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2015.02.27

【芝居】「いちばん星のその次の」waqu:iraz

2015.2.21 19:30 [CoRich]

元は同じ劇団・タムチック( 1, 2, 3) の女優でキャンドル作家となった岸浪あやかのキャンドルとのコラボ企画。 22日までcafe MURIWUI。70分。

結婚式を明日に控えた女。部屋でキャンドルを灯。部屋に現れた男女と話をするうちに思い浮かぶさまざま。部屋の窓から見える家々の屋根、双子の一人が早期に流産して生まれなかった命。

chon-muopでも使われた、家々の屋根を見下ろし空が広く見える屋上のカフェを一室に見立て、 家々の屋根の上を進む船のようなこの部屋の中でキャンドルとともに 結婚式前夜の女が一人過ごす静かな時間。話しかけてくる男女はおそらくは現実のものではなくて、彼女の中にある何か。それは 子供の頃から話しかけてきた人形だったり、ほんとうは双子だった女の、生まれてこなかった姉。

部屋の明かりを使わず静かに揺れるキャンドルに照らされたなかでの物語。ごく小さな空間の、ごく小さな物語だけれど、いくつかモチーフとなる小さな断片を繰り返し組み合わせていくのは、明るくなったり暗くなったりという炎のゆらぎのように、女の中に現れて消える気持ちという感じなのかなと思います。

キャンドルに浮かぶ原田優理子の顔、という冒頭のシーンが本当に美しくて可愛らしく愛おしい。

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【芝居】「午前5時、立岩展望台にて」北川企画

2015.2.21 15:00 [CoRich]

城崎でのレジデンス制作と公演、大阪の公演を経て東京・小劇場「楽園」での公演は22日まで。100分。

その男は子供の頃から勉強も出来たし頭も回っていわば神童と呼ばれていた。周りの友人たちを見下すような態度をとるうちに、友達はいなくなり勉強に打ち込んで進学校に進む。秀才達に囲まれて成績は落ち、喫煙の謹慎をうけたりするうちに更に成績は落ち込んでしまい、友人たちからも見下されると感じたが、友人の一人の励ましでなんとか東京の大学に入学を果たす。再び勉強しなくなった男は学生劇団の門を叩き、気の合う友人も出来る。高校時代の友人の自殺をきっかけに大学を中退し、仲間と劇団を旗揚げし、同じ頃にバイト先に恋人も出来るが。 ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」(wikipedia)を原作にとり、 周囲を見下していたために友人をなくし、やがて勉強で落ちこぼれていくなかで「独りになること」への強い恐怖心。それは最高学府に通うようになってもかわらず、しかし劇団を続けてきた友人だったり恋人が離れていくということの恐怖は変わらないままに。終盤は正解のない鬱々とした袋小路のなかで、前に進もうともがく作家自身のかっこわるい姿をそのままさらけ出すよう。 正直に云えば、序盤を除けば原作とはほとんど違う話になってる気もしますが、 芝居を作ることだったり、文章を書くことだったりの余裕とか地頭の良さを感じさせる作家で、悩むことないじゃんと思ったりもするけれど、彼自身にとっては切実なことをさらけだす、というだけのことで描くだけではなく、原作に重ね合わせるというギミックと前半のコミカルで軽い調子のおかげでだいぶ見やすくなっていると感じるのです。

やたらに表彰されたりトランプが無いから作ろうということだったりという、記号になっているように感じる子供のころと、上京してからのある種のリアルな描き方との差の違いが面白い。たとえば年老いた母との静かで短い時間だったり、退学届けを出してきて芝居を続けていこうと友人と話すシーンの細やかな描写。
とりわけ、 バイト先の女性への好意を見せるのに踏み出せない一歩を女性がぐいと引っ張っぱり恋人となり、いくばくかの時間を経て、別れ話、しかも若いのにセックスが無くなってしまったから、という静かな会話の生々しくてしかし、なんかとてもいい時間を過ごした二人というシーンが好きです。

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【芝居】「T OF N」エビス駅前バーP

2015.2.18 21:00 [CoRich]

Mrs.fictions の中嶋康太による短編を三つ、mielの金崎敬江よる演出の 70分。平日21時開演が嬉しい。千穐楽となる19日21時の回では演出家を交えた役者のトークショーを設定。

「東京へつれてって」 (1)
「天使なんかじゃないもんで」 (1)
「お父さんは若年性健忘症」 (1, 2)

「東京〜」は 上京するホームレスの男を追いかけていこうとするキャバ嬢の元同級生。何年も前の卒業式のラブレターが完璧すぎて、小説家志望だった男の夢を無惨に打ち砕いてホームレスになってるという構造が見事な物語はそのままに。 元々の二人芝居に対して、女優をもう一人追加。現実にいる女の内面を外に出して、心の声、というパート。おそらく台詞は追加せず、女の台詞を部分的に、ニュアンスを替えて発声させたり、現実の表情とは別の内面の表情を見せるのは、わかりやすくしすぎという気がしないでもありませんが、でも間違いなく効果的ではあります。バーカウンターを駅のベンチに見立てて座るというも新鮮。トークショーによればそのために補強してるとか。

