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2015.09.28

【芝居】「ダイヤモンド」ドリームダン

2015.9.19 19:00 [CoRich]

再演らしいのですが、アタシは未見です。20日まで雑遊。

古本屋のバックヤード。期日が迫った古本市の荷造りをしている。社長は美しい妻がいるにもかかわらず若いバイトに入れあげたり、近所のスナックのママとただならなかったりしているが、表面的には穏やかな日々だが、社長の妻は浮気相手と勘違いして別のバイトを殴ってしまう。
偶然居合わせた、バイトの面接に来た四十男は勘違いされ、殴られたバイトとともに追われる身となる。

作家自身が当日パンフで書いているように、若いイキオイで押しまくる話は、際限なくあちこちに飛び、どこに着地するかさっぱりわかりません。古本屋のバックヤードの物語は夫の浮気心、疑心暗鬼にとらわれた若い妻の話をベースにした会話劇。 中盤では面談に訪れた四十男をめぐって、勘違い取り違えるあたりのコミカルなシーンが好きです。この勘違いで生まれとか名前がわかっちゃう「個人情報」が相手に伝わってしまうというあたり、なんか手品の種明かしのようで楽しい。

会話劇かと思うと、後半では、あれあれという間に至り港町でのチェイスアクションの様相を見せたかと思うと、行き別れた兄弟の話やらと、大回転かと思うと、記憶を失ったあまりモテなそうな男女が結ばれそうなラストシーン、でもその男女が互いに付けあう名前は記憶を失う前に好意を持っていた若い人妻であり、あこがれの社長であり、というのはあまりに切ない。

バイト暮らしの四十男を演じた安東桂吾、こういう巻き込まれるちょっと情けない男を演じさせるとまあ巧い。恋心を抱きながら告げられないバイトを演じた菊池美里、この布陣の中では男受けのよくなさそうな雰囲気だけれど可愛らしいと思うんだけどなぁ。疑心暗鬼にとらわれる妻を演じたもたい陽子、本当に美しく、しかも役通りにびしっとスタイルよく、人当たりも素敵で女神のよう。サイボーグという別名で呼ばれる筋肉男を演じた椎名茸ノ介は、得意技なキャラクタ。地味な事務員を演じた舘智子はい、ゆったりと癖のある口調も含めて、「らしい」感じをきっちり。

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【芝居】「ホテル・ミラクル2」feblabo

2015.9.19 14:00 [CoRich]

歌舞伎調のラブホテルの一室を舞台にした4本コンピレーション。95分。

大雨から逃れるために入った先輩後輩。携帯の電源は切ってください。「本番の前に」(前説)
互いに愛しているが夫の不全で3年間没交渉の夫婦。夫は一計を案じて別の夫婦との交換を画策する。 「こうかん」(作・米内山陽子)
売れない作家がホテルにデリヘル嬢を呼ぶ。安部公房を読んだりする、という。作家はまだ何者にもなれず他の人とは違うということをずっと考えているが 「砂と棒」(作・裕本恭)
女子高生は姉がファンだという歌手とTwitterで仲良くなり、ホテルの一室で会うことに成功する。初恋している相手は居るのだけれど初恋は実らないから、この男と練習して意中の相手とうまくいきたいのだという。 「初恋は消耗品」(作・ハセガワアユム)
見下していた男に口説かれてホテルの一室。東京湾には巨大怪獣が現れ、街を破壊している。だからこそ男はこれが最後とばかりに口説いた。女は別の男の事が好き、そのつもりで抱かれるのでもいいというが。 「獣、あるいは近づくのが早すぎる」(作・服部紘二)

ベッドとソファ、イスとテーブルが少し離れて配置。シンプルな雰囲気 でホテルの一室を作り出しつつ、枕元に2個のコンドームというアイテムだけできっちりラブホテルの一室にしてしまいます。

「こうかん」は勃たなくなった夫が案じた夫婦交換プレイ。唐突にすぎる解決策に混乱し拒絶する妻だけれど、単に雑に淫乱というだけではない相手夫婦の事情や細やかな気持ちが寄り添うことで変化していく、という過程。「はじまったところで終わっちゃった」と感じてしまったのは、なんかAV的に見えてしまってその先がありそう、と思ってしまったからだと後から密かに反省するアタシです。人物の心なり気持ちなりが変化したことを描いたこの部分こそが物語で、そこを細やかにきちんと描きます。

「砂と棒」はまだ何者にもなれない男の自分探し、文学を志しそれが自分の特質だけれどまだ認められてない悔しさ。その裏返しなのかストレスの発散なのか、金を払うという行為によって自分の立場を上に見せたいという尊大さ。金をもらう側だからとある程度は受け入れる女。当たり前のことだけれど、彼女だってきちんと知性もプライドもある一人の人間で、その二者の攻防を描きますが、女自身もまた胸が豊かという「人にはない自分の特質」があると思っても、「この店ではそれもまた普通」という一つの台詞で、決して突出してすごいわけではなくて、たくさんの人間が居ればそのくくり方次第でオンリーワンになったりならなかったりして、その中でどう折り合いをつけていくのかという生き方の構図を提示するよう。

「初恋は消耗品」は作家らしく例によってぶっ飛んだ設定。初恋は実らないもの、というある種のノスタルジックな考えを出発点に、だからレベル下げた練習台でよくね?という発想をする女子高生は前半どこか大人っぽくナニサマな雰囲気で優位に立とうとするけれど、恋人っぽいことを重ねた後半、別れるという段になってどっぷり恋にハマってしまう幼さがかわいらしい。元々好きだった姉の元旦那、このタレントがかつて付き合っていた女というぐあいに、物語の外側に更に二人を設定し、一回りして捻れてる感じは少々綺麗すぎるまとめ方ではあるけれど、コンパクトで見やすく印象に残るのも事実で難しいところ。

「獣、あるいは近づくのが早すぎる」もまたある種、マウンティングの話というか、気が弱い男が最後の勇気を振り絞って手が届きそうにない女子への告白、あるいはこういう特殊な状況だからなのか、女もいままで見下していたのに抱かれてもいいという。夢と云えば夢、だけれどそこから何の希望もない終末感。

綺麗な女優があんなことしてみたり、あれこれしてみたり、駆け引きしてみたり、あるいは性癖を見せたり、なんてことをしてくれてる、と幻想を抱かせてもらう、というのがこの芝居に対する観劇オジサンとしてのアタシの立ち位置ですが、やはり年齢に近い感じ受けるからか、「こうかん」がわりと気持ちとしては近く。あるいは「初恋〜」はその眩しさが懐かしく感じてしまうのです。

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2015.09.26

【芝居】「ピッピピがいた宇宙」あひるなんちゃら

2015.9.18 19:30 [CoRich]

劇団員だけ3名で上演する65分。21日までOFFOFFシアター。福岡公演も予定されています。その回の録音音声データ販売に加えて久々のテーマ曲CD販売もうれしい。

宇宙旅行に来た兄妹。宇宙ステーションに付いて地球をみた妹がつぶやく「地球は青かった」。ぱくりじゃんと突っ込む添乗員。が、その言葉の意味は変わっている。もうひとつ、そこに現れている何か。

ゆるい、いわゆる駄弁芝居のテイストは今まで通り。この劇団、時々劇団員だけの三人芝居を上演( 1, 2)しています。方法論として確立していて、安定、実は隙のない台詞をゆるゆると聞かせる揺るぎなさ。

「地球は青かった」というひとことの幕開け、(タイトルにもあるけれど)宇宙の話、だということをその一言で。三人の関係がさらりと紹介されて、「青かっ【た】」という過去形なら状況が違うからパクリでも許すというあたりで不穏な状況なのだということがわかります。そこに(椅子にしか見えない)宇宙人、しかも座ると痒くなるという「物体」が現れたりと、あり得ない状況を次々と提示し、そういう世界の話、ということを納得させられる力業に乗っかるのも楽しく。

