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2016.03.30

【芝居】「フォーゲット・ミー・ノット」キャラメルボックス

2016.3.21 12:00 [CoRich]

「きみがいた時間 ぼくのいく時間」に登場するタイムマシン、クロノス・スパイラルをめぐるもう一人の時間旅行者の物語。115分。大阪のあと27日までサンシャイン劇場。

横須賀の映画館の前の道路、突然現れた男は地面に倒れる。 気がついた時には記憶を失っているが、映画館の住み込み従業員として働くようになる。荷物には不思議な機械が入っていたりするが使い方がわからない。
母を亡くした男は気力がないままの暮らしをしていたが、 クロノススパイラルの研究者として雇われ、時間旅行の可能性があることを知る。

主人公は過去の人の時間の流れを見守り、助けるというのは「きみの〜」と同じなのだけれど、前に進もうという気持ちや誠実さはあっても、正直に云えば物語としての引っかかりがほとんどなく、前半では記憶を失っていてここに来た理由を主人公自身も気づいていないなど、主人公が積極的に何かをすることがないのは物語の推進力に欠けていて少々残念。後半の転換点も再び頭を打って偶然自分が未来から時間旅行でやってきたことを思い出すというのも、主人公が動くわけでなく偶然そうなっただけ、というのはどうしてこういう構造にしたのは少々理解に苦しみます。

「きみの〜」という意味ではその物語世界に平行するもう一人の男という位置づけで、そういう意味ではどうしてもこの一本だけでは成立しなくて、二本立てで共通のキャストを持つから成立するという補完的な位置づけなのでしょう。 いろいろ台所事情あるとは思いつつ、ステージ数を稼ぐ感じにはなってしまうのはもったいないとは思いつつ、外伝にはなる楽しさはあって。

祖母を演じた坂口理恵は心の強い女という雰囲気が凛として美しい。まあ、アタシがこの役者をとても好きだということはあるので冷静な判断ではありませんが。「きみの〜」と共通の役を演じた岡田さつきは同一人物のプライベートが見えて、可愛らしさが出てくるのが楽しい。これもそういう意味では補完なのですが。

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【芝居】「きみがいた時間 ぼくのいく時間」キャラメルボックス

2016.3.21 12:00 [CoRich]

梶尾真治による「クロノス・ジョウンターの伝説」の舞台化の人気シリーズ、四つ目の2008年初演作の再演。130分。 大阪のあと27日までサンシャイン劇場。二本のどちらかならば、こちらがアタシは好きです。

例によって過去に見た芝居の記憶が曖昧で、毎度毎度新鮮に観られるアタシです。

たった一度、それも片道切符の時間旅行を中央に置き、そこに至るまでの男の気持ちの流れを丁寧に語る前半、過去に跳んでほぼゼロからなにもかも構築していく力強い後半。新聞をPCに全部入れておいてというのが魔法の箱で、少々とはいえ馬券を買ったり株を買ったりということは過去を変えたことにならないのかというのは、まあご愛敬。その魔法の箱に溺れない心の強さ、それが無くなってもちゃんと生きていけるというのも、立派すぎるとは思いつつ、それはしっかりとヒーローの姿なのです。

前回の自分の感想を読み直すと、場面を整理したようで、2時間越えの上演時間にもかかわらず、流れが見えなくなったりバランスが悪いと感じるようなところがなくなっています。

時を跳ぶ男を演じた阿部丈二はまっすぐさを少し寡黙な雰囲気に造形。よくあっていてきっちりと主役。その妻を演じた林貴子はここまで大人の等身大の女性の役は珍しい気がするけれど、それが実にすてきで新しい魅力なのです。 秘書を演じた前田綾はとりわけ年齢を重ねてからの声がいい。融資を受けた社長を演じた筒井俊作は出番は少ないながら、コミカルで強烈な印象を残します。とりわけ、阿部・筒井が「アパレルメーカー」と「アパレルメンチカツ」の聞き間違えでしつこく掛け合うシーンがワタシは大好きなのです。

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2016.03.29

【芝居】「パラドックス・ジャーニー」あおきりみかん

2016.3.20 15:00 [CoRich]

愛知のあと20日までシアターグリーン BASE。そのあと仙台。120分。

男には別の場所に居る別の男のビジョンが見えるのだという。向こう側に居る男は、女と向き合っているようだ。女は、「パラドックスの向こう側」から来たのだという。向かい合う男は、理由も詳細もわからないまま、パラドックスを無くしたいと強く願い、進み始める。

