【芝居】「ファニー・ピープル」シンクロ少女
2016.1.15 19:30 [CoRich]
17日までスズナリ。130分。
街をでていた男は15年ぶりに戻ってくる。あのとき親友だった男はばかばかしい話をしながら楽しく連んでいる。いつも行っていた蕎麦屋は同級生の女が恋人の女性と一緒にタイ料理屋に変わっている。
高校を卒業した人々、双子の兄は働きながら妹を大学に通わせる。同級生は高校の時の年増の高校教師の家に夫や子供の不在をねらって通い続けている。
(性的な意味を持たない)ホモソーシャル、ということばがぴったりくるような笑ってばかりでつるむ男二人、あるいは心から仲の良い双子の男女であったり。ゆるく暮らす人々。それぞれの人々を優しい視線で描ているけれど、作家はその裏側にある辛さをしっかりと裏打ちしていて、それは後半に至りつらさを紛らわせるためのマリファナがこの人物を支えていたり、ということが哀しく、深い。
ふとした弾みでさまざまが露呈するけれど、ぼんやり判っていたとしてもそれを自身が話し始めるまでは訊ねたりしないという感覚。こういうバランスというか距離感の絶妙さにますます磨きのかかってきた作家。一緒に居たからこそ、あるいは一緒に居られなかった長い時間が醸してきたものをきちんと感じさせる描き方は、どこかかっこわるく、しかし気持ちを揺らすのです。
達観したような女のヤキモチの可愛らしさ、ほわんとしてインドに行って戻ってきた女のふわふわ。親友だったからこそ戻ってきたことのうれしさ、双子の妹が居なくなった穴を埋めるようになにもかも先送りにしてこの楽しい時間がいつまでも続いていればいいという感じ。
しかし、田中のり子が実にいい。物語の上ではあのころのバランスが急激にくずれるきっかけの一つという役割なのだけれど、それこそ「汚い棒」をもつ男をずるいという言葉でいう中盤など、 歳を重ねて、女として求められることを心底喜ぶのは実に俗物的に、じつに滑稽に描かれるけれど、なんかとてもよくわかる感じだし、ダメだとわかっているのに、そこにずぶずぶとはまりこんでしまってもなお嬉しいという気持ちを抑えきれないある種のエロさがほんとうに可愛らしい。
あるいは実は好意を持ち合う双子の男女。 欲望のまま突き進みそうになる男、それを拒絶する女、そこで手のひらを返したように何のために養ってるとおもってるんだと罵倒する男の身勝手さとその怖さ。女性だからこそ見えているんだろうなぁと思う風景。トールのフラペチーノがのみたい、という音感が絶妙で、二回目のそれは性行為思わせるのは考えすぎですかそうですか。
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