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2014.12.25

【芝居】「止まらずの国」ガレキの太鼓

2014.12.20 18:00 [CoRich]

ガレキの太鼓名義では再演、その前にもう一回やっているようですが、私はこれが初見です。 29日までアゴラ劇場。100分。

イスラム圏らしい国の市街地、バックパッカー向けの日本人宿。長く逗留している者、まだ旅を始めたばかりのもの、もうすぐ旅が終わるもの。一人が明日この宿をでることになっていてパーティを考えたりしている。韓国人の女をつれた日本人が来たりもする。何も起こらない日常のはずだったが、街はびっくりするぐらい静まりかえっている。宿の職員も姿を消した。やがて、銃声が。

バックパッカーだった作家らしい物語。中東あたりの危ないところの旅行者たちの話。これを海外の見聞を描こうと読み解くのはちょっと早急に過ぎるように思います。日常を離れて、ちょっと怖い場所に集った日本人たち、それぞれの事情を浮かび上がらせていくのだと思うのです。そういう意味では日本を舞台にしてもいい題材ではあるのだけれど、日常の風景から戦争状態みたいな触れ幅は日本を舞台にしては描きにくいとは思います。

もっとも、その戦争状態のオチがこれ、という残念な感じではあります。じゃあ起きたことは何だったのだ、と思います。

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【芝居】「あの子と旅行行きたくない。」月刊根本宗子

2014.12.20 16:30 [CoRich]

バー公演、気がつけばものすごく早い段階で前売りが完売になるように。当日券を出すように、今までは使っていなかったカウンター裏まで立ち見席を出しても満員な40分。23日まで、バー夢。

社員旅行の行き先を相談している女性たち。遅れてきたりイラっとするけれどなんとか始まる話し合いだが、行き先の希望は見事にバラバラになってしまう。

webのインタビュー記事(1, 2) によれば、作演から見て四福神が揃い踏み。カウンターも埋め、トイレ横にも椅子を出した結果、囲み舞台になっていて、四人のうちかならず一人は見られない(わたしの場合は、あやか)、というのはまあ確かに残念。(前説で青山円形劇場へのリスペクト、と言い訳するのは巧い)。

それぞれの主張が折り合わない構造をつくる前半、中盤に至り、我が侭に台湾を主張する女(梨木智香)の拘泥するポイントが友達と旅行に行きたいのだ、という劣等感というか悲しい気持ちが垣間見得る瞬間が好きですが、それは物語の結末に対してはあまり影響していなくて、終盤はそれぞれの主張が折り合うようで折り合わないまま10年が過ぎるという、わちゃわちゃな感じ。八時だよ全員集合の前半コントが終わった直後のあのくるりと回る感じというと、かえってわかりにくくなっちゃうか。

金持ちだという女を演じた大竹沙絵子、正直そうは見えないのはご愛敬だけれど新鮮な雰囲気。おそらくは幹事を演じた根本宗子はまとめる雰囲気が演出家らしい。

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【芝居】「山笑う」僕たちが好きだった川村紗也

2014.12.20 14:00 [CoRich]

川村紗也のユニット、旗揚げは小松台東の松本哲也の作演による宮崎弁会話劇を100分。24日まで新宿眼科画廊地下。

母が亡くなり、恋人をつれて数年ぶりに地元・宮崎を訪れた女。向こうの部屋では通夜振る舞いが行われているが、紹介されていない恋人を連れてきた妹とまず話をつけたいと兄は二人に控え室で待つように云う。
かつて、兄は子供ができたために突然家をでてしまい、実家は母親と妹の二人だけで暮らしていた。その日々のつらさゆえ東京にでてからは妹はほとんど地元に戻らなくなっていた。

恋人を連れて地元に戻った妹、田舎ゆえにそれをそのまま親戚の前に出すわけにいかず控え室という場所。久しぶりだからか、恋人をあらかじめ紹介しなかったからか、ぎこちなく流れる時間だけれど、ちょっとうざったいぐらい酔っぱらっているおじさんがあれこれ云うのが徐々に氷を溶かしていく感じ。

濃密になりがちなコミュニティの中で当事者じゃなくてちょっと離れた距離感ゆえの切り込みという役割を設定したのは巧い。ミニマムな人数と空間できっちり作り上げる筋肉質なつくりも見やすくていいのです。なかなか地元や実家に戻りたくなくて距離ができてしまった妹、それでも恋人を連れていきたいと思ったのは亡くなった母親にも兄にも兄紹介したいという気持ち。いっぽうで嬉しいけれどぶっきらぼうになってしまう兄なんていう造型も説得力があります。

アタシが座ったのは入り口から一番遠い側の隅、茶器とポットの目の前。女優たちが目の前で私にお茶を入れてくれると錯覚できる、という意味でも全体の距離感という点でもベストポジションでした。

帰ってきた娘を演じた川村紗也は可愛らしさに頼らず静かに会話をするのはあれれと思うぐらいに新鮮で、女優としての確かな力が大人の階段を昇り始めた感じがします。兄の幼なじみを演じた山田百次のデフォルメ強めな酔っぱらいも楽しいけれど、彼がいる故か、弘前劇場のいくつかの芝居を思い出すのは不思議な感覚です。恋人を演じた夏目慎也は開場中から舞台の上に一人居るのだけれど、それが不思議と飽きない。兄嫁を演じた荻野友里、さすが青年団、安定という点では圧倒的。中学二年生の息子を演じた吉田電話は飛道具的ではあるけれど、自意識の芽生えを持て余すような雰囲気はよく似合っています。作演を兼ね兄を演じた松本哲也は妹に対する気持ちゆえに怒る、そこから許すように緩やかに変化していく優しい雰囲気がいいのです。

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2014.12.21

【芝居】「ア・ラ・カルト アンコール」こどもの城

2014.12.18 18:30 [CoRich]