ほとんど素舞台、舞台奥と上手下手側にポールダンス風のポール。二人ないし三人の会話を細かく続けていきます。映像では簡単な場面の切り替えですが、芝居でこれをたくさんいれて巧く作るのは大変だと思うのですが、今作はテンポがいいのに加えて、なんどか繰り返すうちに、ポールを使って、あれっと驚く転換を入れてみたりと飽きずに、しかもけっこうややこしい物語をこのスピードの中できっちり語りきるのです。 演出という意味では最後の場面もちょっとした驚き。効果的なのはわかっていてもなかなかここまでやる芝居はそうは多くはありません。

見た目だけの驚きだけではありません。序盤は素舞台に加えてパラドックスにまつわるあれこれで少々抽象的でどうなることかと思うけれど、徐々に三つの場面が重なり、それを内包するもう一つの世界が現れて、すべてがきれいに繋がるのが鮮やかなのです。

物語と演出、加えて役者がきっちりと演じきっているというのもこの舞台を強固なものにします。一人の役者のコミカルとシリアスの振り幅だったり、シリアス一辺倒になりがちなところに少しの笑いをいれたりと、バランスが絶妙でとても見やすいのです。

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2016.03.26

【芝居】「巨大なウェディング・ケーキ」「ヂアロオグ・プランタニエ」時間堂(レパートリーシアター2016/3)

2016.3.19 18:00 [CoRich]

短編・中編を組み合わせて繰り返して上演していく時間堂のシリーズ、3月。60分ほど。19日まで十色庵。

(2月の横浜に続いて) 「ジアロオグ・プランタニエ」
父と娘、母は家を出た直後。父は自分の浮気がバレたことが原因だというが、母の日記を盗み見た娘は浮気はとっくに気づいていたという。娘はその母が出て行った原因は腑に落ちるが、父はまったく理解できない。
娘は成長しインテリアデザイナーとして成功している。まだ独身だが暮らしている男が居る。彼女は妊娠を男に告げる。
母となった女は、男とは結婚することなく、その男の結婚式から戻ってきた。息子を育てられたのは男が通ってきてくれていたからで。「巨大なウエディング・ケーキ」

「ヂアロオグ~」は、 さえずるような女学生の雰囲気で少女をまとった演出だった2月公演に対して現代のアラサー女子たちの会話に変化。言葉こそ時代は感じさせますが、ああ、この女たちはいくつかの恋を経てきたのだけれど、その上でこの会話かという雰囲気に。しゃべり方ひとつとっても、かぶせるような会話、強い語調、何かをしながらであったり、少々大げさな感じなど、さまざまな演出に加えたちょっとしたことが、私たちの日常の地続きのどこかでありそうな会話に感じられて見やすいアタシです。

正直に云えば、レパートリーシアターで同じ演目を短期間に繰り返すことの意味について、歌舞伎や落語という演者をメインにするわけではないことの多い小劇場では今一つ理解できてなかったアタシですが、なるほど、演出を変えるということで同じ会話が時代も歳もシチュエーションすら違ういろんな場面で起こり得る会話という楽しみ方は一つあるのかもしれません。

「~ウェディング・ケーキ」は、アタシは初見。 妻や母という役割ではない一人の人間としての自分になりたいという気持ちが家を出た原因で、それは母から娘への呪い。娘であった一人の女性が16歳から20年ずつの時間を経た三つの時間でキッチンやリビングでの二人の会話というフォーマット、60分弱で見応えのある物語を描き出すのです。

男を演じた菅野貴夫は最初は父、次に恋人、最後に息子という役で女とは逆に若くなっていく三人を演じます。物語を知らずに見始めると一場の父親は少々マンガのようなのはご愛敬。芸術家である恋人という二場はもちろん身の丈で安定。ここに至って、やっとこの物語の企みがわかるのです。三場ではちょっとヒネた感じの、しかしちゃんと母親への愛情にあふれる息子もきっちり。

「女の一生」よろしく、成長していく女を演じたヒザイミズキ、娘だって仕事をしている女だって、あるいは母親だって経験している大人の女のリアリティ。

この日のトークショーは、ort-dd、たちかわ創造舎の倉迫康史。 芝居の中にあった誰かからの呪いとか、母親が出て行った話だったりという自分の話を暴露しつつ、劇場を維持するということの話がおもしろく。たちかわ創造舎の屋上でバーベキューという来週のイベントちょっとよさげだなあぁ。

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2016.03.25

【芝居】「昴のテルミニロード」レティクル東京座

2016.3.13 19:00  [CoRich]

