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2014.08.24

【芝居】「ダーリン!ダーリン!」ズッキュン娘

2014.8.17 18:00 [CoRich]

18日までシアター風姿花伝。120分。

そのパン屋は、かつて夫婦が脱サラして始め苦労の末つくりあげたメロンパンが評判になっていて毎日限定数が売り切れてしまう。夫とは死別してしまったが今は妻が一人でそのレシピを守っている。毎日夕方に買いに訪れるのにずっと変えなかった大学生の男は、ある日そのメロンパンを手に入れてその味に感動するあまり、親がしいた警察官僚へのレールも、同窓の恋人からも外れて、そのパン屋でアルバイトを始めてしまうどころか、店主に恋心を抱いてしまう。カッコイイ以外に何のとりえもない男をずっと支えてきた恋人はどうしてもそれに納得できず。

顔だけはいいけれどだらしないしバカだし、ダメ男だとわかっているけれど、惚れてしまった弱みだし彼は愛してくれているからさまざまに目をつぶって支えていこうと考えてきた女だけれど、男は他の女に惚れてしまいしかも敷かれていたレールにあるちゃんとした仕事だって放り出そうとしているという状況。当日パンフで作家は「失う怖さを教えてくれた」「殺したい程の憎しみを教えてくれた」「愛する歓びを教えてくれた」「今はもう、隣にいない彼」、わりと切実な言葉を並べて見せます。もちろん作家ですから芝居に描かれていることがどこまでが作家自身の実体験なのかなんてことは知る由も無いわけですが、それを表現せずにはいられない、という切実さから生まれたと感じる物語がわりと大好物なアタシです。冷静にかんがえれば相当イタいわけですが、作家たるものそれを表現してなんぼ、だとも思うのです。

とても切実で大切に紡いだ核となる物語は好きだとはっきり云えますが、 正直にいえば、公演全体を見渡すと少々厳しい気持ちにもなります。ダブルキャストで設定しているのでアタシの観てないAがどうだったかはわかりませんが、物語がそう変わらないのだとすると、たった11人の登場人物なのに、物語が必要としていない役が多すぎる気がします。人気のメロンパンの店に集う人々の日々にしても、キャンパスのあれこれにしても、あるいはキャバクラにしても、それぞれのシーンは華やかだけれど、それだけの時間を引っ張るほどには物語からは求められていなくてもっとぎゅっと濃密に、コンパクトに描いたものを見てみたいな、と思うのです。

もちろんそれは自分を棚に上げていえば、客席のある種の異様さ(それは必ずしも悪ではないけれど、アタシが求めてるそれではないということですが)をつくり出しつつも動員という意味では成功しているわけなので、そういうものだと割り切れば、アタシが行かなければ済むだけなのですが、それで切り捨ててしまうには惜しい何かが物語の核にはあるとおもうのです。

ダメ男だけれど惚れ込んでしまった自分の想いの持って行き場はどうしたらいいのだ、ということだったり、あるいは永遠なんてものは実はないのだ、という台詞は(少々陳腐な気はしつつも)切実さをもってキレッキレで精度は相当に高くて、印象的なシーンなのです。その渦中となる男を登場させないというのもちょっと巧いやりかただなぁと思います。

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2014.08.23

【芝居】「インザマッド(ただし太陽の下)」範宙遊泳

2014.8.17 13:00 [CoRich]

17日までアゴラ劇場。80分。堕落論(wikipedia)を原案にとっているようです。

日本で世界的なスポーツの大会があった日。大きな期待にもかかわらず、点差は開くばかりでまったく点の取れないままだった。代表選手は退場を命ぜられてそのまま自宅に戻ってきてしまう。関心がなくて無責任な物言いを気楽にしていたカップルは会社からの呼び出しに応じて行ってみれば、代表ユニホームを着せられアイドルに手を取り応援されて競技場に出て行く羽目にはる。が、し合いは一方的なまま、やがて大混乱と成りところどころで爆発まで起こり、カップルの男はアイドルを背負って逃げ、カップルの女は相手国の選手に助け出される。
それで何かが変わってしまった。代表選手の妻は家を出て妻子ある小説家と、カップルの男はアイドルの女が忘れられずに追いかけ、カップルの女は、相手国の代表選手と恋仲になる。

大幅な点差が付いたこの試合がいったい何のスポーツかは明確に語られないけれど、ワールドカップサッカーのような雰囲気をまといます。期待は大きかったけれど、負けるとなると雰囲気がどんどん悪く、しかも無関係・無関心な人々さえも巻き込んでしまう気持ち悪さを描く序盤。そこから何か生活が大きく替わり、やがて戦争に向かう国、という流れ。スポーツイベントであまりに一色になる気持ち悪さと戦争に向かう雰囲気が似ている、ということ自体はそう珍しい視点ではありません。スポーツ観戦は好きだけれどどこか引っかかる気持ちがあるという点で アタシ自身もそっちの側の人間ではあるのだけれど、今作の端々に、どうにもスポーツをやる人々に対して敬意がない雰囲気を感じるのですが、どうだろう。

堕ちていく人々、妻であった女はさまざまなものを捨てたけれど、女であることだけは捨てられなかったということだったり、アイドルだった女はさまざまを捨ててもどこかアイドルだったりと、女たちがずっと一本通った描き方なのに対して、カップルだった男はアイドルに翻弄されたりと男の描き方が悪く云えば薄っぺらな造型に感じるのは気のせいでしょうか。

収縮性のある素材で作られたスクリーンを舞台奥に置き、最初は高輝度のプロジェクターで高いコントラストで文字などを表示、他人のセリフを表示し、役者のセリフとあわせて会話を成立させたりしています。コントラストや色使いなどスライドのセンスもとてもいいのです。何より秀逸なのは、収縮性のあるスクリーンをゆがませたりひっぱたりしながら自在に変化させて物を映すということで、これってピントを合わせるのは相当大変なのだけれどあまり違和感なく空間を作り出します。

妻を演じた中林舞は物静かにあっても心の奥底に「たぎる」もの、どこまでも女であるという色っぽさが印象的。アイドルを演じた名児耶ゆりは可愛らしさよりは、何があっても自分である芯の強さが印象的。

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2014.08.22

【芝居】「大人の新感線『ラストフラワーズ』」ヴィレッヂ

2014.8.15 18:00 [CoRich]

