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2014.11.28

【芝居】「男子校にはいじめが少ない?」趣向

2014.11.23 19:30 [CoRich]

4月の短縮版上演(30分) からパワーアップしたリーディング上演。女子高生たちに対するワークショップも設定されています。おかげで破格の1000円が嬉しい。75分。 24日まで神奈川県青少年センター。

4月の上演では6人で10役だったものを、10人で。役は固定されるようになり、わかりやすくなった印象。曲もかなり増えた印象で、ミュージカルの様相すら感じさせるようになりました。全員がほぼ固定された椅子に着席し客席側をいて座り、台詞のたびに立って発話するというのは、リーディングというよりは卒業式か何かを見てるような感じがするけれど、女子高生のワークショップを行う側面を持つ本公演においては、自由度をあえて制限しているということかとも思いますが、結果的には観客である私にとってもわかりやすく、それぞれの人物の造型が表情とともにくっきりとみえてくるようで嬉しい効果もあるのです。

男子校の中のホモソーシャル感だけにとどまらず、まだ何にでもなれる万能感と同時に自分は何になれるんだろうという不安。 あるいはまだ触れえぬ女の子との悶々を想像する日々のつぼみの日々、という男子高校生の雰囲気。それは弾けるような若さのピークで万能感しかない存在のアイコンとして描かれることの多い女子高生とは全く別の、ただただ冴えない存在として描かれる男子高校生たちの姿は、男子校じゃなかったアタシではあるけれど、なんか共感してしまうのです。

リーディング上演が続くと次の期待はこれが普通の芝居として演出されたらどうなるのだろう、ということなのだけれど、どうだろう。今のところミュージカルが不得意なアタシにもそれほど違和感はないのだけれど。 もうひとつ。女優だけでこういう話をするという枠組みはそもそも勝ち筋だとおもうのだけれど、当の男子高校生たちに(石鹸玉以外の役を)やらせたらどうだろう、と思ったりもします。それをアタシが観たいか、といわれるとわからないけれど、この物語がそういう強度をもっているかどうか、ということは少しばかり興味があります。

自転車を演じた大川翔子は羽化する前とでもいうようなイノセントな、しかし未来がたっぷりある子供な雰囲気がたっぷりで観ていて笑顔になってしまいます。石鹸玉を演じた原田優理子、序盤での中学の延長の仲良い感じと終盤で一歩も二歩も先に大人になったギャップ。とりわけ二人が向き合う場面がそれを象徴的に。自殺願望な竹蜻蛉を演じた本間玲音はもうほんとに格好良く。コミカルでナード(とはちょっと違うか)を担う虫眼鏡を演じた中谷弥生の木訥な造型が可愛らしい。野次馬を演じた三澤さきはあれだけのロングヘアー、あからさまに女性だけれどヤンキーな造型が功奏して違和感がないのがすごい。宇宙人を演じた清水那保は不気味さの圧力という意味では正直弱さはあるのだけれど、それゆえにスクールカーストの中でちょっと浮いた感じという雰囲気に説得力もあるのです。

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【芝居】「とけない鎖」劇26.25団

2014.11.22 14:00 [CoRich]

23日までOFF OFFシアター。115分。

タレントを目指して上京したが芽が出ず、小説が注目された女の新作は自らの中学時代の話だった。看護師をしていた母は、男運が悪いという同僚の女、祖母、教師をしている弟、夫とともに暮らしている。母親はやけに金回りがよく、祖母や弟たちはそれにたかるように暮らしている。妹の付き添いでタレント事務所の目に留まった女は実家を離れたい一心で上京したのだ。

特に言及されてはいないものの、福岡の看護士による保険金殺人事件がモチーフのようです。四人だった看護士を二人に絞り込み同居させ、現実の出来事の外側に、その娘による小説がスキャンダルとなり世間から糾弾されるという枠組みを作って物語を構成しています。

金がかかるといいながら、実際のところ金に対する強い終着を持つ母親。男に恵まれず夫を殺して貰うことで安全を手に入れ同性愛の関係を持っている同僚。出所の怪しい金だとわかっていても金ゆえに離れられない祖母。娘が家を出られたのは若さ故の潔癖。現実の事件と作家による創作が入り交じり、金に執着する主犯のまわりに居る家族の存在を置くことで現実の事件とは異なる雰囲気を加えています。

金に執着した中年のオバさん、という風情の母親を演じたリサリーサがともかく圧巻。執着することの醜さ、派手であまり趣味の良くないワンピースの裾を託しあげ自転車に乗る姿を、パンツが見えるかのイキオイで見せることで、オバさん感がめいっぱいで凄みすらみせるのです。

現実の出来事の方は同性愛、殺人と週刊誌が喜びそうなネタが満載。正直にいえば、物語の中でみると、同性愛ということが少々唐突に現れ、生かし切れていない惜しさがあります。どちらかというと、この異様な状態のまま見て見ぬ振りをしていた家族の描写に力点があるように感じます。

胃に大量のアルコールを流し込むために使われたチューブを暖簾のように舞台奥に配しているのも独特の雰囲気を醸し出します。ぶら下がり健康器を置いてるのもどこか不気味な雰囲気。

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2014.11.27

【芝居】「別れても好きな人 2014」競泳水着

2014.11.16 19:00 [CoRich]

2004年初演(未見)、2007年再演 作品の三演。 16日まで、こまばアゴラ劇場。そのあと大阪。

妻が置き手紙をして出て行った男のところに、婚約を考え直したいとって妹が転がり込んでくる。

10年を隔てた過去・現在・未来を描く物語は10年を経てシフトし、ついに未来の舞台では宇宙へ旅客機が飛ぶ時代になったりはしているけれど、もっと時代の変化を如実に表しているのは、電話の変遷でしょう。固定電話・公衆電話・ガラケーが混在している2004年、みながスマホを持つ2014年、耳に指を当てるだけで通話が実現している2024年。とりわけ2004年は細やかに描写されていて、一人暮らしで固定電話を持つのは離れた恋人のため。もっとも恋人に公衆電話で、というのは初演時の設定に近いような気はしますが、私の世代にはちょっと懐かしい感じではあります。

緻密なサスペンス路線と恋愛モノ路線の二つのバリエーションが併存していた時期で、それが大きく今の恋愛モノ中心に移ったきっかけかなと思うのですが、なるほど、多くの人物が隙なくリンクしまくっていて、そういう緻密さはサスペンス路線の名残を見せているなぁ、と振り返って思うのです。

10年前にはおそらくなかったのは、父親に親しい女性という役だと思うのですが、作家自身が重ねた年齢の先に若い女性からの尊敬が意識されるようになっているのか、あるいは父親というものの存在を強く感じるようになっているのか、なんてことを考えるのも、観続けていることの役得かもしれません。

大事なモノを冷蔵庫に入れておく、というワンポイントも初演そのままだけれど素敵。恋人に電話するための10円玉を貯金箱に入れ冷蔵庫にしまっておくことで女を大事にすることがきちんと見えてくるの素敵なのです。

夫を演じた村上誠基、女性に翻弄される感じは残しつつも、積極的にコミカルに振る舞うことなく、繊細なキャラクタをフラットに造型して新しい魅力。男性アナウンサーを演じた武子太郎も、父を亡くすという役柄に滲むある種の格好良さが魅力的。女優はいずれも魅力的でしかも美しいのですが、逆に全部が美人すぎてラインナップとして平板になっちゃうのは痛し痒し。どこか親しみやすい後輩ナースを演じた篠原彩が可愛らしい。いとこを演じた福永朱梨はイノセントな魅力。元教え子・ニュースキャスターになるユキを演じた亀田梨紗の変化も楽しい。

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【芝居】「3 youths on the sand」無隣館

2014.11.21 19:00 [CoRich]

砂を敷き詰めた舞台で三つの物語。 青年団が団員募集を止め、演劇学校という位置づけではじめた無隣館の作家・演出家による若手自主公演。120分。 22日まで春風舎。

高校の頃手痛く振られた男が開くクリニックに、振った女が患者としてやってくる。男はあの頃の記憶が溢れ落ち着かないが、女はまったく気付くそぶりがない。「隣人の顔」 (作演・堀川炎)
不眠に悩まされる女は薬も効かず長い夜をつぶすため、毎晩違う男たちとのセックスを繰り返している。そんな女にかつての女友達が声をかけ、仕事もやめ、男たちと寝ることで生活できるようにしていこうという「不眠普及」(作・綾門優季、演出・蜂巣もも)
ネットニュース会社の入社試験三次。女性宅に忍び込んだストーカー男が女を殺した事件をロールプレイし、独自の視点の意見を述べるというものだった。(作演・下田彦太)

「隣人〜」は、表向きは男だけが破れた初恋を忘れられず、しかも女が好きだったのは自分の弟だったという新事実を今さら知ってしまう追い打ち。もっともその弟のことすらももう女は忘れていて、大事にしていた弟にまつわる小箱をみせても思い出さない現実。隣人、つまり隣の席だったけれどそんなもの。それはひとつひとつのさまざまが砂に埋もれそしてそれ自体が砂になっていくように、記憶が薄れていくということを現実の砂で見せる面白さ。

