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2015.08.26

【芝居】「15 Minutes Made Volume13」Mrs.fictions

2015.8.21 19:00 [CoRich]

僅か一ヶ月をあけてのショーケース企画。25日まで王子小劇場。120分。

ベンチ入りしたことのないまま三年生になってしまった高校球児ふたり。一年生ひとりが辞退して背番号18を争い、自分がベンチに入るとどんなメリットがあるかといいだす。「ベンチ」(タイタニックゴジラ)
男が空き巣に入った家、その住人の男は恋人とは別の女を連れ込んでいいところで居候の男や恋人が戻ってきて。「停電の夜に魔が差して」(アナログスイッチ)
小学生の女の子、母親は金目当てに娘のあられもない写真を撮って売ろうとするような。ゾンビ化した派遣社員がバットを振り、東大でてしまって外資につとめたがために婚活に失敗している女は血塗れになりながら教養をそぎ落とし、性欲にまみれた男など。世間は薄汚れている。大人になることはいろいろな現実を知ること。「全肯定少女ゆめあ」(DULL-COLORED POP)
幼なじみたちが久し振りに集まって酒を飲んでゲームをしている。女の子とを励ましてほしいと男が集めたのだ。何の飲み会だったの?「ブルーベリー」(Straw & Berry) 精神科医は二つの人格が現れた患者の一人に恋してしまう。おだやかで女性らしい人格に恋をして、もう一つ暴力的な男の人格を消そうとする。「近すぎて遠い」(ポップンマッシュルームチキン野郎) 酒場の裏、もう閉店が近づいた店。おかまのママがゴミだしのついでに化粧を落とし始める。こえをかけてくるミケは店の売り上げを持ち出して逃げていたが、また姿を現す。向こうの店の男も金を持ち逃げしていて、二人で逃げようとしていたのだ。「ミセスフィクションズの祭りのあと」(Mrs.fictions)

タイタニックゴジラは、物語のアジェンダは明確。それが逆ギレし周りに飛び火するということなんでしょう。物語としてはその混乱を教師が納めてしまうのは少々ありきたりで惜しい。小野寺ずるの鬱屈を溜めて爆発する瞬間がいい。

アナログスイッチはがっつりシチュエーションコメディ。トークショーで云われていたように、もっとも若い世代が王道、しかもきちんと安定したコメディというのもおもしろい。照明の点灯・消灯と、物語の世界でのそれが入れ替わっていることの序盤、物語の中で停電が起こり、それによって居てはいけない人物が引き起こす混乱や包丁に勘違いしたコミカル。終幕、暗転で「あれっ」という言葉が、人物たちがその混乱の真実に気づいたとにおわすのが巧い。

ダルカラは、このラインナップの中ではダントツに熱量と力量を感じる一本。子供の目には世界がきらきらして見えているのに、大人はみな疲れて退廃的でゾンビのよう。真実を知ることは大人になることで、子供はそれでも前に進んでいく。 タイトな会話劇が多くなったダルカラだけれど、短い時間に濃密に人物たちを弾けさせる瞬発力で勝負させると強いのは、あの短編集を思い起こさせまます。 ゾンビと化してバットを振り回す派遣社員とか、うっかり学歴を付けて外資に就いてしまったがために婚活に失敗しつづける女が血塗れになりながらスチルウールたわしで教養をそぎ落としてたり、あるいは局部が肥大し続ける男とか。それぞれがそれぞれの大人の辛さだったり哀しさだったりを目一杯につめこんで、それなのにポップで疾走感溢れる面白さ。少女を演じた中村梨那は出オチかと思わせて、イノセントな存在をきっちり。少年を演じた一色洋平は卓越した身体能力で疾走感を物語に加えます。母親を演じた塚越健一は夢に出てきそうな魑魅魍魎感。

Straw&Berryは、去る女とその事情を知る男、事情を知らない幼なじみのカップルという4人。何のために集まった人々なのかあからさまにされないまま、事情を知らないカップルには最後まで明かされません。女が突然着替えるのは少々唐突にすぎるけれど、結婚している女が体中に痣となれば、夫の暴力を想起させます。終盤に至り殺人を起こしたらしいことをにおわせ、なるほど泣きじゃくる女はこれから自首をするのだ、そのために会いたい人々と再会して楽しかった過去に浸たる時間が欲しかったのだということ、更に男はそれを手助けしたのだという物語が花開くのです。

PMCの物語の核は、患者に恋した精神科医が残す人格を私欲にそって選んでしまうという枠に、恋してるのは男の姿をして心が女性という一ひねりを加えて。確かにラジオドラマでもうまくいけそうな一本だし、それを演劇に置き換えてもちゃんと見せる王道な短編。 正直にいえば、おかまバーでSMに明け暮れ破滅的な快楽に加速度的におぼれる男女は、アブノーマルな不穏な雰囲気を与えてはいるものの、物語に対して関与していないのが惜しい。