本編135分、ライブ15分。21日まで王子小劇場。ユース演劇祭の一本。

世界を東西二つにわけて行われていた戦争末期、劣勢側が条約に違反して広めたウイルス兵器で壊滅的な被害を受ける。科学者はそのワクチンを実地に実験したいと考える。後方支援に送り込まれていた学生兵たちの部隊に注射された薬品によって命は助かり治癒力も生命力も格段に向上するが、それはバケモノといっていい異形で、生命を維持するために人間の血液を欲するようになった「ヴァンパイア」という生物兵器に姿を変えるということだった
ウイルスが国内に到達せず、この兵器の開発に成功した島国だけが世界でただ一つ生き残り、彼らは英雄となるが、戦争がなくなったことでこの国はこの兵器の処分を決める。

白塗りのメイクに、イケメンっぽかったり萌えっぽかったりというキャラクタを持つ役者陣。今回は更に旭日旗だったり、戦時中の雰囲気をベース作られた物語。いわゆる右翼でも戦争礼賛というイデオロギーの意図はなく絵柄としてこれを使ったということだろうと思いますが最近ではアニメに多いスタイルを芝居に持ってきています。じっさい白塗りにやけに合うというのは事実だと思うのですが、全体は虚構に作っているのに、日本という国だけを現実から引いてくるというのは、やはり何かのイデオロギー無しには巧く機能しないとも思うのです。

いわゆる2.5次元のイケメン芝居と呼ばれるものはマンガなどに原作をとるものが多いという印象ですが、それを原案はヴァンパイアの物語から引きつつ、オリジナルの脚本、小劇場の中でやっていくということが彼らの強さかと思うのです。反面、台詞を歌い上げているわけでもなく、多くの要素を詰め込んでいるわりに、物語の進み方が実にゆっくりだというのは不思議な感覚なのです。シンプルな物語なわりに上演時間がわりと長いというのはそのせいなのかとも思ったりします。

このユース演劇祭の中では唯一、二回の週末の公演期間。劇場内にもうけられた特設スペース・池亀家に寄って劇場職員に雑談してみれば、リピート率も高いのだそう、なるほど熱い観客も多いし、それにきっちり応えるようにさまざまなグッズ、とりわけ受付にバンと貼られたポスターなど、いわゆる「イキオイのある劇団」の熱気は確かにあるのです。

正直にいえば、この手の「戦時中な雰囲気」はフィクションでも現実でもアニメでも映画でも苦手で避けたいあたしです。(でも流行ってるんだよなぁ。) 戦争至上であったり、男性たちの戦場に女性を一人だけ混じらせるための従軍慰安婦という物語の上でのいろいろな無理を形にするという意味では機能している背景なのでしょうが、まあそれにしても。

年齢を重ねて飄々としているという人物造形で演じきった篠原正明が実に格好いい。印象的なのです。

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2016.03.22

【芝居】「月の平均台」タテヨコ企画

2016.3.13 15:00 [CoRich]

再演。アタシは初見です。110分。13日まで雑遊。

家でした妻を森に捜しに来た男。居酒屋で知り合った若い女がこの場所になら居るかもしれないといったのを信じて来たのだ。森には世間から離れて来たカップルや死のうとしている男、さらには森の主のもとこの森で暮らし続けている人々が居る。

ウッドチップが敷き詰められ、木が茂る舞台を中心に四方を客席が取り囲む形で作られた舞台。うっそうとした森の雰囲気満点。 森の中でどこか原始的かつ自然崇拝のような独立したコミュニティで 暮らす人々。あるいはその緩衝のような位置付けで私たちの普段の暮らしからこの世界に足を踏み込みかけている人々の中で、「居なくなった妻を探す男」を中心に描く物語。

奇妙な人々に出会って驚き、少しばかり恐怖し。このコミュニティを仕切っている長が居て、火を出したとしてここから追放されいる娘が居て。その娘の手引きで訪れた場所。この母娘に関わる物語が中盤を推進します。

ネタバレかも

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2016.03.18

【芝居】「裸に勾玉」MONO

2016.3.12 14:00 [CoRich]

13日までシアタートラムのあと、名古屋、大阪。公演期間中、過去の人気作三つの戯曲を無料公開しています。これを含む特設サイトも相当楽しい。ひどい当日パンフを売っているあそこや、あの映画に反省を促したい120分。

弥生時代、親を亡くした子供たちは 村はずれで一人暮らしていた男に拾われ育てられていた。その男は亡くなり子供たちは成長し兄弟として暮らしているが、村はずれで嫌われ者のままなのは変わらない。 家長は気が弱く、その弟はなにも上手にできないのに比べると、 一番下の弟は口が達者で妻も二人娶っているが、同居している妻たちは占いや踊りばかりで働かない。。末っ子の妹は何でも器用にこなし、兄たちからかわいがられている。
ある日、スーツ姿の男が突然現れる。隣国ときな臭くなっていて警戒されるが末っ子は匿うべきと主張し、兄たちも従う。その怪しい男を捜して村長(むらおさ)からの使いが訪れ、見つかってしまう。

