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2015.04.27

【芝居】「神奈川県庁本庁舎大会議場短編演劇集vol.2」もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡

2015.4.19 15:30 [CoRich]

神奈川県庁本庁舎、別名キングの大会議場を使った企画公演、神奈川県が進める政策、マグカル(マグネットカルチャー)の一環。 日曜夕方の回は155分。19日まで。前回は県庁公開のコースになっていて混乱していましたが、今回は会場を見学コースから外す配慮がありました。

メドレー含み9曲のダンス。横浜マリンロケット「GALAXY OF DANCE STAR」
共学校に入ったはずなのに女子に一度も会わないまま三年になってしまった男子高校生たちは教師に詰め寄る。女子はどこに居るんですか。theater 045 syndicate 「音」(作:平塚直隆、吉村公佑)
外国船員相手のダンスホール、ダンサーと呼ばれる女たちが男を誘う。もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡「ウキヨホテル」(作:河田唱子、演出:笹浦暢大)
県庁舎の突端、デザイン画ではあった海を向く観音像、デザイナーの初恋の想い。もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡「黎明の少年」(作:河田唱子、演出:笹浦暢大)(1)

大会議場に舞台、コの字型に囲むはパイプ椅子を平置きですが、ほぼ満員の千穐楽。

「GALAXY〜」はダンスショーのある横浜駅前の飲食店のキャストによる公演。ほぼ30分、踊りっぱなしでメドレーを含む9曲。スペースファンタジー風あり、サラリーマン風、艶やかな色街風味、ストリート、ロングドレスなバラード風味などほんとうに盛りだくさん。早替えしつつ、しかもばっちり踊りきります。いわゆる芸術なダンスではないけれど、自己表現のためではなく、木戸銭を貰ってエンタテインメントを提供するという職人の気楽な面白さ。

「音」は、共学校なのに女子に会わないまま3年生になってしまったという問題点の設定がともかく見事。ほぼ叫びっぱなし、女子を見せろと迫る生徒と詰め寄られる教師をあの手この手で繰り返して笑いを積み重ねます。事態を解決するかに見えた風紀委員も生徒側になって一緒に騒いだり、あるいは女子っぽいもう一人が加わったり。女子が好きなのは歌だから、歌えば現れる、というわりと無茶な目標を設定するけれど、その着地点はハンドベル的に一人一音で天国と地獄(運動会の徒競走でかかるあれ)を歌い上げてそこで幕。実際のところ、最初にあったはずの目標である女子に会いたいなんてのはは、実はほっぽり出しているのだけれど、生身の、決して若くはない役者がこれだけ頑張っているのを観ていると、もうね、それでいい、と思っちゃうのです。

もじゃもじゃ頭とへらへら眼鏡の二本は、横浜という場所に対しての物語。
「ウキヨ〜」はいわゆる売春宿の通称・チャブ屋(wikipedia)を描きます。実在したキヨホテル、に似せた名前のタイトルに。この会議場の重厚でゴシックな雰囲気を背景に、きっちりマイクも仕込んでしっかりミュージカルを歌い上げます。前半の二本がある意味パワーで押していて、そのあとにしっとり、しっぽりな物語というのは決して有利ではありません。短編という枠組みの中では、物語を運ぶのが遅くなりがちなミュージカルという形式なのもちょっと厳しくて、そういう人々が居た、そういう場所がありました、ということを描くのが精一杯、と思うのです。

もう一本は一回目から引き続きの再演。この県庁舎本庁舎の塔端の元々のデザインには観音を模した造型が施されるはずだった、ということからの作家の豊かな想像の物語。優秀な建築デザイナだった★★、別れることになった奔放な女、海の向こうに居る彼女が戻ってきたときに出迎えられるように、というのも、キング・ジャック・クイーンは元々は海から見える場所にあった特徴的な三つの建物だったのだ、という背景を重ね合わせてこの場所だから、この場所に敬意を払いつつ、想像していくというちから。 日本の国の青春時代、さまざまなに芽吹いたあの時代、そこから急速に引き締めの時代に入る、という時代の認識は、何か昨今の私たちの気持ちに重なってなりません。