青山円形の閉館のため当初は25年目だった去年までの予定だった人気シリーズ (wikipedia)をアンコールとして26日まで上演。今年3月に復活した近鉄アート館の上演も嬉しい。休憩を挟み190分。

待ち人は今年も現れず、一人レストランを訪れる女は一杯だけのカクテルのつもりだったが「ギムレット」(2005)
年末ごとに集まる男二人、今年もこのレストランに現れたが、閉店の噂をなかなか聞けない「フランス料理とワインを嗜む会〜閉店するって本当ですか」
独身ばかりの男女が集う会もついに今年は残り二人になってしまった。男はずっと心に秘めていた想いを「シングルモット愛好会〜いつかは誰かとダブルでモルト」(2004)
ショータイム
ゲストと音楽監督とマダムの会話「マダムとクリスマス〜おしゃべりなレストラン」
老いた男と女。夫婦ではないようで、友達の関係のよう。デザートの名前で遊んだり、料理の話をしたり。でも、この歳で友達をつくるはのは難しい「シュー・ア・ラクレーム&プリン・ア・ラ・モード〜幸福の食卓」(2010)
一人で食事をした女、男が現れて、一杯のもうという「キャロル〜クリスマス・スウィート・メニュー」

今までのシリーズから何本かをリバイバルして再構成。、まあもっとも白井晃が居たらなと思わなくはないし、時代の流れとはいえ、ラスト、陰山泰のギャルソンがキャンドルで煙草点けて欲しいなとか。

「ギムレット」はアラカルトではスタンダードな雰囲気を持つ一本。このフォーマットのスタートをしっかりと。「キャロル」と対になっていてさまざまな短編オムニバスという体裁の枠組みをつくります。 パールオニオンなんてのが沈んでいたのかー。しらんかった。

「フランス〜」はアラカルト2の定番のシリーズ。ワインは赤も白も頼んだり、詰め込んでる感じともかく長いメニュー合戦みたいなのも楽しい。この店員たちの将来が垣間見得るのもちょっといい。高泉淳子演じるタカハシが、どれだけ毎年変わらないことを楽しみにしていたこの場所が無くなることに東京都と厚生(労働)省に罵詈雑言を並べたてるシーンが圧巻で思わず拍手。彼女自身の心中もまさにそうなんだろう。

「シングルモット〜」は陰山泰が現れての歓声と拍手。Rollyを告白できないちょっと弱気なサラリーマン、年上パワフルな女を高泉淳子の完成度の高い一本。男がミュージシャンで女はスタッフでずっと手伝ってるという関係もちょっといいけれど、男の思いになかなか気付かないどころか別の女への思いとの勘違いも楽しい。

ショータイムは、コルクが抜けない悩みも一発解決なスクリューボトルのCMめいた一本で笑わせたあと、かつての人気キャラクタ・山田のぼるが登場なTico Tico の出鱈目な歌詞とか、山本光洋が操り人形・チャーリー山本を演じる爆笑編、陰山泰の人気キャラクタのWater Melonman など盛りだくさん。でたらめな歌詞のJAZZというこのシリーズがもりだくさん。

「シュー・ア・ラクレーム〜」は最近のシリーズ、友達の関係という老いた男女。それでもちゃんと恋人の話しになるところが最近のアラカルト2流。  

結局1998年から、記録はあやしいけれどたぶん毎年観続けてこられたのだと思います。劇場を税金で維持するにしても芸劇も青山もというのは虫が良すぎると思って結局署名はしなかったアタシですが、さすがに円形劇場がなくなるとこの演目も出来なくなる、というのはショックではあります。ペギー富岡に花束渡すの楽しかったな、とか、だれそれと一緒にいったな、とか、時間が積み上がってくると、無くなる劇場への想いは今さらこみ上げてくるのです。

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【芝居】「太陽の棘 彼はなぜ彼女を残して旅立ったのだろう」キャラメルボックス

2014.12.14 18:00 [CoRich]

交互上演されている「ブリザード・ミュージック」と同じく残っていない宮沢賢治の童話に着想を得て空想組曲のほさかようが描く115分。24日までサンシャイン劇場。

電車にはねられそうになった子供を助けた男は命を落とす。現場に居合わせた恋人のことが報道され同情した世間は励ます言葉を浴びせるが、女は自分の気持ちの折り合いがつけられない。男の弟と従姉妹が家の片づけを手伝いに訪れ、男が好きだった宮沢賢治の多くの本の中にただひとつ混じっていた新しい文庫「ペンネンノルデの伝記」に挟まれたメモを発見する。メモには登場人物の名前で訪問を歓迎する言葉がつづられていた。

「グスコーブドリの伝記」(青空文庫)(wikipedia)のもとになっていると云われながら 構想メモ(青空文庫)だけで原稿が残っていない「ペンネンノルデの伝記」が書かれていたというところから作家は、自己犠牲を厭わない主役ではなく、残された側の恋人の想いを中心に物語を進めます。唐突に恋人を失ったつらさばかりか、その自己犠牲が賞賛されてしまうことと自分の気持ちのもって行き場のなさ。

作家はこの女の寂しさをもう一押し描きます。 さらには亡くなった男のことを思い出そうとすると、その全てに宮沢賢治の受け売りが透け見えて、男の本当の想いはどうだったのかを思い出せず信じられない寂しさ。 改訂されて出版されたものは妹になっているけれど、このペンネンノルデでは残されたのは恋人で、それは宮沢賢治がうまく描けなかったために改訂されたという作家の想像力は、これこそが宮沢賢治の受け売りでない男のオリジナルだという結末がいい。

もっとも、太陽の棘を抜きに行く、という小説の中での自己犠牲が熟考を重ねた上の結論なのに、それに対比される、電車に轢かれそうな子供を助けた身代わりの死では熟考とは違う瞬発力のようなものでやや釣り合わないというアタシの友人の感想はまったくそのとおりで、ちょっと惜しいと感じるアタシです。

