【芝居】「醜い男」冨士山アネット
2014.9.14 15:00 [CoRich]
ダンス中心の公演が多いユニットが、台詞主体の演劇上演する企画公演、Manosと銘打って。85分。16日まで東京芸術劇場アトリエイースト、そのあと福岡、京都。
工業用のプラグを開発する会社。画期的な新製品を学会発表する出張に選ばれたのは開発を主導した男ではなく、若い助手だった。納得がいかない開発者は社長に詰め寄る。彼の口から発せられたのは、顔があまりに醜くて、製品が売れないからだ、という。帰宅して妻を問いただすと、慣れたし愛しているけれど、夫の顔は醜いのは厳然たる事実なのだという。形成外科手術を受けることを決め、その結果は奇跡的な大成功で、元の顔は微塵も残らず、誰もが見惚れる美しい顔になった。製品の発表プレゼンも大成功で、取引先の女社長は顔に惚れ込み男を自室に呼ぶ。男は製品のプレゼンばかりでなく、整形をした医者の発表にも同行し熱狂をもって迎えられるうち、女たちがすり寄ってくるのは当たり前と感じるようになる。が、医者はその施術で、最初の男とまったく同じ顔の男を何人も作り出すようになり、その絶世に美しい男の顔は徐々に溢れるようになる。妻は同じ顔に整形した会社の若い助手と夫の区別がつかなくなるし、どちらでもいい、と言い出す。取引先の女社長は同じ顔の別の男を連れ込むばかりか、その息子まで同じ顔をに整形して。
いままで何度かの上演があるようですが、アタシは初見です。 90分にも満たない短い話、たった4人の座組で、濃密な物語。醜い男の整形によって成功の階段を上り有頂天になるが、その技術により全く同じ顔の量産で価値がインフレーションを起こすばかりか、自分とまったく同じ顔の別人たちと向き合う内に自分なのか他人なのかの境界が曖昧になっていく物語はどこかSFな雰囲気を纏い、実にわくわくします。
正直にいえば 自分と他人の境界がなくなって着地するのが、美しい自分が心底好きで、それは全く同じ顔の他人でも愛してしまうという自己愛で、それは気持ち悪いといえば気持ち悪いのだけれど、確かに見たことがないような着地点でちょっとすごい。
ダンスを得意としている演出家らしく、インスタレーションのような見た目の面白さも印象にのこります。とりわけ、整形手術のシーン、水槽の下からのカメラで水面の上の顔と水面に落とされたインクが模様をなしていき、それを紙に写しとっていくのは面白いアイディアだけれど、紙を持ち上げて吊したとたん乾いていないインクが垂れて造形が変わってしまうのは何か残念だし、二回目もその濁った水でもういちど繰り返すというのは、必ずしも効果的ではない気がします。濁ったという意味で「量産型」のダメさを描くという意図があるのかもしれませんが、そういうことを要求している物語ではない気がします。
醜かった男を演じた板倉チヒロは、実直なエンジニアというスタートから、醜さに気づかされ自己評価がたたき落とされた時の情けなさのコミカルがどこか救われる感じだけれど、整形後包帯がとれるまでの不安を経てあり得ない美形になったときの天狗っぷりがまた腹立たしいほどに決まるのがかっこいい。このふれ幅を同じ顔なのにきっちり表現してしまうのです。妻と取引先の(見た目は若いのに醜悪な内面の)老いた女社長を演じた中林舞は見惚れるほど美しく、濃密に色っぽくて腰が浮いてしまうよう(という感想もどうかと思うけれど)。社長や医者を演じた大原研二はその時々で豹変していく軽々しい感じが人物の造形としてよくあっています。若い助手と社長の息子を演じた福原冠はどこか意地悪で幼い造形はこの座組の中だからかもしれないけれど、主人公の逆相の立場という助手はある種ヒールだし、社長の息子が同じ顔になって自己愛のように解け合ってしまうというある種の「不気味の谷」を越えたように錯覚するのはなぜなんだろう。
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