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2015.04.25

【芝居】「あの子の飴玉」だるめしあん

2015.4.18 19:30 [CoRich]

母親は元AV女優で今は女性の為のポルノショップを経営し著作も多くなっている。長女は地味な書店員だが「伝説のヤリマン」とまで呼ばれているが実は処女を捨てられず、BLに浸りきり巨大掲示板にも。童貞処女のための会員制ネットサービスに参加するも行きがかり上本当のことをいえない。次女は声優だが有名な母親のイメージの影響が強く芽が出なかったが、親友の声優とともに処女であることを売りにしたアイドルデュオを結成して売れる。が、実は酔うと好みの男を口説いて寝てしまう性癖があった。

処女・童貞・いわゆるヤリまん、性的趣向というよりは、パーソナリティとたまたまの境遇の組み合わせによって、そうなってしまったという境遇。若ければ単に速い遅いだけのことかもしれないけれど年齢が進めば進んだだけ「拗らせて」いっていて、ほんとうのことは言いづらくて、他からどう見られているかに引きずられたり、でもそれとは違うと思ったりして自分の実体との落差になやむこと。 性的なことを軸に描いているためにその部分がことさらに目立つけれど、ほんとうのワタシとヒトから見えるワタシの落差、みたいなとらえ方をすると性的な話にかぎらず、幅広く感じ取れる話だなと思ったりもします。

男女をフラットに、というか対等に描いている気がします。舞台じたいは基本的には女性の登場人物は重層的で深みがありつつ、男性はちょっと薄いというかフラットか、あるいは中二的な造型。アンバランスにもみえるけれど、男性をみなフラットな基準点として描くことで、その基準点からどういう立ち位置に女性たちが立っているか、という描き方に思えます。そう考えると、男性のキャラクタをそれほど強く押し出さないということにも合点が行くのです。 バラバラな人々がバラバラな主張をするけれど、それぞれの主張に納得できないものがなくて、それぞれの理由には納得できるような説得力を感じるのです。説明のコマというわけでもなく、そう考えて生きている人がいる、ということの強度は役者の力によって支えられているし、無駄な役が居ないわりに、短い時間にきっちりと物語を運ぶ作家のちから。

長女を演じた中谷弥生はコメディエンヌという役は本当に楽しく。怒鳴りつけてみたり、時に恥ずかしくなったりというダイナミックレンジの広がりが印象的。 書店員の彼女を演じた直江里美は、可愛らしく、一歩引いている役柄、今作においては強く押し出さない女性、という意味で目立ちます。 ポルノを観ない男を演じたバブルムラマツ、飛び道具のような描かれ方だけれど、中だれせずにしっかり物語を転がす推進力。

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2015.04.24

【芝居】「視曲線」(Bプログラム)

2015.4.18 17:00

渡辺詩子のドローイング展示と演劇を組み合わせた企画公演。 19日までライオンビルでAプログラムと交互上演。3Fと1Fの移動を挟みながらの二作品、80分。

結婚式のパーティ。人の来ない階上の一部屋。女は受け取ったブーケを投げつける。と、階段からもう一人、若い女が壁を殴っている。最初の女は自分と同じように新郎の元恋人だと思って話しかける。「あなたに花束」
男が女を待っている。現れた女はこの間の誕生日の予定が男に突然入った仕事の予定でふいになったのに怒っている。謝るだけでは許さないという女だが、男の企みに女は喜ぶ。「オブジェ」