過去に時代設定をする芝居は数あれど、弥生時代という設定はワタシは初体験。ほんとうに想像するしかない時代も、現代のひとびとも考えることはそう変わらない、というだけではありません。いわゆる同調圧力というか、そのコミュニティに属さない人々への仕打ちを、差別を受ける側の視座で描くのです。 コミュニティに属さなくても人は生きていかなければいけないというわりとシリアスな題材をベースに持ち、終盤ではある種の悲壮感すらある物語にもかかわらず、きちんとコメディとして描くのは作家の確かな持ち味で、時代の設定も、現代人が登場するというバランスも絶妙なのです。 もうそのコミュニティとの格差は諦めて受け入れている人や、その中でも積極的に関わっていこうと考える人の中に、少々唐突に(しかもスーツだ)現れる男。その男はもと居た時代でも上司の案に従わなかったり妻は居ても巧く生きられない感じだったり。一人抗う男、もっと上手に生きればいいのにと云われても、変わらない男。 もしかしたらどちらかが夢のような描き方、もしかしたらそれは悪夢かもしれないのです。 ある種のファンタジーだけれど、この男の両方での立ち位置が変わらないことが強力な補助線になっていて、私たちの生きる現在と弥生時代を地続きにする効果を生むのです。これもまた、作家の確かな力。

弥生時代のリアリティをつくる一つの工夫が見事。濁音はないけれど半濁音があるという言葉というルールにするだけで、違う時代の話に見えるのがすごい。あるいは現代人からの単語をたどたどしく話したり。教えられないのに「スーツのような」という台詞が入るのが、ああそうか、現代の男の頭の中、つまり夢の中の話かとおもったり。 とりわけ、 嫉妬という概念がないこの時代、一夫多妻で夫が他の妻にばかり向き合うというもやもやした気持ちを抱くけれどそれに言葉がないところに、現代の男があっさり嫉妬という言葉(と概念)を与えるという会話の楽しさは、この時代を舞台に描くからできることで楽しい。

その国のきな臭さ、そこに一人でも抗うことの凄さ。正直に云えば、 終盤は自己犠牲なのはちょっと怖い感じ。しかし、ずっとずっと過去の、あるいは夢の話に落とし込むことで私たちの視座からの距離感が絶妙にとられていて楽しいのです。

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2016.03.15

【芝居】「ホテル・ミラクル3」feblaboプロデュース

2016.3.6 19:00 [CoRich] ラブホテルの一室を舞台にしたオムニバス公演の三回目。 (1, 2)。 125分。13日までシアターミラクル。

童貞だとはやし立てられ「ホンバンの前に」(前説)
ワケアリ客の潜伏のためのVIPルーム担当となったアルバイト清掃スタッフの女、1週間匿われている男は人を殺してきたらしい。いよいよ出て行っていいという日、男は女にカラオケを歌って欲しいと頼む「VIP」(作・上野友之)
あの手この手でデートからホテルに持ち込んだ女だったが、コトの後に男は逃げるように帰ってしまう。泣きじゃくる女は親友を呼んで話を聞いて貰おうとするが、そもそも間違いばかりでちゃんとした手順を踏めば良かったのではないかという「エンドゲームスタディガール」(作・深谷晃成)
ラブホテルの清掃バイトをしていた大学生の男はあろうことかオーナーの恋人に手を出してしまい、ヤクザに縛り上げられ、実家から金を引き出そうとされている。「後始末」(作・米内山陽子)
互いに配偶者がいるのに互いに金を払い月一回のセックスを続けている男女。愛情が無いカラダの関係だから続いていると思っていたが、女は妊娠を告げる。「愛(がない)と平和 -Bagism by Love&Peace.-」 (作・古川貴義)

「〜の前に」はコミカルで少々唐突な前説。ダンスがついてちょっとカッコイイ。

「VIP」は作家の元々の持ち味の一つ、サスペンスを下敷きにしながらも、ある種極限状態の中で長い間一緒にいる男女の間に芽生えたかもしれない好意、という気持ちの揺れという繊細さがいい。カラオケを歌うの歌わないのというのがちょっとラブホっぽいアイテムではあるけれど、基本的にはラブホじゃなくてもいいじゃないか、という物語なのはご愛敬。もっとも、ちゃんと愛の物語にはなっていて。女を演じた武川優子のちょっと低い声でテンション低いままに進む会話だからこそぞくぞくする感じ。