「天使〜」は 流されてしまった土地の元ボーリング場を訪れた追われるヤクザ、東京から逃げてきてこの土地で一人、自己流すぎる祈りを捧げる女。ただ津波に流された場所というわけではなく、居続けること自体が死を匂わせる場所なのは、まさにあのときの日本だから描ける一本なのだけれど、それが3年以上経ったいまでもあまり変わっていないということに愕然としたりもするアタシです。 あきらかに死に近づいているけれど、星を見上げてしまう三人。この星を見上げる終幕は物語全体を包み、全体の終幕につなぐ構成。

つい最近も上演された「健忘症」、もともとはその「バブルな格好」の場違い感も笑いどころだったりもするのだけれど、その衣装を元々はない台詞(ト書きかもしれないけれど)で説明してしまったのはやや残念な感じ。演劇の嘘を信じてもいいんじゃないかなと思ったりするのは、元々を知ってるからか。シンプルにやろう、という心意気やよし。

一本目の台詞を二本目三本目に滑り込ませるのは、三本の物語を地続きにしようとしたということか。無理矢理ものがたりでつなげようとしなかったのは正解で、その雰囲気を最小限に編み上げるようで楽しい。

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2015.02.22

【芝居】「penalty killing」風琴工房

2015.2.15 19:00 [CoRich]

18日まで、ザ・スズナリ。135分。

元は名門の実業団ながら廃部の危機を乗り越え市民チームとなった弱小アイスホッケーチーム。プレーオフ進出をかけた最後の試合、チームの柱となっていた男は今季限りでの引退を決めて監督に伝える。

元古河電工のHC栃木日光アイスバックスをモデルに決してメジャーとは言えないスポーツの決して強くはないチームの選手たちを描きます。選手が短いスパンで次々と入れ替わっていく特異な特徴を持つスポーツのルールや用語を説明しながら、物語の前半はそれぞれの選手たちとチームの置かれた上京を点描します。 第一線を続けるベテラン、伝説の選手だけれどもう活躍はできていない男、鉄壁を誇り尊敬を集めるGK、中堅はクール風だったり、大きな身体でノミの心臓だったり、小さい身体で圧倒的な動きだったり。あるいは憧れの選手と居るだけで舞い上がるルーキーや、同期の中で抜かれていくことだったり。

後半はプレーオフをかけた最後の試合。レーザーとオーロラビジョンよろしくカッコいい紹介とともに入場した選手たちが始める「試合」。もちろんスケートを履くわけでもパックを打ち合うわけでもありませんが、ダンスだったりあの手この手の動きで、プレーを描写していきます。前半で描かれたそれぞれの選手たちの背景が、試合の中で交差し、14名の選手と監督の想いが、この試合にぎゅうっと詰め込まれているのです。圧巻のスピードで、終演後にはまるでスポーツを見ていたかのように感じたのはアタシばかりではないようで、観客席に見かけた友人たちの興奮する姿。

少々無茶とも思える大人数だし、それぞれの背景を丁寧に描くために全体として少々長くなってしまっているのは事実だけれど、それでも描ききってるのはたいしたものだし、体感時間はあっというま、なによりも試合をしている一つのチームをきっちり描いているという満腹感。

なにより、風琴工房の常連を含む役者たちの魅力。決して身体能力の高い役者ばかりではないけれど、それぞれにきっちりステージを用意した作演の想いもまた嬉しく。

引退を決めたベテランを演じた杉木隆幸の落ち着いた魅力に、終盤の格好良さ。可愛らしいのに喧嘩っぱやいチワワスタイル・野田裕貴は身体のキレの圧巻。 鉄壁のGKを演じた森下亮は普段の雰囲気とは一変する男っぽさが魅力。 終演後のトークショーによれば、本当にかつてアイスホッケーのプロ選手だったという粟野史浩のがたいの良さと説得力。

スズナリの客席を対面に配置、その真ん中に白く輝くホッケーリンク。大きさもずいぶん違うしなにより本物とは違う円形に設定したことで濃密な空間と、スピード感あふれる舞台をつくるのに成功しています。モデルとなったアイスバックスのチームカラーのオレンジのシャツで客席に座る観客も何人も。劇場に入った瞬間にわくわくする感じがまたいいなと思うのです。

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【芝居】「完熟リチャード三世」柿喰う客

2015.2.15 14:00 [CoRich]

17日まで吉祥寺シアター。90分。24日までABCホール。

醜く生まれたがために、平和が訪れても世の中全てを忌み嫌い、王位を手に入れることだけが目的となった男。そのためにはどんな悪事に手を染めることも辞さないと心に決め、兄弟や王子など王位継承者を次々と亡き者にしていく。腹心だった男も身の危険を感じて寝返り、やがて反対する勢力が兵を挙げる。ここに至り、殺したものたちの亡霊に脅かされていき。

出演者の人数、7人に対応するかのように7×7のチェッカー柄のステージ。黒一色のドレスに身を包んだ女優たちがポーズを決めて真上からのピンスポが当たれば、まるでチェスのコマのよう。そう思ってみれば、一人の男の策略どおりに動く人々という体裁。

スタイリッシュな舞台は見栄えが良く隙がなく、美しい。 正直に云えば、 油断して遅めに予約したせいの吉祥寺シアター・バルコニー席は少々距離を感じさせるのは事実だけれど、箱庭のように小さな世界の出来事はチェス盤に圧縮された感じでもあって。