妹を演じた篠本美帆は、ボケ、かき回して物語を引っ張ります。添乗員を演じた関村俊介は時に突っ込んだりもしますが、基本的にはボケる側で、このめちゃくちゃな状況に物語をとどまらせ続ける力。兄を演じた根津茂尚はやや弱気で、そしてノーマルな感覚につっこみ巻き込まれる男。 土曜夜の回では公式サポーター日栄洋祐によるトークショー。ちょっとぐだぐだだけれど、それもまた味。公演には出なかったけれど、新人が加入したと紹介され、また新しい魅力への期待が高まるのです。

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2015.09.23

【芝居】「無頼茫々」風琴工房

2015.9.17 19:30 [CoRich]

2009年初演作をキャスト一新で再演する125分。20日までスズナリ。安保法制が大きく動いたこの日にみたのも印象深い。

例によって、以前の舞台の記憶が曖昧なアタシですが、戯曲そのものはほとんど変更していないのだそうです。扱っている話題もいわゆる「社会派」だし、言論機関たる新聞と政府の緊張関係を描く物語で、お堅くなるかといえば、思いのほかエンタメに。新聞社と主人公の下宿という二つの場所を行き来しながら、はなしている内容は熱い記者の誇りなのだけれど、その場面の転換の演出がものすごい。

ポップでジャジー、軽やかさと重厚さを併せ持つ音楽に乗せて、時に踊り、時に飛ぶように。とりわけ机の使い方は大きな発明です。下宿のシーンでの大きめの座卓の両端に高い足のついた小さなテーブルを合体させること新聞社の大きなテーブルを瞬時に出現させるアイディア。それを支えるかのように舞台奥、二つの場面の背景となる二枚を上下させて幅いっぱいの開口部を作り出すことで人と物の出捌けを実にスムーズに。両脇の壁には天井まであろうかといういっぱいに貼られた新聞柄というのも象徴的で美しい。

元々は明治の人間をモデルに大正時代に翻案し、女性が働くこと、新聞や言論と政治の立ち位置というか関係が大きく変化していく時代、いろいろんなことを詰め込んで、ぎゅっと圧縮。語り手というか解説を間に挟んでいくことで、当日パンフに解説文などを乗せることなく、しかもエンタメの体裁で熱く、しかし深刻なものがたりを深い奥行きを持ってかたる作家の力を思い知るのです。

9年を経て、キャストは一新。最近の風琴工房を支える役者も多く、更に初参加でもそこにワタシが何年も観てきたような腕力めいっぱいの役者を取りそろえた一本は、この劇団のマスターピースにふさわしい仕上がりになっているのです。 板倉チヒロはかっこよく、突っ走る感じが実にかっこよく。桑原裕子はまさかの(失礼)貴婦人だけれど、登場からして格闘しまくりの出オチかと思わせておいて、金を持っているものなりの貧困の現場取材に対峙する矜持を見せるシーンは毅然と。酒巻誉洋は軽薄なほど軽やかにしかししっかりと語り部を、今藤洋子はチャキチャキッだが健気な女をしっかりと描くけれど、コメディエンヌとして凄さがもっとみたかった。下宿の主人を演じた金成均の落ち着き、ぶれない感じがカッコイイ。 杉木隆幸はかつて熱い気持ちを持ていながら心折れたという男の影を哀しく。 永山智啓は軽いというよりは真剣に考えた結果の弱気という造型をしっかり。 たなか沙織は、職業婦人に憬れながらもいわゆる市井の女、終幕の花嫁姿がほんとうに美しい。 川村紗也はちょっと気の強い妹というキャラクタが可愛らしい。

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【芝居】「プラスチックプール」waqu:iraz

2015.9.17 15:00 [CoRich]

ワクイラズの特性であるスタイリッシュなダンスをダンサブルな音楽に乗せて、そこにちょっと拗らせた女たちの短編を紡ぐ95分。20日まで空洞。

女たちが集い「永遠の水辺で」(ダンス)
トラックの運転手をしている女、朝、ラジオからは交通情報「青空の底1」
商店街でお針子をしている女、学生の頃からつきあって結婚した夫には難の不満もない 「あともう一度だけ」
女子高生、姉は厳しいこというけれど門限が守れないし、ご飯食べて誘われたら断れないし、趣味は地面占い 「アスファルトの継ぎ目がただの三角に見えるかケーキに見えるか」
女子高生は街で男と待ち合わせることになっているが電話を受けて先に部屋に入ることにして「窓のない部屋1」
東ティモール、米・中の女性たちと相部屋になったカメラマンの女。もっと話せと促され、自分は恋人から結婚を申し込まれたから旅行に来た、という「ドミトリーにて」
閉架担当の司書、職場でもつきあいが悪いと思われているのはわかっているが、ギリシャ神話の女神たちの話がおもしろくてハマっている。職場の噂話が好きな女たちによく似てるじゃないか「みんな繋がっている」
あまりに眠いので休憩しよう。ラジオから聞こえてくる投稿/痴漢にあってから男が怖くて就活は全滅でラブホの清掃スタッフになっていて「青空の底2/窓のない部屋2」
内勤の営業補助、不倫から抜け出せない先輩と窘める後輩 「自分を大切にね」
妹が仕切って応援して。何食べた?けれど妹とイタリアンレストランに居たのは「トーフラバー」
いつでも店にいると近所でも噂のレジ係はレシートからメッセージを受け取る。「宇宙からの手紙」
トラックドライバーは働かない男と暮らしを支えている。いつかかわるかしら「青空の底3」 「ふたたび永遠の水辺で/すべてのコントロールは必要ない」

コの字型の客席に舞台はフレームを組み込んだシンプルな作り。女優たちは時に可愛らしく、時に大人の雰囲気でかなり大量のダンスを作り込んでいます。ダンスが苦手なアタシだけれど、物語の比率が大きいからか、物語・ダンスともそれぞれのピースが小さいおかげか、見やすく楽しめる一本なのです。

ダンスは美しさもさることながら、ややテンポの早いダンスミュージックやジャズ風味の音楽も格好良く、スタイリッシュで本当に格好良く。正直にいえば、基本的には正面から見るように作られているのは、この客席配置だとちょっと残念な感じは残りますが、大した問題ではありません。正面から取られた舞台写真を見ると、ああなるほど、水槽のような「プール」なのか。

一つ一つの物語は、何かの変化を描いたり、何かが解決したりする物語というよりは、そういう造形の人物たち、をゆるやかに繋いで描くフォーマットになっています。まあ、それにしても集めたなぁ、というぐらいに様々なレベルで拗らせた女たち。誰かが云ってたけれど、アタシが大好きな感じ。作家が書くものが作家を反映するわけではないけれど、こうも拗らせ女子ばかりが並ぶと、作家は大丈夫なのか、いい恋してほしいと、彼女のプライベートを何も知らないくせにお節介な気持ちになってしまうアタシです。

「青空〜」は3つのパート。生放送のAMラジオの声にいちいち反応しちゃう運転手な序盤、眠すぎて危ない運転との中盤、彼女自身の話の終盤。この中では唯一フィジカルな「労働者」で地味なTシャツ姿だけれど、終幕の美しさが際だちます。ドライバーを演じた土屋咲登子のガテンな姿がかっこいい。

「〜一度だけ」はどこから見ても上品で絵本の世界との境界線のような「お直しのお針子」をする女性、誰もがうらやむ幸せに忍び寄る隙。あくまでも表向きの上品さ、内側に秘める気持ちの動きを細やかに。演じた原田優理子はおだやかさな造形で可愛らしく作るだけに、内側に何があるんだろうと思わせる一種の怖さがあります。