浅草、古い味わいのあるビル。どこか冷たいような、でも歴史を感じさせる場所。1Fではケータリングでのフード・ドリンクの提供もあって楽しい。

「あなたに〜」は黒いパーティドレス姿の二人の女。一人は新郎の元恋人で同僚だった新婦に恋人を奪われた恨み。少々わかりにくいのは、後から現れるもう一人の女の立場で、新婦とのルームシェアメイトということは語られても、壁を殴るほどの激昂の理由が明確には語られません。アタシは新郎の元恋人なのではなく、新婦との元恋人という構図なのだろうなと思ったけれど、それを確実に裏付ける台詞がないことに肩すかしな感じ。作家の視線は、その少々スキャンダラスな構図よりも、二人の女の中に燃えたぎる、あるいは炭火のようにくすぶり続ける想いそのものを描くことがポイントなのだろうな、と思うのです。

「オブジェ」は可愛いけれどワガママで(少なくとも今の)自分には価値があると判っている若い女がオブジェというモノに見えてしまう瞬間を切り取る鋭さ。ライブペインティングで うまく取り込んだなと思うのです。ちょっと手間取る感じはあるし、その過程自体が物語を運ぶわけではないので、難しいところではあるのですが、その意図はよくわかるのです。 あるいは、おそらくは他の女になびいてしまう男を終幕に描いていてほろ苦いというかちょっとビターな感じ、男の小ずるさが意地悪に描かれていて、作家のいたずらっぽい目が笑っているよう。

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【芝居】「さよなら、三上くん」monophonic orchestra (望郷編)

2015.4.18 13:30 [CoRich]

22日までAPOCシアター。90分。

文化祭が開催されなくなって6年経った高校。元生徒会長が仕事の仕上げを狙って文化祭の復活を目論み、生徒から代表を選んで委員会を立ち上げる。そもそも開催されなくなった理由ももう知られておらず、当時の教職員も口を開かない。
教師の一人の定年退職のための会が開かれており、卒業生が出入りしている。委員会はそのうちの一人を呼び込んで話を聞こうとするが、それは若い女性教師の同級生だった。

6年前を描くもう一本の物語と対になっている物語。あたしはもう一本を見ていないので、6年前にあった出来事が徐々に解き明かされていくような見え方になっています。不正の温床だったことを見逃せなかった一人が正義感で突っ走った結果に巻き添えのように起きた出来事。

おそらくはもう一本の方が先に作られているのでしょう。文化祭の復活を物語のベースにしつつも、徐々に解き明かされた結果、この学校を去った三上君を巡る物語に着地します。6年前を知らない生徒たちと同様、観客には徐々に6年前の出来事を解き明かされていきます。ところが、じっさいのところ文化祭をめぐるさまざまは、前半わりと主軸に見えた課題設定が終盤に至り一応の決着をみせはするものの、どこか物語の背景に引っ込んでしまった感じがあってちょっと惜しい感じがあります。 二本立てというのも楽しいけれど、一本で巧く描き出す方法がありそうだ、というのはまあコマ不足でもう一本が観られなかった悔し紛れですが。

女性教師を演じた渡邉とかげは、わだかまり続けてきた人物を丁寧に、そして抑制されたフラットな造型で描いていて、実はいままでもっとも印象的。 出落ちっぽく現れるOBを演じた中田麦平はしかし、物語を解き明かすキーパーソンをしっかり。元生徒会長を演じた伊藤安那は可愛らしいメガネっ娘、さらに猪突猛進感じすらするテンションが楽しいけれど、物語をしっかりと転がします。

学校という場所の話だからからなのか、どこか青年団の「北限の猿」( 1, 2) や「カガクするココロ」(1)を思い出したアタシです。 そういう語り口の会話劇というところが似てるのかなとも思いつつ、でも同意してくれるヒトはあまり居なさそうですが。

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2015.04.19

【芝居】「長井古種 日月」あやめ十八番

2015.4.12 18:00 [CoRich]