ごく少ない人数ゆえに、複数の役となると少々混乱する感じはなくはありません。語尾に名前の音を紛れ込ませたりするのは巧いやり方でたしかにわかりやすい。

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2015.02.21

【芝居】「雲の脂」ホエイ

2015.2.15 11:00 [CoRich]

16日までアトリエ春風舎。105分。

海沿いにある砂原稲荷。埼玉での職を失い最近隣町に引っ越してきた夫婦が両親の遺品整理で見つかった小さなお稲荷様の引き取りを依頼しに訪れるが、そこには稲荷ブローカーなる男たちが出入りしていて、お祓いをしないと家から出してはいけないのだといわれ渋々引き下がる。
長男は同居しているがこの稲荷の後を継がず、叔母が継ぐようになってから、後継者の居なくなった鳥居や仏像、はては自治体が展示できなくなった反戦資料や広島の千羽鶴なども持ち込んで敷地内に捨てることでなんとか生活をしている。護岸工事が途中で放棄されて海岸の浸食は止まらず、海側にあった鳥居や狛犬が日々倒れている。

仕事が減りそとからの浸食を受け、親日な外国人も出国していくようになったり、不況には強いはずの神社が倒産したり後継者が居なくなり荒れている国。そのくせ反戦資料の展示ができなくなったりと、私たちの今の国の雰囲気をぎゅっと濃縮して見せている感じ。規模も経済ももしかしたら文化もモラルも国土すらも削られ縮小していく雰囲気。物語では明確には語られてはいないけれど、きっと政治はまだ成長期の夢を捨てられないままだし、戦争できる国に向かって突き進んでいるという雰囲気もきっちり織り込んでいて、作家の感じる今の日本の一断面をやや戯画的に、でもその断片はそれぞれあるかもしれないという怖さの説得力。

人が巨大に見えたり、あるいはとても小さく見えたりという不条理っぽい場面が終幕近くにあります。場面の雰囲気というか発想として面白いのだけれど、物語の中でどう解釈していいか、という点では悩ましい。 落語・粗忽長屋が物語に組み込まれ、死んでいる俺をみているのは、というのも思わせぶり。そとからみた日本のすがた、もう瀕死の域に達しているということかと思ったり思わなかったり。

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【芝居】「みなぎる血潮はらっせらー」渡辺源四郎商店

2015.2.14 15:00 [CoRich]

15日まで渡辺源四郎商店しんまち本店。14日はこぎん組キャスト(三上晴佳、音喜多咲子)。

全県制覇をねらう (1, 2, 3) プロジェクトの次回公演は10月末に鹿児島での予定。

安定のキャストではあるけれど、「ロボむつ」のロボットを演じた二人で背丈が小さめで子供っぽく。老人も安定してるけれど、実年齢は十分に大人なのだけれど、妻や「ホタテピンク」の役など、妙齢の大人の女性を演じることの少ない二人なので、ちょっと不思議な感じなのと、ちょっと似た感じの二人でめりはりがつきづらくなるのは痛し痒し。台詞にある青柳という地名、除雪がされる場所、というのはAGP(アトリエグリーンパーク)の場所の名残でそのまま残しているのが嬉しくもなったりするのです。

新しい拠点、なべげんしんまち本店という「稽古場」は今までよりは格段に市街地エリアで、駅からもほど近く県外から訪れるのにも便利になりました。大きさも今までのアトリエとほぼ同じぐらいのようで、天井を抜いて黒一色に塗られた雰囲気は通い慣れたAGPの雰囲気をそのままで、また通うことができそうで嬉しいのです。

3月は日曜劇場というイベント、毎週日曜昼公演のみ、新作と青年団の「忠臣蔵・OL編」のラインナップ。ううう。新幹線おごっちゃうか...

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2015.02.18

【芝居】「丘の上、ただひとつの家」鵺的

2015.2.11 19:30 [CoRich]

16日まで雑遊。110分ほど。

亡くなった父親が残していた指輪と手紙が1年経ってから見つかった。家を出た母親に渡してほしい、というものだった。奔放な母親とはまったく交流がなく妹も夫も反対したが姉は会いたい、と弁護士に依頼する。
母親がその後別の男と産んだ娘と息子が見つかるが、母親のことを憎み、会わせる気はないという。

奔放な母親をめぐる二組の姉妹・姉弟の物語、という枠組み。序盤にあるのは、ごく普通に生きてきた姉と夫、妹。母親はひどい人だった記憶はあるけれど、父親の遺言というか手紙をきっかけに会いたいと考える姉。中盤で語られるのは、世間からはきっと離れて生きていこうと考えたもう一組の姉弟。ここから物語はどろどろ、というよりはこれでもかと近親相姦というインモラルを詰め込んでいくのです。

