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2015.07.29

【芝居】「猫と洞窟と夏についての試論」feblaboプロデュース

2015.7.25 17:00 [CoRich]

60分のコンパクトなミステリ仕立て。平日20時開演が多く設定されていたり、いわゆるマチソワの間に詰め込めるようになっているのも、アタシの個人的な都合にとっては嬉しい。

高校の科学部、全国大会の不祥事。5年経ってそのときの教師と生徒が集まる。匿名であの時の真実を明らかにせよ、と命じる手紙がみんなに届いたのだ。

科学部の全国大会、そのエースに取材が殺到する、けれど、女性記者がセクハラを受けたといって、生徒が犯人とされ、そのあとその部活の低迷が始まる、という枠組み。正直にいって、枠組みがいろいろ理解しづらい感じではあります。たとえば、セクハラの定義として語られる、取材者は被取材者に対して弱い、というのは定義を当てはめようとすれば当てはまらないことはないけれど、なかなか飲み込みづらいのが惜しい。

カガクを背景に謳うとなれば、もっとキリキリと追い詰める展開が欲しいところではあるし、せっかく一人混じっている部外者たる記者が抱えていたもの、あるいは真のエースは誰なのかといったぐあいにいくつかの要素を組み合わせつつも、序盤でうまく世界に引き込まれなかったのが災いして乗れなかったのは残念無念。

観客に配られる二枚の写真はヒントの一つ。こういう面白さってあるのだけれど、劇場の中の客が普段目にしている場所を背景にした写真で、劇場の中にしても、そう見えないところを選ぶとか頑張って欲しい。

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2015.07.27

【芝居】「雑種 晴姿」あやめ十八番

2015.7.25 14:00 [CoRich]

26日まで。シアターグリーン・BASE THEATER125分は、二度目の「団子屋」(1)を巡る物語。

門前の団子屋、父親は入院していて母親と三姉妹、従業員の女性。出戻りの長女、やんちゃに遊んだ次女、三女は高校生だけれど学校に行かないで団子作りを覚えたいという。彼氏らしい同級生が呼びに来るが学校には行かない。近所には喫茶店を営む男、傍らには妻。10%だけ当たる占い師。あるいは長女のイケメンなかつての同級生。

三女と恋人らしい男、というぼんやりとした軸がありますが、オムニバスというか狭い範囲でゆるやかに繋がるスキットをつなげて15パート。番外公演だからかどうか、あやめ十八番の持ち味ともいえる魔物のような虚構はほんの僅かで、人々の営みで場面を紡ぎます。

主宰の口上の幕開けは、あやめ十八番の大きな特徴の一つ。主宰の身近な視点のように(とはいえ、この前の団子屋の話とは全く違うから、もう虚構なのでしょうが)誘われるのは気持ちよく。 朝の「開店準備」はきびきびと働く人々のシーンで美しく。ヤバいという「万能用語」っぷりを笑い。イケメン「同級生」登場が登場し女たちが色めき立ち。クマがでるらしい無人島に二人きりだったらという男女の会話、でもずっと20年クマにあわず、再会な驚き「無人島とクマ」。易者がでたらめをしゃべるおかしさ「出鱈目易」。男に迫られると鳴りだす音楽プレイヤーの中の小人たち「ipod」。人を斬る行為に美しさを求めるのは相手に対する礼儀「祈り」。あの時しゃべれなかった自分がもう一歩先に行くために「あの子を斬って」。夫によく似た男が話しかけてくる、8年ぶりだというえけれど覚えがない「網戸にできないチャコ姉さん」。 易者が見つけた狐の人形はすべてをぴたりと言い当てるが怖く感じると娘は神隠しに「娘狐地雨雲切(むすめぎつねじあめのくもぎれ)」。男の枕元に妻が立っていて、喫茶店をやりたいという「夢枕、もしもの話」。三女は彼氏の試合を見て涙する「つがいの雀」。お百度の女、忘れられてしまう自分だから忘れられないために油を神社に撒いたという「アロマオイル」。店の前を通りかかっているのはかつての彼氏、産着に赤ん坊だけれど、それは姉の子供、目をあわせてもすれ違う「晴れ姿」。

「網戸にできないチャコ姉さん」という8年前の男の話が好きです。夫役を兼ねる一人の俳優がもう一人の男を演じるので、序盤少々混乱しますが、単にホラー、怖い話というわけじゃなくて、SF風味でもあって面白い。今の男は「グリコ」でじゃんけんに勝ち、夫となっているけれど、同じ男がじゃんけんに負けていたら、そうなったかもしれないというもう一人の姿。鴻上尚史が繰り返し描く「女性と一緒の電車に乗っていて、自分は降りてしまったけれど、一緒に乗っていったもう一人の自分」の話にも似た 味わいがあって私は好きなのです。「アロマオイル」は全体の中では少々唐突ですがこの8年前の男が戻ってこない女の話で二つが対になっていて、時空がゆがんだような不思議な世界。

楽隊たちが芝居をする唯一の「iPod」もいい味わい。カントリー&ウェスタンで統一された音楽も軽やかだし、奥深い。

妻を亡くした男を演じた熊野善啓は軽やかさと大人の苦さ。 でたらめをしゃべる易者を演じた岡本篤は、他ではあまり見られないコミカルな前半と、後半の怪談めいた語り口のダイナミックレンジに確かな力。

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2015.07.25

【芝居】「ありふれた話」猫の会

2015.7.22 20:00 [CoRich]

平日20時開演がありがたい70分。空洞。26日まで。

昭島で親戚との食事会に行った帰り、高校生の頃歩いていた路地に寄り道をすると話しかける猫がいた。
帰宅途中の電車の中で同級生の女性に久々に会い、軽く飲みに行って、浮気する旦那の愚痴を聞くうち、誘い誘われて鎌倉へ。帰りたくない気持ちのまま、久里浜、千葉。そういえば親戚の食事会に顔を出していた従姉妹は駆け落ち同然で出て行ってからだから二十年ぶりだった。

猫に「境目に居る」と話しかけられる序盤から、大蛇が出てみたり小人が横断歩道を歩いてたりと、幻想のなかをふわりふわりと浮かぶように運ばれる物語。久々の同級生に出会って旦那の浮気話を聞いて会社をサボって幾晩かを伴にするのも、従姉妹の女性とのつかの間の会話にしても、そんな夢のように事が巧く運ぶなんて、というぐらいにめくるめいていて、これすらもどこかふわふわと想いの中を漂うよう。それも男の視座というばかりでなく同級生の女性の視点にちょくちょく切り替わって語られたりもして、決して安定した語り口ではありません。