25日まで赤坂ACTシアターのあと大阪。205分。

ヤクザの男が北欧のカジノに向かう途中拉致され、妻の胎内の子供を使って人類を進化させる実験に同意する。
成長した双子の弟は親を継ぎ歌舞伎町で一大勢力となっていた。兄は知能が異常に発達したが身体は弱くそれを影で支えている。対抗する外国人たちの一大勢力の祖国は貧しい国民からの搾取で成り立つ独裁国家で、近隣諸国への牽制のための兵器を密かに開発している。それを指揮しているのが歌舞伎町に暮らす双子の兄だった。
警察の秘密機関MISSINGは国家予算を削減され、ついに組織を維持できなくなっており、構成員はそれぞれ別の仕事を持つようになっていて「趣味で」事件の解決に当たるように命じられる。彼らが次に目を付けたのは、借金で首が回らなくなった男たちに最後のひと花を咲かせるべく、大量の報奨金を付けて暗殺を遂行させる 「ラストフラワーズ」の存在だった。
元ミュージシャンだった男は一曲だけ今は亡き妻とのレコードを発売しているが今は落ちぶれている。その男を題材に本を出したいと若い女性のライターが追いかけているが、借金の返済はどうにもならず、ラストフラワーズの一員となるが、行きがかり上MISSINGの面々が彼をサポートする。
独裁国家は王国への移行を狙い、盛大な式典を開く。それと同時に世界中に向けて秘密兵器を放ち、人類を退化させる計画なのだ。独裁者を狙いラストフラワーズとMISSINGの面々も密かに送り込まれる。

新感線に大人計画、というお祭り感満載の公演、開演前に芝居では珍しく、これはフィクションだ、という注意が写されます。なるほど始まってみれば、いろいろ今、これを娯楽作でやる、ということの意味がよくわからなくなるような題材なのです。基本的な構造は、歌舞伎町を舞台にした日本のやくざと、北朝鮮を思わせる外国人(またはいわゆる在日)の抗争をベースに、彼の国の秘密兵器が(核ではなく)地球人が開発したUFOで、それを使って世界を敵にまわす気満々、というのが骨格。かつて日本がそう見られていたように、あるいは冷戦の時代ならソ連がそうだったように、何をしでかすかわからない怖い国、をヒールに。もちろん、そこには救われる話があって、ヒッピーの時代のような素敵な歌詞の歌が彼の国ではながれていて、それが世界を救う、という終幕。もっとも、世界中から発射された核ミサイルの処理は全部海に落とす、ということでいいのか、というのは、今時の日本人としては、あんまりそれで安心しちゃいけないんじゃないか、とも思うのです。

お祭り感の楽しさはもちろん。古田新太はキレッキレに身体が動き、阿部サダヲは格好良く、小池栄子は可愛らしくてしかもカッコイイ。荒川良々のすっとぼけた感じも嬉しいし、平岩紙と星野源の歌が実に素敵だったりもします。歌と云えば 東京スカパラダイスオーケストラの音楽が実に素敵で、これぞ劇伴という振り幅がいいのです。

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2014.08.21

【芝居】「朝日のような夕日をつれて 2014」 Kokami Network/サードステージ

2014.8.14 19:00  [CoRich]

24日まで紀伊國屋ホール、 そのあと、大阪、福岡を経てサンシャイン劇場で凱旋公演が予定されています。115分。

17年ぶりの「朝日」だといいます。私は辛うじて前回の17年前の熱狂の中にはいました。その母体であった第三舞台は解散し、作演およびメインの二人は前回からそのまま、いままでも入れ替わりの激しかった3つの役は若い世代に移して上演された「朝日」。有限の要素を組み合わせることで爆発的に増える中に、もう一度偶然同じ組み合わせが現れる「生まれ変わり」と、それを待ち続ける長い時間を潰すために、延々とさまざまな「遊び」をしている人間という存在ということを骨子に描くことは変わりません。

骨子は変わらないけれど、初演のルービックキューブに端を発しながらも、時代に応じて、「遊び」ということや「他者とかかわること」を軸に、途中からビデオゲーム、コンピュータゲーム、ネットワークゲームという新しいテクノロジーを徹底して取り込んで書き換えることを運命づけられた戯曲は、今回も大幅に手を入れています。この17年の間にずいぶんとテクノロジーは変わりました。97年ではネットワークへの接続は万人のものではないなんて云われてたのに、今となっては手元でワイヤレスに動画だって見られる時代になったし、前回描かれた、傷つけない他者ばかりの現実の世界のようなネットワーク、ヒールライフは荒唐無稽に見えたけれど、この17年でセカンドライフが出来て、沈んだりしています。本当に作家がテクノロジーに詳しいかどうかはよくわからないのだけれど、でも、テクノロジーがこういう風につかわれるかもしれない、ということを嗅ぎ取り造り出す力は今作においてもトップランナーだと思うのです。演出はともかく、テクノロジにたいして何かを書ける作家は一時期の大塩哲史(北京蝶々, 1, 2)ぐらいしか思い浮かばないのです。

今作でのポイントは低レイテンシーと広い画角で復活したVR(Oculus Rift)と、スマートホンとの連携。ゲームという要素は後退して、ネットワークに溶け込んでしまう人間、という雰囲気になってきています。分子配列とかDNAということの「有限の要素を組み合わせていくことで無限にも近い組み合わせがあるけれど、いつか同じ組み合わせができることを信じる」(=リーンカーネーション,生まれ変わり)という物語の核はもちろんそのまま。正直にいえば、初演のルービックキューブはその象徴だし玩具だしといういみで絶妙すぎるわけで、それがどんどん複雑になっていって、難しくなっちゃったんだろうなということは感じるのです。デジタルだってもちろん有限の桁数で表現する限りはいつか同じ組み合わせが、ということはしっかりと語っているわけですが。

前回まではあった「新劇病」とか「ミュージカル病」のくだりがすっかりカットされてるのはちょっと悲しい。でも恋人に対して「難しい話しないでよ」という、若い女の子の台詞はシチュエーションはずいぶん変わったけれどちゃんと残ってるし、ウラヤマとエスカワ、研究員とマーケッター、それぞれが静かに言葉を交わすシーンだってちゃんと健在で、朝日の魅力なのです。

大高洋夫、小須田康人の二人はもう50はとうに過ぎてるはずで、それでもこの舞台をきっちり。この二人の会話が絶妙で他に考えられないというのは痛し痒し。研究員を演じた藤井隆は何の不安もなく。正直にいえば、ミュージカル俳優である伊礼彼方(マーケッター、前回まではモニターという役でした)が居るがために、歌が下手、ぐらいの扱いになっているのが実は凄く不満です。若い俳優が演じる少年を演じた玉置玲央は圧巻の身体能力の楽しさ、いじられる感じの楽しさ。ちゃんと互しているのが頼もしい。

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2014.08.20

【イベント】「へべれけの会 vol.1」

2014.8.12 21:00

下北沢でソワレを一本を見た後に小雨降る中ガシガシ歩いて十数分、定休日のバーを使った企画公演。 一日限り。カウンターに入りきるぐらいの人数でした。 漫画(など)を持ち寄って、2人の女優に読んで貰うというリーディング企画。

ドリンク一杯500円、読んで貰う前には彼女たちに日本酒を1杯(小さめのお猪口、底に孔が開いてる)、自分にも同じ酒で1杯を分かち合う(つまり1000円)というレギュレーション。良く考えれば相当に高く付く飲み方だけれど、お座敷で芸に対して払うという感じにもちょっと似ているし、ちょっと前にあった、バーカウンターで役者たちと向かい合うPrisum( 1, 2) にも似てるけれど、訓練された役者たち作り込んでいたPrisumに対して、これはもしかしたら初見のテキストをどう表現するか、というトレーニングのよう。物語が(出版されてるぐらいなので)そこそこの強度を持っている前提なので、そういう意味では安心感があります。