「不眠〜」は伝染病というか性病と化した不眠の病を女にビッチよろしく感染させていくことで宗教のように人々を巻き込んでいこうという企みに組み込まれていく様子を。タイトルがダジャレじゃないか、というとはともかく物語のとっぴさもさることながら、坂倉奈津子の高いテンションの語り口を楽しむということかもしれません。もっとも、布団に寝る、というだけで微妙にパンツ見えそうな感じなのがやけにエロい。アタシは中学生か。

「Closet」はストーカー殺人、リベンジポルノという事件を語るうちに一人の男が隠している過去が炙り出されてくるという筋だて。リベンジポルノもイジメにまつわる加害少年の罪も、ある種ネットの暴力という共通点という幹というか作家の問題意識かと読み取りました。男性ふたりの格闘技のようなあれこれは面白いとも思うのだけれど、たとえば「朝日のような〜」の二人のやりとりを見てしまった今年としては少々物足りない気がしちゃうのは、まあワタシの事情です。

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2014.11.21

【芝居】「そのときのはなし」おちないリンゴ

2014.11.16 14:00 [CoRich]

劇作家女子会の4人の作家の作品を上演。16日まで楽園。130分。

妹が連れてきた恋人に兄は妹の良くないところばかり伝えてしまう。互いの真似をしているうち「アップルパイな人々」 作/黒川陽子
会社勤めの傍ら小説を書いている女。恋人とは8年つきあって同居するようになっているが、経済的にも男の雰囲気も結婚するという感じではない。大学の女友達はあんなに奔放だったのにちゃっかり医者と結婚しようとしているし、弁護士を目指していて憧れの同僚もこっちは向いてくれないし、小説だってものになってない。「女2」 作/坂本鈴
エロゲのシナリオライターの女。結婚していて夫は優しくて何も不満が起こらないのが不安で仕方がない。そんな女の描いたエロゲシナリオは館の主人が毎年若い女を花嫁候補として呼びながらみな殺してしまうというものだったが、愛情を感じさせるエンディングを求められて困惑する「POSHLOST」 作/モスクワカヌ
食器を荷造りすること夫婦。夫の香水に気付き訊ねるとエタニティだという。それはやぎさん郵便だね、と妻は云う。「やぎさんと永遠」 作/オノマリコ

劇作家女子会、と名乗る四人の作家。演出はリーダーだという坂本鈴一人で行っています。恋人の紹介、未婚の状態、結婚して不安、離婚間近という時間軸を想定した構成というわけではないと思いますが、結果的にそういう並びになっています。うっすらつながる同じ女性の話、というわけでもありませんが、一つの仮想的な時間軸に沿って並べる、というだけでもオムニバスの効果はあります。

「アップルパイ〜」は恋人を兄に紹介する妹のミニマムな三人の会話。最初はなかばふざけて口調を真似しているうちに、人物が入れ替わる、というワンアイディアで15分ほど。 それにとどまらず、一人の人物を3人の役者が同時に演じることで内面での対話のようにみえたり、めまぐるしく入れ替わる面白さは最初の着想に満足せずに、その方向を突き詰めてできることを目一杯に詰め込んだ一転突破が気持ちよく。

「女2」は結婚してもらえない、または結婚できる状態にない女の独り言というか夢想を並べた物語、となればワリとワタシの好物な芝居。正直にいえば、この繊細さで押すならば、オムニバスという公演形態の中では少々長すぎる印象が勝ります。行きつ戻りつ、逡巡のせいか、登場人物が多いかわからないけれど、もうすこし絞り込んだものにするか、この一本で勝負するか。 結婚できないのは私はわるくないし、半分趣味のように書いている小説でだれかに誉められもしたいし、誰にでもできるような仕事で雇ってもらえてるのは幸運だけど辞められるなら辞めてもっと何かを認めて貰いたい気持ち。それは仕事かもしれないし、小説かもしれないし、あるいは彼に求婚されてしかも幸せが約束されるということかもしれない。わかりやすくいえば承認欲求の固まり、ということなんだけれど、まあ、この歳のになったアタシだってそう変わるわけでもなく、そういう意味では恥ずかしながら身に沁みてしまったりもするのです。

「POSHLOST」は、もう少しめんどくさい女の話。エロゲが題材だから、ではないと思いますが、サブカル臭全開な作風はちょっと面白い。 誰から見ても幸せな結婚生活のはずなのに、それが続くわけはないと思う女。それは有り余る幸せに自己評価が低いというわけではなくて、ドラマチックな落差を覚悟しちゃうような、期待しちゃうような気持ち、かと思いました。 心の中にもう一人誰かが居る、という一点を共有することで急速にわかりあえる終幕はちょっといい。 正直にいえば、現実の夫婦の話、シナリオとして書いたRPGの話に加えてオープニングタイトル的なものまで詰め込んだ結果、少々長くなりすぎだったり、二重の構造の両方の物語を対等のバランスで描くほどには十分な効果が感じられないのは勿体ない感じ。

「やぎさん〜」はごく短い一本。永遠、という名前の香水を物語の発端に、やぎさん郵便のエンドレス感との類似を感じるといい、でもそれには始まりも終わりもあるのだ、ということをプロットしていきます。二人は食器を荷造りしているけれど、明確にこの二人がどうなっていくのかを台詞で描いたりしないのが巧くて、永遠はありはしない、永遠があるかないかではなくて、そう見えるか見えないか、という台詞など、落ち着いた二人の端々に垣間見える、別れの雰囲気からああ、これは離婚する二人なのだよなぁとおもう語りすぎない魅力。

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【芝居】「トーキョー・スラム・エンジェルス」Théâtre des Annales(テアトル・ド・アナール)

2014.11.15 18:00 [CoRich]

谷賢一がさまざまな話題を徹底的に調べ上げて物語を作り上げる劇団とは別のユニット。 24日まで青山円形劇場。135分。

オリンピックが終わってしばらくした東京。人々の経済格差は拡大を続けている。ラーメン屋を営んでいる男の店があった周辺はスラム化しており、店を失った男は東京最後のラーメン屋台と嘯きながら商売を続けている。妻は証券会社に勤めているが大規模なリストラをくぐり抜け、仕事に邁進している。息子は妻と暮らしているが、抜け出して父親の仕事を手伝ったりしている。
政府に抗議するデモは激化しており、テロを予告する流言も頻繁になっている。ラーメンの値段はとても利益が出せる状態ではないが、男は変化を拒みそのままの値段で続けている。

経済的には破綻してしまい、経済格差がはるかに拡大しているという設定は、そんなに未来のことではなくてごく身近に起こりつつあるのだ、ということを十分に実感させる昨今。社会もそうだし、個人的なアタシを含めた周辺だって。 今作は「資本主義経済」を幹に据え、片や経済に邁進し、モノサシは金なのだという妻、片やラーメンの味こそがモノサシであり変化を拒み商売を続ける夫、という対比で経済を描きます。

経済をきっちり描く、ということで前半、少々唐突に証券会社の一人が少々多くの時間を割いて語る「牛乳瓶のフタの経済学」の例は、時代を考えるとあの若い男の子供の自分に牛乳瓶で給食だったのかと細かいことが気になったりもします。それもそのはずで、書籍「経済ってそういうことだったのか会議」で書かれていた話がベースなのでちょっと古めかしい喩え。 もっとも、貨幣と信用、ということを語っていた書籍から一歩進めて、価値の暴落直前にゲーム機という現実のモノに変えておくことで売り抜ける、というところまで描くのが、証券会社の彼ららしい感じを造型していて面白いし、先生に言いつけたりしないで自由な取引であるべきだ云わせたりするのもいかにもな人々をつくりあげます。

夫婦や経済の物語の外側に噺家を模した語り部を置く作家の真意は今一つわかりません。箱庭の中で起きている出来事のようで、せっかく私たちに地続きな物語になっているものを、わざわざ距離をとって見せているような印象があります。

妻も息子も商売を続けるなら値上げすべきだと説得するのに耳を貸さず、少ない儲けのままラーメンを売り続ける男の姿は、何かの使命感というわけではなく、単に変化を拒んでいる姿。状況が悪くなっているのに、もう一歩先に踏み出すことすらいやがるのはまるで「ゆで蛙」だけれど、どこか私自身の今の状況や気分にとてもあてはまってしまってやや気持ちが落ち込んだりもします。

金は何かを評価するモノサシである、とはいいながらも、経済的な志向が全く異なる夫となぜ結婚したかと問われ、そこは金だけじゃない、という「一瞬の隙」にも似た一言がなにかとても暖かい感じ。こんな殺伐とした状態になってしまう前でも経済的には違いがあったに違いないけれど、それでも二人には幸福な時間があったのだ、ということをこの一言にぎゅっと集約するロマンチックも素敵なのです。

夫を演じた山本亨が頑固で情けなくて、ちゃんと生きている男をほんとうに魅力的に。ラーメン屋台を引いて出てくる登場シーンのかぶく感じもよくて、なぜか「寿唄」思い出しちゃうのは劇場のせいか。妻を演じた南果歩はハイヒールで高いところに登ったりとはらはらしてしまうけれど、美しく声の魅力も再確認。

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【芝居】「気がつけば、みんな、尾崎」ローカルトークス

2014.11.15 15:00 [CoRich]

