【芝居】「サバイブ!」自転車キンクリーツカンパニー
2014.9.20 14:00 [CoRich]
ずいぶん久しぶりという気がする、公演は、外部の作演による公演だけれど、それでもしっかりじてキン節が目一杯で見応えたっぷり。プロモーション薄めな感じが惜しくて、ワタシも無理してでも先週見て喧伝すべきだったと後悔役立たずだけれど、それはアタシがはまり込んでる気持ちというだけかもしれない110分。21日まで雑雄。
母親と二人で同居しているもう若くもない長女。父親は離婚し家を離れ、妹は結婚して娘を女優の道に進めさせようとステージママの日々で母親との折り合いも悪く実家には寄りつかない。ある日長女は好意を寄せていた男と呑んだあと、寝静まった自分の家に呼び込むが、居ないはずの妹と娘に見つかってしまう。妹は家を出てきていて娘はオーディションのプレッシャーのあまり咳止め薬を隠れて大量に服用している。
母親は娘のことが気になって仕方がない。娘はそこまでの干渉を望まず友達が出来ないのかと水を向けるが、通っている社交ダンスサークルも気に入らない様子だし、友人になったはずの女も家に呼ぶでもない。長女が好意を寄せている男は婿養子に入っていたが奔放な妻に翻弄されて離婚は間近だが、留学を控えた息子のことが気がかりで離婚に踏み出せない。
長女は男のボランティア活動に付き合って山に同行しようと思うが、心配でならない母は許さないものの、男とその息子のことは気に入っていて、娘の相手に相応しいと思っているが。
ワタシのblogタイトルになってる「休むに似たり」( 1, 2) の結婚しないだか出来ないだかの人々(なぜか女性なんだけど)に共感しまくった世界から地続きな感じがすごくするのです。あの時は自分の恋だの結婚だのにもやもやしていたけれど、そこを過ぎて結婚をしていない人々、あるいは結婚していたとしても(その家庭の在りよう次第だけど)何かを抱えた人々がぎゅっと集まっていて、あの彼女、彼たちに再会出来た、そしてアタシはあの時と何も変わってないまま年月だけが過ぎていると云うことにあぜんとしつつ、物語にぐさぐさと来るのです。
母親が自分を心配する余りにかけてくる言葉がワタシの道や退路を塞いでいく感覚、かといってこちらが苛ついて少し言葉を強めれば傷ついてしまう距離感。アタシは実家を出てはいるし、近くなのにそうは戻りたくないなと思う感じ。結婚も子供も居ない、親子のままこの歳になってしまったゆえの距離感の変化に戸惑い、少し苛ついてしまう自分も嫌になる感覚、ああ、どこか自分のあれこれにピースがはまっていく感じ。それは決して気持ちいい体験ではないけれど、こうもスパスパっとハマっていくというのは、「休むに似たり」の時の感覚の再来なのです。作演が違うのに、役者だって二人が共通しているだけなのに、物語だって全然違うのに、「あの」世界と地続きと感じてしまうのです。
男が命を落とした後、その恋人である長女と母親のシーンが圧巻です。「だから山は危ないと云ったじゃない、彼はお気の毒だけれど、あなたを行かせなくてよかった、自分は正しかった」、というのはまったくその通りなのだけれど、この瞬間にアタシの悲しみより先にそれを云うのかという長女が感じる腹立たしさ。何か具体的な体験に重なるわけじゃ亡いけれど、タイミングが違うから腹を立ててしまう感覚は、自分の幼さも感じつつ、腑に落ちてしまって、いちいち距離感が掴めない感じもまた、「休むに似たり」に似てる感覚なのです。
長女を演じた歌川椎子とその想いを寄せる男を演じた久松信美の二人がきっちり「じてキン」ワールドをつくります。もはや初老の域に入ろうかという感じだけれど、やっぱり「のんびり」生きてきたんだろうと思わせる感じ。もちろん、物語はずっとシリアスだけれど。母親を演じた天光真弓の品の良さとどこか独裁的でワガママな感じはまるでお姫様ともいえる造型でリアルに。妹を演じた弘中麻紀は笑顔で居続けることが似合う女優なのだけど、むしろもうすこしヒールに造型していて新鮮。その娘を演じた大村沙亜子は健気さが印象的、男の息子を演じた仲井真徹は次世代というものを体現するようなしっかりした若者でカッコイイ。松坂早苗はどこか飛び道具なポジションだけれど、異質なものが紛れ込む面白さ。
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