この全てが夢かも知れない、といってしまうと身も蓋もないけれど、何か手詰まりのままもやもやした気持ち、それを見透かす猫。手詰まりのもやもやはまた従姉妹の女をも覆っていて、その「境目」をうろうろしているいわば危険領域ギリギリゆえに見えてくる何か。いくつかの気持ちが点描されているようで、物語そのものの辻褄とか流れというよりは、気持ちを感じ取るような読み方があっているかなと感じる一本なのです。

同級生と幾晩か一緒に泊まったといっても、結婚指輪を外した(まあ、十分だけれど)という以上には具体的には踏み込まないで描くのがまたちょっと色っぽく、想像力(というよりは妄想力)がもりもりと沸いてしまうのはオヤジなワタシの悪い癖。 妄想といえば、 従姉妹の女性は「八王子のおじさん」にとても憬れていたということを繰り返し描き、男はそのおじさんに似てきたな、ということだけを描くだけだけれど、従姉妹とおじさんの間に何かあっただろうし、その面影が見えてしまう男にも不思議と色っぽさを感じてしまってるだろう、というのもまあ見る側が勝手に補完した妄想。

男を演じた山ノ井史、もうどうでもいいと諦める感じ、あるいはデート的なことをして楽しい、というダメではあるけれど、男のホンネっぽい。まあ、それは作家の気持ちなのでしょうが。かっての同級生を演じた 高木充子は、真面目ゆえに、ちょっと楽しいと思って弾けて鎌倉、会社も休んじゃったという後悔だけれどずるずる行くけれど、夫の元に戻っていく、という全体を通してどのシーンでも説得力。ああいうノリでこられたら、アタシだって(そんなことはアタシには起こらないw)。猫を演じた菊池ゆみこ、序盤のカリカリも楽しいし、変幻自在に何処でも現れそうな軽やかさ、あるいは「八王子のおじさん」など狂言回しをきっちり造型する振り幅。従姉妹を演じた環ゆら、あからさまに語らず隠す色っぽさ、もっと見たい感じではあるけれど60分でこれだけの物語を詰め込んだあおりを食らった感じは否めません。

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2015.07.24

【芝居】「空中キャバレー2015」まつもと市民芸術館

2015.7.19 14:00 [CoRich]

歌舞伎と交互の隔年開催の三回目 (1, 2)。 胸を張って松本で制作・上演される演劇の最高峰とアタシは薦めちゃう180分(休憩15分の間もあちこちで出し物があります)。初演の4000円から5500円(U25 2500、中学生以下1000)に上がってるけれど満足な一本。26日まで、まつもと市民芸術館特設ステージ(搬入口が入場口になります)。

空中ブランコ乗りの娘に恋をした兵士は縄ばしごを上へ上へ。怪力オクタゴンは恋をして娘を娶るが悲劇が起こる 。蝶が鼻に止まった男たち、逃がさぬようにそろりと歩き。砂漠のサボテンは海を観に行こうと思い立つ。スキーを履いた二人の男は詐欺師で純朴を騙し、逃げているが、一軒の民家で誰かを待ち続けている老女に出会う。そして、さまざまな大道芸、サーカス。

いままであったトロンボーンサックス吹きの話はなくなり(ご指摘感謝)、いくつかの物語を加えて、新たな成長を予感させます。祝祭感はそのままで、短い物語を過剰なほど大量にいれることで、さまざまな夢をみているよう。空中ブランコはこの公演の骨格でもあり一番の呼び物でもあり、安定の圧巻。オクタゴンは片岡正二郎による劇中歌、圧巻の歌声、「才能は放棄できない」ゆえの悲劇。蝶の男たち、三人そろってずんちゃっちゃと横歩きの楽しさ、鼻に止まった蝶を大事にそうっとしておきたいという男のポエトリな時間、そこに捕虫網を持って追いかける女の子の奔放さ。サボテンはロードムービー風の旅、ヒッチハイク、海辺の街の歌声。二人の男の話はピノキオを騙したキツネと猫、あるいは老女がまっているのは孫娘か狼という物語の脇役が、物語には相手役が必要だ、物語がなくなればこの世がなくなるかもしれない、という話と読みました。楽曲やリズムを中心とした祝祭感はいままでよりもパワーアップした気がします。

楽曲はcobaのアコーディオン(この日が出演初日)、「ア・ラ・カルト」の名残も惜しい高泉淳子が松本へ登場が嬉しく、十八番なでたらめ風味なジャズ、秋本奈緒美の歌声。サーカスは核となる空中ブランコ、フラフープ、二人の女性によるアクロバティックに乗ったり乗られたり、自転車の曲乗りというにはあまりにアクロバティック。サーカスのコーディネータを務めるジュロは大怪我をして、空中での芸は今回できないのは惜しいけれど、それでもフラフープをきっちりこなします。ジェームス・ヨギの自転車芸もちょっと凄い。

マルシェはさまざまな物販。cobaによるバーのアルコール、休憩時間にちょっと話が出来たりして嬉しい。 願わくば、マルシェの食品販売が劇場付属のレストラン独占じゃないバリエーションがあると嬉しいのだけれど。まあ大人の事情でしょうが、懐が浅い。

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【芝居】「墓場、女子高生」ベッド&メイキングス

2015.7.18 18:00 [CoRich]

26日までシアターイースト。120分。何回か上演されているようですが、アタシは初見です。

授業をさぼっては墓地に集まる合唱部の女子高生たち。新しい墓に眠っているのは同じ合唱部の友達、何もいわず、ある日突然首を吊ったのだ。忘れようとしていたり、忘れずにひきずっていたり。オカルト部が唱えた呪文で、突然その女子高生は生き返ってしまう。

役者には相当な負担になりそうな階段状にしつらえた墓地。 妖怪・幽霊となったのんびりした人々と、授業を抜け出し、馬鹿話をしながらすぐここに集まる女子高生たち、あるいは外回りの営業でいつもここで弁当を食べる男、あるいは見回りにくる国語教師。それぞれに想いがあって。自殺の理由が明らかにならないから、教師も弁当男までもが、自分が原因と考えて心のわだかまりになってついついここに来てしまうけれど、そういう「幽霊」が居る場所ゆえに人をあつめる、という「場」。