6日までシアターミラクル。115分。

40歳になった男。会社では追い出し部屋に飛ばされ研修と称した嫌がらせを受け、セックスレスの妻とは別居状態で離婚を切り出されている。男には尾崎豊と名乗る17歳の自分の姿が見えている。

40歳にもなって何者にもなれなかった男の鬱々とした気持ちと、ままならない妻への想い。それを後押しするのは、心酔していた尾崎豊だけれど、それが実体化して見えるというシンプルな枠組みに、デフォルメした人々でこれでもかと笑いを詰め込んでいて、気楽な喜劇にみせつつ、中年男の悲哀を描き出します。

まあ、ワタシから見ればあれだけ美しい妻を娶ったのだから人生勝ったも同然だろうと思ったりもするけれど、そういうことではなくて、子供に恵まれないことによる夫婦のぎくしゃく、まして追い出し部屋に放り込まれての先の見えなさなど、なやむことはてんこ盛りなのだなと思うのです。

追い出し部屋の他の面々は元営業トップのひねくれた性格だったり、元柔道部の体力バカのAV好き、諦めて社畜で居続けるなど相当な顔ぶれ。それに比べて主人公の男はあまりにまともで、何か隠れた理由があってここに入れられたのかそれとも偶然の理不尽でこうなったのかもやもやしたまま見てしまったせいで、ちょっと落ち着かない感じ。 あるいはセンター長の理不尽な嫌がらせに対しても、主人公が不満をあまり持ってないように思えてセンター長を殴ってしまうのも幻に見えている尾崎をどうにかしようとして、というのはよく考えると違和感を感じなくはないのですが、まあ、そうか、妻への深すぎる愛情の前には些細なこと、ということなのかもしれません。そういう些細なところが気になったりはするのだけれど、馬鹿馬鹿しくパワフルで、コミカルなのに物語の味わいが魅力なのです。

馬鹿馬鹿しいおかしさは、タイトルにもある「全員尾崎」のシーン。登場人物全員がそれぞれ間違った尾崎像になって現れるというシュールな図になるのもおかしく、強い印象をトラウマのように残します。

主役の40男を演じた服部ひろとしは深みのある役を好演。行き止まり感あれど、心の奥底には燃え続けていた気持ちがある男の魅力。妻を演じた秋澤弥里、若くて美人なのにテンションという魅力の役者でしたが、年齢を重ねても魅力がそのままに深みをプラス。オザキだか若いころの男だかを演じた武藤心平はかっこつけてもどこか抜けた感じが、完璧ではない人間の等身大な感じを描きます。研修センター長を演じた板垣雄亮はたんなるイヤミかと思えば、終盤でみせるのは彼もまた会社のヒエラルキーの中での敗者である、というコントラストを丁寧に。バカップル二人、友松栄と加藤美佐江は、見た目の出オチかとおもえばさにあらず、台詞無しの所作だけでどかんと笑いをとるのです。とりわけ、加藤美佐江は少年・オザキも見事。

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2014.11.14

【芝居】「空想、甚だ濃いめのブルー」キ上の空論

2014.11.11 16:00  [CoRich]

旗揚げ一周年を記念して、過去二作品の再演を交互に行う企画公演。こちらは旗揚げ作ですが、私は未見です。95分。19日まで新宿眼科画廊スペースO。

役者たちのインプロ・シアターゲームの体裁で勧められる物語。時々演出家らしい男が止め説明したり方向修正を行ったりする。
大きな一本の木の下で出会った女子二人。一人は絵を描いていて、一人は東京からの転校生で。やがて二人は親友になるが、クラスが別れ、別の高校に進むと会うことも少なくなった。転校生の方は両親の別居に伴いこの土地を離れたがかつての親友には何も云わず、東京で働くようになる。絵を描いていた女は初恋の男の子とは別れ、別の男とバンドを見に行ってすぐに恋におちて、やがて身ごもる。男もプロポーズするが、すぐに事故で死んでしまう、という話を演出家は止め、男は実は結婚していてという設定に変えさせる。女はシングルマザーとなることを決める。

物語としては、女子二人の友情の物語、という感じ。親友だけれど別の道、でも片方のピンチにはもう一人が駆けつけて二人で生きていく、という小劇場ではななかなかないようなスタイルの物語を爽やかに描きます。

インプロ、という説明がされますが、ネットで見かける初演の感想をざっと見た感じでは、おそらくはほぼまったく同じ物語であり、多くの方が指摘しているとおり、上演にあたってはきっちり台本が書き込まれているものと思います。実際、311のタイミングや暗転など、ほんとうに即興なら成立しないだろうシーンも散見されます。

ドラマとしてそう強い力を持っているとは云えない物語の外側にもう一つ、インプロという枠を作ったのはなぜだろうと思うのです。本当に(初演の)役者たちによってエチュード的に作られたのかもしれないし、内側の物語を相対化して見せようという意図かもしれませんが、正直にいえばそれがあまり効果を生んでいるとは思えません。台本があるのだとすれば、観客をある種ブラフにかけているわけで、そんな危険をおかしてまで作家が描きたかったのは何だろうと思うのです。

終盤、311によって二人の女性がいちどは離ればなれになり再会するというシーンがあって、そこにやや唐突に挟み込まれた「岩手・高田松原の奇跡の一本松」の話。洪水の中、松原の一本だけが残ったというあれですが、多く報じられているとおり、初演時点でも、結局はレプリカのように構造物に変え、モニュメントとして保存されていたこれをわざわざ持ち出したのはなぜだろうと思うのです。最初はインプロだったけど、それを取り出し、レプリカのように作り上げたのがこの一本、という相似形なのか、というのはまあ深読みがすぎるでしょうか。

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【芝居】「The Wonderful World ~サヨナラ愛しき世界~」ネオゼネレイター・プロジェクト

2014.11.9 14:00 [CoRich]

11日まで小劇場B1。130分。

大きな災害と事故に見舞われ、さらに化け物が跋扈するようになり、人類は危機を迎えていた。ラジオから聞こえた「人類最後の希望」を目指して、あちこちから決死の想いで廃墟と化したビルに集まる女たちは、果たしてその機械の前にたどり着いた。
機械の前にはケーブルで繋がれ紙袋を頭にかぶせられた男が居るが動く気配が無い。何人かが武器を取りに行ったあいだに、突然大音響が鳴り響き、機械に繋がれていた男が白衣を着て現れ、その父親だという男も姿を見せる。父親が発明し息子が実用化したこの機械は、人の記憶に眠る恐怖を取り出し実体化する機械なのだという。現にこの父を名乗る男も、息子の記憶が実体化したものだという。

SFを読む人々は減っている、といわれながらの25周年、B級SFテイストをたっぷりに。滅びかけている世界、たった一つの希望の地、跋扈する怪物たち、恐怖や記憶を実体化するという機械。それによって実体化した亡くなったはずの父親。あるいは子供をクリーンルームのよろしく隔離し研究に専念させるが、この世の中がどうなるかなんてのは知ったことじゃない、という感じ。宇宙大作戦風の物語を、サイバーパンク的なテイストで描いているのは、さすがにSF好きな作家の一本に。なんせセットがカッコよくて、汚しもいいし、ドアがそれっぽく開くのもいい。

ヘルプボタンを押すと、同名の曲が流れる、ってのがなんかやたらに好きなアタシです。本編ではちゃんとヘルプというか、解説してくれるオジサン(つまり父親だけれど)が現れるけれど、この曲だけで終わっても凄く楽しいなと思ってしまいます。

もっとも、物語に対して少々人数が多すぎないかとか、どこか緩さをそのままにしてしまっているようなところがあるのは惜しいといえば惜しい。緩いならもっと緩くてもいいし、なまじハードSF的な設定や材料がそろっているだけに、きっちり決めたらそれはそれでキマると思うのですが、どうだろう。

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2014.11.13

【芝居】「爆弾魔メグる」あたらしい数字

2014.11.8 19:00 [CoRich]

10日まで王子小劇場。95分。初見の劇団です。

高校生の時に女の目の前に現れたピエロは心の中にある風船が膨みつづける人生だと云う。好きだった男の子は別の女の子が好きだと相談してくるし、憧れているアイドルだって必ずしも勝てない。 友達はその兄が心療内科に通い仕事を辞めてしまったことを馬鹿にするが自分だってそうかもしれないと思う。女子大生になって舐められないように化粧をするが、まわりの女たちの合コン、男、金にまつわるうるさい会話が耳に入ってくるし、遊園地で彼氏となった同級生と乗ったゴンドラの盛り上がりも、他のゴンドラで同じことが起きていると考えると幸せな気分も独占できなくて嫌だ。アルバイトから帰宅した女を迎える彼氏は結婚するかしないかも全く考えていない、というし。

女の、というか人の心の中に芽生えるひっかかかる気持ち、それはどんどん大きくなる。友達との会話で感じる違和感を吐き出せないことだったり、好きだった男の子に告白されない気持ちだったり、憧れたアイドルが総選挙に破れAVに出演するような負け方(じつはここの記憶が曖昧で、彼女が好きだったアイドルは劇中に登場する三人のアイドルの誰だったかがわからないのですが、こう考えるとすっきりするのでこう書いてみます)だったり、心療内科の患者にもなれない自分だし、彼氏との幸せが独占できないことだったり。一人の女性を中心に置いてさまざまに点描していきます。物語として大きなうねりを生むよりは、黒い風船をシンボルに使いながらスケッチとして会話を描く、という体裁。舞台上方に場面のタイトルやつぶやきのようなものが映されたりするけれど、アタシの席では舞台を見てるとついつい見逃しがちで、ちょっと位置が高すぎるような気はします。