その街には教会があり、厳しい戒律のもと人々が暮らしていた。その中の一軒の家の父親は宇宙飛行士を目指していたが突然の難病で立てなくなったが、教会は戒律を盾にこの街から出て行くことを拒んだため宇宙への夢は諦めざるをえなかった。父親は子供たちに地動説や万有引力を教えたが、この街の学校では地球は宇宙の中心であり、地面にモノが落ちるのはそこが楽園だからと教えられていた。双子の息子たちは父親を信じていた。
時間が経ち双子の一人は教師になって天動説を教えている。もう一人は何もしないまま怪物たちに若者が立ち向かう映画のビデオテープを繰り返し観ている。母親は幼い妹を連れて毎日自転と逆方向に歩き続けて年をとらない。何も変わらない日々に見えたが。 舞台奥に楽隊、舞台中程に二台のオープンリール、上方にキャットウオークのようなもうひとつのステージ。教会の街で反抗する家族、教会、モンスターと闘う若者たちの映画、家族に拾われたウサギ、宇宙人たち、後日のこの街へのバスツアーといういくつかの場面を切り替えながら進む物語。

決して上手な語り口ではないと思います。少々不親切なぐらいな時間軸の入れ替え、確かに効果は生んでいるけれど楽隊やダンス、さまざまな工夫。唐突に見える映画の話や宇宙人たちの話。役者が多いのも、正直にいえば少なくとも序盤では決してプラスではありません。 多くの要素を詰め込んだ結果、全体にごちゃごちゃした感じになっているのは惜しい。たとえば遊◎機械や自由劇場のそれに近しい雰囲気もあるけれど、表に現れる物語はもっと複雑なので整理したいところ。が、それは終盤に至り、するすると物語がまとまっていくダイナミズムさに驚きます。くっきりと浮かび上がる力強さがあって、印象的です。もう一回整理されたの観たいなぁ。でもこのパワフルな猥雑さも惜しい、と、まあ何を云ってるか判らなくなるアタシなのです。

牧師を演じた和知龍範はヒールで居続けるのは珍しいけれど凄みすらあって印象的に。 街へ出た男を演じた熊野善啓は、ある種のへなちょこさが得意技なのだけれどそれを封印しつつ、しっかりとした大人の男をきちんと描きます。バスガイドを演じた大森茉利子はフラットな表情の奥に隠された怖さ。女性教員を演じた金子侑加はドジっ子で笑わせ客席を引っ張りつつ、一途さを支えて見応え。

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2015.04.13

【芝居】「翔べ!原子力ロボむつ」タヌキ王国

2015.4.11 19:00 [CoRich]

渡辺源四郎商店の人気作 (1, 2) を上演。ここに限らず、青森中央高校での上演や、山口の劇団による上演など、広がりを見せているようです。90分。12日までピカデリーホール。

原発を持たない選択を積極的にしてきた松本市において、この物語の上演をすることの意味を考えるのです。

夢であってほしいと思わせる途方もない時間を過ごす男の孤独の物語はもちろん軸なのですが、 今作は青森という場所と放射性廃棄物にからむ想いを原動力にするばかりではなく、たとえば喜びの表現としての「らっせらー」にしても、あるいは、リンゴ・イカ・ニンニクというアイテムの選び方にしても、そのコネタを観客と舞台が共有するということで牽引するという側面が、とりわけ序盤には強く意味を持っているのです。そのある種の共犯関係を欠いてしまうことで、実は少々長い前半の「りんご王国」の物語が丸裸に観客にさらされると感じられるのです。当日パンフによれば福島や滋賀の言葉をベースにした「それっぽい言葉」で話されているというけれど、アタシは、むしろ、現実には原発も再処理施設も無いとしても、観客の多くと共有できるこの土地の言葉を使い、せめて青森と松本で共通に使えるアイテムであるリンゴを生かした方法があればな、と思うのです。

もちろんナベゲンでの上演の意味は現実の青森県につながっていることなのだけれど、放射性物質の半減期、男の孤独、途方もない時間、科学技術のある種の未来への丸投げ感という物語の軸を中心に据えてエッセンスとして描かれることがあってもいいのではないか、と思ってしまうアタシです。でも、描いた側にはきっと違う思いもあるだろうしなぁ。そこは難しいところ。