「アスファルト〜」は援交する女子高生の半笑いの一人語りがベース。その先の何かをあきらめているのか、それとも何も考えていないのかどちらとも取れる絶妙の表情。演じた尾崎冴子は軽やかなステップ、少しばかり小憎らしいしゃべり方が印象的です。

「窓のない〜」は二つのパートに別れ、前半で女子高生の援助交際を見送る女という片鱗を店、後半はラブホスタッフという彼女自身の話として、痴漢にあった男性恐怖症とそれに耐えるための盗癖を持つ女。深刻な話で、そんな簡単に救われることはないのだけれど、山丸莉菜が演じたどこかポップに話す造型は、後半の「自分を〜」と組になってどこか救われるように思えるのです。

「ドミトリー〜」は外国のドミトリー。まじめな日本人!につっこむ米国・中国の女性たち。カタコトで喋っても恋だの結婚だの、という言葉が聞こえれば盛り上がる、というのは万国共通なのかどうなのか。 「求婚されたから、旅にでた」ということのおかしさなんだけれど、それを外国語行うことで、もしかしたら聞き間違えたのではだって理屈が通らないし、という体裁になっているのが一工夫で巧い。カメラマンを演じた長尾純子は真面目な感じに、中国人を演じた尾崎冴子はクールビューティなアジア人、米国人・武井希未はパワフル、ちょっとずかずかくる欧米人の造型。

「〜繋がっている」は職場の女たちが奔放なギリシャ神話の女神たちに見える、という静かに暮らしたい図書館司書の女の話。司書を演じた武井希未は前パートとはうってかわっての造型で落差に驚きます。

「自分を〜」はまるでジェーン・スーかと思わせる、不倫にハマる女がそれを断ち切る勇気と笑顔。そんな恋をしていても幸せだといっていても、それを鋭くつっこむ女が「窓の〜」で男性恐怖症だった女という形になっていて、失敗続きだった就活だけど就職してよかったと思ったりもしつつ。彼からの連絡は直前で、前日に来る連絡は合えない、というのがヤケにリアル。杉村誠子が演じる不倫にハマる女が勇気を持ってメールを送る、それに続いて笑い合う女たち、というシーンが実にいいのです。

「トーフ〜」は「アスファルト〜」に対応するかたちで、奔放な妹をみつづけている摂食障害の姉の話なのだけれど、それゆえか、何を食べたのか、ということを尋ね続けるのは、もがき続け地得るようで苦しい。妹がイタリアンレストランに一緒に居た男は、姉の恋人か、はたまた片想いか。桑原史香は台詞は少なく、ダンス・身体表現を中心に演じるけれど、どちらかというといわゆるアニメ声に近い可愛らしい声も実は印象的。

「宇宙から〜」はレジ打ちのプロフェッショナル、レシートから何かのメッセージを読み取るという「ヤバい」女の話は、全体の中ではSFなのか、単にやばいのかというのもわからずに、異質なのだけれど、「青空〜」パートでラジオDJを演じたりという関森絵美で振れ幅を印象づけます。

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2015.09.19

【芝居】「幕末緞帳イコノクラッシュ」レティクル東京座

2015.9.13 19:30 [CoRich]

本編130分、休憩を挟んでライブパフォーマンスが10分ほど。15日まで、王子小劇場。アタシは初見です。

幕末、「現代会話演劇」の祖に学んだ門下生三人が旗揚げした劇団は師の没後に人気を集めるが、方向性の違いから解散する。一人はその会話演劇をより押し進めるが、一人はアングラに、一人は派手なエンタメ芝居を志し活動を始める。時の将軍は人心を掌握するため直属に作ったイケメン劇団を作り、跡継ぎに破れた少年は女性だけのアイドル劇団を作る。将軍はその力を誇示するために演劇フェスを開催し自らの劇団を知らしめようと考えるが、その将軍の心を掴んだのはエンタメ芝居の劇団で、自らの劇団を解散しその劇団を全面的に支えることにする。動員が増え、やりたいことができるようになっていくが、将軍はその地位を盤石にしようと会話演劇の主宰を捕らえ拷問する。アングラの主宰は自らの命の短さを知り、より退廃的に先鋭化していく。

幕末の志士や将軍たちの物語を下敷きに、演劇を志す若者たちと、その外側で何かを企む大人たちという構図で語る物語。派手な音楽やダンスを存分に入れながら、がっつり笑わせてみたり、あるいはメインの物語を進めながら脇でコネタをやらせてみたり(しながらも、物語に重要な点だけをきっちり押さえるように演出されているのは巧い)。演劇の構図にしても、会話劇(新劇と現代口語演劇か)、アングラ、エンタメ、あるいは大衆が求める薄っぺらなエンタメ芝居、女性アイドルの芝居など、現実の演劇界の映し鏡のようだし、将軍の寵愛を(文科省などの)補助金、と言い換えるのもわかりやすい。

とはいえ、別に演劇の何かに詳しくなくても、がっつりエンタメでしかもコミカルなシーンてんこ盛りとなれば、芝居を見慣れない友人だって連れて行けそうな間口の広さと敷居の低さは嬉しい。沢山の人数できっちり、それほどには無駄な役もない、というのは観ていて安心出来るのです。

レビューに関して云えば、短い時間に5曲、サイリウムを配り、爆音な混乱で紡がれる曲の数々は、どこか「暴走ちゃん」(ex. バナナ学園純情乙女組)の雰囲気も醸し出します。ロビーを楽屋に、楽屋を通して観客を入れる導線、という劇場を逆使いにするというのも似ていると感じる理由かもしれません。こちらははるかに安全で、わかめとか水が飛んできたりはしませんが。

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2015.09.16

【芝居】「他人と一緒に住むという事」俺は見た

2015.9.13 13:00 [CoRich]

あたしは初見の劇団です。信頼する友人のよさげな評価を見て当日券で、客席はちゃんと埋まり、しかももう一人の信頼する友人も客席にみかけて、見応えある110分。13日まで雑遊。

メーカーを辞めてソーラー発電の機器販売を始めた男は最近若い女と結婚したが、女は同居を拒んで通い婚になっている。同僚の営業職だった男も会社を辞めて飲食店をやっていたが店をつぶして無職となり、別の同僚で映画を撮っている男の家に転がり込んでいるが、恋人ができたばかりの家主からは疎まれている。そればかりか家主を訪ねて転がり込んできた元カノのSM嬢に手を出すが逆に服従させられてしまう。 家主の恋人は自立したいと別居しているが、絵描きになりたい幼なじみの男と同居しているのが気に食わず、それぞれの家を引き払うことにして強引に同居する。
それぞれの家に居候していた、絵描き・SM嬢は、無職の男の知り合いである機器販売の会社の社長宅にすまわせてもらう代わり、業務拡大を狙う社長の頼みで、男二人は新たに営業になる。数十年にわたる営業の経験から実績を積み重ねて、前から営業のリーダーだった若い男にとってかわり営業部長となる。

手書きのコピー(あるいはリソグラフ)な当日パンフ。そういえば、パラ定は最初のころの販売用の戯曲が手書きだったなぁと思い出したりしつつ。あれはすごく印象的でした。

いまどきの経済状況らしく(あるいは明日は我が身に思える)「住む場所がなくて他人の家にカジュアルに居候する」人々をベースに、それとは逆に結婚なり恋人なりの関係なのに同居を拒む女の存在が生み出す物語。それぞれに癖のある人物のエゴや感情がやけに強いリアリティをもって描き出されていて、どうしてそういう行動になるのか、ということが納得できる厚みをもっているのです。作家は当日パンフで40代未婚といっていて、だからか、アタシもギリギリ40代未婚だからか、タイトルの「他人と一緒に住むという事」が身近に感じられて、それはその夢のような出来事(の想像)だったり、あるいはその面倒くささ(の想像)だったり。