が、それぞれの点描で描かれる小さな会話での台詞のキレ具合がすごくて、ずっと見ていられるたのしさがあります。とりわけ、女子大生の女子大生二人が先日の合コンの戦果報告する下世話で大騒ぎな会話の直後に二人で写メを撮るポーズで無口になり、その二人がスマホをいじってずっと黙ってる、という会話の落差のリアリティ。あるいは、バイト先の飲食店ででOLの先輩後輩が忙しすぎる会社の愚痴をこぼしていたり、なんてシーンもいい。 また、同級生の男に呼び出されて告白する流れだろこれというのに、男は別の女の子が好きで相談しやすいから相談してくるなんていう流れでの、「がっかり」という音が聞こえてくるような空気感も濃密です。 ほとんどのシーンは音楽を使わず、静かな会話でこの濃密さをずっと維持すると言う精度もたいしたもの。

女優たちを見ているだけで脳みそが喜んでしまうのはアタシがオヤジだからですが、細やかな物語をたしかに演じるちからも併せ持ちます。 黒い気持ちを抱える女を演じた木村みちる、序盤のスッピン風女子高生から、化粧を経て女子大生に至るシーンの静かな変化に大人の女性への変化をこの短い時間で見せていて奥行きがあります。ちょっと面倒くさい風だけれど、その僅かな気持ちの振れ幅を繊細に描くちから。 男子に告白される同級生、あるいは総選挙投票で一位になるアイドルや先輩OL、心療内科の職員を演じた田中渚はシュッとした美人なのにあかるく人なつっこい雰囲気が「告白される」「一位になる」ことへの説得力。 二位となったアイドル、兄を馬鹿にする同級生、アルバイト先の先輩を演じた服部容子は美しく、すこし近寄りがたいような距離感の造型が魅力。 選ばれなかったアイドルや後輩OLを演じた西山愛は柔らかな雰囲気を纏ってまた別の魅力。

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【芝居】「幻の女(ひと)~台所の漱石・鏡子夫妻~」菅間馬鈴薯堂

2014.11.8 15:00 [CoRich]

10日まで上野ストアハウス。90分。いつものとおり、戯曲が劇団サイトで無料公開されていて、心意気が素敵です。

夏目漱石の家。妻のほか、子供たち、下女たち。癇癪持ちの漱石は植木職人や子供、妻に誰彼かまわず当たり散らす日常。祭りが近く、女たち、近所の男衆も集まって、踊りの先生を呼んで稽古をしていたりする。 住み込みの下女は出入りの薬売りと一緒に、付け火の犯人を捕まえようと見回りをするうち、近衛騎兵連隊に狐火が吸い込まれたのを見ると、火の手が上がり、軍馬を放ち町は混乱に陥る。
漱石の記念館を訪れた若い女はかつて祖母が漱石の家に出入りしていた、という。

夏目漱石と妻の物語を軸に、戸山が原の近衛騎兵連隊の火事と漱石が博士号を受ける受けないの話を交え、創作の人物も入れてその場所の人々を描きます。漱石の家、という舞台は固定しつつも、さまざまな断片をまぜあわせ、三つの時代を行き来し、夫婦喧嘩や時に手妻(手品)、占い師を送る男との夜道など、断片で作られたものを並べて見せます。それぞれの物語のつながりは薄く、あったかもしれない風景をさまざまに見せることで、結果的には時代の空気を感じる仕上がりに。

癇癪持ちで女を見下げている漱石に耐えてはきたけどいよいよ堪忍袋の限界が見えてきた妻、台所を舞台にした大立ち回り、という場面が圧巻の役者芝居。強い印象を残します。妻を演じた稲川実代子の迫力も、漱石を演じた小田豊のいけ好かない癇癪持ちと甘味に弱い落差も楽しい。 袴姿で刀を差し、夜回りに出かける下女を演じた黒岩三佳もきりりと格好よくてすてき。踊りの師匠を演じた鬼束桃子の踊りの美しさ、踊りのシーンというものが決して好きじゃないアタシだけれど、ここのはなぜか違和感なく見られるのが不思議。 二役で現代のちょっと浮いてる感じのイマドキな来館者も可愛らしい。占い師を演じた持田加奈子の怪しい造型、薬売りを演じた村田の不器用さ、ほのかに見える恋心から勇気を振り絞ったのにあっさりうっちゃられるのも哀しく、楽しい。

正直にいえば、断片で語られる物語が何かを云っているか、ということはよくわからないのです。役者も必ずしも器用な役者ばかりではありません。それでも、確実にその時代を舞台に作り上げる確かな力がきちんと隅々まで行き届くのが心地よく、

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2014.11.09

【芝居】「あの部屋が燃えろ」MCR

2014.11.3 19:30 [CoRich]

時々ほんの少し先の未来が見える男には恋人が居るが、どうしてもセックスをすることができない。 部屋の隣にはシナリオライターだけれど仕事が巧くいかない友達が住んでいるが、その彼女は自分の 元カノだ。 二人に憬れる友人、シンガーソングライターを名乗りながらまだ曲を作ってない女、ヤクザ、大家の娘、なぜか三人の漫画家がよく出入りしている。

少し先が見える男と、自分の行く先が見えないまま悶々とする男を軸に物語が進みます。特に後者はどこか作家の姿が重なるような雰囲気の造型。元々劇団立ち上げたりはしたけれど、今となってはクリエーターの道を進んでいるのは自分だけ、友人達は応援してくれるけれど仕事は悉く巧くいかない。そういう意味では未来が見える男だってセックスができないし、その彼女だってセフレにすらなれてないし、自称シンガーソングライターは曲が出来たことがないし、人なつっこいヤクザだって何かを成し遂げてる感じじゃない。大家の娘に至ってはこじらせてAV好きになってる処女、とそれぞれに達成してないばらばらな何かを抱えたままこの部屋に集っているのです。それは若い頃の特権という感じでもあります。

その中でただひとり、ガンで死ぬことになるシナリオライターの彼女だけが特異点のように異質な存在。もう先がないのだという諦観を根底に持ちつつ、今のここがとても良くて、いまは鬱々としているシナリオライターの彼氏の成功の先に自分自身が一緒に居られないことを自覚してこの風景を見ているのです。この部屋の主の男が葬式の後に見たのは、彼女が自分の彼女で居たときの風景か。

小劇場「B1」は、「楽園」あるいはかつてのジアンジアンと同じように、舞台の二辺に面して客席が設定されるという空間です。アタシが座ったのは上手側端の席、玄関があるからそこで見る近さが嬉しいかなと思って座ったのだけれど、正直に云えばこれは失敗でした。ほとんどの芝居が下手側の客席(つまり音響・照明卓のある側)に向かって行われていて、表情や細かい芝居が見えないばかりか、惑星直列よろしく役者がアタシの視線上に一直線に並ぶシーンも多くて、不満がたまります。作家がtwitterで上げている舞台写真 の方向からならいい舞台だということが今だって蘇るのだけれど、自分の見ていた視界からは何も残っていないのです。台所での芝居が皆無ということは死んでいる空間になってしまっていると思うのです。せめてここで芝居してくれたらなぁと思うのです。

役者たちは本当に魅力的。部屋の主を演じた澤唯は滅多にない主役。隣の男を演じた小野ゆたかは時折キチガイのようだし、いらいらもしてる、始終テンションの高い役をキッチリなちから。二人に憬れる友人を演じた堀靖明は二人の前でだけお洒落さんという造型が可愛らしい。大家の娘で処女を拗らせた女を演じた伊達香苗のキチガイっぷりな台詞をにこやかに。ガンで死ぬ女を演じた後藤飛鳥もまた、可愛らしい。

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2014.11.07

【芝居】「柚木朋子の結婚」(11月)studio salt

2014.11.3 17:00 [CoRich]

10月版と同じ物語で、女優をすべて入れ替えたキャストで上演。土日祝のみの上演で16日までイシワタリ。夜公演では終演後、観客なら誰でも参加可能な懇親会というか呑み会が開催されています(飲み物はキャッシュオンデリバリーで)。

物語も台詞もそう大きく変わっているわけではありません。が、受ける印象はずいぶん異なります。10月版では頑張って妹を育てて生活してきたら無垢のままこの歳になってしまった、という姉の可愛らしさ、それゆえにこの男とほんとに結婚していいと思っていたけれど電話をきっかけに気持ちが変わりというコントラストで見せる印象でした。

対して11月版では、結婚をするという男との関係がずいぶん異なって見えます。どこか上から目線というか、最初から対等な結婚相手としては見ていなくて、噛んでは含めるように対話している関係。どうしてこういう関係に至ったのか、という背景が見えづらくなったのは惜しい。姉が何を考えて行動しているのかも見えづらいと感じて見ていたけれど、なるほど、彼女自身も何かのきっかけで知り合い、何かのきっかけで結婚することになったけれど、自分の気持ちをずっと整理できないまま、でも弟や妹たちのようになれないまま母親もこうなってしまって介護を背負うことになった自分を家族たちに対して対決姿勢で臨むために、この男を虚勢を張ってまもっていた、という造型だと感じましたがどうだろう。