手塚治虫、ヱヴァンゲリヲン、タッチ、あるいは連載中の週刊誌の漫画(チクホー男子登校編/モーニング)、落語由来の漫画など、あるいは(漫画というルールの筈なのに)客が持ってきちゃった短めのテキスト(きみまろ、ジェーン・スーなど)まで。その場で下読みしつつ、短い時間でなんとか1人で朗読という趣向で、どう1人で表現するかという勝負になっています。背景の判らない物語の一話だけを取り出して読んでも未見には厳しいわけで、持ってきた観客に背景を説明させるというのも巧い。下北沢駅前や井の頭公園で漫画を読み聞かせる彼とも似てるけれど、あっちは元々彼が持っているライブラリから選んでいて、こちらは初見かもしれないという意味で役者の負荷は相当高いし、それでもなんとかやりこなしてしまうという、確かな力を感じるのです。

観客が何を持ってくるかわからない、というのは一か八かの勝負という側面はあります。持ってきた本人は感動していても、それは未見の他の客には判りづらいし、短めのものなら次々できるけれど、長いのを拘って読んでくれという無茶振りが来ないとも限りません。 かといって、下北沢駅前や井の頭公園で漫画を読み聞かせするヒゲの彼のように持ちネタから選んで貰う、というのは完成度の点は有利だけれどライブ感という点で物足りないわけで。 客を選ぶ、あるいは客を御するということがわりと重要な気がします。

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【芝居】「おせっかい母ちゃんリビングデッド」ぬいぐるみハンター

2014.8.12 19:30 [CoRich]

17日まで駅前劇場。105分。

高三のとき、野球部の後輩や母親に対してバットを振った男。専門学校に進むために上京してバンドボーカルにはなったものの、客は入らないままだった。最後のライブ、ライブハウスの楽屋はファンだという女や恋人たちばかりではなく、母親まで居る。バンドのマネージャよろしく頼んでも居ないグッズを大量に発注し、好意を寄せている女を全力で阻止しようとしてうざったい。

母親が子供によかれてとおもって世話を焼くというのは、子供がいい歳になってもそのままだという、多かれ少なかれどこにでもあること。まだ成功にはほど遠く鬱屈した気持ちを抱えた男とその母親のやりとり。男は優男で絶妙にカッコイイのにボケ倒す母親とのやりとりは周囲を巻き込み、少なくとも傍目には気楽に楽しく見られます。

当日パンフに寄れば作家が母親(というもの)への想いを描いたもののよう。去年の今頃までは疾走感ある物語と子供の頃のノスタルジーを感じさせる語り口が持ち味だったのだけれど、そこから孤高の天才だったり、動物たちに模した何か(1, 2)という具合にさまざまな語り口と様々な物語を模索しているように感じます。そういう意味である種、母親と自分 という立ち位置で(半自伝のマザコン宣言、というのが潔い)語られる物語は、また新しい側面を見るようでもあります。正直に云えば、それまでの圧倒的な安定感という点では少しばかり語り方という点で足下が覚束ない感じがなくはないのですが、いろんな語り口で変わっていく姿を見るのはバクチでもあるけれど、観続けている観客の一つの楽しみでもあるのです。

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2014.08.17

【芝居】「TRUTH」キャラメルボックス

2014.8.10 18:00 [CoRich]

(1) 17日までサンシャイン劇場。そのあと大阪。120分。スピンオフ作品との交互上演。また、アタシのみた週は前説を早めに初めてD-BOYSの役者と加藤昌史が話をしたり、終演後に役者が手売りするというイベントを設定していました。

なぜ友達を斬り殺すに至ったかが焦点の物語。それを支えるのが邪悪の権化たるヒールの男・鏡吾の存在なのだけれど、スピンオフの後に改めてみてみれば、たった一人のヒールの背景が豊かに語られたものをみているだけで、ずいぶん腑に落ちる感じがします。他の公演との連続とか、関連するということに頼って、両方見るのを前提とする(片方でも楽しめる、両方見れば楽しさ倍増、みたいなのも前提といっていい) 芝居の作り方はホントはあまり好きではないアタシですが、結果的にはこの二作はプラスに働いているとは思います。

こうやって並べて見てみると、こちらは11人。劇団の本公演ですから幅広い役者に役を当てる必要も理解しつつ、正直この人数でなければ語れないわけではありません。もっとも、結果的には物語を支えるという点では薄くても、ちゃんとまわりにいる愛すべき人々が居る、という雰囲気を作り出すことには成功しています。

これまでの初演・再演ともメインの3人を担っていたテッパンの役者たちにかわり、三演めで二人の役者を入れ替え、一人の役を入れ替えた新しい布陣。ヒールを上川隆也に変わり担った大内厚雄のプレッシャーはいかばかりか、結果としてみれば、序盤のとぼけた味わいも後半の怖さも含めてきちんと新しい人物を作り出しました。この役者、根っからの悪人には見えないという弱点があると思うのですが、スピンオフが支えているおかげで背景が見えるようなのもプラスです。逃げる男を演じた畑中智行、斬り殺される親友を演じた三浦剛も、きちんと次の世代として役を担います。年上女房を演じる岡内美喜子はコミカルが好きなんです、アタシ。

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2014.08.15

【芝居】「痕跡」KAKUTA

2014.8.9 14:00 [CoRich]

17日まで青山円形劇場のあと、北九州。140分。

10年前の大雨の中、車にはねられ川に落ちた後行方のわからなくなった子供のを一度はあきらめた母親。自分の余命が限られていることを知り、再び探すことを決意する。心配する義妹とドキュメンタリー映画作家ととともに、子供を最後に目撃した男が営む小さなバーの二階に住み込んで手がかりを探し始める。
その韓国料理屋で働く女たちは偽装結婚で戸籍を手に入れて生活をしている。近所のクリーニング屋の社長が気に入って出入りしている。社長の娘には同居している男が居るが、籍は入れていない。20歳になる息子もクリーニング屋で働いていて、連れて行かれた韓国料理屋の若い女に恋心を抱く。

戸籍や国籍の偽装、行方不明者と、それを探す人々。その人間は確かに存在しているのに、戸籍という紙切れの上では存在しないまま生きる人々だったり、実際の結婚生活はほぼ存在しないのに紙切れ一つでそれが存在することになっていたり。法律と現実の狭間で「人が存在する」というのはどういうことなのだろうと、考えるのです。

登場人物の無駄というか冗長さが少ないこと、あるいはそれぞれのロールがきちんと決まっていて見やすいことが逆に災いして 実際のところ、その行方不明はどうなった、というミステリ風の謎解きで見ようとしていても、それは早々にわかってしまう感じではあります。 が、それはあまり大きな問題ではなくて、そういう選択を善意のうちに、あるいはとっさの判断で選び取った人が人々が居て、その瞬間は些細なことだったかもしれないけれど、数日、数ヶ月、数年が経つうちに簡単には修正出来ないほどのおおごとになってしまう、ということを丁寧に群像劇として描くのです。