「エンド〜」は今回の中では一番の爆笑編の仕上がり。 がつがつとくらいつく肉食女、ことには及んでいても愛情に発展しないいわゆるワンチャンに終わる間違いにつっこみまくるという仕立て。 可愛らしさよりは欲望に忠実すぎる姿をコミカルに描いて、空回りするドジっ子の可愛らしさがでてくるのが楽しい。相手の男を舞台にそのまま残し、回想というよりは再現VTRっぽい感じでみせるのは、どちらかというとコントだけれど、こういう短編集ではテンポも良く、有利です。肉食女の中村桃子は可愛らしく、突っ込み女の前田友里子はこのテンポのコメディを確かに成立させるちから。

「後始末」は美人局かとも思うヤバい女に手を出してしまった男が縛り上げられていて、でもこんな状況だってお腹は空くし、女に馬乗りにされれば勃起もするし、という「生きている」ことの哀しさというか可笑しさというか。コンドームをいやがってみたりと女に対していろいろ男が悪意なく雑な造形になってるのが若い男という人物のリアリティをつくります。英語がやけに巧いインテリヤクザを演じた野澤太郎は声もそれっぽくて、印象に残ります。

ちょっと色っぽさ足りないなと思ってたところに最後にきたのが「愛〜」。濃厚なベッドシーン、眼福なのは間違いなくて喜んじゃうオヤジなアタシだけれど、正直ここまで濃厚にしなくても物語にはちゃんと力があって。愛情と静的な相性は必ずしも一致しないということを徹頭徹尾貫いていて、セックスに溺れているといってもいい付帯r。男の妻が怒鳴り込んでこようというシチュエーションにおいてももう一回しよう、という貪欲さ、それもどちらかが求めてるんじゃなくて互いにそうなってしまう、というのは、どこにそんなの落ちてるんだと思わなくはないけれど、そういうこともあるかもしれない、という深みがあります。 ほんとうに色っぽいベッドシーンを繰り返して、その中から徐々に見えてくる二人の関係も巧い。 不倫している二人のベッドルーム、という意味では 「セイムタイムネクストイヤー」の最初のほうの一年を切り取ったようでもあって、この物語は刹那的に終わるけれど、もしかしたらこのあと何十年も続いちゃうのかもしれない、ということを勝手に妄想したりしてしまうのは、歳取ったのかなぁ。アタシ。

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2016.03.11

【芝居】「対岸の永遠」てがみ座

2016.3.6 14:00 [CoRich]

ソ連の詩人、ヨシフ・ブロツキー(wikipedia)の人物をモデルに描く物語。 てがみ座が初めての風姿花伝で30日までのロングラン公演。120分。

娘や親を残しソ連国外に追い出されるように亡命した詩人はアメリカで成功した。暮らしていた土地・レニングラード、時代は流れ資本主義となり国はロシアとなり、その場所はサンクトペテルブルクと呼ばれている。詩人が亡くなり、その友人がアメリカから遺品である空き瓶とタイプライター、詩集をもって訪れる。体制の大きな変化の中、詩人の娘は翻訳の仕事をしているが、出版社も立ちゆかなくなりつつある。子供をもうけ今は一人で育ているものの、酒浸りの日々を送っているが、父の遺品を受け取ることを拒否する。

去った父、残された娘と母親とその娘と。翻訳のような知的といわれる仕事をしていながら、国の体制が大きく変わりその足元がゆがみながら揺れていて、暮らしは楽にはならなくて酒浸りの日々でもあって。 作家がなにを考えてこの題材や背景を選んだかはわからないけれど、 物語はざっくりいえば、父が亡くなったと聞いた娘がゆっくりと時間をかけてそれまで許さなかった父を許す過程を描いています。その着地点はそうそうにわかるけれど、その人がどうしてそう考えるようになったか、というさまざまな要因、それは父と自分だけではなくて、自分の娘であったり自分がおかれる経済状況であったりと説得力の厚みがアルのです。

亡くなった父親を演じた半海一晃は軽やかな造形は道化のよう。それは思い出の中にある人の重さがない雰囲気でもあるし、亡くなったと聞くと楽しげな表情ばかり浮かぶという感じでもあって。年齢を重ねてこの軽やかさがいい味わいなのです。 盛り場の女を演じた西田夏奈子は、年末恒例のイベントで観られなかったので勝手に身体でも壊したかと心配していたけれど、力強い人物をしっかりと。酒浸りの女を演じた石村みか、あれこれを気に病むという繊細さをきっちり。とりわけ印象に残るのは、みやなおこで、ソ連を出国してたどり着いた土地で出会う地元の女、生活してる人の雰囲気を作り出しているのです。

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2016.03.09

【イベント】「のぞまれずさずかれずあるもの」(月いちリーディング / 16年3月)日本劇作家協会

2016.3.5 18:00 [CoRIch]