姉を演じた佐々木なふみは、10月の設定に対して4歳下げた43歳の設定だけれど、現実の彼女自身はまだ子供を諦める年齢ではないはずだし、スタイルもよく、衣装も可愛らしくて、なにも彼でなくてもまだモテるだろう、と見えてしまうのが物語の設定に対して惜しいといえば惜しいけれど、ふわふわと可愛らしい場面、あるいは大人な場面のコントラストが素敵。キャストが若返ったという意味では母親を演じた内藤通子もずいぶん印象が異なりますが、娘との縁側のシーンとそれ以外の場面での表情のコントラストは見事。妹を演じた恩田和恵は天井をみつめるシーンでの針のむしろから解放される実家という場所、という描写が強い印象を残します。

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【芝居】「流れんな」iaku

2014.11.1 19:00 [CoRich]

たった5人で見応えのある90分。12日まで三鷹市芸術文化センター。今のところ外れない、というのは高い確率です。 (1, 2) 物販にあるTUNNELは二本の戯曲とインタビューが嬉しい。

食堂を営む家。高校生の頃にトイレで座ったまま脳梗塞のいびきをかいていた母親を寝ていると勘違いして助けられなかったことがトラウマの娘は独身のまま40歳近くになっている。
タイラギという貝が有名な漁港の近く、大きな食品加工会社は行政と組んで地元を貝料理を目玉にしようともくろんだ矢先、貝毒で出荷停止となる。更に食堂を切り盛りしていた父親が肝硬変で入院してしまう。
娘と食品加工会社つとめの常連とともに町おこしに奔走していたが不倫の関係になり、その常連もあまり店には来なくなっている。近所の漁師は幼なじみで娘に恋をしているが、娘の側はまったくそんな気が起きない。
結婚して家を出ていた娘が夫とともに父親の見舞いに行き、さまざまなことを相談もなしに父親と姉だけで決めてしまうことをなじる。さらに父親もそう長くないので、自分はほとんど記憶にない母親のことを教えてほしいというがトラウマを持つ姉は話したくないし、父親を助ける生体肝移植も断っている。夫のつてで脳科学の応用で記憶の映像化をしようとする。妊娠している妹は夫に出生前診断を受けるように頼まれていて、夫は新生児に何かあるのではないかと考えているらしい。食品加工会社の常連はそれを聞いて会社が秘密にしていることを口にしてしまう。

たった五人の濃密な会話。セットを作り込んでいるとはいえ、タッパの高い星のホールを見事に埋めきっています。たった90分に、母を亡くしたトラウマと独身の姉と母をしらないまま結婚し子供ができて母を知りたくなった妹の確執を物語の軸に据え、狭いコミュニティの中で言い寄る男との思い出したくないこと、希望だったはずの仕事や恋がたたれること、あるいは企業の隠蔽、出生前診断、脳科学に至るまで社会につながるあれこれをぎゅうぎゅうに詰め込んだ上に、笑いの多い舞台という見事な奇跡を起こしています。果てはタイラギという貝の毒とかもありそうな、というのはまあ、wikipedia (1, 2) で調べられる(ワタシもそうだ)ぐらいのことなんですが。

狭いコミュニティ、幼い妹を育てあげたけれど結婚できなかった姉の事情と結婚し妊娠した妹の確執という意味では鎌倉で公演中のスタジオソルトの公演 (1 )に似てるモチーフです。もちろん視点はずいぶん異なっていて、中心となる姉が内面の気持ちに向き合う物語であるスタジオソルトに対して、 今作は姉妹のトラウマと内面と確執を核にしつつ、外の社会、さらには日本の今を巡るさまざまな問題につながる物語としてこの人々を描こうとしていると感じるのです。

盛りだくさんで扱ってる題材も正面切って考えれば深刻な話題が多いのですが、軽い会話劇として作り上げるのはこの作家の確かな力です。もちろん役者もそれにきっちり応えていて、とりわけ幼なじみの漁師を演じた緒方晋のほどよい軽さ、時々あさってにボケる感じが見る側にとっては実は屋台骨とリズムの両方を担っているように感じます。姉を演じた峯素子を遊気舎で拝見したのはblogを始める前のころですが、年齢をきっちり重ねて魅力的。少しばかりヒールな役回りである妹を演じた橋爪未萠里は真剣さが前に出る造型、表情がいい。夫を演じた酒井善史はナードな造型、時にボケるのが可愛らしく。スーツ姿の常連を演じた北村守もまた、真面目である造型、それゆえに勝手に気を回して要らんことまで喋ってしまうという役に説得力があります。

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2014.11.06

【芝居】「だいすき3つごちゃん。」なかないで、毒きのこちゃん

2014.11.1 17:00 [CoRich]

3日まで。南阿佐ヶ谷駅出口1で待ち合わせて。町中をおさんぽ、という触れ込みの公演で、各回3人限定。実質20分ですが、駅から上演開始場所までの往復があるので、全体では40分ほど。

男と待ち合わせる女。大切な話があるのに男は遅れてきて対して悪びれるでもない。怒った女はずんずんと歩き始めるが男は手を握り引き留めようとする。が、女はずんずんと歩く。

お散歩、という体裁でゆるい感じで住宅地をそぞろ歩き。お金持ちの家、とか無邪気な解説交えつつ、突然M0(開演直前のトラック)だといってiPhoneで音を鳴らしつつそぞろ歩き。大丈夫だろうか住宅地で、と思ってついていきます。南阿佐ヶ谷駅から数分の場所が上演開始場所で、工事中らしく白く高い壁で覆われています。(阿佐ヶ谷住宅跡地の再開発中なのだと云います。いまならストリートビューで工事前の様子が見えます)。ここで観客の三人は壁を背にして横一列に並んで手を繋ぐように指示され(嫌だったら手袋もある、という指示が面白い)、その片側に女優が並んで手を繋いで開演。俳優が遅れてきたというところから物語が始まります。

遅れてきて女が怒って、ずんずん歩き、走り。男が女の手をとってひきとめる、という芝居なのだけれど、今作ではその間に三人の観客が挟まっていて、ぐいぐい手を引っ張られ歩いたり走ったり。子供の頃なら、あるいはデートで手でもつなごいでぐいぐい、あるいは子供が居るならいざ知らず、なかなか最近では体験しない、手を繋いで走る体験。たった二人のいわば痴話喧嘩なんだけれど、それを間近で聞いている、彼らと同じ空間を移動し、時間を共有してというのは、いわゆる観客参加とは違って、あくまでも観客という立場のまま、このミニマムな会話を濃密に楽しむのです。終盤歩き廻るのは善福寺川に沿った緑地というか公演。手を繋いだ大人5人が大声で痴話喧嘩の応酬というのはそうとうにシュールですが、それも含めての楽しさなのかなと思います。

子供ができた、でも男はアルバイトだというのはよくある展開だけれど、実はお腹に居るのは三つ子らしくて、というのが観客を三人に絞った理由だとわかるとうならせられるのです。お腹を触った男は、観客三人の頭の上に手を軽く触れ、ああ、私たちはそのお腹の子供の視点で若き日の母親と父親の会話を聞いていたのだという構成が見事。とりわけ、終幕で背中を向けて遠くに歩いていく父親はすぐあとに交通事故で死んでしまうというのも物語としては見事で、父の最後の姿(あるいは声)を母と(三つ子の)四人で見送ったのだ、という記憶の共有のよう。

女を演じた背乃じゅん、拗ねたような表情の巧い役者ですが、役柄によくあっていてしかもおもいのほかずんずん進むチカラ強さ。男を演じた中田麦平は決して若い役者ではないはずなのですが、まだバンドという夢を追いかけている、真っ直ぐな男を好演。

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【芝居】「In The PLAYROOM」DART'S

2014.11.1 14:00 [CoRich]

2009年初演、翌年再演の人気公演 (1, 2) の三演め。 9日までシアターミラクル。115分。

渋谷の劇場から新宿区の劇場に移り、物語も「新宿区内限定の鬼ごっこ」に変化。例によって私は初演再演の記憶がないのだけれど、ラスト近くがかなりわかりやすく変化している、というのはアタシの友人の言葉。確かに、全てが作家の頭の中にある多重人格なのだということと、前半で作家が目の前の人々の隠していることまで全てお見通しという神懸かりな存在であることが明確につながって見えるようになった、という印象はあります。

客席に分散して座らせた役者たちが演じるのは小説の発売を心待ちにして物語を追うのを楽しみに待っている人々。客席に座らせることで、舞台で物語にふれる私たちという存在とだぶらせるようでちょっと巧い使い方。舞台に机をしつらえて囲んで座らせたあとは、ほとんど動かない役者なので、ここでの座り位置はせめて全員が反対側の位置に居てほしいと思ったりもします。初演再演もこうだった印象なのだけれど、ずっと同じ位置に座り続けているのは、確かに自然だけれど、それぞれの役者の顔はみたいなと思うので席替えのできるような何かがあるとちょっと嬉しい気がしますし、むしろ囲みにこだわらないやりかたもあるのではないかと思います。もっとも、囲み舞台にするゆえの濃密さも捨てがたいのですが。