ネタバレ

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2014.08.14

【芝居】「涙を数える」キャラメルボックス

2014.8.9 18:00 [CoRich]

交互上演となっている「TRUTH」 (1) の前日譚となっています。6日までサンシャイン劇場。

公金横領の罪で公職を追われた父は切腹したが、その後 息子も城に上がることができないまま貧しい暮らしを強いられている母と息子。 豊かだった頃の友人はみな離れてしまったけれど、あの頃と変わらずずっと友人だった男が 江戸から久しぶりに戻ってきた。彼はもう幕府は長く無いと考え、西洋式の軍隊について学ぶため長崎に 出たいと考えるが親の許しは出ていない。
ある日、その友人は父親を斬り殺して行方がわからなくなる。江戸にに逃れたとみた藩は追っ手を差し向けることになり、ずっと苦しい生活をしていた男も加わるように命じる。これに成功すれば、公職への道も開けるといわれて協力することを決める。

劇団の人気作、「TRUTH」からのスピンオフ。どちらか一本でも確かに楽しめるように独立した物語にはなっていますが。TRUTHではあからさまにヒールであり続けた男の過去に肉付けをしてもう一本の物語を作っています。父親を信じては居るけれど、公金横領という罪をかぶせられて自害し、おかげで不遇であり続けたということは元々語られていたけれど、依然と変わらぬ友情を向けてくれているのに羨む気持ちが捨てられなかった親友の存在や、そこから父親のえん罪は陰謀に近いような形だったことが明かされます。自分のせいではないことで暮らし向きも、名誉もこんなに苦しい日々で、もともとはそれなりの暮らしだったのに「いつ元の生活に戻れるのか」という、子供の視点でたたき落とされた理不尽さは、 この物語だけを取り出しで純度を高めると、そうか、「さよならノーチラス号」の上演に際して 当日パンフなどで語られた、 かつて作家・成井豊自身が子供の頃に感じた「生活の理不尽な激変」に源のある人物なのではないかと 思い至るのです。あからさまに徹頭徹尾ヒールである人物が滅多に登場しないキャラメルボックスの芝居中で、TRUTHに登場するこの鏡吾なる役は確かに異質で、それゆえにダークヒーロー的な造型と演じた上川隆也という役者の力で人気のある、奥行きをもった役になっているというのだけれど、それに更に 奥行きを足しているよう。

という背景はべつにしても、キャラメルボックスの芝居としては7人という比較的少人数な座組で語られる物語は、良くも悪くも「賑やかし」な人物はそぎ落とされて、それでもそれぞれの人物にコミカルな要素を割り振って残す、という感じになっていて、結果、それぞれの人物に厚みが出るように思います。 共同脚本・演出のクレジットですので、少人数に向いているのはどちらの作家の特性かを知る由はありませんが、なんとなく、自分の希望を込めて真柴あずきの強みではないか、とも思うのです。

わりとシリアスな物語のシリアスな役に対してコミカルな部分を加える、というのは役者で 魅せていく要素のある劇団(新感線、第三舞台とかもそうだ)の特性で、 賛否がわかれるところですが、ワタシは、見慣れたせいも ありますが、物語に対しての緩急のリズムになっていて賛同する立場です。

その中ではコミカルな部分を多くになっていたのは藩の江戸屋敷世話役を演じた池岡亮介ですが、軽口を叩いたりぼけてみたりとリズムを作ります。殺された父親を演じた西川浩幸は、単にいい人ではない造型の深み。正直、台詞の癖はやはり残るので聞きづらいところがないと云えば嘘になるけれど、台詞そのものではない熱量がそれを補います。鏡吾を演じた多田直人は少しばかりの屈折と内なる強い想いをきっちり、その母屋を演じた坂口理恵が、息子が親友を討つために旅立つシーンの引き裂かれるような 気持ちで泣き崩れるシーンがちょっといい。

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【芝居】「カナタノヒトヘ」BoroBon企画

2014.8.9 14:00 [CoRich]

今年一月に亡くなった水下きよしのユニット名で、初盆となるこの時期に彼の出演作と、想いを馳せる物語の二本で構成。 10日まで絵空箱。休憩15分を挟み、120分。チケットにワンドリンクが含まれています。

高名な画家を祖父に持つ男。父親も画家だったが売れず妻とは別の女と心中していて、残された母は今は老人ホームで暮らしていて痴呆が出てきている。男は美大には行ったが画家にはならず、画廊を営んでいて、もう父親が死んだ歳を一回り以上超えている。
父親の亡霊がひょっこり現れる。男は当然許せない。同じ日、父の心中相手の親戚である若い女が遺品の油絵を持ち込んできて、鑑定を依頼する。祖父のと同じ「チェロを弾く女」だが、男は誰かの贋作でたいした価値はないと告げつつも預かって詳しく鑑定することになる。父の亡霊に問い詰めるがのらりくらり。同じ構図だが自分のモデルで新たに描いていたよう。父の絵だとわかった男は相場と二桁高い値段で買い取ると持ち込んだ女に提案するが、女は元の値段でいいといい、かわりに自分のことを描いて欲しいという、のはかつて父とモデルの会話そのものだったし、絵はそのモデルとも違う女をモデルに描いた父の絵だった。「星守る犬~絵空箱バージョン~」(作・演出:工藤千夏)
会社を辞め資格試験のために安アパートに引っ越してきた男は 初日そうそうに空き部屋の筈の階下から男のうめき声を聴いてしまう。大家や隣人を問いただすと、この物件には二人の幽霊が棲んでいるという。一人は隣人と一緒にルームシェアをしていて、もう一人は階下で賛美歌「荒野の果てに」を練習しているというが、まったく歌が上手くならない。というか、死んだことにすら気付いていない。隣人が働くパン屋の客で貧乏なピアノ教師をここに住まわせ、歌のレベルアップを図ろうと考える。 「クリバヤシキャロル」(作:小川未玲、構成演出:BoroBon企画) (戯曲)

なるほど、向こうへ行ってしまった「カナタノヒトヘ」という二本。

「星守る〜」は2004年に水下きよし出演で上演された物(私は未見)を改訂してリーディング上演。元々は台詞のないチェロ奏者を入れ、女三人は一人の役者という構成で演じられたもののようですが、作家自身による改訂を経て、チェロ奏者をなくし、役者三人で演じるようになっています。初演を見ていないのであくまで印象だけれど、元々はもう少しスタイリッシュな感じだったものを、もう少し泥臭くというか生々しく描いているんじゃないかと想像します。

