【芝居】「必要とされている、と思う病気」箱庭円舞曲
2015.2.22 14:00 [CoRich]
作家・古川貴義が肺結核にかかり入院した経験を下敷きに、必要とされると感じること、あるいはなくても世界はまわるということを描く110分。2月23日まで駅前劇場。
結核病棟。完治するまで公費で隔離され病棟から出られないがクスリを飲むぐらいしかできない。 日々を暮らしている。看護師長は患者のために頑張ろうと思っているが新人の看護師はいまひとつまだ使えないし、中堅の派遣の看護師は仕事として割り切っている。 この入院でライブが延期になったお笑いトリオの男を看病しに毎日女が通ってくるが冷たくあたる。病室の主は金がなく治らないといって弱きだが時に傍若無人。退院間近と思われる男はやけにテンションが高く、若い男は通ってくる母親の干渉を煩わしく感じるが、若い看護師に恋心を抱く。毎日将棋に訪れる男は教師だが女生徒にうつしたとして退院するのが面倒になっている。
医師の控え室と病室という二つの場所。看護や医療という仕事の現場、母親と息子、恋人の想い、まだ芽のでないお笑いの中、社会にとっての存在意義、あるいは若い女であるということ。さまざまな切り口で「必要とされている」こと、つまり承認欲求をこれでもかと詰め込んでいます。必要は関係の中で起こることなのに、CoRichの紹介文にあるように「必要とされているか」という関係ではなく、個個人ひとりが「必要とされていると感じたいか」という視点なのが、もしかしたら入院中に一人で考え続けたことなのかと感じられて、ちょっと面白い。
隔離病棟という場所故に、いったん有期で社会から切り離された状態、という舞台設定と、自分が必要とされてるかどうかを感じ考え抜くという内容との組み合わせの妙が見事で、それがぎゅっと濃縮されて描かれる物語は実に濃厚なのです。
がさつで大声で騒ぐホームレス風の男のありようが、どこか私に近しく感じられるのです。今のところは仕事も住処もあるし、楽しく遊んでくれる友人も何人かはいるけれど、社会に私の居る場所はあるのだろうかと、もしかしたらごく近い将来の自分の孤独をみるよう。それはたとえばお笑いトリオという仕事に必要とされなかったり、恋人に必要とされてなくてなんてことも、それぞれにぐさぐさと突き刺さる感じ。
この作家が描く「仕事の現場での人々の姿勢」が結構好きです。今作では三人の看護師の立ち位置のコントラストがしっかりと。師長はいわゆる患者のための博愛のようなスタンスだけれど、だれにも頼まれてないのにチャイナドレスだって着ちゃう前のめりの空回りも微笑ましく、でもちょっと切実で。中堅で仕事が出来るけれど派遣という立ち位置ゆえに待遇で差があるし、それは食い扶持のためだと言い切るのも鮮やか。若い新人看護婦は仕事の自覚がない前半と未熟ゆえの事故や人の死によるショックを経て自分の中での落としどころを探るよう。
看護婦達にはもう一つの軸もあって、未婚でやや女としての賞味期限が近づくように描かれる師長と、若くてキレイで女として望まれているということを自覚している、という見事な対比をつくりだします。
師長を演じたザンヨウコはその近づく賞味期限を感じさせつつ(失礼)、それでもチャーミングで空回りの可愛らしさ、チャイナドレスの見た目の色っぽさ、そのどれもが落ち着いたテンションのままである種 フラットでありつづけるのに強い印象という希有な造型。若い看護師を演じた白勢未生は 可愛らしいというよりはどこか魅惑的という説得力。大声のホームレス風を演じた清水大将も、いわゆる オッサン感と垣間見える寂しさがいい雰囲気。
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