それでも、これは確かにしっかりとSFであり、まぎれもなく畑澤聖悟の物語。それを遠く離れた、なべげんの上演が(まだ)されたことのないこの場所で観られる、というのがたまらなく嬉しいアタシなのです。

どうしても会場として大きすぎるピカデリーホールに客席を特設で設定し、「狭く使う」のは手間がかかるけれど、静かに進む物語を丁寧にみせるためにはうまく機能しています。

男を演じた三井淳志は、翻弄されながらもフラットでありつづけるつくりで物語の中心に居続ける力。お世話するロボットを演じた入山有紗は愛らしい造型、曽根原史乃はしっかり物語を進めるけれど、もっと爆発力のある役も観てるだけに期待しちゃうあたしです。女医を演じたたみの過剰めな色気に眼福、姫を演じた小池美重や殿下を演じた椿宏尚は氷河期のなんかヤンキーめいた二人の作り方が唐突で楽しい。 女を演じた小池美重は、ナベゲンでの工藤由佳子の濃厚さとは違う形での魅力。

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【芝居】「ホテル・ミラクル」feblabo

2015.4.5 19:00 [CoRich]

歌舞伎町という劇場の場所に発想したラブホテルの物語を5人の作家と、ひとりの演出家。前説代わりのもう一本も足して。シアターミラクル、12日まで。

何もしないって言ったのに。はじめてなのに。前説代わりに「ホンバンの前に」(作・池田智哉)。
AV撮影、男優はどうにも勃たない。女は初出演だがその気は満々で、監督は夜の町にバイアグラを買いに出てしまった。緊張をほぐそうとするが 「慰めきれない夜の話」(作・西山聡)
女はなんかいらいらしてて、父親の小言で家を飛び出した。男は仕事がことごとく上手くいかず、男女はホテルの一室に。 「頭に尻をのせてくれ」(作・フジタタイセイ)
呑み会がおわって男はやっと女をホテルに連れ込むことに成功したが、既にもう朝だ。女はテレビのギリシャ戦に夢中で男の相手をしない。時間は残り少ない 「2014、暁のザッケローニ」(作・深谷晃成)
男を殺した女ふたり。ひとりはSM嬢、ひとりは眼鏡の女で恋人。鉢合わせて男は三人でホテルに入ることを提案した。女たちは互いの意思がわかってしまった。 「さよならを教えて」(作・河田唱子)
男は繰り返し若い女をホテルに誘い金を払い写真を撮って投稿誌に投稿する。女は声優になりたいといい貰った金はそのための貯金にするというが、男は声優よりも芸能界だと主張する。 「スーパーアニマル」(作・ハセガワアユム)

「ホンバン〜」はなるほど、うまくつくった前説演劇。気楽な気分での導入として機能します。

「〜夜の話」は幕開けらしくコミカル。性欲あふれる素人AV嬢と、ともかく勃たない男優のすれ違う会話はAV出演という非日常だから何かを大きく変えられるかもしれないという期待ゆえのがっつきゆえの。女はどこか豪快でがさつ、やけに重い人生背負ってるのに前向きというのがいい。演じた栗林真弓は 全体にズレ気味だけれど陽な雰囲気を造型する味わい。

「頭に尻を〜」は、タイトルがしめすルールに縛られる会話をともかく続ける、ワンアイディアの一点突破。その中で語られる物語でもうちょっと牽引力が欲しい。でも、このタイトルはやけに秀逸で、一度聞いたら忘れられない強烈なインパクト。実はラブホテルという設定でなくてもいろいろ応用が効きそうではあります。

「〜ザッケローニ」もすれ違う男女。朝までの飲み会からなんとか二人で抜け出してホテルの一室なのに、時間はどんどんすぎていって延長の料金を払うこともできない時間切れの焦る感じ。それでも時間切れぎりぎりになんとかゴールを決められそうな雰囲気は、サッカーの時間ギリギリのゴールな感じでハッピーエンド。コンドームをユニホームといってみたり、というベタな駄洒落のような言い換えで盛り上がれるというのは確かに恋人たちゆえ。客席も大きく笑いを取りますし、 全体の中では直接的にエッチな感じではあってそれはそれで嬉しいオヤジなあたしなのです。女を演じた土佐まりな、テレビを見続けるという設定がうまく機能して、客席のある一点を凝視してるゆえに目力の強さがより感じられるように思います。なんせ可愛らしい。

