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2015.07.27

【芝居】「雑種 晴姿」あやめ十八番

2015.7.25 14:00 [CoRich]

26日まで。シアターグリーン・BASE THEATER125分は、二度目の「団子屋」(1)を巡る物語。

門前の団子屋、父親は入院していて母親と三姉妹、従業員の女性。出戻りの長女、やんちゃに遊んだ次女、三女は高校生だけれど学校に行かないで団子作りを覚えたいという。彼氏らしい同級生が呼びに来るが学校には行かない。近所には喫茶店を営む男、傍らには妻。10%だけ当たる占い師。あるいは長女のイケメンなかつての同級生。

三女と恋人らしい男、というぼんやりとした軸がありますが、オムニバスというか狭い範囲でゆるやかに繋がるスキットをつなげて15パート。番外公演だからかどうか、あやめ十八番の持ち味ともいえる魔物のような虚構はほんの僅かで、人々の営みで場面を紡ぎます。

主宰の口上の幕開けは、あやめ十八番の大きな特徴の一つ。主宰の身近な視点のように(とはいえ、この前の団子屋の話とは全く違うから、もう虚構なのでしょうが)誘われるのは気持ちよく。 朝の「開店準備」はきびきびと働く人々のシーンで美しく。ヤバいという「万能用語」っぷりを笑い。イケメン「同級生」登場が登場し女たちが色めき立ち。クマがでるらしい無人島に二人きりだったらという男女の会話、でもずっと20年クマにあわず、再会な驚き「無人島とクマ」。易者がでたらめをしゃべるおかしさ「出鱈目易」。男に迫られると鳴りだす音楽プレイヤーの中の小人たち「ipod」。人を斬る行為に美しさを求めるのは相手に対する礼儀「祈り」。あの時しゃべれなかった自分がもう一歩先に行くために「あの子を斬って」。夫によく似た男が話しかけてくる、8年ぶりだというえけれど覚えがない「網戸にできないチャコ姉さん」。 易者が見つけた狐の人形はすべてをぴたりと言い当てるが怖く感じると娘は神隠しに「娘狐地雨雲切(むすめぎつねじあめのくもぎれ)」。男の枕元に妻が立っていて、喫茶店をやりたいという「夢枕、もしもの話」。三女は彼氏の試合を見て涙する「つがいの雀」。お百度の女、忘れられてしまう自分だから忘れられないために油を神社に撒いたという「アロマオイル」。店の前を通りかかっているのはかつての彼氏、産着に赤ん坊だけれど、それは姉の子供、目をあわせてもすれ違う「晴れ姿」。

「網戸にできないチャコ姉さん」という8年前の男の話が好きです。夫役を兼ねる一人の俳優がもう一人の男を演じるので、序盤少々混乱しますが、単にホラー、怖い話というわけじゃなくて、SF風味でもあって面白い。今の男は「グリコ」でじゃんけんに勝ち、夫となっているけれど、同じ男がじゃんけんに負けていたら、そうなったかもしれないというもう一人の姿。鴻上尚史が繰り返し描く「女性と一緒の電車に乗っていて、自分は降りてしまったけれど、一緒に乗っていったもう一人の自分」の話にも似た 味わいがあって私は好きなのです。「アロマオイル」は全体の中では少々唐突ですがこの8年前の男が戻ってこない女の話で二つが対になっていて、時空がゆがんだような不思議な世界。

楽隊たちが芝居をする唯一の「iPod」もいい味わい。カントリー&ウェスタンで統一された音楽も軽やかだし、奥深い。

妻を亡くした男を演じた熊野善啓は軽やかさと大人の苦さ。 でたらめをしゃべる易者を演じた岡本篤は、他ではあまり見られないコミカルな前半と、後半の怪談めいた語り口のダイナミックレンジに確かな力。

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