後半、 生き返ってみて、そうじゃないと思ってももう戻るすべはなくて。夜中の墓地でみんな一緒にすごそうというのがなんか女子高生っぽいけれど、桜の木の下でもう一度、というのはこういう風にしか物語が進まないぐらいに緻密に追い込まれているけれど、そういう意味では早々に想像がついてしまうのは痛し痒しではあります。

とはいえ、いわゆる女子高生っぽいシーンが沢山あるのは、もう眩しすぎるとは思いつつもついつい嬉しくなってしまうアタシなのです。ひたすらコミカルなオカルト女を演じた根本宗子は目を引きますし、ちょっと大人っぽく、缶ビールを持ってたりするのにセックスに対して極端に奥手という可愛らしい佐藤みゆきもいい。コミカル担当と意味では友達の彼氏に恋してしまうという役の薬丸あすかもコミカルと可愛さできっちり。主役を演じた清水葉月の体温低い感じと、歌の巧さのちょっとバランスがおかしい(褒め言葉です)感じも全編を通して思い出すと、印象に残っているのです。

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2015.07.23

【芝居】「メロテスカー、他」あひるなんちゃらの関村俊介が短編集をやるのを味わい堂々の浅野千鶴が見守る企画

2015.7.18 15:00 [CoRich]

関村俊介の作品の短編集上演で、名前があるのに浅野千鶴は出演しない 55分。19日まで空洞。最近は出演のない関村俊介の出演が楽しい。

女が突然、先生になりたい、じゃあ練習するから私先生ね、男は生徒と言い出す。パチンコ屋の前に並んでいるのは恥ずかしいんだけど。「先生になりたい」(田代尚子、野村梨々子、関村俊介)
秘密なんだけどね、こんどマスクマンになることになったんだ、ばれちゃいけないんだけど。名前どうしようかと思ってて、強そうなやつ「マスクマン」(澤唯)
そろそろ並んでもいいんじゃない?でもメンバー暖まってないよ。握手券おれは1枚しか持ってないんだけど、え、25枚持ってるの?「メロテスカー」(おがわじゅんや、関村俊介)

「先生〜」は唐突に「先生になりたい」といいだし、漫才よろしくその場でロールプレイしようとする女、なんか迷惑そうに巻き込まれる男だけど、そもそもパチンコ屋の開店前の行列で、それが恥ずかしいという理解できる枠組みと、でも人前でいきなり漫才やるのは恥ずかしくないというずれ、パチンコ並びを親にばれないようにするために従姉妹に口止めのあれこれ。あひるなんちゃら・関村っぽさが楽しい。田代尚子がどこまでもまっすぐ、先生になりたいと言い張りまっすぐにボケ、野村梨々子と関村俊介がつっこみまくる安心な構図。

「マスクマン」はジーンズ姿で落語、の体裁。何か問題があって、人に相談して、識者に相談しつつ解決したようなしないような。この感じなら暑苦しく行きたいところという気もするけれど、あくまでもクールで冷静に造型。別の場所への場面のつまみ食いというような落語っぽさがちりばめられて楽しい。

「メロテスカー」は私は通らなかったアイドル畑な話。CD買っただけ入手できる握手券、卒業前の握手会、ファンだけど1枚しか持ってないとか、そこそこファンだけど25枚持っていて気持ちは熱いのに、遠巻きに様子をみていてなかなかその一歩が踏み出せない男。 リアリティを持って観られるか、というとよくわからないんだけれども、 その二人の前に起きる奇跡、という一曲はなんか優しい。

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【芝居】「天麩羅男と茶舞屋女/FRIENDSHIP」もじゃへら事情(もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡 × 青春事情)

2015.7.16 19:00 [CoRich]

もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡と、青春事情による二本上演の企画公演。氷川丸(wikipedia)をめぐる物語。

映画スターを乗せた氷川丸はシアトルを目指す。暗殺を画策した男に惚れた女は毒薬を胸に乗船する。好物の天ぷらを部屋に運ばせていたスターだったが、その日に限って手をづけず、厨房に戻された料理を食べたカモメのヒナが食べて死んでしまう。 「天麩羅男と茶舞屋女」(もじゃもじゃ頭とへらへらメガネ)
宇宙船、自殺を図る女を止めたのは女性乗務員だが、その後輩の男は何も出来なかった。友人は一計を案じる。「FRIENDSHIP」(青春事情)

「天麩羅〜」は(天ぷらが好きだったという)かの映画俳優と氷川丸、その彼と暗殺計画という二つの史実を一つにして、その実行犯は(卓袱屋とも書く店の)夜の女だった、という横浜の歴史の一面を組み合わせます。その失敗の後の水攻めだったり兵糧攻めというのはまあ、芝居というライブの一つの表現だとは思いますが、物語に対して効果は上げ切れていないのは惜しい。終盤は圧巻の長い台詞。それを全てそのまま既存の台詞で描いてしまうのは、それが作家の主張と同じモノだったとしても、作家自身の言葉で語って欲しいところ。

もっといえば、真面目に歴史に向き合う気持ちはわかる。マグカルの騎手という気負いもあるのでしょう。が、ネットで見えるような史実をつなぎ合わせてつくりあげた、という印象が強くて、ここまで来た作家にはもう一歩先、この枠組みでも、史実の隙間を押し広げて、そこにあるかもしれないフィクションゆえの面白さこそ狙ってほしいなぁと、勝手に期待してしまうのです。

「FRIENDSHIP」は、一人の役者を軸に、あこがれの先輩、恋の予感を匂わせる女性客、応援する友達。船長のキャラクタはわかりやすく、面白い。女性客の服の変化も楽しいけれど、対面舞台ならば、女性客の向きをシーンによって変えてもいいんじゃないかな、と思います。 真面目に仕事していれば見てくれている人も喜んでくれる人も居る、というメッセージはびっくりするほど無垢で真っ直ぐなのです。正直にいえば、気恥ずかしいほど真っ直ぐであって、もう一ひねり欲しいなぁ、オジサンとしては。

両方に船長役で出演する緑慎一郎はコミカルが似合うのと、ロボットという設定で呼ばれると「ハイ、船長です!」とポーズを取るという小ネタの面白さで青春事情での役がよくあいます。