兄を失った男を演じた鍛治本大樹は若さがともかく先にたつけれど、一歩が踏み出せない臆病さをあわせもつ造型。その男を後押しし、手をひっぱり、物語をドライブしているのは従姉妹を演じた小林春世で、ともかく行動的なイマドキの女の子な雰囲気が凛々しくかっこいい。恋人を演じた岡内美喜子は哀しみに沈み続けてフラットで居続ける役という点でちょっと寂しい感じではあるけれど、丁寧に。岩手の友人を演じた佐東広之は、きっちり岩手弁で田舎の人のいい男という造型に説得力があります。死んだ男の文通の相手だったネギ農家の男を演じた久松信美はああ、年齢を重ねたなという厚み。

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【芝居】「運命の女」味わい堂々

2014.12.14 15:00 [CoRich]

14日まで空洞。90分。

一年居座られていた幼なじみの腐れ縁の女を殺してしまった、と電話をする。部屋を散らかし放題、本当に何もしない。高校の時だってそうだ、別の友達と仲良くすることをじゃましようとするし、大学の時の彼氏はデリヘルとしてヤってたし。また、一年前に唐突に目の前に現れるし。 でも、唯一の友達だと思っていて、決別することもできなかった。

ネタバレ。

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2014.12.19

【芝居】「みえない雲」ミナモザ

2014.12.13 18:00 [CoRich]

16日までシアタートラム。神経も体力も削られる休憩なしの150分。でも不思議と没入して見ていたアタシです。

私は小学生の時に読んで衝撃を受けた本があった。何十年も経って、あれと同じことが現実に起きて、私は作家に会いに行く。
ドイツの原発の事故。警報が鳴り響き学校から帰宅した女の子は家に一人残っていた弟とともに、外出していた両親たちと落ち合うべく、自転車で家を出て列車の駅に向かうが弟は命を落とし、気がついた時には病院で放射線被爆の治療を受けていた。伯母が訪れ父母の死を告げ、引き取られて学校に行くが、同級生の死をきっかけに叔母の元へ行き、被爆者救護センターの設立を手伝うが、避難地域への立ち入りが可能になったのを知り、自分の住んでいた街に向かう。

近未来小説を核に描きつつ、その外側を劇作家・瀬戸山美咲が子供の頃に読み、事故の後になって作家に会いに行ったこと、と自分に向きあい問いかける強い衝動という二重の構造で物語を作り出します。

ヤングアダルト向けに書かれたという内側の物語、私は未読です。原発事故のパニック、成長期の少女が家族を失い、自身の身体にも影響を受け、社会も混乱しているけれど同じ国なのに自分ばかりを最優先に考える人、愛するものを失う混乱、それを支える人もいるけれど他人事だったり思考停止している人々を目の当たりにし。少女自身の生き方の向こう側に絶望しかみえなくなっている状況を描いて、考えさせる小説として描かれているのです。これがチェルノブイリの翌年に描かれ、それから何十年も経っているけれど、たいして日本の状況が変わっているとも思えず、こうなってもおかしくないと思わせる説得力を感じるのです。

悲惨な事故から逃げる序盤、自転車で一緒に逃げ事故に遭う弟を人形に演じさせたのは秀逸。無条件な可愛らしさゆえに喪失したときの悲しさが際だつのです。

外側に描いた、劇作家自身の物語。 その小説を子供の頃に読んでいたこと、作家に会いに行ったというのはドキュメンタリー至上な劇作家の作風ともいえるけれど、そこからもう一歩、その小説の作家がかつてヒトラーを本当に信じていたことからそれに抗うことができなかったこと、今の自分は抗えるか、届かないのかという自問自答は作家という仕事ゆえの深くて答えのでない問いかけ。選挙の前日に観てるアタシですが、こうなってしまった日本、まだ大丈夫、ヒトラーなんか居ない、と高をくくっていたがために、党首が「この道しかない」という実はいつか来た道の足音が。

外側も内側も物語にがっつり分量があって、胃もたれするぐらいに濃いのだけれど、不思議と見続けられるのは、原作のある内側の物語が元々持つ力ばかりでなく、その外側の劇作家の自問自答が荒削りすぎるけれど、彼女の地金に触れたような生々しい手触りと感じるからかもしれません。正直、ほんらい作家の苦悩は観客にはどうでもいいことのはずなのだけれど、どこか愛おしく感じてしまうのも事実なのです。

少女を演じた上白石萌音は長丁場を走りきり、感情の起伏の凄みにちょっと心配になるぐらいに圧巻。作家を演じた陽月華、さすがにタカラジェンヌ。軽やかでもあるし、深刻さだって細やかに。母親・祖母・アルムートを演じた大森美紀子は厚みがしっかりとあって、それぞれの役のダイナミックレンジもいい。 ドラマターグを兼ねる中田顕史郎は、父、祖父、内務大臣などを演じるけれど、祖父の頑固さの造型がいい。叔母を演じた大原研二は、それが笑いにならず、ヒールとして居続ける強さに見えてくる不思議。地元に帰るヒッチハイクの運転手を演じた浅倉洋介がほんとうにカッコイイ。

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【芝居】「First Contact」ハム・トンクス

2014.12.13 14:00 [CoRich]

14日までシアター711。120分。2002年に上演した「こっぱみじん」「たんぽぽは眠らない」の前日譚となる人形劇団と土浦の人々を巡る物語の前日譚。

複数チームに別れて地方周りをする人形劇団。座長が受けた仕事は、土浦・河童祭りにあわせて久々のホール公演。公演4日前、別の仕事の帰途、下見に立ち寄る座長と数人の劇団員たちだが、それぞれの公演の予定が入っており、大ホール向けの演目のために必要な人数に大幅に足りないことが判明する。座長は人数が足りないことを主催者に云わず、幼稚園まわり向けに使っている小規模な短編を複数組み合わせてなんとか乗り切ろうとする。
いっぽう同じ大ホールでは、同じ日にナツメロ当て振り大会も予定されている。人形劇を呼んだ主催者は当て振り大会の参加者の後輩で、抗争関係にある。