今年度の最後の月いちリーディング。次回は日時未定ながら、5月予定とのこと。戯曲冒頭部

同居している兄弟姉妹と母親。嫁いで出て行った長女、結婚して同居を選んだ長男とその妻、リサイクルショップで働く次男、まだ若い三女。ある日、次女が結婚を申し込もうとスーツを着た恋人を家に呼ぶ。歓迎する兄弟たちだが、まだ恋人には打ち明けていなかったことがあった。

1970年代に起こった菊田昇医師(wikipedia)による中絶されそうだった赤ちゃんを別の夫婦に斡旋していた事件をベースに、その子供たちが送ったかも知れない人生の一シーンを描きます。

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【芝居】「いつかの膿」VAICE(ヴァイスあかぼし)

2016.3.4 19:30 [CoRich]

一癖も二癖もある男の俳優ばかり6人の劇団、旗揚げ公演。女優陣をゲストに迎えた100分。6日まで駅前劇場。当日パンフでも、わざわざ二色刷にして赤い星()をつけるちょっとした拘りが楽しい。

40歳以上限定、豪邸を格安の家賃でルームシェアしていた男女。取り壊しが決定して、これまで住んでいた人々が集められ、7人がやってきた。最初の契約でリビングにある豪華なソファを誰かが引き取るか話し合いで決めなければならない。2年分の追加家賃を納めればそれは免除されるが、そうできなかったり、そうしたくなかったり。
住人の一人が自殺しており、その母親はどんな人々と同居していたのかを知りたいとその場に参加する。色恋ごと、虫が合わない人、見て見ぬふりなど、住んでいるときも判ってはいたけれど明らかにはしなかったことが、久しぶりに顔を合わせることであきらかになる。

この座組でこの作演ならば、笑いに溢れるかと思えば思いのほか物語としてはダークに。タイトルの「膿」はそういうことかと思うのです。年齢を重ねれば柔和で暖かい人になるかと思えばそうでもなくて、むしろ昔のあれこれの気持ち、いいモノも悪いモノもあるいは見下していた感情も卑屈になっていた感情も、ない交ぜになって熟成というか発酵して、どんどん陳ねる感じ、それが言えないまま別れ、久しぶりに会ってうっかり発露してしまう、ということが自分の実感としても、あるいはいろんな人々を見ても腑に落ちるのです。歳を重ねることは決して美しいことばかりではない「膿」の部分。

声を張るシーンこそあるけれど、取っ組み合いがあるでもないけれど、オジサンたちが陳ねた気持ちを抱えたままにぶつかり合うということの迫力。ずっと重低音で響いているようで観た直後はぐったりと疲れる感じで後味は決して良くはありません。地味なのにすごく高度に役者の力を存分に使って組み上げているんじゃないか、というのは、あとからジワジワとくるのです。

母を演じた白川和子、同姓同名かと思っていたアタシですが本人。しゃんとしてキッチリと舞台に立つ力強さ。金持ちのお嬢様を演じた小林さやか、男に裏切られて静かにキレるテンションも、それゆえ一歩引いたような、いけ好かない感じもいい味わい。アタシも含め観客業界(あるのか、そんなの)では姫と呼びがちな女優ですが、ほんの少し前の芝居とのギャップも楽しい。ヤリマンというすごい役柄を演じた高橋紀恵はポップな雰囲気がバランスを取っていて、見ていて辛くならなくて勝手に救われたような気になって嬉しくなってしまうアタシなのです。実直な男を演じた省吾、困った顔もその人物造形に寄与していて印象的。

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2016.03.07

【芝居】「憂いある永久機関」おちないリンゴ

2016.2.28 18:00 [CoRich]

115分。28日まで楽園。 自宅を使った絵画教室を開いている姉弟。近所の夫婦、美術教師が通っている。引っ越してきた女が見学に訪れるがわざといやがるようにし向けている。隣の家に引っ越してきた男は、姉も弟もなつかしく思う幼なじみだった。

家族が壊れてしまって長い時間を暮らしている姉弟、開いた絵画教室に集まった人々と、かつて楽しい時間を暮らし、しかし壊れる原因となった人々の二役を役者が演じることで進む舞台。教室の生徒たちがかつての人々に似てる、という台詞はあるけれど、現在自分の目の前に居る人々を通してあのころが見えているのかどうか、あるいは彼女の頭の中で記憶として再生されていることにすぎないのか、ということは明確には語られません。 自称未亡人の夫は、かつての幼なじみであったり、 絡み合わせた物語のおかげで、登場人物たちそれぞれに背負っているものがある人物を造型します。もっとも、必ずしも物語がある部分を担うという人ばかりではないのは、少々もったいない気もします。