「さよなら〜」は女ふたりで不実な男を切り刻むサスペンス調。明らかに不倫なメガネ女と、男が贔屓にしていた風俗嬢の二面。血みどろのパーツなのだけれど、もう、完全に私たちのモノになったのだ、という終幕の安堵感が、理解しがたく、しかし確実に二人の想いが匂い立つように濃厚なのです。全体の中ではもっとも女優の露出が多く、まあこれも眼福なアタシです。石澤希代子の安定感、メガネ女を演じた小林唯のメガネ萌え直球な雰囲気もたのしい。

「〜アニマル」は、投稿写真というスタイルで女を撮影し、応援するような気持ち、女はどこか醒めていて貰った金を自分の将来に投資しているけれど、こんな雑誌でも載ったら嬉しいという本音も見え隠れ。女はさらに、男が余裕を見せてる風なのに、本当は恋をしてしまっていることも見抜くし、「有名になったらそれを応援していた男も嬉しい」ということすら見抜いていて。それはたとえば、小劇場の女優を追っかけてしまっているアタシのようないわゆる観劇おじさんのある一派を描いているようでもあります。男を演じた細身慎之介のある種の気持ち悪さと驚くべき記憶力な造型が印象的。女子高生を演じた川口雅子はさんざん男を翻弄して、しかしあっさりと去って行く姿がカッコイイ。

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【芝居】「ご無沙汰してます。」(A) 月刊根本宗子

2015.4.5 16:00 [CoRich]

35分。11日まで。ワタシが観たのは、梨木智香×オレノグラフィティのAバージョン。前売り完売でしたが、キャンセルが出たのをtwitterで見かけて潜り込みました。

(1, 2, 3) 部屋で寝ている男、目覚ましは鳴るが男は起きず、傍らの女はずっと男を見ている。熊本への転勤初日なのだが、もう飛行機には間に合わない。男は怒り、女はツレなくして果たして二人は喧嘩してしまう。もう次はいつ会えるのかわからないのに。

バリエーションの多い演目です。これはもっともスタンダードな作り。圧倒的な安定感のある梨木智香が可愛らしく、オレノグラフィティは若くてかっこよくて。そもそも寝過ごした時点で諦めてる感じではあって、起こしてくれなかったことを怒ったりはしてる台詞だけれど、行きたくない感は恋人だから当然としても、行かなくていい、という造型に感じられるのが少々気になります。それは時代の雰囲気ではあります。が、転勤で気持ちは引き裂かれるけれど、いかねばならぬ、という矜持があるからこその葛藤で物語を牽引する力なのに、それを早々に行かなくてイイ、となれば物語の土台が揺らぐように感じるのだけれどどうだろう。

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2015.04.08

【芝居】「アダムの肋骨」肋骨蜜柑同好会

2015.4.4 15:00 [CoRich]

110分。5日まで王子小劇場。

大学講師の男。12人の女たちと恋愛関係になっていて、ある日一人を除いてみな刺し殺され、あるいは自殺したため留置されて医師の診察を受けている。一人生き残った女性の記録。
男の家に女たちが集まっている。男は、この中の一人だけが自分のことを救ってくれるが、皆死んでしまうということを言い出す。男の気持ちを推し量れず、女たちは自分こそが男に近い、男の言葉に近いということを表明し歓心を買おうとする。