Mrs.fictionsは、存在意義がよくわからなくなっちゃったオカマのママと、金を持ち逃げした女、あるいはそのほかの女店員たちが酒場の裏で話すひととき。女たちは猫のような名前がついているけれど、猫というわけではなさそうなのは肩すかし。駆け落ち同然で逃げて、でも捕まって穴を掘らされているという圧倒的にまずい状態。それでも男を助けたくてもとの店に戻ってしまう女のまっすぐな感じ。あるいはオンナばりばりな店員たち。ママは一人、昔の男の想いに浸っているという感じもまた「祭りのあと」なのです。花火の火薬のにおいが降りてきて、とかいう台詞や花火のおわりという雰囲気は、どこか前回の開幕・「祭りの準備」で爆弾を抱えていた男のずっと後の姿に重なって見えたりもして、ぐっと奥行きが広がるのです。

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2015.08.21

【芝居】「206」ヤリナゲ

 

2015.8.14 19:30 [CoRich]

70分にして濃密。16日まで王子小劇場。アタシは初見の劇団です。

三人姉妹がルームシェアで住んでいる集合住宅の一室。三女が酔っぱらって男を連れ込む。長女は怒るし、次女はなだめ、男はこの部屋に通うようになるが、肝心の三女は隣の男の部屋に行ったきり戻ってこない。
元々は家族以外を入れないというルールを破ったことで、いろいろな人々が出入りする。「らくだ星」との戦争に反対するデモをする男たちだったり。ある日、三女を女子高生が訪ねてくる。

フラットな舞台をL字に囲む客席、序盤のシーンは三姉妹の会話、かつてそこにあった建物の話をしたかと思うと、するすると床にロープを張りリビングや三姉妹の部屋などを作りあげます。床にある線だけで部屋を作り出すのは簡単なことなのに実にエンゲキ的でわくわくするのです。

連れ込まれたのに待ちぼうけを食わされる片想いの男から見える三姉妹の姿というのが全体の体裁。が、そこで語られるのは男女の話でもあるけれど、実はもう一歩先へ。この世界で起きている背景を語り、そこにいる人々のさまざまな思いが徐々に見えてきます。 今年の夏だからか、あるいは日本での8月のこの時期に合わせたかどうか、戦争をめぐる気持ちであったり関係であったりをもう一つの芯に。「らくだ星人」は地球においては移民であり差別を受けており、正体を隠して暮らしていて。世の中がきな臭くなっていくにつれ、あからさまな言葉が人々を傷つける、というのはどこかで見たような、あるいはいつか見たような。

三女を演じた中村あさきはクールビューティ、ひどい目にあっても男が通い続けてしまうという説得力。次女を演じたは國吉咲貴この座組ではちんちくりん口調も巧くはないけれど姉妹たちをつなぐという安定感。長女を演じた、あおのゆきかは眼鏡に長髪ジャージという体裁で教師だけれど、何かの欠陥があるという繊細さ。女子高生を演じた永井久喜は物語の中においてはあからさまにヒールな立場をしっかり。片想いし続ける男を演じた浅見臣樹は語り手でもあり、この事件が起きることのきっかけでもあり。客席への語り口の優しさもいい。

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【芝居】「ごはんと宇宙」ごはん部

2015.8.15 14:00 [CoRich]

保坂萌と印宮伸二による、食事とか宴会とかするユニットの演劇公演。さまざまな作家の物語を弁当のように詰め込んだ140分。16日まで駅前劇場。

食べ放題ビュッフェの店。夫の実家への帰省をいやがる妻は食べ物が違うし、わいわいしてるし、ちゃんとしてないことを思い知らされるからだという、しりとりをする。店員に恋をしてい店に通いつめている女とその女友達。告白しようか思いあぐね拗らせて気合いの入った弁当を作ってきてしまう「ごはんと宇宙」(作・保坂萌)
俳優志望の男は養成所の門をたたくが、所長はやたらに日焼けして濃いし、俳優たちは使い物にならなそうな落ちた雰囲気。階下の事務所の社長がこの所長のファンでここを借りているが、ヤクザまがいのその事務所の息子が毎日遊びにきて、大便の大きさ自慢をしていている。公演を打つことになるが、ジュリエット役のハーフのニューハーフが姿を消してしまう「幕間1・2・3・4」 (作・西山聡)
格安宇宙旅行ツアーに参加した友人たち。夫婦二組と無職で一人ものの男。何かの事故が起こるが、コールドスリープで助けられるのは4人で助からない一人を選ぶことにするが、どうにもその一人はやっぱ独り者になりがちで。「究極の選択」(作・ブラジリィー・アン・山田)
料理をしたことのない妻が突然夫に何が食べたいか訪ねてくる。それも一生に一度最後に食べたいぐらい究極の一品頼めといってくる。夫は考えあぐね、浮かんだのはかつての恋人とデートのあとに必ず食べていたファミレスの料理を云うが妻は納得しない。「なれずし」(作・櫻井智也)
姉が妹のところに泊まりにくる。料理に頓着のない姉だが、妹はだしを引き、鰯の梅肉揚げ★を作るために、その梅干しを最新の注意を払ってつくるほどなのだが、それは特別なことでもなく、こだわりというわけでもない、普通のことなのだ。若い女の家で夕食を供にする男。インスタントの味噌汁にセブンのポテトサラダだ。コストコにでもいくか、でも冷蔵庫小さい、冷蔵庫も買おうか、とさらりという男に結婚を意識し喜ぶ女。かつての女のことを思い出す。「さかなへんによわい」(作・詩森ろば)