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【芝居】「迷」山脈(やまなみ)

2014.10.26 12:00  [CoRich]

26日まで四柱神社。 れんげでごはんと交互上演。 舞台は共用しています。

子供の頃にずっと一緒だった6人。あれから時間が経って、高校生になっている。これからの進路に悩む、勉強はあまりできなかったり、進学校に進んだけれどこれでいいのか悩んだり。している。あの時の友達との再会は、ずいぶん様子も変わったけれど変わらないところもあって。

子供の頃の仲良し。同じ地元には居るけれどいつのまにかそれぞれの進む道が分かれてきた高校生の頃。お嬢様だったり、進学志向だったりと、この地元を積極的ではないにせよ離れて社会に出て行こうという人々と、良くも悪くも地元のつながりをそのまま継続していて、しかし未来を見いだせず、なんとなく地元に残るんだろうなという人々のコントラスト。後者はこのままずっと地元に居続けて生きていくといういわゆる、マイルドヤンキー層に足を踏み入れる高校生たち、という描き方。

国立大学の学生である彼らはマイルドヤンキーとは違う道を進んでいるとは思うけれど、年齢的に考えてもそういう彼らが存在していることを肌感覚としてわかっているのだろうと思います。もっとも、ことさらにそれを問題として取り上げるというよりは、そういう人々の存在を前提に置いて、幸せな生き方って何だろうと考えもう一歩踏みだそう、というメッセージは社会人になる前の学生の彼らだからこそ、力強さを持つのです。

物語の体裁としては、その仲良したちが再び集まり、一歩踏み出す原動力にする、ということなのだけれど、別々の生活をしていた彼らを集めた一人の存在が物語の特異点になっています。どこまでも優しい視線で全員に接し、見守っている立場、となればきっともうこの世のものではないのだろうと思いこんじゃうのはアタシの悪い癖。明確にこの世のモノではない、ということが語られたりはしないのだけれど、彼自身の苦悩というか悩みがほとんど語られないところをみると、全員からは見えているけれど、もう先の人生を考える立場ではない、という風に読んじゃうのは深読みがすぎるかしら。ちょっと不思議な存在として描かれているのに、必ずしも生かし切ってない感じがするのは勿体ない気もします。

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2014.11.05

【芝居】「鼓劇・身毒丸」レトロチック演劇倶楽部バンビちゃん`s

2014.10.26 10:00 [CoRich]

26日まで上土ふれあいホール。札幌ハムプロジェクトと交互上演。 同じ空間ですが、ハムプロとは客席と舞台の位置を反転させていているのは巧い方法。

いわゆる身毒丸の物語。役を入れ替えつつ、舞台の奥行きを目一杯使い、アングラ風味に太鼓やキーボードの生演奏を加えた舞台。おどろおどろしい見世物小屋や奇妙な食事風景をとりまぜながら細かく、そして 目一杯のあれこれを詰め込んでいます。

そもそも演劇専用ホールでは無い場所ですから、この手の芝居が演じられることの多いいわゆるテント芝居に比べるとタッパも、広さも決して大きい空間ではありません。が、大勢の踊りにしても見世物小屋にしても、あるいは走り回ることにしても、その狭さに反して溢れるように表現を詰め込んだ仕上がりになっています。

若い女性、外国人、あるいはオジサン、身体の動く役者など、さまざまなパーソナリティの役者が集まるごった煮感は、一つの持ち味といえるかもしれません。舞台奥で楽器を生演奏しているというのがそのまま見えているのも楽しい。

出先から家の様子を確認しようと身毒丸が疾走するシーンが好きです。身毒丸の役者が入れ替わるシーンなのですが、何かのチェイスをしてるかのように二人が疾走している(テイで客席に向かって、そのばで走り続けるような...これなんていうんだろ)間、抜きつ抜かれつのデッドヒートをしているかと思えば、一人が抜かれ、後方に消えていく、その身体の動きの面白さ、役が入れ替わることをダイナミックに見せていて楽しい。とりわけ、抜かれて後方に小さくなっていくがわの身毒丸を演じた(鈴木大地)は、本当に身体のキレがよくていちいちキマるのがかっこいい。

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【芝居】「鉛の匙」演劇裁縫室ミシン

2014.10.25 21:00 [CoRich]

26日までピカデリーホール。ごったに、サムライナッツと交互上演。

農業高校に入学してきた新入生たち。ダブってクラスをシメようと思っていたり、農業高校だけれど進学希望だったり、あるいはUFOに心酔したりな同級生や、学科は教えるけれどクラス運営には全く興味のない担任に囲まれた男。友達もできないし、気弱でいじめられがちだが、潜水艦好きで、心の中にはいつも潜水艦のキャプテンが居て気持ちを鼓舞してくれている。
が、AVの貸し借りやら教室で見つけたフィルムカメラの念写で盛り上がりつるむようになる四人。何かの危機が迫りつつあり、念写で指示され、職員室の引き出しを全て入れ替えたり、学校内で焼き肉したり、豚でロデオしたり、あるいは麦畑に不思議なマークを作り出したりというミッションを完遂していく。

ワタシは未見ですが、漫画・銀の匙(wikipedia)にタイトルの着想を得たようで、そこから「農業高校」の生徒達のものがたりに。もっとも、blogなどで漏れ聞こえてきた感じでは脚本は相当難航したようで、 結果的には農業高校でなければならないという物語ではなくなっています。 それでも、 気弱な新入生が潜水艦好きで、心に秘めた強さの源は空想のラミレス艦長(映画「レッド・オクトーバーを追え」 wikipedia)に支えられて、校内でのさまざまなイタズラを完遂して友人達と打ち解けていく、という物語はちゃんと 青春グラフティ。SF風味な 謎の海洋情報伝送体なるものが人間を操って、というのはミシンがここ数作でよく登場させるモチーフ、 唐突に何かをしちゃう人物造型するのに都合がいいなぁと思ったりも。 さらには空想の筈の ラミレス艦長が潜水艦とともに唐突に現れる、なんていうナンセンス具合も楽しい。 正直に云えば、この物語の枠組みでも、ミシンならばもっと精度高く作り上げられるはず、 と思ってしまうのはアタシの勝手な思い込みなんですが。

男子高校生特有のがさつさと、スクールカーストの中でどう生きていくかというある種の生存戦略で、昼休みクラスを抜け出して別の教室で気の合った友達と昼ご飯を食べるというのは、 やけに説得力があります。デスクの引き出しを全部一つずつずらすとか、校内焼き肉とか、豚のロデオといった地味ないたずらの数々のへなちょこぐあいも楽しい。

ダブった同級生を演じた小山未来も、あるいは進学希望だけどAVにハマっちゃう真面目タイプを演じた宮下治美も男子高校生役ではなかなか無い感じで楽しい。(※初出時、お名前が入れ替わっていました。2014/11/5昼修正)  潜水艦好きを演じた米山亘の気弱そうな感じ、 艦長を演じた有賀慎之助の大人な男、の感じ、あるいはUFO好きを演じた滝沢秀宜のいっちゃってる具合もそれぞれのキャラクタが生きています。なにより教師を演じ、作家を兼ねる岩崎佳弘がいちばんぶっ飛んでる役、ある意味オイシイのだけれど、それに違わずぶっ飛び続けるのもたいしたもの。

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2014.11.03

【芝居】「カラクリヌード」札幌ハムプロジェクト

2014.10.25 18:30 [CoRich]

2月に東京で上演された演目を少し短縮して65分で上演。 26日まで上土ふれあいホール。レトロチック演劇倶楽部バンビちゃん'sと交互上演。

地底6000mで希少金属を採掘するロボットを作ることで日本は世界をリードしていた。その中の一体が地上6000mに住む首相の妻を見初める。この時代、ホットバッチという男女の相性を一瞬にして発光するかどうかで判別する端末をみんなが持っていて、妻は首相との結婚をこれによって決めていた。やがて金属そのものが枯渇するようになり、ロボットの一部をクローン技術によって作り出すことに成功し、更に掘削用から戦争の兵器として転用したものを販売するようになって日本経済を維持していくようになる。
地下6000mに居た採掘ロボットは戦場に送り込まれ、倒した相手の部品を使いながら自己を強化していた。やがて、首相の妻のもとに会いにいく。

まつもと演劇祭の中では二つあった地域外の団体の参加。ワゴンでさまざまな土地を巡る企画公演 (1, 2, 3) を続けていて、その繋がりで参加に至ったようです。さまざまな土地に繋がりのある強みを生かして (札幌よりは近い)東京の役者で構成されたキャストでの上演。

いままでの旅公演で松本に持ってきたものはどちらかというと祝祭感溢れるというか、どこか童話の世界というかクラフトっぽい手触りのものだったのだけれど、今作はがらりとテイストが変わり、訓練された役者が高いテンションのまま演じきるというスタイルの芝居に。結果的に今回の演劇祭では唯一のスタイルになっていて、演劇祭のバラエティを豊かにすることに寄与しています。 演劇でしかできないやりかたで祝祭感というよりはカッコイイSFの世界。 素舞台に小道具もホットバッチなるキーホルダーのようでさまざまな色に発光するガジェットだけ。 大量のロボットだったり、大勢の人だったりあるいは小さな芝居だったりと縦横無尽にテンポ良く 役を切り替えながら疾走感あふれる見せ方は、 往年の惑星ピスタチオでのパワーマイムを思い出させます。