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2015.07.20

【芝居】「ペール・ギュント」KAAT神奈川芸術劇場

2015.7.13 19:00 [CoRich]

イプセンの戯曲(wikipedia, 楠山正雄 訳)。ワタシは初見です。谷賢一の翻訳・上演台本の物語は休憩15分を挟み全体で195分でも飽きさせません。

初めて入ったKAATのホール。おそらくは普段は見えないエリアまで広い舞台にして、奥には大きな窓。時折爆撃音のようなものが聞こえています。どこか廃工場のような雰囲気。 圧巻の広さ。3F席ですが、むしろ俯瞰できて楽しい。 若い頃を描く前半、まだ何者にもなっていないけれど、何者かというより王になれると信じる男、一度は振った女を略奪してみたり、 トロル(妖精)の娘に気に入られて王になれるならと結婚すると言ってみたりと、まあ中二をこじらせたままのような感じではあります。 休憩を挟んで後半は、成長して財もなしていて。それを失っても預言者になってみたり、あるいは精神病院の患者たちに祭り上げられたりもする。波瀾万丈すぎる人生、不屈の精神力というよりはぎらぎらした野心でわずかなきっかけをモノにする力というか。主役を演じた内博貴はこの重い役をきっちり演じています。前半はあまり違和感がないのだけれど、後半の造型に対しては少々若すぎる印象があるのは惜しいといえば惜しい。

いつまでも成長出来ないという意味ではこの歳になって、なんか気持ちが寄り添います。自分を褒めてくれる狭いコミュニティの居心地の良さ、あるいは一人になっても頑張って生きる姿。そういう意味ではずっと待ち続けていてくれた女も見事な物語。

ずっと見守り続けている視線。医療スタッフのようないでたちの人々、あるいは保育器や手術に使うようなライトが出てきます。楽団もまた役者たちに見つめられるシーンがいくつか。 終幕、保育器の周りに居るスタッフ。もうおそらくは生きられない赤ん坊が生かされている間にみたつかの間の波瀾万丈の夢、という枠組みかな、と思います。

窓の外に聞こえる爆発音は何だろう、ギリシャの戦争か、ギリシャも戦争も、偶然だろうけれど、タイムリー。

正直、アタシの席からは舞台は少々遠いけれど、桑原裕子、辰巳智秋はもうほんとにこの距離でもしっかりオーラの出てくる役者になったのだなと今さら思ったりします。大きな舞台をあまり見ないから今さらなんですが。まあ、顔や声を知っているから、ということはあるかもしれないのですが。 -->

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【芝居】「15 Minutes Made Volume12」Mrs.fictions

2015.7.12 19:00 [CoRich]

人気のショーケース企画。3年振りの公演。 14日まで、王子小劇場。休憩10分を挟み全体で130分。

正月、東京に行って帰省してきた男が友達に会う。昆虫を食べさせられていたところを救ってくれた友達の家に招かれる。向かいの保育園がうるさいから子供たちを殺すにはどうしたらいい、と半年が経ち「ミセスフィクションズの祭りの準備」(Mrsfictions)
高校の部活、最後の試合は散々だった。泣いていた男たちを慰めていた女子マネージャーが逆に泣いている。試合が良くなくて疎遠になっていた男たち4人だが、彼女のおかげでまた会えた。「消えないで、ミラーボール」(20歳の国)
町中でエッチな行為が目に余るようになり自警団がパトロールをしている。夜中、牛丼屋で打ち上げて帰路に就くが、その店に入ってきた客は、店員の目の届かないこの店で、性行為を始める。「HNG」(MU)
(休憩)
夏祭りの日、浴衣姿の女の子は前髪を切りすぎたといって初めてのデートにいけないと別の男に駄々をこねている。男は夜店を回って女の子を待っている。「夏の灯り」(第27班)
夏の日、東京から大量の死体が流れ着き続ける町。死体を代表した「死んでるさん」が共同墓地のありかたについて、生きている人と死んだ人との間の相談をとりもっている。 「私たちの考えた墓に入る日の前日のこと」(The end of company ジエン社)
作家の家。貞淑であったはずの妻が信頼していると信じていた男と不貞を働き、家を出ていく。作家は男に、自分の知らない妻の姿ややっていたことを聞き出す。「性的人間あるいは(鞭がもたらす予期せぬ奇跡)」(シンクロ少女)

「〜祭りの準備」は何か鬱屈を抱えた二人の男、一人はかつていじめられていて、でも地元を離れていて。地元に残ったもう一人は、威勢いいことをいっているけれど、結局大人になっていい歳になってもなお昆虫を食べさせられている。理不尽な目に遭っているという鬱屈は家の向かいの保育園への理不尽な衝動へ。ダイナマイトを身体に巻き付けて、はもう漫画な感じだけれど、その鬱屈の深さを感じさせるのです。こう広げてしまった風呂敷、地元を離れていた男の解決策、保育園の子供も守り、しかし鬱屈を爆発させたい気持ちという落としどころが煙草を投げ込むというのが見事だと思うのです。 地元を出て行った男を演じた今村圭佑のラストの煙草のシーンがカッコイイ。 ダイナマイトを抱えた男を演じた岡野康弘は追い詰められたにゆがんで現れた「欲望」の哀しさを細やかに造型。

「〜ミラーボール」は、高校のころの女子マネージャーの結婚式に招かれた男たちの想い。付き合ってたり、慰める関係だったり、一言しか喋ってなかったり。みんなの「ミラーボール」な女子マネージャー、もう僕たちのモノじゃない気持ち。序盤、それを結婚式じゃなくて葬式の話かと思い込んでしまったアタシだけれど、それはまあ、アタシの年齢か。余興で歌う、というのは15分の中では時間の使い方としては勿体ない気はするけれど、一番地味だった男の中に本筋とは関係なく想いがあふれ出す、というのはちょっと面白い。

「HNG」は、大筋で正しそうなことをしてるはずなのに、行きすぎた結果狂っているというハセガワアユム節。セックスを憎みすぎてる兄と、ネットで募った観客に自分の性行為を牛丼屋で見せる妹というねじれまくった兄妹を軸に。牛丼屋、という人が集まる場所なのにワンオペという状態故に場所のコントロールが効かなくなってる状態の場所という設定が見事だと思うのです。しかし人の性行為を見てうはうはして、レビュー書いてネットにあげてというある種の変態な感じは、境界線が違うとはいえ、芝居を見て文書書いてるアタシ自身の姿に戻ってきてます。ヘンタイだよなぁ、アタシ。 狂った正義感な兄を演じた古屋敷悠が印象に残ります。

