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2015.01.16

【芝居】「奇跡の年〜ANNUS MIRABILIS 」趣向

2015.1.10 19:00  [CoRich]

作家・オノマリコが何年かに渡り書き続けて来た題材を扇田拓也の演出と小林真梨恵の振り付けで上演する115分。12日までKAAT大スタジオ。

翻訳家の男は編集者に勧められて小説を書き始めて評判になっていて、編集者はその作品たちに惚れ込んでいる。
亡くなった祖母の話を話し始める赤毛の女の子、火事で火傷を負った女を治療し手を加えて自分のものとしようとする男、ギリシア人のフリをする三人の少年たちは男で女で両性具有で。四季になぞられた四人の人形たち、繁殖するオスを求め続けるが相手の居ないブタ。それぞれの物語。

小説を書き始めた男との編集者の女。女は男の才能に惚れ込み、男は少々軽い感じながらも女に惚れているという関係を核にしながら、小説家が書いたのかどうかも定かではないいくつかの物語が重なり合います。

小説家と編集者の物語も、それ以外の物語もそれぞれが男女のことだったり相手を求める気持ちだったりとゆるやかにつながるテーマを持っていそうで、それぞれが興味深く思わせぶりな断片なのだけれど、それ以上につながることはなく、さりとてオムニバスというにはあまりに断片化されていて、それぞれの断片は楽しめても、ワタシには全体として物語の幹を読みとれず、どう捉えていいのか戸惑うのです。それでも、どこか哲学的だったりもして心を少し揺らす断片たちはそれぞれに魅力が見え隠れするモチーフだったりもするのが、単に切って捨てるには惜しかったりもするのですが。

作家の男と編集者の女、物語を描くと云うことのある種のおこがましさと、その作品を読みたいと思う人の存在。作品が存在する意義の最小の単位を見せるよう。終幕に至り入院した男にリンゴの皮むきをする女の姿はどこかラブストーリーの始まりでもあるようで幸せな感じ。あるいは、重体となった女を救ったという男はあまりに自分勝手に理想を追い求めて女を「改造」していく身勝手さ、それは男に合わせて女の側が変わっていくということになりがちなことへの冷静な視点。あるいはメスのブタは、破れた服を身にまとい繁殖相手をもとめてさまようけれど、出会うことはできず。それなのにこの孤高さはどこかキリストを思わせるような雰囲気。

作家のblog (1, 2, 3) を斜め読みしてみればいまが人類の最後の世紀かもしれないとぼんやり考えること、余命を宣告された祖母のこととか、あるいは自身の病気のことなど、作家自身のリアルにつながって作られたモチーフなのだながわかります。 とはいえ、物語が欲しいアタシにとっては単に一人の作家から生まれたということより一歩進んだ枠組みというか仕掛けがほしいなと思うのです。

編集者を演じた斉藤まりえの才能に惚れ込んだまっすぐな造型。翻訳家を演じた井上勇希が隙あらば軽く口説こうという二人の丁々発止も軽快で楽しい。ブタ、と名付けられた女を演じたこいけけいこ、すらりと長身が格好良さすら。だからキリストに見えてしまうのか、あたし。少年に見えてその実は女性、という役を演じた大川翔子、両性具有というちょっと難しい立場を演じた和田華子、優しそうな男を演じた吉田能の少年の三役に隠れる思わせぶりな物語も、もうちょっと観てみたい気もします。

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