宮本勝行といえば、バイオレンス風味溢れる、しかも茨城弁のどこか喧嘩をしているような悪意のあるような会話の芝居が圧巻。2002年の二本、当時のアタシ、本気なのか嘘なのか、悪意なのか好意なのかがわかりづらい人物造型に戸惑って観ていた印象があります。今作もその雰囲気はあるけれど、東京の人形劇団の男たち対地元のヤンキー女たち、というあからさまにわかりやすい構造にしたのが巧く機能していて、数段判りやすく、気楽にみられる印象が強くなっています。 前の二本が東京の人形劇団と地元の人々のすれ違いというかギャップの物語でしたから(まあ、記憶は例によってないんですが)そのファーストコンタクトを描きます。和気藹々な人なつっこさと冷酷で喧嘩腰のような会話がめまぐるしく入れ替わる会話は健在です。

テレビにも人形操作で出ていたり、何チームにもわかれて地方を回るそれなりに大きな人形劇団。熱い思いはあるけれど、どう考えても無駄な上下関係をめぐる会話を重ねつつ、目前に迫った上演に問題があることが判明する前半。 それを正直に言わず、別演目をごまかしてなんとか仕事を守ろうとする座長。

後半は 地元の女たち、小学校教諭、ラーメン屋夫婦、理髪店らしい後輩。ノリつっこみしてみたり、馬鹿にしてみたりの和気藹々なまったりに見えるけれど、人形劇団との契約を前に後輩と先輩二人は大人になってるのに世代交代を前に抗争を繰り広げるヤンキーな関係だということがあきらかになっていきます。訛りながらも、凄んで見せたりということに巻き込まれそうになりながらも何とか距離を保っていた人形劇団がここに至り演目をごまかそうとしていたことが明らかになる終盤が圧巻。凄んでみせる女たちを目の前に、男たちがまさに縮みあがる関係が秀逸で、それを他人事として眺める観客には気楽で楽しい一本なのです。

小林さやか、佐藤あかりという青年座・俳優座の役者をもってして、ヤンキーを演じさせる凄さ。圧巻の凄みのある空間を創り出しています。後輩を演じた大井川皐月の先輩との絶妙な距離感がいいし、凄みも輪をかけてすごい。まさに縮み上がる座長を演じた戸谷昌弘、空気読めないキャラクタな座員を演じた石塚義髙のうざったさもいい。山口雅義の温い感じもいいけれど、出番少なめで残念。女優があと二人クレジットされているけれど、一人しか出てないのはなぜなんだろー。姉妹かな、日替わりかな。

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2014.12.15

【芝居】「PRESS」JACROW

2014.12.7 19:00 [CoRich] サンモールスタジオ 8日まで。100分。

妻を亡くして半年、娘と同居している男は新たな恋人を家に招いて一緒に暮らしはじめるが、結婚している妹は面白くない。
ある日、娘が高校で友達を刺してしまう。学校でのいじめが原因かという推測が主流の中、一つの週刊誌だけが家族の問題を焦点に取材を始める。母親を亡くし父親が家に連れてきたのはホステスだということをつきとめ、店にも家にも取材を続ける。学校側は責任の軽減をねらう。妹の夫は自分の収入が減るのを恐れて、広告を出している週刊誌に圧力をかける。

マスコミと加害者の家族、容赦ない取材とそれを避けるためのあれこれを主軸に据え、丁寧に物語を積み上げます。 この一点を中心に、家族とか恋人とか大人の理由とか、重層的だけれど、ことさらに範囲を広げずに描いた物語は成功しているといえます。

いわゆるマスゴミ的な追い込む取材。その記者がその方向を突き進むのは私憤ゆえ。記者の恋人が取材を止めさせようとしたのは、結婚をうまく進めたいから。ホステスの女がなんとか我慢してきたこの異常事態から怒り出すのは、名前を間違えて呼ぶからだけど、電話に出ないのはある種の恋愛テクだから。それぞれの人物にそれぞれの理由があって、それは他人には見えないけれど、それぞれきちんと筋が通っていて。決して誉められた人々ばかりじゃないけれど、腑に落ちる感覚が、物語も登場人物たちの隅々まで行き渡る安心感。

LINEが登場するような イマドキの話としては、マスコミと当事者だけでは物足りなくて、その外側にネットで可視化されるもう一つのクラスタが存在するべき、というのはアタシの友人の言葉です。云われて気付くけれど、ネットの人々は顔がみえないので物語として描きづらいということはあるかもしれません。もっとも、今の登場人物たちの裏の顔、という描き方はできそうにもおもいます。

父親を演じた谷仲恵輔はいい味わい。序盤の晴れがましい感じから終盤の酒におぼれるところにいたるまで、一人の人物が変化していく様に違和感を感じないのがたいしたもの。あるいは記者を演じた堀奈津美、なかなかここまで猪突猛進、影のある役は珍しい。序盤の後輩キャラの芝居が可愛らしくほんとに好きなあたしです。妹の夫を演じた根津茂尚は穏やかな大人、守りたい物があるゆえの狡さを丁寧に。ホステスを演じた堤千穂は可愛らしく、そして計算高く。どうしてここが恋愛関係になるんだ、というのはオジサン観客のやっかみですが(笑)。

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2014.12.12

【芝居】「WATAC I」Hula-Hooper

2014.12.7 14:00 [CoRich]

突然 コンテンポラリーダンスという触れ込みの新作。ダンス不得意なあたしだって楽しい。 TODAY's GALLERY STUDIO で。 8 日まで。

作家の高校時代、交換日記吹奏楽に燃える女子高生。勝ちたい気持ち、部長としての立場。あるいは恋する気持ち、好きになっちゃった私の話。

作家・菊川朝子が高校生の頃にやっていたという触れ込みの交換日記をテキストにとり、決して若くばかりはない女優たちが、あれこれという雰囲気。役を固定せず、時に作家の姿、時にその彼氏、時にその気持ちを代弁するように熱弁を振るう酔っぱらいなど、さまざまに。