前半で、危ういながらも均衡を保っていたそれぞれの関係は、恋人を独占したいと思う男の思いによって住処を追われた3人の奇妙な「パーティー」によって、がらりと人々の関係が変化していくのですが、まった見た目もパーソナリティーも異なる3人がぞろぞろと歩いて行くシーンは見た目だけでくすりと面白いし、そこで物語も関係も変異していくということのタイミングが見事なのです。

長いサラリーマンの職を失いながらギャンブルは辞められず(谷保、府中といった南武線沿線なローカルさがまた強烈なリアリティ)、知り合いに金を無心しながら居候生活を続ける初老の男、若いSM嬢に、その歳で働けば上司は自分より若いと論破されて 服従させられる姿は滑稽です。が、再び得た営業職で結果を出して営業部長という地位を手に入れると、その「遊び」にはつき合わなくなる、というのは自己評価の変動で関係が変化していくということを見事に描きます。
あるいは、その女王様を元カレが「打たれ弱い」と云うことが、この初老の男との関係でもじわじわ効いていて、服従させる側に見えても実は互いの依存で成り立つ脆い関係で それゆえに嫌われればあっさりと物語から姿を消すのにも説得力があるのです。
初老の男を演じた橋本利明の落ちぶれた感じも、仕事で自身を取り戻す感じも説得力があります。SM嬢を演じた八木麻衣子は登場でリアライズの色っぽさと強気のプレイ、あるいは傷ついたことを訴えるガラスのようなハートのあいまった雰囲気が印象的。

この物語の世界の人々ががらがらと壊れていくきっかけを明確に作るのは、25歳の女の存在です。特異点のような位置付けで少々無理があるとはワタシも思います。 社長と結婚しながら同居を拒み、別の恋人とは同居するもののその束縛に嫌気がさし、幼なじみの食えるかどうかわからない絵描きの男には近い気持ち。 いっぽうで勉強も海外の留学も何もかもまだやりたいことが山のようにあってとは云う。 それを理解できない夫かつ社長も恋人もアタシの年齢に近くてよくわかる。が、一方で若い彼女が若いときにこそ価値があって年齢を重ねれば何もできなくなる、という強迫観念 を持つというのも、どこかわかるな、とも思うのです。

正直に云えば、暗転中含め舞台裏で何か物音がわりと大きく聞こえたり、客の入れ方だったり、荒削りに過ぎるところは散見されますが、それよりも、オジサンにちょっと凄いと思わせるリアリティを丁寧に積み重ねる力はまた観たいと思わせる馬力を感じるのです。

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2015.09.15

【イベント】「シャワー」(月いちリーディング / 15年9月)日本劇作家協会

2015.9.12 18:00 [CoRich]

すでに一度上演をしていて、再演にむけてのブラッシュアップというふれこみ。冒頭部があらかじめネットで公開されていて、約2時間弱のリーディング、1時間弱で観客交えての討論というスタイル。ustreamの中継と録画(1ヶ月の限定)、解散後にだれでも参加可能な懇親会が設定されています。

「穴」の入り口を警備するヒューマノイド。周囲は住めなくなっていて、遠くに見えるプラントは廃炉の為の研究施設になっている。 ヒューマノイドは大量に降り注ぐそれの影響からか、クラウドとの記憶のマッチングに違和感を感じているが、更新プログラムが送られてくる気配はない。人々の暮らしは厳しく、研究施設で働こうと思う人々がいる反面、そこを逃げ出してくる人々も居るが、砂漠ばかりのなか、ヒューマノイドと出会う。

原子炉廃炉、住めない場所、回らない経済で生活もままならない搾取される側とエリートの側。あるいはエリートに這い上がった側。さらに人間、クローン、ロボット(ヒューマノイド)というもう一つの階級軸という差別の問題も取り込んで語られる物語。この舞台設定から想像できるとおり、いまどきの日本に渦巻く負の側面の話題を数多く盛り込んでいます。

おそらくは作家の問題意識が及ぶ問題を数多く入れた結果、それぞれの問題意識は見えるものの、その中で翻弄される人々という意味でも全体に人物が平均化してしまう感じは正直残ります。リーディングなので衣装や位置関係を頼りにできないなど演出の助けを借りられないという側面はありますが、それゆえに、この戯曲の生の姿があらわになる、という怖さも感じるのです。

初演はもちろんこちらが先なのだけれど、映画・マッドマックスFRこと怒りのデスロードに近い印象を受けました。子供を産む為の女、働かせる男、水の貴重さなどの題材が重なります。

討論は説明のしすぎかどうか、その問題をどう扱うかについての部分が多く占めました。ファシリテータは頑張ったといえます。俺ならこう演出する、というプランを示すゲスト(ロボット三原則から始めればわかる、というのは同感です)やクローン技術に詳し過ぎるゲストなど、丁々発止のやりとりも楽しいけれど、戯曲のブラッシュアップを目指すという目的の会ならば、今回に関して云えば戯曲に対する意見のバリエーションという点では少々心許なかった感じは残ります。

半分しか聴けなかったと前置きして最後に意見を述べた坂手洋二は、作家の問題意識も迷いもそのまま描かれていて情報を提示することを躊躇う気持ちがある(のでそれはそれで大切なことだ)といい、それはその通りで、しかしそれは観客を引っ張るためのアジェンダが分散してしまうということかもと感じたのです。

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【芝居】「深海大戦争」パラドックス定数

2015.9.12 14:00 [CoRich]

13日まで上野ストアハウス100分。終演後、これは前編ということにしたい、と申し訳なさそうにいう主宰ですが、なかなかにエンタメ。

北極海、氷山の近く。すべての海を手中に収めんとしているクジラの王。かつてシャチに知恵を授けられたという伝説を信じ、今もシャチを腹心に力で海を制圧しているが、その息子は争いによらず、対話で平和を維持しようと考えていて考えが会わない。近くには大王イカの棲む海域があり、食物連鎖の関係にはあるが、均衡が維持されてきた。
ある日、その北の海に南極から皇帝ペンギンが泳ぎ着く。大王イカの親子と出会い、暮らしているが、「皇帝」の名を恐れるクジラは、大王イカもろとも殲滅しようと考える。イカの大王の弟はずっとしゃべれないままだったが、氷山から滑り落ちた「鋼の鳥」に知恵を感じて、それを手に入れることで自分たちは進化するのだ、と固執しはじめる。

絶対的に存在する食物連鎖を受け入れること、そこに現在の私たちだったり、あるいは自分たちが扱える以上の強大な力を手にすることの危うさ。 無言の動きだけで、全段となる伝説のものがたり。 ダジャレも含めて軽い語り口で見やすい中盤、そのうちに、物語はおもいのほか、争いの起こるプロセスであったり萌芽を丁寧に描くのです。外交官、東京裁判とはまったく違う語り口だけれど、史実を下敷きにするのではなく、人間がどういう思考のプロセスを経て戦争に至るのか、という一類型をコンパクトに描いていて、そういう意味では確かにあたしの友人の云う童話なのだなあと思ったりもするのですが、童話は物事をシンプルに見せるという効果もあるので、アタシには見やすい。

後半は人間が作ってしまったものの怖さが見え隠れ。その「鋼の鳥」の抱えていた卵(エンジンか、あるいは)が海底で青白く光っているのを何かで閉じ込めることでカジュアルに持ち歩いて卵を放つ、というのは続編への不穏な繋がりか。

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2015.09.14

【芝居】「さよならサムゴー ~いつかはギャットモンテイプ~」サムゴーギャットモンテイプ

2015.9.6 13:00 [CoRich]

