【芝居】「東京虹子、7つの後悔」キ上の空論
2015.9.5 15:00 [CoRich]
13日まで85分。ダイジェスト動画が公開されています。
母親がなくなり、東京の叔母に引き取られた虹子は叔母は厳しく、環境に馴染めず、極度の吃音だった。
東京の学校に転校して声をかけてくれた友達、吃音を笑ったりしたけれど連んだり花火に行った友達、そこで出会った不登校がちなショートカット、ちょっかいを出してくる初恋の男、ちょっと強面の男やその恋人、クラスに花を飾っている同級生、大人になってからの友達、勤め先の先輩は軽口をたたき、原稿を貰いに行っている小説家の娘が懐いてくる。
対面の座席、平らな空間の床面にはいくつかの文字がちりばめられています。役者たちがほぼ舞台脇で待機し、スタイリッシュに作られた空間。言葉が出てこなくて、いろんな場面でしゃべれなかった言葉、もしそこで声がでていれば、虹色になり、音楽が鳴り、という雰囲気か。 母と娘を同一人物で演じさせることによる効果は今一つわかりません。大きく二つの時間軸があって、そのどちらに居るかで母なのか娘なのかを分けているけれど、そもそも場面の雰囲気も喋り方も終幕近くの部分を除けばあまり変化がなく、かといって理解を助ける演出ということもないので、混乱することが多いのです。
時間軸の交錯に慣れれば、さまざまな人々に出会った少女が大人になっていく過程を描きます。笑われたり、でも友達になれたり、すこし背伸びして年上の人々と遊んだり、恋人が出来たり。あるいは仕事をして、結婚をして。ここの時間軸、子供の部分に比べて高校時代さらには大人になってからがずいぶんとあっさりしているのは少々勿体ない気がします。
小説家と娘、電車の中のシーンが実はけっこう好きなのです。キコという子供と大人が交錯する瞬間という要でもあるけれど、父親の優しさだったりちょっと情けない雰囲気が実にいいのです。演じた藤田雄気は優しさが強い印象に説得力。その妻となる女を演じた斉藤ゆきは、この難しい時間軸の中を素早く切り替え演じわけるけれど、少々整理されていないと感じるのは演出か作家の責任か。その叔母を演じた石井舞は冷たく、凛とした美しさ。終幕近くの弱々しさの中にも気丈の残渣が残るよう。
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