「ごはんと宇宙」は、若い恋心のまっすぐと、夫の実家が苦手な気持ちという二点を女性からの視点で対比して描きます。前者は話もろくにしてないのに気を引こうとお弁当つくってみたり、後者はそのあわない気持ちは味付けの差(とはいえ、若い彼女の方が醤油ドバドバなのが微笑ましい)だったりと、確かに「ごはん」をめぐる物語。バイキング形式で食事までばりばりしてるのは見てる方は気持ちいいけれど、役者には負荷かなと思ったりもします。恋心な女の子と友達に挟まれたオジサンを演じた友松栄がクレジットされてないけれど、台詞のないまま表情で笑わせます。

「幕間〜」は、セットの転換をしながらのコネタ集の趣を持つ一本。飛び道具のようにキャラの立った役者陣に、養成所やらヤクザ、あるいはウンコにこだわる子供といった具合にキャッチーな要素をこれでもかと詰め込んで。食事というよりはその末路としてウンコというのはまあ少々無理筋ではありますが。日焼けしたVシネ俳優を演じた武藤心平の怪しさ満点さ、ヤクザの息子を演じた加藤美左江のはっちゃける子供っぷりは相変わらずの破壊力ですが、確かに強い印象を残します。

「究極の選択」は無職で独り者の男と二組の夫婦で犠牲になるのは誰かをめぐる話。終始その男をどう説得するかという流れで進む物語、アタシがどちらかというとその説得される側に近いからか、そこに逆転・反論の余地がないし、このワンアイディアに対しては少々長く、救いにしようとしたのかどうか、それはその男のための壮大な茶番なのだというのも、なんぼなんでもドッキリというのでは、後味もよくないし物語としても少々筋が悪く感じます。

「なれずし」は夫婦に限らず男女のすれ違う話なのだけれど、その裏側で感情を動かしている別の異性との会話を挟んでいくことで、表にでている台詞と内面で考えていることのずれだったり、表をみてるだけでは唐突にあちこちに飛ぶ話が、実は内面ではちゃんとつながっているというのが見事。なれずしの「発酵」という印象とは少し違うけれど、大人の話だよなぁと思ったりして好きな一本です。妻を演じた丸山夏未の無茶ぶりもたのしい。バイト先の男を演じた神山慎太郎は声が良くて印象的。かつての恋人を演じた黒沢佳奈は涼やかで美しく。

「さかなへんによわい」は今回の中でアタシがもっとも好きな一本。料理を丁寧に作ることがあたりまえの日常だというのは、一歩間違えば鼻持ちならないこだわりなのだけれど、作家・詩森ろばのtwitterやblogからかいま見える日常がその向こうに透け見えて、「そうしないではいられない」という彼女自身の実感なのだろうなとも思うのです。インスタント味噌汁が当たり前で、婚姻も妊娠も手に入れたから料理に向き合う気持ち変わるかもしれない若い女と、それまでもずっと丁寧に出汁を引き、かつら剥きをしという料理をしてきた女はそれゆえに男に去られるという 対比があまりにほろ苦い。後者を演じる堤千穂は気高く美しい。前者を演じる佐山花織は若さ故あふれる色気、懸命に考えるまっすぐさはむしろまぶしい。男の造型がまたかっこいい。料理の記憶もかっこいいし、さらりと冷蔵庫を買うし、それが求婚ととられてもいいというのもいい。でも、マクドナルド「に」浮気するという人間くささもいいのです。演じる森尾繁弘がまたいい味わい。

全体で2時間越え、しかもほとんどの芝居で役者が重ならないことで相当な大所帯。お弁当っぽくてもりだくさんで楽しいけれど、もっとライトな感じでもいいよな、という感じではあります。

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2015.08.19

【芝居】「わが娘」根本宗子

2015.8.14 16:30 [CoRich]

根本宗子が不定期に開催する極小空間でのバー公演。40分。16日までバー夢。

母と娘がママ友と待ち合わせている。母親は厳しく宿題をさせるしドリンクバーでも甘いものは決して飲ませない。娘が一人になった隙をねらい、店員がジュースを持ってきて、機嫌を取ろうとするのには理由があって。

イマドキだけれど金を持ってそうなママ友二人、片方の娘。裕福に暮らしていて、ファミレスで待ち合わせるということすら微妙だったり、子供には清涼飲料水飲ませないことが頑なだったり。今のところは高い生活レベルを落としたくないという必死さがにじみ出る感じ。ほんとうに13歳の女優を真ん中に据えて大人達のあれこれ。