6日まで雑遊。110分。 高校三年生の夏休み。アルバイト、恋、失恋、旅行、部活、別れなどそれぞれのこと。

4×5に並べられた椅子、夏休み後の始業式の朝から始まる舞台。雑然とした同時多発、それぞれの会話を聞き取ることはほとんど不可能です。が、その後に描かれるそれぞれの高校生たちが経験したひと夏の出来事。何か一つの物語を紡ぐというよりはそういう人々を群像として描きます。2時間弱の中で20名を越える高校生たちそれぞれの物語を点描とはいえ見たあとではほぼ同じシーンであっても、それぞれの会話であったり、目を合わせること、教室を出ていくなど、ちょっとした朝の風景それぞれが手に取るようにわかるというのは箱庭のようでもあって、とても新鮮な体験なのです。

バレー部の女子四人、キャプテンの重圧、怪我、二年生、怪我の原因の仲間。あるいはちゃらちゃらした男、吹奏楽の男子二人の仲の良さ、それを見て喜んじゃうBL好き女子高生が東京に友達と行く、創作ダンスを頑張りすぎてみたり、霊感少女だったり。エゴサーチだけが楽しい男子高校生。英語のスピーチ、カブトムシ、巻き込まれる女子高生、ファミレスバイトで貯めたお金の18切符。みんながほんとうに生き生きと瑞々しく描かれるのはあまりに眩しいけれど(なんせ水着のシーンだってあるw)、なんか嬉しくなっちゃうのです。

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2015.09.10

【芝居】「平成舞姫(アイラビューアイラビュー、マイシスター・マイブラザー)」(C)第27班

2015.9.5 20:00 [CoRich]

アタシは未見の前回の短編集公演の観客投票の一位をキャストを替えて。75分。Cグループの千秋楽。

トレース台でペンを走らせる男、 中学生の弟は学校で気になっている女の子にモテようと就活中の兄のマンガをもっていく。
一緒に住んでいる男女。もう一人、近所の女性が家によく来ている。おだやかな空気が流れるこの家から、もうすぐ住んでいる女が出て行く。

恋人に見えるように近い気持ちである姉弟、二人の幼なじみであり、かつての弟の恋人でもあった女。ひっそりと暮らしていた二人だけれど、姉に恋人ができて、家を出て行くという結婚式の前夜。恋人でもあった幼なじみの問いかけを通して、姉弟の関係がゆるやかにに見えていく語り口は巧い。姉弟の想いは同じだということは互いにわかってはいてもそのインモラルさは二人も自覚していて、きっと二人はそのことを口にしなかったのだろうし、実際にはこの芝居の中でのキスが初めて踏み込んだ一歩で、結婚式前日だからこれ以上深くは進まないのだろうという絶妙さ。こちらが物語の幹だろうと思います。

もう一つの物語は、兄の描いたマンガを学校で同級生に見せて、モテようという弟の姿を描きます。静かに進む対岸の物語に対して、こちらはコミカルで楽しく。二つの物語を交互に描くことで芝居全体にリズム感をつくりだしているので、見やすい。劇団らしい、というのがどう言う意味かは観てる本数が少ないのでわからないけれど、いろんな気持ちを低い体温で描く、ということかなと想像します。アタシはといえば、観ている最中は圧倒的に面白いとは思わないのだけれど、後からじわじわくる、という感覚が新鮮。それは若者の感覚に自分がついて行っていないんじゃないか、という自分に対する疑惑が頭をもたげるのですが。

静かに進む姉弟の物語で、乗り換えを延々喋るシーン、あるいは兄弟の物語でポルノグラフィティの楽曲を執拗に解説するのは作家の何かを観るようで面白い。 アタシが観られなかったBグループで再演されている「どこまでもいけるのさ」(1)の作家の名前が劇団の情報になくなっていて、そういえば、この当日パンフには作演の名前が無い、のはなぜだろう。

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2015.09.09

【芝居】「ピエタ」ARMs

2015.9.5 18:00 [CoRich

80分。6日まで劇場MOMO。ワタシの観た土曜夜はシャッフルキャストで真柴あずきがヒロインを演じます。浅田次郎の同名の小説が原作ですが、アタシは未見。

子供の頃に母親はいい子にしていれば、戻ってくる、と云っていたのに、そのまま二十余年が経ってしまう。男と別れ、優しい外国人の男と恋仲になり、区切りを付けるために、今はイタリアで暮らす母親に会いに行くことにする。

リーディングの体裁でそれぞれに本を持っていて。しかし歌はあるし、コミカルに転んで観たりするので単なるリーディングではありません。二回しかないシャッフルキャスト、なるほど客席は満員です。

母親に捨てられたという気持ちを抱えたまま大人になった女はそれまでの優れた恋人に比べると、ちょっと情けない、しかし優しく懸命な男に心を許すのです。その男に出会ったからかどうか、それまではずっと抱えながらも封印してきた母親に会いに行くことの決心。

ベースとなるキャストではヒロイン・坂口理恵、母・真柴あずき、フィアンセ・緒方恵美となっていますが、アタシが観たのはヒロイン・真柴あずき、母・緒方恵美、フィアンセ・坂口理恵というキャストになっています。カーテンコールではシャッフルキャストでは稽古が十分に取れなかったことをコメントしているキャストだけれどなかなかどうして。もちろん安定しているのです。もっとも、確かにベースのキャストはそれぞれのキャラクタに合っていて盤石だろうなと思わせる布陣なのです。

真柴あずきは仕事はバリバリこなすけれど、内面は弱気で自己評価が低そうなか弱さを繊細に。なかなかない役で可愛らしさが見えるよう。緒方恵美はずっとそこで待っていてくれた、というとても大きな存在という雰囲気をゆったりと。坂口理恵は大きなメガネでコミカルにきっちりリズムを。ここまでずっとコミカルを通す役はあまりありませんから、楽しいのです。

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2015.09.08

【芝居】「東京虹子、7つの後悔」キ上の空論

2015.9.5 15:00  [CoRich]

13日まで85分。ダイジェスト動画が公開されています。

母親がなくなり、東京の叔母に引き取られた虹子は叔母は厳しく、環境に馴染めず、極度の吃音だった。 東京の学校に転校して声をかけてくれた友達、吃音を笑ったりしたけれど連んだり花火に行った友達、そこで出会った不登校がちなショートカット、ちょっかいを出してくる初恋の男、ちょっと強面の男やその恋人、クラスに花を飾っている同級生、大人になってからの友達、勤め先の先輩は軽口をたたき、原稿を貰いに行っている小説家の娘が懐いてくる。

対面の座席、平らな空間の床面にはいくつかの文字がちりばめられています。役者たちがほぼ舞台脇で待機し、スタイリッシュに作られた空間。言葉が出てこなくて、いろんな場面でしゃべれなかった言葉、もしそこで声がでていれば、虹色になり、音楽が鳴り、という雰囲気か。 母と娘を同一人物で演じさせることによる効果は今一つわかりません。大きく二つの時間軸があって、そのどちらに居るかで母なのか娘なのかを分けているけれど、そもそも場面の雰囲気も喋り方も終幕近くの部分を除けばあまり変化がなく、かといって理解を助ける演出ということもないので、混乱することが多いのです。

時間軸の交錯に慣れれば、さまざまな人々に出会った少女が大人になっていく過程を描きます。笑われたり、でも友達になれたり、すこし背伸びして年上の人々と遊んだり、恋人が出来たり。あるいは仕事をして、結婚をして。ここの時間軸、子供の部分に比べて高校時代さらには大人になってからがずいぶんとあっさりしているのは少々勿体ない気がします。

小説家と娘、電車の中のシーンが実はけっこう好きなのです。キコという子供と大人が交錯する瞬間という要でもあるけれど、父親の優しさだったりちょっと情けない雰囲気が実にいいのです。演じた藤田雄気は優しさが強い印象に説得力。その妻となる女を演じた斉藤ゆきは、この難しい時間軸の中を素早く切り替え演じわけるけれど、少々整理されていないと感じるのは演出か作家の責任か。その叔母を演じた石井舞は冷たく、凛とした美しさ。終幕近くの弱々しさの中にも気丈の残渣が残るよう。