「夏の灯り」はだだをこねる女と慰める男。でも女がデートしようとしてるのは別の男。慰めてる男はあくまで応援する片想い。女性が実は視覚のハンディキャップを持っていることは、こういう状況でもメールしない「つながりを切る」設定としては巧く機能しているものの、それが物語について大きな幹とか推進力になっていないのが惜しい。雰囲気も素材もいいだけにもったいない。

「私たちの考えた〜」は、トークショーによればどらま館に呼ばれた公演で、死んだとも言えるOBを呼んでどうするんだ、という着想からの物語とか。あるいは現代口語演劇を普通にやるけれど、この手法ではいわゆるキメ台詞が不自然すぎてはめ込めないという弱点があるのを、同時多発の発声の中に埋めるという方法で解決するとか、真剣に考えているということはわかるし、大量に流れてくる死体、共同墓地へのありかたを生きてる人との話だということは分かるけれど、で何を物語ろうとしているかが、さっぱりわからないなぁとぽかんとしてしまうアタシなのです。

「性的〜」は何度か上演( 1, 2, 3) されている代表作の一つ。清楚に見えた妻が浮気相手の編集者には見せた別の夜の顔、嫉妬に狂う夫がどこまでもコミカルで楽しい一本。なんかやけにキメキメなラストシーン、トークショーでいわれたようにまさに「ばーん、という感じ」でまさにラストのキメで楽しい。女を演じた徳橋みのりは目が実に色っぽい。

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2015.07.16

【芝居】「青色文庫 -其弐、文月の祈り」(Aプログラム) 青組

2015.7.12 14:00 [CoRich]

あからさまには謳ってないけれど、戦争にまつわる人々の物語、二つのリーディング。 12日まで、古民家ギャラリー・ゆうど。65分。

大きな国と小さな国、国境に居る二人の兵士。ほぼ人は来ない、二人は毎日を暮らし、過ごしている。二つの国の間で戦争が始まる「野ばら」(wikipedia, 青空文庫)(原作・小川未明)
昭和16年の12月8日、ラジオは勇ましく開戦を告げる。今日一日の日記を丁寧に書こう、と一人の主婦が思う「十二月八日」(wikipedia, 青空文庫)(原作・太宰治) 

「野ばら」は、隣国同士なら仲がいいわけはないけれど、その場所に二人きりで、他の監視の目がなければ自然と日常を伴にするようになる、という序盤。戦争が始まり、互いの立場が出来て、互いに相手の利益を考えるという中盤。結果、老兵が残り、そのうたた寝の中で負けた国の若い兵士の影を見るという終盤。人を想うこと、その関係が割かれることの辛さ。声高に戦争反対を唱えなくても、こういう場面がそこかしこにある、だろうという(兵士とはいえ)市井の人々。ごく短い時間だけれど、しっかりと濃密に物語になっているのです。

「十二月〜」は、物語の中の頃の時代に発表された話。どこに真意があるかはわからないけれど、戦争が始まり、高揚する気持ちを持っていた、という「普通の人々」の感覚。少しばかりテキストを足しているようです。他に足したのはwikipediaにある戦後、妻が語った言葉かな、と思います。あとの時代からその無邪気さを笑ったり断罪するのは簡単だけれど、そういう形にはしないことで、いくつかのテキストを足してもリアリティを持っていると思える一本なのです。

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2015.07.15

【芝居】「玉子物語」Q

2015.7.11 18:00 [CoRich]

95分。15日までアゴラ劇場。

2Fにはネットの張られた部屋、沢山の女性たちが詰め込まれている。女は前屈みになり、 生き物を産みたい、ワタシの中に卵(玉子)。

卵とか、産む性としての女性のままならない気持ち、あるいは自分の意思とは関係なくそうされて生かされること、何かが自分の中に入り、何かの変化が起こって何かを生み出す、あるいは最後の卵などさまざまな断片を描きます。

個々のシーンはそれぞれ面白いと感じるし、作家のなかではその一つのことを大切に描くということが重要なのだと思います。が、アタシが男性だからか、あるいは物語という幹が欲しいと思いがちな性癖ゆえか、この舞台をどう取り入れたらいいか判らないという、寂しい気持ちが残ります。もちろん何をどう表現するかは自由だけど、これ、女性ならば誰にでもリーチ出来るような舞台なのだろうか、と誰か、さまざまな年代の女性と話したいなとも思ったりします。

キャスト表の体裁がないので、誰がどの役なのか、顔でわかる中田麦平だけですが、時に男らしく、時に可愛らしい女の子のような優しい言葉を自在で、巧い。

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【ライブ】「あなたとわたしの夏祭り大作戦☆~ねぇ一緒に新宿でMotionしたいんだってばぁぁぁぁ!!!!~」

2015.7.11 14:30 [CoRich]

ワタシは随分久々です。メンバーは変遷し、2015年4月時点で4名ということなので、フルメンバーのライブ。120分、Motion。

何処のライブハウスかと思えば、ミラクルの上階。ああ、なるほど、こういう構造の建物か、が見えて嬉しい。エレベータ降りたらフランクフルト売ってたりして、夏祭り感満載。ドリンクは場内でオールスタンディング。正直満員というわけではないし、芝居の現場では許されないけれど一眼レフを抱えた観客も沢山。

4つめのアルバムに収められた二つの新曲。「あなたの好きなシェイクスピア」(歌詞)は、ハセガワアユム詩による二曲目。小劇場につれてって、という一曲目のメロディーラインを持ちつつ、歌詞は彼が芸能人が出てるようなシェイクスピアに連れてってくれて、というスタート。ちょっとがっかりしたけれど、400年を経た言葉、映画とか芝居とか関係ないと、心震わせるものを体験できることならばメディアとか体裁に拘らなくていいじゃん、という着地。まあ、芝居ばっかり観ててもなぁ、と思い始めているあたしの気持ちに確かに近い。

新曲の二つ目「デートノゲネプロ」は明日のデートを楽しみにするオンナノコ、脳内シミュレーション、という可愛らしい歌詞。アイドルらしくポップに楽しい。作詞したのが、まあオジサンな目崎剛(たすいち)というのはMCでもいじられていたけれど、ご愛敬。