序盤は医師と男の会話。そこからの再現。 男の家らしい場所、大きなテーブルがひとつ。キリストを思わせる男。十二使徒たちを思わせる十二人の女たちの物語。最後の晩餐の風景をモチーフにしたようです。 ものがたりは終幕を前にいったん閉じられ、この芝居を書いている作家と役者の一人、見ている人の場面に。作家は書きたいことは無いけれど、話は聞いて欲しい。自分の話なんかだれも聞いてくれないから物語を作るんだ、というのです。 それまで静かだった客席、ワタシも含め笑いが起こる場面。作家のナマの緩みというかナサケナサのようなものが見えた場面ゆえに、ワタシの気持ちが緩んだということだろうとおもうのだけれど、作演しかも出演という立場で、これをあからさまに宣言してしまうのはすっぽんぽんになるようなもので、リスクも相当に。 それはその強烈な気持ちが見えてくることだともおもうのです。物語の中で繰り返し、これは何の話、と反芻される意味は作家自身が自らに問いかけ続けてきたことなのだなとも思うのです。

正直に云えば、役者たちのそれぞれを楽しむという側面はあっても、物語の面白さというよりは、作家の気持ちを舞台に点描した、という感じは否めません。それも含めて作家自身が透け見えるような舞台はアタシは嫌いではありません。 が、 アタシの友人が云っていたとおり、確かに一人生き残ったのは誰かを序盤で明かさないというやりかたなら、もしかしたら物語の魅力は増したかもしれないな、と思うのです。

去年の佐藤佐吉演劇祭以来、あちこちで引っ張りだこの田中渚は久々に女子高生ではない役。物語を背負っているとはいいづらいポジションだけれど、舞台に居れば確実にアタシの目は(アタシは好きじゃないジャンパー姿のヤンキー造型なのに)追ってしまうのは確実な存在感。稼いでいる女を演じた苺田みるく先生(という役者の名前)は、スーツ、リラックスな緩急、終盤のある種の焦りみたいな振り幅がいい。あからさまに話しを聞いていないというポジションを演じた森かなみは何かの病気、という描かれ方で難しいところをしっかり。男の教え子を演じた星亜沙美は、中盤若い自分こそが一番近くで言葉を知っているという押しの強さに表れる若さ。なるほど、使徒たちももしかしたら、こういう押しの強さな人もいたんだろうなという説得力があります。男を演じた横手慎太郎、優男な雰囲気だけれど、12人の女たちを前にしてもフラットあり続けるというのは役ゆえだけれど、もしかしたらホントに彼はそうかもしれない、なと思ったりするのはこれも説得力か。

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2015.04.06

【芝居】「スーサイド・イズ・ペインレス」ヤリナゲ

2015.3.29 17:30 [CoRich]

29日まで王子小劇場。 大学の後輩の女性に久し振りに会った。要らなくなった炊飯器を渡すためだったが、なぜ要らなくなったのか訊かれて思い出す日々。
男が書いていた芝居は、その男の日々を描いたもので、大学のサークルの話、卒業して非常勤で勤める学校の話、劇団を作って上演する話。 同棲していた彼女は、そのところどころに現れる後輩の女のことが気に障る。

現代口語演劇かつチェル風味な序盤。何となくなよなよと始まった雰囲気。 ある程度の距離を保ちつつ、しかしずっと見ていた後輩のことを描く男。恋人はそれを読んで気に障る気持ち。後輩の女性を複数の女優が入れ替わり立ち替わり演じるという体裁なのは、男から見えていたさまざまな女の横顔や雰囲気ということかと思ってみていると、終幕近くになってそのたくらみが明らかになります。つまりは時間軸の何点かの同一人物が一堂に会するのです。 そういう意味ではトープレの「IN HER TWENTIES」 (1, 2) の雰囲気だけれど、終盤で一気に見せる効果と、それとは別に、男の恋人と語らせるというのが新鮮 な見せ方。その男が「盛った」話を一斉に暴露して非難するという爆発力の一点は見ていて本当に楽しいのです。

物語の芯になっているのはこの「三人」の関係、しかもそれは作家にとっての世界の見え方だし作家自身の何かが混じっているように思います。それはもしかしたら、自分を切り売りする物語の作り方かもしれないのだけれど、今この瞬間に彼にとって描きたいこと、なのでしょう。

