【芝居】「アダムの肋骨」肋骨蜜柑同好会
2015.4.4 15:00 [CoRich]
110分。5日まで王子小劇場。
大学講師の男。12人の女たちと恋愛関係になっていて、ある日一人を除いてみな刺し殺され、あるいは自殺したため留置されて医師の診察を受けている。一人生き残った女性の記録。
男の家に女たちが集まっている。男は、この中の一人だけが自分のことを救ってくれるが、皆死んでしまうということを言い出す。男の気持ちを推し量れず、女たちは自分こそが男に近い、男の言葉に近いということを表明し歓心を買おうとする。
序盤は医師と男の会話。そこからの再現。 男の家らしい場所、大きなテーブルがひとつ。キリストを思わせる男。十二使徒たちを思わせる十二人の女たちの物語。最後の晩餐の風景をモチーフにしたようです。 ものがたりは終幕を前にいったん閉じられ、この芝居を書いている作家と役者の一人、見ている人の場面に。作家は書きたいことは無いけれど、話は聞いて欲しい。自分の話なんかだれも聞いてくれないから物語を作るんだ、というのです。 それまで静かだった客席、ワタシも含め笑いが起こる場面。作家のナマの緩みというかナサケナサのようなものが見えた場面ゆえに、ワタシの気持ちが緩んだということだろうとおもうのだけれど、作演しかも出演という立場で、これをあからさまに宣言してしまうのはすっぽんぽんになるようなもので、リスクも相当に。 それはその強烈な気持ちが見えてくることだともおもうのです。物語の中で繰り返し、これは何の話、と反芻される意味は作家自身が自らに問いかけ続けてきたことなのだなとも思うのです。
正直に云えば、役者たちのそれぞれを楽しむという側面はあっても、物語の面白さというよりは、作家の気持ちを舞台に点描した、という感じは否めません。それも含めて作家自身が透け見えるような舞台はアタシは嫌いではありません。 が、 アタシの友人が云っていたとおり、確かに一人生き残ったのは誰かを序盤で明かさないというやりかたなら、もしかしたら物語の魅力は増したかもしれないな、と思うのです。
去年の佐藤佐吉演劇祭以来、あちこちで引っ張りだこの田中渚は久々に女子高生ではない役。物語を背負っているとはいいづらいポジションだけれど、舞台に居れば確実にアタシの目は(アタシは好きじゃないジャンパー姿のヤンキー造型なのに)追ってしまうのは確実な存在感。稼いでいる女を演じた苺田みるく先生(という役者の名前)は、スーツ、リラックスな緩急、終盤のある種の焦りみたいな振り幅がいい。あからさまに話しを聞いていないというポジションを演じた森かなみは何かの病気、という描かれ方で難しいところをしっかり。男の教え子を演じた星亜沙美は、中盤若い自分こそが一番近くで言葉を知っているという押しの強さに表れる若さ。なるほど、使徒たちももしかしたら、こういう押しの強さな人もいたんだろうなという説得力があります。男を演じた横手慎太郎、優男な雰囲気だけれど、12人の女たちを前にしてもフラットあり続けるというのは役ゆえだけれど、もしかしたらホントに彼はそうかもしれない、なと思ったりするのはこれも説得力か。
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