大人の女性たち三人というアングルが見事。医者の妻(大竹沙絵子)はこのアングルの中では揺るぎない強さとそれゆえの余裕という立ち位置(娘の母親が決して許さない炭酸飲料を飲んじゃえ、というのは象徴的)。娘の母親(梨木智香)はそれよりは成り上がった感じで、このポジションを手放したくない、そのためには娘にもきちんと教育と躾をという必死さ。バイトの女(あやか)は、いわゆる庶民のポジションだけれど、このアングルの中では見下される立場。それでも必死に見下して自分の位置を確保しようともがくのは「成り上がり」の立場で、揺るがない立場からはそんなことはなく。

作家はさらにもう一押し。不倫という「男に選ばれる」という、若い女が勝てる要素を突っ込みます。夫どころか、いま大切に育てている娘すら取られてしまうかもしれないという母親の必死さもあるけれど、若い女にとっては(明確には語られないけれど)確変を引いて裕福な生活ポジションに飛び移れるかも知れないという、ある種の意地汚さのようなものも透けて見えていて、作家の底意地の悪さが見え隠れするのです。なるほど、女たちの会話を描いた作品( 1, 2, 3) や、それ以外でも女たちのシーンに通底する面倒くささにも通じるのです。

カーチェイスのシーン(TDLが左側ということはファミレスは千葉方面で、娘の家は東京あたりか、みたいなどうでもいいことを考えつつ)、あるいはカーテンコールで劇団名が思い出せないテイであれこれの劇団やら役者(今後の出演者とか)をいろいろ繰り返すのは確かに笑うけれど、正直にいえば、時間を延ばす(それぞれ5分ほどのことだけれど)機能を担っているだけ、という感じがどうしても残ります。短い時間できっちり芝居をするというここの方針は支持するし、緩急を付けてと云えないことはないけれど、彼女がこれまで描いてきた40分きっちり濃密に物語を詰め込んだ面白さというのを知ってるだけに、惜しい。

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2015.08.18

【芝居】「五右衛門vs轟天」新感線

2015.8.13 14:00 [CoRich]

劇団結成35周年に「オールスターチャンピオンまつり」と題して、 古田新太主演の「五右衛門シリーズ」 (2008, 2010, 2012)と橋本じゅん主演の「轟天シリーズ」(1997, 1999, 2001)の二つのキャラクタが融合する200分(休憩20分)。大阪、福岡を経て9月3日までACTシアター。

世界を支配する悪の軍団に劣勢を強いられるインターポール。起死回生の切り札として、軍団幹部が400年前の一人の男・石川五右衛門の末裔であるとしてその子種を絶やすべく、剣轟天に協力を仰ぐ。
轟天はインターポールのメンバーとともに過去に遡り五右衛門に対峙する。

時間も物語の雰囲気も異なる二つの物語をやや力わざでねじ伏せながらひとつに統合していきます。全体的には五右衛門の世界観に一匹狼な轟天を放り込んで暴れさせるというのが基本的な構造ですが、そうして接点を作ってしまえばこちらのもの、実際のところ、あとはつじつまとかでうるさいことをいうよりは、次々と現れるデフォルメされまくった役が次々と現れ暴れていくさまを気楽に楽しんで見るのが吉。それぞれのシリーズを知っていればきっと楽しめるけれど、もちろん初見でも大丈夫。

劇団黎明期のメンバーのひとり高田聖子の最近のあたり役・マローネが五右衛門と身体と心が入れ替わるという中盤からの一工夫も楽しい。その入れ替わり自体はそう目新しいものでもないけれど、休憩を挟んで、その鮮やかな衣装を入れ替えて、五右衛門の心を持ったマローネを演じる高田聖子は格好良く、マローネの心を持った五右衛門を演じる古田新太は出オチかというコミカルな女装を絢爛豪華に見せるのは、お祭りらしくて楽しい。もっとも、二幕では衣装と内面が一致し、人間が入れ替わるというのは微妙に混乱してしまうアタシです。

粟根まことが人間に心奪われちゃうコミカルにみえるけれど生きづらさなのも彼の得意なキャラクタなのもうれしい。 二つの時代できっちり役を持つ池田成志めいっぱいの活躍。「ばってん不知火」なるコミカル悪役キャラが楽しい。とりわけ客席に配られた「穴あきばってん」に指を通して回そう、なんてのもお祭りっぽくてよい。もっとも穴の大きさがあまりよくなくてきれいに回すのはちょっと大変。もう少し小さくした方がいいんじゃないかと思ったりもします。

居酒屋風味のセットに、古田新太がホストとなって日替わりでゆかりのゲストを呼んでいるコーナーがあります。何の説明もないけれど。アタシの観たこの日は、スケバン刑事風のコスチュームで現れた坂井真紀(1)。まあこれもお祭り。

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【芝居】「東京アレルギー」野の上

2015.8.11 19:30 [CoRich]