吹奏楽部、間近な大会、仕上がらない焦り、自分への鼓舞。 もうすこし頑張れば勝てるかと思えば勝つためにやってるんじゃないという気持ちの行き来。 あるいは誰かが好き、という気持ち。テレビの向こう側の彼だったり、あるいは一緒に帰る彼のことだったり。恋愛する前に友達が恋に落ちた時の冷静さと、自分がそうなった時の落差、失恋の後の賢者な気持ち(ちょっと違う)、あるいは思っても居なかった男の子に告白されること。さまざまな落差のテキストを取って、高校生ぐらいの瑞々しさが目一杯に。

アタシだってあった高校時代、いわゆる文化部(アマチュア無線を主体とした電気科学部、でした。)で、でもちょっと体育会系的な目指す大会(コンテスト、でしたね)があったり、なんか頑張る気持ち、気になる女の子がいたり、交換日記こそしてなかったけれど、突き当たりの階段踊り場を改装した部室にはノート(でんかノート、って名前だった)があって、それぞれの気持ちだったり、それぞれのあれこれが書いてあったりしたなぁ。あれスキャンしておけばよかった。どこにあるのだろう。

テキストを支えるのはもちろん役者たち。ダンスという枠組みだけれど、台詞を喋ったり、気持ちをがっつり、少々ベタに表出するのはわかりやすくて、ダンスが苦手なアタシでもわかりやすい。

正直に云えば、このテキストが心底面白いと感じるのは、作家・菊川朝子はこういう子だったし、今でもこういう子なんだろうな、ということが前提、つまり彼女のことをそう沢山知っているわけではないけれど、大好きでたまらないからかな、とも思うのです。まったく初めての観客がどう感じるのか、ということはちょっと興味があります。

松本に住んでいた時に初めて拝見した佐藤友を東京で観られるうれしさ、一番の若手だけれどひけをとらず、きっちり。兵藤公美は安定で綺麗なキャラ、西田麻耶はなんだろ、アタシはまったく目が離せなくなってしまうパワーと色気、って思っちゃうのだけど、どうだろ。

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【芝居】「Bon Voyage!!」BOCA BoccA

2014.12.6 19:00 [CoRich]

9日までOFFOFFシアター。

若い編集者がバディというテーマの雑誌連載企画を作家に申し込む。作家は堅い小説を書くと思われているが、破天荒でその企画にあたり生前葬をしたいと言い出す。なじみの編集者とともに近所の弟の店を借りて準備をするが、飛び込んできたのは三ヶ月戻ってこなかった妻だった。

タイトルだけではなく、 当日パンフもチケット、台詞の端々にもフランス語がちりばめられています。客席に座る観客も、なんかフランス語教室の話をしてるひとも居たりしてちょっと不思議な雰囲気。

破天荒に見えて妻を深く愛し、全力でぶつかってくることを求める小説家の物語を核にしつつ、いい歳になっても童貞で結婚詐欺に遭う弟や、妻が居るから遠慮していたけれど本当は小説家を支えたい担当編集者の物語を添えています。核となっている物語はごくごく決して力がある話ではないけれど、アングルというか構図はシンプルで美しくカッコイイ。なのに、それを内包する物語全体を見渡すとあれこれがちぐはぐな感じになってしまっているのが残念。とりわけ、読経する坊主が実は日本語の話せないフランス人にテープレコーダー(そう、イマドキ。)だったり、童貞が結婚詐欺に遭う話、その二人がややBL気味の結末、など結果的にそれぞれ点描するだけでバラバラになっていて束ねられて幹になるような効果に至らないのが惜しい。

小説家を演じた安東桂吾は軽薄に見えつつも、全力で妻を受け止める度量にもちゃんと説得力。妻を演じた前有佳、明るさを前面ではなく何かを隠しているというのはちょっと珍しい感じ。年齢を重ねて妻もきっちりと。編集者を演じた浅季愉女美、この規模の芝居でワンランク高いテンションの発生に戸惑いつつも、まあ美魔女っぷりについつい惹かれちゃうアタシです。童貞男を演じたちゅうりはオジサンの悲哀も拘りも余裕もみせつつ、ギターってのが素敵。

ネタバレ

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2014.12.11

【芝居】「バイセコ」チャリT企画

2014.12.6 14:30 [CoRich]

座高円寺、7日まで。85分。

駅前。署名を訴える人、相棒がこないギター弾き、待ち合わせ相手がこない人、駅前は自転車で溢れていく。

えらく高い壁のある場所、駅前の雑踏の風景を点描しつつ、待ち合わせ相手が同じ場所に行るはずなのにパラレルワールドのように会えなかったり、幹事なのにサークルの人々がこなかったり。そのうち、壁の向こう側から乗り越えてこようとする男が居るのにほとんどの人々は気付かなかったり、雑踏の中でお茶の間よろしくリモコンが動かないと騒いでる家族が現れたり、何かからこっそり避難しようとしている親子だったり。冬の風景のはずなのに夏の出で立ちで生き遅れの姉を男に会わせようと画策する妹夫婦だったり。小さな断片、不条理だったりコントだったりを盛りだくさんに。

駅前の風景をベースにしているけれど、それ以外の風景を同じ場所に突然重ね合わせて描いていて、ものがたり、という読み方をしようとすると正直とまどいます。人々のさまざまな生活の風景が広がる場所だけれど、駅前に人々が放置していく自転車は、やがて舞台全体に広がり、人々の生活の場所がなくなっていく感じ。気にせず毎日を暮らしているとやがてがんじがらめで身動きがとれなくなるという感じで終幕を迎え、安倍総理の演説の声を背景に、喪服姿の人々がずらりと並んで横切る不気味さはチャリTっぽいといえばそれらしい。もう、既にそうなっているという雰囲気。