絵画教室の教師を演じた木村佐都美は安心感。コミカルな役の彼女が好きなアタシですが、この物語で主役となればそれだけともいかず、痛し痒し。近所に引っ越してきた女を演じた加藤記生、回想でのかき回し感であったり、「自称未亡人」ゆえにあとから判る役柄であったりある種ラスボス感をしっかりと受け止めて。生徒夫婦の夫を演じた多田広輝は役としてはフラットだと思うけれど、不思議と味わいのある人物を造形していて、印象に残ります。

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2016.03.04

【芝居】「全然合わない」艶∞ポリス

2016.2.28 13:30 [CoRich]

90分。29日までOFF OFFシアター。

食べ方が汚いと指摘する彼氏は、金に汚い。祖父が亡くなったと聞いて二人は葬儀に列席する。喪主である長男の妻は義姉から香典を預かるが自分の借金返済に充てようとする。誰も知らない怪しい女が居るが最後を看取ったヘルパーだというが、その恋人が金の無心に訪れる。従弟は会社を経営していて羽振りがいい。
その妻が受付をしていたが、香典が無くなったという。

音を立てて食べることが気になる男は借りた金を返せといわれ先日奢ったのはその返済だと言い出したりと金に少々汚かったり、もめるのはイヤだからと無くなった香典を肩代わりしようかという男が借金まみれだったり、ネットショッピングが大好きで借金を抱えて人の金に手をつけようとした女が人に罪をかぶせようとしたり、バンドで必要な金を恋人から無心しようとしたり。「価値観の違い」を描くといえば確かにそうなんだけど、実際にはちょっと狭く、金銭を評価軸にして描きます。節約といいながら高価な車に乗っていたり、家では質素にしてるのに女につぎ込んでいたりと、どこに金を惜しまないか、どこの金は惜しむかというあたりが全体の物語を駆動する力になっています。それは作家自身が当日パンフに書いているそのままな感じでもあって、なるほど、作家自身の腑に落ちる物語を作ったということがよくわかるのです。

最初の方こそ、その「何に金をかけるかという価値観の差で」通すという語り口が少々苦手だったのだけれど、ここまで徹底しているのはいっそ清々しく、実はとてもわかりやすくなってるとも思うのです。

終幕、仲直りしたのかどうか、向き合って弁当を食べる恋人たち。女に対して男が太ったか、と訊く幕切れは「一つ障害を乗り越えたらまた一つ」な感じでコミカルだけれど、アタシの友人が指摘するのは、このシーンだけ、女が、くちゃくちゃと食べなくなっている、と。女が意図的にそうしているのか自然とそうなったかはわからないけれど、なるほど、せっかく寄り添ったのに男は太った?とか訊いてきて、まったくもう、というのは輪をかけておもしろくなる感じで。

彼女を演じた小野川晶、座った最前列ではあまりに近くて緊張するアタシですが、ちょっと汚い食べ方というある種のほつれが親しみやすくていいのです。従弟を演じた鶴町憲はあからさまに作った金持ち感、あるいは裏側の情けない表情、きちんと目を見て、話す感じもあって丁寧でありながら落差をきっちり作る力量なのです。

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2016.03.01

【芝居】「ミセスフィクションズのまんがまつり」Mrs.fictions

2016.2.21 19:30 [CoRich]

マンガを原作にした短編集、という位置づけだけれど物語というよりはスケッチを並べてショーケースのように。 5本立てで70分。22日まで王子小劇場。

最終戦で破れた女子バレーの三年生、引退までのわずかな時間を一緒に過ごす。「いまなく」(原案・鈴菌カリオ)
女子高生三人、二人は恋に破れたばかりだが、残りはまだ恋をしていない。いい人はいるようだから二人は全力で応援する。何でも共有したいから。「橋」(原案・平方イコルスン)
風俗店のバックヤード。結婚し農家に嫁いだ女が久しぶりに訪ねてくるが、新婚生活は厳しく、もうやめたいのだという。義母がもたせてくれたひとつの林檎がいい想い出だが、話を聞いた女はそれをがぶりとかじる。「リンゴの国のお姫様・森田早紀(源氏名 姫)」(原案・安田弘之)
あこがれの先生に関西弁をしゃべってほしいという女子高生、その代わりに草鞋を編むと約束するが、なかなかうまくいかない。「恋の草鞋編み」(原案・平方イコルスン)
訓練のため、その男の子の家に「女王さま」がやってきた。性的に困っている人を助けるすごい仕事にあこがれ、首輪をつけて女王様に服従することに喜びを覚える。ふとしたきっかけで家をでてしまったりするが、いよいよ卒業となる日。「ナオミ女王様に使えた日々」(原案・うめざわしゅん)

