【芝居】「トーキョー・スラム・エンジェルス」Théâtre des Annales(テアトル・ド・アナール)
2014.11.15 18:00 [CoRich]
谷賢一がさまざまな話題を徹底的に調べ上げて物語を作り上げる劇団とは別のユニット。 24日まで青山円形劇場。135分。
オリンピックが終わってしばらくした東京。人々の経済格差は拡大を続けている。ラーメン屋を営んでいる男の店があった周辺はスラム化しており、店を失った男は東京最後のラーメン屋台と嘯きながら商売を続けている。妻は証券会社に勤めているが大規模なリストラをくぐり抜け、仕事に邁進している。息子は妻と暮らしているが、抜け出して父親の仕事を手伝ったりしている。 政府に抗議するデモは激化しており、テロを予告する流言も頻繁になっている。ラーメンの値段はとても利益が出せる状態ではないが、男は変化を拒みそのままの値段で続けている。
経済的には破綻してしまい、経済格差がはるかに拡大しているという設定は、そんなに未来のことではなくてごく身近に起こりつつあるのだ、ということを十分に実感させる昨今。社会もそうだし、個人的なアタシを含めた周辺だって。 今作は「資本主義経済」を幹に据え、片や経済に邁進し、モノサシは金なのだという妻、片やラーメンの味こそがモノサシであり変化を拒み商売を続ける夫、という対比で経済を描きます。
経済をきっちり描く、ということで前半、少々唐突に証券会社の一人が少々多くの時間を割いて語る「牛乳瓶のフタの経済学」の例は、時代を考えるとあの若い男の子供の自分に牛乳瓶で給食だったのかと細かいことが気になったりもします。それもそのはずで、書籍「経済ってそういうことだったのか会議」で書かれていた話がベースなのでちょっと古めかしい喩え。 もっとも、貨幣と信用、ということを語っていた書籍から一歩進めて、価値の暴落直前にゲーム機という現実のモノに変えておくことで売り抜ける、というところまで描くのが、証券会社の彼ららしい感じを造型していて面白いし、先生に言いつけたりしないで自由な取引であるべきだ云わせたりするのもいかにもな人々をつくりあげます。
夫婦や経済の物語の外側に噺家を模した語り部を置く作家の真意は今一つわかりません。箱庭の中で起きている出来事のようで、せっかく私たちに地続きな物語になっているものを、わざわざ距離をとって見せているような印象があります。
妻も息子も商売を続けるなら値上げすべきだと説得するのに耳を貸さず、少ない儲けのままラーメンを売り続ける男の姿は、何かの使命感というわけではなく、単に変化を拒んでいる姿。状況が悪くなっているのに、もう一歩先に踏み出すことすらいやがるのはまるで「ゆで蛙」だけれど、どこか私自身の今の状況や気分にとてもあてはまってしまってやや気持ちが落ち込んだりもします。
金は何かを評価するモノサシである、とはいいながらも、経済的な志向が全く異なる夫となぜ結婚したかと問われ、そこは金だけじゃない、という「一瞬の隙」にも似た一言がなにかとても暖かい感じ。こんな殺伐とした状態になってしまう前でも経済的には違いがあったに違いないけれど、それでも二人には幸福な時間があったのだ、ということをこの一言にぎゅっと集約するロマンチックも素敵なのです。
夫を演じた山本亨が頑固で情けなくて、ちゃんと生きている男をほんとうに魅力的に。ラーメン屋台を引いて出てくる登場シーンのかぶく感じもよくて、なぜか「寿唄」思い出しちゃうのは劇場のせいか。妻を演じた南果歩はハイヒールで高いところに登ったりとはらはらしてしまうけれど、美しく声の魅力も再確認。
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コメント
こんばんは。
テアトル・ド・「アナール」と表記なさるのが宜しいと存じます。
投稿: 言いにくいことですが | 2014.11.25 23:10
ああ、ご指摘ありがとうございます。音引き記号入れたつもりだったんですが。修正しました。
投稿: かわひ_ | 2014.11.27 00:42