断片の物語はそれぞれ時に不条理だったりコントっぽかったりとバラエティに溢れてちょっと面白いものも混じっています。雰囲気で舞台を構成するということなのだとは理解しつつも、作家の力ならば、そして選挙直前というタイミングならば、放送ではやりづらくても芝居なら、座・高円寺という劇作家協会のお膝元ならばできる何かがあったのではないかとも思うのです。そういう意味で、時代のひとつの気分は描写しつつも、全体で何かを描いているという感じにならないのは少々残念に感じたりもするのです。

リモコンが動かないと会話をする家族、それが向けられるのは署名をしている女の子なのだけれど、ボタンを押してもDVDが動かない、女の子が何か反応すると動いた反応したり、修理しようと背中のなにかを抜くともう動かなくなって、という一連の流れはちょっと面白い。それでも、全体の文脈の中での意味を無理矢理読み解こうとしちゃうアタシですが、判断することをやめちゃった、ということぐらいしか思いつかず。もうちょっと何かありそうだと勘ぐりつつ。

あるいは行き遅れた姉に男性を紹介しようと画策する妹夫婦、姉はアイドルが居ればいきていけると嘯き気乗り薄だけれど、それがイケメンとなれば乗り気、でも紹介したかったのはイケメンだったかなんてSF風味も楽しい。レモンを持てばというアイドル雑誌の表紙というネタは若い人にはどれだけわかるんだろうとか。そういう表層の中に、たった一言、妹宅に居候している姉が「親の面倒を私ひとりで最後までみたのにね」とさらりと流したりというのは鋭い切っ先なのです。姉を演じたザンヨウコのツンデレ、ちょっと浮いて生活している感じだけれどイケメンならがっつく感じが楽しい。妹を演じた異儀田夏葉はきっちり社会の雰囲気とか同調圧力に組み込まれている造型で巧い。

彼氏を戦場に送りたくない女子を演じた前園あかりは、ことさらに目立つということはないけれど、このフラットさでずっと舞台に居続けていても目が離せない。他の芝居に目を奪われていても、気がつけばそこにいるという安心感さえ。

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2014.12.08

【芝居】「ヒトヒトヒト」キリンバズウカ

2014.11.30 17:00 [CoRich]

年に一度ほどの公演を続けるキリンバズウカの新作。 30日まで。105分。 武蔵野芸能劇場 小劇場。

男女混合のシェアハウスに住んでいる人々。管理人は与えられるときには与えよ、ということを住人たちに薦めている。管理人の親や夫の死因に怪しいところがあると、内偵を薦めている保険会社。住人はもう恋はしないと断言するシンガー、恋しがちな女子、管理人に心酔する男、その彼に恋心を抱く男。
ある日新たな入居希望者の面接の日、住人の兄が尋ねてくる。警官だというが、金・女・暴力を絵に描いたよう。

美人だけれど感情の起伏のない管理人、それに心酔する住人たち、男女混合で恋心の交錯があったりするけれど、バランスが保たれ、ごくおだやかで小さなコミュニティ。そこに突如現れた、あきらかに異分子で暴力的な男がそのコミュニティを破壊するかにみえるけれど、コミュニティを保持しようとする力は思いの外強くて暴走する人々。

終盤近くで語られるのは、夫を亡くして首をつろうとしていた妻である管理人、そこに居合わせた男との突然の共鳴。共鳴したからこの心酔ということなのだろうけれど、どうして共鳴したのか、この二人以外までもが同じように宗教めいたほどのコミュニティになったのはなぜかということは明確に語られている感じではなくて、正直にいえば、唐突な印象がぬぐえません。それでも、 序盤ではイマドキの若者のシェアハウスかとおもわせながらも、終盤にかけて その異常事態すら引き起こしかねない、閉鎖的なコミュニティの姿があらわになっていく歪んだ感じは 一気にみせてしまう圧力のある物語で迫力、役者の魅力もあいまって印象に残るのです。

暴力的で女にも金にも汚い警官である兄を演じた日栄洋祐は珍しいぐらいにヒールを一貫して。 弟を演じた花戸祐介も、序盤で女にモテる感じ、好意を寄せられても冷たい感じは兄弟を感じさせつつ、信じてしまった男の暴走の説得力。冷たい印象の役は珍しいこいけけいこ、それゆえの終盤での感情の爆発が効果的で新しい魅力。女子力高い女を演じた阿久澤菜々は男を寝取り、あるいは男に泣かされな「おんな」全開な造型に凄みすら感じます。もう恋をしないといいながら恋愛体質な女を演じた長井短は、イノセントで素直な造型でかわいらしい。唄もちょっといい。

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2014.12.04

【芝居】「気がつけば、あした。」aibook

2014.11.30 14:00 [CoRich]

2日までOFF OFFシアター。90分。

父親の三回忌に境内の集会所に集まった家族。火山はいつものように噴火していている。兄は結婚できないまま母と同居していて、結婚して東京で暮らす妹の夫は、母親を東京に呼ぼうと云っている。母親のMRI検査の詳細の結果はまだだが、記憶はまだらになってきている。東京に出て行ったこの寺の娘が数十年ぶりに戻ってきているが、両親には会っていないという。

年齢を重ねた私たち、年老いていく親の存在。結婚できないアタシ、子供ができること。あるいは人を失ったことにどう向き合えるのかということ。物語の外側には天災の足音が聞こえるような舞台の設定で、今の私たちのさまざまな気持ちにフックするように緻密に汲み上げられています。アタシには兄だったり、あるいはもはや母親に近い年齢だったり。観客がそれぞれ持つ背景によって、感じ方がさまざまに変化するのだろうなと思います。

