【芝居】「月の平均台」タテヨコ企画
2016.3.13 15:00 [CoRich]
再演。アタシは初見です。110分。13日まで雑遊。
家でした妻を森に捜しに来た男。居酒屋で知り合った若い女がこの場所になら居るかもしれないといったのを信じて来たのだ。森には世間から離れて来たカップルや死のうとしている男、さらには森の主のもとこの森で暮らし続けている人々が居る。
ウッドチップが敷き詰められ、木が茂る舞台を中心に四方を客席が取り囲む形で作られた舞台。うっそうとした森の雰囲気満点。 森の中でどこか原始的かつ自然崇拝のような独立したコミュニティで 暮らす人々。あるいはその緩衝のような位置付けで私たちの普段の暮らしからこの世界に足を踏み込みかけている人々の中で、「居なくなった妻を探す男」を中心に描く物語。
奇妙な人々に出会って驚き、少しばかり恐怖し。このコミュニティを仕切っている長が居て、火を出したとしてここから追放されいる娘が居て。その娘の手引きで訪れた場所。この母娘に関わる物語が中盤を推進します。
ネタバレかも
現実からどこか離れている祝祭感溢れる場所がどこかということがあまり明確に示されないままに進む物語だけれど、終盤で、妻が家を出た原因は、子供を亡くしそれゆえに夫婦の間の関係がうまくいかなくなったことが示されます。さらにはその亡くした娘の名前が台詞として語られるに到り、村を一度出て、男たちを手引きして戻ってきた女が、その子供の名前だということがわかります。
ここで物語がくるりと違う様相を呈して感じされるのです。なるほど、亡くした娘を延々と思い悩む気持ち、その原因は自分かもしれないとおもってしまうこと。どこかで娘は生きていてほしいと思う気持ち。その娘が生きている場所が日常から地続きにあるその森で。考えすぎて夢のように頭の中で起きている何か、という感じになる終幕近く。不思議な感じのその場所が不思議であることは変わらないけれど、その場所がどうしてあるのか、ということが示されたよう。死であったり生まれ変わりであったりということを強く意識させるです。
かつてはこの場所に住んでいた娘が一度は追放されて私たちの世界にやってきて、また戻ってきてというのはどこか「かりそめの生」なのだ、とまで云ってしまうのは少々強引すぎる考え方か。
妻を演じた市橋朝子は美しく可愛らしい大人の女性をしっかり。人情派で導いてくれるような森の民を演じた山森信太郎は迫力と、まっすぐで率直なモノの言い方が印象に残ります。
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