2012年初演で、第19回劇作家協会新人戯曲賞最終候補となった作品を、役者を大幅に入れ替えて再演。16日までアゴラ劇場。110分。

東京にくるとアレルギーでくしゃみがでる、という女。故郷にはもう居られないと思う気持ち。都会の冷たさにもまれる日々、もう戻ろうと思っても故郷に場所がなく(故郷でアレルギーを感じてくしゃみをするのは象徴的)、都会で頼ろうと思った場所もまた救いにはならず、という物語は冷静に考えるとえらく救いのない話だと思うのです。 そのベースになっているのはきっと都会に出てくる敷居の高さだったり、ここが自分の居場所ではないという違和感。 ティッシュ配りで理不尽に搾取される感じだったり、メガネっ娘キャバクラで空気を読めず求められてもいない三国志を語ってしまうような生きづらい感じなどは必ずしも地方出身だからということでもないのでしょうが、これもまた、どこか上京してきたけれど友達も少ないまま生きている、というキャラクタの肉付けにうまく機能していて、切実さを感じるのです。

ケイと名乗り希望を象徴する白い服の女と、ゼットと名乗り絶望を象徴する黒い服の女。フォークダンス、手をとって踊り回るのは実にシュール。更に終盤に至り、それまでの人生に登場した人々が走馬燈になって立ち上がるというのも、決して幸せを描いている感じではありません。全体を通して感じるこの諦観が不思議な味わいを持つのです。

元々は青森・とりわけ津軽の役者たちで固められていた劇団ですが、初演から役者は入れ替わりました。必ずしも青森の役者たちばかりではないけれど、いわゆる東京パートは岐阜、愛媛などの出身だという役を含め全員が津軽弁を主体に、青森パートは標準語を主体にする演出は初演そのままにきっちりと作り出しているのです。

赤刎千久子、ぶりぶりなキャラはそう多くないけれど、その作り物っぽさも含めて印象的。 希望(K)を演じた堀夏子のケイの美しさはシンプルな衣装ゆえはっと気づくけれど、キャバクラドレスと牛の被り物の落差にエキセントリックな造型もまた楽しい。絶望(Z)を演じた和田華子はどこかコミカルで、精一杯さがかいま見えるようなところもあって印象に残ります。バイト仲間を演じた中田麦平の優しさ、安定の津軽弁。山田百次はキャバクラの客で次々現れる個性的なメガネっ娘に戸惑う感じがいい。バイト先の男を演じた 松本哲也はケリを入れつつ目をかけている人情派な説得力。宮崎弁でなく津軽弁でも違和感なく造型(発声がどこまで正確なのかは知る由もないけれど) 嫉妬に狂うシスターを演じた仲坪由紀子、舞台でのなんか顔大きくて肌がごわごわな強烈な印象だけど終演後にロビーでみかけると美しく、ああこういう方向にも化けるんだとおもったり。 姦淫におぼれるシスターを演じた山村崇子はううむ、気高さゆえのギャップねらいかと思ったりもするけれど、ちょっとぴんとこない。

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2015.08.14

【芝居】「算段兄弟」キューカンバー+三鷹市芸術文化センター

2015.8.8 15:00 [CoRich]

9日まで三鷹市芸術文化センター星のホール。105分。 父親が亡くなると呼ばれる子供たち。父親は結婚と離婚を何度も繰り返し、兄弟たちは一組の双子を除いてみな母親が違っていて、ほとんど一緒にくらしたことすらない。父親は子供たちみんなに看取ってほしいといい、死ぬときまで全員がそろって面倒を見ればという条件の遺言状があるという。長女は父親を許すことができず拒否するが、遺産目当ての兄弟たちは説得を試みるうち、父親は亡くなる。

父親が同じなのにほぼ会ったこともない兄弟たち(全員が初対面というわけではなくて、双子を一組いれて、そこに濃淡を付けるのは巧い)、それぞれの配偶者たちというある意味ほぼ他人同士が急速に近づき変化していくという枠組みの物語。

コミカルで人間くさくどたばたとする人々をみていると忘れてしまいがちだけれど、妻を次々と替え、子供はろくに育てず(金銭面の何かがあったのかも、とは思いつつ)、末期にいたり子供たちを集めたのは何かの意図かと思えば実は借金まみれで子供たちに押しつけよう、という父親は実は極悪人ではないかとも思ったりします。しかし、借金や生まれ境遇を(物語に父親が登場しないことで)天災のように避けられない困難として見せ、写し取ったかのように女たちのもとから逃げ出す男たちにとってのモデルという存在としてこの一人におっかぶせることで特異点のようになっています。それゆえに、登場する人物たちのむき出しな気持ちであったり立場であったりという様々をきっちり見せる、という方向にうまく働くのです。

もっとも、劇中に語られるように、なんで借金を放棄しないんだという疑問はもちろん残ります。あるいは、あれだけ嫌ってた長女が父親の死を境に豹変するのは(人間の心の豹変はままならないものとはいえ)もう一押し、その理由が欲しいな、と思ったりもします。