気がつけばあしたになっている、というタイトルは母親の台詞として現れ、記憶がまだらになっていく、というのもまた私たちの未来の姿。こういう小さなことが積み重なるのは日常だけれど、それはいつか手に負えない事態になるかもしれないというのは、物語の外側にある火山の噴火の相似形。この物語の中で、寺の娘の存在はちょっと他の登場人物からは独立していて物語としてリンクしていないというのはアタシの友人の言ですが、それでもこういう人物が物語に必要だと作家が感じたのはなぜだろうと思ったりもするのです。それは母親、母親になる女との対比で、一人の女というもう一つの作家の立ち位置を作りたかったんじゃないか、というのは考え過ぎか。

なにより隙のないキャスト陣。母親を演じた岡まゆみはアタシにとってはかの番組のお姉さんだけれど、老眼鏡が似合う歳になっても可愛らしい。兄を演じた瓜生和成はちゃんとお兄ちゃんであってもいろいろがままならない造型がしっかり。妹を演じたもたい陽子は可愛らしい女優だと思ってたけれど、しっかりと年齢を重ねていい味わい、それなのに抜群のボディにちょっと目を奪われてしまうオヤジはかなしい。夫を演じた郷志郎は医者という役ゆえ、物語の要所要所を押さえ、物語を進める原動力にもなる重要な役。落ち着いた雰囲気がしっかり。寺の娘を演じた菊池美里は稀代のコメディエンヌなのにそれを封印、内向する造型は新たな魅力。

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【芝居】「さらば! 原子力ロボむつ ~愛・戦士編~」渡辺源四郎商店

2014.11.29 19:30 [CoRich]

2012年5月初演の物語を文字通りパワーアップ改訂再演。 95分。30日までにしすがも創造舎。

10万年の間危険性が消えない「やばちもの」が処理できるようになるまでの中間貯蔵施設を誘致した町長はその行く末を見届けるといってコールドスリープに。しかし「やばちもの」は増え続け、しかしそれは千年経っても解決できずという枠組み。コールドスリープを繰り返しても何も解決できず、未来へ丸投げし、それでも環境は激変し、人類は消え、新たな別の生物が現れ、機械さえも朽ち果ててしまうほどの途方もない時間が必要なもの、という物語の骨子は初演のままに。

物語の上では、過去に置いてきた女というセンチメンタルな存在は薄くなり、代わりに強められたのは東京に対する強い怒りだと感じます。アズマシウムを手に入れ唯一の核保有国として独立を果たした青森、東京を焦土として、東京モノたちをとらえ奴隷にするという戯画的な描き方。「やばちもの」の存在はここを豊かな国にしたかもしれないけれど、騙されてここに置くことになったのだ、という地方のメッセージはより強くストレートに感じます。

人類の役に立ちたいというアトムや「むつ」の想いと裏腹に科学技術は「ある時は正義の味方、ある時は悪の手先」にもなるという両刃の剣というメッセージは今バージョンで加わった高校生たち、つまり当日パンフにある「丸投げされた世代」に対するメッセージという意味では、作家・畑澤聖悟の、生徒を見つめる教師としてのまなざしを見るようです。

「もしイタ」システムを手に入れ、コロスの役割を担わせることで、群衆の存在をきちんと描き出すようになったのは新しい効果。唄をいくつか入れるのも、この人数だと美しく愉しい。

初演では主役の男を演じた山田百次は今作では、東京に対する強い怒りを背負う新たな役を作り出しています。全員ジャージという出で立ちの中で、とりわけヤンキー感溢れる造型は、東京からみた優しさではなく、力強くしぶとく生き、怒りを体現していて印象的です。 新たに10万年を生きる男を演じた三上陽永は軽やかさよりは真面目さが前に立つ印象で、誘致したものをしっかりと見届ける真摯さ。初演に続いてロボットを演じた三上晴佳・音喜多咲子は舞台が広くなった分速く動く必要があるために正直ちょこまか動く可愛らしさはスポイルされている感もありますが、声のユニゾンの美しさ、ちょっとした仕草の可愛らしさは変わらず、いいキャラクタだなと思うのです。

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【芝居】「もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」青森中央高校演劇部

2014.11.29 17:30 [CoRich]

29日まで、にしすがも創造舎。フェスティバルトーキョー(F/T)の一環のステージは超満員。

弱小な県立高校の野球部は去年大会での大敗が災いして部員が不足、今大会への出場も危ぶまれて練習にも気合いが入らない。新たに女子マネージャーとして入った2年生が奮闘するも空回りしている。
ある日、チームメイトや家族を一度に失った傷が癒えない転校生が野球をしていたことを知り勧誘に成功する。勝ち目のないチームを強化するコーチが居るとき呼ぶとやってきたのはイタコだった。転校生は降霊の技術を身につけ、大投手の霊を呼ぶ。

高校の演劇部の被災地応援公演として始まり、多くの町や村で継続的に上演を重ねる一本。被災地での上演のために装置や照明を使わず、役者たちの肉声と歌声だけ、はては背景までも役者たちが演じることで成立させるというシンプルな上演形態は、被災地上演をした他の公演でも見かけるものではあって唯一のものというわけではありません。が、それをエネルギーに溢れる高校生が演じるということのパワーの凄みがあります。ちょっと体力消耗気味だったこの日のアタシは、その熱量に圧倒されるのです。

津軽弁にしても、イタコにしても、青森っぽさの味わいもいいけれど、実力とは違う力である程度は進めたとしても優勝には至らないという「余白」な感じもいいしし、単にキワモノアイテムかと思われた降霊を、終盤でもう一ひねり、震災に限らず大切な人を亡くした人に寄り添う「人間の営み」の一つだと描く視線が優しく、アタシの気持ちをふるわせるのです。

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【芝居】「狂犬百景」MU

2014.11.24 17:30 [CoRich]

