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2016.01.22

【芝居】「ドアを開ければいつも」みそじん

2016.1.11 14:00 [CoRich]

女優四人による90分の芝居を同じ場所で季節の設定と役者を替えながら断続的に公演をする企画公演の冬バージョン。ワタシは劇団初見です。12日まで。築地市場にほど近い飲食店の二階、atelier.TORIYOU。このあともこの場所で季節と役者を替えながら上演を続けるようです。今回は長女・岩瀬晶子、次女・松本紀保、三女・大石ともこ、四女・吉田芽吹。

母親の七回忌を控え、次女の住む実家に集まる四姉妹。一緒に住んでいる父親は出張で明日戻ってくる。長女は結婚し家を離れて子供も居る。次女は結婚しないままこの実家に住んでいる。三女は父と反りが合わず美大に進んで家を出たが今はもう結婚しているがいろいろなものに手を出して今は染色に凝っている。末っ子は最近近所で一人暮らしを初めて会社勤めで忙しい日々を送っている。
それぞれの近況を聞き、それぞれに姉妹たちのことを心配し、横柄な父親のことに辟易していることを共有し、亡き母に想いを馳せる。

結婚や出産あるいは仕事、親、実家などロールモデルがさまざまに分化していく三十路前後の四姉妹を物語に据え、仲良は確かによくて互いを思いやる気持ちは十分あるけれど、人がよかれと思って云うことに内心いらついていたりをそれぞれに抱える女たち。それは決して悪意なんかじゃないけれど、姉妹であったとしてもそれぞれにズレて持っている自分の価値基準に照らし合わせて相手をそこにはめ込んで想い測れないこと。中盤以降に小出しにされるのは、次女が秘めていた想いや体験。

正直にいえば、秘めていた想いやそれを知った姉妹たちの激しく揺れる感情の発露が、四人が四人とも崩れるように大泣きするというのが少々醒めてしまって勿体なく感じるアタシです。それまでクールであった次女が泣くという効果や泣くことによって気持ちが一段溶け合うということをねらっていると想像するけれど、四人という人数の登場人物全員がとなるとやや過剰な感もあって、違うベクトルがほしいところ。

誰一人携帯を持たず、「国電」という単語が現れるということは30年近く前の時代を描いているという感じだけれど、特定の時代に依存することはなく普遍的な人物の描き方という感じ。四季を通じて上演を重ねてきたということは、その季節を感じさせるためには少し古い時代を想定して描いたほうが雰囲気もでるし描きやすいということかもしれませんが、それは成功していると想うのです。

狭い空間での上演、多くの人を適切に誘導するということのスキルがすごい。誰をどこで待たせて、何処に座らせて、ということを緻密にコントロールして、客席を「組み上げる」ように空間を作り出すというのはたいしたもの。なかなかできることではありません。

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