マンガの物語を紡ぐというよりは、70分で5本というペースで、全体としてはシーンや雰囲気を描くという体裁になっています。開演前は原作となったマンガを壁にプロジェクターで写すのがちょっとかっこいい。

「いまなく」はまさに、雰囲気を描く感じ。部活に全てを捧げてきた女子高生、引退を前に残りわずかな時間を共有する青春のいちページ。勝てなかったというのがポイントで高揚感よりは静かに進む風景を描くよう。物語よりはその気持ちをにじませます。

「橋」は、まあ同調圧力といえばそうなんだけど、恋愛経験のない一人を残り二人が応援する仲良さにみえてその実は同じ状態に落とそう、という腹黒さがポイント。

「リンゴ〜」は美しい女が風俗を足ぬけするも、それがうまくいかなくてくじけそうになる女。現状への未練の象徴を断ち切ろうとする後押しするひとかじり、そのあと芯だけを残して消える女の一点がポイントの一本。どこか薄幸さを感じさせる表情が巧い岩井七世がいい。

「恋の〜」は、先生にあこがれて編んでプレゼントする女子高生、それをマフラーとか手袋じゃなくて、草鞋で、というのが見事に類似系になっていて。形とかサイズとか作り方を探したり、あるいは応援してた友人があっさり巧く作って恋に勝っちゃいそうというのもありそうな感じ。マフラーでやればそれは甘酸っぱさという雰囲気だけを描くことになるけれど、草鞋にするというワンアイディアが見事。冷静に突っ込みつつ恋をあっさりかっさらいそうになる同級生を演じた堀口萌も、熱血風にがんがん突っ走る湯口光穂も雰囲気によくあっています。

「ナオミ〜」もまた、ワンアイディアの勝負。犬のブリーダーでその子供が犬を懸命に育てるがやがてくる別れ、というなら単に雰囲気だけれど、女王様を育てるブリーダー風というワンアイディア。もっとも、女王様育成という意味では飼われているのは女王様なのに、首輪を付けてプレイとして飼われているのはブリーダーというか飼い主という逆転も思いのほか見事にハマっていてうまく機能しています。女王様を演じた工藤さやのボンテージが眼福。

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【芝居】「ザ・ドリンカー」浮世企画

2016.2.21 13:00 [CoRich]

河鍋暁斎(狂斎, wikipedia)の評伝劇に驚く130分。22日まで駅前劇場。

狩野派で学びそれだけで食えるはずなのに、下野して錦絵や地獄絵などにも手を出し、戯作家たちとの交流も持つようになった画家。 一人目の妻を亡くし二人目も病に倒れたころから、謎の男にとらわれるようになる。それは描いた生首を描いたその男のように見える。二人目の妻を亡くし、男は亡骸を描く。
それから長い間一人だったが、三人目の妻を迎え、人気を博すようになるが、時代が大きく変わる中、新しいものに迎合するばかりでなく、かといって古いものに固執するのでもなく貪欲に進んで行く。

実在の人物・河鍋暁斎(狂斎)の評伝劇を時代劇のフォーマットに乗せて描きます。その男のぶれない、どこまでもクールな熱意を丁寧に描く感じ。仲間とは交わっていて、妻と暮らしていても、どこか醒めた感覚。時代が変わって人々がが変化してもブレない男は、不器用といえば不器用だけれど、あくまでもクールな雰囲気で描くのは作家の持ち味を感じさせます。

正直にいえば大きな事件は起こりづらく、物語はフラットに進むのだけれど、主人公に限らず静かなな中に秘める想いがかいま見える造型によってちゃんと楽しくテンションを持って見続けられるのは、役者たちの確かなちから。

現実に生きた人物を濃密に凝縮して舞台の上に再現するという描き方は、この作家の今までの舞台を観ているとちょっとびっくりします。作家自身の立っている場所から地続きな人々を描くという印象を持っていて、遠い過去の人物を評伝として描くのはずいぶん違う印象があります。もっとも、それはモノヅクリする人である、という点で彼女自身にとっては地続きということなのかもしれません。 当日パンフの言葉によれば、なるほど、この人物に作家が惚れ込んいることが書かれていたりして、たとえば友人の家の本棚を覗くように、作家のナマが垣間見えるようで楽しい。

主人公を演じた伊達暁はどこまでもクール、しかし片隅から離れない闇の部分を奥行き深く。主人公が少々苦手にしている戯作者を演じた松本D輔の破壊力すら感じさせるうざったさ、現実に居そうな感じでもあって強い印象を残します。病弱な妻を演じた四浦麻希、前半のマンガのような造型は珍しいあれれと思うと後半でちゃんと生きた人物に。しっかりと。

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