくて、ずっと見守り続けている雰囲気。この物語が作家かつての経験なのか、あるいは今の少女たちを見た作家が描き出したことなのかはわからないけれど、どちらにせよ、今の作家からは少し距離のある、おそらくはまぶしく見えているあの短い時間を見ている人物で、作家自身がそこに映し出されて居るように感じるアタシなのです。

メガネの少女、美術部で楽しいと思ってるけれど突然ブスといわれたりする悲しさ、その仲良し、ちょっとズレた感じはあるけれど、ワタシの味方で居てくれる人、粘土で怒り心頭のシーンがちょっといい。 バレー部の少女、遅刻しそうで走る疾走感のさわやかさもあるけれど、美術部の二人に対峙するときのヒール感はスクールカーストにはまる感じの残酷さ、でも補欠で本当に自分はこれでいいのかという感覚のふれ幅。地味めに見えるけれど、すごく歌がうまいという少女も、ありそうな感じの驚き。

これらの役者、誰がどの役、ということを明確にしないというのは物語からも演出からも要請されるつくりではありますが、どの役がどの役者によるものか、ということは知りたくなってしまうオヤジです。

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2016.04.04

【芝居】「緑茶すずしい太郎の冒険」ヤリナゲ

2016.3.26 19:30 [CoRich]

2014年初演作を改訂上演。ワタシは初見です。28日まで王子小劇場。80分。

教員の女、演劇を続けている。同僚の妻ある男と不倫を続けている。実家にすんでいて兄は恋人を連れて家に泊まりに来たりする。姉は「ドーナツ化症候群」という難病で階上の部屋から出てこないが、母親が面倒をみている。
あるきっかけで女は妊娠を知る。男に告げると子供が居ない男は一度は喜ぶものの、出生前診断で姉と同じ症状の可能性を告げられたことを知ると冷たくなる。

現実にあるダウン症候群(wikipedia)をベースにした架空の先天性疾患「ドーナツ化症候群」を物語の中心に据えて物語を進めます。元々のダウン症の、見た目でわかることを頭に載せたドーナツで表現し、あわせて父母には頭に載せたペットボトルで生殖器を思わせてシンボリックな作りにしています語ることの真面目さに対して見た目はあらからさまにコミカルな落差に戸惑うけれど、観たあとで振り返ってみれば、その落差ゆえに深刻な物語をライトに見やすく語るという手法なのだなと気付きます。

不倫の末の子、離婚するといっていた父親も出生前診断の確率的な結果によって掌を返して去って行くのは逃げ道を塞がれるような絶望の気持ち。それでも芽生えた生を産もうという決意の強さ。 喋るときに身体をややくねらせるチェルフィッチュ的な現代口語演劇の見せ方。正直アタシは見ててあまり好きではない演出だけれど、たとえば母親を演じた三澤さき(髪の長さが随分短くなっていて驚いた)の気持ちを絞り出すような切実さ、あるいは決意の強さが見えたりするのは確かに効果があるのだなと思うのです。

妻を演じた中村あさきのクールビューティさが実に美しく格好いい。物語の中では完全にヒールな扱いだけれど、それも美しさゆえに決まる説得力。弟を演じた浅見臣樹の軽い感じが楽しい。その彼女を演じた國吉咲貴のちょっと挙動不審な可愛らしさ。

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【芝居】「ドロボー・シティ」あひるなんちゃら

2016.3.25 19:30 [CoRich]

あひるなんちゃらの新作、70分。28日まで駅前劇場。

親友四人で泥棒を企てる女たち。アジトというか誰かの家で相談している。宝石を盗もうとしているのだ。
その家に空き巣に入った男女三人。盗るものが何もないけれど、何かは盗りたいといったり、結婚を前にして頑張って働かないとと云ってみたり。
四人の女の中には裏切り者がいる。別の男二人と組んで盗んだ宝石をかすめ盗ろうとしている。

登場人物が皆泥棒、しかも一つの部屋で交わされる三組の会話というごくごく小さな世界で語られる話。まるでお茶のみ友達のように親友の女たち四人でたくらむ宝石の強奪はどこか現実感がなくて、ふわふわとした会話。それなのに泥棒家業は後ろ暗いという感覚はあって、でもやめるという選択肢はみじんもないという常識があるんだかないんだかという絶妙のバランスがいい。 途中から登場するその中の一人の娘は二十歳になっても、もう息をするように何の構えも罪悪感もなく盗みを働くという人物の設定は衝撃的ですらありますが、もっともそれゆえに新人の役者(野村梨々子)でもちゃんと芝居で対等に渡り合えるようにもなっています。

あるいは、ちょっとふわっとしたリーダの女と、結婚を機にもっと泥棒で稼がなきゃと考える男、もうやめたらと諭す男の三人組もちょっとすごい。とりわけ、子供ができても泥棒を続けていれば、捕まって、あげくに子供はいじめられると、強烈な長台詞で突っ込む男を演じた堀靖明は凄くて爆発的に沸く客席なのです。 もう一組、どう考えてもあの刑事ドラマの二人の造型で、なぜかゆっくりと能楽のように動く二人というのもすごい。ともかくカッコをつけてゆっくりしゃべる一歩間違えればナルシストな男ふたりなんだけど、そのうち妙にかっこよく感じてしまうのです。なるほど、劇中でも女が女になる瞬間、みたいたきっかけのシーンがあったりもして、少々前時代的なフェロモンもまた楽しく。

そういえば、伊達香苗演じる裏切りの女は、フルフェイスのヘルメットもっているのに、長い丈のスカート。ほんとにバイクに乗ってるのかどうかだって怪しいし、そもそもバイクに乗るとは云ってなくて、なんかアイコンの可笑しさ。

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