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【芝居】「平成舞姫(しばらくは木の家)」(D)第27班

2015.9.3 20:00 [CoRich]

短編集のDバージョンは新作という「しばらくは木の家」。平日20時開演がありがたい。75分。

オーナーの男が階下に住み、二階に女性三人が入居するシェアハウス。ともかく安く、金が無かったり、貯金が趣味だったり、旅行好きだったりという女たちが住んでいて、オーナーとも仲がいい。夏の終わりのある日、住人の一人が友人と受けた宿題代行のアルバイトの締め切り間際となり一緒に片づけようと訪れる。
まあ、家主が男で女性専用、というシェアハウスというだけで物語のおおまかな構造は見えてしまう気はします。女性それぞれ、恋人が居たり、隠してる恋人が居たり、色恋とは無縁だったり、口説かれたり。女たちは一人を除いてそれぞれに口説かれていて、自分だけを見てくれているとおもっているけれど、その綻びが一気に噴出する一日。探偵よろしくその悪事を暴く(このあたりがサスペンスコメディなのか)のは口説かれなかった女なのが爽快。演じた紗弓はほぼノーメイクというかモテなさそうなメイクなのかがコミカルだけれど、終演後ロビーに現れた彼女はきっちり化粧をしていて美しく、ああ、化粧って凄いな、と思うのです。 訪れた友人を演じた梁稀純は、大泣きの演技がやや嘘っぽいといえばそうなんだけど、重奏低音のようにずっとその「音」が聞こえ続けていると、気持ちが揺さぶられるような力強さがあります。

アタシの友人が言う、 「勝手に想像した『休むに似たり』( 1, 2)」というのは、最後の一瞬の、女たちが笑い合う、ということに集約されていると思います、それはその一点だけが繋がっているだけだけれど、確かにそうかな、と思ったりも。でも、じてきんのそれは敵は存在しないし、劇中の台詞にある(バブルを経験してきた彼女たちの)「のんびりなんだよ」な世代と、今作の彼らの(失われた何十年の)若い世代との描きたいことの差は大きいとも思うのです。

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【芝居】「平成舞姫」(A)第27班

2015.8.30 14:00 [CoRich]

4バージョンの公演。6日まで。70分。

ホテルに入った男女。女は優しいけれど、男は敏感すぎる。「スピーディー・ワンダー」
大学進学のために上京した男、友達に連れて行ってもらったアイスクリーム屋の女に恋をして、学校にも行けなくなってしまう「平成舞姫」

スティービーならぬ「スピーディー〜」はホテルの一室、敏感すぎて触られるだけで果ててしまう童貞早漏男をどこまでもコミカルに描きます。基本的にはこの一点押しなので、バリエーションといっても限られますから、音楽の使い方だったり、徐々に短くなる追い込み感の勝負ではあって。オチとはいってもデリヘル的な金の関係なのだというのも、そう強力なオチではありません。その情けなさとか女の子の(商売とはいえ)誠実さが見せ所か。

「平成舞姫」は、森鴎外「舞姫」(wikipedia)を現代風にアレンジというふれこみ。とはいえ、大学進学したもののショッピングモールのコールドストーンアイスのアルバイトで出会った女性に一目惚れ、大学に行けなくなって、地元に戻るという具合で、元の森鴎外に比べると留学するエリートというものよりはずいぶん矮小になっています。確かに、今の時代の雰囲気という意味では、出てくるアイテムひとつひとつが、ある種のだささも含めて今っぽさが瑞々しく描かれています。もっとも、今、この役者たちでしか描けない風俗という意味で再演が難しい、という両刃の剣ですが。
「舞姫」では泣きすがる女を捨てて帰国するのは男の強い意志なのだけれど、「平成〜」ではまだ未練があるぐらいの男よりも先に女がさっぱりと身を引くというのももしかしたら今っぽいということなのかもしれません。

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2015.09.07

【芝居】「唄わない冬」砂地

2015.8.29 19:00 [CoRich]

ストーカー殺人をモチーフにして。8月31日まで雑遊。

  男と女が海岸で一緒に死んでいた。事故なのか、事件なのか、あるいは心中かはわからない。
死んだ女がかつて住んでいた別の女の家、今は死んだ女の恋人だった男が転がり込んでいるが、家主からは出て行くように云われている。

対面の客席。床面は対向する二つの角を中心に砂が薄くまかれ、そこにベッドとベンチ。天井近くにはいくつかのモニタ。一人の女を愛する二人の男、その一人と女が一緒に死んでいたことをきっかけにしながら、その女を巡る愛のベクトルをプロットするように物語が進みます。それは、女が若きアイドルだった頃のマネージャーという大人への追慕であったり、あるいは同居する女が想っていることであったり。

ときおり秒針を送るような音が伴いながら語られる静かな雰囲気。役者たちも繊細で丁寧、時に熱い取っ組み合いがあったりはしますが、全体にはフラットで静かに沈んだ雰囲気で進む物語。スタイリッシュではあるけれど、正直にいえば、少々観る側の体力を削られるというか、集中力を持続が要求される敷居の高さがあって、個々人の観るタイミングによってすら評価が分かれそうに感じるのです。

死んだ女を演じた小瀧万梨子は、(オトナロイドのモデルになるほどに)本当に美しく、人々を惑わせるに十分な説得力があります。生きている女を演じた梅村綾子 は、力強く投げつけられる台詞一つ一つの「圧」がすごくて確かな力。マネージャーを演じた松本光生のどこか飄々とした雰囲気は、この物語の世界ではアタシにとっては観るテンションを維持できるという意味でありがたい。いい味わい。

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【芝居】「女優の魂」チェルフィッチュ

2015.8.29 17:00  [CoRich]

チェルフィッチュの岡田利規による小説の台詞そのままに女優・佐々木幸子が一人芝居で演じる40分。8月30日までゴールデン街劇場。

売れては居なかったけれど、仕事にし始めていた一人の女優が稽古期間中のトラブルで命を落としてしまいあの世をさまよっている時に生前知り合いだった若い芸術家志望の男と再会する。 赤い短いドレス、ティッシュを抱えってmややがに股で現れる若い女。どこか古めかしい「女優」というかボードビルの雰囲気をまといます。

前半は小劇場界隈がどういう世界で、そこで事件はどうして起きたか、さらには役者とか演技というのはどういうことか、という作家の考えまでがコンパクトに語られます。 東京では飲み会が終電でお開きになる、に始まり、役の交代という稽古場で起こり得ること、それが簡単に殺意に変わりうること。あるいは役者が死んだとしても、その代わりなんて簡単にみつかる現実、 役者の記憶というのは身体の記憶であり緊張感というのは、チェルフィッチュの方法論にも繋がるようだし、 役者の中で起きている動機なんてものはどうでもよくて、観客にとってどう見えているかという「効果」の問題なのだとか、動くのは簡単だけれどそれには成否があって、気にしない手もあるけれど、それを精度よく繰り返すことがプロのパフォーマンスである、とか。

死んでさまよう世界が描かれる後半は、役所の行列への不満という卑近なスタートから、かつての知り合いに会い、美術学校のモデルという支点で、演劇と美大みたいな二つの世界の相容れないことをおもしろおかしく描いたりしながら、「どう生きるか」みたいな領域に着陸します。ほかの分野にも目を配るとかしないでしょ、芝居のチラシもらってもいかないし。ええ、もちろん個展の案内もらってもいかないし、なんてのはそれぞれの世界に小さく纏まっている揶揄であったり。生まれ変わるならば、どうしたいという質問。条件は色々付いたりするけれど、同じ道を歩もうという台詞はアーティストとしての何かの覚悟を纏うのです。