同じ母親から生まれたけれど、ずいぶん異なる立場をとる娘たち。理性的に考え(すぎ)て子供を作らない選択をとる立場に対して、母親のインモラルによって生まれた自分の身体を使ってまで恨みをもって再生産しようという姉弟たち。それは物語の中では復讐だったりと、心の在処の違いと語られているように感じるけれど、どこか二組の姉妹(弟)の生活レベルの差がそれぞれの心の在りように影響する、というもう一つ外側の理由も添えているようにも読むアタシです。 正直に云って、決して見やすくはありません。どこに救いがあるのか、という行き詰まり感もあったします。アタシの友人が云うとおり、母親が幸せな結婚から家を出て、急旋回して兄と子供を作る、ということに至ったあたり、ついていくのが難しいなとも思うのです。

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2015.02.17

【芝居】「ワンダーランド」Straw&Berry

2015.2.8 19:30 [CoRich]

11日まで王子小劇場。125分。前半公演には「おまけ演劇」がついています。

小説を書いている男。彼女にフられた直後、結婚を決めた友人が高校の時の文化祭のバンドで一緒だった女性を呼ぶ。女は発表された小説を読んでいて面白かったといい、つきあい始める。
小説を書いている男。デリヘルを呼ぶがうまくできない。そのドライバーは高校の同級生で、そのつながりで高校の同級生の女性と再会する。小説を読んでいて、しかも二人ともほぼ恋愛経験ゼロだった。
ある一つの結末は、幸せな結婚。ある一つの結末はある事件を知らせるラジオ。

小説を書いている男の恋愛模様な物語と、小説の中の出来事らしい男の恋愛模様な物語。どちらがどちらになっているかは明示されません。どちらが現実世界でもどちらが虚構の世界の出来事だとも思えるように、表裏だけれどリバーシブルな関係で、登場人物は名前が同じ音になっています。「バンド」な関係で明るくて順調そのものにみえるカップルと、好きあっているけれどEDのまま愛しあえないカップルを丁寧に交互に描くのです。

二つの裏表で並行して描かれるものがたりにもう一工夫。劇中登場人が「エピローグ」を先に読んじゃうことに呼応するように「ごく短い結末」を二つ途中に挟み、どちらの物語がどちらに着地するかをねじって見せることで効果を生みます。正直にいえば、そのたくらみ自体はエピローグが途中に挟まる時点でわりと気づいてしまいがちということはあるけれど、その驚きがなくても、構造として対比されていて綺麗に着地するという物語の進み方は美しく、印象に残るのです。

男を演じた小西耕一、池亀三太は二人とも他劇団の作演なのは偶然か意図したものか。どちらも人物を丁寧に造型していきます。彼女を演じる二人の女優がちょっと似た感じなのも、作家・河西裕介から見えた彼女という雰囲気。終幕でもうひとつコミカルに描かれる外皮を作り、そこに別の彼女像を展開するのも切実な気持ちの現れに見えて切ないのです。

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2015.02.13

【芝居】「『Fermat's Last Theorem』(フェルマーの最終定理)」ユニークポイント

2015.2.8 17:00 [CoRich]

8日までシアター711。100分。

ケンブリッジ大学でのワイルズの講義。噂になっているのはフェルマーの最終定理の証明が行われるということ。教室を見渡せる一室には日本人の数学者たちが講義を聞いている東京大学の同級生だった男女三人の二人は結婚し、もう一人はここで研究を続けている。あるいは男女の学生の一人はここに残り、もう一人は迎えにきた恋人と帰国する。

劇中でも語られる通り、もちろんアタシにはまったく理解できない証明の道筋。開演直後の三平方の定理ぐらいはわかったとしても、そのあと急速に難解さが増していく台詞はもちろん観客にわかることを期待してはいないけれど、専門家の高度な会話というぐらいには説得力があって、なるほど数学教師の作家の説得力。

中盤からは、そのベースをもつ人々の話として、優秀な数学者だったのに結婚して仕事を辞めることになった女性、今でもトップランナーの夫、結婚しないままに研究を続けている三人の同級生の物語に移ります。もう一つの学生三人にとっては未来の物語という構造も含めて、このあたり正直に云えば、数学の話でなくても成立する話で、そういう意味でなにも(アタシが不得意な)数学じゃなくてもいいじゃねぇか、と思うのはまあアタシの個人的な感想です。ベースを共有する人々、時間がたちさまざまな経験を経てまた楽しい夢のような時間がここにある、ということの素敵さはある意味ファンタジーなのだけれど、それはあるかもしれない、という説得力があるのです。

帰国したばかりの洪明花が演じる結婚していない研究者が圧巻のちから。ちょっと不思議な口調で、必ずしも器用に生きてこなかったという人物が透け見えるすごさ。わりと同じく長で続く芝居のなかでスパイスのように緩急がつくのもワタシには嬉しい。妻を演じた平佐喜子は前半の優秀な数学者、中盤の妻、終盤で所在なさげであってもまた数学者に戻るというダイナミックレンジの広さがいい。夫を演じた古市裕貴はしっかりとトップランナーの雰囲気。

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【芝居】「夏目漱石とねこ」DULL-COLORED POP

2015.2.8 14:00 [CoRich]

15日まで座・高円寺1。105分。

伏せっている夏目漱石の家。 縁側では三代目の猫がいる。いよいよ臨終という頃、猫が集まる。若い頃との妻とのこと、女流作家との交流、子供の頃のこと、さまざま思い出される。

漱石の臨終に際して、これまでの人生を早送りという体裁。金がないのに米よりも本を優先して妻に苦労をかけたり、綺麗な女流作家が訪れた時の事とか、あるいは子規とウナギを食った時とか。あるいは子供のころのこと。