男の子はすべからくSFが好き、という時代に育ったアタシには実にわくわくするような物語。 SFというのが流行らなくなったといわれて 久しいけれど、ロボットと人間の許されない遠距離恋愛(というとちょっと違うか)を物語の芯にして 恋愛映画としても読める強さがあります。 国が生き残るためにロボットからクローンという技術の変化で何をロボットとするのかの定義を政権 が恣意的に変えて行くというあたりはどこか、憲法の解釈の話しの香りがあったりもして、 社会派的な一面も見せます。

正直にいえば、終幕に向かってさまざまな要素が一気に するするとまとまっていくあたり、少しばかり混乱してしまってごちゃごちゃしたまま終幕に至って しまった印象があったりもします。アタシの理解力が落ちているということだけかもしれませんし 本来正味75分の芝居を65分にしたという改訂による物語のテンポ配分のバランスの問題かも知れません。

それでも、刺激的でしかもスタイリッシュ、ひとつの演劇祭のなかでさまざまなものが見られるというのは、東京のように劇場が溢れているわけではない地方都市での演劇祭の一つの魅力とも云えるのです。

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2014.11.02

【芝居】「かもめ×かもめ」ごったに

2014.10.25 17:00 [CoRich]

まつもと演劇連合会が続けている芝居塾の初級コース卒業生で結成された中級に位置づけられた俳優コースの公演。 26日までピカデリーホール。60分。演劇裁縫室ミシン、劇団サムライナッツと交互上演。

女子校。演劇科のクラス。授業とは別にくまれたチーム。がこのまえ上演した台本は作演にとって渾身の一作だったにもかかわらず上演自体の評判は芳しくなく、途中で止められてしまった。それでも他校から呼ばれ主演だった女子生徒・ミナの評判はすこぶる高かった。プロになったOGが演出することになっていた企画公演は中止になるが、顧問の女教師と関係していて断ち切りがたい。が、主演だった女子生徒をOGは東京に呼ぶことにしている。

恥ずかしながらきちんと読んだことはないけれど、 チェーホフの「かもめ」(wikipedia) をモチーフにした一本。舞台を上下に仕切り、下手前部分で女子校らしい教室の風景、上はソファやぬいぐるみをしつらえつつも、檻のような場所で、基本的にはニーナがずっとそこに居続ける感じ。教室の中で行われる物語の枠組みは、現代っぽく、しかも今風のスキャンダラスな風味になっていますが、「かもめ」の断片。俳優に憧れる若い女、それを東京という場所に連れて行こうというプロの存在。

去年の上演に比べると数段見やすく感じるのは、物語そのもの、あるいは女子校という場所の設定がどこかコミカルであかるいからか、女優ばかりでおやじのアタシが嬉しいからか。中央に二段組された舞台のような場所がアクティングエリアとして固まってしまっているのを惜しいと感じてしまうアタシだけれど、 もしかした私たちから、箱庭のような人々の話として距離をわざとおいて見せているのかなと思ったりもします。

上段部分にずっと居続ける女は終幕近くに至って、劇中少しだけかたられるおじさんらしき男によって陵辱されるに至ります。何かの変質者のような描かれ方だけれど、これをもとの「かもめ」の物語のどこにはめ込んで腑に落ちようか、ということに迷います。東京に出て行くことによって起こるかもしれない、ある種の(気持ちも含めた)人格を壊されるような陵辱、ということかなぁ。

OGを演じた太田、教師を演じたまゆみの二人のデフォルメして「おんな」を強調した姿に理性はともかく脳味噌が喜んでしまってまだまだ煩悩が抜けないアタシです。 不評な公演の作演を演じた武井隼斗はある種の不器用さが持ち味の役者ですが、その存在感には磨きがかかっていて、印象に残る役者になってきています。

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【芝居】「スペースウォーク」れんげでごはん

2014.10.25 15:30 [CoRich]

26日まで四柱神社。11月にも公演が予定されています。劇団山脈と交互上演。

ほぼ全ての宇宙船のコントロールを担うシステムが突然動かなくなった。こうなると船は手動で動かす必要があるし、あらかじめいれておかなかったステーションや惑星の位置情報も追加出来なくなる。交信手段はごく短いビデオメールだけ。救助要請のあった船に向かう。
たどりついてみれば民間船は装備も十分じゃないし、持っているデータもろくにない。船を捨てて乗り移らせようとしても自分の船を手放したくなくて抵抗する。
たどりついた別の船には男と女性型のアンドロイドが乗っているが、設定がちょっとおかしいようだ。 更に別の救助船からの通信が入るが、そんな船は訊いたことが無い。大丈夫なのか。疑いは晴れない。

体裁としてはかなりゆるい感じのコメディ、制御システムのおかげで普段はほとんど難しいことを気にしなくて宇宙旅行が出来る時代、そのシステムが壊れて面倒だなと思うのはそれなりに訓練されたパイロットで、それ以外の素人は、その深刻さもわからないまま、必要な目標物のデータも持ってなかったり、何も備えてなかったり、あるいはどこまでも気楽で。いちおうの緊急事態なのにどこか抜けた感じの人々。 この、切迫してる筈なのに脳天気で居る人々と、深刻さがわかって焦る人との対比がポイントかな、と思います。 さらには性能がいいはずなのに、わざと間違えたりかわいげを持たせる設定があるという女性型アンドロイドも楽しい。良く考えれば相当に男尊女卑というかひどい台詞だったりもするけれど、なんかそういう感じがわかっちゃうアタシも、まだまだ駄目人間のようです。

ゆるい感じの会話劇をきちんと作り込む、という体裁。たとえば「あひるなんちゃら」の会話劇が思い浮かぶけれど、正直そこまで精度が高いわけではありません。どこが違うかというとよくわからないのだけれど、会話の間やリズムの精度が上がると、実は大化けしそうな予感がします。 終盤近くの物語の主題は、救助を求める宇宙船が実は宇宙海賊かもしれない、というシチュエーションで、助けるのかどうかを延々逡巡して考えること。じつはかなりシリアスなシチュエーションですが、 究極の選択で、作家はどちらを選んでもほろ苦い物語になったろうと思うのです。

監視船のパイロットを演じた宗基は理性的で居続ける物語の柱。最初に助けにいった宇宙船のオーナーを演じた小口翔は抜けてる一般人というボケの一人め。次に助けに行った宇宙船のオーナーを演じた加藤吉は輪を掛けたぼけ加減が楽しい。女性型アンドロイドを演じた市川しをりは、オヤジのワタシには顔をみているだけで嬉しくなっちゃうような可愛らしさを造型しています。

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2014.11.01

【芝居】「出口デス。」シアターTRIBE

2014.10.25 14:00 [CoRich]

26日までMウィング。60分。アートひかりと交互上演。

アイドルヲタの男はスーパーでアルバイトとして働いているが、ある日大量の発注ミスをしてしまう。が、気がつくと大きな爆発音のする戦場らしき場所。アイドルヲタの仲間たちや店の常連客たちによく似ている人々だが、この世界で戦っている同志のようだ。
スーパーの常連客の女が万引き客と名指しした中年の女と口論になり事務所が混乱しているが店長は不在で証拠の無いまま中年の女を解放してしまい常連女やパートのおばちゃんからも責められるが、そんな責任を負わせられることが不本意と感じている。事務所には本社からという男が現れ、常連客の女は急に怯えはじめる。
本社の男そっくりの男が戦場にも現れこの世界はアルバイトの男が作った世界で巨大企業が支配してるのだという。自分の心に従えと、本社の男は云う。
アイドルコンサート目前で応援の練習に余念が無いがいまひとつアルバイトの男はノレない。
戦場の女は敵の手に落ち縛られた上に、爆弾を埋め込まれハーブに触れると爆発するという。

作家の描く物語はコミカルに見せつつも、いつも世の中に対しての問題意識というか何かの怒りを内包していると感じます。今作においては、アルバイトなのに店長の代理みたいな理不尽さに端を発しつつも、どこか大きな力に対しての怒りであり、その犠牲となる女の姿の悲しさ。あるいは生業とは別のアイドル応援というコミュニティが支えてくれる力。アイドルというわけではないけれど、仕事とは別に演劇を松本という土地でやっている作家自身、あるいはこの作家が率いる、まつもと演劇連合会の面々の姿がどこかダブるよう、というのはアタシの思い入れが強すぎるかもしれません。もしかしたらその大きな力にはかなわないかもしれないけれど、ある種のレジスタンスであり続けよう、という力強さ。

何より今作の立役者は、アルバイトの男を演じた山田和政のある種の軽薄さの味わいと、サイリウムを手にしてキレキレにヲタ芸で暴れる姿のコントラストの妙。常連客の女を演じた作田玲子は凛々しく、かっこよくて惚れてしまうあたしです。おばちゃん客を演じた溝口桂子はやや癖はあるけれど、難癖をつける感じが妙にリアリティ。フィリピン人パートかと思えば重要なキーパーソンを演じるちんてんめいは居るだけで安心できる抜群の安定。