女性たちはみなしっかりとした人間として造型され、あれこれの災難にあってもブレることなく前に進んで行く人々として描かれます。 長男の嫁にして実はその父親のかつての恋人を演じた七味まゆ味は、エキセントリックな役者という印象が強いのですが、2013年のiakuあたりから目にするようになってきた大人の女性をもう一歩丁寧に。 長女を演じた村岡希美もまたコミカルが強い役者だけれど、こちらも思い悩み、あるいは気持ちに蓋をするという人間らしさ。

対する男たち。見栄っ張りで金に汚かったり細かいことにいつまでも拘泥していたり感激屋だったり。あくまでも人間臭く、コミカルな人々に描かれます。 作家・土田英生の人となりを知る由もありませんが、京都人固有な偏屈さ(や、アタシの偏見ですがきっと)だったり、気弱さだったり、陽気さだったりは、この男たちそれぞれの造型に作家自身の姿をキャラクタライズして写し取ったように思ったりもします。竹井亮介と尾方宣久が演じる双子のどちらも面倒くさい感じの相乗効果がちょっと凄い。

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2015.08.11

【芝居】「時々は、水辺の家で。」monophonic orchestra

2015.8.2 17:00 [CoRich]

2日まで楽園。115分。

リーディング公演として上演されたものを、本公演として。私は初見です。

画家は夫と娘を東京に残し水辺の家をアトリエとして活動していた画家が亡くなった。ここに滞在している彫刻家や画家たちはこの場がどうなってしまうのかを心配している。母の死後ここを訪れた娘は、自分たちを省みず芸術活動に没頭していた母親のこの家も絵も手放そうと考えている。

母親を許せなかった女、この家で彼女のことを見守ってきた管理人や若きアーティストたち、美術館の学芸員。軽口をたたきどこか浮き世離れしたよう。美術史をある程度共有できているようなある種の同質さで繋がっている人々特有の、どこかなま暖かく、安心できる場所。それゆえかアーティストたちはみな、イノセントで純粋に描かれます。これからこの道に進もうという美大生、一言も言葉を発さない謎多き男はもちろん、最近は絵を描かなくなったという人物ですら、何かを作り出すのが当然という空気を当たり前に受け入れ、ほかの道を歩むことなどみじんも考えたこともなさそう。それは何かをつくりださざるを得ないとか、そう生きるしかないという人々と、この空間が長い時間をかけて熟成されてきた、ということを醸し出して見せるのです。

この場所のオーナーであった画家の死。そしてその娘もまた小説家・画家ではあって人々とこの場所のありようを理解してはいても、自分たちは無視され続けてきたと思っているがゆえに、どうしてもこの場所を残しておくことができない気持ち。

細かい会話で、この場所がなくなりつつ行くことを積み重ねつつ、終盤に至り、母親が娘である自分の方向を見ていてくれたことが見えるその瞬間に、物語はくるりと、しかし静かにひっくり返るのです。それはあまりにあからさまだし、物語全体からみてもごくシンプルな仕掛け。物足りないと感じるのも事実なのだけれど、その淡く澄んだ色で世界を描くのは作家・須貝英のイノセントさという特質をよく表しているとも思うのです。

酒浸りの画家を演じた村上誠基はコミカルさが勝る役者だけれど、だんだんオジサンの悲哀のような味わいも出てきて楽しい。物語を転がす力。美大生を演じた榊菜津美は「これから」という開けた未来を持つ若者の造型にうれしくなります。娘を演じた川田智美は内面に何かを抱えたようなぎこちなさの造型。管理人を演じた白勢未生はすこし幼い印象があったりもするけれど、人なつっこい雰囲気がよくあっています。

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2015.08.03

【芝居】「時をかける少女」キャラメルボックス

2015.8.2 14:00 [CoRich]

50年前にジュブナイル小説として発表された原作から、いくつものテレビドラマ、アニメを含む4本の映画化を経て、初めての舞台化。115分。 9日までサンシャイン劇場。そのあと大阪。

夏休み、手術を控えて入院する伯母と祖父の面倒を見るために5年ぶりにに上京することに決めた女子高生。隣の家族の住む息子は幼なじみだが、大学で伯母の教え子として薬学を学んでいる。使われていない研究室で人影をみたと思った女子高生は、ラベンダーの香りとともに気を失ったあと、時間を遡行する能力を身につけたことを知る。

私の世代にとっては、原田知世・大林宣彦監督による角川映画版が強烈な印象ですが、2000年に入ってからの2本の映画は、原作での主役・芳山和子に緩やかに繋がりながらもタイムリープの能力を手に入れた女子高生を巡る物語に翻案されるようになってきています。本作もこれに近い流れで、芳山和子は1983年版の最後に語られ、2010年版でそうなった薬学を学ぶようにはなっていたり、封じられたはずの記憶が戻るという2010年版の物語のポイントは同じです。が、2010年版とは違って独身で、基本的には2000年以降の物語にはリンクしないつくり。もっとも2000年以降のそれぞれは、原作ではあくまで静かで受け身でありつづけた女子高生は行動的になり物語をぐいぐいと引っ張っていて、それと同じ21世紀の語り口になっています。

