【芝居】「THE GAME OF POLYAMORY LIFE」趣向
2016.1.21 19:30 [CoRich]
一人の女性と二人の男性が一緒に暮らし同意のうえ互いに愛しあって暮らしている。
その女性の教え子だった若い男は元の教師が好きでたまらないけれど会うことすら躊躇している。
女性のことを大学生の頃から好意を持っている女性の友人はこの独占できない恋愛が理解出来ない。
が、あとから来た女性は同居している男性のうちの一人と別に暮らしを始める。
関係している人々全てが同意の上で恋も性愛も含めて許容する概念、と理解しました(wikipedia)。フラットに誰とでも性的交渉を持つというのとはちょっと違っていて、決めたパートナーたちと互いに同意してはぐくむ愛の姿。核の三人のうちは平穏な日々だけれど、そこに更に二人が加わったことによる揺らぎは全体の構造を倒壊させるよう。
独占したい気持ちとの兼ね合いであったり、パートナーがほかに行ってしまっても残りのメンバーが関係性を変化させながらも維持できるかなど、要素(ひと)が二つでも多様で面倒で複雑でそれぞれなのに、それが三つ以上になったら相当に面倒なことになるということは容易に予想されます。が、そのあり方を選んだ人々というのが現実にいて、それを冷静に観察するかのように紡がれる物語なのです。
静かな翻訳劇のようにひたすらフラットな演出はアタシの印象では題材に対して真っ直ぐに向き合おうと考えたものだろうとおもいますが、少々長くも感じて。 当事者に近い立場の監修者が居るようだけれど、正直にいえば切実さが見えてこないもどかしさ。 もちろん殺人を起こさなければ殺人事件を描けないというわけではないのと同様、そういう嗜好であったり、体験しなければ描いていけないとは思いませんが 結果として、演出のせいなのか、作家の元々の本が描くタッチがそうなのか、どこか遠い場所から表面をなでるように描く感じであって、それはライトですてきでおしゃれな描き方だけれど。
こういう、やや一般的であるとは言いがたい嗜好を肯定的に描くのならば、もっともっと身を切るような気持ちで寄り添いたいと思うアタシなのです。 もしかしたら、アタシにはお洒落に過ぎていて、もっと身近な感じに感じられればいいだけかもしれないし、単にアタシがそういうことしたいだけじゃないか、ということも否定しきれないわけですが(情けない)。
ずいぶん昔に上演された「M.K.プロデュース「SWAP」(作 川上徹也 演出 杉本タダスケ 1998.1 近鉄小劇場・青山円形劇場)(2004年 再演)を唐突に思い出しました。ボノボをモデルに二組の夫婦が別の配偶者との性的関係を持つという話でぜんぜん違う話で、実は記憶もかなり曖昧なのに。んー。
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