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2015.09.06

【芝居】「1980'」野生児童

2015.8.29 14:00 [CoRich]

王子小劇場の若手応援企画。一人による劇団の旗揚げ公演。31日まで王子小劇場。

長男が家をでた後の家族、双子の次男と長女、次女と父母。列車ででかけた家族旅行で事故に遭ってから数年。家族の心の傷は癒えつつあったが、長女はこの家に居る兄弟と週イチで通ってくるカウンセラーに違和感を感じている。
久しぶりに再会した幼なじみの家へ、実家をでて転がり込む。誘われて行ったライブで目にしたボーカルと恋人になる。両親に恋人を紹介しようと久しぶりに実家を訪れる。

長女を主役に語られる物語は大きく二つの題材を扱います。 前半は台湾生まれの母親と日本人の父親のハーフであること、それで苦労する母親の話。後半はこの家族が事故にあってから数年を経ていて、通ってくるカウンセラーや兄弟たちに感じる違和感から家を出ていくという話。 前半、おそらくは作家自身が経験した何かを描いていて、おそらく彼女にとってとても大切なコアなのだろうと思います。が、 あれだけ取り上げた台湾とかハーフであることが、実は後半ではほとんどふれられることがなく、かといって長女の行動を縛るということでもなく、結果的にそのままほったらかしになっているのが惜しい。 作家にとって大切な話ならばそれを幹に描かないと、もったいないと思うのです。

後半、事故を巡って起きていたことの物語はみっしりと描きこまれていて、見応えがあります。

ネタバレ

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2015.09.05

【芝居】「嘘でしょ。」艶∞ポリス

2015.8.28 19:30 [CoRich]

30日まで駅前劇場。85分。

大型船を会場にした婚活パーティ。少し年齢が高かったり、神経質だったり、何かの企みがあったり、あるいは処女だったり、男の前の態度が豹変したり、若い友人を守り続けていたり、過去の恋愛を引きずっていたり。いまひとつ空気読めなかったり、な男女たち。スタッフも何かを企んでいる。
フリータイムも後半にさしかかり、それぞれに気になる相手にアプローチを仕掛けたりしている中、船のエンジンが大きな異音を発して止まってしまう。

作家自身が参加してみたという婚活パーティ、そこに集う人々のあれこれをぎゅっと詰め込んだ物語。男たちは高収入でそれぞれ個性的で親しみやすい人当たりだけれど実は神経質だったり難病持ちだったり、性癖に癖があったりとそれぞれの個性でお店を開いているように。フリータイムでその男たちを品定めし渡り歩く女たちはそれぞれの個性に加えて、過剰なまでに守ろうとする関係だったり、それをうざったく思っていたり、あるいは過去に男を取り合った関係だったりと横の繋がりも設定しています。

スタッフたちにしてみてもマルチまがいで高価な化粧水を売りつけようとしてみたり、でもパーティに不手際があってもその対応に誠意があるように見えなかったり。作家自身の底意地の悪い視線が物語の隅々まで行き渡ります。共通点を見つけて「嘘でしょ」と云ってみたり、男への相づちとしての「すごーい」など、女子のプロトコル、実はつかみだけではなくて、場面が変わるたびに発せられていて、場の変わるリズムを刻むのも巧い。

空回りする女を演じた井上晴賀のずれた感じが楽しい。アタシには年齢の近い女を演じた坂田周子の、年齢を重ねたどこか恥じらう感じもいい雰囲気。処女だけれどあからさまに男を誘う女を演じた佐藤友佳子はもう漫画のようなデフォルメだけれど、不思議とリアルな雰囲気にしちゃうのがすごい。 正直に云えば、作演を兼ねる岸本鮎佳のキャラクタが固定化しているのが気になりますが、ああ。あたしはこういう年代の女性の描く物語がホントに好きなのだなぁと思うのです。

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【芝居】「TATAMI」KUNIO

2015.8.26 19:30 [CoRich]

30日までKAAT(神奈川芸術劇場)・大スタジオ。110分。

息子が久しぶりに、父親が一人で暮らす実家を訪ねると、父親は全てをたたむ、といいはじめている。家財も家も、自分すらも畳みたい、というのだ。母親は亡くなっている。

広い空間に大きく若草色のシート、中央にTATAMIという文字。人生後半にさしかかり、すべてを「畳む」ことに心酔してしまった父親。年を取ったらモノを捨てていこう、身軽になっていきたいという口癖なのはアタシの母親ばかりでないのだなぁ、というのがアタシの感覚。捨てるとか手放すのからは少しずらして、しかし「店を畳む」のように撤収する感覚でもあって。その名詞形の「たたみ」をタイトルとするのは芸事とか武道のような「たたみ道」に繋がるようで巧いと思うのです。何かを「返して」何かを「畳んで」いくという感覚は、人生後半にさしかかろうとしているアタシにはとても腑に落ちるけれど、若い作家がこういう老成した雰囲気の物語を描く、というのはどういう心持ちなのだろう、とおもったり。

父親がおかしなことをしていて、それを止めようとするというのも一種現実っぽいけれど、ときおり差し込まれる、記憶も無く足も立たなくなっている場面は全体の風景の後日譚なのか、この厳しい現実の日々に「たたみ」に血道を上げる父親の姿を夢想したか。

ヘルパーを演じた森下亮の異質なもの、あるいは超越した何者かという雰囲気は、クロムモリブデンでも観られるキャラクタですが、さすがの安定。

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2015.09.03

【芝居】「スウィング・アウト・ペアレンツ」トローチ

2015.8.24 19:30 [CoRich]

25日まで駅前劇場。115分。

少年野球のグランド、応援に訪れる親たち。滅多にしない家族サービスに妻に引っ張り出されたテレビディレクターは若い脚本家を呼び出して脚本の書き直しをさせつつの応援。バイトとの浮気を疑われるレストランオーナーと妻。 息子の野球に大きな期待を持つ歯科医は、ビデオカメラを回しながら観戦する見慣れない男をスカウトマンと勘違いする。
息子に滅多に会いに来ない若い女が育てている義父に呼び出されて球場に現れると、ディレクターは急にあわてたそぶりをみせる。

試合中の少年野球応援席の父母を通して、子供を軸にした家族の物語。作家自身が当日パンフで云うとおり、育ちつつある子供への期待や思うようにならない焦り、あるいは子供のひたむきさ。前半は浮気や親ばかで笑わせつつ、それぞれの背景とエゴ、あるいは拘泥していることを徐々に描きます。物語の中盤、若い女の息子には具体的には語られないものの、何らかの障碍があることが明かされ、エースのはずの歯科医の息子がこの試合ではベンチを温めている理由が明かされます。難しい題材ですが、西原理恵子がかつて描いていた息子の漫画のように、一生懸命さとか子供のパワーが見えるように一般の子供たちに届くように敷衍させていて扱い方は丁寧です。その結果、 若い母親(もちろん彼女なりの生き方の理由をきちんと描いているからだけれど)にしてもエゴ丸出しの歯科医にしても作家の視線はあくまでも暖かく、題材の微妙さの割には引っかかりが少なくエンタメとして見られるのは確かな力量。それは針の穴を通すような緻密さだし、人々に敬意がきちんとあるゆえとも思うのです。

この作家・太田善也、かつてはわりとパンクな作風もあったりしましたから、今作を評して 「作家が丸くなった」というのは簡単だけれど、ちゃんと生きている作家がきちんと人々を丁寧に敬意を持って描くということがこの物語を暖かな物にしている、と思うのです。それに載れてないアタシ、というのはまあ脇に置いて。