たとえば非常勤の勤務先での英語ネイティブの授業がまったく成立しない感じとか、大学の施設でろうそくの火を上演に使うことを巡り細かいことをネチネチと話し合うどこか不毛というか、しかし大切な規律の話だったり、あるいは 他の学校での面接や劇団の面接など芯となる三人の物語とは関係のない枝葉もめいっぱい。この枝葉をどう考えるかは、普段のアタシならばあっさりと切って捨てて欲しいと思うところなのだけれど、シチュエーションだったり会話の端々にどこか魅力もあったりしてばっさりと切って落とすには少々惜しい萌芽を感じるのです。

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2015.04.05

【芝居】「「少年は銃を抱く」MU

2015.3.28 17:00 [CoRich]

短編に強みを持つハセガワアユムの新作はがっつり長編。

1日まで。駅前劇場。135分。

伝説のアーティストが自宅ではない庭先で亡くなった家。「江口ハウス」と呼ばれてファンやいろんな人々がその家を訪れる。三幕構成。
この家の少年は祖父が兵役の時に盗んできた銃を借り、それを持つと勇気がでて心の平穏が得られると、友人たちにも貸し出している。学校の演劇部にでられない男、学校でいじめられたり浮いたりしてる生徒たちは確かにその力を確信している。この家の少年は恋人にも声をかけているが、まだ迷っている。「少年たち」
この家の父親は「江口ハウス」に人を呼ぶ日々。その弟は浮気の末、妻の放火で焼き出され息子ともどもこの家に身を寄せているが、銃の秘密を耳にして、心に秘めた好きな人を守ろうと考え始める。 この家の娘は家を出ていたが小説家の夢も同棲も破れ戻ってくる。銃を貸し出す。「家族たち」
江口ハウスに不登校の生徒たちが出入りしていることに気づき、近くの高校の職員会議を開き、江口ハウスの閉鎖を話し合う。が、教師の何人かは伝説のアーチストのファンで乗り気ではない。 「教師たち」

濃密につながる三部構成、総勢21人の大作。長編よりは短編のキレが持ち味の作家ですが、三部構成がうまく働いていて、短編のキレと狂気、全体で描かれるこの世界の奥行きの深さがよくバランスをしていると思うのです。濃密だし面白い。ある禁断の勇気の源を貰って前に進む人々。音楽でつながり、切実な今の自分の問題を解決できそうな「武器」があれば先に進める。ほんとに行使する気はないけれど。

理由があるから先に進めるという気持ちは切実だけれど、そのために火器を持つのだというのは、この国の今の雰囲気に重ねてしまうのは、ワタシの悪い癖。なぜか観ている最中にそんなことを考えてしまうのはリーダーたるものの危うさと脆さが似ていると感じてしまったのかもしれません。

正直に云えば、時間は少々長く、役者もやや過剰な人数ではあります。そこをクリアすれば2時間弱には抑えられそうには思います。ゆっくりと重層的に描くと云う魅力も捨てがたいのですが。 とはいえ、この人数の群像劇っぽい作り、もちろん物語を背負う役ばかりではない、という弱点がなくはないのですが、ある意味、ナイロン100℃がいけいけどんどんで上昇していった頃のあの熱気をなぜか思い出すアタシです。

この家の息子を演じた小沢道成はイノセントで臆病な表情の奥に秘めたものの強さと脆さを感じる造型に説得力。姉を演じた真嶋一歌は珍しい役だと思うのだけれど臆病でしかし弟を思う気持ちゆえの謝罪の言葉がいい。 従兄弟を演じた斉藤マッチュは少し意地の悪い、しかし好きな人を守りたいという気持ちゆえの暴走の悲しさ。ヒロインを演じた小園茉奈はホントに可愛らしくて、しかし結果的には男たちを惑わせる魅力。 情報の教師を演じた佐野功はスマートに見える表の顔と、盗撮したり生徒に手を出したりというクズな裏の顔の落差がちょっと珍しい。

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