祖父は高名な画家、父は目指したけれど母を捨てて別の女と心中した上に絵も残ってない、という男、痴呆が出ている母の心の中にはそれでも父が色濃く残っていて。絵を持ち込んだ女に心奪われる自分の姿が父親の心の動きにリンクするよう。しかもそこにあるのはじつは父の手による絵で、ということで それまでずっと拒絶し続けてきた父親を受け入れるというか、自分が重なっているのだということを認識して許す、という感じでしょうか。それを表すのがキャッチボールというのはちょっとステロタイプに過ぎる感じがしないでもありませんが、 シンプルな才能と男女の恋心の物語が二世代で重なり合い相似形をなしていて、味わいが出ているのです。

父親を演じた伊原農の軽口叩く造型が楽しい。息子を演じた瓜生和成はいい歳だけれど父を受け入れられないどこか頑なな印象に説得力。母親を演じた伴美奈子は静かに過去に生きる女純粋さ。心中相手を演じた山藤貴子は男を引き込んでしまう影をしっかりと。絵を持ち込んだ女を演じた川西佑佳は、美しく力強い「生」をえ感じさせて、男が惚れるという説得力。

「クリバヤシ〜」はコミカルさが強く出ている一本。ピアノ演奏をつけ、円形に並べた椅子をぐるぐるとローテーション、時に順番を変えながら、向かい合う対話だったり、鍋を囲む人々だったりの「会話」の場所を 作り出します。家賃4万で入った筈なのに事情を知ってる隣家は2万円とばれる下りも、歌を向上させようと呼んだピアノ教師が全く見えないとか、あるいは登場する女たちが実は誰も受験生の話を真面目に聞いてないとか小ネタで上手く引っ張って、それでもなんとなくクリスマスキャロルで感動しちゃう、みたいな魔法が楽しい。

入居してきた男を演じた瓜生和成は、真面目で他人にかき回される気弱なキャラクタが得意な役者ですが、絶品な安心感。お気楽な大家を演じるのは日替わりゲストでしたが、アタシの拝見した土曜昼は藤谷みきで、どこか調子がよくて、何事にも動じない楽しい人物造型。
男は美大には行ったが、画家にはならなかった。

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2014.08.09

【芝居】「たまには純情」こゆび侍

2014.8.3 19:00 [CoRich]

5日まで駅前劇場。何かを吹っ切るかのような115分。ワタシの観た日曜夜は観客が好きな場所に椅子を置いてみる、「フリー座席」実施回でした。

観光バスの運転手とバスガイドが結ばれ生まれた二人の娘だったが、若くして母親は事故で亡くなってしまい、父親は男手ひとつで二人の娘を育ててきた。二人の娘の身を守るために毎日道場と称して「蹴り上げ」の技を教えていた。長女は大学院に進みながらも家族を支えてきたが、言葉の生まれた「レシピ」を研究したいと、調査団に加わりたいと考えている。高校生の次女は幼なじみの男子と毎日のように遊んでいるが、やがて、その「技」を試したいと考えるようになり、街で他人を蹴り上げては写真を撮るということがやめられない。
母親が亡くなって十三回忌を迎えた夏、老朽化に伴いずっと暮らしてきたこの家から引っ越すことになっている。長女の調査団の試験は無事に合格したが、次女が密かに続けてきた行いは父親を傷つけ、更に幼なじみとの別離も迎えてしまう。長女はそれをきっかけに調査団への参加を自らの意思で取りやめる。父親は行くべきだというが、自身も運転手を辞めて事務職で転職のことばかり考えているので、大きな事はいえない、と長女になじられて。

ヤケにパンクな物語。昆虫モチーフが多い作家ですが、今作はそういう感じではなくて、亡き母、父親のやや極端な護身術訓練、素直に育った娘たちが巣立とうとしたり、ちょっとした問題を起こしたりと、家族を丁寧に、しかしキャラ芝居を交えたりしつつ描きます。

前半のハイライトは「蹴り上げ」を実際に試したくなった妹が、無関係の人々を蹴り上げその苦痛にゆがむ顔を写真に収めようとする、という事件。まあ、金的の蹴り上げですから、基本的には笑わせるような作り方ではあるのだけれど、それがどういう結果を生むか判らない、という意味ではサイコパスな造型で程度が違えば、特段の理由はないのに人を殺してみたかった、という昨今の現実の事件につながる側面を垣間見せます。現実の事件から物語を組み立てたというタイミングではないと思いますが、なんかそういう 奇妙なシンクロは、ちょっと背筋が冷たくなります。

後半はその事件をきっかけに大家との関係も悪化し、それゆえに姉がずっと夢見ていた学術調査を断念するところからの物語。なにか大きな夢、潰えそうな瞬間があっても、きっちり前に進もう、送りだそうという気持ち。直接関係あるわけではないけれど、これまで看板だった女優が劇団を巣立った、ということに 勝手にシンクロさせてしまうアタシです。

蹴り上げにしても、終幕の暴走バスにしても、やけにパンクに突っ走る感じが今までとは違う印象を残します。見た目の笑いの多さやパンクさに目を奪われがちだけれど、軸となる家族の物語は優しく丁寧に紡がれているのです。

背乃じゅんの飛び道具のような、あからさまにヒールであり続ける祖母の造型がちょっと怖いぐらいにハマります。長女を演じたたなか沙織はいい子でありつづけたところからの爆発というコントラスト、次女を演じた川田智美の蹴り上げるキックのスピードが凄いし、その快感に溺れる若さ、ちょっと怖い光が目の置くに宿る怖さ。更に父を傷つけてからのかいがいしさもまたコントラスト。近所の男の子を演じた須山造のひょろっちく、なんかやけに癖になるようなキャラクタの造型も印象を残します。。その母親を演じた廣瀬友美はこの、イカれた人々の間にあってフラットに基準点に立ち続けます。バスガイドを演じた笠島智は、前半の半笑いの微妙さが後になって効いてくる造型、父親を演じた大佐藤崇は冴えないシャツを出した感じが娘から見える父親像を象徴的に。

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2014.08.08

【芝居】「ツナガル」セロリの会

2013.8.2 19:00 [CoRich]

3日まで「劇」小劇場。115分。

やや田舎にある個人の音楽教室。祖母も母もここでピアノや合唱を教えていた。 アルコール依存のためにそれまで別に暮らしていた父親も目処が立ち、一緒に暮らして近所の子供に絵を教えるようになる。が、娘は母のあまりに厳しいピアノの教育の挙げ句、突発性難聴を煩い、ここを出てピアノとは無縁の生活を送ってきた。
母親の具合が悪くなったと聞き、娘は恋人と共に久しぶりに戻ってきた。恋人は結婚も子供も欲しくて仕方ないが、結婚を受ける気にはなれない。それは、あの厳しい日々、愛されていたとはどうしても思えなくて、子供を愛することなどできないと思っていたからだった。
が、母親はかつてどういう人間だったかを調べることを提案されて、調べるうち。