町に溢れた狂犬を背景に緩やかにつながる四つの物語。休憩20分を含む180分。24日までVacant。

コンビニ、別れた女が動物愛護団体で、寄付を迫る、妹はコミュ障で。 街には狂犬が溢れてる、あれは飼っていた犬だ。ごめんなさい、ごめんなさい。「犬を拾いに」 (ハセガワアユム)
会議、食玩に食い物にされ。部長はふしだらで、でも専務は辞めさせない。技術部は快く思ってない。 バツイチ子持ちと取ってきた仕事はキャラクタ契約、開発の女傑だって、でも妻のためか、怪しまれないためか、狂犬の中に走って行く。「部長は荒野を目指す」 (米内山陽子&ハセガワアユム)
漫画家、アシや友人、編集はは犬を殺して廻ってて、それを写真や動画にとって愉しんでる。ライターと伴に来たカメラマンは許せない気持ち。自分たちはいつから狂ってるんだろう。「漫画の世界」(ハセガワアユム)
愛護センター、譲渡会。狂犬になる前に捨てる。街の人々が集まってくる。地下に人が閉じ込められてたりるする。「賛美歌」(ハセガワアユム)

「犬を〜」は コンビニのアルバイトたちの会話、コンビニ店長を訊ね寄付を迫る元の恋人、コミュ障気味の妹たちのかみ合うようなかみ合わないような会話。フリーター女にほのかに恋心を寄せる大学生はあっさり気持ち悪いと切り捨てられ、元恋人の二人は迫り来る狂犬に二人が飼っていた犬への懺悔の気持ちを高ぶらせるという具合に見事にバラバラな点描。会話のそれぞれのキレを楽しむのが吉か。

「部長は〜」はともかく不倫まみれだけれどバリバリ働く営業部長、関係した女たちもそれぞれの仕事に燃えて菓子の味と、食玩キャラクタのライセンスという成果に誇りを持っていてどちらをとるのか、どちらも取らないのかみたいなくんずほぐれつ。男が決断を放り出したかのように物語はあっさりうっちゃられ、破れかぶれに狂犬の中に走り出す部長のシュールさは一回りしてパンクですらあります。

「漫画〜」犬を殺し回ることが愉しくなっちゃってる漫画家とアシスタント、編集たち。狂犬だからというわけではなく、悪くても愉しいことだから狩るというわかりやすく狂っている人々。訪れた「普通の」人々がまったく歯止めにならないのは恐怖だけれど、それが「賛美歌」に巧く効いています。

「賛美歌」は狂犬が溢れてもかろうじて機能している動物愛護センターだけれど狂犬になる前に捨てるという風潮が機能不全になる直前に。それでも心配こそすれパニックにはなっていない職員たち、それぞれの物語の人々が集まってくる終幕の雰囲気。犬を殺すような酷い人々だから監禁してもいいのだ、という正義からスタートした狂気が歯止めなく暴走していててその狂気の上で「譲渡会」の平和な風景があるというコントラスト。

過去への懺悔、不倫まみれ、動物への虐待、人間への虐待というグラデーションで描かれる人々の風景。狂犬に溢れた世界はまあ、つまりゾンビが溢れた風景として描かれているような雰囲気ではあるのだけれど、それぞれの断片の狂い具合はハセガワアユム節全開だけれど、正直に言えば、四つも続けてみると全体の長さもあいまって狂気のインフレのような感もあって、きゅっと締まった会話の切れ味で勝負する作家としては少々勿体ない仕上がりという気がしないでもありません。

当日パンフのあらすじや登場人物の丁寧な紹介は、どこかライナーノートのよう。物語や演出だけにとどまらず、公演というパッケージに添えられた、グリーティングカードのようで、この作家の魅力のひとつなのです。

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2014.12.01

【芝居】「紫式部ダイアリー」パルコ

2014.11.24 14:00 [CoRich]

30日までパルコ劇場。110分。 そのあと名古屋、福岡、大阪、松本、広島。

文学賞選考の選考員として呼ばれたのは、エッセイストとして成功している清少納言(斉藤由貴)と、新進気鋭の小説家・紫式部(長澤まさみ)だった。

大きなカウンター、ホテルの最上階のバーラウンジという感じ。高い椅子に座るのもやっとで少々イモっぽい雰囲気の清少納言と、颯爽とパソコン抱えて現れる紫式部というアングルで始まる110分一本勝負。それはまるでプロレスの雰囲気でもあります。

ここに居ない別の作家のことを(明日の選考のためとはいえ)あれこれ話をしたり、自分の(文壇での)ポジションを確保するために選評したいとか、 年齢という序列はあれど、面白いといわれてたくさんの仕事をこなし、呼ばれる、ということがポイントになる作家という仕事。劇作家が作家などクリエーターを描くとほとんどろくなものにならない、というのはわりと云われがちだけれど、さすがに三谷幸喜。クリエーターの矜持とか夢とかには目もくれず、後輩の作品なんか気にしない風情でも才能がありそうならきっちりチェックしてるし、万が一芽が出そうなら全力で潰してやる、という嫉妬を物語の原動力に据えて凄みのある二人芝居を作り上げました。

後輩の側だって敬意を持ちつつも、喧嘩を仕掛けることも忘れません。 枕草紙を「あるある」だけと切り捨てその先がみたいといい、でも清少納言側には元気づけたい誰かの存在、という隠し味は年齢を重ねたゆえの厚み。 紫式部が今の私には若い女だからという付加価値というか下駄がはかされているけれど、書いている作品を見てくれていないという不満と不安、清少納言はあっさり千年後の読者に向けて書けば作家が若いとか美しいとかは関係なくなるという返答、何かの問答のよう。

そういう軽快さの奥にあるのは、作家というものの業かなと思うのです。芽が出そうなら潰すし、才能に嫉妬だってするし、先輩を時には馬鹿にするし、でも先輩の言葉に救われることだってあるし、終幕、清少納言が紫式部のパソコンを盗み見て、自分のことを日記(ダイアリー)にどう書いてあるかを呼んで、大笑いし、ちょっと悔しそうな表情をしたりするけれど、何が書いてあるかは明らかにされません。どうとでもとれるエンディングですが、想像にゆだねられて嬉しいなと思うのです。

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