カメラ自由というのは確かに嬉しい感じ。でも、フラットな場所でベストポジションを狙って一眼レフをもって仁王立ち、という観客が複数。気持ちは分かる。わかるけれど、その後ろはどうなってるかを、ちょっと想像力が欲しい。そういう意味ではオフィシャルのカメラマンはあくまでも観客優先。流石です。

  1. あなたの好きなシェイクスピア
  2. 38mmなぐりーずのタコ紹介ソング
  3. 打ち上げ I miss you
  4. serecet base 〜君がくれたもの〜
  5. pink
  6. みくのうた〜行きずりのトマトに大腿四頭筋が疼く〜」
  7. イツミノテイスト -It's mean(s) to taste-
  8. うじけの秘密
  9. 渚のシンドバット
  10. UIROURI/2015
  11. 親FU-KOOOOO!!」
  12. デートノゲネプロ
  13. すまいるだいなそー

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【イベント】「キャラメルボックス30周年サポーターミーティング」

2015.7.4 15:30

キャラメルボックス結成30周年のファン向けイベント。サポーターズクラブに入ってなくても参加可能で、しかもアルコールもあるとのことで参加することにしました。約二時間、サンシャイン文化会館3Fのイベントスペース。

乾杯に続いて、たまたまこの日が誕生日だという西川浩幸の誕生日をみんなで祝ったり。数年前まで前説などに登場していた男性デュオ・ペリグリーズ(左東広之+多田直人、wikipedia)やもっと前の新幹線演劇・シアターエクスプレスなどでのキャラクタ・西川浩二郎のステージ。若手のキャストによる迫力のダンスミックス、旗揚げ数年までのメンバーによるトークショー、観客をチームに分けて、劇団員たちによるゲームの勝者を当てるイベントなどで構成。

ワタシが観始めたのは95年の10周年記念公演の「ヒトミ」なので、まあ遠くまで来てしまった20年。町田久美子を観てないとか悔しい思いもしたけれど、シアターエクスプレスの二回目にはギリギリ間に合ったし、コマ劇場・サンシャイン劇場には進出していたけれど、いわゆる上川隆也効果で客席が凄いことになった時期、あるいは成井豊の原作によらない「スキップ」(再演しないかなぁ)や「容疑者Xの献身」、あるいは海外SFをしっかり許可を取って上演した「夏への扉」など成長と挑戦を目にしてきたという意味で 間違いなくアタシの芝居の体験の一つの柱をなしている劇団なのです。いままであった過去公演のハンドブックはなくなっちゃったけれど、劇団サイトにはしっかりと過去公演の記録・キャスト一覧もちゃんと。(PHOTOBOOKの抜粋だけれど、それで十分だと思う)

まえはもっとイベントがあった気もするけれど、動員を考えればなかなかそう気軽には動けなくなってきているかもしれません。でも30周年で、こんなに手作り感一杯のイベントをやっちゃうイキオイ、というのは確実に若い世代が育っていて、観客にリーチした方がいい、と考えるようになったということだと思うのです。役者も作演も、プロデューサーも、あるいは制作陣にしても確実にヒトを育てているという強さ。もしかしたら旗揚げメンバーがみな居なくなった未来でも、伝統芸能という訳でもなく、もしかしたらその時代に合わせて柔軟に変化して生き残るのはココなんじゃないか、と思ったりもするのです。

トークショーでの、初期に自動車整備工場を稽古場兼事務所にした話、が好きでした。先週見た時間堂の十色庵が一周年、というのにも気持ちが重なります。

缶ビールがついていたけれど、ついつい何本か。観客は600人。4杯目を買う時に、4杯目だけれど大丈夫か、とちゃんと声を掛けてくれるスタッフが居る、ってすごくないですか。まあ、そんな呑んでる一人客のオジサンなんてアタシぐらいでしょうがw。

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2015.07.08

【芝居】「夢十夜を遊ぶ夜─小説『夢十夜』を、鳥山フキが好きにする─」Produce lab 89

2015.7.3 22:00 [CoRich]

鳥山フキが、夏目漱石の小説「夢十夜」(青空文庫wikipedia)をモチーフにしながら短いシーンを繋ぐ65分。4日まで六本木・新世界。

本を読んでいるように、夢十夜のいくつかのシーンを抜き出してリーディングし、その合間にごく短いシーンを挟みます。初っぱなは「夢の話って誰でも書けるよね」というパンチを繰り出したかと思うと、「ワタシ美人だから好きになっちゃうでしょ、と突然言い出す女に戸惑う男(は、つまり男が見てる夢か)だったり。眼鏡まみれになるのも、勉強実は好きだったは夢に着地させたり。

酷い歌歌っちゃったらワタシの人生しばらく苦しいといってみたり。何かのテーマがあるでもなく、でもありそうな、あったかもしれない、しかし良く考えると理不尽だったり筋が通ってないミニマムな会話を取り出してみせるのが抜群に巧い作家なのです。

ずっと座ってられないからジジイになったと云ってみたり、 今は24歳で30歳になったら元気なくなるし友達居なくなるし、なんて若い頃は頃は確かにそう思ってた切り口があったり。これは夢とは対極の現実だけれども。

かと思えば、音楽家に凄く怒ったことあるかと聞いたり(小松菜安く買えなかったからが笑った。ワタシも小松菜毎週買ってるw)、あるいは夢十夜にあるような、背負って歩く話もまじっていたり。

細やかな可笑しさ、が好きです。ここまでに書いたのもそうだし、「ニコニコな眼鏡」もそうだし、 手紙は一枚づつ折りたたむもんじゃないよも、なんかありそうな感じでおかしい。

嫌われがちな客席でメモしてしまうアタシです。どうせ読まないことが多いけれど、ヒントになる単語だけでも書き付けていると、書いている今でも豊かにシーンが思い浮かぶ、なんてことがたまにあるから、 またやめられなくなっちゃうな、と思ったりするのです。もちろん、その瞬間に見て笑って、劇場を出たらすっぱり忘れる、という生き方も素敵だなと思うけれど。

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2015.07.07

【芝居】「草枕」シスカンパニー

2015.7.3 19:00 [CoRich]