トークショーによれば、最初想定していた祖母・母・娘三代にわたる物語を途中で大幅に書き換えたようです。三代の女たちは登場するものの、物語の中心は母と娘の愛情にまつわる物語に。 母親もピアニストで「お母さんのように世界に通用するピアニストに育てる」のが目標でそれを実現するための教育も投資も惜しまない母親像。絶対にピアニストにするのだという想いはあまりに強く、そして厳しくスパルタで。それゆえに母親に愛された、という記憶がない、だから恋人のプロポーズも受けられないというのが全体の枠組み。子供の頃に愛されなかったから子供を愛せないというフレームに対して、アルコール依存から身元を引き受けられ暮らすようになる父親というもう一つのフレームが重なります。 父親の造型は娘にはどこまでも優しく、が、それは脆い心の裏返しということゆえの崩壊。

菊池美里のちょっと子供シーンのいたずらっぽい雰囲気がちょっといい感じ。大人シーンの絶妙に普通な感じ、眼鏡姿も珍しい気がします。恋人を演じた尾方宣久は優しさと表裏一体の脆さのバランスをしっかりと。娘を演じた村田綾は少々陰鬱に過ぎる造型ではありますが、ほんとに美しい。母親を演じた勝平ともこ、役が少々一途に過ぎるところで難しいけれど、隠した想いという芯の強さに説得力があります。

ネタバレ

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2014.08.06

【芝居】「 す き と お り 」miel

2014.8.2 15:00 [CoRich]

100分。6人の作家の短編とダンスで構成する100分。5日まで、スタジオ空洞。

※セットリストを書きますが、終演後まで配布されません。
表情、拭く、リズム「opening」※
東京に出て10年になる聾者の女、年下の恋人とくらしていくうち、妊娠に気がつく。「 」(米内山陽子)
檻に入れた「化け物」と暮らす男。どうもそうなる前から一緒に暮らしていたよう「「好き」と檻」(末原拓馬)
ワタシはこの通りが好きでした。海の近くの家の幼い頃、小学校の登下校、部活帰り、大学時代のバイト先、公園通り池の近くで同棲していたところ、産婦人科への道、焼き鳥とピンサロの二択の分かれ道「Favorite Street2 」(糸井幸之介)
会社のたばこ部屋の男たちの馬鹿話。一人が実は恋しているといい盛り上がる。相手は会社のあの女。この部室のような部屋にハケンOLが紛れ込み、その一人を当ててしまう。「好き通り」(ハセガワアユム、『その好きは通らない』に改題予定とか)
パーカッション、男たち「regs」※
オフィスのOL。仕事はできるが、男っ気がない。若い女は簡単にそれを手に入れているというのに。「隙のない女」(登米裕一)
あわれなのは〜な女「いろんな女」※
失踪して8年も経ったのに、ある日女は発見されてしまう。調査していた男は依頼主である女の兄が来るまでの間、依頼通りどうして失踪したのかを訊ねる。「透き通り、」(瀬戸山美咲)
「Favorite Street 2」
ending ※

終演後に配布される構成表に記載があるダンスだけ※をつけて記載しましたが、それぞれの芝居を繋ぐような形でダンスがある部分もあります。スタジオ空洞を斜め使い、白い布を数枚天井から垂らし、白い箱、白い衣装の役者たち。あるものは真剣な生き方、あるものは爆笑編、あるものは、どこか素敵な過去の点描、など芝居もダンスもさまざまなバリエーションで見やすく楽しめるのです。

「opening」は立っている役者たちが表情、手の動きと徐々にうごいていく感じ。運び、日々の動きを描き。やがて、スマホをもって。スマホそれぞれに効果音を入れて、動いたりしながら音を出すのはちょっといい。

「 」は遺伝と思われる聾者の女が恋人と暮らし、子供を産むまでの一人語り。ワタシは十分幸せだけれど、産むことが幸せだろうかと逡巡するけれど、出産が迫ればもう、それは無条件に、という語り口。出産の経験者でもあり、手話を芝居に添えることも多い作家らしい切り口の題材で。まっすぐな物語ではあって奇想天外な感じではないけれど、丁寧に描きます。

「「好き」〜」は、おそらくはかつて恋人として一緒に暮らしていた女がある日見るもおぞましい怪物となり、確かに檻には閉じこめたけれど、離れがたい男。言葉すら通じなくなっているけれど、きっと互いには想いがあって暮らしていけるはずなのに、女はもう「透き通って」しまう。それがどういう意味かは語られないけれど、どこか別離を感じさせるような幕切れ。カフカっぽいし、やや放りっぱなしではある気はしつつ、想いを圧力で描く手法をきっちり。

「Favarite〜」はこのストリートが好きだという人々の語りを点描。語られる物語の年齢順に並べ、最初のパートではそれぞれの物語に割り当てられた役者一人の語りで構成。同一人物というわけでも同じ場所というわけでもなく、ごく小さい頃、小学生、部活、キャバクラ、同棲、妊婦、風俗と飲み屋での二択というもしかしたらあるかもしれないごく小さい構成で。後半のパートでは同じ話を同じ役者がしつつも、周りの人々を他の役者が演じるという構成に。「しかし、もう今は何もない」でそれぞれを締めくくるというだけの共通点で、人も場所のバラバラというのは惜しくて、それぞれの想いがある、ということだけで広がらないのが勿体ない。

「好き通り」はたばこの銘柄を胸につけた男たちの「ポジションづけられトーク」が巧い爆笑編。飲み屋の馬鹿話風情だけれど、吸う銘柄で人間のキャラクタが色づけできるという決めつけがうまく効いていて、男たちのマンガのようなキャラクタが楽しい。奥手な男の恋人は誰だという部室っぽい話題もいいし、姉御肌な女(古市海見子)のぶっとびかたもいい。そこでは満足せずに、不思議ちゃんキャラのハケンOL(石井舞)で銘柄占いという新しい軸をもってくるのも実に巧い。 作風を知っていれば100%誰でも正解しちゃうハセガワアユム節の王道。

続く「隙のない〜」もわりと結婚できない女(金崎敬江)ネタな話が大好きなワタシもどうなんだと思うけれど、ここまで突き詰めれば客席が沸き返る爆笑編。すげええ。また、彼女も、結婚出来るOLも実に魅力的なんだ。つづく「いろんな女」とうまく構成されている。昭和歌謡っぽい選曲もいい。これが瀬戸山美咲節な芸風だと思ってしまって申し訳ない。

「透き通り」は、ごく小さなきっかけで失踪してしまった女、どうしよう、と悩んだって、またかくれんぼのように消えてしまえばいい、という軽さもいい。なるほど、おにごっこ。迎えに来た兄を「鬼ごっこのオニ」とする幕切れも好きです。

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【芝居】「帰還の虹」タカハ劇団

2014.7.27 18:00 [CoRich]

28日まで駅前劇場。135分。

パリから帰国し、戦争画を多く描き、妻とともに特権的な扱いを受けている画家。友人の教師に依頼され徴兵を逃れるための画学生を書生としてあずかることになる。妻はパリの裕福な生活が忘れられず、我が侭を云っている。時節柄難しい女中が居て弟とともに近くに住んでいる。
家には広報担当の軍人が出入りしていて、画家と懇意にしていて、実はおおっぴらに云えない戦地の悲惨な絵を伝え描いてもらっている。
ある日、書生はそれまで逃れていた徴兵検査、女中の弟には二度目の赤紙が届く。