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【芝居】「ゴースト・プラネット」サムライナッツ

2014.10.25 12:00 [CoRich]

春に上演した作品を半年ぶりに再演。同じ長野県ですが、中信に分類される松本とは別の地域である南信・駒ヶ根の劇団で、札幌ハムプロとともに他地域という枠での参加。 26日までピカデリーホール。ごったに、演劇裁縫室ミシンと交互上演。

隕石が近づいてくると、鬼目石なる小さな石が降り注ぐ。陰陽師の二人はそれを狙って駒ヶ根までやってきた。
温泉旅行に行きたいとねだる恋人に対して節約指南の家系生まれた男はつれない。石を拾った。
コンビニバイトの女が拾った石の話をもう一人女に話している。持っていると幽霊というかお化けが見えてしまうのだと話すが、相手はあっさり信じる。だって死んでるから。

劇団の持ち味である新感線風味な夏の大劇場公演の印象がさめやらないけれど、もう一つの顔という小劇場公演。知っていてやってるのかはわからないけれど、二人ずつが多い口語的な会話にしても、美しいとはいえないけれど様式化されていなくてリアルを感じさせるのもどこかチェルフィッチュの香り。

鬼目石や陰陽師といった新感線的な道具立てははあるし、特に恋人の話しでは節約家な男が渋っていた温泉旅行に行くことにすると終幕は物語全体としてうまくまとまっています。が、とりわけポテチ女とコンビニ女の会話はいわゆる現代口語演劇の体温で演じられていてキレのいい会話劇として楽しめるのです。物語もこの二人の話は本筋に対してはある種説明だけなのだけれど、この部分は独立して、実は友達の少ないコンビニ女に、幽霊だけど(途中でおでこに三角の布のあれをつけるのも巧い)会話につきあってあげるという小さな物語も暖かい。

そういう意味では東京ではわりと多いタイプのイマドキな小劇場的な芝居とも云えますが、今回のまつもと演劇祭の中ではこのスタイルの芝居はむしろ少数派で印象に残ります。わりと広い劇場でことさらに声を張るでもなく、日常にありそうな体温に見えるように演じることはさすがに継続的に訓練された役者なのだなと思うのです。

彼女を演じた鈴木里美はほぼヒールだった夏公演からは一転、ほんとうに可愛らしく魅力的。彼氏を演じた中村遼は軽口を叩くのもいいし、主宰・松崎剛也と垣間見せるチャンバラも精度があって楽しい。ポテチ女を演じた雅とコンビニ女を演じた凛江はどこかマンガ的なコントラストな二人だけれど、作り込まれた会話はずっと聞いていたいぐらい会話が面白く、そしてその二人が愛おしいのです。

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【芝居】「ガリレオ」シアタープロジェクト・サザンクロス

2014.10.24 10:30 [CoRich]

26日まで信濃ギャラリー。60分。

ガリレオ、地動説の確信は持っていたけれど天動説が支配的な時代ではそれを声高に主張するわけにはいかない。娘には貴族が結婚を申し込む。が、科学者で知り合いである男が教皇の座につくと耳にして、もういちど太陽の黒点を観察して発表しようとする。異端のそしりは免れず、殺されるかもしれない、と感じたガリレオは自説を曲げて天動説を受け入れる。助手だった男はそれ以来会わなかったけれど、国外に出て行くのだ。

信濃ギャラリーを横使いに二列の客席。上段はかなり高くて見やすいのだけれど、女性 が短いスカートで座ると横を見たりできないアタシです。

ブレヒトの戯曲(wikipedia)をぎゅっと60分に圧縮。誰もがある程度は知っている人物の物語だけれど、自説を曲げることを強いられた男の苦悩。信念を貫き通して殺されれば英雄にはなれたかもしれないけれど、ある意味狡猾に曲げて生き抜く姿。特に前半では見やすくするコミカルな要素を入れ、登場人物をぎゅっと絞り込んで作ってはあるけれど、今作のポイントは(読んでないのでほんとうのところはわからないけれど)、やや時代がかった、しかし美しい台詞なのだと思うのです。

ガリレオを演じた椿媛はその台詞の美しさをきっちり背負って見せ場を作ります。もともと一人芝居のユニットであるシアクロの強みでもあるのですが。家政婦を演じた清水奎花は決して大きな役じゃないけれど、いくつもの役、引きつける魅力。弟子を演じたそうめいは師匠への心酔の説得力。娘を演じた雑草はどこかお嬢さんな気質をしっかり。娘の婚約者を演じた田中もともまた、苦労知らずな雰囲気たっぷりだけれど、境界への忠誠という心の強さが見えづらいのが惜しい。

私の観た土曜午前の回では、体調の悪くなった観客がいましたが、逃げ場のないこの狭い劇場の一番奥の客席からの退出を、躊躇なく上演の続く舞台前を横切ってでも行ったのは結果的には正解だったと思います。この判断は非常に難しいところだけれど、ちゃんとそれに気づき、誘導を遅滞なく行った場内スタッフの英断はすごいな、と正直に思うのです。

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【芝居】「牡丹灯籠哀歌(ぼたんどうろうエレジー)」幻想劇場◎経帷子

2014.10.24 21:00 [CoRich]

26日までD's。50分。まつもと演劇祭初日の21時開演にもかかわらず、超満員でした。

二人で旅をする男女は旅芸人。男は川辺の夢、女は水底の夢をよく見るという。女は男が自分から離れてどこかに行ってしまうのではないかと不安に思っている。盲目の少女が同行するようになり、その先には二人がずっと見ていた川辺の風景があった。

男と女と川辺と水底で、さらにへその緒や盲目の少女、アングラな持ち味の彼らとなれば、死んだ男女と娘の話であることはということは早々に想像がつきますが、それはそう大きな問題ではありません。そういう枠組みの中の表現はやや時代がかっているとは云えますが、演劇祭というバラエティの強みでもあります。

単に死んだものたちの物語という過去にとどまらず、 自殺した男女が生まれ変わっての今はちゃんと生きていて、娘はその二人の子供だけれど、前に自殺した女の腹の中の子供で、さらにはまた家族として生まれ変わり再会しよう、という前向きに迎える終幕は、アングラの風味とは裏腹に、爽やかさすら感じてしまうのです。

この物語を核にして、 旅芸人らしく、インチキ気味のスプーン曲げやフォークの柄を咥えて投げられたリンゴをキャッチするなんていう大道芸の街角をこの空間に出現させるのも楽しい。 作家がFacebookで公開してる初演の写真ではなわて通り(劇場近く、かつては映画館が並んでいたやや悪所という昭和の香りを残す通り。今はどちらかというと観光向けですが)の町中で上演されたようです。川辺、というのもよくわかります。これなら大道芸のシーンは楽しいし、初演と再演がまったく違う魅力がありそうです。

旅芸人の男女を演じたはりけん、木村真美は浮き草稼業な軽さと怪しさと哀しさをしっかりと。看護婦を演じた駒津千大は唄のシーンを圧巻の声量で支えます。行商人を演じた草間マサ子は軽さが勝って見やすい。

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【芝居】「 新・一家団欒」アートひかり

2014.10.24 19:30 [CoRich]

静岡生まれの小説家藤枝静男の同名の小説を原作に35分。26日までMウィング。シアターTRIBEと交互上演。まつもと演劇祭のオープニングを飾る一本。

男がバスに乗って帰ってきた「実家」では父や兄、姉たちが待っていてくれた。今日は祭りなので連れだって出かけていく。

死んだ男が先に死んでいる父や兄姉たちに出会って過ごす時間。一家団欒という時間の過ごし方。いままでの一家団欒とはまったく違って、これがずっと続いていくのだろうという雰囲気。

物語としてはそう多くの要素を詰め込んでいるわけではありません。死んだ男が戻ってくるまでを映写した映像(カタカタという映写機の音がいい)のあとに、一番下の弟であること、兄や父たちに何か悪いことをして後悔してるということというわずかな情報を加えて、あとは祭りと団欒という風景。男はほぼ背中を向けて演じていて、まだ生きている私たちがこれから経験するかもしれない情景、という視点。祭りの風景はおそらくそこでやっている祭り、生きている頃と同じように歩いて回ることはかつての風景でもあるし、寺か神社の境内の祭りをそぞろ歩くと、死者たちが寄り添っているかもしれないなぁと思ったり。最初は閉じていた扉をニナガワよろしく後半で開いて奥行きを広げるのは楽しい。

引っ越して町を離れてしまったのでその全貌を体感できたわけではないのですが、今作の作演はこの演劇祭の前から、さらには期間中もワークショップや劇場間で観客を誘導するチンドンパレードなどイベントの厚みを持たせた立役者でもあったと思うのです。

正直に言えば、エンゲキ、を期待して来た観客すべてを嬉しがらせるような舞台ではありません。そういう意味では攻めすぎという気がしないでもないのです。それでも、きっちりと身体の動きの美しさは踊りのようでもあって、なるほど、私たちが歩いている祭りの風景の中には、それに寄り添うように、あるいはそれとは関係なく彼らは彼らで縁日を歩く死者たちの姿があったりするのかもしれないな、と思ったりもするのです。

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第19回まつもと演劇祭「手帳がカンゲキで埋まるんるん」

2014.10.24-26に行われたまつもと演劇祭のリンク集です

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