北村想が近代文学への敬意を込めて書き下ろした戯曲を上演する、という「日本文学シアター」の第二弾、夏目漱石の同名の小説をモチーフに80分。 5日までシアタートラム。小泉今日子の出演も評判です。

まったくもって不勉強で、小説を読んでいないアタシです。青空文庫でぱらぱらと観てみても、するりと理解することを拒否するような文体でなかなか手強い。 芝居を観てから流し読んだりしてみると、全体の構成はかなりそのまま、という感じ。芸術論のような言葉もちりばめられるし、どこか小難しい言葉もそこかしこに。

ちょっと観念的だったりしてアタシには厳しくなりがちな物語ですが、要所要所で浅野和之がコミカルな役で登場するのがありがたい。茶屋の老婆は腰を目一杯曲げ、下女は塗りたくった化粧も楽しく、床屋の亭主は不穏さをたたえて感じだったりと、さまざまに役者が変わる様が楽しいのです。

戦争にまつわるアタリは、ちょっと原作とは違うだろうなと想像します。元々は日露戦争の頃の雰囲気だけれど、その頃にはまだない満州鉄道っぽい機関車が出てきて芸術や観念のなかから現実に引きずり出される感じは、どこかイマドキの私たちの感覚に近く感じられてしまうのは、ちょっと偏ったモノの見方、と言われそうですが。

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2015.07.06

【イベント】「toiroan 十色庵 オープン一周年イベント」時間堂

2015.6.28 18:00 [CoRich]

時間堂のアトリエ、十色庵(toiroan)の一周年記念いベント。29日まで。

最初に主宰・黒澤世莉による挨拶。プロデューサーを得て、アトリエという場所をつくり、全国ツアーするという目標は達成できたので、次の10年の目標を海外ツアー、劇場を持つ、ということに定めるという宣言と、このアトリエでこれからレパートリーシアターを始めるというアナウンス。地域の人がふらりと寄れる場所、ということも視野にあるようです。

このあとは新人による短編、くじ引きキャストによる二人芝居の短編、岸田國士の中編とワークショップ、という構成。

「名医先生」(第二幕第四場「教育」 作・ニール・サイモン)は、新人三人(尾崎冴子、國松卓、穂積凛太朗)による、息子をオトコにしようと、街娼のところにつれていく父親の話。まるで落語の世界のようだけれど、これもまたどこか世界共通なのだなとほっこりする気持ちもあって。父親が値切ってみたりする小市民な感じが面白い。緊張なのか、少々重い感じが感じられて、もっと軽薄に観たい感じがします。が、新人にしてこのクオリティですから、たいしたものです。 「やぎさんと永遠」(1)(作・オノマリコ(趣向))、ワタシの観た回は直江里美、國松卓。 お互いに届いた手紙を食べちゃうからさっきの手紙のご用事なあに、を延々と繰り返す童謡「やぎさん郵便」というわかりやすい大枠に、互いに食べちゃうコミカル、離婚という卑近さ、それなのに静かに会話をする夫婦という日常な感じ、それなのに永遠はあるのか、無いのかというスケールの大きさがさまざまに変化する感じがぎゅっと楽しい一本。 演出ゆえか、どこか岸田國士のような雰囲気をもつ一本になっています。 戯曲は作家のサイトで公開されています。

「驟雨」 (作・岸田國士)(青空文庫)は、嫁いだ妹が新婚旅行から戻るなり姉夫婦の家に来て夫がどれだけ酷いかを訴える、という話。本州の地図を描かせて胡瓜と馬鹿にするとか、夫の友人と宿で偶然出会って呑みに出てしまうなど今でもありそうな些細なことを許せない妹、離婚だけはやめさせようとする姉夫婦。その場に押しとどめて何かをクールダウンさせるかのような「驟雨」が見事なのです。夫を演じた松井美宣はやけに説得力があって印象に残ります。

ワークショップは観客も参加。輪になって、隣の人と人差し指の腹を付け、それを話さないように輪の内側に入ったり出たりというゲーム的なもの。身体のどの部分を動かすことが出来るかを頭で考えて慎重に動かすという体験はそうはありませんから、ついすたーのようでこれはこれで楽しい。

定点を持ち、そこでいろんなイベントができるようにして、場所に手を入れて育てていくということはとても贅沢な空間なのだと思います。いろいろ世知辛い昨今だけれど、そこで、こういうやりかたでやっていこうという心意気がいいじゃないですか。三十周年を迎えたキャラメルボックスが初めて手に入れた稽古場は廃業した自動車修理工場だった、なんて思い出話を最近聞いたりしますから、そういう一歩って大事だよなぁと思うのです。

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2015.07.04

【芝居】「いつでも君を」一の会

2015.6.28 14:00 [CoRich]

28日までワンズスタジオ。100分。

古い空き家だと思って忍び込んだ子供四人は住んでいる老人と知り合い、入り浸るようになる。ある嵐の夜、子供たちはこの家に泊まるために集まる。カレーを作って食べるのだ。 子供の親たちは連れ戻そうとする。が、嵐はますます酷くなり帰れなくなる。 老人の息子を名乗る男が現れて老人と一緒に住むように説得するが、老人は聞き入れない。

スタンド・バイ・ミーよろしく、四人の子供たちの成長を描く物語、と読みましたが、それが民家の一室といういわば密室で行われるというのがちょっと面白い。子供を子供のまま成長を認めない母親だったり、子供の成長を喜び応援する母親だったり、あるいは親からいわばネグレクト状態だったり、あるいは貧乏だったり。四人の子供たちの生活環境がバラバラなのだけれど、一緒に遊んで秘密基地を作ろう、なんてのはまあ昭和な風景ですが、それゆえどこか暖かい雰囲気を作り出しているともいえます。

子供の成長を描くものがたりに、添えられるのがこの家に住む老人と、ずいぶん昔に父親の暴力から逃げるために家を出た息子。息子はかなり成功している様子で、あきらかに大人になり成長した姿。子供たちの将来のロールモデル、ということなのかも知れません

子供はおろか同居人すら居ないあたしですから、この登場人物だれにもアタシは近しさを感じないのだけれど、それでも息子の成長を喜ぶ飲食店を営む母親のシーンに涙してしまうアタシなのは、もう年代としてそこを越えなきゃいけないという気持ちがあいまって、なのか判らないけれど、涙は出てしまうのです。