なるほど、夏目漱石の人物伝になっています。走馬燈を見るように、これまでの人生を振り返るのです。正直に云えば評伝をベースで描かれるそれぞれの場面はそういう知識としての面白さ以上には面白さがわからないアタシです。

その合間に挟まるのは後輩への作家の心得。作家・谷賢一の心意気だったり何かの宣言かな、と読み解くアタシです。いくつかの場面を挟み、行き来しながら描くのです。 そういう意味でエンタメに徹し、人間・夏目漱石と妻の掛け合い、という体裁で描いた菅間馬鈴薯堂(1)はまったく正反対のアプローチだと思うし、そちらの方が好きだなとアタシは思うのです。

大西玲子は確かな表情と台詞で説得力。子供時代を演じた百花亜希は少年の口調、力強い瞳を感じさせて可愛らしく。きりりと立っている妻を演じた木下祐子の造型は、漱石に見えていた、もしかしたら怖い、もしかしたらすまないと思っているという気持ちの表れという雰囲気をしっかりと。

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【芝居】「エッグ」NODA MAP

2015.2.7 19:00 [CoRich]

芸劇のリニューアルオープニング2012年初演作の再演。

例によって記憶力がザルなあたしですが、前回の感想を読むと同じ感想にになるのです。おかしいと思うことにきちんと異義をとなえるという感覚。

再演なので、初演の枠組みを壊せないということはあると思うけれど、あの頃といろいろ変化してること、たとえばもう一つ未来のオリンピック、あるいは過去の糾弾だけでもういちどあの頃のような時代に戦争も三男坊の扱いのような格差など一歩も二歩も踏み出している感じが物語はおろか、言葉の端にすら反映されないのは、パリ公演がある今回のツアーだからこそ、踏み込んで欲しいなと個人的には思うのです。 22日まで東京芸術劇場プレイハウス。

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2015.02.12

【芝居】「わたしを、褒めて」タカハ劇団

2015.2.7 14:00 [CoRich]

11日まで駅前劇場。125分。

女性が亡くなり、演劇関係の雑誌が散乱する部屋にあった公演パンフレットには亡くなった女性が載っていたのをみつけた刑事は関係者への聞き込みを始める。
清水邦夫「女優」の制作発表が行われる。元アイドルの舞台デビュー作であり、表舞台には出てこなかった元朝ドラ女優の復帰作は新進気鋭の若手演出家を演出に迎えて稽古がはじまったが、期待の朝ドラ女優は台詞も出てこず稽古はいっこうに進まず、共演者にも不満がたまっている。年上の女優たちは若い演出家の云うことを聞かず、稽古場の雰囲気はどんどんわるくなる。若い女優の陰口が知られていしまうに至り、稽古場の雰囲気は最悪になり、さらには朝ドラ女優はもう芝居を続けることができず初日二週間前に至り稽古場を逃げ出してしまう。マネージャーで元女優の女が代役に立ち、稽古は順調に進むようになる。

作演・高羽彩が去年演出したフローズンビーチ(未見)がどうしてもリンクして感じられてしまいます。他にも商業系の仕事をしつつある彼女だから、この一本だけということはないけれど、女優四人の商業演劇というフォーマットゆえか。 それをそのままということはないと思うけれど、小劇場とは違う行動原理で動く現場のことだったり、承認欲求の固まりのような女優という生き物、という枠組みはそこから思いついたのかなと思ったりもします。それぞれの我が侭だったり、プロダクションの力関係だったり、チケットを売り切るということだったり。

アイドルの舞台デビューとか朝ドラ女優久々の復帰とか、評判のキャスティングに若い演出家という現場。評価されたこと、その価値がどんどん変化していくことは、自覚はしているのだろうけれど、そういう強いプレッシャーの中でも女優を続けていく怨念めいた想いは下敷きとなる引用作「楽屋」にもつながります。

私たちからは正直遠い女優で承認欲求を描くのみならず、操作するコミカルな若い刑事もまた、SNSの「いいね」だったり、商品レビューのYouTuberという、わたしたちのずっと近くに承認欲求を描くのは、冷静な視線。もっとも、物語全体の仕掛けの中では少々とってつけたようになってしまうのはご愛敬。

舞台はその外側にさらに、この物語をつくるスタッフや演出家自身も登場させて、さらに箱庭のごとく枠組みの中に閉じこめる意図はわからないけれど、虚構を積み重ねていく感じか。

正直にいえば、代役として立ったマネージャーの芝居がしっかり迫力あるものになっているのに、戻ってきた朝ドラ女優が演じた鬼気迫る迫力とが同じような迫力になってしまうのが惜しいといえば惜しい。戻ってくることに説得力を持たせるだけのジャンプアップする差がほしいのです。

若い演出家を演じた神戸アキコのコミカルさと、荒れる稽古場を是正できない若手ゆえの悲哀めいた感じが実にいいバランスで強く印象に残ります。微妙な立ち位置ながらしがみついてでもこの世界に生きていく女優を演じた二人、千賀由紀子、異儀田夏葉はどこか拗ねたような感じだったり我が侭だったりと、貫禄十分な女優の姿。