アタシはもう一つ、仕事だったり生き方だったりというもう一つの軸が格好良く、心惹かれるのです。子供がもうすぐ生まれる若い作家を仕事の先輩としても人生の先輩としても見守り、育て、引っ張り上げようとするディレクターが見せる終盤は心底格好良くて。演じた林和義は軽薄な雰囲気が終盤で一変する、振る幅の広さが凄い。妻を演じた三鴨絵里子は色っぽさよりは妻のどっしり、を演じられるほどに円熟を。職場の後輩を演じた瓜生和成はやや若い弱気な男を圧巻の安定感で。

独り者にはもう一つの軸を用意しているのも巧い。トリックスター的な位置づけでビデオカメラを持つDJ風の男。結果的にはそれが単にYouTuberしたいおじさんにすぎないこと、さらにはまだ親のすねをかじっているということが明かされるにいたり、大人に成りきれない大人、という意味で親と子供の物語のもう一つの片鱗を見せるのです。演じた桐本琢也の声がしびれるぐらいにいい。

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【イベント】「鳥ROCK FESTIVAL'15」

2015.8.22 17:00 [CoRich]

Hula-Hooperの菊川朝子がクラウドファンディングから立ち上げ、ホントにやり遂げてしまった鳥取2Daysイベント。初日のみの参戦、ワタシにとっては 2010年の夏以来の鳥取でした。クラフト館 岩井窯で23日まで。

山陰道、最寄りの岩美駅からは4km弱、里山っぽい雰囲気の中を歩いて、近くの温泉でヒト風呂浴びて参戦しました。開場時間中には降っていた雨もなんとか止んでの開演。場所は坂を上がってバンガローと広場という関係に似て、釜や茶室などいくつかの建物に囲まれた広場のような場所。真ん中の広場を中心にしていくつかのステージをしつらえ、飲食ブースも用意しています。多くのスタッフを入れ、クラウドファンディングも活用したとはえ、たったひとりの言い出しっぺがここまでやってしまうバイタリティ。

いくつかのイベントが並行して行われていて、出入り自由、飲食自由な雰囲気。アタシはといえば早々にビールを何杯もで、例によってヘロヘロになりながら。

正直、公共交通機関の期待出来る場所ではなく、タイムテーブルが時間通りだったとしても、市街地に戻る手段はありません。調子に乗って最後までおんわり楽しんでいたら、案の定足がなくなったりしましたが、そういう観客が少なかったこともあって、なんとかスタッフの車に同乗させていただけたのはラッキーでした。もし今後があるならここをどうするか、あるいはどうアナウンスするかがポイントになりそうです。酒が飲めないのは辛いけれど、レンタカーも視野に入るでしょうし、岩井温泉という手もあるかもしれません。鳥取まで夜に自転車は少々きついか。

(0)迎賓タイム
ステージやさまざまを紹介しつつ、音楽で盛り上げる時間。キャプテンクーコッチのちょっと騒がしくて少し間抜けな感じのイキオイで、少々空回りしつつ、前のめりで盛り上げます。イキオイはいいけれど、正直にいえば滑舌の難があって、インフォメーションというかガイドという意味では不安がありますが、まあ、コンパクトな会場だしスタッフもたっぷりですから、これも持ち味の範囲。

(1)部活動の鱈。
今年東京で上演した人魚姫の物語。センターステージというか広場の野外劇、観客はパイプ椅子や、あるいはビール片手に立ち見したりと思い思いにばらばらとアタシは後者のビールのコースで。元々の鱈の上演も飲食店のステージも後方やあちこちから現れ通路でも何でも使いまくる持ち味なのだけれど、この場所を使った結果、小さなステージと、その外側をぐるりと囲む建物、あるいは鉢植えの蓮などいろんな方向から現れ、よりダイナミックさが強く。アタシの友人が云う「祝祭の」空間にふさわしい物語と雰囲気はここによくあっていて、さすがに言い出しっぺの強さ。しかしビキニの水着のような女性たち、とりわけ腹筋を動かす姿がやけに色っぽく喜ぶおやじなアタシだけれど、山を背景にするとただ色っぽいというだけでなく神々しさがプラスされるのです。正直に云うと、オープニング、しかもフェスの企画としては少々長いのもほんとうだけれど、これは妊娠を発表した主催への祝祭でもあったりするわけで。ええ、でも酔っ払いはアタシはそのときは気付いてなかったという大失敗だったりもして。(おめでとう)

(2)「ともだちのそうしき」(女性版) RONNIE ROCKET
仗桐安が繰り返し上演する二人芝居 (1, 2) の女性版はやや深刻な物語。 一本目で飲んだくれたアタシ、しかも外では別のライブだったりコントだったりを騒がしく、フェスとしては出入り自由という形で1時間の芝居をしっかりみせるのは茶室という屋内であっても、少々厳しい戦いではあります。 アタシにとっては謎解きの雰囲気よりも女たちがどう友達になっていくかという話の方が強く思えたのは新しい発見。

(3) ハイカラ
愛知で活動する女性四人のユニットから二人・ まつやまみどり・加東さゆみが出演。
鳥(ぴいちゃん)が逃げたといういう話をベースにして、ひとつの歌詞(スペシャルな友達)、メロディーラインを細やかに重ねていきます。 新しいもの好きな姉(ピアノを弾く)と、逃げた鳥のことをずっと考えている妹。妹の「気持ち」に重点をおいた物語。声の重なりが心地よく、あたしたち大丈夫、という前向きがうれしい。

その次をみようと思ったら、ちょっと時間が押していて前のパフォーマンスがセンターステージで。BARONによるヴォードビルの後半。くものすかるてっとの片岡正二郎のバイオリンも参戦しつつ、祝祭の空間をきっちりと。倉吉の限界集落と呼ばれる明倫地区を訪ねた時の曲も地元のもので。

(4)「鯵」
Hula-Hooperにも参加することの多いユニットがボーカル・ピアノの安田奈加と、ドラムの前田卓次、ベースの瀬尾雅也による3ピースで三曲。「アタシ乱暴なの」の歌詞が印象的な「乱暴なうた」(YouTube)、2007年の鱈で演奏された「サヨナラ三角」(YouTube)と「極楽トンボの飛行船」(YouTube)。後者は永遠は長すぎるから、とわいいながら祝祭が続く空間を。

(5) 「minimum-memo」chon muop
元々トリのマークに所属していた櫻井拓見によるユニット。この場所を作った人のこと、ここができる前の話、あるいはあなた=観客がここまらくる道のりという話はどこか古巣の「場所から発想する」雰囲気をまといます。後半は冷蔵庫の話に転移。家族が共有する唯一の家電。ほかのものは個人のものになってしまったといってみたり、あるいはメモを貼ったりして記憶の貯蔵庫になる、という視点が新しい。ここになるともう芝居だけで平行する催しがなくなっているので見やすい。

(6) 二人静
菊川朝子・菊池ゆみこによる女性デュオ。アタシは初見です。彼女たちの世代というよりは、アタシの世代に近いピンクレディ初期の二曲を。作り物感と、役者の生々しさのギャップ。

(7) くものすカルテット
祝祭感めいっぱい、場所の雰囲気にもあっていて初日ラストを盛り上げます。圧巻の安定感。曲目リスト、何処へやった>おれ

フードもあるのだけれど、実はあまり食べる暇がないというのも弱点。 出入り自由、同時多発という形、撮影可否があいまいに見えるというのもマイナス。あるいはこの中では芝居はどうにも脆弱ということもあからさまになります。ステージを独占したオープニング企画の「鱈」はともかく、どちらかというと繊細なロニーロケットや(音楽×芝居とはいえ)ハイカラなどはどうしても不利になりがちだし、時間が押しはじめても芝居は時間短縮などの手が打てないのもフェス形式ではなかなか厳しい。結果、終演時間は当初予定よりも大幅に遅れて交通手段がないとか、まあ。でも一回目はそういうもんです。ここに参加したことが勲章なんだよな、と思ったりもします。フジロックだって最初は、ええ。

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