息子の成長を喜ぶ母親を演じた皆戸麻衣はちゃきちゃきと下町な雰囲気で丁寧な造形。息子の成長を認めない母親を演じた熊谷ニーナは、物語のなかではあからさまにヒールだけれど、極端にデフォルメされた造形で笑いを生み、空気を緩めます。 出て行った息子を演じた瓜生和成は、どこかすねた感じ、父親との長い時間のわだかまりの距離感、あるいはこの子供たちの勢いに巻き込まれる感じと、細やかで巧い。

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2015.07.03

【イベント】「ずぶ濡れのハト」(月いちリーディング / 15年6月)劇作家協会

2015.6.27 18:00 [CoRich]

戯曲をリーディングで上演し、劇作家たち、観客たちがラウンドテーブル形式で議論することで戯曲のブラッシュアップをねらうワークショップ企画。年に数回開催されてるようですが、ワタシは初めての参加です。今回は11月の上演を目指す『ずぶ濡れのハト』(作:南出謙吾)。全体で休憩を挟み180分ほど。座・高円寺地下けいこ場。サイトでは、戯曲の冒頭と、当日の様子のUSTREAMが期限付きで公開されています。座・高円寺の地下3階にある稽古場の一つを利用して開催。

地方のスーパーのバックヤード。反対運動むなしく、隣町にショッピングセンターが作られる。それは店に壊滅的な打撃を与える。が、それはスーパーが進出して来た頃に、この商店街が同じようなことになっていたのだ。が、時間は経ち、商店街とのわだかまりも解けている。

そう多くない人数、狭いコミュニティの中でありそうな話。沈みゆく船の中で些細な抵抗はするけれど、逃げ出す人、逃げられない立場、そんな状況でも女に手を出しまくる男、ずっと何かを抱えている人。現在のアタシの気持ちにリンクするところが多くて、ありそうなこと、やけにリアリティがあるいろんな人々。コラボ弁当のような一時的な好転があっても、やはり最終的には沈むしかない場所。それは諦観なのか、それとも目先しか見えてないのか。静かに進む物語。

ショッピングセンターと小さな地元スーパーという枠組みに、いろんな人々が居るという体裁ですが、そういう場所があった、ということ以上には強く物語が進む、というわけではありません。それが決して悪いわけではないけれど、何処を楽しめるのかは観ている側に依存する感じがします。正直にいえば、65分の上演で5つの季節、その中でもいくつかの時間に区切られていて、少々細かく千切りすぎという感じがしないでもありません。

一列に並んでリーディング、休憩を挟んでラウンドテーブルで戯曲について議論するというフォーマット。読むための役者は居るけれど、この場は「戯曲」について集中するということが徹底していて新鮮な体験です。作家、コーディネータ、ファシリテータ、ゲストが中心に進めますが、特に名乗ることもなく一般の客も意見をいっていいという雰囲気は、ラウンドテーブルという形も、壇上をつくらずフラットな場にしていることもあいまって、非常に効果的に創り出されているのです。あらかじめ配られるディスカッション・シートは議論の進め方に従って、①作品のよい点を挙げる、②作者から会場の皆様への質問、③皆様から作者への質問、④フリートークという流れでメモが出来るようになっています。ブラッシュアップのやりかたの教科書のよう。

議論では、作家から、「まるくまとまってしまった物語をもっと衝撃的なものにしたい」という趣旨の発言。誰かがショッピングセンターにツッコむか、みたいな飛躍の提案も面白い。店長がつっこむ、というのが議論の序盤の雰囲気だったけれど、終盤に至り物語の中で不穏で何かをしそうな怖さがあるのは、精肉店を潰されこの店で働いている職人肌の精肉部チーフではないか、という議論に到達し、ああ、我が意を得たりと思ったり。議論が自分の思う方向に行くとなんか面白い。

あるいは「ショッピングセンター」という一般名詞で会話をするのは違和感がないか、という議論もあって、全体的には違和感無しという方向で、違和感ありに手を挙げたのはアタシ一人でした。あれれ。1年以上の時間のなかで、ずっと「ショッピングセンター」という一般名詞では会話しないだろうというのが、アタシの感覚なんだけれど。最大のテナントの名前か、あるいはこういうモールにつくような愛称で会話するんじゃないのかなぁ。どうだろ。

ともあれ、新鮮な感覚が楽しい。終了後に誰でも参加可能な懇親会があるというのも、まあ、もうちょっと酒呑んで語りたいという気持ちの受け皿になってくれそうでうれしいのです。

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【芝居】「冒険王」青年団

2015.6.27 15:00 [CoRich]

1996年初演作の四演め。城崎での上演から、 「新・冒険王」と交互上演で27日まで吉祥寺シアター。110分(1)このあとソウル、長野、三重、兵庫、香川のツアーも予定されています。

1980年のイスタンブール、日本人バックパッカーが長逗留する安宿。ここを出発し次の地へ向かう人、新たに来る人。旅行する大学生、妻を日本に残したまま長年放浪している男、結婚のため放浪を辞め普通の暮らしを始めることに決めた男。

96年の初演、02年の再演、08年の三演とも拝見している筈なのですが、特徴的なセットや部分的なことは覚えていても、物語の何処を面白いと思ったかは例によって覚えていないアタシです。 ウォークマンがまだ珍しく、山口百恵が話題、日本が経済成長の階段をまだ上りつつある時代を背景にしつつ、不安定なトルコや中東の時代を描きながら進む物語は、もちろん古い時代の話だけれど、不思議と物語が古くならない感覚に驚くのです。

それは人々を描く、ということかもしれません。観ているこっちだって、年齢が進んでいますから、 19年を経て、はしゃぐ大学生や旅先の恋に落ちる女子大生たち、バリバリとバックパッカーな人々よりは、結婚したのに何かから逃げるように暮らしている男だったり、あるいは結婚という形でバックパックの貧乏旅行から引退を決めた男の方に自分の視座から近しい感覚を感じるようになっています。 そうか、そういうフックの多さが魅力なのだな、と思うアタシなのです。

平田オリザが若い頃に旅をした現場からの物語。おそらくは韓国にまつわる物語を足しているのではないかと思います(戯曲が手許にないので、間違ってるかも、ですが)。「新・冒険王」に呼応するということだし、このときに光州でも起きていたこと、といえるのですが、ちょっととってつけた、と感じてしまうアタシです。

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