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2015.02.08

【芝居】「暗く暖かな日々」小松台東

2015.2.5 19:30 [CoRich]

8日までOFF OFFシアター。100分。

母親が入院してそろそろ危なくなっている。父親は別居していて、実家に居るのは妹と兄、兄の恋人だった。時々訪ねてくるのは、母親の妹とその夫、出て行った父親の友人たち。
ある日、伯母夫婦が訪ねて来たところに父親が戻ってくる。前のときのようにウナギの骨をお土産にもって。妹は父親を許さない。

父親が出て行って、ずいぶん経った家族。平穏な日々を暮らして、母親が入院したけれど、ちゃんと暮らしているけれど、そこに突然現れた父親ゆえに、気持ちがかき乱されるのです。それは父親を唯一の友人という(ちょっとチャラい)男の計らい。時間は経ってしまったけれど、母親が危なくなっているのだから、家族が勢ぞろいできる最後の機会ではないか、という想いゆえなのです。

いろいろな関係をぎゅっと詰め合わせています。物語の骨格になる父母・兄妹だったり、妻の我が侭を許す夫だったり、妻に先立たれた男だったり、これから結婚する予感の同棲だったり、母の再婚相手になじめない人だったり物語の終盤に至り、妹がうれしそうに笑う元の同級生と恋仲になるんじゃないか、という未来が開かれた終盤が嬉しい。

終盤にもうひとつ、 妻に先立たれた男が独りで生きていて、涙で濡れたティッシュを受け取ってくれることのうれしさを語るシーンは実によくて、うっかり泣いてしまうアタシです。

頑固に父親を受け入れない妹を演じた浅野千鶴は、ダメっぽい兄と住む家の中をきちんと保ちつつ、看病にも通ってきっちり一本筋の通った人ゆえの美しさ。その幼なじみを演じた永山智啓は中盤の中だるみしそうなあたりで現れて、おかしな表情だったり笑顔だったり声量だったりと、観客のテンションをまき直すのです。 伯母を演じた小林さやかは我が侭で愛情を確かめる造型がほんとうに可愛らしい。しかし、前作での茨城弁から宮崎弁へ見事に。その夫を演じた佐藤達はどこまでも優しく、一瞬キレたとしてもそれすら優しく。父親を演じた坂口候一は引け目を感じつつもローンだって払い続けてるという家長という誇らしさを忘れないつくりかた。唯一の友人という男を演じた瓜生和成のトリックスター的な現れ方から終盤の泣きまで、実は物語の背骨になっているのです。兄を演じた松本哲也は作家を兼ねていて、小園茉奈演じる可愛らしく実はしっかりしている恋人というのはある種の役得か、と思ったりも。

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【イベント】「暴走Night」革命アイドル暴走ちゃん

2015.2.1 17:00 [CoRich]

古いアパートの一室をイベントスペースとして利用する場所での、クラブイベント風味のファンイベント。ドイツ公演映像や最小構成でのおはぎライブ、ステージ替わりの劇団員企画を核にして、飲食を付けて構成して、120分。

昨今、水やワカメなどの生ものが飛び交う舞台だったバナ学から暴走ちゃんへの時期だったけれど、前回の1月公演から、大音量とカオスな雰囲気は維持しつつも、生ものに拘らない「合羽不要な」スタイルも作り始めています。今作はこのスタイルでファンと作り手側の距離を縮めるスタイル。会話もできるし、最小構成とはいえおはぎライブも見えたりして、飲んだくれたりしなければそれなりにリーズナブルに楽しめるのです。や調子に乗って飲んだくれたりしたのはアタシですが。

ドイツ公演映像のDVDは既に発売済みだけれど、それをわいわいみんなで観ようというのは飲食のスタイルにあっています。わりと広い舞台で、編集の妙はあるかもしれないけれど受け入れられているさまは楽しいのです。続いての劇団員企画、日曜夕方は、おじょーこと高村枝里企画。霊感がアルっぽいので将来は占い師になるのだと云って、占い師風のことを二題。観客に二択させて顔ぶれをみながらどういうタイプがどっちを選ぶとやってみたり、観客の一人と話をしてなにかの言葉を与えるなど、コミュニケーションから占いを創り出すという体裁。あるいは自室の雰囲気の漫画や服、イラストを飾ったり、高校の時の文集だったり大学の卒業制作だったり、彼女の生の姿を楽しむ雰囲気。ああ、アタシの実家近くの学校に通ってたのだなぁと勝手に親近感を覚えたり。

いくつものステージを連続で観る強者も居るようで、いわゆるファンとの内輪感に固まりがちだけれど、観客に名札をつけさせたり、初見の観客にも声をかけるように意識をしているのは、この手のイベントの運営として行き届いていると感じます。

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2015.02.07

【芝居】「とらわれた夏」ほりぶん

2015.2.1 14:00 [CoRich]

週末中心に11日までムーブ町屋4階ハイビジョンルーム。65分。

夫が家を出て行ったが 妻は未だそれを受け入れられない。娘は状況を冷静に理解できているものの、母親を説得できていない。ある日、家の前で行き倒れている女を助けて家に招き入れると、彼女を夫だと思い込んだ女は一緒に暮らそうと提案する。