ネタバレ

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【芝居】「外交官」青年座

2015.8.1 16:00 [CoRich]

休憩10分を挟み155分。 9日まで青年座劇場。

東京裁判で裁かれる外交官たち。 それぞれの立場と信条とを信じて成し遂げたり、時に信じることを曲げざるを得なかった人々。次のこの国の道を探すために「裁判対策」のために集まる。

パラドックス定数の人気作「 東京裁判」( 1, 2, 3)に繋がる物語。東京裁判が弁護人席で弁護人たちが何を話していたか、という想像の力の物語であるのと同様に、今作では 史実の人々の事実の隙間を見つけて「裁判対策」という(たぶん無かった)場所を設定します。いくつもの場面、時間軸を前後しながら語るけれど、ほとんどの場面が(公式の場所であったとしても)、正式には記録されない楽屋のような場所だったり、その場所のつぶやきであったり、ということを想像して描く野木萌葱節の物語の強さに加え、パラ定では残念ながら成し得ない幅広い年齢層の役者たちで語られる物語の強固なちからなのです。

正直にいえば、真珠湾から終戦にいたるあの時代のことをきっちりとは理していないアタシです。歴史の授業では時間が足りずに教えてもらえず、かといって自分できっちり勉強するでもなく。夏によくある終戦記念番組だったり、いくつかの芝居だったりで概要を、粗い目のモザイクが細かくなっていくように未だに取り入れ続けてるというのもどうなんだ、あたし。

販売されているパンフにある作家の言葉は、パラ定でもよく云う「登場人物たちが自分を導く」ということ。もちろん現実の彼らがどう考えていたかは知る由もありません。その隙間を突き、この状況下で、それぞれの立場の人間が自分の信じるより所をもとに何を考え、どうしようとしていったか、ということに想いを馳せ、説得力ある言葉で紡ぐということが、彼女の作家としての強さで、今作においてもその力はきっちりと発揮されているのです。

もうひとつ、パラ定っぽいのはスーツの男前たち、という魅力です。若者は若者なりに、年齢を重ねた人々は更に、という雰囲気が実にいいのです。ええ、これは青年座による演出なのですが。

「東京裁判」は今年、pit/北区域を離れ、俳優座劇場にてパラドックス定数で上演。 その前に新作一本が予定されていますが、これはタイトルだけではどんな物語になるか想像もつかない「深海大戦争」とはいえ見に行ってしまうのです。きっと。

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【芝居】「彼らの敵」ミナモザ

2015.7.30 19:30 [CoRich]

2013年初演を同じキャスト、同じ劇場で再演。 8月4日までアゴラ劇場。最終日に追加公演があります。

例によって初演の記憶が曖昧なアタシです。が、びっくりするほど、2年前と感想が変わらないのです。アタシが成長していないとも云えますが、台詞はほとんど変更していないようで、メディアスクラムを巡る報道される側の真実と報道する側の行動原理のかみ合わない平行線ぶり、あるいはメディアの危うさという根っこが変わっていないということかも、と感じるのです。

「女性であること」を売りにする女性ライターが登場する後半、ライターであり、見た目にオンナっぽさが目に付きがちな作家自身が自分のどこに 商品価値があるか、ということを明確に自覚しているかということを語調強く描くのです。端的に云えば、オンナを馬鹿にするのもたいがいにしろよという本心と、でもそれでゴハン食べてる、というギャップ なのだろうと思うのです。

紅一点でその女性ライターを演じる菊池佳南が印象的。ステロタイプにコスプレして目線入りインタビュー写真を「偽造」するシーンは絵に描いたように男に媚びるような見た目。ええ、素直に眼福を感じてしまうアタシなのです。捕虜となった外国人を演じた中田顕史郎の、中東っぽい訛とパーマな髪型で、もう外国人にしか見えない圧巻。

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【芝居】「ピカデリー・ショート・ミュージアムin2015サマー」ピカデリー・ショート・ミュージアム実行委員会

2015.7.26 10:00 [CoRich]

30分での上演を一日で二回上演する企画公演。去年に続き二回目ですが、アタシは初めて拝見します。26日まで。

色街。人気の、しかし鬼と呼ばれた太夫の周りの人々の心には闇が巣くう。「よるのいろ」(天邪鬼)
記憶を毎日なくして目覚める女、その傍らにいつもいる女は好意を寄せているのに報われない。彼女も知らない秘密があるのだ「忘却の海」(ほめっ娘)
女性の元に届いた手紙は椅子職人からの告白だった。/新築の集合住宅に引っ越した男は天井裏に上がって隣家を覗けることに気づく。「乱歩リーディングシアター・「人間椅子」「屋根裏の散歩者」」(幻想劇場◎経帷子+バリカタで!!)
第一新聞部を支えていた副部長は多くのメンバーとともに引き抜かれてしまう。学校内での存在感を高めるためのスクープが絶対に必要なのだ/友達からの虫取り勝負を受けてしまった子供は父親に泣きつく/遠くで聞こえる音、どこかのんびりした男二人「Pの時代」「夏の昼下がりのハードコア(PSM版)」(ピストンズ)
製薬会社の面接を待つ三人。時間はとうにすぎているのに始まらない。何かを試されてる?実は人体実験なんていう都市伝説もあるけれど。「遠心ポンプ」(れんげでごはん)
新幹線延伸と御開帳の今だからこそ一気にゼンコージャーも組織して城下町を攻め落とすと息巻く門前町の市長。でも、攻勢が。 「OPTIMAL」(空想≠カニバル)
エレベータが止まり、エレベータガールはパニックを起こす。深海での生活のために食料生産システムが開発される。巨大なゴマ豆腐を作ってしまった豆腐屋。二組の駕籠舁き、片方はお姫様もう片方は空っぽ。「PARA-BOX」(照り焼きプリン)