藤田嗣治(wikipedia)をモチーフにしたと思われる画家を中心に、戦時中に戦争画を描く、というアーティストの性を描いている、と感じます。 戦争というかなり特殊な状況になっても、絵を描くということを業とする人々。生きるためならば自分の信条とは異なったとしても戦争画を描いて生きていくということなのだけれど、それは生きる術かもしれないし、あるいはそんなことは意に介さず、そこに表現せずにはいられない何かが存在しているのだから、それを表現することに全力を注ぐ、ということかもしれない。昼に観た芝居で戦争に向かう国は嫌だなと無邪気に思ったアタシだけれど、あたしが通い詰める芝居を作り出す作家や役者などアーティストにはもしかしたらこういうある意味狂った側面があるんじゃないか、ということも感じる一本なのです。 

今作はアート(アーティスト)と社会の関わり方の極端な例だけれど、それはたとえば暮らせないと判っていても芝居から離れられないという役者だったり、稚拙だとしても表現せずには居られない作家の熱い気持ちのような、今、ワタシが好んで観ている芝居を作る人々のある種の狂気を観たいからアタシは通うんだよなぁとおもったりするのです。 もちろん、そういうアーティストばかりではありません。生徒の命と才能を守るために全力を傾ける教師役が明快ですが、社会と繋がることを優先するという在り方もあると思うのです。なるほど、当日パンフに書いてある「一生涯分の経験を積むよりさきに、戦争がリアリティをもって私の眼前に迫ってきたから 〜 そんな世界でどう生きていけばいいか」なる作家の言葉がこの物語を端的に著していると言うことにいまさら気付くのです。

人物の配置が巧いなと思うのです。軍服と女中という二点をちゃんとピン留めしておくことで、この人々がどういう位置付けでどう「社会」から思われているのか、が頑丈な土台を持って立ち上がります。正直に云えば、中盤までは台風の目のように暴れてた妻、あそこまで頑張って作ったキャラクタがやや放りっぱなしになって終盤は普通の人になっちゃうのが、ちょっと勿体ない。演じた内田亜希子はきりりと美しい。軍人を演じた有馬自由の戦場を語る圧の強さ、徴兵される弟を演じた伊藤俊輔、教師を演じた鈴木利典、もう一人画家を演じた山口森広はいずれも「普通の人」であり続けるキャラクタで結果的にややかぶってしまう役割なのだけれど、それぞれのキャラクタがきっちり。

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2014.08.04

【芝居】「それは秘密です。」チャリT企画

2014.7.27 14:30 [CoRich]

3日までアゴラ劇場。100分。 2016年8月、売れない芸人トリオのひとりが突然逮捕されるが、その理由がわからない。久しぶりの売れるチャンスを目前にした相方たちやマネージャ、恋人が心配して探すうち、もう一人、恋人と名乗る男が現れて警察で取り調べを受けていることがわかるが、依然逮捕の理由は明かされない。連絡がとれないことを心配した妹が上京してきて実はもう一人、次男が居ることがわかる。自衛官として平和維持活動のため中東に派遣され、無事帰国したが、自殺していた。訊ねてきた新聞記者は、重大な機密情報を、逮捕された男から受け取ったというが、当然知る由もない。

秘密保護法を危うく感じるアタシの肌感覚に良くあう感じ。もちろん浅い知識のアタシですから、こういう誤認逮捕は秘密保護法を理由には起こらない、ということはあるかもしれません。が、遺族にすら真実が語られないのは、何がを機密とするかについて、政府が恣意的に運用しうる、ということ、しかも逮捕されても理由が明かされない、というのが本当なら、それはあまりに怖いのです。

法律に詳しい人によれば、たとえば逮捕理由を告げずに尋問することはありえず、もしやれば調書で裁判で不利になる、といいますが、それでも取り調べの透明化もあやうく感じる昨今とのコンボだからその怖い感じは抜けません。もっとも、何が機密とされ逮捕されるかわからない、ということのアタシの恐れる気持ちは、「宮沢・レーン事件」(wikipedia)に関するNHKの番組を見たばかりだったからかもしれません。

恋人を演じた志水衿子のブリブリな女の子造形に目を奪われがちなアタシですが、いつもわりと気になる発音の癖が抑えめで台詞が聞き取りやすいという成長が嬉しい。逮捕された男を演じた松本大卒はチェルフィッチュ風の語り口が意外に巧くてびっくりします。もう一人の恋人を演じた熊野善啓がもう一役演じる玄人受けする芸人もちょっといい。刑事とゲイたちを二役に配するというのは確かに見た目の角刈りの違和感のなさといい、効率がいいなと思ったりおもわなかったり。

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2014.08.03

【芝居】「顎を引け」肯定座

2014.7.26 19:30 [CoRich]

27日まで、スタジオ空洞。75分。

母校である高校レスリング部が廃部と聞いて部室リングに集まるOBたち。父親と反発する息子、かつて遺恨のあった同級生、犯罪者となった男、期待されていたのに思うような挫折した男。

いい歳にもなったおじさんたち。息子だったり挫折だったり、かつての対立だったりがありつつも、歳をとればいろいろあるよねな感じで、それをわりと本気にレスリングしていくという味付け。体が疲れていくことのドラマチック、というのを演劇で使うのは手法として今一つ信用してないアタシですが、おじさんたちが、という肉体の衰えも込みでつくられているのはいい味わいです。 正直に言えば物語は起伏に乏しく、少々優しすぎる気がしないでもありませんが、それもまた、作家の持ち味。

レスリングの本気度合いもその難しさも今一つ実感のわかないアタシですが、首を押しつけるようなシーンはちょっとその曲がり方が見ていて怖い感じがします。登場人物の名前がさまざまなレスラーたちのもの、というのは当然アタシはわからず、友人に教えて貰いました。

安東桂吾は少々出落ち感あれど、なんかひょろ長い印象なのがいいコントラスト。父親を演じたちうりがほんとにいいオジサン感がいっぱいで、それなのにレスリングというのがいい。他が二人の対立軸になっているのに、唯一違う独立した立ち位置の男を演じた松本哲也は、そういう意味ではレフリーであり、一種のファシリテータでもあって、きっちりMCの立場なのです。

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【芝居】「肥後系 新水色獅子」あやめ十八番

2014.7.26 13:00 [CoRich]

27日まで小劇場B1。120分。土曜昼にには初戯曲「まぐろ」のリバイバル上演のイベントがついていました。公演終了後に有料の全編動画配信がはじまっています。

かつて参道近くに駐めたワンボックスカーの中で一人自殺した男は近くの女子校の教師だった。 遺書を演劇部の新入生に宛てて書いていて、それまでも多くの生徒たちと関係を持ち続けていたが、素朴で奔放な新入生に煽られるかのように気持ちがもっていかれた教師。それでも、かつて自分が新任の頃に愛した女のことも頭を離れない。教師が顧問をしていた演劇部は念願の全国大会に出場を果たす。戦争で残された女たちと集団見合いの男たちが暮らしていたこの土地が爆撃で壊滅してしまったこの土地の神社の物語だった。