ハイビジョンルーム、と名付けられたおそらくは映像用だけれどコンパクトな部屋。そこに仮設で椅子を置くように階段状に客席をつくっています。照明は工事に使うような床置きのライトを主体に。なるほど、公共の場所という制約の中でコンパクトな芝居を作るノウハウ。

女優四人で演じられる物語。全体としては女優たちが最後には大暴れなキャットファイト状態という着地点という印象がありますが、思いのほかいろいろ目が離せないです。それはまあ短めのワンピースでキャットファイトならばパンツも見えたりするということだったりも含めてというのは、オジサンだからですねそうですね。

もう一つ、アタシの気持ちをわしづかみにするのは、中盤、行き倒れた女を招き入れた妻が、あからさまに夫に見えていて発情していくというシーン。その鮮やかな変化は全体の中で、いちばん芝居になっているとうのがアタシの感想です。妻を演じた菊池明明はどこまでもオンナであるし、行き倒れた女を演じた川上友里はそこから、オヤジにモーフィングしていく雰囲気が楽しい。

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2015.02.05

【芝居】「肥後系 雪燈篭」あやめ十八番(APOFEC 2015)

2015.1.28 21:00 [CoRich]

5周年を迎えたAPOCシアターのひとり芝居フェス(1.16-2.1)。60分。あやめ十八番の大森茉利子の回は18日18:30、20日18:00、28日21:00。平日21時開演で短めな上演時間という形態が嬉しい。

奄美。五年ぶりに故郷に戻ってきた女。両親を亡くしていた女はばあちゃんに、一緒に連れてきた男を紹介する。
東京の華やかな生活に憧れ芸妓になるために奄美から上京した女。元気一杯で音痴で、どじばかりで芸者としてはいまいちだったけれど、あるお座敷で出会った大きな会社の「会長」と恋仲になった。が、男は亡くなり、女は一人、その霊とともに故郷に戻ってきたのだ。

この世のものではないものの物語。不倫してずいぶん年上の男と恋仲になった女に見えていたもの。和服に演台つきの講談めいた口調の一人語りという形式を取りますが、三線の演奏者が唄も歌うというのは一人芝居、というレギュレーションではギリギリセーフなところを巧く狙ったなと思います。

芸妓に憬れた若い女の子、奄美からイキナリ憬れて状況というのはリアルとはいえないけれど、そこをあっさりうっちゃって、唄も上手くなければ器用でもないし、ドジばかりという一人の若い女が大宴会をきっかけにダブルスコア以上の男に見そめられ、愛人という立場に甘んじつつも、おとこ亡き後、地元に戻る時にはその男の亡霊を連れていくという枠組み。初恋から未亡人までの期間がわずか5年という早送りの構造だけれど、たとえば宴会でしくじったけれど見初められる、というシーンに多めに時間を割くというメリハリがうまく効いています。

そこまで語られていた物語の外側に、演者自身がこの物語に繋がる人物なのだ、という語り口。もちろんそれはある程度まで女優がもつ背景ではありつつ、虚構と読むべきだけれど、 今も亡き父の姿を垣間見るのは、そのこの世のものではないものが見えてしまう血では、と匂わせることで、短い時間の中で物語を大切に包む幾重もの厚みを創り出すことには成功しています。 もっとも、役者ではない語り手自身の物語という体裁をとりつつ虚構で物語を包むというのは、あやめ十八番の語り口で、うまいフォーマットを創り出したな、とおもうのです。

演じた女優・大森茉利子はオテモヤンな大声で器用に外す歌声も楽しいし、低く落ち着いた声にもきちんと説得力。ほとんど一人の人物だけれどその振り幅だってきちんとしかも地の文というかト書き的な説明のメリハリも巧い。

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2015.02.01

【芝居】「オールライト☆なぅ」肯定座

2015.1.25 18:00 [CoRich]

2月1日まで明石スタジオ。8曲をつめこんできっちり120分。

キャバレー・All Right 。毎日歌手と生バンドのショーが行われているが、あまり客は入らない。若い歌い手・歌姫目当てで通いつめる公務員、同じ女に入れあげ我がものにしようとするヤクザは常連のようだが、女はツレない。ホールの女は恋人を追いかけて上京して5年経つが先行きに希望がもてず明日故郷に戻ろうとしていて今日は閉店後に送別会をすることになっている。オーナーやマダムと一緒にこの店を立ち上げた男は、出勤途中で出会った占い師の言葉を真に受けて、同じく立ち上げメンバーの歌姫が今日この店に現れると期待しているが、恋仲だったオーナーとその一粒種を捨て出て行った因縁がある。
果たして歌姫は現れるが、マダムは決して許さない。故郷に戻ろうとする女にプレゼントされた一曲は、頑なだった同郷のホストの心を動かし、プロポーズに至る。若い歌姫に迫るヤクザから守ろうと公務員は立ち上がり、店全体も、店を辞めた歌姫もこの店を守ろうと立ち上がる。