秋の演劇祭では60分枠の同時多発にしているのに対して、もっとコンパクトに一つの舞台で短編を半日で一通り見られるようにつくられている一日限りのイベント。大きなセットは作れませんから、正方形の台を二つという共通のセットに、短時間でセットできる簡単な装置で上演という形態。演劇に限らないイベントですが、リーディングが一組あるほかは、コントっぽいものは混じりつつも、基本的には演劇です。このコンパクトさも捨てがたい。

天邪鬼は伝奇っぽい枠組みにしっかりとチャンバラで華やかに。物語の焦点が鬼たる太夫なのかと思えばそうでもなく、短時間のわりにちょっとわかりにくい感じがあるのはもったいない気がします。

ほめっ娘はいわゆる「頭の中の消しゴム」もの。繰り返し記憶を失うものと見守り続ける側の寂しさ。もう一工夫をして、まるで時計の長針と短針、あるいは自転と公転のように入れ子になる構造のワンアイディアは秀逸なのだけれど、30分の尺ではディテールを描くには短く、アイディアのインパクトという点では長くて難しいところ。

「乱歩リーディングシアター」の二本はリーディングに役者たちが作るシーン。プロジェクターをリアプロジェクションで。正面のスクリーンが消えると奥から魑魅魍魎が出てくるようなラストが美しい。

ピストンズは、三人の俳優が組み合わせを替えながらいくつかの二人芝居を交互につくりあげていきます。時にコントのようであり、時にノスタルジックな場面であったりと描かれていく物語は、 それぞれがちゃんと繋がってるというわけではなくて、別モノの物語を並列して見せているような不思議さ。 なによりそのそれぞれの場面で役者を入れ替え視点を切り替えるさまがスピーディーで、リズムがよくて30分の中で濃密に物語が紡がれる面白さなのです。新聞部の起死回生をかけたUFO撮影の今さら感もやけに作り込まれた感じが楽しいし、息子の虫取り勝負にあおられた厳格に見える父親が本気になっていくグラデーションの繊細さに奥行きを感じます。遠くの爆発音で会話をする二人の男、花火のようだと思っていると、それが実は爆撃を受けている町の出来事で、戦争が終わったらジャーナリストになりたいという話だったり恋心の話だったり、この今の瞬間に描かれることで、現実の危うさに不思議にリンクするような濃さがあります。若い作演だろうに、まるでシティーボーイズのようなどこか枯れた味わいが面白い。

れんげでごはん、は新しい役者を加えて新たな出発という印象。就活生たちの都市伝説的な想像や恐れ、会社側は面接官の寝坊を隠し通そうとしたり、自分の雇用が危ないと感じた社員がバイアスをかけたり、とそれぞれの立場で持ちうる情報のギャップをすこしばかり誇張して見せることで、そこから生まれる笑いをテンポよく詰め込みます。 この手のショーケース企画では勢いとか笑いが巧くはまったときには有利で、その意味で成功しているのです。

空想≠カニバルは、まあ仲が悪いと云われがちな長野市・善光寺を中心とする北信と松本市・松本城を中心とする中信それぞれの自負心と自慢する気持ちの対立。ゼンコージャーなる戦隊が出てきたり、城下町軍が攻めてくる、みたいなライトな描き方は、渡辺源四郎商店の県立戦隊・アオモレンジャー( 1, 2, 3, 4, 5) みたいな感じだし、むしろ長野県で戦えるのはゼンコージャーじゃないかと妄想したりも。それでも内心は城下町勢に心奪われていて、松本ぼんぼんという市街地上げての夏祭りで盛り上げるというのは、まあ、卑怯なやり方ではあるけれど、客席は圧倒的に盛り上がっていて、これはその地区でゆえに成立するおもしろさ。

今回すべての劇団で共通に用意された舞台装置は、設置された二つの正方形の台。彼らはこの二つの台を時に停止してしまったエレベーター、時に巨大ゴマ豆腐、時に駕籠と見立てて濃密で盛りだくさんなナンセンス仕立て。それを無理矢理にでも一つにまとめ上げようという終盤の無茶ぶり感もすごいし、それでも停滞させることなく、エレベータの箱から一歩もでられないエレガにすっと着地させる力わざをきっちりとなしとげる役者たちも魅力なのです。

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