お祓いのようなオープニング。 祝詞を玉音に変えてみたり、戦時戦後の流行歌らしい曲が混じってみたりと、さまざまな要素をクロスオーバーして始まります。

ほぼハーレム状態な女子校の男性教諭、 気に入られること、嫉妬のこと、若く素朴な女に奔放され心奪われる男。 先生のことが好きです、私のどこが好きですか、まっすぐ、直情的なあまりに若い女たち。 モテすぎる男、でも何か満たされないのはかつて亡くした女の影が払えないから。傍目にはそこに何の不満があるのか、という感じですが、悩みはひとそれぞれだなぁと。まあ、これっぽっちも同感はできないのですが。

少々気になるのは、劇中劇で戦時中を描く、ということの意図を今ひとつ掴みかねます。物語に対して強いメッセージというわけではない気もします。あるいは 戦争中の物語を描く、というのは高校演劇のある種のバイアスなのかと思ったりも。

女子高生たちの嫉妬心も、じつは早々に収束してしまう感じで背景になってしまっているようで、惜しいといえば惜しい。その中で水曜日のたびにたこ焼きに誘う女と断り続ける女、気になる女のシーンはちょっと好きです。

なるほど、新水色獅子、肥後系の花菖蒲の名前か。ちょっといい。

堀越涼が演じた同僚の女教師はコメディリリーフ的な登場で楽しい。前園あかりは可愛らしく。生演奏として参加している男のミュージシャンが女子高生のいでたちというのも楽しい。

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2014.08.01

【芝居】「水底の静観者」猫の会

2014.7.25 19:30 [CoRich]

2011年初演作を大胆に演出を変更して上演。27日までひつじ座。

街をめぐる再開発を背景にもちつつ、この旅館の客だった高名な作家の孫というだけで十分なプレッシャーなのに弟は新人として注目されているという進路も退路もふさがれた男がついついアルコールに 依存、という物語。

ビールを砂で表現してみたり(アルコール依存する人間の方を砂に喩えることが世間では多いようですが)、物語から離れた体裁で役者を楽屋落ちのように喋らせてみたり、没原稿に見立てた丸めた紙の中から 登場人物を出してきたり、唐突にキノコの被り物をしたりと、これでもかというさまざまな手法のオンパレード。さらには、 「ここは重要なシーンだけどカットするから要点だけかいつまんで説明する」とか、元々の物語から演出家が重要だと思うところを摘まんで、強調してならべ、演出のショーケース のよう。じっさいのところ、 演出家が何かをしたように見せたかったということ以上には意味があまり感じられず、物語に向き合って選んだ手法とは思えなくて演出が物語をまったく支えていないことに戸惑います。 物語に対する敬意が感じられないというか。

もちろん、古典と呼ばれる領域の誰でも知ってることを前提に演出や解釈のバリエーションを行うということはありでしょう。あるいはその一粒のエッセンスから、物語に隠れていた何かをあぶり出してみせるという豪腕の演出というやりかたもあるでしょう。今作に関しては、正直古典といえるほどメジャーな芝居ではないし、ひっくり返したおもちゃ箱以上の強いメッセージがあるようにも思えません。

何より腹立たしいのは、この物語をどう解釈すべきかということを演出家が出しゃばっているようにしか感じられないことで、それは難しい物語を子供向けに咀嚼して与えるというのと同じことで、観客も作家も信頼していない、ということだと思うのです。

初演を観ていて、記憶力ないとはいえある程度の物語のベースや、あるいは作家の語り口になれているから、バリエーションのひとつという楽しみ方はあるかもしれません。が、物語のテキストこそ多くを使っているけれど、演出の多くが物語を支えるように働いていない以上、それはノイズでしかなくて、たとえばこの物語に初めてふれる観客に対して、演出家はどう責任をとるか、という覚悟があるように思えないのです。

役者陣はこの無茶に対してもそれでもなんとか形にしようと誠意を持って踏みとどまろうとしている感じではあります。が、ここまでやられてしまっては、ねぇ。

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【芝居】「短篇集:ノスタルジア」waqu:iraz

2014.7.24 20:00 [CoRich]

元タムチックの 小林真梨恵のたちあげたユニットの旗揚げ。 過去、記憶にまつわるという三つの短編で構成。110分。29日までAPOCシアター。アタシの拝見した初日は、駅からほど近い劇場に折りたたみ傘持参で行ったにもかかわらず文字通りの豪雨で這々のていでたどりつきました。

幼いころ暮らしていた小さな町をひさしぶりに訪れた女。墓参りと幼なじみに再会する。「遠足」
ダンス、男女、小さなライト、影絵、「ノイジー/ノスタルジー」
男の話を聞く女たち。美大卒の男はビルの窓清掃のアルバイトをしている。母親が居なくてかわりに似顔絵を描かせてくれた先生に始まりモデルになってくれたあの子などなど「未開の空、ゆれる」

ダンスなど身体表現が得意な主宰らしく、物語よりもややダンスに寄って構成されています。 「遠足」は、幼なじみとの久しぶりの再会な郷里で過ごす短い時間のスケッチに重なり合うように、遠く幼い夏の日の思い出を抱えた男女、幼い頃の二人と歌を重ねて。役者、ダンサー、ミュージシャンでの混成チームで。ほのかな想いは互いにあったのかもしれないけれど、おそらくは恋愛まではたどり着かなかったふたり。その互いの想いはどこか二人とも抱えているけれど、お互いに言い出すこともないし、片方は結婚もしてるようだし。つかず離れずの微妙な距離感を丁寧に。シンプルに関係だけを描くけれど、これといって大きな物語が明確に語られることはなくて、ごく静かに、風景を描いたよう。

「ノイジー〜」は、三本の中でもっともダンスよりの一本で、近視の視界をテーマにした身体表現という感じでしょうか。懐中電灯や影絵、詩的な少ない言葉でで紡がれる、どこか不穏な空気。 薄暗さのなかで懐中電灯の強い光が差しこみ、物がはっきりとは見えず、情報としての視覚ではなく、光、影という感覚だけを伝えるという不思議な感じ。 正直にいえば、語られている物語はわからないなあ。という気持ちも。もうこればっかりは、好みの問題ないではあるのですが。

「未開の空~」は三本の中ではもっとも物語を持っていてワタシには見やすい。ビルガラス清掃の男が落ちつつみる女たちの走馬燈。ほのかな気持ちや恋心、あの人もあの人も、と思い出す感覚。ラジオを聞きながら、気象予報図を書いていくシーンがなんか不思議で静かな時間を紡ぐよう。

身体表現か物語かというと、どうしても物語に頼って見たいと思うワタシなので、もう少し濃い物語が見えると嬉しいと思ったりもしますが、まあそれは身体表現に強みを持つ主宰のユニットなのだから 持ち味が薄れるかなぁと思ったりもします。

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