明石スタジオという決して大きくない空間にきっちり建て込んだステージ付きの店。下手に入り口のドアと階段、上手にバーカウンターあれど、事務所ドアやトイレのあたりなど、どこか古さも否めない感じで奥行きを作ります。きっちりなのはセットだけではありません。マダムと出て行った女の確執、故郷に戻ろうとする女と軽口を叩く男、若い歌姫とヤクザや公務員の物語とこれでもかと物語を詰め込んだ上に、懐かしめのポップスやオリジナルとりまぜて8曲。それでも全体には125分程度に収めていて、濃密でしかし人情あふれる舞台を紡ぎます。

当日パンフでは「オペレッタ」というけれど、たしかに喜歌劇。音楽も洋楽中心の店という触れ込みだけれど、中身はどこまでも和風でべたべたに作り込んでいて実に見やすい感じ。確かに高円寺あたりにありそう、な感じなのもこの劇場の場所によくあっています。唄に関していえば、全ての役者がきっちり歌えるというわけではなくて歌姫という設定に対して少々ご愛敬ではありますが、物語をきっちり語りきれる力がうれしい。

あからさまに怪しい占い師の存在、必ずしも物語を転がしている感じではないのだけれど、少々無茶な「彼女が帰ってくる」ことに力業でねじ伏せて物語を進めるのは、面白い語り口。作家が出演する時の怪しい雰囲気にどこか似てるのも持ち味。あるいは空気を読まないんだか読めないんだかな男のハンパない異物感も物語をかき回して楽しく。

生方和代改め復帰第一作となる塩塚和代は和装のどさ廻り歌手、きっちり歌いきる確かな迫力はキャストの中でも圧倒的。マダムを演じた椿真由美はクールビューティ風きっちり、二人の掛け合いというよりはもはや口喧嘩な場面は圧巻の迫力。故郷に戻る女を演じた菊池美里(アウトデラックス出演嬉しいけれど、テレビはどうしてこうなんだ)は珍しくヒロイックにハッピーエンドがうれしいし、前半の丁々発止も持ち味で楽しい。ヤクザを演じた佐瀬弘幸はやけに説得力がある迫力、片言も板についています。どさ廻り歌手のマネージャを演じたちゅうりはおとぼけな口調がちょっといい。オーナーを演じた安東桂吾はクールに見えてちょっとキレるところがいい。立ち上げの店員を演じた藤崎卓也は、軽快な語り口で物語を転がしますが、物真似など濃くなりすぎるちょっと危ういバランス。

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【芝居】「This is 30」シンクロ少女

2015.1.25 15:00 [CoRich]

2月1日までスタジオ空洞。

三十代の男三人が集まって車に乗る。呼んだのは三男の会社員。子供を男手ひとつ、バイトしながら育てている長男しかもいつも金がない。次男は売れないままの作家。
長男の元妻の久々の墓参りで三男が告白したのは、結婚することになったことと、その相手が5年前次男と別れた女ということだった。盛り上がるのだか荒れるのだかわからない長男次男。高速を走る車、長男はいけるところまでいこうと無茶なことを言い出す。気が付くとそこは雪国、ノーマルタイやなのに。

無神経で金のない長男、売れない作家の次男なダメ兄二人とそこそこ普通な末っ子三人のロードムービー風味。 三男の結婚相手が次男のかつての恋人だったことで揺れ動くというよりはぎくしゃくする関係だけれど、なんだかんだいって仲のいい兄弟。 弟に金をせびる長男もたいがいだし、何者にもなれていないモラトリアム目一杯な次男も、酔ったイキオイで妊娠させた三男もまあ大人げない感じ。三十代は大人だと思っていたけれど、ちゃんとした生活をしている三男ですら、子供っぽくて。 幼く馬鹿っぽい男たちを愛おしく描き出す優しい視線は、まるで母親が子供たちをみているかのような視点。

コミカルさいっぱいのロードムービー部分に比べると、わりと静かな語り口の次男と恋人の二人語りのシーン、長男の妻が亡くなる直前のシーン。それぞれ数年前のことだけれど、物語のきっかけとなった女の立ち位置を示すと共に、単なる幼く馬鹿っぽい男たちというだけではなく、長男が経験してきた悲しさだったり、次男が経験してきた恋の終わりだったりと、それなりの年齢となった男たちが生きてきた時間の厚みをコンパクトに示すことで、人物に奥行きが生まれるのです。

タイトルに込められたのは、三十代になりはしたけれどということ。 序盤では小説を書くて姿勢として語られる「結末を決めずにいきあたりばったりにやってきたし、これからもきっとそうだ」というのはきっと作家自身がどこかで思ってる生き方の姿勢か。後半のロードムービーは「いけるところまでいこう」だけれど、それが見事に失敗していて。雪の中からの生還は、兄弟たちが 助け合い、ちゃんと前に進んでいけると感じさせるシーンなのです。

いわゆる色っぽいシーンを描くことはすっかりと減って、人生だったりと描くことが変わってきた作家ですが、男たちは実にいい味わいでそれを演じています。情けなくてダメ人間な長男を演じた泉政宏はしかし悲哀もきちんと描き出す奥行き。売れない作家な次男を演じた横手慎太郎はモテそうな雰囲気もいいし、それなのに恋人が見事に離れてしまうのも人生の一コマのよう。しっかりした三男を演じた 中田麦平は、生真面目な末っ子らしく巻き込まれ型な造型が愛らしい。 作家も兼ねる名嘉友美もきっちり大人の女、凛として美しい。

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